マティーニ論争

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マティーニ論争

口答えしたら返してやるさ
罵り合うように見えたって
お前と俺とは長い小径を
楽しく歩いてきたっけな

 髭の豊かな爺さんが、ホイリゲの初夏ののどかさを、宵の暖色ランプに見守られながら、手拍子リズムに唄ってる。楽器も何もないが、店のちょっとした名物だ。もちろん店員じゃない。ただの近所の爺さんである。

 砂金を隠し色に溶かし込んだような白ワインが、テーブルに並んでいる。去年取れたワインだから、深みはないが瑞々しい。遠くからシュランメルの楽団演奏が聞こえてくるのは、爺さんが唄を止めた時だけである。天井から庭園までランプをかざして、かなたの闇へと帰すような店作りだから、外気からテーブルの木目までが、すがすがしいくらいの渾然一体である。ヴィーン郊外は、唄声の居酒屋さえ静けさが勝るらしかった。

 三人の青年が、とはいってもすでに三十過ぎかも知れない。気さくな服装で、窓辺にワインを楽しんでいる。この店は赤ワインで煮込まれたチキンがうまいから、いつものようにテーブルに置かれている。チーズとそれから肉の燻製も盛られていたが、デザートだけはまだのようだ。ホイリゲワインだからジョッキ呑みである。どうやら、唄が終わったので、話を始めたところらしい。何でも少し前に、日本のサラリーマンと商談をしたときに、あまりにも無趣味に韜晦(とうかい)を極めるので、今ごろ糾弾しているらしかった。三人とも日本の文化に興味があって、知識を詰め込んでみたら、実際の日本人としゃべってみると、伝統のことについて、あまりにも無知なのに驚いて、日本は好きだが、日本人のサラリーマンは最低だという結論に達しつつあるらしい。

「それがよく聞いてみると、すっとぼけているんじゃなくて、お定まりの悟りの精神なんだ。いいんですよ。私はすべてを許容しますって具合でさ。まったく嫌になっちまう」

 背の高いジーンズの白シャツが、気さくなヴィーン訛りのドイツ語でしゃべっている。すると水色じみたポロシャツが、太り気味のずんぐり体型を、木造の椅子にもたれ掛からせながら、

「まったく、あの許容はたちが悪りいぜ」

と答え返した。残る一人も気さくな格好だが、白シャツほどには痩せていない、ポロシャツほどには太っていない。日本でイケメンとか呼ばれる顔に最も近いようである。しかしそんなことは、この際関係ない。茶色の髪がちぢれ毛っぽいから、詳細は抜きにして、ここではちぢれ毛で済ませてしまおうか。

「そんなものかな。ちょっと話してみたい気がするけど」

 ちぢれ毛はサラリーマンとは無縁らしい。

「会わねえ方が身のためだぜ」

 ポロシャツはだいぶ口が悪い。ドイツ語口調だから、どう悪いのか説明がしづらいが、とにかく悪い。もっとも短気なだけで性格は善良そうだ。白シャツの背高ジーンズがまた、

「つまりは、すべてを、どちらでもないで済ませてしまうのさ。そのうちウーティスとか自己紹介をし始めるかも知れない」なんて言っている。

「自分は誰でもございませんってか。だが、それでいて、いつでもソロバンを弾いてせこせこしていやがるぜ」とポロシャツが答えると、

「なんだい、ソロバンって」なんてちぢれ毛が言ったもんだから、

「なんだと、ソロバンを知らねえだと」

ソロバンを知らないために、さっそく二人から糾弾されだした。日本文化のもぐり扱いである。ハヤオだけじゃ駄目なんだぜなんてからかわれている。それからしばらくは、取引のことについて、話しを続けているらしかった。

 唄好きの爺さんは早飲みを済ませて帰宅するようだ。三人も軽く手を掲げてみせた。それで別れの挨拶である。爺さんの足音の遠くから、ヴァイオリンの懐かしい響きがする。表へ開けた店作りだから、なおさらそう感じるのだろう。楽団はアコーディオンと、ギターと、ヴァイオリンの音がミックスされた独特の編成だから、ホイリゲにはよく似合っている。シュランメル兄弟の直系を自認するだけあって、その演奏はヴィーン訛りにうまかった。しかし遠い響きである。

 三人はそれには関心を示さず、奴らサラリーマンのいわゆる許容の幅について、盛んに議論を進めつつあった。

「いいや、違うな。そもそも俺たちだって、議論がもとで年中喧嘩している訳じゃないだろう。相変わらずうまくやっている」

白シャツのジーンズが中心を勤めている。

「あたりめえだ」

そう答えるポロシャツは、あるいは相方だろうか。するとちぢれ毛は、ぼけ役なのかも知れない。人間の会話なんて、驚くほどステレオタイプから成り立っている。これは人種や小説にも限ったことではない。

「こうやって、十年以上、一緒に飲んでいるくらいだからなあ」

ちぢれ毛が、人差し指で茶色の髪をもてあそんだ。ちょっと女っぽい仕草だが、顔立ちが中性的だから、かえって格好良く見える。

「だからさ」白いシャツは淡々としてそつがない。

「だからなんだ」太り気味のポロシャツは、ちょっとせっかちである。

「俺たちの議論というものは、討論自体を目的として初めて成立するものだ。もちろん主張をぶつけ合うから、行きすぎが仲違いを誘発することは、奴らよりはずっと多いかもしれない。しかし、喧嘩を目的としてやっている訳じゃない」

「当たりめえだ」

「そうでなくっちゃ。僕らなんか、とっくに別れているよ」

ちぢれ毛は口調までゆっくりだ。鷹揚タイプである。

「そうだろう。たとえばここにマティーニがあるとする」

白シャツがホイリゲのワインをかざしてみせた。

「さっそくまた始まった」

茶色の髪が答えると、ポロシャツもにやけ出す。

「おいおい、マティーニ論争じゃねえのか」

「ジンとベルモットの量をどうカクテールするかって」

二人が釣り込まれてきたので、背高の瞳が輝きを増したようだ。

「そう。俺たちはいつだって盛んに主張し合うのさ。そうしてこの三人、マティーニについて意見が噛み合った試しはない」

「いつも不思議なくらい、食い違うんだからね」

「だから、面白れえんじゃねえか。全員一致じゃ、定義の存在すら必要ねえ」

「そうそう」なんてちぢれ毛が相づちを打ちながら、

「いくら僕らにしたところで、カクテルの黄金比率が天の摂理に存在して、それ以外のマティーニはにせ物だなんて、内心思ってないしね」と後を継いだ。

「もっとも、議論では、そう主張するがな」とポロが茶化しに掛かるから白い方が、

「それはそうだろう。主張はするものの、科学的に脳の仕組みや個人の嗜好を解析したら、摂理なんて通用しないことは知っている。その上で、真剣に議論しあう」

「そんなことはねえ。俺様のマティーニが一番に決まっていやがる」

「駄目だなあ。少し落ち着きなよ。今は議論が違うんじゃないのかな」

「そうそう」

「悪りい。さっさと先を続けてくれ」

白シャツはようやく頷いた。

「なぜかといえば、カクテルくらいにしたところで、さまざまな嗜好にせよ意見にせよ、互いにぶつけ合ったところに、普遍とまではいかないものの、ある種の個人を越えたイメージが形成されてくる」

「そうかなあ」

ちぢれ毛が騙されたような不満をみせるが、背高のっぽは取り合わない。

「そのイメージは、唯一絶対の理想ではないものの、議論を尽くした、人々の妥協点としての様相を濃くすることになる」

「おっと、分かったぜ」

ポロは短気なだけに飲み込みが早い。代わりに早とちりも多いのが彼の難点である。

「つまりこう言いたいんじゃねえのか。俺たちの議論は、政治にしろ芸術にしろ、そうしたイメージを生み出すための、ある種のプロセスに過ぎなくって、一見殴り合っているような場合でも、実は共同作業に精を出しているにすぎねえって」

「ご名答」

ちぢれ毛が納得しないので、白シャツは彼の方へ向き直った。

「いいか。ここにマティーニがある。これはそもそも人が作り出したものだから、その定義は人がつけなくちゃならない」

「いまいち分かりにくいなあ」

「もしこれに定義をつけないで、どんなマティーニでもその人にとってのマティーニで結構ですと言ったら、どうなるだろう」

ちぢれ毛はようやく頷いた。

「ああ、分かったよ。その瞬間に、マティーニはマティーニでもなんでも無くなってしまうっていう訳だろう」

「だから、一見あなたの主張は認めます、別の主張も認めますなんていうのは、寛容の精神に満ち溢れた有徳の士に思えるけれども、その実なんの定義もつかない、ひどく曖昧な社会ということになる」

「なるほどね。好きなものを好きなように飲むのは構わないにしても、何でも結構じゃあ、もうマティーニという言葉の存在意義が無くなってしまう訳だね」

 ちぢれ毛がようやく納得すると、入り口の方ががやがやとなって、中年の夫婦が入ってきた。お久しぶりといったジェスチャーで、三人に軽く手を振っている。双方とも馴染みの常連らしい。「グーテンアーベント」なんて挨拶をしながら奥の席へと座り込んだ。庭先では、ランプもどきの電灯が、風に吹かれて揺れている。

「そんな話しなら、俺もいいのを知ってるぜ」

ポロシャツが、ようやく会話を奪い取った。白シャツが相方にまわったようだ。

「話してくれよ」

なんて答えているが、ちぢれ毛はいつまでたっても回り役のままだ。討論におけるちぢれ毛のキーパーソン的役割を述べよ。そんなテストがあったら面白いかも知れない。

「ほらよ。デュシャンの便器とか、ケージの四分三三秒とかあるじゃねえか」

「あの前世紀的なお騒がせの芸術作品か。僕はあまり好きじゃないなあ」

ちぢれ毛は穏健主義である。美男子はそれでいいのだ。

「お前は保守派だからな」

「うん。保守派はいいものだよ。保守党こそ政治の常道さ」

「なんだと。そんな邪道があってたまるか」

とさっそく話しがこじれてくる。白シャツは話題を続けたかったから、

「まあ、それは横に置いて」

と釘を刺した。

「そうだった。それはこっちに押しのけてだ。かの作品群を、奇しくも俺たちは三人とも嫌っている訳だが」

「当たり前さ」

「俗物の異臭が感じられるよ」

「まあ、それはまたの機会だ。とにかく、デュシャン派の主張はこうだ。いかなる大量生産の既製品だろうと、劣等なものだろうと、飾られる場所、飾った人物によっては芸術作品になり得る。そうした過ちをお前たちは犯すものだ。何、信じねえだと、俺はデュシャンだぜ、いい度胸だ。ためしにこいつを作品として掲げてやるぜ。どうだ、ほら見たことか、ざまあねえぜ、やっぱり踊らされやがった。さっそく芸術作品だと、崇める奴らが出てきやがった。つまりは、そう知らしめるところに、デュシャンの便器は存在するってわけだ」

「無意味だよ。そんなこと言ったら、美術館にあるボールペンは、床に落ちている以上はただのボールペンで、飾ってありさえすれば百万ドルのボールペンになってしまう。そんなレトリックのために、そもそも作品なんて必要ないじゃないか」

穏健派の本領を発揮して、ちぢれ毛がおおいに憤慨する。

「まあ、待ちやがれ。これは美術の議論じゃねえはずだ」

「そうだっけ」

 もともとは許容についての議論だったような気がする。白シャツは黙ったままの目線で、ポロに先を続けさせた。議論においては、大した役者らしい。

「一方で、ケージのピアノ曲は、音を閉ざした途端に、周囲の、内面の、あらゆる音楽が溢れ出て、心に響き渡るこの切断面こそが、作品としての価値を咲き誇っていやがる」

「そんなのあり得ないよ。口先のペテンだ。とんだ煙巻(けむま)きだ」

たちまち、ちぢれ毛が真っ赤になった。馬鹿にされたような気がしたからである。

「確かに、説明を要する説教は、逆を返せば言葉だけで十二分の価値を持つ。それをあえて作品にするなんて、エゴが肥大しすぎているかもしれない。俺たちの信奉する、古き良き時代の大和魂にはそぐわないんじゃないかな」

なんて、白シャツが冗談にジョッキを掲げてみせた。

 大和魂は近頃、彼らのお気に入りである。もっとも、西洋人の把握するところの大和魂だから、本物の大和魂とは大いに違っている。だが、そんな事は知る由もないから、たちまち、ポロシャツも同意して、

「そりゃそうだ。石ころにだって美的価値はある。誠に結構なお話じゃねえか。だが、あらゆるものに美が充満しているにしたところで、眼下の巌をアートと宣言した以上、逆にミケランジェロの生涯を賭した作品もまた、石ころ同然だと宣言したことに他ならねえんじゃねえのか」

なんて答えるうちに、大和の許容の話しからぐんぐん遠ざかっていくらしい。

「そうして、わざとそう宣言して、アートへの議論を復興させたところに、デュシャンやケージの作品の、比類なき価値は籠められるというわけさ」

なんて白シャツがからかってみせると、ちぢれ毛が大いにテーブルに乗り出してきた。

「もしそうだとしても、そんなの口で説明すれば十分だよ。作品である必要性がない。もしそれを作品だと認めたら、便器を割っただけでも莫大な損害賠償を課せられるとしたら、あまりにも惨めな滑稽じゃないか。まるで呪術時代の太古の石器人だよ」

その憤慨があまり面白いので、とうとうみんな笑い出した。

 窓辺からちょっと風が吹いてくる。遠くの方で合奏が鳴り止んだ。わずかに拍手が聞こえてくる。そのうち、こちらにも流して来るだろうか。白シャツが、ワインを片手に、

「だから俺たちはそれを、芸術のあり方を問い直した意見としては尊重するが、アートの自立した作品としては安易に信任しない」

とまとめてみせる。

「当たりめえだ。そんなもん、平然と受け止めちまったら、石ころだって同じになっちまう。議論の余地すらこの世からなくなっちまうぜ」

「するといわば、彼らの作品は、その境界線を知らしめるために、極めて有用な芸術的価値を持つことになる」と白シャツがいじわるを述べるから、

「反対、反対、そんなの叙述的トリックだよ」

ちぢれ毛がブーイングを返してくる。いつの間にか、話し始めのポロシャツは、背高にまとめ役まで奪われてしまったらしい。会話に熱中してるので、自分では気づいていない様子である。しきりに同意して頷いている。今度はちぢれ毛が、

「そんなやり方を認めたら、最後にはきっと、高等なものも、下等なものも、すべてが同一線上のアリアみたいになってしまうんだろうね」

なんて締めくくった。中々面白い例えなので、白シャツがそれを繋ぎたくなってくる。

「さて、それでは、これを本題へと帰してみよう」

 ポロがよせばいいのに、また肉なんかに手を伸ばしているものだから、彼の提唱した会話は、完全に背高に奪い取られてしまった様子である。

「つまりはそのような同一線上のアリアを、彼ら日本のサラリーマンとやらは、平気でカラオケに唄いまくるわけだ。たとえば無音の音楽なんて言葉を、極めて当然のこととして認めたあげくに、ほほ笑みで満たして済ませてしまう。何しろ彼らは、百パーセントジンしか入っていないマティーニだって、それがあなたのスタイルですかなんて、受け流せるような連中だから、どんな言葉だって、悟りの精神で認めてしまうには違いないんだ」

「そんなやり方で、うまくいくのかな」

ちぢれ毛はなんだか不安になってきた。本当にそんな寛大な国家があるだろうか。白シャツが笑い返した。

「定義をつけない社会というのは、感覚的に同種の人間で成り立っている場合には、極めて居心地がいいものだ。何しろ、相手を認めたとしても、自己の信任を脅かされないものだから、理屈もなく好きとか嫌いとかで済ませても、相手の主張に蹂躙されることもなく、相互に不信が起こらないのさ」

「それじゃあつまり、多少主張が食い違っても、相互に脅かされないくらい、同種的傾向を極めているってわけかよ」

「ちょっと待ってよ。そんなことがもし可能なら、かえって僕らより賢いんじゃないの」

ちぢれ毛が興味を示す。けれどもポロシャツは、

「俺は嫌だぜ。そんな社会は」

と呆れ果てた。

「それでは諸君、改めて問題提起をしてみよう」

 さっそく白シャツが名乗り出る。二人ともまた始まったかいう表情で笑っている。少し向こうでは、さっきの中年夫婦が、乾杯をしているらしい。「プロージット」なんてジョッキを揺らしている。しかしヴァイオリンの演奏は、もう響いてこなかった。あるいは店を移っている所なのだろうか。

「ここに平和についての議論が起こるとする」

白シャツには演奏のことなどはどうでもいい。自分の議論に熱中しているらしかった。

「平和論争というわけだね」ちぢれ毛が髪をもてあそぶ。

「その際、我々は、平和について、まず第一義を探り出す。すると人間を動物として眺めた場合、殺し合って消滅しなかったという根本的和平をこそ、まずは見出すことになるだろう」

「そうかなあ。やっぱり神の御心が存在するかも知れない」

「さて、ここですでに、議論の余地が生じるわけだが、まあひとまずは、そう定義させてくれたまえ」

「分かったよ。続けてくれよ」

ちぢれ毛は寛大を見習った。

「宇宙定理に乗っ取らないとすると、人間にとっての平和は、ただ人間だけが定めなければならなくなる」

「もし仮に、絶対定理が存在しないとすればの話だけどね」

「だから、今は存在しねえって仮定じゃねえか」

「うん。そうだった」

「ところが平和の指標は、たった今、提唱した意見すらすぐさまぐらついたように、人の数ほど定義が異なってくる」

「当然じゃねえか。俺たちは平等にものを言う権利を有してるんだぜ」

「そのために、盛んな議論が起こって、収拾が付かなくなるんだけどね」

「でもよお。もし議論が起こらなかったとしたら、それこそ定義が付かねえじゃねえか」

その言葉を聞くやいなや、白シャツが笑い出した。

「ほら、あっという間に答えが出た」

二人は思わずきょとんとしてしまう。ちょっと騙されたみたいな、誘導尋問である。もっとも白い奴は気にしない。

「議論というものは、究極的には相手同士を罵って、決別するためにあるものじゃない。むしろ正反対のものだ。互いの主張をぶつけ合って、ぶつけ合って、頬が痛い、もう沢山だ。そう思っても決して止めてはならない。弾を撃ち合って、血を流し、傷みを分かち合って、それでもぶつけ合ううちに、ようやく新たな考えや、ぶつけ合った集団のなかでの、妥協的なある種のイメージが成立する。そこで最後にそれを取り上げて、暫定的に定義をつける。もちろん暫定的定義だから、次にはまた変わるかも知れない。時代を乗り越えられないかもしれない。けれども感覚的な好悪ではなく、議論という中立的な儀式を経たものであるからこそ、双方共にしぶしぶながらも納得が出来るわけだ。だからもし仮に、議論によってここにいる三人の仲が、いつか決別することがあったとしても、それは議論の本質ではない。議論の本質とは、ただ議論すべき表題を突き詰めるためにこそ存在するわけさ。そうしてその理由は、突き詰めなければそれ自身が定義され得ない、社会としての判断基準を有しない、いわば感覚的な段階に留まったままになってしまうからに他ならない」

「さっきの神の定義は置いといてだ。それによって、現実社会における平和の枠組みが仮初めにでも成立して、同時に、真剣に討論をした結果として、その枠組みに相互の信任が込められるってわけかよ」

「そういうこと」

「ちょっと待ってよ。そうであるならば、その手続きを踏まない社会というのは、大変な不具合を生じるんじゃないの」

ちぢれ毛はようやく気がついた。

「極めて同質的な人間が、密集しているような地域では、それぞれのフィーリングの幅が狭いものだから、本来なら定義されべき言葉が、同種的な感情段階にとどまった言語でも、会話が成立してしまうのさ。相互に把握可能な言葉として、無頓着に認識されてしまうからね。そのような地域では、それについて議論する必要が無いばかりではない、フィーリングから離れた議論など、むしろ子供じみたものとして軽蔑され始める。時代錯誤の、誤った感覚主義の到来だ」

「到来は結構だが、そんなんでうまくいくのかい」

白シャツはさすがに、断言するには躊躇した。

「そうだな。本当に平和なときは……なんていうと、誤魔化しになるかな。社会が外部とまるきり遮断されて、ほら、あの日本の鎖国政策みたいにさ、安定した状態に置かれた場合に限っては、彼らは困らないかもしれない」

「そうかなあ。やっぱり困るだろう」

「うーん。実は困る」

「おいおい、どっちなんだよ。はっきりしやがれ」

「つまりさ」

白シャツはちょっと考えた。

「絶対的感覚傾向に寄り添っているような国民は、それにしたがって言語を定義してしまうわけだ。言葉と感覚が無頓着に結びついているものだから、絶対的な感覚的信任があるものだから、たとえば外部から無音音楽なんて言葉が入ってきても、無音の定義も音楽の定義もつけずに、鳥の声も音楽、せせらぎもまた音楽、すなわち無音もまた音楽で済ませてしまう。あまりにも言葉の受動ついて曖昧かつ感覚的だ。はなから定義がなされていない。交互にフィーリングで掴み取ってしまう。あるいは人の作らざるものも、感覚のままアートとして捉えてしまえばこそ、レンブラントにしても、路傍の石ころにしても、まったく同一線上の芸術品になってしまう。つまりは偉大なる大和魂によって把握するところのもの、すべては悟りのひと言に尽きるわけだ」

「ちょっと待ってよ。大和魂の悟りって言うのは、そんな大胆かつアナーキーな思想だったのかい」

ちぢれ毛が驚いたが、

「そうじゃねえ、恐らくは、無批判なんだぜ、きっと」

とポロシャツが煮え切らない答えをする。

「無批判?」

ちぢれ毛もよく分からない。

「定義され得ぬ把握、これすなわち悟りの精神さ」

なんて答えた白シャツも、何だかちょっと誤魔化しが入っているらしかった。それでもなおかつ、彼らは語りながらに、何とか考えをまとめようとする。あるいはそれこそが、彼らの特質すべき性質には違いないのだ。

「悟りの許容とは、定義すべき事柄を、定義すべからざる事柄に変換する作業でもある。つまりはアートの定義がつかなくなってしまう。石ころも、五重塔も一緒になる。音楽の定義がつかなくなってしまう。鳥の声も、無音も、我らがシュランメル兄弟も、悟りの平面上に横たわる同一線上のアリア。極めて曖昧な定義……というよりは定義のつかない情緒的段階に留まっている。だからこそ自由自在で、議論の余地のないものだ。それでいて情緒的共通性が圧倒的だから、悟りの精神で捉えたところのもの、すさまじいほどの包容力は、相互に理解可能な状態に置かれ続ける。するとすなわち寛大を極めることこそが、彼らにとって大人の証になってくる」

「なんだと。それじゃあ、大人になるほど、議論もなくすべてを許容しちまうってことかよ」

「寛大なるかな大和魂」

と白シャツは、日本人の拝む仕草を真似てみた。ちぢれ毛が目を丸くして驚いている。

「だって、音楽くらいならともかく、そんな無茶を平和やら、政治やら、法律の世界に流用されたらたまったものじゃないよ。たちまち立ち行かなくなるじゃないか」

「新聞を見ると、現に立ち行かなくなっているらしい。ちょっと話しを続けてみよう。ここに十万ドルあるとする」

「そりゃいいや、毎日飲めるぜ」

「休肝日は必要だと思うよ」

「なんだそりゃ」

「大和魂的な酒の嗜み方なんだ」

ちぢれ毛は得意げに答えたが、白シャツは取り合わなかった。

「今、仮に十人の病人がいて、十万ドルあれば必ず一人の命を助けられるとする」

「また、お得意のたとえ話が始まったぜ」

「それでいて、一万ドルでは足りないっていう話なんだろう」

「ご名答。一万ドルでは、十人の病人のうち、一人も助けられない可能性が高い。ところがその確率は皆無ではない。さあどうしよう」

「どうしようも何も。一体、皆無ではないその可能性というのは、どのくらいあるのさ」

「それが分からなきゃ、議論にもならねえぜ」

二人とも不満足らしい。ホイリゲワインを片手に、白シャツを糾弾している。

「そうだろう。俺たちはいずれにせよ、患者の亡くなる前に、盛んな討論をして、極めて速やかに、ひとつの結論に達して、誰かしらを助けることが出来るに違いない」

「当たり前だよ。助かるうちに話しをまとめなくっちゃ何の意味もないじゃない」

「全員死んじまったら、後の祭りじゃねえか」

「そう。だがその際、暫定的に定められた答案が、絶対的正義だとはまさか思わないだろう」

「それはさすがに思わないけど」

「思うまもなく、実行あるのみだ」

「その代わり。絶対など存在しないからこそ、徹底的に討論を繰り広げて、何らかの帰結点を速やかに見出そうとするだろう。そうしてその際、言葉の正当性を用いた帰結以上に、まだしも万人を納得させるべき拠り所は存在しないはずだ」

「そりゃそうだよ。もし患者も含めて全員の情緒が同じだったら、感覚的に済ませられるかも知れないけど……」

なんて答えながら、ちぢれ毛はちょっと言葉を濁してしまった。一瞬、まさかという思いが胸に閃いたからである。

「そのように、我々の討論というものは、本質的に協調のための手続きであり、社会要員としての集団に帰属するためにこそ存在している」

「また難しくなってきたなあ」

「ははあ。分かったぜ。俺たちの議論とか討論は、個人主義の発達の結果、主張をぶつけ合っているじゃなくって、むしろ俺たちが本質的に共同体要員としての使命を果たさんがためにこそ、議論を繰り広げるのだと言いたいんだぜ、きっと」

「その通り。ところが彼らにはそれが出来ていない。平等でなければならない、全員のいのちを救いたいという、極めて無頓着な情緒に束縛されて、それを客体化して判断を下さなければならない瞬間にさえも、専門家やら有識者などが辛うじて論点めいたことを説得するに及んで、感覚主義を宥めすかしながら、ようやくそれじゃあ仕方がないのかな、なんて心情的妥協を推し量る頃には……」

「ははあ、患者は全員お亡くなりなりましたって訳じゃねえか」

「そういうこと」

「なんだかずいぶん呪術的な社会だなあ」

「そんな調子で、政治などの変革にも、論理的思考やら討論は見せかけに過ぎなくって、感覚的情緒が社会総体に変化するまで、ちまちま待っていなくてはならない事になる。それまでは無駄に水掛論でもやってお茶を濁しながら、時節を過ごすから、政治改革が大変鈍重だ。まあ利点といえば、社会が極めて安定して、改革がまるで必要ないときは、驚くほどの穏やかな社会にあって、のほほんとしていられるかもしれないが……もっともそんな社会はこの世には存在しないものだから、ちょっと動きを見せ始めた途端、もう全員が右往左往して、総体が時流に乗り遅れるばかりなのさ」

ポロシャツはなんだか、日本びいきをしていた自分が、馬鹿らしく思われてきた。

「それでいて、マティーニはジンが百パーセントでもかまわねえのかよ。あんまり度し難いんじゃねえのか」

「あれ、でもチャーチルだって、ベルモットを眺めただけでマティーニっていう伝説がなかったっけ」

ちぢれ毛はやっぱり日本の肩を持つが、白シャツは容赦しない。

「だからさ。それでもベルモットが登場するのが前提になっているだろう」

「たしかに。ジンのボトルをカクテルにそそぎ込んで、マティーニと宣言するのとは、また違うぜ」

ポロシャツも賛同する。

「もしかしたら、心のなかに描けば十分なのかも知れない」

ちぢれ毛はもう少し頑張ってみたが、

「なるほど」といって、

白シャツは自分のワイングラスを彼の前に差し出した。

「その理屈だと、これをコーヒーだと宣言してもいいわけだ。心に描いただけで十分ならさ」

「おいおい、そりゃあんまりひどすぎだぜ。寛大が過ぎるんじゃねえのか」

「うーん。それは、さすがに寛大すぎるなあ。本当にそこまで認め尽くしても、問題が生じないくらい、同じような情緒で満たされているのかなあ」

「おいおい冗談じゃないぜ。そんなの人間社会じゃあり得ねえ」

 ポロシャツが憤慨していると、ホイリゲの入り口に、器楽奏者たちが現れた。「グーテンアーベント」気さくな挨拶が心地よい。この店まで流して来たらしい。さっそく拍手で迎えられて、楽器のメンテを行っている。そろそろ議論も小休止(ゲネラルパウゼ)のシーズンを迎えたようだ。

「とにかくさ、上等と下等の区別がないことは確かだ。なにしろポピュラーソングとモーツァルト、アニメとレンブラントが同列の芸術だって、本気で信じ込んでいるような連中だから」

 白シャツは、確かにそんな意見をこの間、かの国のサラリーマンたちから聞いたのであった。おまけに彼らは、能のことも、和歌のことも、芭蕉のことも、何一つ語れなかったのである。そうしてその時以来である、シャツが日本の伝統を愛する一方、かの国のビジネスマンをとことんまで軽蔑するようになったのは……

「ちぇっ、つまらねえ、それでよく文化が滅びねえな」

「それは分からない。滅びないにせよ、世界的に取り残されて、周辺事象へと追いやられていくだけかもしれない」

「そうかなあ。アニメにはなかなか見るべきところもあるよ」

やはりちぢれ毛が擁護するので、また議論が勃発しそうだったけれども、残念ながらもう演奏が始まる頃である。ポロシャツはただ、

「つまらねえぜ。そんな奴らとだけは、酒は飲みたくないぜ」

といえば、これにはちぢれ毛も、

「賛成、賛成」

と相づちを打つのだった。

「まあ真面目と、生真面目とは全然別物だからな」

白シャツが、ワインを掲げれば、

「それ以前に、議論の余地のない真面目なんて、究極的には不真面目の極みじゃねえのか」

「まあそういうことだ。感覚的に捉えて議論を避けるってことは、究極的には社会要員としての自己責務を放棄し続ける、無責任なる個別勝手の個人に留まっているってことだからな。俺たちから言わせれば、こっちの方がよほど共同体理念に基づいて生活を営んでいて、奴らこそ本当の意味での個人主義を謳歌しているって訳なのさ」

 豊かなメロディーが、低音の支えでもって始まる頃には、議論のシーズンは去り、しばらくは華やかな音楽ばかりが心に広がってくる。三人はそれぞれの思いを胸に秘めながら、のどかな音楽を楽しんだ。けれども白シャツは、演奏が終わったら、話題をマティーニの方へ転じて、前回の決着をつけてやりたいと、密かに考えているのだった。

       (おわり)

作成

[2010/4/29・5/21-23]
(原稿用紙換算36枚)

言葉の意味

[マティーニ論争]
・マティーニ (Martini) はカクテルの王ともされる、ジンベースのカクテル。ドライ・ジン(オランダ発の蒸留酒でイギリスでドライジンとして隆盛。大麦、ライ麦、ジャガイモなどにもとづく)とドライ・ベルモット(香味づけ白ワインの辛口)の比率が、「3:1」から「4:1」くらいが標準とされるが、しばしばその配合を巡って、熾烈な論争を巻き起こしたというので、マティーニ論争である。普通カクテルグラスに入れられて、オリーブが飾り付けられている。

2010/05/17

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