「大和物語70段」古文と朗読

「大和物語70段」古文と朗読

 「としこ」に続いて、69段70段は「監の命婦(げんのみょうぶ)」の段。二人とも、大和物語の開始の方で、さっそく活躍をしていた女性たちで、主要登場人物の二人ですが、和歌のトーンに大きな違いがあり、執筆者もそこに面白さを感じていたように思われます。

 暇があれば、二人の和歌を並べて、詳細を検討したら面白いだろうと思いますが、「としこ」の和歌は表現が深いところで心情と結ばれていて、風格のある和歌を読みこなす、歌の匠といった印象です。それにたいして「監の命婦」の方は、やや理知と言葉遊びが表層に傾き、かえって心情表明にはマイナスに作用することもあるくらい。「としこ」よりはやや、陽気な段、コメディーチックな場景、にふさわしい配役になっているようです。

 もっとも、心情表明にはマイナスに作用するとしても、表現のユニークさは獲得しますから、一概に劣っているとは言えません。言えませんが、二人の内どちらの和歌が優れているかと言えば、やはり「としこ」と答えるしかない。そのくらいの差が二人にはあって、けれどもそれは、単に上手下手というよりも、二人のキャラクターの違いから生まれてくるようなものですから、どちらにしても、それぞれ面白みがあります。そして、大和物語の作者は、そのキャラクターのもたらす和歌の違いを、最大限に生かしているように思われます。

 さて、この段は前の段で提示された恋人と、離ればなれになりながらも、面白みのある和歌「鮎のいをとりて」などをやり取りしてる、コメディチックな所を描いておいて、後半の恋人が亡くなる悲劇にいざなうという、作劇法がなされています。

 初めの和歌は、「山もも」を織り込もうとするために、かえって下の句の心情が、軽くなってしまっている。けれども「山もも」を贈り物にした時の和歌だから、時事的にはかえって効果的である。というような、まさに彼女らしい和歌になっています。

 次の和歌は、「あなたを思って、寝ないで鮎を釣っていたんだけど、夢に見えた?」と、鮎のお土産に書き送るという、ユニークな和歌になっています。むしろ陽気なトーンで、ちょっとしたコメディタッチでありながら、ちゃんと心情も込められているような、まさに彼女のキャラクターにふさわしい和歌になっています。

 一方、彼が亡くなった際の最後の和歌は、「篠塚の駅(うまや)」を言葉遊びに織り込むという、彼女のキャラクターらしいところは、依然として残されながら、三つの中ではもっともしっとりとした、悲しみがこもる作品になっているのが魅力です。

 ただ、もし「としこ」が、まったくおなじ状況で和歌を詠んだら、もっと深いところで読者を泣かせるだろう。と感じるとしたら、つまりはそれが二人のキャラクターの違いで、だからといって、監の命婦の和歌を、劣ったものと軽蔑するにはあたりません。なにしろ「うまやうまや」の和歌には、つい記憶に残ってしまう、言葉つきの面白さがあります。そして十の深みにある記憶に残りにくい和歌と、六くらいの深みの、けれども人々の記憶に残されやすい和歌と、どちらが優れているかというのは、実はきわめて難しい問題なのです。

 けれども今は、それを検討する場ではありませんから、さっそく七十段を眺めてみることにしましょう。

現代語訳 (解説込み版)

 おなじ藤原忠文(ふじわらのただぶみ)に、監の命婦(げんのみょうぶ)が、山桃を贈ったときに、その名称を和歌に折り込んで、

みちのくの
  安達の山も もろともに
    越えば別れの 悲しからじを
          監の命婦?

[陸奥の国の
   安達の山も 二人一緒に
     越えたなら別れの悲しみなんて
   なかったでしょうに]

[男は藤原忠文(ふじわらのただぶみ・ただぶん)の息子で、藤原滋望と見る説もあるが、ストーリーとかみ合わない。藤原忠文は平将門の乱に際して、東国に下ったが、あるいはそれに同行した、別の息子がいたものか。一応、本文の最後に息子の説明が登場する。
 いずれ彼に対して、一緒に行ければ、別れの悲しみなんてなかったのにと詠んだもの。あまり深い悲しみが感じられないのは、「山もも」を挟み込んだためと言うよりは、叙し方が平坦に過ぎるためか。言い換えれば、ありきたりに記しすぎて、ありがちな和歌でしかないせいか。
 この和歌、前段に続いて、男が贈ったとも捉えられそうだが、「山桃」の和歌と「鮎」の和歌、ともに贈り物をして贈ったときの、彼女らしい和歌として、並べられているものと考えられる。ただし和歌自体から、どちらが詠んだか決められるほど、深みや癖のある和歌ではないし、山桃と鮎で贈答を楽しんだと見ることも可能なら、決定させないでおいた方が無難か。]

と歌った。

 さて、彼女は京都は賀茂川堤(かもがわつつみ)のあたりに住んでいたので、川で鮎を釣って贈ったときに。

賀茂川の
  瀬にふす鮎の いをとりて
    寝でこそあかせ 夢に見えつや
          監の命婦

[賀茂川の
   浅瀬にいる鮎という 魚を捕りながら
     寝ないで 夜を明しましたけど
   その姿 夢に見えましたか?]

[「いを」は魚のこと。ただし「寐(い)を取る」つまり「寝るのを止める」の意味を掛け合わせる。しっとりとした心情を詠むなら、「夜釣りをして」なんて言わないから、面白みのある和歌を送りたかったはずで、全体の調子も陽気なものだから、むしろ「鮎の寐るのを奪って、寝ないで明かしたの」と受け止めたいくらい。
 普通なら誰かに取らせた鮎に、寄せて詠んだ和歌と捉えそうだが、監の命婦なら自分で釣りかねない。そう思いたくなるような和歌。この陽気さがあってこそ、後半の悲劇性が引き立つという仕組み。]

 さて、相手の男は東国へ下ってから、人に託して、情のこもった手紙を書いてくれていたが、やがて「道中で死んだ」と聞いて、女は悲しみにとらわれた。話を聞いてしばらくして、篠塚の駅(うまや)[愛知県豊川市]という所から、人に託して、しみじみとした思いを込めた手紙が届けられた。悲しい気分になって、「いつの手紙です」と尋ねると、手紙の使いがずいぶん経ってから、ようやく届けたものだという。彼女は、

篠塚の
  うまやうまやと 待ちわびし
    君はむなしく なりぞしにける
          監の命婦

[篠塚の駅(うまや)にいると言って
   いまやいまやと 待ちわびていた
     あなたはむなしく 死んでしまいました]

[陸奥国にいった男が、愛媛県の篠塚の駅から手紙を出して、その内容が彼女を待ちわびるものであったのだから、彼はみやこへ戻る途中に病に伏して、篠塚で動けなくなり、彼女を求めながら亡くなったということになる。実際は前段から続いていて、彼との別れから、離れても贈り物をした陽気な贈答、その後も手紙が続けられたこと、などが語られてから、最後の場面を描き出すことによって、この和歌を詠んだ女性の立ち位置が定められ、和歌の悲しみが演出されている。
 それで、もし短い詞書きくらいで置いてあったら、さすがに「篠塚のうまやうまや」が鼻について、心から感動できなくなり兼ねないようなところ、かえって「いまやいまや」と待ちわびる思いが、嫌みの無いどころか、かえって効果的にすら思えてくるのは、まさにストーリーの演出があればこそである。
 同時に、最後の和歌でも、監の命婦らしいある種の言葉遊び的な傾向の和歌は守られている。別の見方をすれば、そのような和歌が選び取られて紹介されている点、キャラクターの性質は保たれている。はたしてこれは、実在の人物のなせる技なのか、執筆者のトリックに過ぎないのか?]

と詠んで泣いたという。

 男は、少年のうちに宮中に入って、大七(だいしち)という幼名であったのを、元服してから蔵人所(くろうどどころ)に入り、金を運ぶ使いとして、親の供をして、陸奥国に行ったものであった。

古文

 おなじ人に、監(げん)の命婦(みやうぶ)、やま桃をやりたりければ、

みちのくの
  安達の山も もろともに
    越えば別れの 悲しからじを

となむ言ひける。

 さて、堤(つゝみ)なる家[10段に出てくる監の命婦の家]になむ住みける。さて、鮎をなむ捕(と)りてやりける。

賀茂川の
  瀬にふす鮎の いをとりて
    寝でこそあかせ 夢に見えつや

 かくて、この男、陸奥国(みにのくに)へ下りける。便りにつけて、あはれなる文(ふみ)どもを書きおこせけるを、「道にて病(やまひ)してなむ死にける」と聞きて、女、いとあはれとなむ思ひける。

 かく聞きて後、篠塚(ちのづか)の駅(うまや)といふ所より、便りにつけて、あはれなる事どもを書きたる文をなむ、持(も)て来たりける。いと悲しくて、これを「いつのぞ」と問ひければ、使(つかひ)の久しくなりて持(も)て来たりけるになむありける。女、

篠塚の
  うまやうまやと 待ちわびし
    君はむなしく なりぞしにける

と詠みてなむ泣きける。童(わらは)にて[その死んだ男の事]殿上(てんじやう)して、大七(だいしち)[別本に十七とあり]といひけるを、かうぶり[元服して冠を付けること]して、蔵人所(くらうどゞころ)にをりて、金(かね)の使(つかひ)[金を運ぶ使いだとか]かけて、やがて親のともに、行くになむありける。