古事記第5変奏3、次妻(うはなり)妬(ねた)み

[Topへ]

次妻(うはなり)妬(ねた)み

 こうしてヤチホコの神の命は満ちたりて帰国した。「事の語り言もこをば」と終わりたかっただろうが、いくら神の御代だってそう旨くはいかない。中つ国に戻ったスセリビメがこれを知って、「私という本妻(こなみ)のほかに、次妻(うはなり)を取って愛(め)でるなんて・・・絶対に許せない。」と、いたく次妻(うはなり)妬(ねた)みしたために、寄り添いて暮らし難(がた)いほどの嫉妬に苛(さいな)まれだしからである。困り果てたオホナムジは、妻より逃れるがために束装(よそひ)して、出雲より倭(やまと)に上(のぼ)るとの命を下した。慌ただしい出立の間際、片の手を御馬(みま)の鞍(くら)に掛け、方の足をその鐙(あぶに)に踏み入れて、ようやく後ろに控える妻に向かって振り向くとき、別れ際に歌いかけるには、

ぬばたまの 黒き衣(ころも)を
すきなく 取り装(よそお)い
沖つ鳥 胸見る時
羽ばたきの これはよくない
寄(よ)せ波 そこに脱ぎ棄(す)てよ

カワセミの 青き衣(ころも)を
すきなく 取り装(よそお)い
沖つ鳥 胸見る時
羽ばたきの これもよくない
寄(よ)る波 そこに脱ぎ棄(す)てよ

山あいに 求めし茜(あかね)を
染木(そめき)の汁に 染めた衣(ころも)を
すきもなく 取り装(よそお)い
沖つ鳥 胸見る時
羽ばたきの これは宜(よろ)しい

いとしい 妹(いも)の(みこと)よ
群鳥(むらとり)の 我(わ)が皆と往(い)かば
引鳥(ひけとり)の 我(わ)が皆を引き往(い)かば
泣かぬとは お前は言うとも
山もとの 一本(ひともと)ススキのよう
項垂(うなだ)れて お前は泣くのだろう
朝雨(あさあめ)の 霧(きり)さえ立つほど
若草の 妻の命(みこと)よ

事の 語り言も こをば


 と突き放しつつ妻の心を揺さぶった。スセリビメは不安と寂しさがよぎる。夫に棄てられたらという想いと、許してあげれば好かったという淡い後悔が、別れの寂しさと溶け合って、日頃の気丈さも引き込んで、胸底(むなそこ)のか弱さが溢れ出る。それだけではない。夫(おっと)は今、山あいの茜(あかね)が似合うと歌って、それから山もとのススキのようだと歌った。どんな衣をまとっても、ふさわしいのは私だけ。他の人に分からないように、そっと弁解しているのだ。だってその山がどこであるか、私とあなただけが知っているのだもの。

 そう思うと胸が熱くなり、さらさらと返歌が溢れ出る。スセリビメは、「そのまま」と夫(おっと)に告げ、大きな酒杯(さかづき)に豊御酒(とよみき)を汲み来させると、それを掲(かか)げて美しい声で歌った。

ヤチホコの神の命や 我(わ)がオホクニヌシ
あなたこそ 男(おとこ)なれば
渡り巡る 島の崎々
渡り巡る 磯の先まで
若草の 妻を迎えつつも

わたくしは 女(おんな)なれば
あなたのほか 男(おとこ)はなし
あなたのほか 夫(つま)はなし

綾織りの ふんわり仕切る部屋に
絹織りの やんわり敷いた下に
栲(たく)織りの さらりと敷いた下に
あわ雪の 若やいだ胸を
栲(たく)の綱(つな) 白き腕(うで)さえ
そっと抱き 撫(な)でては愛(まな)がり
愛(いと)しい手に この手を絡め合い
股(もも)を長くして 共に眠りましょう
さあどうか 豊御酒(とよみき)を召し上がれ


 こうこられてはオホクニヌシも弱い。すぐに鐙を外し、遠征を止めにして、盃を交わしあって、やがて二人きり、互いのうなじに手を掛けて、そっと首を寄せ合った。それからは、そだたきたたきまながり、真玉手(またまで)玉手さし枕(ま)き、股長(ももなが)に安らぐ眠りに、深く落ちていったのである。そしてこの日より今に至るまで、いさかいを起こすことは二度となかったという。二人はその即興の歌を、御歌(みうた)に改めさせた。

コロス1(ヤチホコの神):
ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸(むな)見る時
はたたぎも これは適(ふさ)はず
辺(へ)つ波 そに脱(ぬ)き棄(う)て
そに鳥の 青き御衣(みけし)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸(むな)見る時
はたたぎも こも適(ふさ)はず
辺(へ)つ波 そに脱(ぬ)き棄(う)て
山がたに覓(求・ま)ぎし 茜(あたね)つき
染木(そめき)が汁(しる)に 染(し)め衣(ころも)を
まつぶさに 取り装(よそ)ひ
沖つ鳥 胸(むな)見る時
はたたぎも こし宜(よろ)し
いとこやの 妹の命(みこと)
群鳥(むらとり)の 我(わ)が群れ往なば
引鳥(ひけとり)の 我(わ)が引け往なば
泣かじとは 汝(な)は言ふとも
山処(やまと)の 一本薄(ひともとすすき)
うな傾(かぶ)し 汝が泣かさまく
朝雨(あさあめ)の 霧(きり)に立たむぞ
若草の 妻の命(みこと)
事の 語り言も こをば


コロス2(スセリビメ):
八千矛(やちほこ)の神の命や 吾(あ)が大国主(おほくにぬし)
汝(な)こそは 男(を)にいませば
打(う)ち廻(み)る 島の埼埼(さきざき)
かき廻(み)る 磯の埼(さき)落ちず
若草の 妻もたせらめ
吾(あ)はもよ 女(め)にしあれば
汝(な)を除(き)て 男(を)はなし
汝(な)を除(き)て 夫(つま)はなし
綾垣(あやかき)の ふはやが下に
むしぶすま にこやが下に
たくぶすま さやぐが下に
沫雪(あわゆき)の 若やる胸を
栲綱(たくづの)の 白き腕(ただむき)
そだたき  たたきまながり
真玉手(またまで) 玉手さし枕(ま)き
股長(ももなが)に 寝(い)をし寝(な)せ
豊御酒(とよみき) 献(たてまつ)らせ


 これをヌナカハヒメとヤチホコの命の御歌と合わせて一連の「神語(かむがた)り」とすると、末永き夫婦の繁栄を、そして中つ国の繁栄を祈る祝い歌として、祝宴の際に歌わせることにしたのであった。

2008/10/09掲載

[上層へ] [Topへ]