日本書紀の文体

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日本書紀の文体

 せっかくなので、日本書紀の冒頭も、わずかに見ておこう。零よりは始めの一歩でも踏み出す方が、知性にとっては心地よいには違いない。

「日本書紀(にほんしょき)」720年に完成したとされ、成立の経緯は後の「続日本紀(しょくにほんぎ)」(797年)によると、

「天武天皇の息子である舎人親王(とねりしんのう)(676-735)が、天皇から命令され、日本の歴史書編纂を行っていたが、ついに完成して、紀三十巻と系図一巻(現在では失われている)を撰上した」

と説明されている。この舎人親王は長屋王と共に、奈良時代初期に皇親として勢力を持った重要人物であるが、長屋王に関わる話は奈良時代の章で解説しよう。この日本書紀は政権公認の正史(せいし)として、日本で初めての歴史書であり、これから続く6つの歴史書「六国史(りっこくし)」の始めにあたっている。



 開始部分は「古事記」の本文冒頭と同様、天地創造的部分に相当するが、その文体は大分異なっている。もちろん原文は漢字が連なっているだけだ。例えば冒頭は以下のようにつらなっていく。

「古天地未剖陰陽不分渾沌如鶏子溟涬而含牙及其清陽者薄靡而爲天重濁者淹滯而爲地精妙之合摶易重濁之凝竭難故天先成而地後定然後神聖生其中焉………」

これでは手の施しようがないから、
  漢文で読みやすいように句読点を打つと、

「古天地未剖、陰陽不分。渾沌如鶏子、溟涬而含牙。及其清陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合摶易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉。故曰、開闢之初、洲壌浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物。状如葦牙。便化爲神。號國常立尊。[至貴曰尊。自餘曰命。並訓美擧等也。下皆效此。]次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以、成此純男。  一書曰、………」

さらに、これを書き下し文にしてみると、

「古(いにしえ)、天地(あめつち)いまだ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりし。渾沌れ(まろかれ・むらかれ)たること鶏子(とりのこ)のごとくして、溟涬(ほのか)にして牙(きざし)を含めり。それ清(す)み陽(あきら)かなるものは、薄靡(たなび)きて天(あめ)となり、重く濁れるものは、淹滯(つつ)いて地(つち)となるに及び………」

と続いていく。これは古事記の冒頭が、

「天地初發之時於高天原成神名天之御中主神」

であり、「天地初めて發(ひら)けし時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神」という語り言葉的要素が著しく強いのに対して、典型的な漢語調を基礎としている。その開始部分の意味を現代語で表しておくと、

「古(いにしえ)、いまだ天地が別れず、陰陽(中国思想の取り込み)が別れなかった。混沌が鶏卵の中味ように定まらなかったが、自然の気(溟涬)に兆候があらわれた。そのうちで清く陽(あきら)かなものは、たなびいて天となり、重く濁ったものは、積もり固まって地となったが、精妙なるものはむらがりやすく、重く濁れるものは固まり難かった。これによって、天がまず成り、後に地が定まる。そして後に、神がその中に生まれた。だから言うのだ、天地が開く始めに、国土(くにつち)が浮かび漂う様子は、例えば遊漁(あそぶいを)の水上に浮かぶよう。その時天地の中に一つのものが生まれた。かたちは葦芽(あしかび・葦の芽のこと)のよう。すなわち神となる。国常立尊(くにのとこたちのみこと)と申す。
[最も尊い神を尊(そん)と記す、他を命(めい)と記す、共に「みこと」と読む(で良いのかな?)。以下これにならえ。]
次に国狭槌尊(くにのさつちのみこと)。次に豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)。合わせて三柱の神。これは陰陽の陽のみで出来たので、純粋の男であった」

 ここで古事記の冒頭と合わせて考えると、古事記冒頭で誕生する五柱(いつはしら)の神、つまり「別天つ神(ことあまつかみ)」は日本書紀ではそもそも含まれていないことが分かる。そして古事記において、

「次になりませる神の名は、クニノトコタチ(国之常立)の神、次にトヨクモノ(豊雲野)の神」

と始まるところが、日本書紀における神の誕生にあたるが、さらに「国狭槌尊(くにのさつちのみこと)」を合わせて、三柱の神としているなど、異なる点が目につく。

 しかし古事記とは異なり、この日本書紀では、メインの文の後に「一書に曰く」という文が幾つも続き、沢山の異なる伝承を箇条書きに記しているのである。これは日本書紀を貫く基本方針になっている。その中には、古事記とまったく同様ではないが、

「アメノミナカヌシ(天之御中主)の神、タカミムスヒ(高御産巣日)の神、カムムスヒ(神産巣日)の神」

といった名前が見られる一書もある。

 つまり古事記はひとつの伝承を語りごととして伝えようとしているのに対して、日本書紀の方は伝承を記述として、網羅しようとしている、とでも言えるだろうか。

 この日本書紀は、神代からおこして持統(じとう)天皇の時代までを扱っているが、それを扱う機会があるのやら、ないのやら、わたしにもさっぱり見当がつかないくらいですが……
 まあ、その冒頭だけでも、かじらないよりは幾分かはマシだろうと思い、時間を割いた次第であります。

2009/後半頃か

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