補足 フランスシャンソンの歌曲定型

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歌曲定型(formes fixes)

 歌曲定型は、トルバドゥール、トルヴェールの単旋律歌曲を通じて発展した、フランス語(と呼べるオック語、オイル語など)による歌曲(シャンソン)のための定まった形式のことで、やがて13世紀後半頃から多声によって作曲が行なわれ始めると、続くアルス・ノーヴァの時代の重要な多声形式の一つにのし上がった。定型とは言っても実際は凝り固まった形式ではないため、ソナタ形式で作曲された楽句が多様であるのと同様、反復句(ルフラン、要するにリフレイン)の扱いや、韻律や、行数など多彩である。典型的な例を挙げて、説明を加えておこう。まずはロンドーであるが、ここではTokino工房で寝ぼけながら作詩された「どうして心が悲しいです」を元に見ていこう。


ロンドー(rondeau)

「どうして心が悲しいです」
  どうして心が悲しいです
  どんなに涙がこぼれても
  閉ざした夢があふれ出す
  ある朝わたしは思い出す
  こんなに流れた年(or時)さえも


 一応行最後の韻を「すもすすも」で統一して、「どうして」「どんなに」「閉ざした」の頭韻と、「どんなに」「こんなに」辺りを掛け合わせて、心持ちだけ当時のロンドーの歌詞を踏襲してみた。さてこの各行のうち、初めの2行「どうして心が悲しいです、どんなに涙がこぼれても。」が、何度も繰り返されるルフラン、つまり反復句リフレインとして機能している。この詩においてはこの2行は倒置法で順番が入れ替わっているが、最も繰り返される開始部分に中心的素材を置きたいがため倒置がなされているわけだ。この2行は旋律A、旋律Bと2つのフレーズからそれぞれ形成され、曲の最後に2行揃ってもう一度繰り返されるが、それ以外にも開始部分の1行だけが、曲の真ん中でもう一度繰り返し確認され、全体として次のような楽曲になる。[5.6]の部分が歌詞上フォーカスを変えて[7.8]の開始部分に送り返すという詩の構成と、AB旋律の配分の織りなす変化と統一の効果が非常に効果的だ。


 1.どうして心が悲しいです  (ルフラン、繰り返し句A)[旋律A]
 2.どんなに涙がこぼれても  (ルフラン、繰り返し句B)[旋律B]
 3.閉ざした夢があふれ出す  [旋律A]
 4.どうして心が悲しいです  (ルフラン、繰り返し句A)[旋律A]
 5.ある朝わたしは思い出す  [旋律A]
 6.こんなに流れた年(or時)さえも  [旋律B]
 7.どうして心が悲しいです  (ルフラン、繰り返し句A)[旋律A]
 8.どんなに涙がこぼれても  (ルフラン、繰り返し句B)[旋律B]


ヴィルレー(virlai)(シャンソン・バラード)

 続いては、14世紀の中心的な作曲家であるマショーの詩「優しくて美しい乙女よ(Douce dame jolie)」を、韻とリズムを整形して、その代わり訳詞の方は心持ちだけを感じ取って、練り直したTokino工房版を使って、ヴィルレーの説明を加えよう。


ギョーム・ド・マショー(c1300-1377)作
「優しくて美しい乙女よ」


  優しくて美しい乙女よ
  どうか思うのはよそうよ
  きっと他の女性が好きなのよ
  私を虜(とりこ)にしているなんて


  君の居る限り嘘は付かないよ
  恋人よ、貴方に誠実でありたい
  命の続く限り変わりはしないよ
  本当だよ、真実の心を持ってたい


  ああ!この胸が痛むよ
  喜びはもうすでに過ぎたよ
  ぐっと震える心が苦しいよ
  私の心をだから優しく暖めて


 はて、これでは行毎のリズムが一定ではないから、折角だからもう少しこね直して、大ざっぱに1行を3つのリズム分割で繰り返すことにしよう。


ギョーム・ド・マショー(c1300-1377)作
「優しくて美しい乙女よ」


  優しくて美しい乙女よ
  どうか思うのはよそうよ
  他の女性がいるのよ
  私を捕らえているなんて


  君に嘘は付かないよ
  恋人よ、切実でありたい
  死ぬまで変わりはしないよ
  いつでも、真心で仕えたい


  ああ!この胸が痛むよ
  喜びはすでに過ぎたよ
  ぐっと心が締まるよ
  貴方の哀れみが欲しくて


 この詩は実際には行間の空かない1つの詩節を形成し、これと同じようなパターンがさらに2番、3番と続いて行くのだが、ここでは第1詩節だけを取り上げて、ヴィルレーの型を説明しよう。まずここでも初めの4行を歌う旋律を旋律Aとする。この4行は最後にもう一度そっくり繰り返され、ロンドーの構造と同様、歌詞全体を包み込む役割を果たす。さらに「ああ!」以後の4行もまた初めの4行と同様の旋律Aで歌われるため、「君に嘘は付かないよ」以後4行だけが別の旋律Bで作曲されることになるが、旋律Bの逸脱部分の強調のために、この部分は2行で旋律Bのワンフレーズを歌い、さらにもう2行で旋律Bを繰り返すという形になっている。これによって、旋律だけでなく旋律A部分とのフレーズ感が決定的に変化し、起承転結ならいわば転じた情景を提示する部分だが、この詩でも直接相手に訴えかける部分として、思いを告げるような作詩がなされ、その結果続いて旋律Aで行なわれる「ああ!」以降の部分が、旋律的には開始旋律に戻ったものの、歌詞の方は最も感情の高ぶった部分に連続的に進行する。ここで終わってしまえば、情の勝ったロマン的歌曲の傾向になるところ、この感情の吐露をもう一度開始部分の繰り返しに戻すことによって、情感と古典的均衡が保たれているのが分かるはずだ。と言う訳で、改めて旋律型と歌詞を書き記しておこう。


1.[旋律A]
  優しくて美しい乙女よ
  どうか思うのはよそうよ
  他の女性がいるのよ
  私を捕らえているなんて


2.[旋律B]
  君に嘘は付かないよ
  恋人よ、切実でありたい


3.[旋律B]
  死ぬまで変わりはしないよ
  いつでも、真心で仕えたい



4.[旋律A]
  ああ!この胸が痛むよ
  喜びはすでに過ぎたよ
  ぐっと心が締まるよ
  貴方の哀れみが欲しくて


5.[旋律A]
  優しくて美しい乙女よ
  どうか思うのはよそうよ
  他の女性がいるのよ
  私を捕らえているなんて


 なおマショーと云えば「さて、今週も衰えるかのう」の一言でお馴染みの映画「老いらくの恋」はたとえ存在しなくとも、60歳頃になって19歳のペロンヌ・ダルマンティエールとの恋愛感情を見事に歌いきった名作?「真実の物語」(Le Voir Dit)(1361-65頃製作か)があまりにも有名なので、このヴィルレーの乙女さえペロンヌじゃあるまいかと邪推したくなる人もいるだろうが、これはフランス方面に黒死病が大流行する1349年よりもっと前に書かれた作品なのだそうだ。

バラード(ballade)

 ここで再びTokino工房オリジナルの詩を使って、バラードの説明をしよう。夏目漱石の「坊ちゃん」から霊感を得て、何も考える前に完成してしまったものだから、たちが悪い。おまけにリズムがいい加減だが、直すには及ばない。ただし最後の韻だけは「てたてたるるるる」と揃えておいた。ヴィルレー同様、バラードの形式は詩節1番目の8行だけで可能だったのだが、気が付いたら2番まで完成してしまったので、これもあえて取り消す必要はない。


バラード「天ぷら先生」
  値段付けの第1号に天ぷらとあって
  嬉しくて天そばを4杯も食った
  隅の方で先生晩飯ですかと声がして
  生徒がざるそばを食っていた
  俺は大変満足したから下宿にかえる
  風呂は済ませたからさっさと眠る
  学校に行くと黒板に何か記(しる)してある
  天ぷら先生!と言って生徒が笑っている


  親譲りの無鉄砲でかっと血が上って
  悔しくて教場で卑怯者と怒鳴った
  笑われて怒る方が卑怯ぞなもしと答えて
  生徒が一斉に囃子立てた
  俺は大変腹が立ったから授業を止める
  昼飯を済ませたからさっさと家に帰る
  下宿に着くと主人が硯(すずり)を持って来る
  これは端渓です!と言ってやっぱり笑っている


 バラード形式は非常にスマートだ、ここでは仮にこの曲にメロディーを付けるという趣向で説明してみよう。すると第1詩節の初めの2行で8小節のフレーズが作曲され、旋律Aとなる。続く2行は、もう一度旋律Aで繰り返すが、最後のフレーズが終止風に変えられる。この後で「俺は大変満足したから」と歌詞の内容が場面転換にするのに合わせて、新たな旋律Bが開始して、このB部分は連続的に16小節によるフレーズを形成する。というAABの形式がバラード形式になる。もちろんこの小節数は例えばの話で、実際にそんな決まりは存在しない。例えばマショーの例などではこのB旋律の最後がA旋律の最後に合わせられているものもあり、この楽曲形式が後に見られる歌曲形式と非常に親しい関係にあるのが分かるだろう。もちろんこうして完成した1詩節を歌うための旋律ABによって、続く2番も同様に歌うわけだ。マショーの多声バラードの説明に、バラード様式とかカンティレーナ様式という言葉が使われることがあるが、このバラードの譜面を見ると歌詞声部だけが独立したメロディーラインを形成して、他の声部はそれを支える息の長めの伴奏旋律として作曲されているのが分かる。もともと多声バラードなどシャンソン定型に基づく多声曲は、単声バラードの旋律フレーズに他の声部を加える事によって発展したので、恐らく声で歌われたのはメロディーラインだけで、他の声部は器楽などで伴奏されたのではないかと言われているわけだ。それでは、私もいつの日かこの「天ぷら先生」に作曲する日を夢見て、今日はこのくらいで説明を終わることにしよう。

2006/01/23
2006/3/10改訂

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