歌う百人一首010番「これやこの」

歌う百人一首010番「これやこの」

 大和物語のあの陽気な洗濯物のメロディーは、不思議と蝉丸の「逢坂の関」にリンクします。どちらも山羊の歌ではく、コモイディアの属性かと思われます。屈託もなくて愉快です。

 戒仙(かいせん)和尚、親に洗濯物を頼んで、逆ギレされて、立派に嘆くの巻。

小倉百人一首010番「これやこの」

これやこの
  ゆくも帰るも 別れては
    知るも知らぬも あふさかの関
          蝉丸

[これがまああの
   行く人も 帰る人も 別れたり
     知る人も 知らない人も
  逢ったりするという
    逢坂(おうさか)の関所か]

『後撰集』の1089番に収められていますが、そこでは蝉丸は、関の辺りに庵を持っていたことになっています。あっけらかんとして、屈託の無いそのトーンは、しっとりした和歌の多い百人一首の中では、かえって異質なくらい、どこまでも陽気なところに特色があります。

 こんなものでも、素性と伝記が先走ると、仏教やら無常観と結びつけて、ありがたがったり、感じ入ったりする、水戸黄門的感受性とでも言いたくなるような、お優しい方々もいるようですが、少なくとも閉ざされたこの三十一文字の世界観は、そのような憂うつなものでも、真面目ぶったものでもなく、百人一首のなかでは珍しいくらいの、健全的な陽気さにあふれています。

 むしろ定家も、それを取ったのではないでしょうか。そうしてそのことが、わたしに『大和物語』の、洗濯物の僧の和歌のメロディーを、引用させる要因ともなっているようです。はい。