カナカナの森

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カナカナの森

 祖母は父の兄弟の家に住んでいた。けれども快活で、気ままな旅人だったから、時々は隣の県にも出張し、我が家へも宿泊をすることがあった。

 それは大抵、有名な温泉地へと向かう、旅なかの滞在には過ぎなかったが、幼い頃の私には、珍しい客の訪れる、愉快なイベントのように思われたのである。もちろんイベントには、お小遣いなども含まれていたはずだったが、偽善でもなんでもなく、私はそのことをあまり覚えていない。ただ、おばあちゃんが、泊まりに来るということが、何の意味もなく、一風変わった面白みに感じられ、無頓着に甘えていただけのことであった。

 もっとも、大抵は大人たちで話しているばかりである。そのうえ、すぐに風呂に入って寝てしまうから、トランプやら、オセロを楽しむタイミングさえ、子供たちには乏しいくらいだったのだが、思い返せば、排他的な父親のせいで、我が家には人が泊まることなどまずあり得なかった。もちろん、私の友人とて、宿泊をしたことはない。

「ここは、俺の家だ、お前の友人を泊めたければ、自分で家を建てろ」

 世の中には、ひどい親父もいたものだ。この親父は、友人とテレビゲームをしていたときに、ブレーカーをわざと落としたことさえあった。おおよそ、自分の排他主義は、根源をここに始まっていることは間違いない。だからそんな親父が、近頃になってから、私のマンションに訪れて、中に入れて貰えなかったことを歎いているのは、まったくお門違いもいいところである。

 そんな状況にあって、祖母だけは、何しろその親父の母親であるから、そのうえ血のつながりの無い母親だったから、大いに育ててやった恩義を逞しゅうして……というような人ではまるでなかったが、気楽に宿泊を重ねていたのである。それが珍しい愉快だった。



 その頃、我が家は、田舎と都市のはざまに位置するような、市街地の外れにあった。玄関先に広がる森林は、奥行きも深くはるか二キロメートルくらいを、深緑で埋め尽くしていた様子である。もっとも幅は大したことはなく、森林地帯の両側を、国道やら田んぼが遮っていたけれども、乱開発されてみじめな醜態をさらした現在のようには、まだ自然は穢されていなかった。

 その頃の様子を、今こうして散歩がてらに、私は思い出しているのである。あの頃、ここを歩いた祖母はもういない。そうして、いつも遊んでいた妹も、今では時折、忘れた頃に顔を見せ合うくらい、二人のこころは遥か遠くへ消え去った。屈託のない友たちは、あの頃の悪戯ざかりの哄笑は、いったいどこへと去ったろう。そんな馬鹿な感傷に耽りながら、まだしも日ざしを遮る樹木の合間を歩くとき、踏んづけた枝切れがポキンと音を立てた。

 第二次大戦後、ヨーロッパでは旧来の町並みを再建した。継承されべき伝統との結びつきが、未来を切り開く、こころの拠り所だと知っていたからだ。もちろん初めからそうだった訳じゃない。どこかで折り返し地点があったんだ。折り返して、市民社会の意義を模索して、そうして決断したに違いない。教会も、祈りも、建造物も、美術品も音楽も、そうして自然と景観も、社会の内側に文化の基層を形成して、反旗を翻すアーティストや、伝統に反発する若者にさえも、一つの柱を打ち立てているのだった。

 それにくらべて、この町の風景の、変わり果てた醜態を眺める度に、私にはこの国は、すでに滅んでしまったような、侘びしさばかりが、虚しく思い起こされるばかりである。第一、伝統的な基層がどこにもない。我が国的なものは、趣味の領域に追いやられている。そうして商業主義の借り物のうえに、プレハブ建築を極め尽くしている。特定の区画のみを綺麗に着飾って、ちょっとそこから外れると、不様な町並みが広がっている。首都すらそんな有様だ。まるで薄い和声のうえに、張りぼてを施した、空っぽの音楽があふれるように。それでいて伝統的な音楽など、接する機会すら、どこにもないように……あるいは現実は違っていて、これは私が瑞々しい感性を失って、干からびゆく道程に垣間見た、いつわりの感慨には過ぎないのだろうか。



 今の私には感じられる。

  森のカナカナは、もう、半ば褪せかけている。

   清水の蛍は、もう揺らめかない。

  コンクリートの、美的センスの欠けらもない舗装ばかりが広がっている。

 がらくたじみた景観が、ゴミのような看板と、品性のない巨大文字で、つぶらな瞳を踏みにじって憚らない。森は到るところ突き崩されて、もはや風前の灯火だ。不法投棄のゴミさえ散乱する。ほんの少しばかり周辺住人が、役割を決めて片づけるだけでも、見られなくなるはずのゴミの山。それから角度を変えないと、ペンキ塗りを誤魔化しきれないような、統一性のない建築プラン。あるいは偽物に合わせたみたいに、顔中をペンキ塗りにした、調和の取れない、プラスチックの表情。けれども、あの頃は、まだしも違っていた。



 あれは幾つのことだったろう。

 カナカナの、不思議な鳴き声は、魔法使いの国へ、幼児を誘うように響いていた。そんな早朝には、大気だって、真夏日にすらヒンヤリすがすがしい。私は、早起きの祖母にせかされて、まだカナカナのせわしく鳴きしきる、薄暗い森の中へ、手を引かれて一緒に散歩したことが何度かあった。今ではようやく眠りに就くような時間帯だ。そんな時は妹も一緒だった。妹は、きっともう、そんなことは忘れているかもしれない。その時祖母とかわした、小さな会話の断片さえ、もう思い出せないに違いない。

「こんな森も、死ぬことってあるの」

 幼い私は、なんだか分からない、母がカセットテープで聞き流す歌詞の中から、「海は死にますか」とか「山は死にますか」とかいう恐ろしい呪文を抜き取って、それを思い出してみたらしかった。誰の歌ったものだか、そんなことはもとより分からない。ただ毎年、枯れ果ての殺風景から甦る、青々した深緑が、滅びるなんて信じられない。そう思っただけである。

「森は勝手に死ぬことなんかないんだよ」

祖母はそう答えてくれた。私はカナカナの響きにあって、不思議な滅亡の予感をさえ感じていたものだから、ようやく癒されたみたいに安心して、

「それなら、ずっとこのままなんだ」

と尋ねたのである。

「そうとは限らないよ」

祖母はぼそりと呟いた。

 妹は、まるで幼くて、蝶を追って前を歩いている。不思議な筋のある小さな蝶が、ひらひらと妹をかどわかす。そんな光景だった。

「なんで限らないのさ。死なないなら、ずっとこのままじゃないの」

と答え返すと、

「それを決めるのは、わたしたち一人一人なんだよ」

なんて理解出来ないことを言うので、ついきょとんとしたものだった。もっとも祖母は気に止めない。

「ずっと残したい、それをこころの拠り所としたい、生活の拠り所としたいと願う人々が、自立的に守るべきものを知っているような町があったとしたら、そうしてその意識さえ、親から子へと受け継がれたなら、きっとその森は、人々の集住する限り、いつまでも森であり続けるに違いないよ。たとえ炎に包まれても、また木々を植え付けるに違いないからね。けれども、そんなのに興味も持たないような人々が群がる社会では、きっとその森は、来年にも、あるいは再来年にも、ずたずたに樹木を切り倒されて、カナカナの鳴き声もこの世から消され、家々の立ち並ぶ舗装道路の町並みに変えられてしまうだけなんだよ」

 なんて真面目な声で答えるので、魂を奪うようなカナカナの響きに誘われて、なんだか気味が悪いくらいだった。

「だって、こんなカナカナの不思議に出会える場所なんて、町中には無いじゃない。どうして、それを捨てちゃうのさ」

私が思わずムキになって答えると、祖母はただ、

「馬鹿だから……かな」

といって、さみしそうにほほ笑むのだった。

「それじゃあ、いつかここも、みんな木を切り倒されちゃうの」

「それは分からない。だけど、私のこころの風景は、そうやって、どんどん消されていったの」

 思わずはっとなって、祖母の顔を見あげた。妹が、蝶に飽きてこっちへ戻って来る。自分には、何だか分からない、堪えられないような淋しさが込み上げてきて、つい、

「嫌だよ。今が、触れ合えない思い出に消されちゃうなんて、淋しすぎるよ。こうやって、森さえ残っていたら、僕、何度だって、どんなに時が過ぎたって、きっと、今日歩いたことを思い出すよ。けれども、こんなカナカナさえ聞こえなくなって、ここが町並みになっちゃったら……」



 子供心に何かを悟ったのだろうか。もちろん、泣いたりするほど、多感な少年では無かったけれども、いつもにそぐわない、切羽詰まった表情になっていたのだろう。祖母は優しく語りかけてくれるのだった。

「そうだねえ。私がいつか死んだって、私がある時、そこにいたという場所が、いつまでも、いつまでも、残されていたならば、思い出して貰えるような慰めにはなるけれど……」

 彼女は夫に早く先立たれて、きっとその事を思い出していたに違いないと、今ではそう思う。けれども、その頃は、まるで悟れなかった。もちろん、妹だって馬鹿なものだから。

「おばあちゃん、いつか、死んじゃうって、いつ死んじゃうの?」

なんて、たわいもない質問を、空っぽの明るさの声で、屈託もなく尋ねるのであった。

「誰だって、いつかは死ぬんだよ」

「わたしも?」

「そう、誰も」

「ふうん。そうなんだ」

妹には、その概念が把握しきれない。把握しきれないから、屈託もない。子供にとって、死は法外な命題である。虫が動かなくなるくらいの概念しか、持ち合わせていないのだから、まるで永遠(えいえん)の夢見頃くらいにしか思わない。だから子供は死を恐れない。二度と帰らぬ時の侘びしさを悟るほど、観念の発達がなされていないのは、幸せな一時期には違いなかった。

「こんな、虫のようになっちゃうの」

といって、妹は、蝉の抜け殻を手の平に開いてみせた。

「あら、どうしたの」

「うん、さっき、そこの葉っぱに付いていたよ」

「そうだねえ」

 祖母はしばらく考えていたけれど、やがて、

「そうやって抜け殻さえ残っていれば、蝉がそこにいたという証しにもなるけれど。誰もその抜け殻をすら大切にしなくなっちゃったら、きっと、居なくなった蝉は、初めから居なかったことと、何も変わらなくなってしまう。だから、残された風景、変わらない風景、こころの拠り所が、誰にだって必要なはずなんだけど……」

祖母が浮かない顔をしているで、私はちょっと不安になってきた。

「そういうの、僕らに足りないの」

思わず尋ねたら、祖母は笑いながら、

「足りないかどうかは、自分で決めるんですよ。でも、たっ君だけが足りたって、どうにもならないの。世の中はね、集合的に動いているから……一人で両手を広げても、濁流には押し流されてしまう。でも十人、あるいは百人が全力でバリケードを築いたら、もしかしたら、大切なものを、無くさないで済むかも知れない。だけど……」

 祖母はカナカナの森を見あげた。高音部の急速なトリルのような、透明なガラス筒の中を鈴が揺らめくような、不思議な響きが幾つも重なり合って、やがては音を緩めて、また鳴き頻(しき)り、三人の頭に不思議な合奏が降り注いでいる。すると祖母はまるで独り言みたいに、

「わたしには信じられない。そんな人の繋がりをもう。だって、わたしの風景は、今日も明日も、ただ穢されて行くように思われるばかりだから……」

 私たちが、ポカンとしているのを見つけて、祖母はようやくほほ笑んだ。

「ともかく、二人は、そういうのを大切にしなくっちゃ駄目ですよ」

というから、自分はまるで、理屈のためでなくって、ただ祖母を悲しませたくないばかりに、

「もちろんだよ」

と答えているのだった。もっとも妹は、私より幼いものだから、

「はーい」

なんて両手を挙げて、またひらひらする蝶を追って、前へ前へと走り出す。しばらくして、

「きゃあ」

と声がしたかと思ったら、蜘蛛の巣に出くわして、驚いて逃げ帰って来たらしい。

「どうしたの」

そういって宥める祖母は、いつもの穏やかな祖母であって、ほんのわずかな、すきま風みたいなひと言は、もうどこか遠くへ掻き消されていたのである。



 私は今、こうして、あの森を歩いている。

  森は、辛うじて命脈を保っているのだった。

 そのほとんどは、切り崩されて、品性の見られない、景観のプランもない、個別勝手な領土分割のなれの果てに、家々が安い外装を、気まま気ままに立ち並んでいる。その合間を縫うように、わずかばかりの樹林地帯が、帯のように奥へと伸びているのであった。

 無限に思われた深緑の風は、今では心細そうに吹き抜ける。削り取られた森並(もりなみ)は、舗装道路の騒音を、完全には留めきれなくなっている。歩くとほどなく、また家々の屋根やら、排ガスの騒音やら、あの頃の思い出を打ち破る、沢山のノイズにまみれているのだった。私はうつむき加減に、その中を歩いていく。

 祖母は死んだ。

  彼女は、死ぬ以前から、長いこと意識を失っていた。

   植物状態だった訳じゃないけれど、

  彼女は、言葉の意味を失ってしまったのである。

 まるで、継承されべき原風景が、穢れて意味を失うのに合わせて、風景の数ほど奪われた、彼女の記憶が自らを喪失したかのように、彼女は見知らぬ病棟で、過去との結びつきを失った無機質な空間で、無意味に横たわっていたのである。そうして、意味を無くしたままに干からびて、近頃、とうとう死んでしまった。あるいは、そこが病棟ではなく、彼女の記憶の基層に横たわる、過去の思い出の一室であったならば、彼女はまだしも、多少の安らぎを、言葉さえ無くしても、得ることが出来たのだろうか。それは、私には分からない。

 私はいま、彼女があの日、そっと呟いた言葉を、もうひと言だけ、回想してみるのだった。

「たとえ私が死んでも、私の生きた社会やら、風習やら、景観やら、人々の心が、それから私の愛した言葉というものが、継承されていくのだと、営み自身が諭してくれたなら、私たちは誰もがもっと幸せに、歩いて行けそうな気がするのだけれど……」

あんまり悲しい言葉だったので、驚いた子供の私が、

「おばあちゃん、死んじゃ嫌だよ」

と思わず叫んだら、

「まだまだ、遠い先のお話しだよ」

そういって、優しく手を引いてくれたのであった。

 その時、戻ってきた妹がずるいと言い出して、祖母の反対側の手を握り、三人はどしどし森の奥へと、朝の散歩を楽しんだ。

 蜘蛛たちは、朝の精一杯をそこらじゅうへと巣を張って、だから拾った枝切れを振り回しながら、私は先発隊を気取って歩んでみせた。カナカナはやっぱり鳴いてた。不思議な谺ばかりが、時を永遠(とわ)に留めるような錯覚にさえ、幼いこころを導いてくれたのを、今でも鮮やかに覚えている。



 森の中にまで、家々の屋根が浸食して、町だか、森だか、林だか、舗装道路だか、テリトリーをうやむやにして蝕んでいる。蝕んでいるのは、美的センスの欠けらもない、共通的景観の美しさが社会を形成するすべをも知らない、戦後の個人主義のなれの果ての、企業戦士とか、娯楽動物と呼ばれる生き物たち。

 彼らは社会を築くべきコロニーと関わりつつ、個別の個性を信任する欧米の個人主義を、傍若無人に、己のこと以外をお構いなしとして、社会への働きかけすらも放棄する、仕事の対価として娯楽を向こう見ずに要求する、不気味な自分勝手主義へと、自ら進んで置き換えた。それは、どこの国にも見られない、歪んだ形態の社会には違いなかった。そうして、今の私には、祖母の知っていたかつての国は、もはや滅んだようにすら、思われて悲しいのだった。それは精神的に占領されて、それに気づきもしなかった、世界でただ一つの国家の末路の姿なのだろうか。

 いや、あるいは、私の感性がひどくすさんでいて、あるいは酒の飲み過ぎで悶え狂っていて、こんながらくたみたいな、吐き気を催しそうな、こんなぐちゃぐちゃの都市景観こそが、この国には相応しいとでも言うのだろうか。稚拙な漫画の登場人物を安っぽい像に飾り立ててはしゃぐような都市さえ、この国には存在しやしないだろうか。偉人を飾り立てる銅像は、都市のアイデンティティには違いないとしても、それじゃああまりにも、不様な醜態ではないか。そうして己(おの)が町の商店街に、横文字の名前なんか付けて、何の由来もないお粗末さの、文化的後進性はどこからもたらされるのだろうか。自分たちが大切ではないのだろうか。彼らはいったい何者のつもりなのだろうか……わたしには分からない。まるで分からないまま、嫌だ嫌だと逃れるみたいにして、とうとうここまで生きてしまった。

 戦争さえなければこの世は天国だ、そう言ったのは、あれは誰の冗談だろう。私には、穏やかに醜態を極める、社会の有様こそが、あの頃よりももっと、地獄のように思われてならないのだけれども……



 カナカナはまだ鳴いていた。でも以前のように、森じゅうを覆い尽くす、魔法みたいには響かなかった。もうあの頃の不思議な早朝と、追憶のタイムトンネルでもって、繋がることは出来そうにない。それでもまだ、蝉の声は途切れずに鳴いていた。

 車の騒音さえ響かない、こんな早朝だけは、あの頃の回想が、私の降りかけの生涯の、慰めみたいにして不意に、こうして思い出されてくる。あの日の祖母はもういなくなった。そうして、あの日の妹は、僕らの屈託のない精神は、脇目もふらずに遊び歩いた日々は、もう帰ってこない。坂を駆け上ることだけを夢見たあの日の私は、どこか遠くへ消え去って、少しく老いぼれたこころが、人生の負け犬みたいにして、こうして下り坂の森をさ迷っている。悲しき似たもの同士。この森はわたしの姿なのかも知れない。冗談みたいに、指先を葉っぱの方へ伸ばしてみても、あの頃はもう、つかみ取れそうにはないのだった。

 あるいは何十年か、時が流れ去ったとき、ここにはまだ木々が残されているだろうか。あるいは、こうして感じたしがない感慨すら、森もろともに消されてしまうのだろうか。その頃には私も、かつての祖母のように、言葉の意味を失って、無機質な病棟に、無残に横たわるばかりなのだろうか。過去との連続性を断ち切られ、生きているという事実のみを、無残にも追求されて、命を無理強いされているのだろうか。それは分からない。施設で生かされ続けた祖母を、私はどうしても、幸福な最後とは見なせないのであった。

 祖母の葬儀を済ませて後、久しぶりの我が家へ戻って、眠れずの夜明けに玄関を逃れ出た私は、そんな鬱屈した感慨に耽りながら、カナカナの声に耳を傾けていた。

                (おわり)

作成

[2010/7/29-8/2]
(原稿用紙換算21枚)

2010/08/02

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