「大和物語66-68段」古文と朗読

「大和物語66-68段」古文と朗読

 面白いことに、便宜上の段落の[56-58段]は平兼盛(たいらのかねもり)の段になっていたが、この[66-68段]は藤原千兼(ふじわらのちかげ)の妻である「としこ」の段になってます。なかなか、和歌に味わいも籠もるものですから、3段まとめて紹介してみることにします。

 朗読は、新しい試みとして、66段67段を、伴奏なしのアカペラやっていますが、音楽的能力の限界を露呈し、音程が満足に取れないのは、誤魔化しようがありません。申し訳ないくらいのものですが、自分ではまだ成長するつもりで、やっているようです。なかなか大した御仁です。

大和物語六十六段

現代語訳

 「としこ」[後に藤原千兼(ふじわらのちかげ)の妻。大和物語に時折登場する人物]が、千兼を待っていた頃の夜、来なかったので、

さ夜ふけて
   いなおほせ鳥の なきけるを
 君がたゝくと 思ひけるかな
          としこ

[夜が更けて
   稲負鳥が鳴いているのを
  あなたが戸を叩くと
    思ってしまいましたよ]

[前回見たので解説はそちらで。]

古文

 としこ、千兼(ちかね)を待ちける夜(よ)、来ざりければ、

さ夜ふけて
   いなおほせ鳥の なきけるを
 君がたゝくと 思ひけるかな

大和物語六十七段

 そのとしこが、雨の降る夜に千兼を待っていると、雨のせいであろうか、やって来なかった。粗末な家で、雨漏りがひどいところなので、「雨のせいでいけませんが、そんなところで大丈夫ですか」と千兼が連絡をくれたので、としこは、

君を思ふ
  ひまなき宿と 思へども
 こよひの雨は もらぬ間ぞなき
          としこ

[あなたを思い続けて
   思いの合間もないこの家のはずですが
  今夜の雨は
     漏らないところがありません]

[千兼への返答としては、「雨漏りがひどいです」と答えたものだが、それに自らの思いを委ね、千兼の事を暇も無く思い続けているのだから、この家に隙間なんか出来そうもないけれど、あなたが来ないものだから、今夜の雨はなみだとなって、漏れないところはないように、泣き濡れています。というような思いを込めている。
 本来、雨漏りがするから「こよひの雨はもらぬ間ぞなき」に対して、思い続けて暇が無いはずの家なのに、というのは何の効果も無いはずなのだが、この下の句が「こよひのなみだはもらぬ間ぞなき」の思いを内包することによって、あり得ないはずの上の句が、心情的には成り立つというもの。自然と聞き手も、事実としては成り立たない事柄でも、理性と心情を併せ持つのが人間であればこそ、たちまち心情として捉えて、何の不都合も生じないばかりか、まるで仮想現実のような不思議な感覚さえ覚えてしまう。
 後はその仮想現実に嫌みがなければ、単純に思いだけを述べられたときよりは、より複雑で、和歌の作品としての価値に対しても、同時に好奇心をそそられるので、その分味わいが増す。
 意味の掛け合わせや、現実と心情の結びつきには、うまくいけば、そのような効果があるので、ただ言葉遊びをしているのでは、全然無いのです。]

古文

 またとしこ、雨の降りける夜(よ)、千兼を待ちけり。雨にや障(さは)りけむ、来(こ)ざりけり。こぼれたる[壊れた、破れた]家にて、いといたく漏(も)りけり。「雨のいたく降りしかば、え参らずなりにき。さる所に、いかにものしたまへる」と言へりければ、とし子、

君を思ふ
  ひまなき宿と 思へども
 こよひの雨は もらぬ間ぞなき

大和物語六十八段

 枇杷殿(びわどの)[藤原仲平(ふじわらのなかひら)(875-945)]が、としこの家に柏木(かしわぎ)の木があるのを、枝が欲しいというので、使いに折らせて、枝と一緒に詠み贈るには、

わが宿を
  いつかは君が ならし葉の
 ならし顔には 折りにおこする
          としこ (後撰集)

[わたしの家に
   いつしかあなたが ならの葉のような
  慣れた顔して 枝を折りに来させる]

[「ならし葉」は楢柏(ならがしわ)の葉を指し、「ならし顔」つまり「なれた顔」へと、おなじ発音「ならし」で結ばれる。「ならし葉をならし顔にて折りにおこする」を「ならし葉のならし顔」と名詞化したと捉えてもよい。「してやったりという顔でやってきた」と言うよりも、「してやったり顔してやってきた」というと、ちょっとコメディーチックに、あるいはユーモアチックに響くのと、おなじ効果を担っているか。「いつからそんな我が物顔になっちゃったの」と、軽くからかうようなニュアンスが含まれる。ただし、相手がうやまうべき相手であるから、そこまでフレンドリーにではなく、かしこまった言い回しの内に含めているのである。]

 枇杷殿の返し、

かしは木に
   葉守(はもり)の神の ましけるを
  しらでぞ折りし たゝりなさるな
          藤原仲平 (後撰集)

[あなたの家の柏の木には
   葉を守る神が 控えていらっしゃるのを
  知らずに折ってしまいました 祟りがありませんように]

[つい図々しくも、我がもの顔で、(正しくは「ならし葉のならし顔」で、)知らずに折ってしまった。柏木の葉も、あなたをも守る、神のような夫がいたというのに。どうか咎めがありませんように。と戯れたもの。「としこ」に気安く頼んでしまったのを、恋愛に見立てて、夫がいるのも知らず、あなたに手を出してしまってと、あやまるイメージが込められている。]

古文

 枇杷殿(びはどの)より、とし子が家に柏木(かしはぎ)のありけるを、折りにたまへりけり。折らせて、書きつけて奉(たてまつ)りける。

わが宿を
  いつかは君が ならし葉の
 ならし顔には 折りにおこする

 御返し

かしは木に
   葉守(はもり)の神の ましけるを
  しらでぞ折りし たゝりなさるな