古事記による第2変奏2、うけい

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天つ国へ

 ハヤスサノヲは怒り立った。親父はいつも俺だけを爪弾きにする。アマテラスにも、ツクヨミにも、怒鳴り散らしたことなど無いのに、俺にばかり暴力を振るう。俺にだけ海原を押しつける。海原を治めるのは辛い仕事だ。第一つまらない。どこまで行っても海が広がっているだけじゃないか。なんだ、ツクヨミなんか「夜のおす国」を治めて、これだって随分ひどい扱いなのに、兄きぶって嫌な顔一つせずに、頭なんか下げて承(うけたまわ)りやがって。気概ってものないのか。俺はもう我慢ならない。あの親父は、姉さんだけが可愛いんだ。頼みもせぬのに生みなしておいて、不用と見るや海原だ勘当だと、せいぜい勝手にするがいい。様々な想いがスサノヲを駆り立て、激しく足を踏みならして高天の原に向かえば、中つ国は言うに及ばず、天つ国の山川さえ動じて、国土(くにつち)はみな揺れ動いた。これに驚いたのはアマテラス大御神である。

「我(あ)が弟(なせ)の命の上り来るゆえは、
かならず良き心からではない。
我(わ)が国を奪おうと思うからに違いない。」

 さっそく髪を解(ほど)いて左右に巻き上げ、
その巻き上げた御みづらにも、
髪に乗せた冠のごとき御かづらにも、
左右の御手(みて)にも、
多くの勾玉を数珠に結んだ「八尺の勾玉(やさかのまがたま)」
つまり「五百津(いほつ)のみすまるの珠(たま)」を巻き持ち、
背には千本入りの弓入れを負い、
脇腹には五百本入りの弓入れを付け、
手首には弓使いの小手(こて)を帯び、
弓腹を押し絞り、
堅土(かたつち)を踏みならし、
沫雪(あわゆき)のごとく蹴散らして、
大地を踏み固めて待ち、
威勢良く雄叫びして、
「何のゆえに上り来たのか!」
と浴びせかけたのである。

ハヤスサノヲの命は驚いた。久しぶりの再開に涙する優しい声を信じていたのだが、アマテラス大御神を筆頭に、八百万(やおよろづ)の神が我(われ)を見詰め、怪しきものとばかり睨み付けている。

 慌てて、
「我(あ)は邪(きたな)き心なし。」
と弁明を行い、
父許(ちちもと)を離れた経緯(いきさつ)を告げたのだが、
アマテラス大御神はなお怪しみ、
「しからば、汝(な)が心の清く証(あか)しは、
いかにしてか知らん」
と言うので、そこはスサノヲの命、怯むことなく
「おのおの、うけいして子を産まん」
と答えてやった。

 こうしてうけいの儀式が行われることになった。うけいは、あらかじめ甲乙の場合それぞれどうするかを定めた後に、甲か乙かを判じる占いである。したがって勝利の条件を定めてからうけう必要があったのだが、アマテラス大御神は合図を送り、うけいの準備を始めてしまった。いきり立った男装を解(と)こうともしない。神々は恐ろしい形相で並び立ち、一人として歯をこぼすものもない。こちらから契約を訊ねるような雰囲気(ふんいき)ではなかった。ここにハヤスサノヲの命、自らが疑われしことを知り、しくじれば討ち取るつもりか、それとも追放か、我(われ)を陥れる算段であることを、ようやく理解したのである。しかし我(あ)に穢(きたな)き心なし。単純なスサノヲは、己(おの)が剣をかみ砕き、麗しき男神さえ産みなせば、自(みずか)らの潔白は証明できると信じていた。

 しかし姉は契約を定めずうけいを始めるつもりだ。子供の頃よくやりこめられた記憶が、スサノヲの胸をよぎったが、なに負けはしない、いかなる難題を吹きかけられても、きっと切り抜けてみせる。味方も居ない状況で、彼の荒ぶる勇気が燃え上がった。2人の姉弟神(きょうだいがみ)は今、天の安河(あめのやすのかわ)を挟みながら触れんばかりに向き合い、もろもろの神の守る中、うけいの儀式を始めたのである。

うけい

 まずアマテラス大御神が動いた。
 すなわちスサノヲの命の十拳剣(とつかつるぎ)を掴み抜くと、
これを三つ折りに砕いて、
身に着けたる勾玉の音(ね)もゆらゆらと、
天の安河に濯(すす)ぎ込むと、
これをかみ砕いて、
息吹きを霧のように吹き出して
神を生みなしたのである。

 これには河縁(かわべり)の神々も驚き、互いの顔を見合わせた。おのおの神を生むというので、己(おの)が物を噛(か)み子を息吹(いぶ)くかと思えば、まさか弟の物を噛み砕くとは。これではまぐわいによる子生みのごとく、生まれたる神は2人の子ではないか。どちらの子とは言えまい。それでもなお、吹き出した方がより親神ではあろうが。スサノヲには姉が何を考えているのか分からなくなった。我(われ)を嫌うゆえのうけいかと思えば、共に子を生みなさんとは。疑わしきはぬぐい去れないが、国を追われ天(あめ)に昇ったスサノヲには、微かな愛情も嬉しくて、美しき姉の子を生むことに依存はなく、無論口を挟める雰囲気でもなく、黙ってアマテラス大御神の八尺の勾玉を貰い取ると、姉と同じように子生みの儀式を行ったのである。この儀式は後々、神々の豊かな合唱(コロス)として残されることになった。

コロス1:(原文)
かれここに、
天の安河(あめのやすのかは)を中に置きてうけふ時に、
アマテラス大御神まずタケハヤスサノヲの命のはける、
十拳剣(とつかつるぎ)を乞(こ)い取りて、
三段(みきだ)に打ち折りて、
ぬなとももゆらに、
天の真名井(あめのまない)に振りすすきて、
さがみにかみて、
吹き棄(う)つる気吹(いふき)の
狭霧(さぎり)に成りませる神の御名は、
タキリビメ(多紀理毘売)の命、
またの名はオキツシマヒメ(奥津島比売)の命。
次に狭霧(さぎり)に成りませる神の御名は、
イツキシマヒメ(市寸島比売)の命、
またの名は、サヨリビメ(狭依毘売)の命。
次に狭霧(さぎり)に成りませる神の御名は、
タキツヒメ(多岐都比売)の命。
三柱の神ぞ。

コロス2:(原文)
ハヤスサノヲの命、
アマデラス大御神の左の御みづらに巻かせる
八尺の勾玉の五百津(いほつ)のみすまるの珠を乞い取りて、
ぬなとももゆらに、
天の真名井(あめのまない)に振りすすきて、
さがみにかみて、
吹き棄(う)つる気吹(いふき)の
狭霧(さぎり)に成りませる神の御名は、
正勝(まさかつ・まさか)、
吾勝(あかつ)、
勝速日(かちはやひ)、
アメノオシホミミ(天之忍穂耳)の命。
また右の御みづらに巻かせる珠を乞い取りて、
さがみにかみて、
吹き棄(う)つる気吹(いふき)の
狭霧(さぎり)に成りませる神の御名は、
アメノホヒ(天之菩卑)の命。
また御かづらに巻かせる珠を乞い取りて、
さがみにかみて、
吹き棄(う)つる気吹(いふき)の
狭霧(さぎり)に成りませる神の御名は、
アマツヒコネ(天津日子根)の命。
また左の御手に巻かせる珠を乞い取りて、
さがみにかみて、
吹き棄(う)つる気吹(いふき)の
狭霧(さぎり)に成りませる神の御名は、
イクツヒコネ(活津日子根)の命。
また右の御手に巻かせる珠を乞い取りて、
さがみにかみて、
吹き棄(う)つる気吹(いふき)の
狭霧(さぎり)に成りませる神の御名は、
クマノクスビ(熊野久須毘)の命。
あわせて五柱(いつはしら)ぞ。

コロス1:
先に生ませる神、
タキリビメの命は、
沖ノ島の、
宗方神社の、
奥つ(おきつ)宮にいます。
次にイチキシマヒメの命は、
大島の、
宗方神社の、
中つ宮にいます。
次にタキツヒメの命は、
田島の、
宗像神社の、
辺つ(へつ)宮にいます。
この三柱の神は、
胸方(むなかた)の君らが
もちいつく三前(みまえ)の大神ぞ。

コロス2:
後に生まれませる五柱の子のうち、
アメノホヒの命の子、
タケヒラトリ(建比良鳥)の命と、
アマツヒコネ(天津日子根)の命、
多くの国造(くにのみやつこ)、
連(むらじ)や県主(あがたぬし)らの、
氏神となれり。
これによりて後の朝廷、
五柱の子孫によりて満たされし。

2007/09/20掲載

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