それより歳月の流れ、かのホデリの命は、ウミサチビコ(海佐知毘古)として、ヒレの広い魚やらヒレの狭い魚までの魚ども、すなわち「鰭(はた)の広物(ひろもの)、鰭の狭物(さもの)」を取り、かのホヲリの命は、ヤマサチビコ(山佐知毘古)として、毛の荒い動物から毛の柔らかい動物ども、すなわち「毛の麁物(あらもの)、毛の柔物(にこもの)」を取るようになっていた。しかし、ホヲリの命は末っ子の好奇心か、兄の海幸(うみさち)が捕(と)らえたくてたまらない。兄ホデリの命に、 「おのおの、サチ(道具)を相替(あいか)えて用いよう」 と懇願し、「どうかどうか」と三度はね除けられてもまだ迫る。兄もついに折れ、しばし獲物(さち)を交換することにしたのである。ところがどっこい、手の職というものは俄(にわか)に極め尽くせるほど甘いものではない。ホヲリの命は、海サチを用いて魚釣(うおつ)りをするが、ついにひとつの魚(うお)さえも得ず、おまけにその鉤(ち・釣針のこと)を海に失ってしまった。その頃、兄もまるでサチを扱いきれず、ホヲリの命の無くしたチを求めて、 「山さちも、己(おの)がさちさち、海さちも、己がさちさち。山の獲物(さち)は己(おの)が道具でこそ、海の獲物(さち)も己が道具でこそ、幸(さち)の多きをもたらすものだ。ホヲリよ、我(われ)が貸し渋った意味もよく分かっただろう。今こそはおのおののサチに戻そうではないか。」 ところがホヲリの命には返せない事情があった。 「兄の鉤(ち)は、魚(うお)釣りし時にひとつの魚も捕(と)れず、ついに海に失われ・・・」 と答えているうちに、兄の顔は真っ赤になった。技の巧(わざのたくみ)にとって道具(さち)は魂(たましい)であり、狩人(かりうど)にとって道具(さち)は命(いのち)である。その命を亡くされたのだからたまらない。 「すぐに見つけて償うのだ!」 と叫べば、兄の怒りにおののいたホヲリの命は、大慌てで海へ降りていった。しかしその鉤(ち)はちっとも見つからない。とうとう意を決した弟は、命の次ぎに大切なもの、腰に帯びた十拳剣(とつかつるぎを折り、五百(いほ)の鉤を作り、これで償おうとした。しかれども兄は受け取らない。そこでさらに千(ち)の鉤を作り、これで償おうとした。しかれども受け取らない。 「お前も己がサチの大切さは分かるはずだ。だからこそ我は、代償にお前のサチを奪うとは言わないのだ。お前はその自分のサチを代償として棄てることが出来るのか。出来はしまい。出来ないゆえに己(おのれ)は毎日山の幸(さち)を得て、我にはにわか作りの鉤をもって誤魔化そうとするのだろう。そうはいくものか。すぐにもとの鉤を探し出すのだ。」  まったくその通りである。ホヲリの命は最近手元に戻ったサチでもって、豊かな獲物を収穫し、兄のサチの苦しみなど、実はそれほど痛切に考えてもいなかったからである。末っ子のホヲリはしかし、兄が本気で腹を立てているのを知って、いよいよ慌てるには慌てたが、さてどうしたらよいか分からない。分からないままに泣き患(うれ)いて海辺をさ迷っていると、幸いかな、潮をつかさどる老神(ろうじん)、シホツチ(塩椎)の神が現れて、患(うれ)いの理由を尋ねてくれたのである。 「アマツヒコ(天津日高)の息子、ソラツヒコ(虚空津日高)よ、何を泣き患(うれ)いておるのか」 顔を上げたホヲリの命は、 「我(われ)と兄と鉤を替えて、その鉤を失うがゆえに。さらにその鉤を乞い願う時に、代わりに多くの鉤を償えども受けず、なおその元の鉤を願うと言う。それゆえに泣き患う。」 と泣きべそを掻いて答えるので、やれやれと思ったシホツチの神は、 「我(われ)が、命(みこと)のために善(よ)きはかりごとを授けようではないか。」 と言ったかと思うと、たちまち竹を編んだマナシカツマの小舟を造り、その舟に命を乗せて、教えて続けるには、 「我(われ)が舟を押し流せば、眼(まなこ)を閉ざして休んでおるがよい。うまし路有らんというやつじゃ。この善き路に任せて海面より渡る時、すなわち魚鱗(うろこ)のごとくに造られし宮、これワタツミ(綿津見)の神の宮に至る。そこの御門(みかど)に立つと、傍の井戸にユツカツラの木があるによって、この木の上に隠れておるがよい。海神(わたつみのかみ)の娘が見つけて、力になってくれるじゃろう。」 そう言ったかと思うと、そのマツシカツマの小舟を海に向かって押し流した。  何時海底へ渡ったかまるで覚えていない。必死になって閉じた眼(まなこ)を恐る恐る見開けば、辺りはすでに春朧(はるおぼろ)の霞くらいに薄暗く、明らかな海の気配も感じられるのだが、それでいてまるで陸(おか)にいるように穏やかである。泡も立たなければ、冷ややかさえも感じない。ただ風吹きて揺するものなく、鳥の鳴き声も水のせせらぎも、踏みつける小さな足音さえも聞こえない。耳がなくなったかと驚いて、思わず小さな声で、 「水底(みなそこ)の宮に到る」 とつぶやいてみると、驚くほど澄んだ声となって、心のうちに染み渡ってくる。ホヲリの命はようやく我を取り戻した。  宮の御門(みかど)はすぐそこだ。紅玉髄(こうぎょくずい)の淡き光を、自ずから放つような柱が、扉もなく水底から二つ、鳥居のように伸びている。手を伸ばして広がる城壁は、透き通る透明な水の、そこだけにコバルトブルーの絵の具を垂らして、雑じらぬままに固着したような深さで、かなたに控える宮殿の、姿形を僅かに透かし出す。城壁の上では、ところどころに、黄色い人魂(ひとだま)の揺らめくような、不思議な炎が盛(さか)り、ああ、あれこそ松明なのかも知れん、ホヲリの命は思わずに心を惑わせた。  その門を抜けて少し行くと、なるほどユツカツラの木が一本立っている。だが、あれがユツカツラの木だろうか。水晶の黄金じみてきらめく幹に、勾玉の翡翠(ひすい)が気化した霧みたいな葉が茂っている。すぐ下にある井戸はなんと表したらよいか。羊羹みたいな鉱物で作られた、すこぶる不思議なものだ。ホヲリの命は見るものすべてが新しく、シホツチの神の言葉も忘れて、そこらを駆け巡りたい衝動を覚えたが、ようやくユツカツラの木に手を掛けると、幹ははっとするほど冷たかった。音もなく、しかし滑ることもなく昇りながら、まるでゴムみたいだと考えた。不思議なことに、霧のような翡翠の葉に溶け込むと、自らが同化して色を失うように思われた。ホヲリの命は、横に伸びた幹にしゃがんで、しばらく我を忘れたように遠くの宮を眺めていたのである。  やがて海の神の娘、トヨタマビメ(豊玉毘売)の侍女(まかだち)が来た。玉器(たまもひ)を持ち水を酌もうとする時に、井(い)に影が映り、「あっ」と叫んで仰ぎ見れば、麗しき男(ヲトコ)が木の上で笑っている。 「早く水を酌むとよい」 と軽やかに言い放ち、威勢良く飛び降りる。侍女(まかだち)は驚いて突っ立ったままである。 「我(われ)に水を呉れぬか」  侍女(まかだち)は高貴なる姿に心囚われつつ、慌てて釣瓶(つるべ)に手を掛けた。なぜかしら釣瓶の音だけは、地上と変わらないカラカラと落ちていく。また水を酌む時には、濁りのない風のような、不思議な水音がするのだった。ホヲリの命はたてまつられた玉器(たまもひ)を覗き込んだ。水底で眺める水とは妙だ。その水を飲まずにいて、御首(みくび)の珠(たま)を解き、これを口に含みて、その玉器(たまもひ)に吐(は)き入れると、 →ひかり放つ? 「これを持ちて、海神(わたつみのかみ)の娘の姫に授けよ」 と命じるので、侍女(まかだち)は神妙に頷いて、これをトヨタマビメ(豊玉毘売)のもとに持ち帰った。 →ひかりを見て?  この珠を見て、不思議に思ったトヨタマビメは、 「もしや、人、門(かど)の外(と)にありや」 と問う。 「井(い)の上のカツラの幹に、いと麗しき男あり。我が王(きみ)、ワタツミ(綿津見)の神にも増して貴き姿にして、その人の、水を求めるゆえに、水を奉(たてまつ)れば、水を飲まさずに、この珠をお吐き入れになると、不思議なことに、その珠のこびりつき、玉器(たまもひ)より離れようとしません。ゆえに、入れたままに持ち帰りました。」 トヨタマビメはさっそく門へ向かい出ることとしたのである。 →  トヨタマビメは母を知らない。母はひとかど以上の神であるが、物心ついたときからワタツミ(綿津見)の神とのみこの宮にあり、構い手といったらまだ幼き妹の[たまよりびめ]、がいるばかりであり、 毎日の漂うみたいな生活は、穏やかで何の刺激もないものだから、かえってトヨタマビメも色彩豊かでありながらどこか沈んだ水底の調子には、何の不満もなかったのであるが、今日に限って不思議とこころが疼(うず)くのはなぜだろう。提灯あんこうの発光体を採取して敷き詰めた絨毯のうえに仄光りしつつ、ところどころに研き抜いた夜光貝の照明が、暖色の発光海藻をゆらゆらと住まわせた不思議な灯火が、行儀良く並んでいる小さな部屋で、暗くしてゆらゆれながら貝殻の竪琴を爪弾いていた彼女だったが、こころの中ではふっと誰かに逢ってみたいような、まだ見ぬ世界を歩いてみたいような、不思議な憧憬に満たされていたのである。習ったこともない妙な調べを奏でながら、まるでうわの空でまどろむ少女の、こころを知らずか侍女がそっと、玉器(たまもひ)の珠(たま)などを見せるものだから、トヨタマビメはまるで鮫どもが獲物を射貫くときのような直感で、運命のひとが訪れたことを、誰に教わるでもなく悟ってしまったようにも見えるのだった。竪琴をおいて部屋を後にする。なんだかどきどき震える気がするのである。  その逞しき髪を解き、潮にまかせてたなびかせ、見つめる瞳のその奥に、光を放つ野心さえ、気高く思える頬笑みの、優しく見せる白き歯と、焦がれしほどの肌の色、女ははっと立ちつくす。不思議な胸のときめきに、我が身と思えぬ鼓動には、男の姿を溢れさせ、トヨタマビメは取り付かれたように、宮の入口に立ちつくした。  その黒髪は束ねられ、おのずと光るは耳飾り、見開く瞳のその奥に、人を見知らぬ臆病と、夢に焦がれる向こう見ず、混じり合ってる不思議さの、あどけなくてはつぶらな目。男ははっと立ちつくす。不思議な胸の高鳴りに、頬笑み返してみたけれど、こんな気持ちは初めての、乙女の姿を見つめれば、娘もさっと赤らんだ。ホヲリの命は取り付かれたように、宮の門から眺めてる。乙女の瞳に吸い込まれ、時はどこへといっただろう。  その時海はそっと揺れ、門を彩る海藻が、ぱっと明るく輝いた。不思議な光に照らされて、互いの瞳が燃えていた。心の奥の情熱が、炎のように見えるのだ。二人はそっと近寄って、言葉忘れて驚くままに、どれほど時が流れたろう。やがて男の手が動く。まるで意識もないように、女の腕を握りしめ、そっと乙女を近寄せて、熟しかけた唇に、そっと口づけを交わしてた。乙女の瞳孔(どうこう)が焦点を忘れ、遠き夢の先を眺めたり、男の瞳を眺めたり、せわしく瞼(まぶた)を瞬かせていたが、ふいに自分を思い出したように、驚いた少女は急に男を押しのけて、慌てて館の方に走り出す。驚いたそばの魚たちがその後を追う。ホヲリの命は悠然として中に入(い)る。沓に合わせて滑らかな、御影石みたいな床肌が、黄緑色した蛍火を、歩むむ拍子に光らせた。こんな不思議な神秘には、ホヲリの命とて出会ったこともなかった。ずんずん奥へと入ってゆく。  娘は親のもとへ走る。走り寄る娘の姿を見て老練のワタツミの神はたちまち悟った。すでに天つ国から知らせが来ていたのだ。わっと泣き出す娘を支えての後、 「何があった」 と優しく訊ねる。娘はようやく口を開く。 「宮の門(かど)に麗しき人あり」 とだけ言って、真っ赤になってうつむいてしまう。これが恋でなくて、なんであろうか。ワタツミの神は来るべき時が来たようなさみしさを覚えたが、それもまた海の神である、漂うに任せるほかないのだろう、そんな悟りもまた父の心か、などと考えながら、蛍火を点滅させつつ歩み寄るホヲリの姿を、まことの神妙といった有様で、押し黙って迎え入れたのであった。父は知っていた。それが誰であるかを。そして彼に娘を与えることが、神々の定めであることを。父は知っていたのである。娘は怯えたように顔を上げてみる。 「この人は、アマツヒコ(天津日高)の御子、ソラツヒコ(虚空津日高)ぞ」 と言って、ホヲリの手を取ったワタツミの神は、その手を黙って娘の手に結ばせ、 「ここに来合わせたのも宿命であるならば、どうか娘を嫁に貰って欲しい」 とホヲリの命に宣言する。ホヲリに否のあろうはずがない。 「末長く幸せにします」 と答えて、父に向かって頭を下げた。相手はソラツヒコである。父も慌てて頭を下げるのであった。 →次ぎ  婚礼の宴は華やかに行われた。様々な海の魚たちがおのが代表を宴へと送り出し、また取れたての海藻が蔵一杯に納められ、広間には膳を運ぶ巨大海老のせかせか行き交う姿やら、ぷかぷかしながら照明に花を添える発光クラゲのたゆたいや、座り奏でる乙女らのあぶくじみた不思議な奏楽の真ん中に、水笛(すいてき)の哀しげな調べを高鳴らせた、一人の神主の姿をさえ、認めることが出来たのである。それは「聖諦(せいてい)」という曲であるらしく、澄み渡るように広間に谺するのだが、喜ばしさを蔑ろにするほどの悲哀でもなく、さっきまで高らかに打ち鳴らされた水鼓(すいこ)の舞踏の口直しといったところだった。  床々は黄金(こがね)の粒子で敷き詰められ、されど踏みつけにしたからとて埃を舞い上げるでもなく、また踏み足をかたどって沈下するでもなく、まるでアスファルトじみた床でありながら、そのくせ手に取ると、さらさらと黄金が指先から滴り落ちるのだった。広間を照らし出すための照明は、篝火やら松明などとはまるで違っていて、自ら青みを帯びて鎮座する沢山の発光さんごであったり、整然と植えられた暖色電灯くらいの若布(わかめ)どもであって、それらはまるで物思いに耽るみたいにゆら揺られながら、蛍よりはるかにため息じみた長い周期でもって、灯しを高めたり弱めたりしているのだった。それから広間の壁という壁は、こちらは水ようかんじみた漆黒で固められて、辺りを闇へと還しそうなところを、やはり自らが穏やかな光りを発しているらしく、漆黒の勝りそうな空間を、かえって優しくなだめ照らす有り様だったのである。  開かれた扉という扉を、魚(うお)どもはあちらこちらと泳ぎ回ったし、すでにたけなわの婚礼の宴を、垣間見ようと押し寄せ押し寄せ、貴婦人たちは巻き貝みたいな透明グラスを、口つけて背伸びをしたり、互いに囁き合ったりもしていたし、こだわらない羽織りで澄ませた紳士が、沢山の並べられた不思議な果物に、口元を綻ばせたりもするのであった。新郎新婦のまわりには、もっと高貴な貴族やら鰐(わに)たちが、早くも花婿に取り入ろうとして、愛想を振りまいたりもしている。これだけは水底(みなそこ)も地上も変わることなき、人々の営みであるらしかった。  ホオリの命はトヨタマビメを見つめる。誓いの儀式はすでに済んだ。二人はもう幾たび瞳を交わしあったことか、どっしり構えるワタツミの神がちょっと呆れるくらいの焦がれようである。海産桜桃の花びらを、皿からつまんで口に含ませながら、自分も昔を思い出しては、ちょっぴり羨ましいような心持ちもするのだった。ホオリの命は自分の指先で、やはり桜桃の花びらを、花嫁の口に含ませたりしてやっている。勝手にしやがれ。とんだのろけもあったものだ。ワタツミの神はまた一つ花びらを口に放り込んだ。この花びらは、舌先にさっと溶け出して、清涼感が口いっぱいに広がるほどの清酒であるから、あまり度を過ぎて摘まむものでもないのだが、今日は誰もがそれぞれに、思いを込めてひょうひょうと、この花びらとたわむれているらしかった。まだ幼いタマヨリビメだけが、もう眠たくって眠たくって、とうとうばあやに手を引かれて、先ほど宴の席を後にしたばかりである。夢はイルカの波乗りか、それともクジラの祭かな。遠くの奏楽が心地よい。宴の夜はなかなか更けなかった。 →次ぎ  新婚の甘い生活。海野を駆け巡る毎日、深水の活火山の探検、水琴(すいきん)の妙なる調べ。見るもの聞くもの新しく、幸せな毎日に、いつしかホオリの命はここへ来たりし意味をさえ、どこかへ取り落としてしまったようだった。どうせここを離れても、兄との不快の日々が待っていると思えば、もう地上のことなど煩わしくて、次第に考えることすらも嫌になったくらいである。ところが三年(みとせ)たったある日、ホオリの命は夢を見た。 「アマツヒコの御子ソラツヒコよ、己(おの)が使命を忘れるな、己が使命を忘れるな」 そう歌いながら、ここへ自分を導いた、シホツチの神がかなたから、杖を片手に歩いて行くような夢であった。ホオリは自らのなすべきことを浮かべては、トヨタマビメの眠りの横で、そっとため息を付くことが多くなりだした。  トヨタマビメの知らぬはずはなかった。若き夫人の第六感は、遠き未来をも予測しうるものである。トヨタマビメは高鳴る胸を必死に堪えながら、父であるワタツミの神に言うには、 「三年(みとせ)住みながら、つねは嘆くことなど無かったものを、今宵大きなる嘆きをしたのですが、もしや、大いなる煩いでも夫にはあるのでしょうか」 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●   Tokino工房製作           「古事記による変奏」第57回                         2010/5/23 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●  長らく放置して申し訳ございません。こちらのメールマガジン は継続困難のために、配信停止とさせていただきます。登録して くださった方には、こころよりの感謝と、中途半端なかたちでの 撤退をお詫び申し上げます。 ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●  執筆者TokinoSiren →スクナビコナの常世の国へ http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/furukotobumi/