・日本古来の風習として、旧暦の初春と初秋の満月に合わせて、先祖の魂を奉る行事があり、初春のものは旧暦の1月15日に行われた小正月で、太古には新年を告げていたと考えられる。一方初秋の満月、7月15日のものは、仏教の「盂蘭盆(うらぼん)」と結びついて、それが略されて盆(ぼん)と呼ばれるようになった。他にも旧暦8月15日の満月も、日本古来の収穫の祭りだったようだ。
・仏教としての盆は、正式には盂蘭盆(うらぼん)(サンスクリット語ウラバンナ、つまり「逆さに釣り上げられる」の漢字表記したもの)と呼ばれ、「仏説盂蘭盆会経」というお経の逸話が祭事となったものとされる。その内容は、
釈迦の弟子の母親が死んで餓鬼道に落ち入っている時、「お前のおっ母さんは人にほどこしせずに飢餓の路を歩まれた」と釈迦が仰るので、修行の最終日の7月15日に追善供養を行ったところ、餓鬼道から救われた。
という逸話に由来する。これが日本に伝わり、宮廷の行事としては、推古天皇の時代に行われていたとされる。斉明天皇の657年には7月15日に飛鳥寺で盂蘭盆会として催されている。
ただし仏教行事として庶民へ普及したのはずっと遅く、江戸時代になってからとか。先祖を奉る行事として長らく行われていたものを、幕府の檀家政策によって認識が定着した様子。
・もともとは満月に来るものだったが、新暦に変わった明治時代に、新暦7月15日に行う場合と、季節感がおかしくなるので、一ヶ月無頓着に遅らせる「月遅れの盆」(8月15日にしてしまう)があり、今日ではこの月遅れがもっとも多数派をしめている。旧暦で行うものは、一時小弾圧もあり、沖縄などの少数派になってしまったようだ。ただし「月遅れ」の盆を「新盆(しんぼん)」とは一般的には呼ばない。死者の49日後の初めての盆である「新盆(にいぼん)」と同じ表記になってしまうから。
・「苧殻(おがら)」を焚くのが一般的。苧殻とは麻の繊維を取ったあとの茎の残りを干したもの。昔はカイロの灰などにも使用した。
かた言に君は黙して盆の酒
・「霊迎え・魂迎え(たまむかえ)」とか「精霊迎え(しょうりょうむかえ)」とも言う。月遅れの盆なら、八月十三日。彼岸(煩悩を解脱した世界・あの世)より先祖の霊を迎えるために、提灯を焚いて墓まで出向いたり、野火を焚いたりする。
・家には盆棚(ぼんだな)、精霊棚(しょうようだな)を作っておき、魂を迎えた後に、僧侶に読経をしてもらい供養をする。これを棚経(たなぎょう)と呼ぶこともある。この期間に魂の逃れた墓を参って、掃除などをする留守参りをする所もある。
・魂を迎えたなら、墓には魂はないから、墓参りには意味が無いというのは、「浅墓」な考えで、霊魂は人間のようにある場所に実態として存在するものではないという。
きしみ音床には誰も霊迎え
・お盆(月遅れなら八月十五日)の翌日、迎えた魂を送り返す行事。各家庭で行うものから、行事として行われるものまで様々。集団で行うものには山の送り火、海の送り火などがある。年中行事化は室町時代以降とか。
・京都の「大文字(だいもんじ)」は山のものでもっとも知られたもの。海のものは「灯籠流し」、または「精霊流し」が代表的。魂送(たまおくり)とも。
風と星ゆらぎあふてやたま送り
送り火の影絵と遊ぶはつ孫よ
[内藤丈草(1662-1704)蕉門十哲のひとり]
送火の山へのぼるや家の数
[村上鬼城(きじょう)]
送火やいつかは死んで後絶えん
[長谷川零余子(はせがわれいよし)]
いとせめて送火明く焚きにけり
・初盆(はつぼん)とも。故人の四十九日が明けた後の初めてのお盆。なぜなら死後7週間(49日)は、死者の霊魂は現世を去れど、あの世には到っておらず、供養によってあの世に送り届けるべき期間であるから、四十九日の間は、彼岸(ひがん)より此岸(しがん)に魂を呼べないから、盆が成立しないという理屈である。
新盆(にいぼん)にあやかり客のまぎれけり
・東山の如意ヶ岳(にょいがたけ)(銀閣寺の裏の山)において、巨大な「大」の字を燃やす行事。他にもあわせて5カ所で燃やされ、これを「五山(ござん)送り火」と呼ぶ。「大文字の火」とも。ウィキペディアより部分引用すると、
京の夏の夜空を焦がす京都の名物行事・伝統行事。葵祭・祇園祭・時代祭とともに京都四大行事の一つとされる。毎年8月16日に
「大文字」(左京区浄土寺・大文字山。20時00分点火)
「松ヶ崎妙法」(左京区松ヶ崎・西山及び東山。20時10分点火)
「舟形万灯籠」(北区西賀茂・船山。20時15分点火)
「左大文字」(北区大北山・左大文字山。20時15分点火)
「鳥居形松明」(右京区嵯峨鳥居本・曼陀羅山。20時20分点火)
以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされる。
・また、「施火(せび)」とは送り火の事だが、特に京都の「五山送り火」をそう呼ぶこともある。
[望月宋屋(そうおく)(1688-1766)]
山の端に残る暑さや大文字
[蝶夢(ちょうむ)(1732-1796)]
大もじや左にくらき比えの山
[蕪村]
大文字(だいもじ)やあふみの空もたゞならね
・茄子や瓜(うり)を使って、割り箸や苧殻(おがら)で足などを作って、馬や牛の形にした盆のお供え物。茄子の馬、茄子の牛、瓜の馬、瓜の牛、さらに迎え馬(迎え盆の時)とか、送り馬(送り盆の時)と呼んでみる。魂棚(たまだな)に備えるもの。
・胡瓜(きゅうり)の馬と茄子(なす)の牛をペアで置くことも多い。これは胡瓜の馬ですばやくこの世に戻る霊魂が、茄子の牛で名残惜しくゆっくりあの世に還っていくとの想いが込められているという。
馬子唄も飾りつけたるなすびかな
[石田波郷(1913-1969)]
おもかげや二つ傾く瓜の馬
・魂送の一種で、送り盆に際して、灯した灯籠を川や湖へ流し、先祖の魂を見送る行事。送り火の水上版とも言える。流燈(りゅうとう)、流燈会(りゅうとうえ)、精霊流(しょうりょうながし)など。長崎の精霊流しは、「まっさん」こと「さだまさし」の曲としても知られるが、精霊船(しょうろうぶね)を繰り出し、爆竹も鳴る、盛大な魂送り行事である。
流燈よ星のかなたへ手を振れば……
爆竹も精霊流す賑わいも
[飯田蛇笏(1885-1962)]
流燈や一つにはかにさかのぼる
[久保田万太郎(くぼたまんたろう)(1889-1963)]
灯籠のよるべなき身のながれけり
・半ば来世に足を突っ込んで生きるような大したご老体を、定冠詞付きの「Theご老体」として賛えて、生身魂(いきみたま)として、生きたままに奉ることを言う。これを「生盆(いきぼん)」ともいう。
・生御魂、生見玉などの漢字表記もある。
紀を跨ぐ古つはものや生身魂
[其角(きかく)]
生霊(いきみたま)酒のさがらぬ祖父(おほぢ)かな
[支考(しこう)]
灯籠にならでめでたし生身魂
[一茶]
生身玉やがて我等も菰(こも)の上
・打ち上げ花火、揚花火(あげはなび)、仕掛花火というものは、立秋後の残暑の中でこそ美しいものである。結果としてその時期に多いから、そう感じているだけで、なんの根拠もないのかも知れないが、初秋の季語とされている。
・それに対して、線香花火とか手持ち花火とかは、晩夏の季語だという。これも俳人どもに尋ねれば、初秋には相応しくない、まさに晩夏の風情だと叫び出すには違いない。
・いずれ今日の花火は、戦国時代頃にヨーロッパから伝来したものがベースになっているのではないかと考えられ、江戸時代に入り手持ちも打ち上げも作られ、観賞されるようになっていった。
立乗りの手すりはいつの花火かな
絶の間に闇を奏でる花火かな
横顔はひとみにうつる夢花火
[包一(ほういつ)]
星一つ残して落(おつ)る花火かな
・雷は夏、しかし稲妻は稲をもたらす夫(つま)であることから初秋の季語という。こちらは当時の社会生活から自然に導き出された違いで、さもありなんとも思われる。
・稲光(いなびかり)、稲の妻、稲の殿(との)、稲交接(いなつるび)、稲(いな)つるみ、稲魂(いなたま)などと使用。
稲光古枝を落とす沼の奥
目の動く般若の面よいな光
[芭蕉]
稲妻に悟らぬ人の貴(たっと)さよ
[蕪村]
いな妻や浪もてゆへる秋津(あきつ)しま
[樗堂(ちょどう)]
はらはらと稲妻かかるばせをかな
[後藤夜半(やはん)]
いなづまの花櫛に憑く舞子かな
・今年初めての台風という訳ではなく、初秋になって台風ほどの強風の吹くことを初嵐と呼ぶ。特に山から吹き下ろす冷たい荒風の秋を告げるとき、人は初秋を知るとか。
初嵐朽ちた社(やしろ)よ歌枕
・ただの雷なら夏の季語。よって春雷(しゅんらい)とか秋雷(しゅうらい)とか寒雷(かんらい)と呼んで季節毎に表す。
秋雷一鳴あかり尽きたる村役場
[篠田悌二郎(しのだていじろう)(1899-1986)]
うき草にむらさきはしる秋の雷
・0.1mm以下から数センチほどの流星物質が高速で大気に突入して、大気分子と衝突する時に、プラズマ化したガスが発光する現象。流星物質そのものが燃えつつ進んでいるのが光っているという分けではない。特に明るいものを火球(かきゅう)と呼び、また特に多くの物質を残しつつ流れた流星の後には流星痕(りゅうせいこん)が見えることもあり、仄かに発光を続けることもある。
・流れ星、夜這星(よばいぼし)、星飛ぶ、星走る、走り星、流星痕(りゅうせいこん)、流星群(りゅうせいぐん)などなど。夜這い星は古くからの呼び名で、清少納言の「枕草子」にもその名称が登場する。
かの山をひとり越ゆるか夜這星
さよならとくちびるにふと流れ星
・二十四節気の一つ。立秋後15日目をさす。暑さが止むという意味だが、これは古代中国で二十四節気が定められた際の感覚で、今日の日本では場所も歳月も違ってくる。まだまだ暑い日が続くが、それでも処暑と聞くと、朝夕に感じる秋らしさに、処暑を感じるようになってくるのは、人の言葉に対する柔軟性のなせる技か、あるいは曖昧なルーズさを証明しているに過ぎないのか。
処暑曇りうすもの疎(うと)き林かな
・立秋以降の暑さはすべて残暑、暑中見舞いも残暑見舞いに変わるが、残暑の本当の意味は残酷なる暑さの略ではないかと思われるほど暑さが続く。残る暑さ、秋暑し、秋暑(しゅうしょ)など。
浜焼のいく人(たり)残る残暑かな
病床に残暑見舞いもなかりけり
[芭蕉]
牛部やに蚊の声闇(くら)き残暑哉
・平安時代の紀友則(きのとものり)が
吹き来れば身にもしみける秋風を
色なきものと思ひけるかな
(古今六条)
と読んだことから、秋風は「色なき風」と呼ばれるようになったという。その言葉もさらに、中国の五行説で秋風を素風(そふう)と呼ぶところから来ているという。
そのほおに色なき恋よ風まかせ
・今日では旧盆(8月15日)[正しくは月遅れの盆]が満月となるとは限らないが、旧暦では7月15日の盆は、秋に入って初めての満月であった。盆は満月にあたるところから、盆の満月を呼ぶ言葉。
いたづらにふらこゝ揺れて盆の月
[久保田万太郎]
盆の月ひかりを雲にわかちけり
[黒田杏子(ももこ)]
灯を消して畳に招く盆の月
・1945年(昭和20年)8月15日、アメリカに敗れた日本が無条件降伏をして、太平洋戦争が終結した日。正午に天皇の玉音放送が流されて、人々はその敗戦を知った。他に「終戦の日」「敗戦の日」、ダイレクトに「八月十五日」を季語としたりもする。国辱記念日の意識が皆無なのは、自発的なものか、あるいは飼い慣らされただけなのか。
「狂句」
敗戦さえ泥にまみれて異邦かな
敗戦の齣(こま)のフィルムも褪せにけり
・「盂蘭盆」略して「盆」とも。もともとは、サンスクリット語の「ウランバナ」の音訳にあるとする盂蘭盆会は、中国で精霊供養の行事として確立されたものが、7世紀頃に日本に伝来したものらしく、宮廷行事として平安頃には確立しており、やがてそれが、飢餓(きが)に悩む餓鬼(がき)が人々へ災いを投げかけるのを止めさせる「施餓鬼(せがき)」と共に、旧暦7月15日の行事となっていった。
・明治以後、新暦を採用し現在の7月15日に行う場合と、月遅れの15日、すなわち8月15日に行われる場合が多くなって、旧暦7月15日で行うところは、沖縄など限られた地域や、寺院などとなった。
・仏壇のある家では、盆棚(ぼんだな)を設け、茄子の馬、灯籠などを飾って、供物を備え、線香を焚く。特に前年に身内の亡くなられた家では、「初盆(はつぼん)」「新盆(にいぼん)」として、特に入念に祭ることになる。
盆として上に紹介してあります。
・飢えと乾きに悩まされる餓鬼(がき)。それに陥った霊をなだめ沈めるために、供養を行うもの。盂蘭盆会と結びついて、寺などで行事が行われる。
めちゃもての坊主に群れる施餓鬼かな
[桂信子]
鳥けものまはりに遊び川施餓鬼
・墓に参るのはいつでもあり得るが、特に盆の墓参を季語とする。その墓参りのために、草を刈って道を整えることを「盆道(ぼんみち)」と呼び、墓に参ることを「墓参」「墓詣(はかもうで)」「展墓(てんぼ)」と呼ぶ。また墓を掃除することを、「墓掃除(はかそうじ)」と呼ぶが、それなら「墓清め」でも良さそうなもの。
触れて名を唱え立ち去る墓参
[皆吉爽雨(みなよしそうう)]
ふるさとの色町とほる墓参かな
・いわゆる盆踊(ぼんおどり)のこと。さらには「踊子(おどりこ)」「ながし」まで盆の季語にされているのは、慣習的にはともかく、今日の歳時記としてはいかがなものか。盆唄(ぼんうた)なんて表現もある。
はやしつゝ酔ふてふらつく踊かな
[阿波野青畝(あわのせいほ)]
てのひらをかへせばすゝむ踊かな
[高野素十(たかのすじゅう)]
づか/\と来て踊子にさゝやける
・秋頃には、海の浅瀬、岸辺に入れ食いの鯊を釣ると、味が乗っていて旨いそう。水底近くで生活する底生魚で、汽水域の砂泥底に生息するマハゼを指すことが多い。「鯊舟(はぜぶね)」「鯊の竿(はぜのさお)」「鯊の潮(はぜのしお)」なんて季語もある。
鯊(はぜ)糸を釣るともなくてたらしけり
・「古事記」や「日本書紀」からも由来を探れる相撲は、平安時代には宮中行事として定着し、吉凶を占う神事ともなっていく。そのため公的行事として「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われた時節から、秋の季語となっている。角力(すもう)、すまい、草相撲など。
長(おさ)の来て名のる行司(ぎょうじ)や草相撲
・農作物を守るために、獣や鳥から畑を守る装置を、鹿威し(ししおどし)、鳥威し(とりおどし)などというが、その一種。稲穂の季節ともなれば、雀などの鳥たちがやってくる。それを撃退するために、板に多数の竹筒を紐で付け、ゆらせば音が鳴るようにしておき、これを縄につるすなどして、鳥が来たらカラカラと鳴らして追い払うもの。
・もともとは引板(ひきいた・ひいた・ひた)と呼ばれていた。また見守って紐を引く人を鳴子守(なるこもり)と呼ぶが、今はそんな呑気なことはしない。
[夏目漱石]
引かで鳴る夜の鳴子の淋しさよ
[中村苑子(そのこ)]
鳴子縄たはむれに引くひとり旅
白粉花(おしろいばな)、おしろい、夕化粧(ゆうげしょう)。蕎麦の花、花蕎麦。茗荷(みょうが)の花、花茗荷。西瓜(すいか)。禊萩・千屈菜(みそはぎ)、溝萩(みぞはぎ)、水掛草(みずかけぐさ)、精霊花・聖霊花(しょうりょうばな)。溝蕎麦(みぞそば)。大文字草(だいもんじそう)。
[芭蕉]
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな
[去来]
こけざまにほうと抱ゆる西瓜かな
[右城墓石(うしろぼせき)]
風呂敷のうすくて西瓜まんまるし
[伊藤通明(みちあき)]
冷やされて西瓜いよいよまんまるし
[稲垣(いながき)きくの]
みそ萩や母なきあとの母がはり
鶺鴒(せきれい)、石叩(いしたたき)、庭叩(にわたたき)、嫁鳥(とつぎどり)、恋教鳥(こいおしえどり)。荒鷹(あらたか)、網掛(あみがけ)の鷹。竃馬・竈馬(かまどうま・いとど)、おかまこおろぎ、いいぎり。飛蝗(ばった)、はたはた、きちきち。鮗・[魚+祭](このしろ)、小鰭(こはだ)、つなし、しんこ。鈴虫、月鈴子(げつれいし)、金鐘児(きんしょうじ)。つくつく法師(ぼうし)、法師蝉(ほうしぜみ)、つくつくし。
[高浜虚子]
鶺鴒のとゞまり難く走りけり
[松瀬青々(せいせい)]
あら鷹の瞳や雲の行く所
[山口誓子]
断崖を跳ねしいとどの後知らぬ
[松崎鉄之介(てつのすけ)]
品川過ぎいとど舞ひ込む終電車
[阿部みどり女(じょ)]
鈴虫のいつか遠のく眠りかな
[夏目漱石]
鳴き立ててつく/\法師死ぬる日ぞ
2008/8/10
2012/1/17改訂
2017/09/17改訂