古事記第6-1変奏、アメノワカヒコ

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アメノワカヒコ(天若日子)

 かくてオホクニヌシの命、葦原の中つ国を治めます時に、高天原(たかあまのはら)ではアマテラス(天照)大御神の子、アメノオシホミミ(天忍穂耳)の命が、母神とタカミムスヒ(高御産巣日)の神に育てられ、麗しい男に成長していた。神立(かむだ)ちの朝、タカミムスヒの神の娘、ヨロヅハタトヨアキヅシヒメ(萬幡豊秋津師比売命)、またの名をタクハタチヂヒメ(栲幡千千姫)の命を娶らせ、八百万(やおよろづ)の神、天の安河原(あめのやすのかわら)に集(つど)いて祝いし時に、アマテラス大御神の云うには、

「豊葦原(とよあしはら)の
千秋(ちあき)の
長五百秋(ながいほあき)の
水穂(みずほ)の国は、
我が御子(みこ)、
正勝吾勝勝速日(まさかつあかつかちはやひ)
アメノオシホミミ(天之忍穂耳)の命の知らす国ぞ」

 つまり、五百(いほ)の秋が来ても、千の秋が過ぎても、永久(とわ)に水穂の豊かな葦原中国(あしはらのなかつくに)は、我が子の治める国だと宣言したのである。

 勇ましく天降(あまくだ)りして天の浮橋より見下ろす時、国つ神どもはみなオホクニヌシ(大国主)の命に従い、天つ神といえどもすぐには降臨出来そうにない。アメノオシホミミ(天忍穂耳)の命は、天に還(かえ)り上ると、「豊葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいほあき)の水穂(みずほ)の国は、葦原の風にさやいで触れるがごとく、いたくさやぎてありなり」と報告した。あるいは「ふがいなし」と怒鳴られるかと覚悟していたのだが、そうはならなかった。アメノオシホミミの命が降れないほどの事態かと、たちまち天の安河原(あめのやすのかわら)で神集会(かむつどい)が始まったからである。

 ここにタカミムスヒ(高御産巣日)の神の子にして、思い謀(はか)ることにかけては何ものにも劣らないオモヒカネ(思金)の神が前に進み出て、

「まずはアメノオシホミミの命の弟、
アメノホヒ(天菩比神)の神を使わし、
様子を探らせるべきである」

と云うので、さっそくアメノホヒの神を中つ国に使わしたのだが、どうもオホクニヌシの神の方が役者が上だったようだ。アメノホヒの神は、兄への嫉妬心をうまく利用されて、オホクニヌシの神に取り込まれてしまった。従って三年(みとせ)にいたるまで還らず、もうすぐオホクニヌシの説得に成功しますとか、とにかく時間が必要ですと連絡をよこしながら、うまく誤魔化していたのであった。



 ここにいたりタカミムスヒ(高御産巣日)の神、
アマテラス(天照)大御神、
再度諸々(もろもろ)の神たちに、
「葦原の中つ国に遣わせるアメノホヒ(天菩比神)の神、
久しく還ることを知らず。
またいずれの神を遣わせば好いか。」
と問いかける時、オモヒカネ(思金)の神、
「アマツクニタマ(天津国玉)の神の子、
アメノワカヒコ(天若日子)を遣わすべし」
と進言する。

 よって天鹿(あめのしか)さえ射抜くと賛えられた天麻迦古弓(あめのまかこゆみ)、羽根でさらに早く獲物に食らいつくという天波波矢(あめのははや)を、アメノワカヒコに与えて遣わすことになった。ところが相手はあのオホクニヌシの神である、一筋縄ではいかない。幾つかの布石が打たれた後で、ようやく会見を果たすと、

「お前の父と私は同じ母から生まれた兄弟で、父親が違うものだから、二人は顔を合わせた事はなかったが、天の原に住まう兄のことは忘れたことがなかった。私がウツシクニタマ(宇都志国玉)の神と呼ばれるのも、まったくお前の父がアマツクニタマの神と呼ばれるからなのだ。そんな関係もあることだから、私はすでにすぐれた息子が何人もあるが、もしお前が私の娘シタテルヒメ(下照姫)を妻として、子をもうけることがあれば、その子に中つ国を治めさせても構わないと、私は考えているくらいだ。天つ神だと、冗談ではない。この中つ国はスサノヲの命が平らげ、私に託した国だ。事が起これば黄泉つ国が黙っていない。それにもし、天つ神の治めたもう国となったとして、失礼だがお前にどれほどの地位が与えられよう。せいぜい高貴な神の下にお仕えするのが精一杯ではないか。それより、いいか、男神ならもっと大きな野心を持つものだ。黄泉つ国から妻を奪い取るぐらいの大きな野心をな。まあ、よく考えてみることだ。」

と言い出した。さらに先に下りしアメノホヒ(天菩比神)の神と謀って、ワカヒコの野心に火を付け、また娘のシタテルヒメはアマテラス(天照)大御神に対して、天の下を照らすほどの美しい乙女だったが、自らの恋心を犠牲にしまでアメノワカヒコ(天若日子)の心を奪おうと、美しき体を張って男心を口説いたので、ついにアメノワカヒコ(天若日子)もその気になって、シタテルヒメを妻とし、その国を獲ようと思い謀って、八年(やとせ)にいたるまで天に還り登らなかったのである。

夷振(ひなぶり)

 ここにいたりタカミムスヒ(高御産巣日)の神、
アマテラス(天照)大御神、再度諸々(もろもろ)の神たちに、
「葦原の中つ国に遣わせるアメノワカヒコ(天若日子)、
久しく還ることを知らず。
またいずれの神を遣わせば、
その訳を聞き出せようか」
と問いかける時、オモヒカネ(思金)の神、
「雉(きざし)、
名はナキメ(鳴女)を遣わすべし」
と進言する。

 ナキメは天(あめ)より降り下りて、アメノワカヒコの家の門を斎(いつ)きまつる「斎(ゆ)つ楓(かつら)の木」の上に立ち、まつぶさに天つ神の言葉を伝えようと、アメノワカヒコの名を呼んでいると、巫女としてアメノワカヒコに仕えていたアメノサグメ(天佐具売)がこれをいち早く聞きつけた。実はこの女は、オホクニヌシの命によりアメノワカヒコの動向を探るために遣わされた女で、アメノワカヒコを探る女(め)という意味で「アメノサグメ」と呼ばれていたのだが、当人のアメノワカヒコには「天(あめ)の情報を探り伝える女」だと説明されていたので、アメノワカヒコも無条件の信頼を彼女に与えていたのである。これにはもちろん妻シタテルヒメの言動が大きかった。

 そのアメノサグメがいち早く天(あめ)の使者を見つけ、これはと思ってアメノワカヒコに伝えるには、
「門のところに不吉の鳥が居ます。この鳥は、その鳴く声いと悪(あ)し。必ずや禍(わざわい)を呼び込むもととなります。すぐに射殺しなさい。」
と云うので、アメノワカヒコは鳴き声を聞く暇(いとま)もなく、天つ神より授かり、自ら改名した天波士弓(あめのはじゆみ)と天加久矢(あめのかくや)を持ち、引き絞って打ち離す。すなわち雉(きざし)を射抜いたのである。矢は雉(きざし)の胸を貫き、赤く染まりて逆さまに射上げられ、自ら生命を得たごとく、遙かかなたまで登っていく。ついに天つ国のタカギ(高木)の神のもとに辿り着いて力尽きた。高木の神とは、あのタカミムスヒの神の別名である。血の弓矢を握りしめたタカギ(高木)の神は、
「アメノワカヒコに与えた矢ではないか」
と驚き、諸々(もろもろ)の神を呼び集めると、

「もしアメノワカヒコ、
命(みこと)を誤ることなく、
悪しき中つ神の射た矢であるならば、
アメノワカヒコにあたらざれ。
もし汚き心あらば、
アメノワカヒコ、
この矢にまがれ(当たり死ね)!」

と叫び、自ら弓を絞って突き返せば、流れ星のように大気を燃やした弓矢は、一目散に館を目がけて突き進み、アメノワカヒコが眠るその高い胸坂(むなさか)をぶち抜いたのである。即死であった。これが後の還(かえ)り矢のもとである。そしてこの時から、ひたすら行きて還らぬ使者のことを「雉(きざし)の頓使(ひたつかひ)」と呼ぶようになった。

 また、声に驚き駆け込んだアメノサグメもこの矢に刺され、たちまち化膿して死んでしまった。この矢には高木の神の一念が込められていたため、邪心を抱きつつ死んだ二人の魂は、しばらく後、おぞましくも一つの物の怪となって甦った。これを天の邪鬼(あまのじゃく)という。人の心に欲と煩悩を呼び起こす妖怪である。



 アメノワカヒコの葬儀が始まった。妻のシタテルヒメの泣く声は、風と共に響いて天(あめ)にまで伝わった。アメノワカヒコの死を知った父アマツクニタマの神、またその家族も許しを貰い、降(くだ)り下(お)りて泣き悲しみて、すなわち喪屋(もや)を作りて、葬儀が始まった。その儀式の最中に一悶着あった。

 喪屋(もや)では各々(おのおの)鳥に見立て、河雁(かわかり)を供養の物持ちとし、鷺(さぎ)を掃持(ははきも)ちとし、翠鳥(そにどり)を料理を作る御食人(みけびと)とし、雀をウスを打つ碓女(うすめ)とし、雉(きざし)を導き嘆く哭女(なきめ)とし、このように行いを定めて、日八日(ひやか)、夜八夜(よやよ)を上げて、別れの遊びを催したのである。

 この時、シタテルヒメの兄、アヂシキタカヒコネ(阿遅志貴高日子根)の神が来て、アメノワカヒコの喪(も)を弔(とむら)う時に、天(あめ)より降り来た、アメノワカヒコの父またその妻、みな歓び泣きだして、 「我(あ)が子は死なずに甦った。我(あ)が君は死なずに生き還った。」 と叫ぶと、アヂシキタカヒコネの手足に取り付いてわんわん泣きだした。あまりにもアメノワカヒコにそっくりだったので、魂が呼び戻ったと思いこんだのである。ここにアヂシキタカヒコネの神はいたく怒りに任せて、

「我(あ)は麗しき友の弔いに来たのだ。
それを穢(きたな)き死人(しにびと)と呼ぶか!」

すなわち身に履(は)かせる十掬劍(とつかつるぎ)を抜き、その喪屋(もや)を切り伏せ、足でもって蹴飛ばして回った。この時共に蹴上げられた大地の一部が落ちたところが、美濃(みの)の国の藍見(あいみ)の河の河上(かわかみ)にある喪山(もやま)となった。また切り伏せた太刀(たち)の名は、大量(おほはかり)といい、またの名を神度(かむど)の剱(つるぎ)という名刀であったが、これを無駄に振り回したアヂシキタカヒコネの神は、怒りに任せて走り去ってしまった。驚いたのはその伊呂妹(いろも)タカヒメ(高比売)、つまりシタテルヒメである。死人(しにびと)に間違われてそれを訂正しないのは不吉なことだ。悲しんでばかりも居られない。棺の前に立つと、美しい声で御歌(みうた)を歌いだした。

天(あめ)なるや 弟棚機(おとたなばた)の
項(うな)がせる 玉の御統(みすまる)
御統(みすまる)に 穴玉(あなだま)はや
御谷(みたに) 二(ふた)渡らす
阿遅志貴高日子根の神ぞ

 天にて機織(はたお)る若き乙女らの、首にかけられた玉の御統(みすまる)、数珠に繋がった穴玉はなんと、二つの谷に渡り輝かせることか、輝かしきアヂシキタカヒコネの神よ。と歌ったこの歌は、今日夷振(ひなぶり)と呼ばれ、雅楽寮(うたまいのつかさ)でも歌われている。

2009/8/26掲載

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