皐(さつき)

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皐(さつき)

 懸樋(かけい)の水は古竹(こちく)の節を流れ行き、池鯉の斑紋(はんもん)を潤すだろう。戯れに清水を浴びた緋鯉(ひごい)は、たちまち深淵へと潜り去った。忘られの水面(みなも)には一匹、水馬(みずすまし)が波状を描ききる。朝、まだきの庭木は待望の、曇天をでも眺めているだろうか。やがて雨戸はがらがらと、干からびた老人によって開かれた。骨と皮の萎びたような手の甲が、雨戸を押しやるたびに、池を見守る皐(さつき)らが、水欲しそうな顔をする。彼らに水を与えること、それは老爺の今生(こんじょう)最後の、残された仕事に他ならなかった。

 怺えきれなくなった曇天が、裂けるような雷鳴をひとつ轟いた。たちまち水面が波打って、池が泡立つかと思われるくらい、どしゃ降りの雨が庭木に打ちつける。並居(へいきょ)の盆栽どもが、スコールじみた水に侵される。苦情を訴えるでもなく、鉢からだくだくと押し流す。爺さんはガラス戸を閉ざして、廊下のあたりで立ち尽くしていた。背後から、ずしずしと足音が聞こえてくる。爺さんははっとなって、それでいて振り向かなかった。婆さんが後ろから、

「雷だ。雷」

と呟いて、

「結婚式。結婚式。恵美ちゃん」

と断片的な言葉を繰り返す。それは独り言のようでもあり、語りかけるようでもあり、返答を求めるようにも思われたが、爺さんはやはり黙っていた。いつものことだから、婆さんは気にしない。長年の返答の乏しさに慣れきって、恨みも湧いてこないのかもしれない。震えるような体を、よたよたした足もとに支えながら、居間の方へと戻っていく。それから、辛うじて朝食と呼べる程度の、食事の仕度を調え始めた。それから、数年前、自分を残して旅立った妹のために、仏壇へもご飯を捧げ、何度も鈴(りん)を打ち鳴らし、孫の結婚式を報告しているらしい。

 ようやく爺さんが座敷に腰を下ろす頃、にわか雨は早行き過ぎた。庭木は軽やかに水を弾き、強風が吹き抜けるとき、池の鯉がぱっと飛び上がったのを、二人は知らない。ただ黙々と箸を動かしている。御飯と汁物と、それから焼魚がちょっと焦げているが、まるで気にしない。ただ婆さんがぶつぶつうるさいので、爺さんは怺えかねてリモコンに指を触れた。年代物のブラウン管に灯が点る。耳が悪いから大した音量だ。彼は結局、この娯楽媒体から逃れることなく、一生を終えるのだろうか。愚かなことである。婆さんは、この騒音が嫌いである。わざとらしくまた、仏壇でチンチン打ち鳴らした。爺さんは何も言わない。結婚式は午後の開始である。

 恵美子の挙式が決まったとき、婆さんは出席するつもりだった。しかし恵美子の祖母の健康を考えれば、挙式の間だけでも正常を保てるか、相当怪しいものだった。爺さんは体調を崩しがちな自分のこともあって、欠席を決意した。それで婆さんも渋々欠席を決意した。夫を差し置いては行動出来ない。それが彼女世代の定めであった。それでいて、出席出来ないことを夫のせいにして、僅かに恨んでいた。恨みながらも、出席は無理かとも思い直した。婆さんは、爺さんより数倍、日頃から苦痛を訴えている。だから今日は、仏壇で祈りを捧げつつ、祖母なりの祝福を上げようと決めたらしい。

 爺さんは、すぐに表へ逃れ出た。どしゃ降りの後だから、庭木や盆栽はおろか、玄関先の石畳も、舗装道路も、近隣の軒先だって、ずぶ濡れに服を濡らし、また雫をたらしている。それなのに爺さんは、お定まりの蛇口を捻るのだった。それから如雨露(じょうろ)に水を汲んでは、盆栽に掛けていく。ひとつひとつ、丹念に掛けていく。爺さんの説明では、雨水ではムラが出来るから、丁寧に水を掛け直すそうである。彼の妻である婆さんは、それを狂態として眺めている。眺めるだけでなく、恵美子の母親、つまり婆さんの娘が訪れる度に、

「ぼけちまった」

なんて真顔で訴えている。ついこのあいだも、雀が巣を作って、爺さんが棒で追っ払おうとして、一日軒下をカンカン叩いていた時などは、

「とうとう、焼きが回った」

なんて、自分の娘に訴えるのだったが、そうした場合、隣に当人が居ても、まるで気にも止めない様子である。爺さんは、そんな婆さんに付き添っているよりは、四季の巡り合わせに応じて、絶えず新しい息吹を感じさせる、庭木の世話でもしている方が、自らの衰えを束の間でも、忘れさせてくれるので幸せであった。

 曇天は東方へと流れ去る。早くも雲間から日が差し込めて、今日の暑さを予感させる。花盛りの皐の盆栽が、窮屈な鉢から抜け出したがっている。何年束縛を加えても、何十年手を加えても、花のシーズンには植物の本能が、ある種の野性味となって、ちょくちょく顔を覗かせる。それをうまく宥め賺して、鉢植えの住人たらしめるべく、花を摘むのはもう少し先のこと。爺さんは苔のあたりに如雨露をあてがった。いい花の頃である。

 恵美子やその兄が、まだ小さく、自分を慕ってなついていた頃から、自分はこの所作を繰り返していた。大抵の鉢は、二人の生まれる前から養っていた。祖父は、恵美子が皐の鉢をひっくり返した時のことを、不意に思い出した。どの皐だかは分からない。紅白乱れ咲きの目出度さを感じて、花びらひとつに指先を触れてみると、今日が恵美子の結婚式であることが、あの頃の様子と結びついて、不思議な感慨を呼び起こす。歳月は果てなく流れゆき、孫は社会人となり結婚し、やがて、曾孫(ひまご)を抱(いだ)く日も来るのだろうか。近頃は腰の痛みまで激しくて、自分はもうこの盆栽と共には歩めない、そんな明日が間近に迫っているという今頃に。

 彼は水道と盆栽とを行き来する。盆栽は垣根代わりの庭木と、池のあいだに並べられている。大谷石(おおやいし)のブロックに厚手の木板を渡して、丁寧に等間隔に佇んでいる。爺さんはホースなどは使用しない。毎日、雨の日も、晴れの日も、暇つぶしをかねてか、如雨露で水を汲んでは、ひとつひとつ丁寧に掛けていく。それが日課になっているのだった。

 肉体の衰えと共に、たしかに情緒は衰える。老いて深まる精神世界など、憐れな錯覚に過ぎない。肉体も、思想も、歌声も、すべてが穢れゆくと悟るとき、それな穢れをそぎ落としたような、己を賭すべきたったひとつの事柄が、職人芸的に成就する。もし、そんなことが叶うなら、彼にとっては盆栽こそが、老いの穢れに対抗できる、職人的な瑞々しさを保っているようにも思われる。その代わり、情緒は衰える。自分でも分かっている。どうしようもない。衰えて、短い断片が、枯れかけの感慨を、時折浮かべては、野分の早雲のように流れ去る。老人の思いは、もう続かなかった。彼はただ機械作業みたいに、午前の大気と一体になって、鉢に水をやり続けている。もう感慨は何もない。ただよろよろと、惨めにも存在している。汚れた肉体が、終末の悲鳴を上げている。ただそれだけのことだった。

 家に入れば婆さんが、腹が痛い、口が震える、トイレが出ない、あらゆることを訴える。訴えるから聞いてやると、なおさら訴えが非道くなって、収拾がつかなくなる。だから爺さんは外にいる。婆さんは訴える相手を失って諦める。

 二人は見合いだった。それが当然の時代だった。好悪も付かずに結婚して、若い頃は互いを憎んでいた。そんな時代もあったような気がする。今では双方が、諦めきったように寄り添っている。それとも、憎み合うなどという情緒は、今日風の見立には過ぎなくって、二人は初めから、諦めきったように寄り添っていただけなのだろうか。それは分からない。爺さんは晴れ間の青空を、ちょっとだけ見あげてため息を付いた。

 台所では、婆さんが食器を洗う。今日はそわそわして落ち着かない。また仏壇へ線香を二本あげる。落ち着かない分だけ、腹の痛みは忘れている。恐らく今日は、苦痛の少ない一日になることだろう。結婚式だから、自分の娘に不調を訴えて、来て貰う訳にもいかない。そのくらいの分別は残されている。電話を掛けたかったが、なんとか怺えてみせた。それから、だらだら座ったり、寝そべったりするうちに、すぐに昼は迫ってくる。爺さんもようやく玄関から上がり込んだ。

 昼食を済ませると、婆さんはやはりチンチンと打ち鳴らし、爺さんは庭先へ逃れ出た。次第に式の開始が近づくから、婆さんはロウソクを改めた。玄関で爺さんの作業が聞こえると、珍しくまた障子を開いて、

「恵美ちゃん。始まる、始まる」

と断片的なしわがれ声を呟くと、日頃は黙っている爺さんが、珍しく、

「ああ」

と答えてくれた。婆さんは何となく嬉しい。もっとも、そんな感慨も、一瞬の情緒には過ぎなかった。

 十五時になったから、また線香をあげると、両手を合わせて、ぶつぶつと何かを呟いている。何を報告しているのだろう。恵美子が生まれてからだけでも、婆さんにはいろいろなことがあった。恵美子やその兄は、両親が共働きだったから、小学生のあいだは、ずっと祖母や祖父の家から、学校に通っていた。両親が夕方迎えに来て、それで家へと帰っていくのが日課だった。孫への思い出も、その分沢山詰まっている。だから死んだ自分の妹や、かつての両親に対して、孫の結婚を知らせているのかもしれない。不意に、幼い頃の恵美子の仕草があれこれと浮かんできたが、それを掴み取ろうとして記憶をたぐり寄せるうちに、もう面影は消えてしまった。ただ、背中に負(お)ぶった感触だけが、わずかに残されているような気がして、そんな感慨を暖めながら、またひとつ鈴(りん)を鳴らすのだった。線香の煙は、中空で昇りを躊躇(ちゅうちょ)しつつ、広がるようにして仏壇へと吸いこまれていく。もちろんそれは、錯覚には過ぎなくって、煙が消えて見えなくなるだけなのだが、婆さんにはそう思われてならなかった。

 爺さんは、家の離れにいた。小さな畑を手入れしていた。キュウリや茄子の、まだ実のならない若枝を、整えたり、豆のつるを確認しながら、ああ、今ごろ始まったかと空を見あげると、どうにも不思議な天候である。曇天の暗雲と、日ざしを誘うほどの明るい雲とが、まだらを作り、時折真っ青な空が、雲の切れ目から覗き込んだ。不意に差し込める日光が、一斉に畑を照らす時、緑黄色の若葉のまばゆさと、雨を吸った焦げ茶の大地とが、心地よいコントラストを描いてみせる。大気は初夏の気配である。爺さんはなぜだか、恵美子にふさわしい天候だと考えた。そうして、一人でくすりとほほ笑んだ。慌てて、作業を再開する。働き盛りの近所の青年が、それを眺めては行き過ぎた。あるいは休み日だろうか。今日は土曜である。すたすたと表通りへ向かうらしかった。

 夕方、激しいスコールが行き過ぎた。爺さんは畑から玄関へと逃れると、婆さんは掘りごたつで眠っていた。六月の初めでも、寒気を感じることがある。老人の体温は一般に低調である。それを避けることは、何者にも叶わない。爺さんは転がる婆さんの横を抜け、手を洗って一息ついた。自分もこたつへと足を差し込んで、畳へ転がっているうちにうとうとする。夢の中で一瞬、今日の挙式の様子が、浮かんだような、それとも錯覚のような、不思議な思いでふっと目を覚ますと、もう十八時を回っていた。

 爺さんは今日は珍しく、いろいろなことを思い浮かべる。天井を見ていると、婆さんと見合いした時のことが浮かんできた。彼は戦争から戻ってすぐ、彼女と結婚した。その結婚は両人から見て、はなはだ不満足な結末を迎えた。爺さんは不意にそんな気がする。自分ばかりではない。婆さんにとってもそんな気がする。けれどもそれを疑問とするでもなく、定めの如く日常へと返して、二人は今まで生きてきた。諦めなどという感慨は、恐らくは現代的すぎる。今でも愛情があるんだか、慣習的に寄り添っているだけなのか、自分にも分かりかねるくらい、夫婦関係というものは、相思相愛ではなくて、ただ仕来りで結びつけられている。もし今の時代であったなら……あまり馬鹿なことを考えたので、爺さんは頭を振って、ようやく起き上がった。

 燈火親しむべし。

 玄関の明かりを点したまま、今日は何かを待っている。ほどなく自動車の響きがして、婚礼から戻った自分の娘が、すなわち恵美子の母親が、その夫と、長男を引き連れて、結婚式の終了を告げに来たのだった。

 すでに起きて、夕飯の仕度をしていた婆さんは、倒れ込むような早足で、ずたずたと玄関へ飛び出した。もちろん、爺さんは居間で待っている。婆さんは口が回らなくって、ただ両手を拝むみたいに突き合わせて、ぺこりぺこりと頭を下げて見せるのだった。それが、

「よかった、よかった」

という合図であることは、疑いのない仕草である。恵美子の母親は、すでに退職世代の年齢であるが、結婚式の説明をしながら靴を脱ぎだした。

 当人の恵美子は二次会である。祖父と祖母の家へは、婚礼前に新郎と訪れた。その時、婆さんは、こんな立派な人がよく来て、恵美ちゃんにはもったいない、もういい年なのに、なんて盛んに述べ立てたそうである。口が悪いから、心からの喜びが、知らない人には、悪口にも聞こえかねない。一方、爺さんは、世間話などをして、むっつりと構えていた。

 今は主役の二人はいない。代わりに、長男が仏壇へ線香をあげる。公的な義務を果たしているだけなのか、死んだ祖母の妹への報告の念が、数パーセントくらいは含まれているのか、そのあたりは不明である。彼の父親にいたっては、霊魂を支持しないから、偽善ぶった祈りの儀式などは大嫌いである。息子の様子を、いい年をしながら、嘘くさい眼差しで眺めているのだった。彼らが、総体に変わった家族なのか、ありきたりの家族なのか、それは誰にも分からない。そうしてこの家族は、確かに老爺と老婆と、血縁で繋がっているのであった。自分らの幸せとも片付かない縁(えにし)の果てに、まぎれもなく今日の結婚式は連なっている。爺さんはまた、そんな感慨を浮かべてみるのだった。

 まだ結婚をしていない長男が、ビデオカメラを回し始めた。祖父と祖母は、長男の行く末が心配である。それは愛情ではなく、やはり慣習的な問題へと、還元されるのかも知れなかった。けれども当人は気にしない。今日はカメラ役だから、その締めくくりに、祖父母の姿を写しきって、それから、二人の娘であるところの母親と、父親を横に並べて、最後に、

「恵美ちゃんおめでとう」

というコメントを全員に言わせて、すべからく写し取った。その時、庭の鯉が、またぱっと跳ねた。その様子は、どことなく婚礼の祝福めいていたが、それを見ていたのは、あの懸樋(かけい)を渡すための古竹くらいだったに違いない。皐どもはもう眠っている。庭の草木も眠っている。奴らは老人同様、朝が早いものだから、日暮れの淵の、夢にまどろんでいるに違いない。いずれにせよ、この老人二人は、これによってお祝いの言葉を、正式に残してやることが出来たのだった。

 あるいはこの祝日は、自分たちを彩り続けたあまたの催事の、エピローグになるものではなかろうか。爺さんの心にふっと、そんな予感が、よぎってはまた消えていった。ただそれだけのことである。

                    (おわり)

作成

[2010/7/10-14]
(原稿用紙換算19枚)

2010/07/14

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