ベートーヴェン 交響曲第9番 第1楽章前半

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交響曲第9番 1楽章

Allegro ma non troppo,un poco maestoso
d moll,2/4拍子

概説

 この楽曲解析部分は自己確認を兼ねているので恐らく必要以上に同じ事が繰り返され、くどい状態にあるかも知れません。が、再構成に時間を取るよりも、もう次に行くので、「このままでも、まあ話は通じるだろうが、決して最終形じゃないよ」とお茶を濁しておきましょう。

提示部(1-159)

第1主題提示部分(1-79)

第1主題派生(1-16)d moll
<<<確認のためだけのへたれなmp3>>>
・機能和声を確定させるキーポイントである第3音を抜いた空5度の響き(空虚の5度)が、長く引き延ばされるホルンと細かい弦の刻みによる伴奏によって、ほとんど消え入るぐらいのピアニッシモで靄(もや)の中から楽曲が開始する。この空5度は、音響学的に倍音同士の差音の関係から「長か短か」と姉さんが掛け声を掛ければ、長3和音の第3音(cis)の方が内包される為、後の(d moll)への属和音という可能性が優位であるとはいえ、調性を指向する機能和声的立場から見ると、実際はどこにも方針の定まらないただの空虚な5度である。やがて弦楽器に(a→e)と(e→a)という2音だけの断片が靄の中から姿を現し始め、それに合わせて管楽器の保続音を順次導入させると、クレシェンドをしながら(a)と(e)の交代密度を上げ、その最中15小節でファゴットが(d)に移行し、それまで空5度を形成していた(e)の音が消失し、(d-a)による空5度に取って代わられる。こうして(d moll)の主和音による空5度が登場すると、これまで(a-e)を彷徨っていた主題断片が、(a)の連続オクターヴ上下運動となり、激しい縦の揺れを引き起こし、それが引き金になって遂に主題断片が旋律化を果たし、(d moll)の3和音すべてを使用したフォルテッシモの下行分散和音による第1主題が開始する。つまりここまでは第1主題の派生を表わしたものと解釈できるが、靄の中で水平ラインに形成された和音の響きが次第にクレシェンドしていくのに合わせて、次第に縦方向の揺らぎが成立して、派生して旋律化していく様子は、何か第3番の1楽章の主題派生を彷彿とさせるものがり、3番よりも主題の派生に膨大な時間を掛けることによって、3番とはまた異なる独自の主題を表わすことになる。この縦方向の揺らぎである主題前最後のオクターヴ上下運動の動機は楽曲を規定する重要な動機になっているので、ここで主題前上下運動動機と命名してみよう。

第1主題(16最後-35)d moll
・主題の構成方法は大きく見ると第3番1楽章の第1主題誕生の儀式を踏襲している。つまり始めに分散和音が水平ラインに垂直のエネルギーを加えることによって、水平ラインから旋律が派生してくるような効果が、ほぼ同じように採用されているのだが、第3番が2音の序奏冒頭動機の後に、長調による放物線のような分散和音から緩やかな水平方向への揺らぎが表われたのに対して、第9番では長い前奏の末に蓄えられたエネルギーが短調の分散和音下行型として2オクターヴ下降し、そのインパクトの反動でオクターヴ以上跳ね上がった(f)音から開始する、特徴的な16分音符順次下降とその後の特徴的8分音符(動機w)が水平線を揺るがす波となって、続く21小節から24小節まで分厚く盛り上がり、その後順次下降(25-26)から波がぶち当たって誕生したようなトランペット、ティンパニーのリズム動機R1と、旋律の揺らぎ(27-30)を経て、(31-33)小節で再び波が大きく盛り上がって最後の走句的パッセージ(動機y)によって押し流され、再び水平線に消えていく、という様相で形作られている。かつて第3番1楽章が序奏冒頭動機から主題動機が順次生み出されるやいなや、直ちにそれら動機が元になって次々に新しい部分を形成し続けるべく作曲され、第1主題自身というより、派生して第1主題を形成した動機自身の展開の遍歴が第1楽章を形成していたのに対して、この第9番に置いては第1主題自身の存在が楽曲全体を構成する一つの単位になっている。それは後に説明することにして、第1主題自身に目を遣ると、まず終止するかに見える主題旋律が、実際は次に次に発展して長い主題を形成する事により流動性を高め、常に推移し続けるような安定しない状態で提示されているのが目に付く。この性格は楽曲全体を規定していて、この第1楽章には安定して落ち着くべき場所が他のどの交響曲の第1楽章よりも遙かに少ない。(例えば流動性の高い第3番よりもずっと少ない。)
・そこで改めて、じっくり第1主題を調べ、その状態を探ってみることにしよう。まず主題開始と共にフォルテッシモのユニゾンでティンパニーのとどろきと共に提示される分散和音の強い複付点は、もちろん楽曲冒頭の(d-a)断片自体が生みの親になっているが、言うまでもなく作曲時には第1主題側からさかのぼって主題派生部分に持ち込まれ、結果として耳が第1主題の所で複付点が誕生したかのように知覚する訳である。その複付点を伴って下行分散和音が高い(d)から2オクターヴ下の(d)まで下降するから、そのエネルギーは壮絶だ。まずこの下降分散和音を動機vとする。この分散和音のインパクトに押し出され跳ね上がるように、返答として主題はオクターブ以上上昇した(f)音から16分音符のスタッカートで3音順次下降(f→e→d)した後、わざと属7和音を規定する第3音の導音を抜き取ってカデンツ形成を避けた8分音符の特徴的なスタッカート4音(a→g→e→a)の音型を提示して(d)にいたる。つまり2オクターヴ下降した分散和音型が、最後に中心部分の(d)に辿り着くわけだから、よほど大きな分散和音の衝撃が、水平に推移していた和音の響きに衝突した事になる。この19小節から20小節のスタッカート4音までの動機vに対する応答、あるいは衝撃の結果生じた動機を動機wとする。ここには楽曲全体で重要な役割を演じる重要な動機(f→e→d→a)つまり(たたたたん)を含むが、これをリズム動機R1としておこう。さて、第1主題だけを見たとき、確かにこの動機v,wを合わせた(17-20)が楽曲を構成する最重要な主題部分を形成しているのは事実だが、ただし楽曲全体を規定しているのは第1主題全体であり、決してこの部分だけが第1主題ではない。アルファベットも事欠く有様だから、この最重要楽曲構成部分(17-20)を「第1主題中心主題」とでも銘打っておこう。ただし主題の作曲は、35小節まで含んで初めて1つの主題となるように構成されているので、続く部分を調べていく必要がある。恐らくこの主題が明確になれば、自ずから第1楽章のプロットと存在意義が浮かび上がってくるに違いない。(・・・また、大きな風呂敷を広げなすって。)
・「第1主題中心主題だけが第1主題じゃない!」とベートーヴェンが叫んだことは無いだろうが、実際視聴していても主題が20小節で一息ついたとは思えないだろう。それはその筈だ、20小節のスタッカート4音のところでは、わざわざ属和音を規定する第3音を避けて使用せず、その代わりに次の21小節目からスフォルツァンドの管弦和音総奏によって(Ⅰ→Ⅴ→Ⅰ)のカデンツを形成し、終止の力点を完全に21小節側にシフトすると同時に、このカデンツを使用して上声は(d→e→f)と3音順次上行して終止感の代わりに、次への移行を強く表わし力を溜め(22小節目)、さらに初めて登場する色彩和音Ⅳ和音(サブドミナント系和音の修飾的効果のこと)を経由しながら(g→a)と順次上行を続け、24小節で(b)にまで到達する。この分散和音動機vの衝撃によって生み出された水平線の盛り上がりが、津波を沸き起こすべく力を増していくような、順次上行の力強さを見よ。しかもこの(b)は再び動機vの登場で表われた強弱記号フォルテッシモによって「ナポリのⅡの和音1転」という強烈な印象を与える和音を使用して提示されるため、その印象はあまりにも強烈だ。こうして津波の源となる大きなエネルギーの形成の強烈な印象によって、動機w部分での旋律の動きだけによる弱い終止性の印象は、全く終止感を持たず、完全に次の部分への持続性に書き換えられて行くように思われる。
・続く24小節からは第1主題の次の部分を形成し、水平線に分散和音が衝突して波が派生したという説明でも旨く行くが、普通に見てもベートーヴェンが主題形成でよく行なう、前半の分散和音的部分に対する後半の旋律的パッセージ部分(あるいはその逆)という構図が第9番でも使用されていることが分かる。動機の命名も兼ねて改めて説明すると、すなわち「ナポリのⅡの和音1転」上で、今度は第1ヴァイオリンの旋律が、長く保持された後に順次進行で下降(動機x)して盛り上がった波が密度を増して押し寄せ、27小節の頭のスフォルツァンドで旋律が途切れ、波の衝撃からトランペットとティンパニーが特徴的な激しいリズムを打ち鳴らす。これは2回目29小節の提示が完全なものなので、これをリズム動機R2)とする。このリズムに対して管楽器が付点の意味を保った短い旋律的パッセージを(e→c→d)という上行下降を合わせた水平的旋律(動機y)で応答する。このリズム動機R2と動機yがもう一度繰り返されると、31小節目からは管楽器ではフルートが先ほどの動機yの音型を元にしながら、対して弦楽器はヴァイオリンが跳躍分散和音上行を主体にして、管弦総奏により4分音符の小節をまたいだシンコペーション的な和音部分を強烈に印象づけ、再び大きく盛り上がると、34小節で再度(d moll)主和音の空5度が開始して、その上でヴァイオリンとヴィオラが細かい32分音符を使用した音階下降パッセージ(動機z)を奏で2回目の波が打ち寄せる。
・という分散和音の衝撃による水平線の波に見立てて大きく2回の津波によって第1主題が終わるが、24小節目のナポリ和音が登場したところから、さらに主題の確認を行なって行こう。このナポリ和音は(Es dur)なら主和音である(es-g-b)になるが、ヴァイオリン旋律の順次下降音型は(e)にフラットが付き(es)になる一方で、(a)の音にはフラットが付かないため、この旋律は(Es dur)の属性ではなく(B dur)のⅣ和音上の性格を持っている。そしてその響きの上で(b)から旋律が順次下降する形になっているため、第1主題領域である(d moll)に対して、この楽曲の第2主題の属性(B dur)がここに予知されているのが分かる。またその響きの効果については、ナポリ和音と云えば短調属性を断言する主和音の響きに対して、その短2度上に不意に登場する不可思議千万無量な長調の響きとして、例えばシューベルト的な効果が一つあるが、ベートーヴェンがこの部分で使用した和音効果はこの用法に類似している。(ただしナポリ和音はこのような幾分尋常為らざる効果として使用するのは和音効果の関心が次第に高まる古典派以降で、バロック時代のナポリ和音の用法がこのようなものだったわけではない。)しかもこの第9番にあっては、このナポリ和音の効果にも見られる、短調に不意に割り込む長調領域、長調を不意に打ち破る短調領域の急な変化が一貫して使用され、冒頭に提示される調性不確定な空5度と共に大きな特徴をなしているが、このナポリ和音はその短調長調の不意な割り込み領域の開始を告げるものとして効果的に配置されている。つまり楽曲を支配する性格の由来はここでも第1主題に集約されているのだ。そして実際は全体の調性プロットから導き出されたのだろうが、完成した楽曲を聞いていると、この部分の調的な力が引き金になって、2回目の第1主題冒頭部分の提示(51-)が(B dur)に変化して、続いて第2主題が(B dur)で行なわれていくように感じられる。さらにこのフォルテッシモによる下降音型の部分は、調性だけでなく伴奏動機にも重要な素材が内包されている。つまりこの動機x部分の伴奏には、前小節から1拍伸ばされた後に8分音符を3回同音で打ち鳴らす音型が含まれるが、これは動機w部分前半リズムの音価を引き延ばし、(20)小節目の8分音符リズム的にして誕生させたものである。そしてヴァイオリンの伴奏では、その4分音符がさらに跳躍オクターヴ2音上下している伴奏が含まれているが、これは第1主題前の主題が誕生する際に生じた(15-16)小節の主題前上下運動動機から来ている。これらの各動機は以下に登場する動機x部分に基づく楽句の部分で、変化をしながら使用されていくことになる。
・まだ終わらない。改めて全体を見渡すと、主題は前半の分散和音下降的部分と、後半の順次進行的旋律部分を中心として、前半の和音的部分である22,23部分は順次進行的で楽句の前後両方に対してバランスを取っているのに対して、主題後半の和音的部分である(31-34)では3小節を掛けて、分散和音と旋律的精神両方を配合し締めくくりのクライマックスを形成している。また主代前半が旋律としては開離の激しい分散和音下降型とその後のスタッカート動機で形成されているのに対して、後半24小節の旋律の入りはメゾスタッカート(引き延ばし気味のスタッカート、弦楽器で同一方向の弓で演奏するportatoポルタート奏法によって)で行なわれ、さらにその後はレガートの短いフレーズが使用されているという対比を見ても、多様性と構成力の調和が見て取れる。しかも主題前半の直線的で強烈な下降エネルギーに対して、主題後半部分では管楽器の旋律フレーズと、トランペットとティンパニーのリズム(R2)提示自体の応答を2回繰り返し色彩変化と、リズム変化と、時間軸の引き延ばし(2回繰り返される事によって時間が引き延ばされて感じられる)を動員して、前半エネルギーに対してバランスを取ると同時に、楽曲構成の重要動機を提示し、また次々に変化を続けて止まない第1楽章全体の精神を提示するという、比類無い主題創作がなされている。そして最後の走句的パッセージ部分では、第1主題の繰り返しに移行するため、33小節目でⅠの2転に到達して本来なら属和音が登場するという期待を裏切り、そのままⅠの2転から第5音無しの空5度によるⅠ和音(つまりd-a)が提示されるという和声変遷の上で、(属和音の力を貰えず力点を失って)急激に力を落とす走句的パッセージとして、再び空5度の靄(もや)の中に消えていくのであった。
・またこれを水平線の揺らぎとして観察すると、動機vの分散和音下降音型の衝撃から、その衝撃が水平線に作用して動機wの旋律とリズムを形成、直ちにインパクトが水平線に作用してカデンツを形成しながら和声的に高く膨らみ(21-23)、最高点に達したところでナポリ和音のフォルテッシモが順次進行下降型で押し出され、盛り上がった波が荒れて進行する中から(動機x中に含まれた複付点の影響もあり)リズム動機R2が誕生し、それに動機yが中間的な小さな揺らぎを形成するが、最後のシンコペーションリズムの和音的提示で再び大きなうねりとなって盛り上がり、終止パッセージ動機zへ押し流されていく。と云うように水平線から旋律曲線が形成されていく中にあって、第1主題中心主題部分の複付点の込められた分散和音下降型と、それによる一連のリズム派生が、主題全体を形成すると同時に、この第1主題全体は、何かを生み出すために空5度の靄の中に投げ込まれた外的要因として楽曲全体を規定しているように思われる。主題派生に見られる水平線のゆらぎというのは、こじ付けがましいたとえ話だと思われるかも知れないが、もっと明確に視覚化できる形で交響曲第3番1楽章で行なっていることから、3番の作曲方法を元にもっと拡大させて楽曲を形成する事を思いついたと考えられる。

第1主題繰り返しから推移へ(36-79)
・今度は(d moll)Ⅰ和音による空5度の中で、とぎれとぎれの(a→d,d→a)の2音進行が次第に旋律化していき、その途中49小節でファゴットが(b)音に下降するやいなや(d moll)のⅥ度となって第3音が確定。つまりはここで(B dur)に移行すると、「第1主題中心主題」がティンパニー轟くフォルテッシモで、今度は長調の(B dur)によって提示され、ここまでが第1主題の繰り返しであり、続く部分は繰り返しの途中から展開して第2主題への推移に移行するという、お得意の第1主題の生き様が提示されるが、展開しながらも続く推移部分は、完全に第1主題の変形として解釈可能という、構成感と多様性の見事な結合がなされている。(まあ、見事なのは、いつもの事だが。)それじゃあ、それを見ていこうじゃないかという話になって、結局何時になっても先に進まないわけだ。
・(B dur)で「第1主題中心主題」が完全に提示されると、その後リズム動機R1、すなわち「16分音符順次下降3音後跳躍上行音型」(意味もなく命名してみた)を管弦交代しながら再度(d moll)に移行しつつ推移するが、ここではトランペットとティンパニーの強いリズム補強も聞き逃しがたい。この管弦交代はお得意の方法で62小節目に応答的交代を止めて、管弦総奏で一斉にリズム・旋律密度の高い楽句クライマックスに到達するが、実際はこの部分までがまさに推移的に拡大された「第1主題中心主題」を形成している。
・続く部分は(63-67始)が基本楽句単位となって、(67-73)までがその拡大変奏になっているが、第1主題の後半順次下降動機xの拡大変奏旋律3小節分から、動機x直前の順次進行的和声部分へ立ち戻ったもの(ここでは下行指向になっているが)によって作曲され、第1主題の「第1主題中心主題」以降から動機xまでを元に形成されている事が分かる。第1主題での動機x部分の伴奏で使用されていた、上下運動動機を元にした16分音符の細かい上下反復伴奏でエネルギーを増幅させつつ、変奏的な繰り返し部分では短いながらカノン風に推移主題を1小節遅らせて提示するなど、緻密な演出を交えながら推移し、第2主題への推移最後の部分に到達する。
・推移最後の部分である(74-79)は第1主題から見れば、つまり動機yの部分が元になっているのだが、続く第2主題という新しい情景を予感させる推移の到達点として非常に豊かな旋律線を描き、ここまでの流れの中で最も、調性的にも旋律的にも安定した部分を形成する。第1主題からここまでの状態を観察すると、流動性の高い絶えず次へ流れる性格を持つ第1主題の精神が第1主題領域の最後でようやく一端安定するという構図になっているが、これは第2主題でも類似の作戦が行なわれ、つまり再び流動性を増した第2主題が元になって、再び変遷のドラマが繰り広げられ、提示部最後の分散和音上行型のユニゾンのところで、第1主題が行なった変遷と同様に、最も安定した部分に到達している。次第に楽曲の構成が現れてくるようなので、良い心持ちがするからさらに先に進んでみる。
・その前に、この推移最後の部分を改めて調べると、安定とはいってもやはり推移的であり、管楽器群による旋律的であること、山なり旋律ではあるが上行的でも下降的でもない、つまり水平的である事、そして第1主題でトランペットとティンパニーのリズム動機R2が動機yと呼応していたのに対応して、旋律の中に組み込まれる形で弦楽器が特徴的なリズム動機(リズム動機R2の断片)を奏でる事などが、第1主題の動機y部分に対応している一方、その旋律自体は自由に拡大され、第2主題への導入的魅惑の部分を形成すると同時に、該当第1主題部分による自由変奏のようにも解釈されているのは見事としか言いようがない。よく見れば和声まで属7和音とⅠの2転が、最後に属7に移行する構図として第1主題該当部分に一致しているじゃないか。
・こうして第1主題繰り返し部分から推移へ移行したと解釈できる一連の第2主題への推移部分は、実際は完全に第1主題の構成要素の内にある出来事であり、しかも十全とその主要な部分に基づき3つの部分に分かれていると同時に、まず最初の「第1主題中心主題」の再現までは、調性を変えるだけの変化に留め再現性を確定し、それ以降を推移的精神を持たせ場面変化と多様性を際だたせて展開させつつ第2主題に繋ぐ辺り、何だか尋常ならざる作曲技法にはなはだ驚愕の心持ちである。もちろん、ただ譜面づらがそう作られていても音楽的には問題にならないが、ここではすべてが狙ったとおりに耳に響いて感情に作用するためついつい説明に熱が入って、膨大な情報量になってしまった。大いに堪能したので、ここらでごちそうさまをして2軒目・・・じゃなかった、第2主題に話を移そう。下のMP3は最後の推移部分から第2主題開始部分。
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第2主題提示部分(80-115)

・どうも驚く、第1主題部分以上に多様に変化して絶えず次の状態に移り変わりながら推移度を増す第2主題部分も、やはり第1主題(17-35)のそれぞれの楽句部分に対応して作曲されていた。
・まず「第1主題中心主題」に対応する「第2主題中心主題」(80-87)が普通の古典的ソナータ形式なら平行調の(F dur)で提示するはずの第2主題部分を(B dur)で提示、以降提示部終止まで(B dur)が基調となって形成される。さて第2主題部分全体は、比較的一つのまとまりとして凝縮していた第1主題全体より、一層それぞれの部分が独立的に作曲されているため、この「第2主題中心主題」部分だけが第2主題で、残る部分は次々に場面を変える推移のように感じられ、さらに第2主題中心自体も、自立的な楽句としての独立性は失われてはいないものの、非常に推移的性格を持ち、つまり続く推移的部分と等しい状態にあることから、第2主題全体(80-115)が推移的かつ場面変化に富んだものとして作曲されている。しかし第1主題との関連性で見ていくと、やはり(80-115)までをまとめて始めて一人前の第2主題と呼びたくなるようだ。ここまであらかじめ説明しておいて、それを具体的に見ていこうという分けだね。

第2主題中心主題(80-87)B dur
・さてこの「第2主題中心主題」は「第1主題中心主題」の持つ短調による直線的な分散和音下降エネルギーの提示に対置される異なる精神で、つまり長調による分散和音上行型で提示され、第1主題中心主題が分散和音下行型から続くリズム的派生による連続的に繋がった1つの線であるのに対して、第2主題中心主題の方は、断続的な繰り返しによって前半主題提示部分4小節が形成されれ、後半4小節がその変奏になっていて、要するに1小節ごとに分散和音上行型を確認し続けるように、第1主題中心主題とは精神も対比されて作曲されている。第1主題と第2主題の性格の対比は、(甚だ偏った見方だが)お優しく「男主題ー女主題」などと云われることがあるが、ここでは情緒的な旋律による対比ではなく、上行と下行分散和音の精神や、連続的な膨大なエネルギーと小節ごとの小刻みなエネルギーの表出といった、主題構図自体を互いに反して作曲することにより、理念と反対理念の対置のような精神の違いを抽象化して提示しているようだ。そしてこの楽章においては、第1主題も第2主題も人間的な情緒感としては掴みにくい大分抽象的な精神を表わしているように思える。(例えば神に対する崇高の感情とか、自然に対する畏怖、あるいは憧憬といった、より抽象的で高次の精神という意味。)この性格は楽曲全体を覆っていて、もう一つのイメージとしての、常に確定すべき楽曲を探し求めて彷徨い続ける形成段階、次第に形を整えつつあるような印象と共に、楽曲を規定している最重要要因となっているが、それがもたらす楽曲全体のイメージについては最後に改めて考察することにしよう。 ・「第2主題中心主題」を改めて観察すると基本最小楽句単位(80-83)は、管楽器が分散和音上行を念頭に置いて跳躍上行しては、一端2度下降する断片的動機を小節ごとに繰り返すという主題旋律に対して、弦楽器が16分音符のスタッカート伴奏型を分散和音跳躍上行で行なうという作曲で形成されているが、この16分音符の伴奏動機はリズム動機R1に対するものとして、動機w前半部分を元に形成されている。

動機xに基づく部分(88-101)B dur
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・続く部分は第1主題の後半部分を形成していた順次下降音型動機xの部分が元になって作曲されている。まず初めの(88-91)は、管楽器によって4小節を掛けて次第に順次下降音型が生み出されるような効果を出し、最上声のフルートが4小節掛けて、ためらいがちに止まりながら順次下降していくが、管楽器の伴奏はタイで伸ばされた後8分音符を打ち付けるという、第1主題(26)小節目に見られる伴奏音型が使用され、一方弦楽器の早い上下2音跳躍伴奏は当然、遡っては主題前上下運動動機から来ているが、より直接的には第1主題の(26)小節の跳躍2音上下運動動機に由来する。つまりこの部分はまさしく第1主題の動機xに基づく部分として、第2主題中心主題部分の分散和音のコーナーを抜けた後の、推移的部分の1番目を形成することになる。
・しかし第1主題とは異なりこの部分は、続く主要部分を派生させるための発生源として機能している。つまりこの第1主題に色濃く由来する動機x部分に基づく楽句が元になって、この第2主題での動機xに基づく部分の中心になる続く(92-95)小節では、始め動機xのように伸ばされた旋律が、16分音符の音階下降パッセージとなって急激に下行を開始、その対旋律として生まれた音階上行パッセージと絡み合ってうねりを形成し、(95)小節の和声的カデンツに到達すると、この4小節を続く(96-101)部分でさらに拡大発展させて、嵐のような動機xに基づく部分を形成するのだが、これは由来自体がはっきりしていると同時に、展開された新しい旋律の扱いは全く新しい部分を形成し、次へ次へと発展を続けるような作曲方法がなされていて、何だか恐ろしいくらいだ。動機的由来により第1主題のもたらす全体の構成力とその発展による多様性は、まさに第3番の1楽章の精神と通じるものがあり、ベートーヴェンは最後の交響曲において、流動的で絶えず情景が移り変わりつつ動機構成により強固な楽曲構成を行なうという3番1楽章の神業を、さらなる高みに到達させようと目論み、再びこの作曲方法を取り上げたのかもしれない。実際この第1楽章は他のどの交響曲の1楽章よりも第3番の1楽章を彷彿とさせる。(もちろんその表わす精神は異なっているが。)

動機yとリズム動機R2に基づく部分(102-113)B dur
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・これで大体察しがついたと思うが、続く部分はまさしく第1主題の(27-33)の部分が元になって作曲されている。まず管弦総奏でリズム動機R2の最後の音を休符にしたリズム動機R2'が2回奏されると、動機yが第2主題の直前に変化した(74-79)小節の管楽器旋律冒頭を取り込みつつ、第1主題と同様旋律断片として2小節提示するが、やはり第1主題部分に対応して管楽器によって演奏されている。その後もう一度リズム動機R2'が2回管弦総奏されると、今度は変化を付け(H dur)に移行すると同時に弦楽器を主体に動機yに基づく旋律を2小節奏でる。つまり第1主題の動機y部分に該当する部分が、それぞれ2小節づつに拡大されて行なわれているわけだ。そして第1主題でのフォルテによるリズム動機とピアノによる旋律断片は、ここで強弱記号に置いても発展してフォルテッシモとピアノの交代になっている。その後ピアニッシモでリズム動機R2'と2分音符による長いフレーズが推移的に続く4小節は、第1主題の(31-33)の終止カデンツ部分の代りに直前部分の終止と置き換えてものだ。

走句的パッセージzに基づく部分(114-115)H dur
・そして当然の事ながらその後に続く2小節のユニゾン的な順次下降パッセージは、第1主題最後の走句的パッセージに対応しているわけである。ほれ見たことか、第2主題全体を見ると、圧倒的に第1主題のそれぞれの楽句に由来しながら、しかも精神を大きく変えて発展して推移的意味あいを強くしたものだった事が分かるだろう。こうなってくると、続く終止部分も気になって来るので、慌てて先に進んで見る。

提示部終止部分(116-159)

・終止部分にいたって、展開された第1主題は、さらに驚くべき方法によって第1主題に結びつけられている。その方法は簡単にいってしまえば、第2主題中心主題から第1主題中心主題という提示部始めに向けて、それぞれの楽句部分を逆行していくという方法で楽曲が構成されているのである。これはたった今、譜面を観察していて始めて気が付いて「わおっ」と驚いたばかりだ。これまではてっきり、第1主題の精神を自由にパラフレーズして、場面転換と流動性を高めつつ最後の分散和音上行型に向かっていたものとばかり考えていたが、水面下に土台を形成している「多様性を支える構成」の恐ろしさに、私はベートーヴェンの足音に怯えまくって交響曲の作曲が大いに遅れたブラームスの姿をさえ、涙ながらに思い浮かべるのだった。(いったい何の話だ。)それでは改めて、その逆行を見ていきましょうか。

第2主題部分に基づく部分(116-131)B dur
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・まず(116-119)で(H dur)に移行して下降パッセージで第2主題を終えた弦楽器のユニゾンが、そのままユニゾンで第2主題の調性である(B dur)に回帰すると共に、第2主題中心主題冒頭の分散和音上行型を元にした音型を修飾的に変えた弦のユニゾンパッセージにより、16分音符のまま再度上行を開始。ただし大きく変形されて推移的パッセージに変えられているため、元々動機断片的だった第2主題中心主題そのものを感じるよりも、むしろ新たな部分に移行したように感じるだろう、だからそう思わせることが狙いなんだって。
・続く(120-129)も、第2主題に由来するという認知よりも、推移的に次の部分に移行したように感じられるだろうが、実際は第2主題全体の精神によって構成されている。その視点で見ると、まずベースの跳躍上行音型は、最もたやすく第2主題中心主題旋律から由来していることが分かるが、より耳につくため実際上この楽句を規定しているヴァイオリンとクラリネット、ファゴットで繰り返される音型、つまり4分音符の後がタイで結ばれ16分音符で分散和音下降する音型は、第2主題中心主題導入の弦楽器による分散和音上行伴奏型の初めての提示である(80)小節目、つまり前小節からタイで伸ばされてから開始する動機を反行形にして形成されている。しかも第2主題中心主題部分の伴奏が1小節目に16分音符を打ち2拍目に止まったのに対して、この部分の該当動機は始め伸ばされて2拍目に16分音符で動き出す。この動きは、当然ながら第2主題中心主題の伴奏動機の生みの親である、第1主題の動機w部分に再び回帰したことを表わしていて、つまりこの楽句は第2主題の精神から、再び第1主題側への回帰を行なうターニングポイントを形成しているのだ。直前に16分音符のまま提示された(116)小節からのユニゾン的パッセージが、第2主題を認識させ難いように作曲されていたのは、(116)小節以降の部分が第2主題への回帰ではなく、第2主題素材を使用しながらの離脱的推移部分を形成する、この部分の導入の役割を果たしているからである。続く(120-129)では、第2主題部分の伴奏型の方をむしろ主旋律に変え、しかも第1主題の精神である下降型と2拍目に動き出す音型に転換させ、続く第1主題への回帰に向け歯車を転換する働きを担っている。そしてそのターニングポイントにおいては、重要なリズム動機であるリズム動機R2'を、ティンパニーが毎小節に打ち鳴らし続けるのである。いったいどこまで考え込まれているのかは分からないが、この部分は第2主題中心主題が(Ⅰ→Ⅴ→Ⅰ→Ⅴ)と和声進行したのに対して、これを後ろから読み替えた(Ⅴ→Ⅰの2転→Ⅴ→Ⅰの2転)という形になっていることも指摘しておこう。
・最後の(130-131)は楽句上は(116-119)がパッセージ的連続性から見れば前の部分から引き続きながら、同時に(120-129)の前奏的意味合いを持っていたのと同様、(132-137)に対する前奏的意味も兼ねているため、実際はどちら側にも所属する接続楽句として作曲されている、そう云う意味でまさに最高の繋ぎの楽句なのだが、今見ている遣り方での説明が非常に合理的であるから、第2主題に基づく部分の最後の部分とすると、やはり第2主題の跳躍上行後2度下降を元にして形成されて、直前の(Ⅴ→Ⅰの2転)を引き継いだ、つまりちょっと見ても(120-129)部分の密度を高めたものであると把握できるだろう。提示部終止部分開始である(116)のピアニッシモから時間を掛けてクレッシェンドをしてきた楽曲は、この部分でクレシェンドのエネルギーを急激に拡大して、刻みの細かさも激しくなり32分音符まで登場すると、ついにフォルテに到達して次の部分を打ち鳴らす。

第1主題動機zに基づく部分(132-137)B dur
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・ここから第1主題楽句部分を後ろから開始部分に向かって順に遡るという、ソナータアレグロ形式においては恐らく前代未聞の新機軸が打ち出されることになる。これは、1820年に作曲されたピアノソナータ30番(E dur)の第1楽章の構成、[A→流動的なB→Aによる展開的部分→流動的なB→元のAが新たな様相を呈して登場し短い展開を経て終止]に見られる、カイアズマス的な作曲技法の応用、つまり[A→B→C→B→A]と分岐点を境に楽句を逆に辿ることによって、初めのAとは異なるAの姿に到達するという作曲精神を、ソナータアレグロ形式において、第1主題第2主題と云った大きな楽句群においてではなく、第1主題の構成要素を担うそれぞれの楽句部分をターゲットにして導入したものだと考えられる。主題全体を一つの部分としてカイアズマスを形成するなら、まだ驚くこともないかもしれないが、ソナータアレグロ形式を十分に活用しながら、第1主題部分を細かく分解して、その部分部分を遡って行くという作曲方法は、恐らくかつて例のない構成方法だ。ただしもちろん、聞いている者にそう悟られる必要はない、「オデュッセウス」に見られる幅の広いカイアズマスは説明されないと気が付かないかも知れないが、それ自身はやはり叙事詩の構成を高めているには違いない。構成は水面下で全体に統一を与えれば最高である、土台が見えた建築はみすぼらしいという話もある。ただしそれにもかかわらず、一度そこに気が付くといっそう深く感動できるから、知らないよりは知っていた方がいいに決まっている。
・と云うわけで、土台を解き明かすことは、返って感動を深めることになるだろうから、安心して話を進めることにしよう。まずこの(132)小節からの部分は、まさに第1主題動機z部分の弦楽器による終止32分音符パッセージ(32分音符による旋律的パッセージは動機z部分と、提示再現部のこの部分だけに登場する)によって形成され、第1主題動機zに含まれる1音上行を2回含む下降音型のフレーズは、ここでは直前の上行指向の第2主題の精神を保ち続けるためか、途中から上行に転じるパッセージに変化し、この部分の旋律的動機パッセージを形成する。この音型が弦楽器で1小節ごとに交互に繰り返されながら、持続的な管楽器の響きの中で和声をⅡ度系、Ⅳ度系と色彩変化を使用して、提示部全体のクライマックスへ向けた激しい部分を形成するが、そのクライマックスの形成に相応しく、楽句は1小節ごとに1音ずつ全体を上行させて、ここにも第2主題で獲得した上行指向の精神が生きているため、第1主題への動機的回帰は、決して第1主題の精神そのままへの回帰ではなく、だからこそ提示部一番最後に登場するクライマックスの分散和音は高らかに上行型で提示されるわけだ。

第1主題動機yおよび動機xとリズム動機R2に基づく部分(138-145)B dur
・さて第1主題の楽句を後ろから辿り、今度は第1主題の動機yとリズム動機R1の部分の旋律的な管楽器とリズム動機の応答部分が、再び姿を変えて提示されるわけだが、実際は管楽器によるリズム動機の応答的パッセージという意味では動機yに所属すると同時に、音型としては完全に動機xに変えられているので、第1主題ではより前の部分である動機xの提示部分も同時に処理されて事象を同時投入して密度を高めている。興味深いことに、第1主題部分から第2主題部分に至るまでリズム動機が先に提示され、管楽器の旋律的パッセージがそれに応答してしていたものが、ここでは第1主題を後ろから遡っているために、まず管楽器が音階順次進行下降型を修飾したフレーズを奏で、それにリズム動機R2に基づくリズム動機が小節線をまたぐ形に変形され、トランペット、ティンパニーの代りに、ホルンと弦楽器を含めたフォルテッシモで提示する。第2主題で2小節2小節のペアに拡大された旋律とリズムは、今度は再度圧縮され2小節で提示されるが、旋律とリズム動機のバランスも提示方法も第1主題とは大きく異なり、さらにこのパターンが2回を越えてさらにもう一回、合計3回繰り返され、その後管楽器がもう一度旋律的フレーズを奏でつつ次の部分に移行する。そしてここでは、旋律を行なう管楽器フレーズは、続く動機x部分の精神を持って順次下降を中心にして表わされ、この点でも第1主題の水平的提示とは大分様相を変えている。これに対してリズム動機の方も水平的ではなく最後の上行が耳に付き、しかも前の楽句同様、2小節を繰り返す度に1音ずつ全体が上行し、上行のエネルギーもまた強烈であり、文章におけるカイアズマスの技法が決してそのままの開始部分に戻るわけでは無いのと同様、楽句のカイアズマス的パラレル関係は、いわばソナータ形式そのもののように、楽曲を形成する構成手段として使用されているのであるから、つまり遡って新たな様相に到達する為にこそ使用されているわけだ。

動機xと第1主題中心主題直後に基づくカデンツ(146-149)B dur
・こうして第1主題を遡る旅は、とうとう第1主題中心動機直後のカデンツを形成しつつ進行する和声的部分に到達するが、同時に動機xの精神が半ば前の楽句に取り込まれ、そしてこの部分にも取り込まれている。始め管楽器だけのフォルテで順次下降を1音1音確認するように進行し、最後にトリル付きの終止フレーズによるカデンツ最後の属7部分をフォルテッシモで奏でると、主和音に到達する代りに、もう一度この楽句を管弦総奏で繰り返し、音量を大いに逞(たくま)しくして最後の(つまり初めのの)分散和音部分に到達する。

第1主題中心主題に基づく部分(150-159)B dur
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・かつての第1主題中心主題に対して、長調によって分散和音を噛みしめながら上行する終止最後の旋律が、フォルテッシモによる管弦総奏で開始され、この分散和音は途中から次第に下行を始める溜め、全体として山なりの主題が提示される。しかも第1主題の付点リズムはリズム動機R2の精神で置き換えられ、ユニゾン的な第1主題中心主題に対して、ベースラインが上声を一拍遅れて追い掛けるカノンチックによって、ユニゾンの直線的な分散和音下行のエネルギーに対して、リズム点を補強し、力をためて上行するような、重厚だが足取りのしっかりした第1主題中心主題の応答主題に到達したようだ。そしてこれは後半分散和音を下るときにも変わらない。
・これによって、提示部開始の短調の下降型指向が引き金になって沸き起こされた巨大なうねりがようやく辿り着いた、長調的にして上行指向の安定した状態に一瞬到達したかに思わせるが、それは束の間の安定でしかなかった。分散和音の到達点である(B dur)の主音である(B)音は分散和音の終了程なくして、半音下行し属音領域に足を踏み入れると、再びピアニッシモの空5度の世界が顔を覗かせ、展開部へと入っていくのであった。つまりカイアズマスとしてみると、第1主題から派生した楽句変遷を逆に遡りながら主題の精神に変更が加えられ、一瞬光が差し勝利のように思えたものの、遡った第1主題の先に待つのは、楽曲開始を告げた空5度の混沌の世界だったのである。カイアズマス恐るべし!私たちは震えながら、展開部に足を踏み入れるのだった。(つづく)

後半へ続く

「後半へ続く」

2005/07/16
2005/07/24改訂

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