秋の七草

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秋の七草

・「万葉集」に読まれる山上憶良(やまのうえのおくら)の二首

「秋の野に咲きたる花を指折り(およびをり)
かき数ふれば七種の花(ななくさのはな)」
(第八巻、短歌)

「萩の花
   尾花(をばな)葛花(くずはな) 瞿麦(なでしこ)の花
女郎花(をみなえし)
   また藤袴(ふじばかま) 朝貌(あさがほ)の花」
        (第八巻、旋頭歌、これは577、577のリズムを持つ)

に由来する。つまり

萩(はぎ)の花、薄(すすき・尾花のこと)、
葛(くず)の花、撫子(なでしこ)の花、
女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、
朝顔の花

であるが、この朝顔の花は、木槿(むくげ)であるとか、昼顔ではないかとか所説ある。今日では桔梗(ききょう)とするのが一般的なようだが、必ずしも定説とは言い切れない。

活け花は七草にして竜田姫

[此は制作したる2008年のままなり
  ⇒下手歌として見せしめに残し置くばかり(2017/10/28)]

[正岡子規]
秋くさの 七くさ八くさ
一はちに あつめてうゑぬ
きちかうは まづさきいでつ
をみなへしいまだ

萩(はぎ)

・マメ科ハギ属の総称で、草ではなく落葉低木。荒れ地や焼け地に生え、ほぼ日本全域で見ることが出来る。万葉集ではもっとも多く読まれる草花の一つ。赤紫の小さな花が咲き乱れ、総体に葉の緑と印象派の絵画を濁すような気配。

鹿鳴草(しかなきぐさ)、鹿妻草(しかつまぐさ)、玉見草(たまみそう)、初萩(はつはぎ)、山萩、野萩、萩の花などなど。鹿は秋に異性を求めて鳴くので、萩がしっくり来たので命名されたらしい。秋知草(あきしりぐさ)などという名称もある。

描(えが)きかけの筆さき止めて萩の花

古寺は萩の雫のまだきかな

[芭蕉]
一家(ひとついへ)に遊女(いうぢよ)も寐たり萩と月

[「おくのほそ道」の中にある句]

[芭蕉]
しら露もこぼさぬ萩のうねりかな

[河合曾良(1649-1710)]
ゆき/\てたふれ伏すとも萩の原

[「おくのほそ道」にある句。意味は武士やら戦場やらは関係なく、曾良が腹痛を起こした時のもの。]

[安住敦(あずみあつし)]
手に負へぬ萩の乱れとなりしかな

葛の花(くずのはな)

・「葛」はマメ科のつる性多年草。荒れ地に繁殖し、怖ろしいほどの繁殖力を持つことでも知られる。まさに雑草という姿ではびこる姿は、貴人をいざなうものではなく、野武士といった風情だが、花だけは魅力的なものとして、愛でられることもある様子

 秋に花開き、上に長く伸びた花の部分全体が、下から上へと順番に開花しては朽ちていく。花は赤みがかった紫など。「葛」という名称は、大和国の国栖(くず)が、葛粉を名産としていたことから来ているとか。葛に覆われた野原を真葛原(まくずはら)というのは、万葉集にもすでに収められている。

・植物は花の頃を以て季語と為すべし。という格言に随うなら、「葛」だけでも秋の季語になる。別名「裏見草(うらみぐさ)」ともいうが、これは葉が風にひるがえる時、白っぽい裏側が目に付くことから呼ばれ、平安時代の和歌では「恨み」に掛け合わせて歌ったりしている。

・良質澱粉(でんぷん)である葛粉(くずこ)は葛の根から取られる。特に葛粉100%のものを「本葛(ほんくず)」と呼んだりする。もっとも一般には、ジャガイモやサツマイモのデンプンなどを混ぜ合わせたものが売られている。また根っこは干して漢方の「葛根(かっこん)」ともなる。

秘密基地葛に埋もれて花ざかり

[石田波郷(いしだはきょう)]
葛咲くや嬬恋村(つまごいむら)の字(あざ)いくつ

女郎花(おみなえし)

・オミナエシ科、オミナエシ属の植物。ひょろっと伸びた先に黄色の花が競い合うように咲いている。山野の日当たりの良い所に生え、昔は到るところに自生したが、最近は減少傾向。背高泡立草ばかりがはびこっている。「おみなめし」とか「粟花(あわばな)」などとも呼ばれる。

あの子消えてゆら揺れながら女郎花

[小西来山(こにしらいざん)(1654-1716)]
雨風の中に立ちけり女郎花

[蕪村]
萩薄(はぎすすき)わけつつ折るや女郎華

桔梗(ききょう・きちこう)

・キキョウ科キキョウ属の多年性草本植物で、山野の日当たりの良い所に秋の紫色の美しい花を咲かせる。白い花のもある。自生するものは最近急減中。その根には「サポニン」という物質が含まれ、生薬の「桔梗根」として漢方などで使用する。「桔梗や」などと詠まれていたら大抵は「きちこうや」と読むなるべし?

きちこうのむらさき染めてさゝら雨

[時乃遥]
きちこうのむらさき染めてなみだかな

[飯田蛇笏]
桔梗(きちこう)やまた雨かへす峠口

花野(はなの)

・秋の草花のみだれ咲くような原を歳時記とするもので、廃人となった廃人どもは、夏や春に花野とつぶやいた一般人を、弾劾することすらあるというから恐ろしい。それはさておき、花野原(はなのはら)、花野道、花野風など使用。

登り来たる空まだ遠き花野かな

[志太野坡(しだやば)(1663-1740)]
山伏の火を切りこぼす花野かな

邯鄲(かんたん)

・「邯鄲の夢枕」とか「邯鄲の枕」などと呼ばれる逸話がある。中国の戦国時代、趙の都「邯鄲(かんたん)」に出向いた廬生(ろせい)という青年が、我が身の不平を並べつつ宿を取っていると、老師「呂翁(ろおう)」が夢が叶うという魔法の枕を差し出す。さっそく枕して眠ってみると、あら不思議、最高の人生を夢の中で生ききって、目が覚めるとまだ粟粥が出来上がってもいなかった。ああ、人生は夢のごとき束の間のことであったか。という逸話である。

・淋しげなころころという鳴き声と、僅かな成虫の寿命が、コオロギの仲間のこの虫を、はかなくも「カンタン」と命名させたのだそうだ。他の秋の虫より低音で鳴き、地面でなく、草木の上で鳴いている。

夢覚めてたゞ邯鄲にそふ身かな

邯鄲の夢から覚めて寝醒酒

子規忌(しきき)

・上句と下句を読み続けていく俳諧連歌の発句を、独立的に観賞しうる文芸にしたのは、初学的には芭蕉の功績であると解くならば、その発句を詩の結晶として俳句(はいく)として認めさせたのは、正岡子規(1867-1902)だと答える人もいるだろう。

・その彼は1902年9月19日午前1時に亡くなった。結核からくる脊椎カリエスによりわずか35歳の死だった。陰暦だと8月17日で十五夜の二日後にあたる。付き添っていた弟子の高浜虚子は、河東碧梧桐に知らせに行くために外へ出ると、月が煌々と照らし出していたのだそうだ。十七夜「立待月」の月であった。

・庭先の糸瓜を最後に歌った所から「糸瓜忌(へちまき)」とも呼ぶ。また獺(うそ、かわうそ)が巣に獲物を並べるように書籍や反古に囲まれた子規の部屋が「獺祭書屋」と呼ばれたために、「獺祭忌(だっさいき)」と呼ばれることもある。似た言葉に「太宰忌」もあり、俳諧入試の初級引っかけ問題になっているとかいないとか。

寄せ書をしかるものさへ獺祭忌

[高浜虚子]
子規逝くや十七日の月明に

[村上鬼城(4865-1938)]
誰彼も死んで淋しや獺祭忌

立待月(たちまちづき)

・十五夜から数えて一日後が、わずかにためらう意味の「いざよい(十六夜)」と命名され、二日後の十七夜(じゅうしちや)が、立って待ちわびると登ってくる月の意味で「立待月」、さらに十八夜には座って待って居るから「居待月(いまちづき)」、十九夜にはもはや寝ながら待つということで「臥待月(ふしまちづき)」または「寝待月(ねまちづき)」、という。そして二十日月(はつかづき)には、とうとう「更待月(ふけまちづき)」になるのだそう。

・それに合わせて宵の時間帯が、月明かりもなく真っ暗になることを「宵闇(よいやみ)」と呼ぶ。また、宵闇の星の灯火が、まるで月の代わりにすら想える星夜を「星月夜(ほしづきよ・ほしづくよ)」と呼ぶ。

・つまりは月のない夜だから、星と月の見えるゴッホの作品を「星月夜」と呼んでいるのは言語道断の不始末で、せめて「星と月の夜」と呼ぶべきであると、俳人どもは激怒なされていらっしゃるようだ。一方で「訳語至上主義」の方々は「月」など原題には含まれてはおらぬといって、憤慨(ふんがい)なさっている。

爪磨いで立ち待ち猫の月夜かな

立ちながら待つともなくて月夜かな

[阿波野青畝(あわのせいほ)(1899-1992)]
立待月咄(はな)すほどなくさし亘(わた)り

[金久美智子(かねひさみちこ)]
立待月や狐が下駄を盗りに来る

[高浜虚子]
子規逝くや十七日の月明に

居待月・座待月(いまちづき)

 「居待」「十八夜」など。

たちまちの弊(つい)えたるかな居待月

退院をほのかに待つや居待月

[後藤夜半(ごとうやはん)(1895-1976)]
くらがりをともなひ上る居待月

[鈴木真砂女]
帯ゆるく締めて故郷の居待月

[安住敦(あずみあつし)(1907-1988)]
居待月芙蓉(ふよう)はすでに眠りけり

臥待月(ふしまちづき)

 「臥待」「寝待月(ねまちづき)」など。

臥待の月に寄り添う影法師

臥しながら待つでもなくて月の唄

更待月(ふけまちづき)

 「更待」「二十日月(はつかづき)」

、他にも亥の刻と関連して「亥中(いなか)の月」など。「土佐日記」では、阿倍仲麻呂が「天の原ふりさけみれば」の和歌を詠んだのは、このような月を眺めてだろうかとその歌を紹介している。

小夜更けて待ち木の月のうす明かり

更待の障子に鬼の鎌あらん

[新村たま]
大原や更待月に寝静まり

宵闇(よいやみ)

 十九夜、二十夜ともなると、宵は月の無い、秋の星影ばかりとなる。星明りとは行っても、現実的には暗闇には過ぎず、明かりも乏しかったかつては、宵闇という表現にもリアリティが籠もっていたが、今日では幾分フィーリング任せに使用されている様子。

宵闇の帰路を惑(まど)はす鬼火かな

宵闇に知らず過ぎ去る顔なじみ

[高浜虚子]
宵闇の裏門を出る使かな

星月夜(ほしづくよ・ほしづきよ)

 先に説明したように、星と月のある夜では無く、月が無くて星ばかりの夜のこと。秋の星座を想像すると、貧しい星明りのように思われるが、それは夜も更けゆけばの話で、急に早まる日暮れ時が闇へと帰るまでの宵の頃は、ちょうど天の川や夏の大三角が空に掛かっていて、星月夜という印象とよくなじむ。

星月夜(ほしづくよ)はごろも脱いで湯あみ唄

星月夜 kaizi が猫の ballata

鬼灯(ほおづき)の灯しも尽きて星月夜(ほしづくよ)

[高浜虚子]
われの星燃えてをるなり星月夜

雁渡し(かりわたし)

・初秋頃から仲秋頃、北方から吹く風は、雁(かり・がん)の渡り来る風である事から「雁渡し」とも呼ぶ。もともとは漁師(りょうし)らが、強風注意の意味で使用していたとか。

夕暮の雁を渡して嵐かな

山の枝のふもとへ朽ちて雁渡

[鷲谷七菜子(わしたにななこ)]
鐘ひとり揺れて湖北の雁わたし

牡丹の根分(ぼたんのねわけ)

・牡丹(ぼたん)は、ボタン科ボタン属の落葉小低木。原産は中国で、唐の頃から愛すべき花として、則天武后にも好まれ、清の成立以降、1929年までは、国花に指定されていた。

・被子植物だが、種から育てるのには時も掛かり、高嶺の花として知られていた。しかし最近では、芍薬(しゃくやく)を台木にして、接ぎ木させた遣り方が一般化し、広く親しまれるようになった。そんな接ぎ木や、根分けを秋に行うことから、秋の季語。「牡丹の接木(つぎき)」「牡丹植える」など。

・どうでもよいが「牡丹餅(ぼたもち)」は、牡丹の開く春の彼岸に備えられるため牡丹餅なのだそう。いっぽう「お萩(おはぎ)」は秋の彼岸の萩の咲く頃だという。「根分け」が付くと秋の季語だから、「俳人とんち協会」のひっかけによく出される。

根分して後惜しみする牡丹かな

[滝沢伊代次(たきざわいよじ)]
縁談をすゝめ牡丹の根分かな

糸瓜(へちま)の水

顎糸瓜(あごへちま)(顎の伸びたヘチマ)を収穫した後、秋口に茎の根元から少し先を切る。その茎先を瓶やペットボトルに入れておくとあら不思議、一昼夜で1リットル(いい加減)もの「ヘチマ水」が取れるのである。

・残念ながら飲んでも顎は伸びないが、酸性の化粧水として古くから知られ、汗疹やアカギレなどにも用いられてきた。また飲めば咳を治め、痰(たん)を切り、利尿作用もあるという。子規は晩年脊椎カリエスの症状悪化へのささやかな反抗として「へちま水」をいただいていた。「糸瓜の水取る」「糸瓜引く」などとも。

焼酎をへちまの水にいたしけり

[正岡子規]
痰一斗(たんいっと)糸瓜の水も間にあはず

・ベートーヴェンの「残念残念遅すぎた」に対応するか?

運動会(うんどうかい)

・あるいは「体育祭(たいいくさい)」。東京オリンピックの開催日を10月10日の「体育の日」としたこともあり、秋は運動会のシーズンである。もっとも最近は春に行う学校も多く、季語としての底の浅さが思いやられる。

ぷちでぶのごぼう抜きして応援歌

美術展覧会

美術の秋、芸術の秋、二科展(にかてん)、日展(にってん)、院展(いんてん)、ここまでくると、芸術も食欲も読書も、みな秋の季語であるとか言い出しかねない。下の句例を見ても、秀句は別に秋の見立てが存在して、美術展が季語になっている訳では無い。もっとも会期の決まっているものは、それが季語となるのは当然だ。

二科展の絵と関わらぬ話臭かな

[飯田蛇笏]
帝展見秋ただなかの学徒かな

[宮坂静生(みやさかしずお)(1937-)]
二科展や荒樫(あらかし)の幹葉にもまれ

下り梁(くだりやな)

・春から逆上りだす魚を捕らえるのが、夏の季語である「梁(やな)」。秋になって、河口へ下る魚を捕らえるのが「下り梁」

「落鮎(おちあゆ)」が有名だが、他にも鰻(うなぎ)、鯉(こい)、石斑魚(うぐい)、など地域ごとの様々な魚を捕らえる。川床がいつの間にか狭まって、板床に化けているうちに、うっかり捉えられるようなシステム。さらに、下り梁も終えて、崩壊し掛かっている晩秋の景色を「崩れ梁(くずれやな)」という。

宵焼のはかなき声や下り梁

[一茶]
紅葉から先かゝりけり下り梁

秋祭(あきまつり)

・要するに秋のまつり。例えば収穫祭的な祭りのこと。「在祭(ざいまつり)」「村祭(むらまつり)」など。

はたなびく鳥居祭のみのりかな

[前田普羅(まえだふら)]
年よりが四五人酔へり秋祭

裂膾(さきなます)

・または「裂き鰯(いわし)」。刃物なしで、指で裂くから「裂き物」と言う。鰯(いわし)の頭を指で刎ねて、指で骨と身とを裂き離し、水洗いして酢で締めて酢みそに和える。「百ぺん洗えば鰯(いわし)も鯛(たい)」というように、すばらしく洗うのが良いのだそうだ。もちろん鮮度が命。

釣り飽きて酒に浸して裂き膾

草木花

 秋薔薇(あきばら・あきそうび)、秋の薔薇。柘榴・石榴(ざくろ)、実石榴。糸瓜(へちま・いとうり)。コスモス、秋桜(あきざくら)。貴船菊(きぶねぎく)、秋明菊・秋冥菊(しゅうめいぎく)、秋牡丹。狗尾草(えのころぐさ・えのこぐさ)、猫じゃらし、犬子草(いぬこぐさ)。玉蜀黍(とうもろこし)、もろこし、なんばん、唐黍(とうきび)。

[下村非文(しもむらひぶん)]
糸瓜やや曲り此の世は面白く

[加藤楸邨]
父の背に睡りて垂らすねこじやらし

鳥獣昆虫

地虫鳴く(じむしなく)、すくもむし。鴇・朱鷺(とき)、桃花鳥(とうかちょう)。秋の蝶、秋蝶(あきちょう)、老蝶(おいちょう)。鯔(ぼら)、名吉(なよし)、いな、とど、洲走(すばしり)。江鮭・雨魚(あめのうお)、あめご。色鳥(いろどり)、秋小鳥(あきことり)。鷓鴣(しゃこ)。

2008/09/19
2012/02/15 改訂
2017/11/07 改訂

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