古事記第6-2変奏、オホクニヌシの国譲り

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オホクニヌシの国譲り

ヤヘコトシロヌシ(八重事代主)の神

 ここにいたりタカミムスヒ(高御産巣日)の神、アマテラス(天照)大御神、再度諸々(もろもろ)の神たちに、「またいずれの神を遣わせばよいか」と問いかけようとすると、それより早く、オモヒカネ(思金)の神が立ち上がった。

「今となっては実力行使あるのみ。すなわち天(あめ)の安(やす)の河(かわ)の河上の天の石屋(いはや)に住むイツノヲハバリ(伊都之尾羽張)の神、またはその子、タケミカヅチノヲ(建御雷之男)の神を送り、従わざれば亡ぼすべし。」

理性を司る神の顔が、今は真っ赤に燃えている。自らの計略をことごとく破られて、思慮深きオモヒカネの神も、ついに腹を立てたようだ。むろんアマテラス大御神もタカギの神も同じ気持ちだったから、すぐにオモヒカネの神に従った。イツノヲハバリの神は、かつてイザナキ(伊邪那岐)の神がヒノカグツチ(火之迦具土神)の神を斬り殺した剣が神と成ったものである。またの名をアメノヲハバリ(天之尾羽張)の神という。その時の血潮から生まれたタケミカヅチノヲ(建御雷之男)の神は、生みの親であるアメノヲハバリ(天之尾羽張)の神と共に、剣を振るう武神として知られていた。その親子は、天の安の河の水を逆さまにせき止め、その湖(うみ)の先に住んでいたから、水を渡るのに巧みなアメノカク(天迦久)の神が使わされることになったのである。

アメノヲハバリの神に問えば、
「使え奉らん。
しかれどもこの仕事は、
我が子、タケミカヅチノヲの神を使わすべし」
と答え、息子を使わしたので、天空も水上も自在に駆ける神、アメノトリフネ(天鳥船)を副将として、すぐにタケミカヅチノヲの神を中つ国へ送り出したのである。



 二柱の神は出雲の国の伊那佐(いなさ)の小浜(をばま)に降(くだ)り、十拳剣(とつかつるぎ)を抜き、逆さまにして揺れる波の穂に突き刺し、尖った剣先に胡座(あぐら)をかいて、武神としての証しを立てつつ、オホクニヌシの神を呼び出だした。天空には暗雲が立ちこめ、タケミカヅチノヲの呼び寄せた、稲光がすさまじい悲鳴を上げている。オホクニヌシの神も現れぬわけにはいかなかった。

「アマテラス大御神、
タカギ(高木)の神の命により問う。
汝(な)が占有する葦原の中つ国は、
我(あ)が御子の知らし治める国である。
汝(な)の心はいかに。」

 オホナムヂの神はまた時間稼ぎを試みる。時さえあれば、何か策は打てるはずだ。
「我(われ)はもはや答える立場にない。
我(わ)が子、ヤヘコトシロヌシ(八重事代主)の神が答えるだろう。」
「すぐに使わすべし。」
「残念なことに、
美保(みほ)の岬(さき)に出かけ、
鳥の遊び、魚取(すなど)りして、
今だ戻らない。」
「鳥を狩り魚を取っているだと。」
タケミカヅチノヲの神の顔色が曇る。
「儀式に使うものだ。
戻るまでしばらく待って貰いたい。」
「その必要はなし。」

とタケミカヅチノヲの神はアメノトリフネ(天鳥船)に合図を送る。アメノトリフネ(天鳥船)はたちまち飛び去って、ヤヘコトシロヌシ(八重事代主)の船を見つけると、降り下りて踏み傾けて、タケミカヅチノヲの神より借り受けた落雷を、コトシロヌシの投げ出された海に限りなく打ち込んだ。さすがのコトシロヌシも殺されると恐れおののき、ようやく船にしがみついたところを、アメノトリフネは片手で易(やす)く抱(いだ)き上げると、たちまち伊那佐(いなさ)の小浜(をばま)に舞い戻のである。タケミカヅチノヲの神が改めて、

「アマテラス大御神、
タカギ(高木)の神の命により問う。
汝(な)が占有する葦原の中つ国は、
我(あ)が御子の知らし治める国である。
汝(な)の心はいかに。」

と問いかける。
父の顔を見ると、真っ青だ。
コトシロヌシの神はこれまでと観念した。
「恐れ多いこと。この国は、
天つ神の御子に立奉(たてまつ)らん。」
と言って、
手を打ち合わせながら誓いを立てて、
下がり隠れてしまった。

タケミナカタの神

 タケミカヅチノヲの神は改めて、
「コトシロヌシの神はかく語りき。
また尋ねるべき子はあるか。」
とオホクニヌシの神に問いかける。
もはや我が子の実力に託すのみ。
そう観念したオホクニヌシは、
「我が子、タケミナカタ(建御名方)の神あり。
これをおいて他に無し。」
と答えていると、
騒動を聞きつけたタケミナカタの神が、
千人引きの大岩ともいわれる、
千引石(ちびきのいわ)を手先(たなすえ)に易々と持って、

「誰だ、
我が国に来て、
忍ぶ忍ぶもの言うのは。
用があるなら、まず力比べせん。
来い、我から先にその御手(みて)を取らん。」

と叫ぶが早いか、巨大な石(いわ)を投げつつ駆けだして、石をかわしたタケミカヅチノヲの御手を取る。背負い投げにして吹き飛ばしてやろうとしたその瞬間である。
「ぎゃっ」
と激しい雄叫びがした。タケミカヅチノヲの声ではない。タケミナカタの声である。掴んだはずの手は、握りしめた刹那に鋭い立氷(たちひ)に変化し、その氷はすなわち剣刃(つるぎば)に変化したので、冷たい切っ先に驚いて退いた時には、手の平から血潮がこぼれ落ちた。タケミナカタはぞっとした。生まれて初めて惧れを感じたのである。タケミカヅチノヲの神はすぐ迫る。剣刃(つるぎば)を御手に戻して握り返すと、若葦(わかあし)を取るがごとく、タケミナカタを投げ放てば、その体は易(やす)く宙に舞い、波際の千引石(ちびきのいわ)に背中から落ちた。岩は粉々に砕け散る。地面は大揺れに揺れる。タケミナカタの神が、辛うじて立ち上がると、稲光(いなびかり)した雷電が束になって、タケミナカタの体をぶち抜いた。全身がびりびり痺れて、麻痺したように動かない。迫り来るタケミカヅチノヲの神の目を見てぎょっとした。笑っていやがる。獲物を狩るように楽しんでいやがる。恐ろしい。このままでは、殺される。タケミナカタは何も分からなくなった。ただ怖(こわ)いの一念で、迫る雷電に怯えながら、一目散に走り出したのである。

「しばらく待っておれ。」
アメノトリフネにそう言い残した雷神は、すぐ跡を追った。ようやく信濃(しなの)の国の諏訪(すわ)の湖(うみ)に迫まり、殺そうとしたその時である、タケミナカタの神が手を合わせて嘆願した。
「恐れ多し。殺すのはしばし待ってくれ。我、この地を離れて他のところには行かぬ。また、我が父、オホクニヌシの神の命に逆らわぬ。ヤヘコトシロヌシの神の命に逆らわぬ。この葦原の中つ国は、天つ神の御子の命に立奉ろう。」
タケミカヅチノヲの神は許すことにした。こうしてタケミナカタの神は、諏訪神社におわす水の神となったのである。



国譲り

 帰り戻ったタケミカヅチノヲの神は、波の穂に突き刺した十拳剣(とつかつるぎ)を抜き、オホクニヌシの神に差し向けると、真っ赤に燃える眼で睨み付けた。
「汝(な)が子等(こども)、コトシロヌシの神、タケミナカタの神は、天つ神の御子(みこ)の命(みこと)に違(たが)わずと言った。残る汝(な)が心はいかに。」

 オホクニヌシは観念した。
「我(あ)が子等(こども)、二柱(ふたはしら)の神の申(もう)す言葉に、我(われ)も違(たが)わず。この葦原の中つ国は、命(みこと)の仰せに従い献(たてまつ)らん。ただ我(わ)が住所(すみか)のみは、天つ神の御子が治める天の宮(みや)のごとくに、底(そこ)つ石根(いはね)に宮柱(みやばしら)ふとしり、高天の原に氷木(ひぎ)たかしりて、お造り下さるならば、我(われ)は百足(ももた)らず(注.これは枕詞である)八十(やそ)の隅(すみ)に隠れ仕え続けるだろう。また、我(あ)が子等(こども)ら、百八十(ももやそ)の神は、ヤヘコトシロヌシ(八十事代主)の神が前に立ち仕えまつらば、違(たが)う神はないだろう。」

 そう申し、出雲の国の多芸志(たぎし)の小浜(おばま)に、天(あめ)の御舎(みあらか)を造り、水戸(みなと)の神の孫、クシヤタマ(櫛八玉)の神を調理人(ちょうりにん)となし、饗応(きょうおう)の準備に取り掛かった。クシヤタマの神は、魚(うお)を捕らえる鵜(う)に化(ば)けて、海の底に入ると、底の粘土(はに)を食わえ出でて、八十(やそ)の平器(ひらか)を作り、海藻(かいそう)の茎を持って、火切臼(ひきりうす)を作り、また火切杵(ひきりぎね)を作り、ついに火を切り出して、祝福の言葉を唱えたのである。

「この我(あ)が燧(き)れる火は、高天の原には、カムムスヒ(神産巣日)の御祖(みおや)の神の、とだる天(あめ)の新巣(にひす)の凝烟(すす)の、八拳垂(やつかた)るまで焼(た)き挙げ、地(つち)の下は、底津石根(そこついはね)に焼(た)き凝(こ)らして、栲縄(たくなは)の、千尋(ちひろ)縄打(なはう)ち延(は)へ、釣(つり)せし海女(あま)の、口大(くちおほ)の尾翼鱸(おはたすずき)、さわさわに、控(ひ)き依(よ)せ騰(あ)げて、打竹(さくたけ)の、とををとををに、天(あめ)の真魚咋(まなぐい)、献(たてまつ)る。」

オホクニヌシは万感の思いを抱きその祝辞を聞いていた。

「我(われ)の切り出した火は、高天の原のカムムスヒの御親の神の、満ち足りた新居の煤(すす)の、長く垂れるまで焼(た)きあげ焼(た)きあげ、窯(かま)の底は岩を根のように焼き固めて、海に広げた栲縄(たくなは)で、釣り上げた海人(あま)たちの、口の大きい尾翼鱸(おはたすずき)を、さわさわと引き寄せ引き寄せ、裂いた竹も「とををとをを」に、軋むほどの魚菜(まな)に仕立て上げ、ここに献(たてまつ)ろう。」

 豊かな尾翼鱸(おはたすずき)のようなこの国を、魚菜(まな)に仕立て上げ、献(たてまつ)るのが、あるいは我(われ)の使命だったのかも知れない。そう思えばこの国譲りの儀式も、寂しさの中にさばさばした心持ちが、不意にオホクニヌシの胸に芽生えたのである。この時の御舎(みあらか)こそ後の杵築大社(きつきたいしゃ)、今の出雲大社のことで、また今では閉ざされた入り海には、その日も尾翼鱸(おはたすずき)が沢山泳ぎ回っていたのだった。

2009/8/26掲載

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