ベルリオーズ 幻想交響曲 3楽章

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ベルリオーズ自身のプログラムを元に

 野原にたたずむ夕方に芸術家は、2人の羊飼いが奏でる「ラン・デ・ヴァッシュ(牛追い歌)」の響きを遠くに聞く。この美しい2重奏に、自然の風景と、風にそよぐ木々のざわめきや、自分の思い描いた希望が重なり合って、彼は静かな心で嬉しく考え込んでいた。彼は自分の孤独が癒やされ一人でなくなることを願うが、不意に「もし彼女が裏切ったら!」という想いが胸をよぎり、期待と疑心に心乱れる。このような、暗い予感に邪魔される幸福の想いこそ、第3楽章のテーマなのだ。最後に羊飼いがラン・デ・ヴァッシュを奏でるが、もう一人はもはや答えない・・・・遠雷が轟き・・・・・孤独・・・・そして静けさ・・・・・

概説

・全体の形式は恐ろしく強固であり、序奏とコーダにラン・デ・ヴァッシュの応答を使用した共通項を使用して、それに挟まれる形でABAの形式が使用されている。提示部のAはテーマの完全提示部分と、その短縮された繰り返しを持ち、これが再現部では変形された1回の再現でコーダに向かう辺り、形式だけ見ると、ドラマ性の無い純器楽曲の形式が使用されている。しかしそのテーマは変奏形式を持って、随時発展していくし、展開部はテーマの動機使用によるソナータ形式的方法ではなく、イデー・フィクスとそれに対する主人公の精神状態をメロディーにして進行する、いわば形式は純器楽曲的だが、語彙はまったく作劇法的な指針が設けられていて、さらにテーマが変奏されていく辺り、自由で幻想的にしてかつドラマ的な要素を持つ楽曲を、形式が結晶化して脇を固めている姿を見ることが出来る。

序奏(1-19)F dur

<<<確認のためだけの下手なmp3>>>
 2人の羊飼いによるラン・デ・ヴァッシュ(牛追い歌)の応答は、劇音楽的手法が用いられ、コールアングレーの呼びかけに対して、応答するオーボエはなんと舞台裏から演奏するように指示が書かれている。そのフレーズは休符による途切れと跳躍、そしてフェルマータによって非常に断片的であり、初めに休符を置いて演奏を開始するが、聞いていると音が鳴ったところが拍の頭に感じられ、小説線と拍節のずらし効果が、楽曲全体の拍節進行に対して、ラン・デ・ヴァッシュの歌がより自由な位置にある、つまり自然の波音や鳥の歌のなかに音楽が開始するのと同じような効果を出すことに成功している。この背景にある自然の音としてのラン・デ・ヴァッシュに対して、20小節からテーマが導入されるわけだ。

主題提示部(20-86)

主題提示部分(20-66)F dur

[主題提示(20-32)]
・フルートとヴァイオリンで主人公が彼女を想う主題が極めて薄い和声付けで、ほとんど単旋律のように提示される。

[テーマ繰り返し(33-)]F dur
・変奏曲的に発展していく主題の第1変奏に当たるが、フルートとヴァイオリンが3度平行で補強され、クラリネットが長いフレーズを導入するなど静かな心の高揚が主題に反映される様子だ。

[エピソード(48-59)]F dur→転調
・主人公の恋人への想いという内面を表わしたテーマに対して、このエピソードはふと気が付いて辺りを見回したような長閑な自然描写が込められている感じだ。しばらく同じ音高に留まっていた音楽が、木管を主体にして躊躇するように下降線を描く楽句が繰り返され、長閑な森林とそよぐ風のようでもあるし、何か別の描写かも知れない。

[和音的エピソード(59-66)]a moll
・続けて登場する和声的エピソードは(a moll)の短調の響きにより陰を形成する。同音に留まりながら付点音符で拍動する主人公の鼓動のようでもあり、しばらく森林に強い風が吹いている様子にも思え、要するに主人公の不安の心と自然描写が混じり合ったものだ。木管が和音を補充する中で弦楽器がその特徴的な付点音符を演奏し、最後に弦楽器だけの部分、疲れて魂を落ち着けるような下降音型に解消する。

主題提示の繰り返し(67-86)

[主題変奏2(67-)]C dur
・直前の不安で心揺れ動けば、反動として期待もまた膨らむものである・・・・と考えたかどうだか知らないが、ヴァイオリンに細かいリズミカルな動きを加え、軽やかな拍動のようにも、軽いステップのようにも思われる音型として登場させ、その下に弦楽器とファゴットで主題を登場させる。主人公の気持ちの高ぶりがよく表現されているが、主人公の性質として、この高揚はやがて展開部の誇大妄想に突き進んでいく。主題の変奏だけを追えば第2変奏に当たる部分。調性的には主調(F dur)に対する属調(C dur)が選択されている。

[短縮されたエピソード(79-82)]C dur
[短縮された和声エピソード(83-86)]→B dur
・ちょうど主題提示全体が変奏されながら繰り返されたように、短縮された2つのエピソードが続く。いったん穏やかな調子に回帰した主題提示とは異なり、主人公の魂は和声エピソードの拍動に合わせるように高揚して、そのまま音階上行形でフォルテッシモに到達して、展開部の妄想に雪崩れ込む。
・こうして提示部の構成は、[序奏→主題提示部(主題ーエピソード)→主題提示部の発展]という非常に安定した形式になっている。

展開部(87-130)

自分の期待と彼女のイメージの対話(87-99)B dur

・高ぶった高揚が盛り上がって、主人公の魂は妄想に没入する。主人公の期待と願いがメロディーとして具現化され、ベースラインに特徴的なリズムと跳躍を持ったフレーズが登場、大きく下行して上行する。この普通のフレージングの常識を越えて下降しすぎて唐突に上昇しすぎるフレーズは、芸術家の恋人への訴えかけであり、通常ならざる彼の性質をよく表現している。これに対して、皆様お待ちかね、恋人を表わすイデー・フィクスが管楽器に登場し、まさに主人公が妄想の中で恋人のイメージを膨らませ、2人で応答を繰り返しつつ、幸せになる僕というイリュージョンが沸き起こっているのが、この場面である。

疑心と回復(100-116)Des dur→f moll→F dur

・しかし主人公の期待のフレーズはやがて、いつもの通り性急にしどろもどろになって、(B dur)の安定した世界から、速度と音量を高めつつ(Des dur)を通過して(f moll)領域に突入。穏やかな感情が破綻した刹那に、恋人に裏切られる僕というイメージが、あまりにも強烈に妄想の中を駆け巡り、彼は嵐に見舞われたように打ちのめされ、力尽きて110小節で速度と音量を急激に落として、もはや112小節で引き延ばされるチェロだけが、音楽の流れをつなぎ止める有様だ。ただし主人公の特性として絶望と歓喜は常に振り子のように跳ね返る。113小節からテンポを戻し自らの頭を休めるように安定したフレーズ終止を加えると、再び恋人との幸せに想いを馳せるのだった。

主題にもとずく愛の歌?(117-130)F dur

・妄想というものは、しばしば苦痛よりも歓喜が勝るものである。主題が主人公の心の鏡に反射して生まれたようなメロディーが、恋人と2人の愛の世界を思い描くように、弦楽器の豊かな16分音符修飾に乗せて、クラリネットで奏でられる。展開部の導入が自分の期待する問いかけと、彼女が応答するイメージによって形成されていたことを考えると、この新しく生まれた旋律は、主人公が彼女を恋人とすることに成功したというロマンス、つまり妄想の中で彼女が主人公のために歌ってくれる、幻の愛の歌なのかも知れない。そう考えて出だしの音型を眺めてみると、「ドファドシ」と進行する音型は、イデー・フィクスの「ドファドラ」から来ているように思えてくる。

主題再現部(131-174)

主題再現(131-149)C dur→F dur

・妄想の中での相思相愛の幸福が、フェードアウトして自然の中にいる主人公の情景に戻されるのが再現部だ。131小節から主題が回帰し、野原の中に夢想する自分に気が付き、自然の情景を感じながら思う僕、という提示部の立場に戻るのだが、幸福の妄想が主人公の心を高揚させ、まるで行進曲のような細かい刻みを付けた伴奏、豊かに揺れ動く対旋律的フレーズに乗せて、主題が最高の幸せに満ちた変奏に到達する。そして少し遅れて、直前の愛の歌が、恋人が歌うまぼろしの愛の歌が、主題の対旋律として導入され、ついに2人の二重唱が行なわれるのである。まるで手を取り合ってゆっくり行進するような様相。ベルリオーズがよっぽど念入りに具体的な意味を込めて、作曲を行なっている姿が浮かんでくるようだ。こうしたドラマ性を濃厚に持っているため、楽句の配置としては再現的部分であるが、旋律的には決して再現ではなく、発展的変奏の到達点になっている。いわば純器楽曲で展開部の後に来る再現主題における楽曲全体のクライマックスという方針が、叙述的意味あいを込めて戯曲チックに選択されているのだ。

彼女のイメージとの対話(150-163)F dur

・にも関わらず純器楽曲の構成は非常に強固だ。すなわち主題再現部は開始部分の[主題提示→エピソード→和声的エピソード]と行なわれたアウトラインを見事に踏襲する。提示部でこのパターンが2回繰り返されたので、この再現部が3回目の発展型となっているのである。ただし提示部分でのエピソードは、疑心を乗り越え幸福の行進曲に浸った主人公の心が、再び彼女の面影(イデー・フィクス)そのもの、すなわち実際の彼女に思いを致し、幸せになれるか、叶わない恋なのかと揺れ動く心理状態を表わしたようなエピソードに置き換えられている。その後半は非常にルーズな薄い声部書法で、取りとめのない変化つけながら終焉に導く描写力は、音符が少ないだけにかえって才能のほどがうかがえる部分だ。

和音的エピソード(164-174)F dur

・主人公の期待と不安が高まるような拍動(提示部とはことなり和音的エピソードの開始が短調化していないので不安だけではないと思われる)と、風の音が一体化したようなフレーズが、主題に対する和音的エピソードという提示部の配置を守って登場し、情景を再び大自然に置かれた主人公という立場に帰しながら、コーダに導く。

コーダ(175-199)F dur

・序奏のラン・デ・ヴァッシュをコールアングレーが奏でるが、もはやオーボエの応答は無い。このことは非常に深い意味を持つ。つまりここまで繰り広げられてきた彼女のイメージとの対話、そして彼女の応答という主人公の期待が、完全に自己完結した妄想であって、現実世界(描写音楽としての2つの楽器が象徴している)では彼女からの応答は無いことを、最後に見事に暗示しているからである。期待が叶わないことを予言したこの描写によって、恋人に告白タイムを1楽章設けることなく、私達はこの主人公が見事に振られたか、あるいは一人妄想の中で諦めに到達したか、どのみちハッピーエンドにならなかった事を3楽章のうちに理解してしまうのである。だからこそ4楽章の断頭台が、例え処刑台に向かうというパンフレットを知らなくても、不幸せな方向に大きく梶を切ったとすぐ分かるので、実際には叙述の力を借りなくても、声のないドラマとして、完全に完成されていると思う。オーボエの返答のないコールアングレーが不安に呼びかけを高めて強調して演奏するが、やがて諦めに消えていく強弱記号の細かさは、ベルリオーズの狙いをよく表わしている。そして最後に4台のティンパニーが遠く雷の音を響きかせ、不穏な世界の到来を、楽曲の叙情的性格を壊さないぐらいに暗示して、楽曲は終焉を迎えるのであった。

楽曲全体の構成

・改めてまとめておくと、大枠は
[主題提示→エピソード→和声的エピソード] の形を大きなまとまりとしている。これをAとするなら
[序奏-A-A'-展開部-A''-コーダ]
という非常にシンプルな楽曲構成となる。同時に主題自身は登場するごとに変奏されながら、初めの主題提示では2回繰り返され
(主題提示-第1変奏)
続くA'において第2変奏が、再現部において第3変奏が行なわれて順次発展的に進行しながらクライマックスを形成するので、ソナタ形式的な回帰の欲求と、変奏曲形式の持つ発展進行的欲求を見事に融合させたものだと言える。(この融合の離れ業としてはベートーヴェンの交響曲第3番の最終楽章の方が相応しいかもしれないが。)


2006/10/5
2007/3/24改訂+MP3

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