「大和物語56段57段」古文と朗読

「大和物語56段57段」平兼盛の段

「大和物語」の56-58段は、平兼盛(たいらのかねもり)(?-990)の段になっています。三十六歌仙の一人で、おそらく「大和物語」の成立年代ともっともリンクする『後撰和歌集』にも、二首を残す歌人です。特に後撰和歌集の3番目を飾る、

けふよりは
  荻の焼け原 かきわけて
    若菜つみにと 誰をさそはむ
          平兼盛 後撰集3

の和歌は、この「大和物語」の86段でも紹介されていますが、特に優れた名歌です。一方で今回紹介する和歌は、「大和物語」では平兼盛の作とされますが、「後撰集」ではよみ人知らずの和歌として掲載されています。はたして、どちらが正解なのかは謎ですが、兼盛のものであっても無くても、ここで紹介されている和歌は、「後撰集」の中でも優れたものに属しますし、特に「お馬さんが勝手にきちゃった」和歌は、「後撰集」から選集を作れば、私なら必ず入れてしまうくらい、ユニークであり風格も備えているように思えます。では、さっそく。

大和物語五十六段

現代語訳

 越前の権守(ごんのかみ)[越前国、今日の福井県東部あたりの知事クラスが越前守だが、権守とは定員外の守の意味で、正式な守と別に存在するようなもの。ただ、その権力が名目的なのか実質的なのかは状況による]である平兼盛(たいらのかねもり)が、「兵衛の君(ひょうえのきみ)」[堤中納言こと藤原兼輔の兄藤原兼茂の娘]という女性のところに通っていた頃。しばらく離れていて、また行った時に、

夕されば 道も見えねど
  ふるさとは もと来し駒に
    まかせてぞゆく
          平兼盛 (後撰集)

[夕方になって道も見えませんが    故郷のようなあなたの家ですから      かつて通い慣れた馬にまかせて    やってくることが出来ました]

女の返し。

駒にこそ まかせたりけれ
  はかなくも こゝろの来ると
    思ひけるかな
          兵衛の君 (後撰集)

[馬にまかせて来ただけだったのね    浅はかにも、恋しい思いから来たのかと      勘違いしてしまいました]

古文

 越前(ゑちぜん)の権守(ごんのかみ)兼盛(かねもり)、兵衛(ひやうゑ)の君といふ人に住みけるを、年ごろ離れて、またいきけり。さて詠みける。

夕されば 道も見えねど
  ふるさとは もと来し駒に
    まかせてぞゆく

 女、返し、

駒にこそ まかせたりけれ
  はかなくも こゝろの来ると
    思ひけるかな

和歌の解説

 内容は、男が、道も見えなくなったけれど、もともと通っていた馬が覚えていたので来ましたというもの。自分は道を覚えていないけれど、という裏はあまり感じられない。しばらく離れていたのは悪いけど、馬が覚えている間の、時間には過ぎませんでした。というような言い訳は、多少含んでいるかも知れない。

 ただ、「ふるさと」という言葉も、冗談めかしたユーモアも、後ろめたさはまたく感じられず、「久しぶりだけどきちゃった」くらいの気楽さが勝るように思われる。それに対する女の和歌も、「なんだ心から来てくれたんじゃなくて、馬の向くままに来ただけだったのね」と返す言葉には、逢えない恨みのようなものは感じられない。

 つまり、しばらく離れた後とはいえ、二人の間柄が円満で、何の屈託もない、恋の蜜月の冗談のようで、湿った感じのしないところが、この贈答歌の魅力で、女が恨み、男がなだめるような、ありがちな恋愛の贈答は異質な健全性が、「大和物語」の執筆者にも引かれたのではないだろうか。

 ただしそれなら軽薄な和歌かといえば決してそうでは無く、やはり逢いたかったのに来てくれなかったという思いは、「はかなくも」のひと言にちゃんと込められている。この三句目は、返歌の肝(きも)になっている。というのは、ちょっと変な言い方か。

大和物語五十七段

 近江国(おうみのくに)[「あわうみ」つまり淡水湖から来ている。琵琶湖周辺で今の滋賀県あたり]の介(すけ)[県庁の知事の次のポストくらい]であった平中興(たいらのなかき)が、自分の娘をとても可愛がっていたが、その平中興が亡くなってしまったので、娘もさすらうように、余所の国の、心細いような所に住んでいるのを、可哀想に思って、平兼盛が詠み送った。

をちこちの
  ひと目まれなる 山里に
    家ゐせむとは 思ひきや君
          平兼盛 (後撰集)

[あちらこちらの
   人の家さえまばらな 山里に
     暮すことになろうとは
   かつて思ったりしたでしょうか。あなたは……]

とおくれば、女はそれを読んで返事もせずに、声を上げて泣くのだった。女も、たいへん心細やかな人だったのである。

古文

 近江(あふみ)の介(すけ)中興(なかき)が、むすめをいといたうかしづき[大事に育てる、大切に扱う]けるを、親亡くなりてのち、とかくはふれて[さすらう、落ちぶれる]、人の国に、はかなき所に住みけるを、あはれがりて、兼盛が詠みておこせたりける。

をちこちの
  ひと目まれなる 山里に
    家ゐせむとは 思ひきや君

と詠みてなむ、おこせたりければ、見て、返りごともせで、よゝとぞ泣きける。女も、いみじふらう[経験のある、行き届いた/苦労、功労]ある人なり。

若干の解説

 この和歌も、『後撰集』では平兼盛ではなく、「よみ人知らず」の和歌。「人気の無い山里に住むとはあの頃は思ってなかったでしょう」というだけの、ストレートな心情な和歌。それで、鈍感な女性だったら平気で返歌でもしようものを、「いみじふらうある」女性だったので、かつての回想を込めた疑問形で和歌を閉ざされたものだから、涙あふれて返す言葉も無くなってしまったというもの。

 技巧を凝らすゆえの和歌の巧みではなく、相手の心を捉えるからこその和歌の巧みである。そんな意図と、二人のシンパシーを共に込めた段になっている。つまりは和歌の心を伝えるための段。