宵のアンブレラ

(朗読) 

宵のアンブレラ

 寂しがり屋の雨粒が、わたしのこころを淋(さむ)くする。

入れたつもりの、傘なのに、見つけ出せない、雨の夕暮れ。

「ねえ、ちょっと、なんとかこれないの」

すぐ近くの友達に携帯を入れても、

「ごめんね。もう塾の目の前」

なんて返事が返ってくるばかり。

今日はよくない。



「ほら、うなみ、寝てないでここの問題を解いてみろ」

思えば、数学の授業から、祟られていた。

うなみは変なニックネーム。卯月奈美だから、うなみ。これはまあよし。

 けれども寝ているところを、起こされたって、公式なんて解けるわけない。

「ほら、どうした」

なんて脅迫に怯えて、黒板の前で、二三行書いてみたけれど、わたしながらに、何を書いているのか、よく分からなくなってきた。とうとうあきらめて、

「先生、駄目っぽい」

なんて、悲しい白状を黒板に記したら、クラスのみんなからは大笑いされるし、先生からはお叱りを食らうしで、せっかくの午後のまどろみが台なしだ。

今日は、悪い日。



 そうして、当番でみんなを見送って、ようやく出てきたら、傘が入っていない。

 悲しい雨粒のいじめにあったこころもち。

「しょうがないから、コンビニまで走ろうかな」

なんて、呟きながら、念のため家に連絡を入れてみた。

母さんでも帰っていたら、見つけものだ。

自動車で、帰れるかもなんて期待したけど、

……駄目っぽい。ぜんぜん、出てくれない。

もう、犬でもいいから、携帯に出て、傘でも持ってこい。

そんな自棄(やけ)を起こしてしまう。

悲しみの夕べは雨の歌ばかり
恋する乙女傘を忘れる

なんて、馬鹿なことをつぶやいてみた。

 ちょっと嘘。実は恋なんてしてないのだけれど、今日は国語の先生が、短歌を作ってこいなんて、いじわるの宿題を出すから、休み時間にみんなして、言葉遊びに盛り上がっていた。



「じゃあ、さあ」

 夏子が考えたのは、

携帯の鳴ります音の軽やかに
足なみよろしく買い物しちゃうぞ

なんて、最後の取りまとめが面白いので、

「けっこう、いけてるかも」

なんて、自画自賛している。けれどもユズちゃんは、

黒はいや染めてみたいな髪の毛を
父さん母さん頭ふるすぎ

なんて歌を詠んで、染められない派の関心を集めている。ところが、向こうにいた川中祐一の奴が、

いつまでも彼女の出来ない祐一を
貰ってくれよと午後の日だまり

なんて、意味不明の歌を詠うので大爆笑。

この歌は、国語の先生の例題から、最後の「午後の日だまり」だけを取ったから、いびつな歌になっちゃった。

 だけど祐一、あんまり、格好良くもないから、誰も貰ってくれないだろうなあ……話しは面白いんだけど。

 現に向こうで、

「誰も貰ってやらねえよ」

なんて男友だちにからかわれている。

 その後わたしたちは、また昼休みに、歌会がぶり返して、今度はみんなで食べ物の歌ばかりになっちゃった。

クレープのかおりほのかをふらふらと
近寄るわたくしさいふ忘れる

なんてのが傑作。これはあき子の歌。

「ねえ、それなら、そのまま宿題に出せるって」

「そうかな」

「ばっちりだって」

「古めかしい、変な例題より、ぜんぜんいけてる」

「だいたい、あの、ごとくをりにき、ってなんなの」

「すっごい変だよね」

「むさくるしい」

「うん、こっちに来ないで欲しい」

「でも、あのなんだっけ、きらめきなんとか」

「あんた、きらめきじゃないよ」

「きららめく?」

「そうそう、きららめく」

「あっちは、いいね」

「そう?」

なんて、盛り上がってるんだか、混迷を深めてるんだか、何だか分からない昼休み。

 きららめく。は、中原中也の、

小田の水沈む夕陽にきららめく
きららめきつゝ沈みゆくなり

という短歌。

 下の句の語呂がいいんで、つい覚えてしまった。わたしも「ごとくをりにき」なんて大嫌い。なんか嫌らしい歌。硬直しきったおやじの仕草が沸き上がる。今にふさわしくない。わたしたちに全然ふさわしくない。だから嫌い。意味を説明されたら、びっくりしちゃった。全然つまらない。短歌なんかよく知らないけれど、私たちの作品の方が、だんぜんマシなんだ……



 なんて考えていたら、つい雨が降っていることさえ忘れてしまっていた。

わたしは、いけない妄想家。

もう、誰も知ってる人、残ってないのかなあ。

部活帰りの知り合いを、思い出そうと試みた。

……全然浮かばない。

 そうだ、職員室で、余り物の傘を貰ってくればいいかも。

そう思って、くるりと振り向いた途端に、

目の前に、例の「貰ってくれよ」の川中祐一が立っているんでびっくり。

「あれ、お前どうしたんだよ」

なんて、聞いてくるんで、思わず、

「うん。傘を忘れちゃった」

とついどぎまぎしてしまった。何だかいつもらしくない。

「こんな日に、傘を忘れるか普通」

なんて、にやにや笑ってる。

「うるさいなあ、イージーミスよ、イージーミス」

「お前のうち、そんなに遠くなかったよな」

なんて言うので、何だか、先の台詞が読めて、頬が赤くなるような気がした。

 もちろんわたしは、こいつのことなんか、全然気にしていない。ただ、あまり一対一での男慣れがしていないので、こんなに無意味にドキドキしてしまうのだ。もう男に体を預けているような友人もいるのに、わたしはおくての恥ずかしがり屋なのだった。

「じゃあ、送っていってやるよ」

 ほら、やっぱりそんな台詞。

……でも、この際、川中祐一でも助かるかも知れない。

「本当、ありがとう」

といって、入れて貰うことにしたのである。



 ぱっと開いた傘は大きめの、オシャレを知らない無頓着の表情。味気ないほど黒い傘。わたしたちとは、ちょっと感性が違っている。あるいは不思議な動物なのかな?

 けれども、こんなところを、友だちに見られて、変な噂を立てられるのはちょっと困る……

 そう思って、横顔を眺めたら、祐一が、

「どうした」

とすぐ近くから振り向いたので、思わずあわててしまった。

「いや、ほら、肩に雨が掛かって悪いなあって」

「別にいいよ。傘がなかったら、ずぶ濡れで帰ったって、すぐに風呂に入っちまえばいいだけだし」

 わたしには、そんな勇気は出ない。つい傘は必要なものと考えていたけれど、たしかに、鞄を袋にでも入れて、走って帰ったって、帰れないこともなかったのだ。

 やっぱり、わたしとは感性が違っている。

「ねえ、それより、あの番組見た」

なんて、照れくささを誤魔化して話をそらしてしまった。

 だらしない。なにをやっているのだ。

 こんな人並みの、さえない男なのに、ひとつ傘を救われただけで、慌てふためくなんて、どうかしている。けれども、川中祐一は、けっして悪い顔立ちでもない。もう一度、ちょっと横顔を眺めると、別に卑下するほどのこともないような気もしてくるのだった。

 きっと、自分であんまり自虐的にからかうひょうきんさが、彼の価値を下げているのかも知れないんだ。

 なんて思いながら、また彼に笑わされている。

 面白いのは、けれども、悪いことでもないのかも……



 だらしない気持ちを、不可解にさ迷いながら、

二人は灰色の雨をてくてくと歩いていった。

けれども、小さな通りへと折れ曲がったときに、

悲しみのやどりの雨の雨あがり
また歩きますあの人この人

なんて、不意に祐一がつぶやくのでびっくりした。

「なにそれ、誰の歌なの」

お昼の冗談の歌とは、全然違っているので、わたしはてっきり詩人の歌でも唱えたのかと思ったのだ。けれども彼は、

「今考えた」

と、ことのほか素っ気ない。

「だって」

 だって、そんなの即興で詠えないよ。

そう思ったが、質問するのもなんだか、馬鹿な気がしてきて、言葉に詰まってしまった。

「もしかして、短歌が好きなんじゃないの」

ようやく尋ねたら、

「好きだよ」

と答えて済ましている。

 それから、短歌についていろいろ聞いてみた。

「勝手にときどき作ってるだけだって」

といって、笑っている。

「じゃあ、昼間のあれは冗談?」

「あれって、なんだ」

「祐一を貰ってくれよってやつよ」

「ああ、いいじゃんか、率直な歌で」

「率直というか、露骨というか」

今度は、二人して笑ってしまうのだった。

ちょっとだけ、不思議なしあわせ感……



 玄関で、

「ありがとう」

と言って別れるとき、あいつの顔が、お昼よりもずっと格好良く見えたので、内心どきりとした。

 わたしって、こころ捕らえられちゃった?

そんな不思議な気持ちが、ちょっとだけしたからである。

 わたしは、国語の先生が教えてくれた、和歌による愛の遣り取りを、下らないお遊びだと思って、内心馬鹿にしていたけれども、何だかその核心を、ちょっとだけ体験してしまったような、ある種のどきどき感にとらわれて、思わず彼の顔を眺め返してしまった。

 あいつは、

「じゃあ、また明日な」

といって、なんの屈託もなく、くるりと背中を向けてしまう。

それから、振り向きもせずに消えてゆくまで、わたしは何だかポカンとなって、彼のアンブレラを見守っているのだった。



 その夜、わたしは、懸命に頭を捻ってから、祐一の携帯に、お礼がてらにこんな歌を送信してみた。

雨降りのすこし凛々しくアンブレラ
開くしぐさも今日の夕暮れ

 すると、ほどなくして、返信があった。

待ちぼうけする悲しみも雨日和
君とほほえむ宵のアンブレラ

 何だかその日は、お風呂でぼうっと呆けてしまった。

 そうして、国語の先生の説明してくれた、和歌を貰ったときの、和歌に踊らされてしまうような、女心のセンチメンタリズムを、垣間見たような気持ちさえしてくるのだった。

 眠りの前には、サボテンをつついてみる。

「川中祐一」

と思わず、つぶやいたら、隣の置き鏡に、真っ赤になった自分の頬が映し出されたので、あわててベットにもぐり込んだ。

 明日から、わたしは平気でいられるだろうか……

ちょっと、心配。

          (おわり)

作成

[2010/4/18]
(原稿用紙換算15枚)

2010/4/18

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