十三夜

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十三夜

 リンゴ袋を買い物カゴに入れようとして、こんなに食べれないと思ったとき、その重さに絶えきれなくなって、売り場に捨てて知らんぷり。あの頃、当たり前に思われた買い物容量。それがいつしか、多すぎになっているのに気づかないで、今になっても余分に買いすぎてしまう。冷蔵庫に消費期限切れを作ってしまうことだって、時々あるくらいなのだ。わたしはあの頃の、幻影に束縛されているのだろうか。

 柿並びの果物コーナーを置き去りに、野菜なんか眺めていると、遅い帰宅時刻だから、もうスーパーの買い物客だってまばらなのだ。仕事帰りのOLやら、ひとり選びのサラリーマンなんかが、あちらこちらでソソクサと、仕事歩きみたいに買い物を済ませているのだった。

 夕飯のおかずを買いに来たはずのわたし。
  どうするべきか途方に暮れる。
 馬鹿みたいに、売り場をあちこちさ迷ってしまう。
仕事一日分の疲れたからだで、なにを作りたいのやら、なにを食べたいのやら、いのちの欲求が浮かんでこないのだ。採取するエネルギー量に違いはないや。そんなヤケの気持ちさえ湧いてくる。報われないような侘びしさが、いつしかこころを支配して、食欲の秋であるべき愉快が、憂うつの風に打ちのめされてしまう。おんながてらに、干からびたヒモノと出くわしたような殺風景に、身を委ねてしまうのはなぜだろう……わたしはその原因を、本当はちゃんと知っているのだった。

  そうなのだ……
 あの頃は、どんなに仕事に疲れても、夕食はどうしようか、あれこれ悩むのが楽しかった。今と違って、いつもふたり分の食事。それなのに、なぜだか三人分は作らされて、ごちそうさまを告げる頃には、みんなお腹の中。それが当たり前に思えたあの頃。今となっては、つかみ取れないくらいの幸福だったなんて、考えたこともなかったけれど……

「野菜炒めにでもしようかな」
 塩とコショウに、隠し味のしょう油くらいで炒めるものだから、気だるいときの定番なんだ。ニンニクやら生姜を入れて楽しむことだってあったけど、近頃はメンドイ指数が上昇中だから、最後にしょう油をたらすのが精一杯。でも時々は、お砂糖を加えてみたりもするのだった。
「キャベツ、キャベツ」
 ようやく目的を見つけたわたし、
  たまねぎ抜けて、あちらの島へ。
 ところが、どうしたことか、
せっかくな特売に釣られたものか、エンドのキャベツはすっからかん。ハーフサイズすら残されていないのだ。隣には憎たらしげな大根が、誇らしげな足を見せつけるばかりであった。
「いい気味」
大根にあざ笑われたような錯覚を覚えたから、慌てて、
「もやし、もやし」
と気分を切り替えて、ホワイトケースの方へ向かうと、どうしたことか、二十九円のもやしの袋すら、一袋たりとも残されていないのだった。もちろんお高いのまでなくなっている。総じてがらんどう。誰かの放置したニンジンの袋だけが、場違いに置き去られているのだった。

「からっきし、いけてない」
 へこたれ気分でぼんやりしているわたし。
  どうしたらいいか、途方に暮れる。
 隣のエノキやらマイタケなんか眺めていると、不意に九十八円の生姜の袋が、大量に残されているのを発見した。主要野菜を売り尽くして、生姜だけを山積み残すなんて、なんという不始末だろう。
「また、生姜焼きでいいか」
こころのなかにあきらめの言葉がひらめいた。
 しょうゆとみりんと酒と生姜と、
  絡めて炒めて、はいおしまい。
 だって、そのくらいの単純作業でも、
  近頃は重たくって、遣り切れないほどなのだ。
 疲れているのはからだなのか、
  疲れているのはこころなのか、
   それとも、生きる喜びが遠のいただけなのか、
    美味しいものへの欲求すらも、
   放置のニラと枯れ果てた。
  ああ、めんどい、めんどい。
 そう思って、生姜を眺めているのだった。

 わたしがあんまり生姜とにらめっこをしているものだから、買いたくって我慢していたおばさんが、憎たらしげに腕を伸ばしにきた。わたしは慌ててひとパック、カゴに入れながら逃れ去る。知らないふりして、また野菜コーナーをうろつきまわって、生姜焼きに添えるサラダ具材を探したけれど、ここは夜の客なんか相手にはしないらしく、到るところがピーマンみたいな空っぽなのだ。きっと機会ロスに対して、売上比率がぜんぜん低いに違いない。そんな馬鹿なことを想い浮かべて、なおいっそう、売り場をさ迷ってしまうのだった。

「しかたない」
ようやくわたしはあきらめて、近頃お値段のするレタスをひとつ、買い物カゴへと放り込んだ。すると放り込んだ拍子に、
「野菜と果物のコーナーは、季節感を表すためのスーパーの顔なんだ」
不意に、あいつの言葉が浮かんできた。あっと思って顔をあげたら、馬鹿だなあ、わたし一人、ぽつねんと、買い物カゴを抱え込んで、突っ立っているだけなのだ。

 ああ、だらしない。また、いつもの幻影だ。
  こんなところで買い物をするから悪いのだ。
   炭火のアユの、残り火のくすぶりが、
  ちろちろと舌を出して、やりきれない。
 ああ、どうして、こんなにだらしないのだろう。

 催事を飾るひと区画には、十三夜のコーナーが設けられている。ああ、もう十三夜なのかと思ってぼんやり眺めていると、なんと今日の日付が記されているではないか。さっきまでの帰り道、満たしきれない月影を、眺めたときの青々したシンパシーを思い出して、さては十三夜の気配が、わたしにアピールしてきたのではないかと疑った。

 もちろん企画の終わりだから、めぼしいものは売り尽くされている。みじめに残されたお団子の、パックばかりが淋しそう。もっぱら加工食品の、あずき缶やらお茶の葉やら、普通に売れる秋の果物、ナシやらブドウの類がざっくばらんに積まれているのだった。そうして、高く売りつけるチャンスなのに、なぜだか袋入りのサトイモが大安売にされている。あるいは見込み違いで、大量に残ってしまっただけなのだろうか。それは、分からない。

『むかしから中秋の名月を芋名月と呼び、サトイモの収穫を豊穣の神への祈りとしてまいりました。それに対しこの十三夜は、枝豆を捧げる豆名月、栗を捧げる栗名月として人々に慕われ、十五夜の月だけを眺めることは、片見月といって縁起の悪いこととされてきました。わたしたちは必ずもってこの十三夜も、お月見を楽しまなければなりません。』

なんて、最後には商売人まるだしの説明が、平然と貼りつけてあるのがちょっと面白い……面白いけど、豆名月の枝豆やら、栗名月の栗なんて、どこにも置いてなんかいないのだ。

 まさか、完売?
  それほど、皆さん、
   釣り針に食いついちゃったのだろうか?
  それにしても……
 サトイモは大量にある。一袋百五十八円。沢山詰まっている。ちょっと手を伸ばしたくもなるけれど、きっと家に帰っても、調理なんか面倒になってしまうに違いない。それにぬめりが気になるから、疲れた指先では、到底付き合いきれたもんじゃないんだ。

「うわ、ぬめってるじゃんか」
 思えば、あいつのいた頃には、サトイモでカレーを作って、批評を繰り広げたことさえあったっけ。あいつが、ぬめりが残っているのを糾弾するものだから、自分で作りなさいと咎めたことさえあった……

 そういえば、
  近頃は、カレーすら作っていないなあ……
 だって、ひとりぼっちのカレーなんか馬鹿らしくって、五分で暖まる、レトルトで済ませてしまうに決まっているのだ。おんなの証であるはずの、こよなく味覚に対する欲求が、空しく遠のいてしまうのはなぜだろう……

 十三夜を後にすると、ようやく納豆やら油揚げの並んでいる区画へ辿り着いた。でも、キムチや漬け物を眺めているうちに、どれもこれも同じ添え物に見えてきて、買いたい欲求が急にしぼんでしまう。家にストックされている、味付けのりだって十分ではないか。そんな自暴自棄にすら陥ってしまうのだった。
 こら、どうしたわたし、
  しっかりしろ。

 お豆腐の 雪にもまさる 清らかで
   歩めたらなあ 角も立てずに

 お豆腐は困ったときの救世主だから、見つけるやいなや、買物カゴに放り込む。二百グラムの少量パックの二つ付いたやつが、一番お手頃なんだ。それにしても、こんなひとり分を気にしなければならなくなってしまった自分の境涯が情けない。哀れがぴょこぴょこ浮かんでくるものだから、なんでもない、なんでもない、と、わざと踏み足を高くしてしまうのだった。

 それから急に、豆腐を購入した連鎖反応から、やっぱりネギくらいあった方がいいかもなんて、慌てて野菜コーナーへと戻ってしまうわたし。ついでにミョウガも欲しくなってくる。そうしたら、大葉だって気になるくらいだ。

 冷蔵庫を整理したばかりだから、マンションの食材は、ことのほか少ないのだった。それにしても……

 わたしは、何度売り場を往復しているのだろう。
  あの頃、あいつにからかわれた言葉が、
   不意に浮かんできた。
  ああ、そうだった、
 あの時もやっぱり、
  豆腐を選んでいたんじゃなかったっけ……

「お前、そうやって次から次へと関連商品を買っていったら、お店の思うつぼだろ」
「だって、必要でしょ」
「だいたい、今日はシチューを作るんじゃないか」
「いけない?」
「だったら、念のために豆腐なんか買わなくていいだろ。だいたい念のための豆腐なのに、なんでネギやらミョウガがいるんだよ」
「朝食の味噌汁に使うかもしれないじゃない」
「朝食は夕飯のシチューの残りでいいだろ」
「じゃあ、次の日の夕飯で使う」
わたしがムキになると、
「どうせ翌日になったら、別のものが作りたくなって、豆腐が冷蔵庫にお蔵入りになっちゃうだろ。だったら、買わない方がいいの」
なんて諭してくるので、
「そんなこと言うなら自分で作りなさい」
と巻き返しを図ったら、
「それは遠慮したいなあ」
不意にすっとぼけられてしまうのだった。
「まあ、そのうち、カレーくらいは作れるようにすっから」
なんて誤魔化したくせして、結局一度も、あいつは料理なんか作ったためしはなかった。それなのに、どうしてだろう、そんなあいつのために作っていた頃の手料理が、肉まんのほかほかするような、暖かい思い出に変わっているような気がする……

 そんな心わずらいながら、海鮮コーナーへと立ち迷う。もちろん、お高い国産ウナギなんか黙殺。アサリやらハマグリを眺めているうちに、食べられちゃう未来も知らずに、のんきに舌なんか出しているお馬鹿さんぶりが、ちょっとかわいそうに思われてくる。通路では、そろそろ季節終わりのサンマが、一尾九十八円で投げ出されていた。今年は猛暑だったから、九月始めには漁獲量が少なくって、無意味に高止まりを見せていたのに、いつの間にやら、平年並みに落ち着いているのは不思議だ。そのくせ、今度は野菜がお高くなってしまい、結局また困ってしまう。そんな異常気象。二〇一〇年と人は言います。

 そんなことを、ぼんやり思案して、ふっとあたりを見回すと、ぽつんとわたしひとりが、買い物をしているだけなのだった。殺風景なアルバムの一葉。即物主義した商品陳列。シビア-に値付けされたプライスカードの横並び。そもそもわたしは…………

 何のために、買い物をしているのだろう。
  サンマの目玉に見つめられたなら、
   ついそんな淋しささえも、
  こころをよぎってしまう。
 つぶらなお魚なんかでなくって、
見つめてくれる人は、
 もう、どこにもいないのに……

 慌ててお菓子のコーナーへと折れ曲がる。
  悲しみは空腹を呼び起こし、いつしか、
   こころもからだも、甘さばかりを求めてしまうのだ。
  甘味と愛情への欲求は、こころのどこかで繋がっている。
 それが女の生き方さ。
  そんな気持ちさえ湧いてくる、
   更けゆく秋の、宵のスーパー。
  馬鹿なことを考えていると、
 新発売のスナック菓子のところに、
  小さなスピーカーが備え付けられて、

 ほいっとつまめばさくっと弾ける
  こころでなくっておなかさみしい
   小春日和のあまみ溶かして
  気づけばひとくち、ふくろもう空っぽ

 なんて、意味不明なコマーシャルが流れて来た。ディスプレーまで付けられて、マスコット人形みたいなキャラ猫が、大小二匹でなにやらたわむれている。少し前のわたしなら、きっと、大いに好奇心をそそられて、商品に手を伸ばしたに違いない。そんな、うきうきした新商品への情熱が、近頃なんだか枯渇(こかつ)しかかっている。こころはいつもアンズ色。懐かしいもの、疑いのないものばかり望んでしまう。雲さえ綿菓子に見えてくる。祭の夏の懐かしさ。それって……過去を求めているだけなのかなあ。

 どんなときでも、やさしい甘さのチョコレート。決して裏切ることのない、お口の恋人カカオ味。だって、こころうれしい時には、どこまでもわたしを甘やかしてくれる。そうして、こころさみしい時には、泣きたくなるくらいのほろ苦さ。切ないなみだを誘っても、きっといつかは甘み溶かして、秋風のひとりぼっちだって慰めてくれる。そんな優しいお菓子なのかも。

 わたしは過去の束縛を引きずっているものだから、一番オーソドックスな、幼い頃から変わらないパッケージの板チョコを、二つ三つ味わいを変えて、慣れたしぐさでカゴに投じてみるのだった。

 そうしてわたしは知らぬ間に、
  また回想モードへと引き込まれてしまう……
 思えば、最後にチョコをあげた頃、
わたし達の関係には、もうひび割れが走っていた。
「近頃チョコを貰うの、当たり前だと思ってるでしょ」
「そんなことないって」
「昔みたいな感謝の喜びが、ぜんぜんないじゃない」
「それじゃあ、わあいわあいって走り回ればいいのか」
なんて言うから、ちょっと笑っちゃう。でも、
「お前だって、昔みたいに自家製を作ったりしなくなったじゃないか」
「だって、あれってめんどいの」
「付き合うのもメンドイだったりして」
そんな何気ないひと言が、なぜかトゲのようにこころを突き刺す。「そんなことないよ」って、甘えてみせることが、いつしか出来なくなってしまった。本当にメンドイになっているのは、わたしじゃなくってあんたの方じゃないの。そんな糾弾が、ぽろりとこぼれそうになって、慌てて飲み込んだりしていた。

 付き合いたての頃には、ほんの些細なこと、わずかのすれ違いであっても、それがかえって相手を認めるような、新しい発見とよろこびであって、儀式みたいに、互いに謝り合ったりすることが、くすぐったいくらいの遊びに思えていた。何もかもがココアみたいに柔らかで、ぽかぽかしているぬくもりだった……それが、月日が流れるにつれて、ほろ苦くなってしまうのはなぜだろう。安い喫茶店に投げ出された、酸化コーヒーの味気なさ。

 わたしには分からない。
  だけどきっと、あいつにだって、
   そんなことは分からないのだ。
  神さまにだって、分からないのかも知れない。
 ただ、今ふたりが一緒になったとしても、もう、うまくなんかやっていけない。そのことだけは、わたしはよく分かっている。きっと、あいつも分かっている。分かっているのに未練がましく、またあいつのことなんか、考えてしまう……あいつは……あいつも時々は、わたしのことを思い返したりしているのだろうか……

 分からない。
  過去に依存しがちなのは、
   いつもわたし一人。
  みんな新しい遊びへ移行して、
 みんな新しい友達を引き連れて、
  平然として新しい男に抱かれたりして、
   幼い頃からわたしのまわりには、
  そんな振り向かないこころした、
 新しがりやさんが一杯だ。

 わたしはそんな生き方について、あれやこれやと悩んだことだってあったっけ。でも、きっとあいつにしたって、もうむかしのことなんか忘れて、新しい見知らぬ誰かと、買い物なんか楽しんでいるのかも知れないのだ。そうして一緒の部屋へ戻って、夕飯のひとときを迎えているのかも知れないのだ。いつかわたしに見せたような、さまざまなしぐさと一緒になって……

 でも、そうだとしても。ううん、たとえ、そうでなくっても。もうわたし達は、二度と触れ合うことなんて出来ないんだ。だって、あいつの面影に打ちのめされているわたしにしたって、もう睦まじい頃の愛情には、決して戻ることなんて出来ないのだから……

 スナックの
   甘み欲しさも 秋日和

 そんな五七五が、キャラクターじみた声で聞こえてきて、わたしは思わず我に返る。出所を振り向くと、さっきの新商品のスピーカーから、

 ぽいっとつまもうさくっとおなかに
  あたたかこころのあまみ溶かして
   小春日和のふくろもひとつ
  開けたらつまもう、午後のおやつよ

 なんて、続きの歌が聞こえてきた。はてなと思ってディスプレイに振り向いた拍子に、今までの憂うつめいた情感はすっと遠ざかる。寄せ波みたいなほほ笑みが返ってくる。だって、今の五七五は……

 あのキャラクターが詠んだものなのだろうか。子供じみたお菓子の紹介に、五七五が紛れ込んでいるのがちょっとおもしろい。そんなインパクトに釣られてしまうのは、それって、制作者の罠に陥っているだけなのだろうか……

 自分の情感が、喜びと悲しみと、淋しさと愉快と、焦点を定めていない気がして、わたしは慌ててお菓子の通路から抜け出した。情緒不安定の気配が漂っている。どうしたわたし。しっかりしろ。見ろ、卵の特売が並んでいるじゃないか。これを買わずして、なにを買うんだ。購買意欲のおんなになれ……

 なんて、わざと馬鹿なことを考えて、
  ありったけのこころを奮い立たせて、
  「お買い得。ワンパックで九十八円かあ」
  なんて小さく独りごとをつぶやいてみたりするのだった……
 なんだか、よけいにみじめが湧いてきちゃった。

 向こうの方では店員が、ペットボトルを冷ケースに並べている。なんだか、髪毛の頼りなさ気な青年が、肌の色はみずみずしいばかりに、腕力の足りなそうな仕草をして、箱から取り出しているところだった。
「ここが終わったら、エンドの切り替えだからね」
中年のおばさん店員が、なにか伝達しているらしい。
「エンドって、どこのエンドです」
「ほら、十三夜の」
「あれって、今日で終わりでしたっけ」
「なに言ってんの。今日が十三夜でしょう。家で月見とかしないの」
「そんなのするわけないじゃないですか」
 青年は、呆れたように笑った。
  どう見ても学生のアルバイトだ。
   それなのに髪の毛だけが五十代、
  終末の姿をさらしているのだった。

 かわいそうに。あんな髪の毛じゃ、おちおち恋も楽しめない。おしゃれだって楽しめない。余生を楽しむのがもはや精一杯。そんな余計なおせっかいを考えていると、おばさん店員のひねった首筋から、シワが奇妙なよれ方をして現れた。にぶい肌の衰えを眺めたとき、なんだか不意にゾッとなった。わたしたち、盛りの頃は短くって、シーズンを過ぎて売れなくなった果物みたいに、やがては痛んでいくばかりなのだろうか。なんだか自分の肌の調子が気になり出して、つい空いた方の手の甲を、まじまじと眺めてしまうのだった。なんだかちょっと、ツヤがないかも……

 それにしても、ふたりとも、服装がすっかりくすんでいる。はなっから汚れることを前提にしているものだから、安っぽさを究めたような制服に仕上がっているのだ。スーパーなんて、どこでも同じなんだけど、せめてあんな安っぽい制服にしないで、立派に見せるべき投資をでも行ったら、その店ならではの、凝った服装で仕事でもしたら、もっと店の雰囲気も変わるはずなのに。たしかストアロイヤリティー、とか、そんな言葉、どこかで聞いたことがあるような……わたしはまたどうでもよいことを、取り留めもなく想い浮かべてしまうのだった。

 ぼんやり突っ立っているわたし。
  慌てて玉子を選ぶしぐさをする。
 でもちょっと手遅れ。
もし誰かが見ていたら、
 わざとらしいひとり芝居に見えるには決まっているのだ。
  いい女優にはなれないな、
   そんな馬鹿なことを考えてしまうのだった。

 呆れてつま先を返したら、突然、鞄のなかに携帯のメール着信が、メロディーがてらに鳴り響くので、思わずびくっとなった。わたしはまだあの頃の条件反射から、抜け出せきっていないのだ。それを今でも自覚させられる。メールが鳴るとつい真っ先に、あいつのことを想い浮かべてしまう。だってあの頃は、仕事が違っていて、帰宅途中に落ち合うことも、お互いの都合を尋ねることも多かったから、何かとこの時間帯は、あいつからのメールを受けることが多かったのだ。そうしてわたしもよくメールを打った。電話なんか入れると、無意味に料金を徴収されるものだから、恋人同士の連絡事項は、じゃれ合うとき以外は文字情報。それが人の世の習わしだ。テレビ電話機能なんか売り込もうとする携帯会社の必死さには呆れるけれど、あんなもの、ワンセグくらい不要の長物じゃないかしら……って、そういえば、そんな下らない意見さえ、あいつから聞かされたものだっけ。

「遠距離恋愛でもなければ、電話機能すら必要ないな」
「ちょっと、声聞かなくたって平気なつもり?」
「だって、すぐに会えるんだったら、文字だけでいいだろ」
「駄目駄目。いつも繋がっている安心感が、携帯なの」
「そうなの?」
「そうなの」
なんて、馬鹿な甘えをしたこともあった。思い返せば、ずいぶんだらしないのが、あの頃のわたし。おでんのこんにゃくみたいになっちゃって、ふにゃふにゃと暖められてしまうのだった。それなのに、だらしなければだらしないほど、わたしは幸せだったような気がする……

 いや。あるいは、こうして過去から逃れられない、今のわたしの方が、あの頃よりもっとだらしないのだろうか。そういえば別れた頃には、仕事の合間にさえも、あいつのことばかり浮かんできて、新人みたいな失敗をしては、上司から心配されたことすらあったのだ。親友の由美子に相談したときなんか、
「おんなって公私混同のたましいを持っているものだから、まあしかたないけどさあ」
なんて諭されてしまうのだった。
「そうなの。駄目だって思っても、勝手にこころがぐだぐだになっちゃって」
そう思い詰めると、
「でも、だらしない様子って、まわりから見たら、やっぱりみっともないんじゃないかな」
と注意されて、それからわたしは駄目になるたびに、その駄目になった自分をまるで、鏡から覗き込むように、他人の目線で眺めよう、眺めようと、そんなクセをつけようと、あれこれ思いわずらっているうちに、その訓練のおかげなのか、それとも単にこころが少しずつ馴染んでいっただけなのか、それは分からないけれども、ようやく最悪の危機を乗り切ることが出来たのだ。それはちょうど、今年の梅雨のシーズンだったから、くすんだ空と紫陽花の変化とが一緒になって、わたしのこころのなかに、ブルーのスナップとなって残されている。

 それに比べたら、今はもう仕事はてきぱきとこなし、何でもないように誰とでも応対し、弱音を吐くなんてことも、それは、親友の由美子なんかには、時々は泣き言だってするけれど、それでも少し前みたいには、だらしなくなったりはしないのだ。かえって近頃では、
「あんた、男と別れてから、ひとまわり図太くなったんじゃない」
なんてからかわれるくらい、デンと構えて毎日をおくっているはずなのに……

 それが、ひとりでこころと向かい合うような、秋の宵を迎えて、ぽつんとした闇が迫ってくると、たちまちだらしなごころが復活して、わたしをひそかに苦しめている。いっそ家に帰ってしまえば、もうテレビをつけたり、パソコンを開いたりしてしまうから、まだしもこころ紛れるのだけれど、それだって、時々は、かつてのあいつのメールを、封印したはずのあいつフォルダから取り出して、読んでみたいような欲求に駆られたり、いいや、それだけは絶対に駄目だなんて思い止まったり、本当にわたしというものは、ずるずると過去に引きずられながら生きている、とろろ納豆みたいなひとつの観念体なのかもしれない。そう思うと情けない。ああ、いやだ、いやだ。

 あれ、いつの間にか、
  チーズ売り場に来ている。
   何でだろう?
  わたしは、豚肉やら、牛肉を、
 眺めていたはずではなかったか。
  意識が、あらぬところをさすらっている。
   迷える仔羊みたいに売り場をさ迷っている。
  わたしの目的は、今晩の、
 生姜焼きを作ることではなかったか。

 でも、慌てて舞い戻って、買いもの忘れのおんなだなんて、店員に思われるのもシャクだから、何気なくチーズを行き過ぎて、隣の紙パックの牛乳やら、果物ジュースなんか選んでいるふりをしてしまう。それなのに、眺めているうちに、今度は本気になってジュースを選び始めてしまうわたし。視野が前しか見えていない、アジのような失態を繰り広げるのだった。
「お前、そうやってすぐ対象物にのめり込むなよな」
また、あいつの影がちらついてくる。

 ああ、もう駄目。
  こうなったら、手の施しようがないんだ。
 わたしは諦めて、
その影をこころに浮かべたままにしておくことにした。
「いいじゃない。好奇心なの」
「好奇心を思いっきり利用されて、ネギとたわむれる鴨みたいに、不要なものばかり買わされてるだろ」
「いいの。探求欲をなくして、ミニマムばかり求めたら、まるでこころすっかりおじいさんじゃない」
「おじいさん?」
「そうよ、まるでたくあん任せ」
「なんだよ、たくあん任せって、それってけなし言葉なのか」
なんてあいつが、面白がるから、
「うーん、どうなんだろう」
と思わず考えてしまった。
考えているうちに、自分の祖父のことを思い出したから、
「そういえば、うちのおじいちゃんさあ」
なんて、まるで方向転換。あいつから、
「なんで、そーなるんだ」
なんて笑われながらも、
「たくあん、喉に詰まらせて、大変だったんだから」
なんて、結局はおじいちゃん話で盛り上がってしまう。
 あれは、たしか……一年前の秋だった気がする。
  やっぱりこのスーパーのジュースコーナー。

 そうなんだ、あいつとの買いもの記憶が多すぎるから、ここに来るたびに、あいつのことがぷかぷか浮かんで来て、遣り切れなくなってしまうのだ。だったらいっそ、他のスーパーに行けばいいのだけれど、なにしろここは、マンションから近いのだし、値段もお手頃なわりに、鮮度が保たれているから、どうしたって距離の向こうで、買い物は済ませられないのだった。それにしても……

 考えと、行為とが、分離独立している。
  そんなとき人は、考えているのだろうか。
   それとも、行動しているのだろうか。
  わたしは、気がつけば、ちゃんとお気に入りの、
 リンゴジュースを選び取っているのだった。

 リンゴは体に良いのだから、果汁百パーセントを、毎朝飲むのがわたしの日課である。そのくせ幼い頃から飲み続けてきた牛乳なんかは、いつの間にやら、すっかり飲まなくなってしまった。それはあるいは、アルコールを覚えた頃からだろうか……
 そういえば、アルコール、
  ちゃんと、家にあったっけ?
   うん、大丈夫。大丈夫。
  夕べ購入したばかりじゃないか。

 近頃はリースリングの白ワイン。甘いところを、だらしなく酔ってしまう。そうしてチーズとたわむれる毎日。でも、そんなチーズはすでに買ってあるのだ。それがチーズ売り場に反応しなかった、今日のわたしの態度になって表れている。なんて、変な理屈を考えていたら、急におかしくなって、思わずにやけてしまうのだった。それにしても……
 ひとりになってから、
  酒量が増えたなあ……

 だらしなくレジへと向かって、並び掛けてしまうわたし。
「ああいけない、肝心のお肉はどうしたのだ」
こころのなかに真っ赤な信号が点された。前に並んでいるおばさんの買い物カゴから、不用意に牛肉が見えたのが、奇跡のように思われる。買うべきものを買い忘れたときの、あのピーマンを割ったような虚しさときたら。ぽっかりした空洞に見舞われて、なんてこったいとへこたれるような味気なさ。それは、チラシに定めた特売品の、目の前で尽きたときのようにだらしない。そしてそんな日に限って、特売以外に買うべきものなど、何もありはしないのだ……って、これってなんだか、変な感慨だ。

「また、買い忘れたのかよ」
 耳元にあいつの声がささやいた。
  ああ、うるさい、うるさい。
 これ以上わたしに関わるな。
もう体裁なんか構っちゃいれなくなって、わたしは威勢良く、サランラップの安売りエンドをすり抜けて、お肉のコーナーへと舞い戻る。買い忘れまるだしの失態にしたって、誰にだってあることなのだし、そんなことを笑う人なんて、もうどこにもいやしないのだ。

 お肉コーナーは鮮魚コーナーの隣にある。それでいて、仲違いするカップルみたいに切り離されている。バックヤードだか、バックルームだか知らないけれど、ふたりの関係は、倉庫への扉で仕切られてしまったのだ。ときおり商品と一緒になって、安い制服の従業員が出入りするときに、いちいち、
「いらっしゃいませ」
なんて丁寧なお辞儀をする人と、お客を無視して、ごろごろ転がしてくる人と、社員教育の一貫性が保たれていないのが、刺身のツマのしなびたみたいでちょっとだらしない。なんだか、話声が聞こえてきた。

「鍋のコーナーだけでなく、ここにもカセットコンロの替えを置いたらどうか」
「この下にですか」
「鍋の巻物がまだ余っていただろう」
「頻度品的な野菜の買い忘れに注意を喚起した方がよくありませんか」
上司と平社員らしいふたり組が、お肉のところであれこれ思案しているようだ。わたしはちょっと聞き耳モード。こころがさ迷っているものだから、対象物が欲しくなってしまう。これって……よくない兆候?

「今年は一気に冷え込むから、機会ロスだけは起こさないように」
「すき焼き用を多めに仕入れておきましょうか」
「そうだな。だが、もちろん、ロスも出さないように」
なんて、上司だから、勝手なことを平気で言っている。それを、三十代くらいの眼鏡をつけた背高の従業員が、恐らくお肉の担当なのだろう、懸命に相づちなんかうっているのだった。

 それを見ているうちに、わたしは今朝の朝礼を思い出す。うちの上司が
「この数値をもっと上げるように努力すべきだ」
なんて、数値の上がらない原因を究明するでもなく、新たなる対策を提唱するわけでもなく、のんきに訓令している姿が浮かんできて、それでいて懸命なのはかえって若手ばかりなのを思い起こして、ああ、この国の企業体質というものは、なんて年功序列に無能を究め尽くすのだろう。こんなんじゃ、周辺国に、筍(たけのこ)ぐんぐん追い抜かれていくばっかりだ。そんな、日頃は知ったこっちゃないような、日本情勢について、思わず考え込んでしまうのだった。でも、しばらくたったら、
「なあんだ、これって、わたしの意見じゃない。数日前のどこかのニュース解説のパクリじゃないか」
ようやく気が付いて、ちょっと苦笑い。すぐにメディアの情報を自分の意見と錯覚するなんて、慢性的な現代病には違いないのだ。

「そうそう、お肉お肉」
 そんなばやいではなかった。
 危うくまた生姜焼きを忘れそうになったから、慌ててお肉を探し始めた。牛肉コーナーを逃れて、まるまる太った豚のコーナーへと歩み寄る。解体された豚どもの怨念が広がってくる……って、そんなわけないか。

 わたしは、今は一人だから、少量パックのグラム数を気にしながら、少しでも色のよいものを探してみることにした。夕飯の買い出しに荒らされた後だから、やっぱりそこかしこがもぬけの空になっている。それでも生姜焼きくらい、ロースの薄切りがあれば出来るから、まず心配ない。まさか豚肉完売なんて、いかさま健康番組でも流行らなければ、あり得ようはずはないのだ。でもたしか、捏造あるある大辞典の頃は、納豆が無くなる騒ぎなんてあったっけか……

 不意にわたしは、納豆を買いに走ってしまったあの日の失態を思い出して、なんだか急に恥ずかしくなってしまう。だって……わたしが悪いんじゃないんだ。ダイエットと食事を両立すべく、日々努力する深層心理をもてあそぶなんて、そっちの方がどれほど悪いか分からない。決して、お馬鹿で餌に釣られちゃったんじゃあない。餌にでもすがりつきたい思い。せっぱ詰まったダイエット欲。切ないほどのたましいの願い。きっとそれだ。なんて、思わず今頃になって、下らない言い訳を念じてしまうのだった。

「そういえば、あいつと知り合ったのは、それより後だったっけ……」
余計な感慨が湧いてくるので、慌ててパックの肉を選別し始めると、いつの間に、背後から迫りくるサラリーマンの中年男性が、まるで順番を待つみたいに、うしろから覗き込んでくるではないか。無駄に図体がでかいのが、気配からでも分かってしまう。
 ああ、来るな、来るな。
  なんでそんなうしろから眺めるのだ。
   わたしはプレッシャーに弱いのだ。
  たちまちだらしなくなって、
 ちょうど手に持ったパックを、
カゴに差し込んで、まるで、
「ああ、ごめんなさい」
みたいな調子で、そそくさと立ち去ってしまうのだった。

……なんたる、情けなさ。
 つい事なかれ主義へと逃れてしまう。
  そんなことだから、過去と決別が出来ないのだ。
   なんて関係ないはずのことが結びつけられて、
  買い物カゴまで重くなってくる気配だった。

 買い忘れを済ませてわたしは舞い戻る。
  戻ったからとて、何も変わらない。
 ピークを過ぎ去ったレジ並びだから、
中央付近でスキャンをまっとうしている。
 主婦のパート時間を過ぎ去って、学生バイトも目に付くくらい。だけど、並びの少ないところを狙ったら、しまった、なんという失態だ、例の「ゆっくりおばさん」なんかに遭遇してしまうのだった。まるで、アサリに祟られたときの砂粒を、ガリッと噛みつぶしたみたいな味気なさ。ペスカトーレスパゲッティの楽しみも、ビールの泡と消え果てた。そんなダークブルー。って、こんな感慨じゃ、誰にも伝わらないか。

 この人は、パートのおばさんには違いないけど、まるで映画のスローモーションみたいに、ひとつひとつの動作が緩慢としているのだ。葛湯(くずゆ)のなかで作業をしているみたいな、淀みきった動きで、ひとつひとつ丁寧につかんでは、探りを入れながら辛うじてスキャンをまっとうしている。そんな有様。あんまり淀みに満ちているものだから、わたしのこころまで淀んで来た。つい思考が脱線して、ホットな甘味を家に切らしていることなんか思い出して、急に葛湯が欲しくなって来るのだった。だって、ちょっとおばあ体質をからかわれそうだけど、あたたか葛湯は断然おいしい。風と寒さがしのぎを削る頃、ココアと葛湯はどちらも譲れない。そんな夜にはミカンと一緒のこたつ猫が一番のしあわせなんだ。なんて、不意に実家のあたたか時代が浮かんできて、そうしたら、ひとりぼっちのマンションが、殺風景で遣り切れなくなってしまうのだった。それにしても……

 わたしがこれだけの感慨を浮かべているのに、まだレジの商品は三分の一しか、こちら側に移されていないのだ。おまけに、ゆっくりしながらも、懸命な表情なものだから、「ゆっくりおばさん」のなかでは、これが最大限のモーションには違いない。だからわたしたちの間では、
「一生懸命なのにゆっくりおばさん」
なんて呼ばれていて、そこだけは並ばないように気をつけていたはずなのに……

 でもこのおばさん、なまじ年季が入っているものだから、わたしの顔だって知っているには違いないのだ。なにしろわたしは、昔からここの常連さんだから、彼女から気さくな挨拶をされたことだってあるくらいだ。今日は、不条理なくらい、あいつとの回想に揉まれた後だから、おばさんが生姜を移した拍子に、偶然ひとみがかち合ってしまった時、わたしはなんだかうしろめたい気分がした。たちまちこころの中で、ひそひそささやき声が聞こえてくる。

「ほら、あの、よく一緒に来てたじゃない。男より背の高いさあ。OLみたいな服装の」
「近頃、いつもひとりで来てるじゃない」
「男と別れたのかしら」
「なんだか、わたし思ってたのよ。あれはきっと別れるって」
「そんな雰囲気だったの」
「だって、仕草がさ」
なんて、男と来なくなったわたしを、陰口の餌にして楽しんでいるような、そんな妄想さえ沸き起こって来るのは情けなかった。

 ああ、いっそ、隣に並べば、よかったなあ。
  丁寧に、お幾らなんかしなくていいから、
   ピッピピッピと手際よく切り抜けて、
  精算を済ませてくれないかなあ。

 どうして、隣の学生のアルバイトのところに並ばなかったろう。なんて、取り留めもなく想い浮かべて、ああ、そうだった、カゴを冷凍食品で埋め尽くしていた、みすぼらしいなりのお婆さんのせいだったと気付いたとき、ふと振り向いたらそのお婆さんは、すでにサッカー台の方で、荷物を詰めている最中だった。

 こら、下らないことばかり気にするな。
  どれほどひとりで買い物に来ているのだ。
 今さらどう思われようと、どうでも構わないことではないか。
だいたい、こんなゆっくりしたパートのおばさんが、影でなにを話したからって、わたしとなんの関わりがあるというのだ。こんなことばかり気になってしかたないのは、ようするにわたしの、いじけごころには違いないのだ。あるいは、そんないじけごころが原因で、わたしはいつしか嫌われてしまっただけなのだろうか……でも……わたしにだって、あいつに対して言い分はあるんだ。

「千二百九十二円です」
 おばさんが告げるので、不意に我に返った。
  いけない、いけない、しっかりしなくては。
 もちろん世慣れたものだから、こんな時、驚いたような仕草は見せないんだ。さもなんでもない風に、財布を開いて、千円と、それから二百九十二円を、十円玉を九つ数えて、丁寧に取り出してみせるのだった。
「よくそうやって、次の人が待っているのに、のんびり一円ずつ出していられるな」
かつて、あいつに言われたことがある。
「当たり前じゃない、自分最優先でしょ。あんた、そんなこと気にしてたわけ」
「実は、けっこう気にする」
「小銭が出せないの?」
「つい、お札だけ出して、無駄な小銭を増やして」
「だらしない」
って笑ったら、
「良心的なんだよ。デリケートなの」
と、デリケートなんか似合わない外見なのに、平気で言うものだから、大受けしてしばらく噴き出してしまった。考えてみれば、お肉のパックを選ぶときには、だらしないはずのわたしが、レジでは図太く構えているのだから、人間、単純に繊細だとかずぼらだとか、割り切ったり出来ないものなのかもしれないのだ。

 不意にそんなことを、たまらなくあいつに言ってみたくなって、そうして、あいつから批評めいたひと言を、返して貰いたいような想いが溢れてきた。ああ、まったく、今日はどうかしている。街灯のかなたから差し込める、蒼々(あおあお)した月光を浴びたものだから、月に憑かれたピエロみたいになっちゃって、こころをかどわかされているだけなのだ。

 レシートを受け取ったまま、財布と買い物カゴを両手にして、サッカー台へと逃れると、今日の特売セールの品名が、ビニールロールの上に備え付けられていた。
「白砂糖、鍋焼きうどんのたれ、かつお節の小パック……」
など、品物を袋に詰めながら、ついたどり読みなんかしてしまう。すると、買い忘れのラップが安売りされているのが目に飛び込んできた。
「あ、そういえばさっき……」
たしかにわたしは、お肉を求めて売り場へ戻る途中で、このラップの横を通ったはずなのだ。たちまちもう一度、フロアーに戻りたい欲求が溢れてくる。ああ、だらしない、まるでこころにゆとりがないから、普段なら気づくはずの特売を、そそくさと素通りしてしまったに違いない。それにしたって……なんで買い物終了を告げるサッカー台に、余計なものを備え付けておくのだろう。昔からあるはずの、連絡事項でさえも、今日はたまらなく憎たらしく思えてくるのだった。

 ああ、駄目だ。
  はやくここから逃れよう。
   目に付くものすべてが、
    いちいち突っかかってくるのは、
   これはいったいどうしたことだ。
  ああ、本当に、いやだいやだ。

 偶然、隣の台を眺めると、さっき冷凍食品をため込んでいたお婆さんが、驚くべき緩やかさで袋の中へと詰め込んでいるのだった。そこにはもう、ゆっくりおばさんのスローモーションさえもなくなって、まるで水飴のプールを泳いでいるみたいに、固まっているんだか動いているんだか分からないような緩やかで、コマ送りが延々と続いているばかりなのだった。髪の毛が薄くて、朽ちかけの白髪のネギみたいで、初老なんかでは語り尽くせないくらい、シワにまみれたお婆さん。わたしは、なんだか急にいらいらして、ありったけの商品を次々に押し込んで、
「ああ、いやだいやだ」
その老婆を見ないようにして、買い物カゴを投げ捨てるように、靴音をはきはきと出口へ逃れるのだった。なんだか、昨日、今日、明日、毎日の生活の果てに辿り着く、おんなの終着駅を見せられたようで、遣り切れないような、ぞっとするような、不穏の気配が、わたしに襲いかかってくるのを感じたからである。だって近頃、毎日毎日が忙しくって、まるで職場へと奉仕する端末かなにかみたいに、規則正しくタイムカードをスキャンし続けている……そんな行為が、自分を追い立てるような、自分のこころを奪っていくような、そんな強迫観念さえ、ちょっと浮かんでくるほどの黄昏(たそがれ)なのだ。

 あるいは、あの頃から、わたしはすでに追い詰められていたのだろうか。ようするにわたしたち、ゆとりを無くした生活が原因で、こころに潤滑油を失ってしまい、些細なことがギスギスと傷つけ合って、すり減らされてしまっただけなのだろうか。ふたりのこころが、ふたり共に社会に浸食されて、少しずつ歯車が狂わされていっただけなのだろうか。
 それは……
  分からないけど……

「また、買い忘れたのかよ」
 とびらを抜けて、煌びやかな照明シャワーをくぐり抜けた時、淋しい夜風がふっと頬に打ちつけた。駐車場のアクセントみたいな、黒々した樹木の茂る向こうから、虫の鳴き音がかすかに聞こえてくる。今年が異常気象だったせいか、それとももうシーズンも終わりなのか、か弱いくらいの侘びしさで、音色も乏しく鳴いている。それに聞き耳を立てた瞬間、
「また、買い忘れたのかよ」
そんなあいつの言葉が、不意に浮かんできたのだった。

 そうだった。よく店を離れてから、買い忘れにあたふたするわたしに対して、あいつは屈託もない調子で、よくからかったものだっけ。
「いつも忘れるんだから、素直にメモしとけばいいじゃんか」
「いつもって、そんなに忘れてないでしょ」
「二回に一回はなにか忘れてるだろ」
「そんなことない」
「それって、まさか」
「なによ」
「忘れてることすら、忘れてる?」
そうして二人して、笑い出す。そんなあの頃。

 だけど同じはずのその言葉が、優しくじゃれ合うみたいな、冗談みたいな言葉のキャッチボールが、いつの間にか、少しずつ、違った意味を持ってくる。それはいつのことだったろう。
「うるさいわねえ、忘れたんじゃないの。いらないの」
「へえ、シチューにタマネギいらないのか」
「いらない」
「いつもは入れてるくせに」
「今日はいれない」
なんだか、ふたりの口調が、いつしかとげとげしいものに変わっていった。それはなぜだろう……

 あるいは、そういう不可逆の変化を、恋人たちは恋愛の寿命のうちに、誰しも爆弾みたいにして抱え込んでいるものなのかもしれない。それで同じ言葉が急にこじれの原因となって、破局へと導くのかも知れない。それとも単にあいつとわたしのフィーリングが、こころの深いところでは食い違っていたのを、しだいしだいに、互いに発見していっただけなのだろうか。なんだかよく分からない。ある時、自分でも不思議なくらい、今まで何でもなかったはずの言葉が、互いに針で突かれたみたいに、気に触るようになってしまい、いつしか些細な出来事で、言い争いが生まれたりして、でも、そうなってからも、ずいぶん続いてきたものだったはずなのに……

 いつしかきっと、避けられない終局が訪れて、わたしたちはもう、喧嘩と仲直りのサイクルを、繰り返すことに疲れてしまい、もはや関係を修復するよりはって、ある時、こころの中に定めてしまった。そんな瞬間……

 それはまるで、宿命みたいに、わたしとあいつの間に訪れて……ううん、あるいはそれは、世のあまたの恋人たちの間にだって、いつ訪れるか分からない、人の営みの不思議には違いないのかも知れない。そうして、もうそうなったら、どうしても一緒にいるということが、困難でたまらなくなってしまう。お互いがお互いでもって、相手を疲れさせるばっかりだ。でもそれは、決して、憎しみなんかじゃない。嫌いなんかでくくれない。もっともっと複雑な感情で、解読すら困難な宿命じみたものなんだ。

 だってわたしは、いまでもあいつの面影をばかり、今日だってこんなにも、だらしなく浮かべてばかりなのだし、それでいてもし今ここに、突然あいつが現れたからといって、今となってはどうしても、うまくいきっこないことだって、やっぱり真理なのだし、ああ、人のこころというものは、なんてままならないものなのだろう。それはまるで、人の世の定めみたいにして、わたしのこころを寒がらせている。ああ、買い物袋が、ちょっと重たいなあ。

 さみしいと思って仰向くと、秋の夜空はどこまでも高くって、十五夜を待ちきれないような月の光は、煌々(こうこう)と、わたしのこころを、なだめようとしているのだった。

        (おわり)

作成

[作成2010/10/21-11/23(だらだらと)]
     (原稿用紙換算56枚)

2016/11/22 朗読まで掲載

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