言葉遣い、現代短歌の弊害その三

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言葉遣い、あるいは現代短歌の弊害その三

 こんにちは。これは数日前の追加です。さらにもう少し、言葉遣いについて考えてみようと思います。今の私には重要なことなので……

 「土佐日記より」
 やまと歌、あるじも客人(まらうど)も、こと人もいひあへりけり。唐詩(からうた)はこれにえ書かず。やまと歌、あるじの守(かみ)のよみける、

都出でて君に逢わむと来(こ)しものを
来(こ)しかひもなく別れぬるかな

となむありければ、帰るさきの守のよめりける、

白栲(しろたへ)の波路(なみぢ)を遠く行(ゆ)きかひて
我に似べきは誰ならなくに

 つまり、当時はこのような言語あったからこそ、このような言葉で和歌が詠まれたのです。もちろん、その時の言葉で詠まれたのです。そうして、実社会で使用されている言語であるということが、和歌の語り口調に不自然でない自然な統一を与えているのです。

 当たり前のことですが、言葉は文法を語るものではありません。文法は言葉を解析した結果をもとにして、うしろから特徴的傾向で分類したものに過ぎなくって、それ以上の価値など持たないのです。ですから、どのような言葉をどのように使用するかは、必ずしも文法があっていれば成り立つものではありません。折々の特徴的な文の運びの嗜好やリズム、慣習的表現など、様々なものが結び合わさって、初めて真実たり得るのです。文法はあっているはずの表現が、ほんのちょっと使われない間には、その時々の表現の嗜好によって、たちまち違和感を持った表現へと移し流されるのです。そのくらい、言葉の真実味とはデリケートなものなのです。

 ですから、その表現の正当性は、書き言葉にせよ、話し言葉にせよ、実社会において使用されているという事実によって、圧倒的に保たれるわけです。だからこそ、当時の和歌や文学作品を読んでも、(言葉さえ理解できれば)一つの作品のなかで、ちぐはぐの印象は受けないで済むのです。

 これが、もはやかなりの違いのある古語を、現代的言語生活から切り離して、一つの文法として再使用する時代になると、とんでもない捏造言語が誕生してしまう恐れがあるのです。局所的な文法はあっていても、全体の文の運びがまるで異なっているとか、挙げ句の果てに、所々に古語が織り込まれた、現代文の運びなどという、社会のなかで誰も使用したこともない文体が、謎のサークル専門の言葉として、生み出されてしまう可能性があるのです。

 もちろん、個人の自由が尊ばれる時代ですから、謎の言語発生センターが一つや二つあっても構いませんし、それを中止させることは、何人にだって出来ないわけですが、けれども彼らがもし、それを日本の伝統なのだと主張し始めたらどうなるでしょう。本当にあるはずの伝統を、スコップの裏側でひっぱたいて、ぼこぼこに殴り倒して、上から土をかぶせて、その上に奇妙な言語をちりばめて、伝統の一里塚として、君臨し始めたらどうなるでしょう。そうやって伝統が埋められてしまったのに、誰もそんなことには見向きもせずに、せっかく継承されてきた伝統を、ポイ捨てしながらいずこの国の、偽物一辺倒を極め尽くして、干からびてしまったらどうしましょう。滅びてしまったらいい。そんな国は世界においても、なにも益することなどないのだから。

 もちろん、それも一つの考えかもしれません。けれどもわたしは、そうは思いません。和歌の表現はもともとすばらしく若々しいものです。瑞々しいものです。断然格好良くって、オシャレなものだからです。古語なんかもてあそばなくたって、見事な表現媒体だからです。若者がもし服装や化粧に拘るならば、言葉にだって拘って、着こなすべきである表現媒体だからです。決して、情の干からびた、表現に乏しい、何ものかが屯して、古文にすらなっていない、文語体ともいえないような、伝統を蔑ろにした偽物の言語を弄ぶような、終末の芸術では決してないからです。

「奥の細道より」
 山形領に立石寺(りふしやくじ)といふ山寺あり。慈覚大師(じかくだいし)の開基(かいき)にして、殊に清閑(せいかん)の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢(をばねざは)よりとつて返し、その間(かん)七里ばかりなり。(以下略)

閑かさや岩にしみ入る蝉の声

 発句の言葉使いもやはりそうなのです。平安を正当とするのであれば、武士の世になって言葉の表現が乱れ始めて、文法がどうのこうのという訳ではないのです。(文学作品の執筆文体としての)この文体こそが当時には正当であり、多くの人に支持されていたが故に、言葉としての正当性、プロポーションが保たれているのです。そうして俳句における、「や」の感嘆詞や、「かな」などの言葉は、なにも純客観の中立的な「俳句のリズム」やら「俳句の切れ」なるものが存在して、永久に立派な切れやリズムという訳では、まるでないのです。今日の俳句の特徴的な表現は、その発生の時代においての執筆言語の正当性の中でこそ、もっとも効果的な、正当な表現であるにすぎないのです。だからこそ芭蕉や、蕪村や、一茶の句は、どれも形が整って、時代感覚にさえこころ合わせれば、違和感なく感じることが出来るのです。

 ところが文語体における変化要因もあってか、もはやその「や」「かな」が全体の調子に相応しくないのに、無頓着にリズムのためだけに取られる傾向や、そのほかの逸脱や新しい表現が増加し始めます。口語筆記の運動が、大きな役割を果たしたことは言うまでもありません。おおよそ二十世紀頃を活躍するような人たちの時代になると、おかしな表現がそこらじゅうに割り込むようになるのです。例えば同じ蝉の歌でも、

中村汀女(なかむらていじょ)(1900-1988)
おいて来し子ほどに遠き蝉のあり
「置いて来た子供ほどに遠い蝉があり」

山口誓子(やまぐちせいし)(1901-1994)
驟雨来ぬ蝉は両眼濡らし啼く
「驟雨が来た蝉は両眼を濡らして啼く」

 どちらも、現代文的な叙述を、古語で持てあましている時の、私たちが見てきた弊害に染まっていて、少し前の正岡子規なら見られないような、古語調の嘘くささが滲み出ています。恐らく古文に連なるくらいの文語調なら、

啼蝉の両眼を打つ驟雨かな

などと表現するが故に、古語調が生きるのであって、「~が、~で、~は、~だ」のような説明文は、完全に現代文の持って行き方なので、古語調がより偽物臭くなってしまうのです。

 なぜというに、和歌ならおおよそ平安時代頃に、俳句(発句)なら芭蕉の生きた江戸時代頃に、指標とされるべき黄金時代があって、現在の我々は、どうしてもそれをある種の基準として、文体の自然さも推し量ってしまいますから、なおさら無頓着にそこから乖離したものを捏造すると、嘘くささが倍増されるわけです。そうならないためには、二つのやり方があります。

 今現在の言語で創作を行うか、当時のやり方を踏襲するか。一方は今まさに正統な言語を使用することになり、もう一方は過去に正統であった言語を使用することになります。それを中途半端にまぜこぜにして、いつの時代においても真実でない、しかも社会的に熟れていない言語を使用し始めると、途端に偽物らしさに染まってゆくのです。

 そもそも、「驟雨来ぬ」なんて硬直しきった説明を、芭蕉なら脅されたって拒否することでしょう。それでいて、叙述過剰のために、かえって心情と結びついた俳句からは、遠ざかっているような不始末です。つまりは「両眼を濡らして啼く」なんて、馬鹿馬鹿しい着眼点を、どうにかして込めようとして、すっかり俳句が台なしになってしまいました。代わりにクローズアップされてくるのは、着眼点に示される驚くべき愛着と、恐ろしいまでの叙述過剰の傾向です。

(もっとも彼らの句にはすばらしいものもあります。)

 ただ俳句の救いは、十七字で終わってしまう、恐らく日本語の芸術としても、限界と格闘するほどの切り詰めたジャンルであるために、短歌のようにはぼろが出難いのです。ぼろがで出ないどころか、誰もがちょっとした名句を、江戸の調子で一作品くらいは、拵えうるくらいの詩形の短さなのです。季語で部分三句のうちの一句が埋まりますから、誰にでも優れた句を作るチャンスは、あるには決まっています。

(ですから、俳句の一句ごとの価値ははなはだ低いものです。ただ、連続して並べられたときは、驚くほどの優劣の差が見いだせることを知るでしょう。)

 こうして、次第に「や」「かな」が筆記にすら使用されない時代になると、「や」「かな」の用法が、芭蕉の頃のようには、自然には響かなくなってくるのです。もしここに一章を設けて、いつわりの「や」「かな」の用法を引き出してみたら、原稿にして百枚でも二百枚でも書けるくらい、枚挙にいとまもないことになると思います。それでいて金科玉条のように、「や」「かな」でリズムを取るようなことを、伝授している輩が、やはり俳句は俳句で、俳句式の謎サークルを形成していて、しかもこれは短歌式の謎サークルとは、また別のサークルだというのですから、ほとんど滅茶苦茶です。

 しかし先に述べたように、俳句においては、字数の少なさが究極的には、人々の表現力を削り取る方向に作用しますので、また、圧倒的に格言や警句に近い、言い切りの傾向が、「や」「かな」と親しいものであるがゆえに、無頓着に「や」「かな」を使用しても、あるいは大して学習などしなくても、うまい句がひょいと生まれてしまうという可能性があるのです。まさに夏目漱石が、もっとも軽便だと言ったのはその所にあり、一句の芸術性などと言うのはほとんど出鱈目に過ぎません。これに対して、短歌の長さにおいては、言語センスのぼろを隠し通すことは、一首のなかに置いてさえもかなり難しくなります。

 もしあるとすれば、沢山書かれた俳句の、総体としての結晶性でしょうか。これは名句が存在しないという意味ではもちろんなくて、ある特定の句をもって、その人の作品が優れているのか、偶然勾玉(まがたま)を発見しただけなのかなど、分かりっこないという意味なのです。

 もっとも、芭蕉に関しては、私は一句の価値を擁護したい気分に駆られますが、しかし、もし芭蕉の知られない名句が発見せられ、誰かがこっそりどこぞの番組に送ったとすれば、さっそく謎サークルの皆さまが、よってたかって添削を試みることは疑いありません。

 おそらく江戸時代頃の文語体は、古文の連続体のうえに成り立っていて、古文との親和性が保たれていました。けれども重要なことは、それが同時代に広く認められていた文体であったということで、「徒然草」だろうと「おくのほそ道」だろうと、同時代の文体とはまるで乖離した、それでいて完全な古文とも異なる、捏造言語を生み出して、それを使用して作品を仕上げていた訳では、決してありませんでした。

 もし芭蕉が、紀貫之の言葉遣いを完全に模倣したとしても、「おくのほそ道」のような傑作は生み出されなかったでしょうし、今日の文筆家が擬古文によって傑作を残そうとしても、(時代を無視する天才というものは常に存在しうるものですが)、おおかた失敗に終わるというのは、結局は、同時代的言語から乖離しているから、社会全体がおこなう圧倒的な言語の統合作用を、個人の力では、なかなか乗り越えられないからに他なりません。それは決して読み手がいないからではなく、古文愛好家の皆さまが拝見いたしても、やはり現代の文筆家の書いた擬古文は、なにか物足りないものに終わってしまう可能性が濃厚なのです。

(正しくは、「源氏物語」や「和歌」などの、平安時代の口語に乗っ取ったものを文語体の和文体といい。一方鎌倉時代くらいから漢文訓読体と和文体が歩み寄った文体を、和漢混淆文と呼び、「徒然草」などがその文体になります。その上、擬古文とは江戸時代の学者が生み出した和文復古の文体だそうですが、ここでは現在習われる古文文法によって、古文の和文スタイルを模(も)したくらいの意味で、この用語を使用していこうと思います。)

 そうしてそれは、文法を知っているなどという知識とはまるで違うことなのです。英語を闊達にしゃべれるようになった日本人が、英詩の達人になるということは、つまり、英語のリズムに情を載せて、彼らよりも見事に詩を表現するということは、能弁にしゃべれるということと、百万光年の開きがあるのです。付け加えておくと、日本人の発音というものは、お勉強熱心ですから非常にきれいであるらしいのです。ですから彼らは英語の先生には成り得るかもしれません。それでいて、あちらの詩人になるということは、まったく全く別の問題なのです。けれども、長年あちらで生活をしているうちに、現地の言語生活に飲まれているうちに、綺麗か汚いか、正しいか間違っているかとは別の基準、日常言語のなかでの、生きた言葉としての正当性を、次第に獲得していくことでしょう。その時こそ、あるいはその日本人は、すぐれた英語の詩を詠い得る可能性を手に入れたことになるのです。それは、社会のなかで刻々と形を変えつつある、言語生活に身を置いて始めてなされることなのです。

(外れた学習言語から逆説的にユニークなものを生み出してしまうような特殊例、および国際言語としての英語共通文化圏による作品の登場などは、もともと取り上げたこの例が比喩に過ぎないので、説明は加えません。)

 ですから、どうしても現代文の運びによる古文もどき(偽古文・にせこぶん、とでも命名されると思いますが)による、新たなる表現を目ざしたいのであれば、サークル内の人々が、交互に出鱈目の古語をもてあそぶことを止めて、それによって執筆をおこない、その言語を使用し続けて、彼ら全員で一つの言葉になるまで、交通言語による生活をしていらっしゃったならば、今のようなちぐはぐな、個別勝手のお姿ではなく、こなれた捏造言語が生まれてくるだろうと思うのです。そうすれば、私たちが読みたいかどうかは別として、別文化圏のまともな言葉となって、むなしくも継ぎ接ぎを繰り返したような、まがいものの古文の印象だけは、消えて無くなるに違いありません。

 古語調を排除しようという趣旨ではありません。ある程度整った擬古文にさえなっていれば、少なくとも学校卒業程度の古文知識で読んだときに、違和感を感じないくらいの表現にしてあれば、かえって平安時代の和歌の伝統に寄り添った傑作だって、歌えない筈はないのです。あるいは現代文との混淆(こんこう)にしたって、江戸時代くらいまでの文語体の運びや特徴を継承していれば、かなりの親和性を保つことが出来るに違いありません。それを、

今日私はリンゴが食べたいと思う

などと現代の叙し方そのままに、「けふ」だの「食はむ」などとするから、いびつなものが捏造されてしまうのです。つまり
「けふ私はリンゴを食はむとぞ思ふ」
などと記入してしまうから、皆さんが脳震とうを起こしてしまうような、変な表現になってしまうのです。



 しかし現代文においても、引用的用法として、効果的に使用することだって可能です。一例を上げるなら、いつもの雑誌から、俵万智さんの、

我が友はクリームコロッケ揚げており
なんてったって新婚家庭

 この歌は、

「わたしの友達はクリームコロッケなんて揚げておりますのよ」

といった、わざと改まって表現した冗談口調が、古文調を借りて効果的に配置されて、下の句の呼び水となって効果的です。つまり「揚げていて」という説明を、「揚げており」に置き換えることによって、本来は存在しないはずの言葉の意味ですが、いわば

「慣れないところを懸命に揚げていらっしゃる」

ような様子を表現している訳です。だからこそ「なんてったって」と下に続いていくのです。この「なんてったって」のひと言はかなりのファインプレーです。どうも彼女の歌は、貶そうと思って取りかかっても、感心してしまうのだからしかたありません。



 言葉というものには、歴史的なもの以外にも、特定の作家やら歌い手の、特徴的な表現というものもありますし、あるいは現代語に対する鋭いセンスがあれば、現代文に古語をふんだんに織り込ませることだって、実際は可能かとも思わなくもないのですが、それに自分の前にお送りした和歌に対して、申し開きが出来なくなる危険もあるのですが、とにかくあまりにも謎言語がひしめき合っている今は、まずはそのことを考えてみる必要があるのですから、これまでの姿勢を崩さずに、さらに考えを進めていきましょう。

 もちろん引用は、今回もすべてこの雑誌から行います。そこに意味がある筈ですから。そしてあら探しにならないために、ちょうどこの「コロッケ」の歌の両側を、まずは考察してみようと思うのです。

考察その一

右隣の歌(河野祐子・かわのゆうこ)(1946-)
落日に額髪あかく輝かせ
童顔のさとこさんが歩み来るなり

「夕暮れ額髪をあかく輝かせて
童顔のさとこさんが歩いてくる」

 まったくフォーカスの設定のない怠惰の叙述です。散文的なニュースです。詞書きの領域です。おまけに一分ごとに次々に生み出せるくらいの、くだらない落書きに過ぎません。第一、

「落日に額髪をあかく輝かせて」

という持って行き方は、完全に現代文丸だしの叙述方法です。おまけに「落日」「童顔」などといった、古典の和歌では絶対に使用しない漢語調を用いていますから、それだけでも安易に、和歌的な古語を用いると嘘くささが倍増することは目に見えているのです。

 そんな現代文的な叙述過剰を極めておいて、最後だけ「歩み来るなり」なのです。この「なり」はいったい何の「なり」なのでしょうか。断定の「なり」でしょうか。違います、断定の「なり」はこってこての現代文の後ろに、お菓子のおまけみたいにくっつけたりするものではないからです。かといって「コロッケ」の歌のようにフォーカスと一体になったユニークな引用にもなっていないため、いわば新聞の説明書きの最後に、不意に「なり」を付けただけといった様相なのです。特に「落日に額髪あかく輝かせ」と、くどくどしい現代文の(漢文読み下しの叙しかたとも異なる)叙述的説明を行っていますから、なおさら最後の「なり」がミスマッチになります。いわば、

「今朝七時五十分に上野駅で人身事故が発生したなり」

と真面目に話して、済ましているようなものなのです。もしこれが、はなっから冗談を意識して、それを効果的に表現しようという短歌であるならば、例えば、

叱られの真っ赤なほっぺを膨らませ
夕日のちかちゃん歩み来るなり

 開始の表現をちょっと和歌的にして、幼子の叱られほっぺに夕日の照らす愛らしい滑稽を、「歩み来るなり」と古語でたわむれて強調するようなやり方にすれば、ずんずんと迫りくるちかちゃんの様子を、「歩み来るなり」という非日常的な言語でもって戯画化した様相になりますから、まだしも意味があるかとも思います。しかし、ただ「~に~を~して」という現代文による説明に、気まぐれにフィーリング任せの古語を挟み込みなどしたら、それはもう誰が読んでも嘘っぱちの、独りよがりの文章に陥ってしまうことは目に見えています。

 平安時代の和歌は、誰しも口にしそうな語りつきで、言い得ないほどの表現を成し遂げるあたりに、生き生きとした古語の営みが息づいているのです。そうしてそれは、その当時は古語でなかったがゆえに、あれほど見事な表現を成し遂げることが出来たのです。

 あるいは「クリームコロッケ揚げており」においては、それが作中人物の戯れだと、自然に体得できることが、フォーカスにおいて生かされているがゆえに、「揚げており」が極めて自然に演出されるのです。混在が破綻されないのです。

 つまりは、

「落日に額髪あかく輝かせ歩み来るなり」

なんて表現は、いつの時代のいつの人間も決して語ることもない、もちろん黙して筆記することもない、かといって心理的効果を持って借用した訳でもない、無意味な現代文と古語との混淆であって、つまりはサークル内部でのおふざけとしか言いようのない、奇妙一辺倒の表現なのです。卓上の粘土みたいにもてあそんだ、偽物の言語です。スラングなんて問題にならないくらいの、著しい言語破壊活動です。

 しかも一句目はよりによって「落日」です。和歌に相応しくない漢語であるばかりではありません。前に見た「女体」と一緒で、歌い手の心情と結びついていません。続く叙述の調子を見ると、むしろ「夕暮れに」くらいが相応しいような文章です。簡単に言えば、戦前の知識人階級ならいざ知らず、現代人にとってすでに「落日」という表現は、日常的なありきたりの夕暮れよりも、もう少し特殊な意味を持つ表現に、つまりはあまり使用しない言語になってしまっていますから、(実は現代とは限らず、この言葉はそういう傾向を持った言葉なのですが)、後ろに効果的な文脈が続いていかない限り、そぐわない感じが出てしまうのです。そんな「落日」をもって始めてしまったものだから、「夕焼けの染めて」くらいならまだしも伝わってくるはずの色彩が、露骨に色を「あかく」と指定して表現したわりに、ちっとも効果的に伝わってきません。ただ説明があったという事実確認あるのみです。伝わってこないところへもって、下の句で何が起こるんだろう、やれやれと眺めていると、ただ単に、

「童顔のさとこさんがやってくる」

だけなのです。実に馬鹿げた内容ですが、それもただやってくるのではありません、

「歩み来るなり」

なのです。どこまで日本語をもてあそべば気が済むのでしょうか。誰からも注意を受けないからといって、まるで粘土をもてあそぶみたいに、言葉をこねこねするような失態が、許されていいのでしょうか。私は、ちっとも楽しくなんか無いのです。何だかむなしさで心が一杯です。今すぐにあなたの声が聞きたくなりました。その時だけが、私をこのようなやりきれないような憤慨から、わずかに救い出してくれる慰めなのですから……

 失礼しました。気を取り直して、「コロッケ」の左隣の歌を見てみましょう。

考察その二

恋人であらねばやさしき言葉もて
男友達を励ましている

 作者は梅内美華子(うめないみかこ)(1970-)とあります。下の句はどう見ても現代文なのに、「あらねばやさしき言葉もて」です。いったい現代日本のどこに、こんな言葉遣いをする人がいるのでしょうか。

「男友達を励ましている」

まったく現代文的な、ありきたりの事実提示の叙述です。喫茶店で彼女たちが、説明して何の差し支えもない言葉遣いです。

「あらねばやさしき言葉もて」

 そんな彼女たちが、絶対に使わない言葉遣いです。これでは同じ情景内で、違った種類の言葉をまぜこぜにして、例えば二つの方言を織り交ぜて、詩情を破壊しつくすことが目的の、短歌崩壊を模索しているようなものです。それでいて、また順番にニュースを並べただけなのです。

恋人でないならば優しい言葉をもって
男友達を励ましている

 ここにもやはり心情はありません。着眼点がすべてを規定しているのです。つまりは「恋人でないからこそ優しい言葉でもって」という着眼点を、ユニークなものとして歌いたくってしかたがないというような思いしか、この叙述からは伝わってきません。しかも上の句だけが古語を継ぎ接ぎするのです。まだしも、

かりそめの恋人色した仕草して
男友達を励ましている

くらいで済ませたほうが、どれほど自然だか分かりません。しかも「恋人でないなら」なんてくどくどしい説明で出発します。これは詞書きに記すべき散文的なニュースに過ぎません。またこれが、「コロッケ」のような効果的な引用にならなかった点も、この無駄な説明文にあります。もしも、

大嫌いだったらやさしき言葉もて
男友達を励ましている

くらいなら、少しは「やさしき言葉もて」にからかい風の引用の意味がこもるかも知れません。

「恋人であらねばやさしき言葉もて」

そもそも、これはいったい古文なのかどうか、

「恋人でなければ優しい言葉をもって」

 やはり、現代文の運びをもって古語をもてあそんだだけなのです。ただリズムの面白さだけを取ったという、好意的な解釈も上の句だけなら出来るかも知れませんが、下の句はやはり実に詰まらない叙述的現代文に過ぎないのです。もちろん、年配者だって同じことです。なぜなら、

恋人であらねばやさしき言葉もて
男友達を励ましている

なんて言葉遣いは、数十年前にも、数百年前にも、存在しなかった偽物の言葉に過ぎなのですが、

かりそめの恋人色した仕草して
男友達を励ましている
(かりそめを糾弾なさる方があれば、
「いつわりの」くらいで代用ます)

 これは単なる現代文ですから、高齢者だって、テレビやら新聞で、しばしば見聞きする言葉遣いだからです。それを、何も知らないばかりと、ものの見事に騙されて、奇妙なサークル言語を、美しい日本語として教え込まれて、しかもご自身で判断することすらなく、無頓着に教育されてしまうものですから、言葉をもてあそんだようないびつな粘土の塊が、ぞくぞくと雑誌にお目見えしてしまうのです。

 あるいは、それがいちど快楽になってしまったら、もう二度と手の施しようが無いのかも知れません。そうであるならば、これから短歌を始める若い人たちにだけは、このような馬鹿げた弊害から救出するための、優れた和歌と見識とが必要なのではないでしょうか。そうして、若者が新しい継承をさえ始めれば、謎サークルの大部分は先に滅んでしまうことでしょう。彼らのいびつなる作品は、記録には残されるものの、誰の記憶にも残らずに、誰の好奇心をも刺激せずに、明治あまたの月並み短歌とまるで同じように、綺麗さっぱり消えて無くなってしまうことと思われます。

 もちろんそんなサークルにしたって、せっせと彼らのジュニアを養成して、この

「あらねばやさしき言葉もて」

の作品も、あるいはその結晶の一つかとも思われるので、なかなか大変な道のりかもしれません。私一人でどこまで出来るかは分かりません。そのうち諦めて、押し黙ってしまうことになるかも知れません。出来ればあなたにだけは、傍にいていただけたらと思います。そうでなければ、私には味方が一人もいなくなってしまいますから。



 失礼。話を戻しましょう。私は、無頓着に「歴史的仮名遣い」をもてあそぶ傾向についても、違和感を感じます。それは過去において、過去の文体において、正当な執筆方法であったのですが、今日一般人の日常使用する執筆方法ではなくなった上に、現代文の叙述の傾向が、歴史的仮名遣いと綿密に結びついた時代の、(つまり二十世紀前半頃ではなく、もっと遡ったところの)、文語調の叙述法とは大きく異なってしまいましたから、なおさら現代文のなかに突拍子もなく紛れていると、ぱっと見の不自然な印象があるからです。

 皮肉なことに、こうした記述方法が、かえって古語調・文語調と一体であるかのように思われてしまうという傾向が、実は単なる執筆方法であるにも関わらず、現代文にしたときの違和感をあおり立てています。これは、ある時に記し方を改めた結果として起こった、社会的な違和感で、誰かが理屈を唱えてみたからといって、どうなるものでもないのです。違和感を無くしたいのであれば、もう一度歴史的仮名遣いをこそ、日常的執筆方法に戻すだけのことで、するとたちまち今度は現在使用されている執筆方法が、嘘くさくなってしまうことでしょう。

 これは理屈ではどうしようもない、社会的な感覚なのです。ですから、一般の大部分の社会人にとっては、違和感を覚えるほうが当たり前なのです。学校のお勉強をしたくらいでは、ちょっと古文を楽しむくらいでは、到底反転し得ないくらいに、日常接する仮名遣いの量が圧倒的に違いますから。ですから、違和感を覚えるほうが正常な反応なのです。それが誰によってなされたものであろうとも、もはや新しい書き方に置き換えられてしまったからです。

 ごく当たり前のことですが、「歴史的仮名遣い」そのものは、書き方の問題です。それ以前には、現在使われている「思う」という言葉を「思ふ」と記した、「ちょっぴり」だって「ちよつぴり」と記された、ということに過ぎないのです。ただその時に、「思ふ」を「思う」と記すことが定められただけのことで、何もその瞬間に話し言葉が変わった訳でもなんでもないのです。それに新聞などの文語調の破棄が加わるのですが、そうなる前から、文学などの筆記はもうずんずん口語調に置き換えられていましたし、さらに文語調自体が、古文と連携を保てないような、亀裂が生じていたように思えるのです。あるいは先ほどの俳句の例も、そうした一例に加わるかも知れません。

 つまり歴史的仮名遣いについては、その時までの短歌は、それが共通の記述の決まりであったから、それを使用していたのであって、それが破棄された後の、今日の現代語において、現代文的な運びによる文体において、無意味に「ゐ」や「ゑ」を用いたり、「思ふ」などと記しても、それはかえって嘘くささを増幅させるばかりで、やはり美しい筆記法とは見なし得ない、時代錯誤のものになってしまう可能性が高いのです。だって文の運びが、古文ではないのです。そうして「歴史的」などという名称のように、今の私たちにはむしろ、それが古文的な筆記方法と錯覚される傾向が、年代ごとに高まっているのでは無いでしょうか。そうだとすると、なおさら現代文の歴史的仮名遣いが、古文から類推して、おかしなものに感じられてしまうことになるでしょう。

 もっとも、書き言葉の問題は、結局は語られた時に、歌われたときに命を吹き込まれるべき和歌にとっては、二次的な問題のようにも思えますし、すべてが歴史的仮名遣いで書かれている文章だって、私自身はそれほど気にはならないのですが、しかしむしろ問題は、それを使用するかどうかではなく、和歌だけは、あるいは俳句だけは、「歴史的仮名遣い」を使用するべきだとか、使用した方が優れているなんて、本気で教えているような人々が、二十一世紀にもなって、まだ存在しているらしいということなのです。そうかと思えば、

恋人であらねばやさしき言葉もて
男友達を励ましている

のように「ゐる」が破棄されているような短歌が、大量生産されたりと、サークル内部でさえも、統一した見解すら出せないで、しかもそれは、一般人とは何の関係もないといった不始末なのです。

 「歴史的仮名遣い」なんて、まずは古典に親しむために、読めればそれでよいのです。それでいて、たとえば古典的な作品を模(も)して、擬古文でもって作成された歌などの場合に、必要であれば使用すればいいだけのことなのです。これをもって記すということは、短歌の必修条件にまるで関わらないのです。まして現代文丸だしの作文を、体裁だけ歴史的仮名遣いにすることは、これまで見てきた偽りの古文のまがい物と同じことで、いつの時代にもありえない、捏造筆記術に過ぎないのです。つまりは今わたしが記している現代文を、まるごと「歴史的仮名遣い」に変換したからといって、擬古文とも何とも関わりを持たない、読みづらいだけの現代文が生み出されるばかりなのです。どうしてもお望みなら否定はしません。ただそれは、社会一般から見たら、はなはだしいお遊び筆記には違いなくって、それによって古文調になるわけでもなんでもないのです。

まとめ

 また、脱線してみます。

 わたしは小学生や中学生が、俳句や短歌を、謎の古文を織り交ぜて記しているのを見ると、ぞっとするのです。現代文の作文の、部分部分を古語に変えたり、歴史的仮名遣いを使わせたり、一つの文章としての詩情を破壊しつくすような、とんでもないことを平気で教えて込んでいる、つまりは情と表現との結びつきという、詩にとって最も大切な事柄を弁えないような教師たちが、どこかに存在しているのです。

 なぜあんな無茶苦茶なことをさせるのか。私には理解できません。俳句も和歌も柔軟な受け皿です。現代文は穢れに満ちていて、古語は優れている訳でももちろんありません。そしてあらゆる詩は、その時に使用されている言語においてこそ、もっとも正統的に、情と結びついた形で表現されることでしょう。そうしてそれらの詩形は、古語のお勉強のために生け贄に捧げられた、屍のフォームでは決してないのです。生きた現代文の詩作のための受け皿なのです。つまり古文が伝統である以上に、その詩形そのものこそが、大切な伝統なのです。

 子供に短歌や俳句を作らせるのであれば、まずもって現代文によって、優れた作品を作れるように教えなければならないのです。中途半端に古文なんか介入させることは、しないほうが良いのではなく、してはならないのです。心情を、表現へと結びつける、橋渡しのうちに、和歌の意味の本質が籠もるのです。古文の調子に籠もるのではありません。そうして心情を、定型の中に織り込んで抽象化させること、次の段階ではさらに比喩やら倒置やら、序詞やら掛詞やらの技法を、面白おかしく取り入れて、その抽象の幅を広げてみること、そうやって表現のコツさえ掴んだなら、和歌ほど面白い定型詩のジャンルも、そうはないくらいなのです。その一方、過去の歌は、過去の歌として、そのままに覚えさせて、注釈を加えればよいのです。古文を覚えさせることと、詩を生みなすことを、無頓着に一緒にしてはなりません。そうして短歌においては、その受け皿のなかに言葉を織り込むことが第一義であり、古文を用いることは、その一大事に比べたら、ほんの周辺的な事柄にすぎないのです。つまり伝統の一番の本質は、偽物の古文を拵(こしら)えることでは無いのです。そのプラットフォームを使用して、誰もがすらすらと新たな表現を続けられるとしたら、それこそ本当に、伝統が継承されていることになるのです。

 そうやって、現代文の優れた作品さえ作れるようになれれば、奇天烈なサークル言語を捏造して、現代文だか古文だか、意味不明なものを作るような馬鹿らしさから、どれほど自由になれるかしれません。そうやって現代語の短歌の面白さを学んだところで、古文は古文として、過去の伝統を教えていったら、かえってどれほど多くの子供たちが、古典の和歌への関心を深めるかと思うばかりです。

 とにかく、子供のようやく作り始めた現代文による詩作のはじめの一歩を、詩情の欠けらもない謎サークルの捏造言語で、台なしにして、和歌嫌いにさせることだけは、やらないで欲しいと思います。そもそも、現代文の構図のままに古語を加えることは、擬古文でもなんでもはない、出鱈目の言語なのですから。



 これはもちろん、擬古文をやるなという意味ではありません。特徴的な時代がかった表現が相応しいこともあるでしょう。また慣習的に現在でもあまり違和感のない古語調もあり、またフォーカスの持って行き方で、うまい表現だってあるでしょうし、「美しい」が「美しき」など、より多くの人々に認められる表現だってあります。さらに踏み込んで考えれば、一人の特異な能力が、違和感を凌駕してしまうことだって、じつは無いとはいえないのですが、けれども今は、そういう事例は考慮に入れないで、無頓着に古語調を織り交ぜる事についてのみ、話をまとめることにします。

 それを、どうしても採用したいのであれば、ちゃんと古典を勉強して、徹底的に吸収して、少なくとも大学生くらいまでの古典勉強程度では、変だと感じられないくらいの歌にしなければ意味がないのです。古文というものは、特有の文の運びかたと一体になっているのです。それを現代文の叙述方法のまま、動詞やら形容詞の部分を古語に置き換えたって、それは古文でも何でもでもないのです。現代文のグロテスクなパロディーに過ぎないのです。

 つまりは、無頓着に現代文に古語をごちゃ混ぜにして、捏造文章を弄ぶのは、文化的活動から考えれば、芸術活動からはもっとも遠い、ふざけたお遊戯には違いないのです。そのお遊戯を振りかざして、伝統とほざいてみたり、人様に伝授を企てて、それと同時に金銭を巻き上げたり、サークル言語ばかりを集めた雑誌を売りさばいたり、句集や歌集を販売して書店に並べるようなことは、自らの良心に照らし合わせて、なさらないほうがよいかと思うのです。あまつさえ、執筆者の情を蔑ろにして貶めるような、無茶な添削をメディアに発信しないほうがよいかと思うのです。私はあるときテレビ番組を回していて、そのような現場に遭遇して、ぞっとしました、

「若者じゃあなかったんだ。彼らの群がるいつわりの伝統とやらが、この国の美的センスを台なしにしているのではないだろうか」

中世ヨーロッパのある批評家だったら、そんな言葉を書き残したに違いありません。

 こんな悲惨な有様では、無頓着に教育者の言葉を正当と思い込んでしっぽを振りまくる「従順なる優等生」以外は、若者たちが和歌や俳句に関心を示すことなどあり得ようはずがなく、伝統的な和歌の世界は、言語も詩情も何もかも、サークルの住人に身ぐるみを剥がされてしまって、ただの干からびきった無意味なものをワビ・サビと履き違えたり、(鉄や鉛といった無機質のほうが有機質である枯れ草よりもワビサビの極致とでもなるのでしょうか)、古文でも何でもない「かな」やら「なり」で讃え合っているうちに、しわくちゃになって腐臭の最後を迎えることになるでしょう。けれども、いったい、何のために?



 どうかあなた、たった一人の味方であってください。僕は頑張って、すべてを語りきらなければなりません。それでブーイングがなされようと、あるいは黙殺されようと、語りきらなければなりません。そうでなかったら、せっかくの伝統が、まるで環境破壊のダム工事の犠牲になるみたいに、ぶくぶく沈められてしまうことにだって、なるには違いありません。景観を無視して、なんでもコンクリートで固めてしまうのです。景観もまた継承すべき事柄だったというのに。そして私の生まれた古里も、いたるところが張りぼてのような、羞恥の景観にさせられてしまったのです。それと同じような精神で、言葉までもてあそばれたのでは、私たちはもう、未来へ継承すべき正しい伝統は、なにも無くなってしまうのではないでしょうか。

 けれども、ひとり歩きは辛いものです。あなたさえ味方であってくださったならば、僕はどんなことだって乗り越えられそうな気がするのです。いつかもっと、優れた作品をあなたに捧げたいと思います。今はこれが精いっぱい。

日だまりも風さえ小春と呼ぶ頃の
うたうふたりにはるかなる夢

お休みなさい。

(二〇〇九年八月十二日)

2010/2/21
2010/3/1改訂

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