ベートーヴェン 交響曲第2番 第1楽章

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交響曲第2番1楽章

Adagio molto-Allegro con brio
D dur,3/4拍子→4/4拍子

概説

 動機による構成と統一を図りながらも次の場面、次の場面へ進行しドラマが進行していくような劇的作曲法は、1801年に作曲したバレ音楽「プロメテウスの創造物」の賜物か劇場音楽的な要素と主題と動機による構成が見事に調和して、叙事詩的傾向を持つ作曲に到達している。この指向性は続く3番で、徹底した動機統一と多様性の大楽章形式となって現れる事になる。従って2番と、3番は非常に近(ちか)しい関係にある。

序奏部ーAdagio molto(1-33)D dur

 序奏は場面ごとの音楽を次々に推移しつつ表現するオペラの序曲のような性格を持ちながら、実際に表現されるのはアレグロ楽章の主題や動機や楽句の先取りではなく、アレグロ楽章に表現される作曲理念自体を先に提出したと云う意味に置いて序曲的なのである。

序奏冒頭主題部分(1-8)D dur[安定部分1]

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・序曲冒頭開始を告げるフォルテッシモの管弦総奏2音が鳴らされ、この序奏冒頭リズムは第1楽章全体において重要な役割を果たすが、続けて管楽器によって序奏冒頭主題が提示、4小節目最後にフルートが再度加わって付点音符の下降和音が応答として加えられる(1-4)。これが続けて弦楽器で繰り返されると、最後の部分がトリルを多用した上行音型と3連符の下降音型を使用したフレーズに変化しカデンツを踏む(5-8)。ここまでが自立的な冒頭主題部分になるが、序曲の続く部分はそれぞれ新しい素材を使用して形作られ、動機構成法による統合ではなく、次々に変化する情景の移り変わりが目指されている。それを見ていく前に、まず管弦総奏の合図を告げるフォルテッシモの短い冒頭の2音を「序奏冒頭リズム動機」、その後続く真の序奏主題開始部分である8分音符の3音順次進行である、オーボエの(Fis-E-D)とバスーンによるその反行形を「序奏8分音符3音動機」とし、主題の弦楽器による繰り返しの締めくくりに登場する特徴的なトリル音型を「序奏主題トリル動機」、同じくトリルの後に続く3連符を「序奏主題3連符」と命名し、序奏は動機にアルファベットなどを振らないで説明してみる。

推移的部分2(8後半-11)[不安定部分1]

・(b moll)に入ると同時に序奏8分音符3音動機の上声下声が逆になった旋律がいきなり短調で登場し、悲劇の到来を予感させるが、この長調領域と短調領域の大胆な転換による構成法こそが、この楽曲全体を規定し、この曲をドラマチックなものに大きな要因になっている。続いてこの短い推移は序奏冒頭リズム動機を使用して、属和音→主和音の解決を(b moll)、続いて(C dur)、さらに(d moll)と2度ずつ上行しながら止めと進行を繰り返し、11小節目の最後の部分で急にクレシェンドしフォルテッシモに到達するが、悲劇的なものが到来するのかと思われる刹那、(B dur)の新しい部分に到達し、安定と明度を回復する。

B dur部分(12-16)B dur[安定部分2]

・弦楽器の16分音符の刻みに乗せて、ヴァイオリンが4分音符分ちょい過ぎまで音を伸ばした後に、32分音符による音階下降音型を開始、その後ヴァイオリンが分散和音跳躍上行型の旋律に転じれば、それに合わせて、管楽器が細かな32分音符音階下降音型で対位して絡み合う。この軽やかで朗らかなフレーズが2小節掛けて行われ、続く2小節では32分音符の細かな音階下降音型が、一度音階上行してから下降音型に変化するパターンに変化し、初めの2小節の変奏的な進行を行う。こうして(B dur)の安定した部分が4小節繰り返さると、5小節目の途中で転調して(C dur)に移行し始め、再び転調と推移的フレーズによる不安定な部分が登場する。

推移的部分2(17-22)[不安定部分2]

・(B dur)部分の早い32分音符音階パッセージから派生した、一端音を8分音符分保持してから64分音符で順次上行する特徴的な4分音符分の長さの音型と、序奏主題3連符から生まれた3連符による弦楽器の刻みに、序奏8分音符3音動機に基づく8分音符の下降主体の3音を絡ませて、次々に転調する推移的部分。初め1小節ごとに属7和音の連続により(C dur)→(F dur)→(B dur)→(g moll)と転調し、短調の(g moll)に至って初めて主和音に到達し調性を確定させると、直ちに(d moll)の属7に移行、つまり次第に悲劇的な調子を深めてクレシェンドをしながら(d moll)の目的地に到達する。

d moll部分(23-24)[安定部分3]

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・冒頭に8小節、続いて5小節あった長調による和声的にも安定した部分は、とうとう短調による2小節(実際は1小節だけ)の安定部分となり、しかもここでは、分散和音下降型を1小節内の同時発音回数がたった6回という、序奏内では圧倒的に一つ一つの音が強調された強烈なインパクトで、しかもユニゾンによって提示される。この悲劇的な精神は、続くソナタ・アレグロ部分で安定した長調部分に対して常に割り込む、悲劇的な短調部分のエネルギーをあらかじめ抽象化して提示している。従って英雄的部分に悲劇が混入し葛藤を演じ、最後に勝利すると云う、アレグロ部分以下のストーリーを抽象化して序奏であらかじめ提示しているという点において、そのアレグロ部分以下の場面ごとの音楽を使用して全体の流れを先取りする替わりに、抽象化された作曲理念をあらかじめ提示して見せるという意味において、劇音楽の序曲に類似の性質を持っているように思える。ついでに先取りして見てみると、安定した部分の減少に対して、不安定部分は初め3小節半だったものが、続いて6小節になり、この後9小節に拡大。つまりこの後には安定部分が無くなり2つの推移的部分の連結が続き、最後の到達点であるソナタ・アレグロの第1主題へと向かうのである。全体としてとらえると、冒頭の長調的で栄光ある輝きに満ちた叙情性を持った冒頭主題から、少し影を落とすものの、(B dur)の部分までこの性質が保たれ、17小節からの推移ですこしずつ短調的にして悲劇的な激情のような物が混入し、この23小節で完全に提示される。つまりこの23小節は序奏内の軸の部分に当たり、この部分を中点にして折り返し悲劇的なものから次第に元の状態を回復していく部分が続く2つの推移部分になり、安定の回復は真の第1主題の提示であるソナータ・アレグロの開始部分に重なる。この英雄的部分と悲劇的部分の葛藤という序奏に示された構図は、後の提示部・再現部自体にも織り込まれると同時に、一楽章全体を見ると[提示部ー展開部ー再現部]という楽曲の枠組みが、[栄光的部分ー悲劇の混入ー栄光の回復ーコーダによる栄光の確認]として組み込まれ、序奏はこの構図を先んじて提出しながら、かつ展開部の悲劇の混入の精神を強烈に印象づけるため、楽曲全体は[悲劇の予告(予感)ー栄光的部分ー案の定だね悲劇の混入ーしかし栄光の回復ー悲劇の最後のあがきと、言わんこっちゃないお得意の栄光の大団円(だいだんえん)]というバランスも考慮に入れられているように思える。

推移的部分3(25-28)

・これ以後の部分は第1主題にはいるまでずっと保続5音上、つまり(D dur)の属音上で推移する膨大な属和音領域になるため、非常に長い間耳が待ち望んだ(D dur)の主和音が意気揚々と登場するアレグロ部分の第1主題が非常に効果的に印象に残るという作戦だ。特にこの部分は直前の推移部分まで伴奏音型に使用されていた3連符を使用してスタッカートの旋律が形成され、もう一つの息の長いフレーズと絡み合いながら進行するが、スタッカートによる3連符の刻みは途中で(D dur)に到達するものの、不安定で、まだもう一波乱ありそうな焦燥感を与える事に成功している。

推移的部分4(29-33)

・その焦燥感もニ長調のⅠの2転に到着すると(28小節)大分解消され、再び3連符の伴奏上で特徴的なトリル音型が開始されると最後の推移部分として第1主題へ向かう。もちろんこのトリルは序奏主題トリル動機から派生したものだ。さて今度の3連符伴奏は前の推移部分2(17-22)の時とは異なり、管楽器によって行われるが、改めて見直すと、この推移4と、推移2は丁度(d moll)部分への進入と離脱の為の推移部分として、3連符の伴奏に特徴付けられる行きと帰りの役割を果たしてる。その間に(d moll)的部分(23-28)が短調部分の中心を形成し、冒頭主題に対するもう一つの山として作曲されていることから、先ほど述べた安定部分3と次の推移的部分3をひとまとめにして、序奏対立主題部分で括った、別の記述で書き直すことが出来るかも知れないが、ーまあ善いさー 精神は君にもよく通じている事と思うから。各自頭の中でそのように書き換えておいて下さい。

提示部分(34-133)

第1主題提示部分(34-72)D dur

第1主題提示(34-46)D dur
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・推進力と躍動感のある8分音符のヴァイオリンの刻みに乗せて、ヴィオラとチェロで低音による(D dur)の山なり分散和音型(つまりD-Fis-A-Fis-D)を元にした主題が提示される。このヴァイオリンの伴奏8分音符の刻みは楽曲全体に流れる伴奏音型となっていて、安定した第1主題では輝かしい躍動感と元気を表わすが、ひとたび事象が変化し悲劇的精神が混入すると焦燥感をかき立てる不穏な伴奏音型に早変わりをし、どちらの場合も共通する点としては絶えず絶えず先に突き進む動的で変化の激しい第1楽章全体を規定している。この伴奏パターンは短調の焦燥感を表わす例としてハイドンの「告別」の第1楽章や、モーツァルトの(a moll)のピアノソナータなどで使用される焦燥的楽曲形成の伝統スタイルだ。また長調でもオペラの開始を告げる動的リズムとして使用されるよくある遣り方だ。ただベートーヴェンはそれに輝かしさと焦燥感という2重の意味を持たせ、楽曲内が栄光から矛盾の混入、葛藤から解消に至る動的な進行を規定するための、推進力として使用しているが、この遣り方は非常に効果的だ。序奏から書き込みすぎて疲れたので軽く流そうという気持ちになって、まあ構成要素となる動機をピックアップしてみることにしよう。まず1小節目の付点2分音符と最後の4分音符(つまり32分音符4つをまとめて)による長い付点リズム |○. ●| が付点の生みの親的な付点リズム動機になっているし、その最後の音型32分音符4つと次の音の繋がった5音(D-Cis-D-E-Fis)は楽曲全体の重要動機になっている。言葉による記述は序奏だけで止めて、やはりアルファベットを用いることにしてこの5音音型を動機xとしよう。続く3小節目の4分音符のスタッカートをリズム動機y(リズム型が重要なので)として、続いて提示される低音主題に応答する37小節のヴァイオリン修飾的32分音符の早いパッセージを動機z(32分音符の早いパッセージという意味での動機)としよう。これに管楽器による長い保続音を加えれば4小節の第1主題最小構成単位(34-37)が完成。これが音程と和音を替えてもう一度繰り返されると、しかし最後の細かい動機zの提示は消えて、替わりに管楽器の保続音が付点2分音符リズム動機に変化して、かつ半音上行型を提示するが(41小節)、この半音階進行も重要な構成要素になっていく。(第3番の1楽章との類似が面白い。)こうして2回最小構成単位を繰り返した後、直前の4小節の後半(40-41)が、音程と和音を替えて再確認され、そのまま管楽器がシンコペーション4分音符の長い線を描きつつカデンツを踏む終止音型に移行して主題提示を終える。その44小節目から現れるシンコペーションも構成要素として上げておこう。

第1主題による展開開始(47-60)D dur
・お気に入りの第1主題管弦総奏による再確認が開始されるが、ここでは直ちに展開が始まり、しかも付点2分音符リズム動機による主題開始が、わずか3小節目(49小節)でリズム的に崩され立て続けにもう一度動機xを繰り返すと、直ちに動機yのリズムを使用した4分音符の分散和音跳躍下降上行音型に、動機zのリズムを使用した早い32分音符が絡み合う。続いてこれが短調に変化して(d moll)によってもう一度確認されるが、この第1主題の再確認かと思わせる部分でのいきなりの展開開始によって、第1主題提示からわずかの間に事件が急激に発展していく印象を与える。(とはいっても、ベートーヴェンにとって特別珍しい遣り方ではないが。)最後にもう一度第1主題冒頭が現れるがすでに短調での登場となり、第1主題部分の閉めと第1主題からの離脱を兼ねて(a moll)部分の悲劇的部分に引き込まれつつ推移する激しい再現となる。そしてここでは序奏冒頭リズム動機も使用されて情景の変化、つまり悲劇の出現を告げる。この序奏冒頭リズム動機は、これ以降も場面変化などの重要点で顔を覗かせ、楽曲の構成を担っているので調べてみると面白い。
 変化の比較的穏やかな第1楽章なら、ここまでを第1主題提示部分として、主題の展開を込めながらも、比較的安定した部分を確保しながら推移に向かいそうなところを、この第1楽章では性急に事件が拡大し、続く(a moll)の部分の前には短調的悲劇の混入のための儀式が完了してしまっている。教科書的な第1主題提示というお手本があると仮定するならば、それを故意に圧縮して、急速な場面転換がなされているといえる。なぜこう執拗に同じ事を繰り返して記述するかと尋ねるものがあるかもしれん。なに、大した理由でもない。これに続く短調(a moll)の部分は、第2主題への推移に当たる保続属和音上で行われるのだが、短調によって表わされる8分音符のスタッカートを使用した音型も、性急に駆り立てるようなその精神も、ことごとく第1主題の対立の精神を提示しているからである。つまり第1主題部分だけを取り出したときのバランス構成を、[安定した主題提示ー悲劇の混入ー悲劇的部分の提示]とし、主題の提示と同時に、楽曲内の対立概念の提示も行い、加えて第2主題への離脱をはかるという途方もない企てが行なわれ、推移の内に見事に成功している。

第2主題への推移:(a moll)部分(61-72)

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・そんなわけでフォルテッシモで悲劇的短調部分が保続属音上の推移を兼ねて、焦燥的に音階を下降上昇するさまはさながら嵐でも予感させるかのようだが、第1主題冒頭の付点2分音符分伸ばしてから同音を打ち替えて走り出す出だし部分を、タイで繋ぎ合わせて反行させたような音型の精神や、序奏(B dur)部分の延ばされた音型の後に動き出す細かいパッセージなどの精神が織り込まれているような気がするものの、動機構成よりは多様性と異質なものの提示が重視されて作曲されているように見える。後に3番では一層緻密な動機構成と多様な様相を示しつつ進行する叙事詩的な作曲法が両立している点に置いて、第2番を踏まえてさらなる高みに到達した姿を見て取ることが出来るだろう。さて、話を戻せばこの部分はやがて、効果的な属和音とドッペルドミナント下方変位7の2転を交互に2小節に渡って繰り返した後、最終的に(A dur)の属7和音に到達し長調を確定させると、次には第2主題が提示されるはずだ。(そりゃそうだ。)

第2主題提示部分(73-101)A dur

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・第1主題との継続性は伴奏音型の8分音符連打、それから3小節目の動機yの4分音符のスタッカートリズムよって保たれているが、むしろ躍動感に満ちた分散和音上行型の音型も、リズムパターンも第1主題に対し一層開放的で輝かしい精神を表わすために動機的構成ではなく異なった性質を表わすべく作曲されている。面白いことに、第1主題提示部分では長調から短調へ至った一連の流れが、第2主題においては、主題内部で長調と短調がせめぎ合うドラマチックな展開を見せていて、2つの葛藤自体が主題を形成しているようだ。つまり第2主題(73-80)は初めの4小節が(A dur)のⅠの和音によって管楽器のピアノで旋律が提示され、それに応答するようにⅥの和音(つまりfis mollのⅠ和音)によってフォルテで弦楽器が旋律を力強く演奏し応答する。さらに79小節目からカデンツを踏み、80小節に動機zに基づく早いヴァイオリンパッセージの修飾音型が加わって提示を終える。全体としてみれば主和音4小節に対してⅥ和音が2小節でしかも3和音の安定した響きであり、続くカデンツも長調指向であることから、第2主題自体における短調領域は完全に(A dur)の配下にあり長調の輝かしさに従属して、主題の躍動感に激性を加える役割に回っている。この8小節の第2主題が、ヴァイオリンの32分音符トリル型音型を伴奏に加えて華やかさをましてもう一度繰り返され、応答の短調部分も旋律が分散和音化され発展した形に変えられて主題の確認を終える(81-87)。しかし第1主題からの離脱で生まれた悲劇的部分は輝かしい第2主題の前では従者の役割に甘んじたものの、「このままでは済まさん!」と機会を伺っているのである。これはその後の終止部分による主題が悲劇的なものに浸食される部分で明らかになるだろう。取りあえずここではそれを押さえつけた第2主題は、その後第1主題に見られたシンコペーションに由来する、シンコペーション伴奏の耳に付く(88-101)終止への推移へと移行する。ここでは第2主題への推移で使用された(a moll)部分の冒頭動機にあった、次の拍頭まで音をタイで延ばし弱拍で動き出す特徴的な音型を連続的に使用するなど、やはり第1主題内で提示された2つの属性の両面を持った推移となり、第2主題部分全体が2つの精神を織り込んで、しかも第1の輝かしい属性を主にすることによって形成されている事が分かる。この推移の最後には再びフォルティッシモで序奏冒頭リズムが打ち鳴らされ次の場面到来を告げる部分が続くが(96-101)、冒頭序奏リズムのこうした場面転換点での効果的な使用方法も第3番で重要な遣り方となっているし、面白いことに第3番では先ほど上げたシンコペーション同音反復伴奏型が同じ形で(幾分無頓着気味な2番と比べて一層楽曲に組み込まれて)使用されてもいる。主題が短調の劇的動的な精神の混入で葛藤のドラマを演じ最後に勝利する作曲構成自体がそうだが、具体的な作曲方法のことごとくが、第2番の中で第3番のプロトタイプとして現れているようで、特に展開部最後に登場する「展開部主題」と言われるものなどその最たるものだ。(おっと危ない、あまり風呂敷を広げちゃあ危ない。)

提示部終止部分(102-133)

・終止部分は第2主題で押さえ込みに成功していた悲劇的部分が、遂に楽曲を浸食し始める。まずユニゾンによる動機xが連続的に演奏され終止部分の開始を告げれば、その途中再び(a moll)の短調領域に移行。開始のピアニッシモから、ドッペルドミナント9和音のスフォルツァンドの止め(全音符の2小節108-109)を経て、110小節のフォルテッシモに到達し長調の栄光を回復した(A dur)のカデンツを踏むが、112小節から第1主題旋律が再現かと思えば、続く2小節の準固有(つまり短調の)Ⅳ度の下降分散和音型に打たれ短調に打ちのめされ、再度長調の第1主題提示で回復を試みれば、またしても準固有のⅣ度に打ち叩かれ、この長調と短調の葛藤は120小節から、とうとう4分音符ごとに長3和音であるⅠ和音と、準固有のⅣか属9和音を交代する部分に到達。長い凌ぎ合いを演じて、ようやく126小節で長調が勝利を収め、一端(A dur)の主和音が確定され、再度(D dur)の第1主題が登場するか、あるいはリピート無しで展開部に移行する。改めてこの部分をまとめると、提示部開始の第1主題提示部分では前半と後半、続く第2主題部分では4小節ぐらいずつ交代していた長調部分と短調部分の交代が、この終止部分の112小節目で2小節づつになり、ついに119小節から4分音符ずつの交代に密度を上げる。ベートーヴェンの場合すごいのは、実際の音楽の効果とこのような論理性が完全に一致していて、見事な効果を上げていることである。音楽的効果、つまり「聴覚から送り込まれる情報によってわき起こされる情感」に訴えることのない論理性は、数学的なものだろうと論文構成法的なものだろうと、芸術上は何の価値もないのであるから、この効果の手段としての論理性の徹底と、その勝利は特筆すべき点だと云える。

改めて提示部分を纏めると

第1主題提示部分
[長調栄光的安定的主題提示 ー 短調悲劇的劇的な対立要素の混入による主題の変質 ー 短調悲劇的劇的な対立要素の提示を兼ねた推移]
第2主題提示部分
[悲劇的精神を従え服従させたよりドラマチックな長調栄光的安定主題提示 ー 同一精神で推移]
提示部分終止
[押さえていた悲劇性の浸食と葛藤の開始 ー 1度栄光的なものの回復と勝利]

→のような構図になりリピートがなされ栄光的な部分の提示から再び悲劇的部分の混入が開始しても、展開部に進んで悲劇部分との葛藤が劇的に演じられても、どちらでも辻褄が合うようになっている。この楽曲解析の通りに悲劇性だとか栄光的だとか命名する気はベートーヴェンに無かったかも知れないが、大きな作曲構造としてこのような構図に対する明確な構成意識は間違いなくあったと思われる。

展開部(134-215)

短調による第1主題部分(134-145)d moll

・第2主題到達する推移最後の主題導入音型を元にした、下降音型による展開部導入動機(132-133)が(D dur)で続けて(d moll)で告げられ展開部が開始する。この展開部は短調の劇的な事件の中心となるが、第1主題最小構成単位の4小節(138-141)が短調で提示されると、そのまま4分音符スタッカートの動機yを使用して、ナポリのⅡを経由して(g moll)に転調し、続く劇的な部分に直ちに移行する。芸大和声で言うところのナポリのⅡの第1転転回和音は、一般的には「ナポリの6」和音と言われ、噂によるとアレッサンドロ・スカルラッティ当たりが好んで使用している間に転調の軸和音かつ独自のスパイス和音として脚光を浴びたのが始まりだと言われているが、古典派以降、特にロマン派時代になると、特に短調部分で不意に登場する長3和音(ここでは保続音の関係で偶成的に7和音になっている)がかえって不安をかき立てるという、「不可思議の千万無量和音」として独自の響きの効果を持つ独立した和音効果が注目されることになった。特にシューベルトは好んで死の概念と一緒にこれを提示してみせるため「シューベルトの不可思議千万無量和音」とも言われることがある。ベートーヴェンのここでのナポリのⅡにそれほどの思い入れは無いかも知れないが、やはりある種の異質な和音の効果が狙われているように思える。

激しい対位音型部分(146-157)

・第1主題冒頭の動機で開始しするやいなや、続く4分音符の動機yのリズムを順次上行型に変えた旋律と、第1主題提示部分推移に現れた短調の8分音符旋律の別のバリエーションみたような下降型のジグザグ音型(ボキャ貧・・・とは言語と文法に乏しい人間がボキャブラリーが足らないばかりに、それを表わす表現方法すら見つけ出せずに自信満々に使用してしまう二重に悲惨な用語だが、それにしてもジグザグ音型には恐れ入った)が対位しながら調性を次々に移り短調と長調を行きつ戻りつしながら弦楽器を中心に非常に密集した激しい部分を形成、後半からは管楽器にもジグザグな動きが引き継がれ(・・・勝手にしろ)、管弦総奏で対位を演じ悲劇の度合いを増し、第1の展開部クライマックスに向かい一気になだれ込んで来るよう。

動機xの繰り返し部分(158-181)

・遂にフォルテッシモの展開部前半クライマックスに到達すると、弦の保続和音上で動機xが立て続けに繰り返され、低音バスが初め2小節音を延ばしながら、後1小節で半音階下降を行うと、上声の動機xは短調の不安定な和音を経由しながら、時間を掛けて安定の方向に針が向かい初め、ついに170小節の(G dur)の属7和音に到達する。そしてそれまでの半音階下降バスに基づく不安定な転調に決別すべく、恐るべき12小節に渡って(G dur)の属7和音上で動機xが繰り返され、展開部後半を形成する第2主題が登場する。

第2主題に基づく展開部分(182-197)

・展開部後半に入り、ようやく安定を取り戻し(G dur)の主和音で第2主題冒頭が開始されたかと思えば、先ほどの12小節に渡る属7和音だけでは到底追い払うことの出来なかった短調的部分が直ちに反撃を始め、第2主題3小節目の4分音符音型の最後の拍が短調の属和音に変化、続けてこれまでアレグロ部分では使用されなかった3連符による特徴的な伴奏音型が弦楽器に現れ、これが管楽器による動機yのリズムを使用した4分音符音型と絡み合う。この3連符音型は序奏で提示された25小節からの音型と精神的に繋がるもので、そのまま動機yリズムと3連符の結びついた楽句で次々に転調、次第に悲劇の度合いを強め、とうとう(fis moll)のドッペルドミナント9の根音省略型のフォルテッシモに到達して属和音にはいると、悲劇的な展開部分の真のクライマックスに到達する。

悲劇的主題(fis moll)部分(198-215)

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・ベートーヴェンお得意の調設定である、楽曲の調性(D dur)に対して3度調関係に当たる(fis moll)が確定され、明確な和声進行で弦楽器の8分音符型伴奏に乗せて提示されるヴァイオリンの分散和音山なり音型の旋律が悲劇的部分のクライマックスを形成。この部分は一応旋律部分を見ると、まず第1主題の山なりの精神、そして第2主題の後半のリズム(78-79小節のリズム)などが元になり、伴奏の8分音符は悲劇の提示である第2主題に向かう推移で現れたもののバリエーションであり、展開部に登場したボキャ貧のジグザグ音型とも親しい関係にあるが、第1番交響曲の展開部最後に現れた主題と同様、展開部で主題素材を用いて悲劇的葛藤が展開されているうちに動機同士が新たな様相を見せ始め、抽象化された悲劇の精神に到達してクライマックスで新たな主題的立場に上り詰めたものと見ることが出来る。従って由来ははっきりしているが、同時に独立的地位にまで到達した部分を形成する。この方法はさらに続く交響曲第3番「英雄」では、徹底した動機の由来に基づく独立的部分が拡大され、まったく新たな境地に到達して行くことになる。(つまり、展開部後半におかれた[展開部主題-第1主題による中間部-展開部主題]という非常に膨大な領域を形成し、ついにそこを到達点としてクライマックスが形成されるタイプの1番2番とは楽曲内での意義が大分異なってくる。)
・さて、4小節の悲劇的主題最小構成楽句が2回繰り返され8小節の悲劇的主題が提示されると、再現部に向けた推移になるが、(fis moll)の主和音と属和音の交代のうちに序奏冒頭リズム動機が執拗に打ち鳴らされ、次の情景の到来を予感させると、遂に(fis moll)の属和音が保続され、いけない、このままでは(D dur)に到達できないではないか!しかし心配は無用である。最後の1小節でバスが3度下降すれば、(D dur)の属和音に移行して、序奏最後から第1主題に到達した下降パッセージを使用して主題が再現される。

再現部(216-303)

第1主題再現部分(216-244)

・若干変化を持って第1主題が再現されると(216-228)、悲劇の提示はもはや必要ないので主題の最後のカデンツを修飾変形して繰り返しながら4小節かけてクレシェンドし、提示部では(a moll)によって悲劇の提示を兼ねた推移になっていた部分が再現部では長調によってフォルテに到達して再現される。この推移音型は2回目の繰り返しで短調になるがもはや楽曲を脅かすにはお優しすぎるようだ。

第2主題再現部分(245-273)

・お優しくなった悲劇的短調を丸め込んで従属させた第2主題が輝かしく楽曲調性である(D dur)で再登場し、提示部同様に進行する。

再現部終止(274-303)

・つまり提示部同様に進行するが、精神としては悲劇がもう一度進入しようと最後のあがきを演じる形になる。これは展開部のような嵐には至らないものの、コーダに最後のつむじ風を起こして一悶着あった後で完全に解消されることになる。このあたり提示部から展開部の関係と、再現部からコーダへの筋書きが見事に辻褄が合っている。

コーダ(245-360)

 下降音型による展開部導入動機を3回連続で用いてコーダに突入、第1主題内の動機を効果的に使用した、動機xの耳に残るバスの順次下降と上声の順次上行で行う、栄光的な第1主題の回顧がやはり2小節の楽句を3回行うと、第1主題を使用して短調の最後の反抗が行われるが、やがて2分音符の和音連続の部分に達し、推進力であった8分音符動機や旋律を失って、短調の響きだけが美しい響きの残照となって楽曲を照らし出す。(なんのこっちゃ)
 その和音の響きの中から、やがて長調が差し込み霧が晴れると、主題の精神を持った跳躍開離分散和音と8分音符伴奏のパッセージが登場し、栄光と華やかさだけの世界に到達すると、350小節に登場した第1主題も、(D)の音が主題を変形させそのままオクターヴ上の(D)にまで到達して、最後に場面に幕を閉じるために、場面転換のキーワードである序奏冒頭動機を打ち鳴らしながらフォルテッシモのうちに第1楽章を終えるのであった。めでたしめでたし。(一同拍手)

まとめ

 このようにこの1楽章は、短調と長調の性格の違いを最大限に利用し、短調と長調によるドラマをソナタ形式の枠組みを徹底的に活用する事によって、抽象化された2つの理念の葛藤と克服のドラマを、各種動機を配役に場面を変化させ楽曲化したもので、古典派形式と動機、主題などの作曲技法の完全な様式的結合の完成の上に、さらに明確な抽象化された理念の(例えば戦争的描写部分と悲哀に満ちた旋律といった具体的なものではない)ドラマを織り込み、そのドラマ表現のためにすべての部分が構成されるという、当時誰も(それどころかもっと後でさえも)遣らない前代未聞の方向に足を踏み出した楽章であり、当時彼がロマン派の旗手と見なされたのは当然だった。それにもかかわらず、後のロマン派でさえも、動機を駆使して形式を有機的に再構築させるより、定まった器としてそれぞれの情緒を表わす楽句を配置したり、形式を肥大化させベートーヴェンには存在すると思われる構成自体から得られる形式美の持つ精神性(彼の場合、第3番でさえもこの精神性は保たれている)を弱める方向に向かい、古典古代の形式と抽象化された情緒性の哲学的昇華(例えば、良くも悪くもロダンの彫刻がある種の情感を押しつけてくるのに対して、ミケランジェロのダヴィデがあらゆる解釈を次々に呼び起こしながら、ある種の理念が抽象化されたような完全な形式美を兼ね揃えているような意味で)という意味で、ベートーヴェン以上に古典的(ギリシア・ローマ芸術的)な作曲家は存在しないのである。従って、その意味において彼を古典派と呼ぶのは非常に相応しい。ただし、実際は当時の多くの古典派の作曲家の中にあっても、ただ一人目指しているものがまるで異なるユニークな作曲家なのである。バッハもそうだが、その異質性が逆にこの作曲家こそ古典派なのだと思われるようになった原因でもある・・・って、なんで話がこんなに膨らんでるんだ。次に行け、次に!

2005/04/30
2005/06/09改訂

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