「大和物語43段45段」古文朗読と解説

大和物語43段45段

 今回は、陽気なのと、真摯な思いの段を、二つほど抜き出してみる。

四十三段

この大徳(だいとく)[徳のある僧。ここでは前の42段で女性とのうわさの立ってしまった「えしゅう」という僧]僧坊にしているところの前に、切懸(きりかけ)[定期的な柱に横板を張った板塀]を作らせた。その時の切れ端に和歌を書つける。

まがきする
  飛騨のたくみの たつき音の
    あなかしがまし なぞや世の中
          ゑしう大徳

[竹や柴で垣根を作る
   飛騨地方の大工の 斧の音のような
     ああうるさいことだ 世の中というものは]

と詠んで、「修行しに深い山に向かおう」と言って、立ち去ってしまった。しばらくして、(43段で恋仲とされた女性が、)「どこに住んだら良いか、とぼやいて、深い山に籠もってしまったというのは、どこのことでしょう」と、尋ねてよこしたときに、この僧は、

なにばかり 深くもあらず
  世のつねの 比叡(ひえ)を外山(とやま)と
    見るばかりなり
          ゑしう大徳

[なにそれほど 深くもありません
   世間一般の 修行の山である比叡山を
  外の山と見るあたりです]

と答えて見せた。横川(よがわ)[朗読では「よこかわ」と言っているが「よがわ」滋賀県大津市にある]と呼ばれる場所だった。

古文

 この大徳(だいとく)、房(ばう)にしける所の前に、切懸(きりかけ)をなむ、せさせける。その削りくづに書きつけゝる。

まがきする
  飛騨のたくみの たつき音の
    あなかしがまし なぞや世の中

など言ひて、「行ひしに、深き山に入りなむとす」と言ひていにけり。ほど経(へ)て、「『いづくにかあらむ』」とて、深き山にこもり給ひぬとありしは、いづくぞ」と言ひやり給ひたりければ、

なにばかり 深くもあらず
  世のつねの 比叡(ひえ)を外山(とやま)と
    見るばかりなり

となむ言ひたりける。横川(よがは)といふ所にあるなりけり。

和歌の意味

 僧の登場する段には、トーンの明るいものや、愉快なものがまま見られるが、これもそのような段。はじめのものは、竹や小枝で作る「まがき」という垣根を作っている、飛騨の大工の斧の音のように、「ああうるさいなあ、なんでまた世の中は」といった意味。

 和歌の本体は、「音がうるさいなあ」という三句目後半以下で、その「音」のうるささの例えとして、前半が置かれているが、実際に垣根を作っていた、切れ端に書き付けたというシチュエーションが、生きている。前の段から、女性と恋のうわさが立って煩わしい、という思いがあって、より奥の山で修行をしようと決意するのだが、その決断を、大工か僧の弟子たちか知らないが、じっさいに騒がしい響きをさせるなかで、「ああうるさい」と詠んで立ち去る情景には、さっそうとした躍動感と共に、「うわさ、どれだけうるさいねん」というような、コメディタッチのおかしみが込められている。

 このようなコメディを基調とするから、女性から所在を尋ねられ、返事をする二つ目の和歌も、軽く冗談を込めながら、「そんなに深くもありません。世間一般に知られすぎて、うわさに騒がしいような比叡山を、外に見るくらいの所ですよ」ああ、静かでさっぱりした。というような気分が込められている。

四十五段

 堤(つつみ)の中納言[藤原兼輔]が、醍醐天皇の13番目の皇子の母となる御息所(みやすんどころ)[兼輔の娘である藤原桑子のこと]を、宮中に入れさせた頃、天皇は娘をどう思っているだろうかと、非常に心配されていた。それで、天皇に詠んで贈った和歌。

ひとの親の
   こゝろは闇に あらねども
  子を思ふ道に まどひぬるかな
         藤原兼輔 (後撰集)

[人の親というもの
   こころに闇を抱えては いなくても
  子を思ううちには 闇へと迷い込むものなのです]

 先の天皇である醍醐天皇は、その時たいへん心を動かされた。返歌もあったけれど、その内容は私たちに知る由もない。

古文

 堤(つゝみ)の中納言の君(きみ)、十三の皇子(みこ)の母、御息所(みやすどころ)を、内裏(うち)にたてまつり給ひけるはじめに、「帝(みかど)はいかゞ思(おぼ)しめすらむ」など、いとかしこく[はなはだしく]思ひなげき給ひけり。さて、帝に詠みてたてまつりける。

ひとの親の
   こゝろは闇に あらねども
  子を思ふ道に まどひぬるかな

 先帝(せんだい)、いとあはれに思(おぼ)しめしたりけり。御返しありけれど、人え知らず。

和歌の意味

 後撰集から秀歌を選び出すときに、必ず採用されるであろう知られた和歌。後撰集の詞書きは、時事的だが、ここでは物語風に語られている。きわめてストレートな和歌で、「親の心は暗闇にあるものではないが、子供を思い悩むうちに、闇へと迷い込んでしまうもの」と詠んでいる。その思いは、現在でも変わらないものならば、私たちにも違和感なく、共感を持って受け止めることが出来ようもの。