シューマン 交響曲第3番 第1楽章

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提示部(1-184)

第1主題提示部分(1-94)Es dur

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・管弦総奏で弦の刻み伴奏に乗せてお送りする主題という意味では明解な第1主題(1-20)は、しかし主題に対するロマン派的な切り口をよく表わしている。主題全体を見ると一貫して使用される8分音符の同音連打の刻み伴奏が、楽曲に推進力を与え、管弦総奏のフォルテに始まる重厚さと前進するエネルギーが主題に込められていることが分かるだろう。そしてそのメロディーラインは、周期的な小節数とフレージングで形式化された安定した主題旋律ではなく、安定しているがロマン派好みの作戦が練られている。
・まず初めの4小節が主題形成、及び楽曲全体の派生源になっているが、その重要素材の提示は開始の2小節で行なわれ、このリズムが連続使用されつつ旋律を継続して4小節が形成される。主題旋律とベースラインを見れば分かるように、この開始は2小節で3拍を打ち付けるヘミオラリズムによって形成され、これが後に本来の拍で打たれる時に一層推進力を増すような効果を出すのである。このリズムをリズム動機R1としておく。
・どうもこの主題開始は非常にベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の1楽章主題を思い起こさせる。つまり「英雄」では3/4拍子で弦楽器の刻みの中に(Es-G-Es-B)の分散和音が導入されて、それが半音階進行に至るプロット敷かれているが、刻みの中での分散和音型がこの楽曲にも見られ、ただしシューマンの主題では分散和音開始音型が逆になっていること、跳躍の幅が拡大していること、リズムがずらされていることなど、主題に対するロマン派的解釈が行なわれているが、ここでは敬意あるベートーヴェンに対して、彼が「ボナパルト」の名称を消したとされていた英雄的交響曲に対して、共鳴の心から借用が行なわれていたのではないかと考えたくなる。
・ちょうど良いからベートーヴェンの主題とシューマン、あるいはロマン派の主題がどれほど異なるかを見てみよう。ベートーヴェンの英雄の主題もすでに、調性的に安定して規則的な小節数に区切られフレーズが終止するような遣り方に対して反旗を翻しているが、開始部分で冒頭動機が主和音で2回打ち付け、続いて分散和音が主和音を辿って順次進行から半音階を投入し、シンコペーションのリズムを登場させる遣り方を見ても、彼の目的は主題旋律の持つメロディーの陰影を高めるというよりは、楽曲を形成する動機群の登場を主題化するという点にあったと見ることが出来る。そして動機として後のあらゆる状況に対処するためには、動機が本質的であること、つまり凝ったメロディーラインを奏でるのではなく、特徴的な分散和音のパターンとか、リズムや伴奏のパターンを、いわば抽象的な形で提示する必要がある。単純な形であるからこそ、後々複雑な発展を遂げることが可能になるので、メロディーの美しさに己惚れる精神とは異なる作曲原理が働いているわけだ。(これは古典派の作曲態度というよりは、ベートーヴェンの作曲態度であり、彼の同時代人達の中には、もっとメロディーラインに生き甲斐を見いだす作曲家達も多かった。)これに対してシューマンの第1主題は、主題自身のメロディーの綾、切磋琢磨したフレーズ感や音程とリズムのもたらす、旋律美(必ずしも表情豊かな旋律ラインという意味ではない)がもっと重要になってくる。まず始めに、6小節までは2分音符を一つの単位とする2小節単位の3拍子リズムで形成されていて、階名なら「ミシシ」で3拍、「ソドシ」で3拍というように作曲されているが、これが7小節で本来の3拍子パターンが登場することによって雄大な冒頭から快速なリズムが派生したような効果を出している。それと同時に主題は始め4小節を一つの区切りとして、5小節目から前の4小節を元にした類似フレーズが開始するかと思わせて、それを2小節で切り7小節目から本来の3拍リズムのフレーズが行なわれるが、その開始の7小節目ではまだ、初めの3小節目の[2分音符→4分音符]のパターンがそのまま使用されている上に、続く小節がそのリズムパターンの繰り返しなので、(7-9)小節が(5,6)小節に対する応答であり、続く10小節からがその応答の繰り返しであるようにも思われる。つまり(1-6)までを区切りとして続く(7-)が形成される感覚と、(1-4)に呼応して(5-9)までがフレージングされている感覚の両面性を織り込んだ作曲がされていて、これは続く13小節目にも当てはまる。13小節目では(10-13)の区切りと共に、再び主題冒頭が回帰する(13-16)の括りを重ね合わせて、この二重性のもたらすフレーズの揺らぎの効果が、主題旋律の雄大さの中にもナイーヴさが込められたような豊かな美しさを表現する重要なファクターにもなっているわけだ。また冒頭の分散和音型では(Es)音から(B)音に跳躍下行した旋律が大きく6度跳躍上行し(G)に至り、これがさらに4度跳躍上行し(C)にまで到達するが、このような大きな揺らぎと、その後の半音階の下降、さらに方向転換をしてから4度、5度の跳躍フレーズを繰り返し推移し、最後に主題冒頭で締め括るが、実際は継続推移(18-20)が続行する方針などは、やはり旋律美を重要に考えたロマン派ならではのこだわりを感じさせる。
・ところがどっこい、この主題は実はベートーヴェンが乗り移ったかのように動機的作曲方法に満ちあふれている。まず冒頭2小節の旋律を動機xとしておこう。すると続く2小節は動機xを元にしているのだが、ここでは動機xの逆行形を元にして1小節目が4度跳躍下行したのに対して、4度跳躍上行し、2小節めが6度の大跳躍を試みたのに対して、応答として半音階下降してくる。するとこの4小節に呼応するように開始する5小節目はやはり動機xに基づきフレージングされ、実は綺麗に(3,4)小節目を逆行させ、4度跳躍下降の後順次上行というパターンで作曲されている。旋律を紡ぎ出していると云うよりは、動機の課題を解いている気さえしてくる。頑固に進めば続く7小節は跳躍4度上行が来るかと思えば、通常の8小節のフレーズが開始4小節に対して後半4小節は最後だけがフレージングを変更するのが普通であるように、この部分で変更を行ない、しかもそれに合わせて拍を本来の3拍子で登場させ、8小節単位のフレージングを放棄しつつ、再び動機xが登場するまでの魅力的な中間逸脱を形成していく。この7小節の冒頭が実は動機xの冒頭そのものであり、この跳躍下行4度を反転させ次の小節跳躍上行、お次が下行と繰り返されるフレーズが、半ば(5,6)小節の後半を兼ねていることは前に見た。そしてこの跳躍の方向は、図らずも(1-6)における動機xが使用される跳躍の順番(1小節目の下行、3小節目の上行、5小節目の下行)と綺麗に重ね合わされているわけだ。中間的な推移の部分で、冒頭の部分をこれほど単純明快に回想して進むフレーズがあっていいのだろうか。さらに続いて10小節目からの繰り返しも7小節目からの反復ではなく、半分は接続していた直前の部分、6小節からの繰り返しになっていて、開始部分との繋ぎ目を溶かして移り変わりを融合させる効果に一役買っている。おまけに11小節目から開始主題側の2小節3拍リズムがベースラインに登場し、今度は続く13小節目から中間逸脱の終わりに動機xの回帰が重ね合わされた登場に向けて、ヘミオラリズムの回帰を行なっているのを見ても、この主題全体がいかに動機的、リズム動機的作曲技法を駆使して、その挙げ句の果てに聞いている方には技巧を感じさせない豊かな旋律に仕立てているか恐ろしいくらいである。そして15小節目では冒頭では3小節掛かって辿り着いた主題最高音(C)に2小節で跳躍上行し、この部分は跳躍の幅がオクターヴを越えて9度にも達する。この大跳躍のエネルギーがこれまで何度も跳躍を繰り返したことにより蓄積された(つまり耳の印象に強く刻まれることによって、より大きな跳躍が自然なものになる)ものであることは言うまでもないが、この部分で(Es dur)の主和音が(C-Es-Ges-B)の和声に変えられるという響きの印象が加わることによって、旋律と和声でこの大跳躍を見事に演出して、続く15小節では動機xのリズムが破棄され、このクライマックスで始めて16小節の1小節内に4分音符を3回打ち付ける部分に至り、同時に始めて音を短く切るスタッカティッシモが記され主題の到達点を見事に演出している。しかし実際の締めくくりは20小節までの半音階上行という主題再現に向かう新しいフレーズで全うされ、全体として定期性と安定をもった閉ざされたフレーズよりも、いかに美しく切磋琢磨された主題を作曲するかという旋律美が、実は恐ろしいほどの動機的作曲方法で行なわれているのがこの第1主題なのだった。
・旋律美に対する彩色は和声にもよく現われていて、初めの定調的な和声進行は、6小節目の最後のⅣ調の属和音が登場するところがキーポイントになって、主題冒頭による締めくくりを向かえるまでの推移的部分を、
[Ⅳ→Ⅴ7→Ⅲ→Ⅵ7→ドッペル7→(味付けにⅡ7)→Ⅴ7→Ⅰ]
修飾語的なサブドミナントの響きに生き甲斐を見いだす推移に仕立て上げ、最後に属和音領域に送り込むという作戦が練られているが、このようなこの響きの陰影が旋律の印象をどれほど高めているかは、まあ耳で聞けば分かるだろう。意気揚々と作曲された41年の交響曲達に比べて、綿密で周到な作戦が練られた見事な作品に仕上がっている。
・ちなみにロマン派による主題自身の冒険の精神は、同じ(Es dur)の楽曲であるリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」において4オクターブを使用した主題を登場させることになるのであった。あれはあれで離れ業だ。

[推移(21-56)]
・古典派の交響曲でもよく取られた方針、主題再現を冒頭に置きながら推移部に至るというプランになっている。しかも単純な主題再現ではなく、冒頭部分をベースラインに置き換えて迫り出してくる効果で主題を回帰させつつ、25小節目から4分音符の後に休符を挟んでから開始する8分音符の特徴的な音型によって推移的な部分が開始。このリズムを一応動機yとしておこう。この8分音符の音階上行パッセージは楽器ごとの対話風に開始し、31小節から例の2小節で3拍を打つリズム動機R1による和音的な部分を登場させ、最後に1小節ごとに引き延ばされた付点2分音符の総奏で楽曲速度を落とす。こうして推移開始部分(25-36)を見ていくと、主題部分で継続的に打ち鳴らされていた8分音符の同音連打的伴奏の推進力が、8分音符の掛け合いの部分で僅かな戸惑いを見せ、31小節のリズム動機R1で感覚上の速度を押しとどめるような効果を見せ、最後に35,36小節で一旦時間を止めるような和音の部分に至る。このように推移が3つの部分によって推進力をいったん弱めるというコンセプトで作曲されているのが分かる。このリズムによる速度の揺らぎの効果は十二分に利用されることになる。
・つまり37小節からは直前の3つの部分の配置を換え発展させ、まず8分音符のパッセージを元にした動きのある部分が開始。これは前の部分に対して、順次下行型で開始し、しかも弦楽器には細かい16分音符の刻みが登場する。この動きは1回目の時と異なりいきなり39小節から付点2分音符和音の部分に至るが、実は先ほどの(35,36)小節目は推移の3つの部分の最後であると同時に、次の推移の始まりを重ね合わせていて、この39小節からは(35-38)をもう一度繰り返すという配置によって(39-42)を形成し、その後でリズム動機R1を弦楽器のユニゾンだけで登場させている。これによって(25-36)で見た場合推進力の低下というプロットで括られていたが、対応する(37-46)では直前の3つの部分の配置が変更され、動き出しては留まる推移に為っている。それと同時に35小節目からは次の始まりを開始してもいるという二重性については先ほど見たとおりだ。
・この続く推移の部分では、直前の(35,36)の付点2分音符に対して新たな生成が行なわれ、2回目の付点2分音符(40)の内声に半音階進行の[2分音符→4分音符]の進行が誕生する。半音階で実際は両方とも(G)音の括りなので、まさに控えめに誕生した様子で、このリズムは動機xの冒頭リズムそのものであるが、付点2分音符の後に行なわれる[2分音符→4分音符]の生成は、発展して第2主題を形成することになるわけだ。
・さてこうしたリズムの揺らぎを推移に導入することによって、きっぱりとした推進力を持つ雄大な主題に対して、躊躇したり割り切れない曖昧さを表現するのがこの推移であり、通常の動機や和声の流動性に加えて、リズムの流動性を大きく取り入れたのは非常に魅力的だ。
・和声の流動性、推移ならではの曖昧さの演出も見事だ、25小節で一旦(g moll)領域に移行した和声は、(28.29)で一度(Es dur)の属和音と主和音を提示して戻り返すが、30小節から先は調性の旅を開始して、正統なカデンツを踏んで(Es dur)の主和音が回帰するのは再び主題が回帰する57小節まで無い。そして33小節からはしばらく先ほどの(g moll)の領域に移るのだが、35小節目では長調の(G dur)主和音に解決し、たちまち36小節目の印象的なナポリの2度を響かせる。この印象的な響きは例の付点2分音符で引き延ばされる部分で、ナポリの響きが一層留まる効果を高めている。続いて8分音符で動き出す部分で属和音に至り、再び付点2分音符で留められるところで、主和音Ⅰではなく、Ⅵ和音に解決する。この偽りの解決(正統な解決を裏切りつつ、和声的には解決するので特徴的な印象がある)もやはり楽曲の留めの部分を見事に演出している。そして、他の調性に移っても、属和音から主和音に完全に解決して調性を確定する部分は、推移全体を通して非常に少ない。この流動性の結果、再び主題が登場して調性が確定される部分が、力強く安定して頼もしく感じられるわけだ。
・しかも主題で見せた動機的なこだわりも継続している。47小節目からは直前までの3つの部分、すなわち8分音符(または細分化した32分音符)の部分と、付点2分音符による引き延ばし、そしてリズム動機R1を、融合させた4小節をひとまとまりにして、新しい部分に発展を遂げているのである。まるでベートーヴェンが乗り移ったかのような動機的楽曲形成だが、ここでは(39,40)で生まれた[付点2分音符→2分音符→4分音符]のリズムパターンを元に、ヴァイオリンとフルートに[As→C→F→D]という短い旋律が登場し、これに対して伴奏には8分音符パターンが分散和音化した音型が組み込まれ、この旋律と伴奏の組み合わせが2小節行なわれると直ちにリズム動機R1が応答する。これまで順番に登場した素材から、一つのものが誕生した瞬間だ。こうして推移自体が速度の陰影を織り込みながら、順次動機的に発展を遂げて新しい立場に至る遣り方も、やはり次々に生成発展を繰り返すベートーヴェンの交響曲第3番1楽章を思い起こさせるが、このような動機的手法は実際は40年代半ばから行なったバッハの対位法作品の研究などで向上した手法なのだろう。

[主題再提示(57-76)]
・しかしシューマンの楽句配置はロマンっ子に相応しく、歌謡的だ。53小節から「ターータタタ」のリズムを繰り返しながら辿り着いたのは、新たな展開や第2主題ではなく、再び第1主題が総奏で完全に提示される主題繰り返し部分だったのだ。ここでもベースのリズムの扱いや、弦楽器の内声伴奏が分散和音型に変化している点、主題開始の第1ヴァイオリンが1オクターヴ上から開始する点など、細かく見れば数多くの相違点があり、開始の提示よりも発展した新しい姿で登場する訳だが、きりがないので次に行きましょう。

[推移(77-94)あるいは(77-90)]
・再び8分音符型の推移が開始するが、今度は2小節3拍リズムは投入されず、付点2分音符の留まる部分と、8分音符型の動き出す部分の交替の内に(g moll)に至り、91小節目から再び付点2分音符型が[付点2分音符→2分音符→4分音符]の音型に変化しながら(g moll)を確定させると、第2主題は(Es dur)に対する3度調(g moll)で提示される。
・ドッペルの響きを形成していた2つの付点2分音符の留まる部分が元になって、91小節から第2主題の導入が開始されるが、続く95小節からの第2主題が(g moll)の属和音で開始することからも直前の部分と連続的であり、一度属和音と主和音の交替を告げる91小節目からを第2主題領域とした方が相応しいかもしれない。この部分は同時に直前の付点2分音符の繰り返しを行ないつつ、主題を派生させている最中でもあるので、離脱と導入の両面性を備えていて、この楽曲全体がこの種の政策で作曲されている事が分かるだろう。
・その前の84小節、そして89小節のドッペルドミナント下方変位の響きは特徴的な使用方法なので、その印象と共に心に刻み込んでおくのも悪くないだろう。ああシューマン、これだね、これがドッペルドミナント下方変位なんだねとつぶやきながら。
・またここまで楽譜を見ただけでも十分に分かるように、基本的に管楽器と弦楽器の均質的な響きの中で、特定の場合に使用楽器を減らして効果を生み出していくようなシューマンのオーケストレーションの好みは、この曲でも余すところ無く表現されている。

第2主題提示部分(95-142)あるいは(91-142)

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・元々2つの付点2分音符から派生した、48小節からの旋律が元になって、連続的に発展してついに主題化したように、木管楽器によって第2主題のフレーズが奏でられる。この一回目の主題には弦楽器がいないだろう。彼はちゃんと管弦の響きの効果を十分に利用する作曲家なのだが、管弦の混じり合った響きを根本の響きに置いているため、入らない誤解を招いて全然駄目なオーケストレーションだと構成の人達か虐められた事もあったそうだ。マーラーなど多くの作曲家や指揮者が、そのオーケストレーションを補強改編したりして演奏していたが、近年のオリジナル重視の演奏により、彼の目差したオケの響きも多くの人々に理解されるようになってきた・・・・などと脱線していると大変だ、ここから先は細かく見ているときりがないので、軽く進みましょう。主題の繰り返しでは弦楽器が管の主題に加わり重厚さを増しつつ(B dur)に移行。この(B dur)こそがオーソドックスなソナータ形式の第2主題調性である。112小節から第1主題の旋律と動機などが投入され、123小節で第2主題フレーズに連続的に繋がり、主題融合が図られるが、第2主題自身が第1主題中の推移を元に登場している上に、その第1主題の推移自体が57小節から一度第1主題の再提示に移行している点などを見ても、第1主題部分と第2主題部分の融合が、周到に計算されて作曲されていることが分かる。
・続いて139小節からは終止部分への推移になるが、ここも第1主題の推移が元になって形成され、しかしリズムの変化による音楽速度の揺らぎは小さな揺らぎに留まって、一番初めの推移に対して、今度は推進力を増加させていく方針をとって153小節目からの終止部分に至る。

提示部終止部分(154-184)

・第1主題に基づく終止主題(154-165)の後、半音階順次上行形が順次ストレット的に導入され、続いて管と弦の緊密な掛け合いを持って締めくくる。最後に例の2小節3拍のリズム動機R1が、ユニゾンでリズムだけを提示し、音楽の体感速度に揺さぶりを掛けながら提示部を離脱。リピートはなく展開部が開始する。
・ここでリピート記号が加わる古典的な提示部のオーソドックスな形
[第1主題→→推移→第2主題→終止部分→第1主題→推移→第2主題→終止部分]
に対して、シューマンは
[第1主題→推移→第1主題→推移→第2主題→終止部分]という「わたくしの提示部」を編み出したことがうかがえる。

展開部(185-410)

推移(185-200)

・提示部の推移を開始した「ターータタタ」に始まる8分音符(+16分音符)により展開部への導入を果たす。

第2主題にもとずく展開部(201-272)

・続いて第2主題を使用した展開部が開始するが、次第に第2主題の102小節に見られる4分音符による順次上行形の動きが変化して、交響曲第4番の1楽章冒頭序奏のフレーズのような進行を見せ始める。聞いた時の印象が非常に似ていることから、この楽句を思い付いた事が、41年に作曲して眠っていた交響曲を改編して4番に仕上げるきっかけになったのではないかとも思えてくる。これが230小節まで続くのが一つのまとまりになっていて、231から再び8分音符の推移部分のパッセージとなり、第2主題の展開から4分音符のフレーズまでを発展させながら繰り返す。発展と書いたのは、展開部に相応しい遣り方で第2主題のフレーズの対旋律に直前の8分音符のフレーズを掛け合わせたり、調性や使用楽器など様々な変化を付けているからだが、シューマンの場合楽句の密度や事象の拡大自体はベートーヴェンのように劇的で展開的ではなく、調性の流動性とディテールの細かいこだわりに満ちてはいるが、例えば第1主題を使用した部分も第2主題を使用した部分も、元の水位を保つように作曲したいという傾向を持っている。これはオケの均質的な傾向と共にシューマンの特徴なのだろう、よく突っ込みを入れられる要素ではあるが、楽曲を何度も聞いて細かい変化が心地よく思えてくると、新しい味わいが前面に押し出されるのだと、あるご老体が指摘していたのを忘れてはならない。この何時も均質な密度を保ちたいというシューマンの嗜好は、あるいは常に流動的で安定できなかった彼の精神状態が、追い求めた理想郷なのかも知れない。(文学的という事で加えておけば、ベルリオーズの文学への嗜好が、楽曲内でのドラマの展開発展というストーリーの進行に向けられていたのに対して、シューマンの文学性は音楽においては
・・・・何だべか?)

第1主題にもとずく展開部(273-336)

・続いて第1主題を使用した展開部。開始のベースラインに登場する主題は地中から主題が響くような印象で呼びかけ、これに答えて281小節から(H dur)で主題を歌い上げて開始する。これが続く部分で推移部分に至り、流動性を増す310小節までが、この部分の一つのまとまりになっている。
・後はお分かりですね。この低音からの呼びかけと応答としての第1主題から推移の開始をもう一度調性などを変えながら提示しつつ次の部分に移るわけだ。
・ただし全体として均質的な性質があるために、細かいオケの変更は同種的な印象が強く、後は調性を変化させて主題の合間の推移を展開風に改編してどこまで踏ん張れるかという問題をはらんでいるが、同じ事が何度も登場するというのは、楽曲として堕落しているわけではなく、耳の快楽の一要素として回帰の期待というものがあり、ミニマリズムなどはその典型かも知れないが、この第1楽章に置いては執拗に繰り返される第1主題は、マンネリズムには陥っていないはずだ。

第2主題にもとずく展開部(337-390)

・再び形を変えた第2主題にもとずく展開部だが、初めのものより短縮され次第に再現部に向けて変化のペースが速くなってくる。実際は第2主題群の後の推移部分で、367からホルンの印象的な提示が第1主題を思い起こす旋律を演奏し、連続的に第1主題にもとずく最後の展開部に続いているのだが、この楽曲解析では使用主題のパターンが分かり易いので次の最後の部分と一応分離しておくことにしよう。

第1主題にもとずく展開部(391-410)

・主題の旋律を変化させ再現部の正しい主題を呼び込むための第1主題変形が最後に登場。完全に主題を再現させるための呼びかけ部分として機能している。最後にクレシェンドして展開部のクライマックスが形成されていくと、そのクライマックスのピークは再現部の第1主題で行なわれるが、これはベートーヴェンが例えば交響曲第9番などで見せた手法だ。つまりこの楽曲に置いては展開部の開始から見た場合、第1主題にもとずく展開部というのは実は(391-456)の第2主題登場前までを形成していて、それぞれの小節数を見ても
第1主題にもとずく1回目72小節
第2主題にもとずく1回目64小節
第1主題にもとずく2回目54小節
第2主題にもとずく2回目66小節
と大体同じぐらいの領域を形成している。

再現部(411-527)

第1主題再現部分(411-456)Es dur

・クライマックスとしての第1主題再現は、したがって展開部の流動性を保って、(Es dur)の主和音基本形ではなく、保続第5音上の主和音で開始され、この部分ではfff(フォルティシシモ)の記号が記入されている。流動的な第1主題はクライマックスなので展開部における最後の一回という意味を込めつつ1度だけ再現されると、8分音符の同音連打の推進力を保ったまま、提示部とは異なる短い推移に至り、その後半でようやく推進力を弱めて、音楽の推進に揺らぎを形成してから、第2主題が登場する。

第2主題再現部分(457-514)c moll→Es dur

・(c moll)で開始した第2主題再現は途中から古典ソナタ形式に則った(Es dur)に至り、第2主題において提示部と同様の安定性を獲得するという、オーソドックスなソナタ形式を踏襲している。

再現部終止部分(515-527)Es dur

・だから、終止部分も提示部に倣(なら)うが、終止旋律が終わったところで、直ちに締めくくりのコーダに至る。提示部のリズムの揺らぎの効果に対して、再現部全体は直線的に楽曲終止に向かう方針が取られているため、再現部に至ってぐんぐん進んでいく爽快感が増大していく印象だ。

コーダ(528-585)

・まさに管弦均質に締め括るコーダは527小節の最後の音から[4分音符→2分音符→4分音符→2分音符→4分音符]という特徴的なリズムで開始して、例の2小節3拍のリズム動機R1が加わるなど、コーダ旋律の登場と動機の回想にリズムの揺らぎを利用しつつ締め括る方針は、まあ文章よりも耳で聞いた方が分かり易いだろう。
・一つ付け加えるなら、シューマンの交響曲はどれも簡単に聞くと同じテーマをひたすら繰り返しているだけのように思えるが、こうした細かい陰影を耳で聞き取れるようになってくると、今まで分からなかった作品の面白みが見えてくる。

2006/11/16
2006/11/20改訂

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