古事記による第1変奏7、生みの果てに

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生みの果てに

 美しき現世(うつしよ)に戻ったイザナキの大神は、体に埃(ほこり)立つ闇がまとわりつき、豊かな色彩を奪い取っていることに気付き、
「我(あ)は、
いな『しこめしこめき』
穢(きたな)き国に踏み込んだ。
すぐに身の禊(みそ)きせん」
と言って、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(をど)に向かい、禊きをおこなった。ここは日に向かう彼方にある生命たぎる地、黄泉比良坂(よもつひらさか)と対になる若き土地のことである。ここでイザナキの大神、黄泉の死臭を払い、身に着けたものを脱ぎ去れば、そこよりおのずからに神が生まれませる。

 まず投げ棄てる御杖(みつえ)になりませる神の名は、
ツキタツフナト(衝立船戸)の神。
次に投げ棄てる御帯(みおび)になりませる神の名は、
ミチノナガチハ(道之長乳歯)の神。
次に投げ棄てる御嚢(みふくろ)になりませる神の名は、
トキハカシ(時量師)の神。
次に投げ棄てる御衣(みけし)になりませる神の名は、
ワヅライノウシ(和豆良比能宇斯)の神。
次に投げ棄てる御褌(みはかま)になりませる神の名は、
チマタ(路俣)の神。
次に投げ棄てる御冠(みかがふり)になりませる神の名は、
アキグヒノウシ(飽咋之宇斯)の神。
次に投げ棄てる左の御手(みて)の
手纏(たまき)になりませる神の名は、
オキザカル(奥疎)の神、
オキツナギサビコ(奥津那芸左毘古)の神、
オキツカイベラ(奥津甲斐弁羅)の神。
次に投げ棄てる右の御手(みて)の
手纏(たまき)になりませる神の名は、
ヘザカル(辺疎)の神、飽咋之宇斯
ヘツナギサビコ(辺津那芸左毘古)の神、
ヘツカヒベラ(辺津甲斐弁羅)の神。
これらの神は、
悪しきものを祓うあらゆる守り神となりし。

 ここに衣服を脱ぎ捨てて、
「上つ瀬(かみつせ)は流れ速し。
下つ瀬(しもつせ)は流れ弱し。」
と河に入(い)ると、
初めて中つ瀬(なかつせ)におりて
身をすすぐ時になりませる神の名は、
あらゆる禍(わざわ)いの神である、
ヤソマガツヒ(八十禍津日)の神、
さらにオオマガツヒ(大禍津日)の神。
この二柱の神は、
その穢れに満ちた国に降りた時に、
汚れによって現れし神である。
次に穢れを清めんとしてなりませる神の名は、
カムナホビ(神直毘)の神、
オオナホビ(大直毘)の神、
イヅノメ(伊豆能売)の三柱の神。
次に水底(みなそこ)にすすぐ時になりませる神の名は、
ソコツワタツミ(底津綿津見)の神、
ソコツツノヲ(底筒之男)の命(みこと)。
次に中にすすぐ時になりませる神の名は、
ナカツワタツミ(中津綿津見)の神、
ナカツツノヲ(中筒之男)の命。
次に水の上にすすぐ時になりませる神の名は、
ウハツワタツミ(上津綿津見)の神、
ウハツツノヲ(上筒之男)の命。

[ここに生まれた三柱のワタツミの神は、オオワタツミの神に仕え、曇 連等(あづみのむらじら)の祖神(おやがみ)となった。また三柱のツツノ ヲの命は、住吉神社の三柱の大神として、奉られています。]

 最後に左の御目(みめ)を洗う時になりませる神の名は、
アマテラスオホミカミ(天照大御神)。
次に右の御目(みめ)を洗う時になりませる神の名は、
ツクヨミ(月読)の命。
次に御鼻(みはな)を洗う時になりませる神の名は、
タケハヤスサノヲ(建速須佐之男)の命。

 [このヤソマガツヒの神より下(した)、ハヤスサノヲの命より前(まえ)の十柱(とはしら)の神は、身をすすぐときに生まれた神である。]

2007/08/16

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