ベルリオーズ 幻想交響曲 4楽章

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ベルリオーズ自身のプログラムを元に

・私の愛が報いられることは無いのですね、そう悟った芸術家は遂にアヘンによる服毒自殺を敢行した。しかしアヘンは致死量に足りなかったのである。呪われた夢の中で、彼は恐ろしい体験をする。叶わぬ恋人をひと思いに殺した彼は、罪を問われ有罪を宣告され、処刑場に連行される。そして自らの処刑に立ち会っているのだった。断頭台へ向かう行列は、ある時には陰気で荒々しく、またある時は輝かしい行進曲となって、進んでいく。重々しい足取りの鈍い物音は、突然非常な騒がしさに変わり、行進曲の最後に「イデー・フィクス」の冒頭4小節が現われる。最後の処刑に断ち切られる直前の思いのように。

概説

 ベルリオーズの転用好きの代表例としてよく取り上げられるこの第4楽章は、1829年に作曲した未完のオペラ「宗教裁判官」の中にある「兵士の行進」が転用されている。ドラマ性を内包したような楽曲に生き甲斐を見いだすベルリオーズのような作曲家にとっては、その描写とドラマ性が的確に生かされるような場面で、ドラマの解釈に幅のきく器楽曲を別の作品から転用することは、妥協ではなくずっと積極的な意味を持っている。的確なシチュエーションを与えられた旧作品は、内包される意味を新たにして、いっそう照り輝くに違いない。

行進の提示的部分(1-77)

行進の足踏みの序奏(1-16)g moll

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・ベートーヴェンの交響曲第3番2楽章では付点で表現された葬送行進曲の足取りが、4分音符の和音の刻みと、2小節目のシンコペーションリズムで行進曲を開始する。行進の足取りは葬送的部分ではティンパニーの六連符が一貫して使用され、行進が継続していく様子を表現している。プログラムにあるようにこの行進曲は、ある時には陰気で荒々しく、ある時には輝かしい行進曲となって進んでいくが、これは悲劇のヒーローとしての主人公を弔う葬送行進曲の立場と、観衆が犯罪者を刑場に引っ立てる派手なファンファーレの交替とも取れるし、主人公自身想い、つまり裏切りに制裁を加えてやったという英雄気取りと、その代償としての悲劇を暗示しているようにも思われる。

陰気で荒々しい主題提示部分(17-61)g moll

・序奏に引き続き葬送行進曲的悲劇調を持った第1主題(17-32)が登場するが、これはチェロとコントラバスに登場し、フォルテッシモで2オクターヴの下降を行なうという旋律ラインの定石を踏み越えた主題になっている。この8小節の旋律を2回繰り返したものが第1主題になるが、むしろこの8小節を第1主題とした方が分かり易いくらいだ。(ただし楽句変化のパターンは16小節をひとまとまりとしている。)過去作品の転用とはいえ、この主題は主人公のいつもの精神状態を引きずっているように思えてくる。主題部分ではティンパニーの6連符が途絶え、主題と対旋律の提示の後に再び登場することから、ちょうど行進曲から映画的に主人公の内面や、過去の場面などに、転換が行なわれて、再び行進曲に引き返すような効果が用いられていると見ることが出来る。この主題の後半8小節が同じ旋律で繰り返される時、対旋律としてのファゴットが、判決を告げる黄泉の国の裁判官を暗示するような、警句的な旋律を地底空洞に鳴り響くような独特の音色で告げるのは、直前に宣告されたはずの有罪の場面を暗示しているようでもある。またはすでにアヘン中毒患者の夢を食おうとする夢魔のもたらす地獄の響きが、たちの悪い悪夢そのものを暗示している黄泉の声のようにも聞えてくる。また直接的に葬送の行進に合わせて鳴らされた暗いファンファーレのようでもあるわけだ。
・続いて33小節から主題の繰り返しが行なわれるが、再びティンパニーが葬送行進のリズムを奏で、行進に視線を戻す役割を果す。行進が軌道に乗った定期的なリズムと共に、弦楽器の低声にスタッカートで4分音符と8分音符を不可解に跳躍しながらおどけて回る音型が登場。まるで主人公に対する嘲笑やヤジにも聞えるが、この不穏な諧謔性はすでに悪夢の中でデーモン達が登場して、主人公の魂を魔女達の集会に引きずり込もうと画策しているようでもある。主人公が美しい恋人のために次第に悪魔の領域に引きずり込まれて、最後に悪魔に魂を売り渡すというのは「ファウスト」の構図だが、これに似たようなアウトラインが幻想交響曲にも敷かれているのかも知れない。ただし幻想の主人公は恋人に対して完全な片思いで、現われたのはメフィストフェレスのような生粋の悪魔ではなく、アヘンという幻想を呼び起こす道具であり、それにより最後の5楽章で悪魔達の領域に引きずり込まれたように見える幻想交響曲は、最後の刹那は悪魔達の大勝利で幕を閉じる。不屈の精神を持つファウスト博士の魂が救済されたのと違って、片思いの彼女を口説き落とす事もせず、不安定な魂で遠くから夢想しているようなこの芸術家には、救済など訪れるものかという皮肉は、はたしてどこまで意図されていたのだろうか。
・あるいは楽曲には表現されていない主人公の告白は存在し、ベルリオーズがハリエット・スミッソンに手紙を出しまくったように、散々活動して夢やぶれたということなのだろうか。だとしたらこの楽曲は皮肉ではなく、偉大な芸術家の悲劇的な最後を表わすロマンチックな方針の一つなのかも知れない。恐らくベルリオーズの考えでは、この通常の状態を保つことのない芸術家は、結局精神を破局させることでしか、幸せに到達できないのだろう。
・主題が繰り返されると、続いて49小節から次の主題への推移に至るが、ここで黄泉のファンファーレを奏でたファゴットが、低音の不穏なスタッカートとして諧謔的なデーモンのダンスを引き継ぐ。さらに主題前半の8小節の旋律が弦楽器のベースラインに継続され、次の楽句に移行したことと前の状況が継続していることが融合している。ここでの描写は先ほどより一層非現実的な、悪夢的な響きが増長され、ほとんど実際の行進曲の描写とは考えられない。

輝かしい軍隊的主題提示部分(62-77)B dur

・(g moll)で開始した葬送的な第1主題部分に対して、(B dur)の輝かしいファンファーレが管楽器によって提示される。これを第2主題としておこう。やはり前半8小節のフレーズがもう一度後半で繰り返されるという第2主題は、開始の序奏部分と同様のシンコペーションリズムを使用して、軍隊的な付点音符を際だたせている。主人公側から見た弔いの葬送行進に対して、観客達から見た犯罪者の行進のイメージを表わしているのかも知れない。とにかく直前の葬送的部分に対して、異なる立場から同じ行進曲を捉えているが、視点を変えるやり方もまた非常に作劇法的、というか映画監督的だ。
・この輝かしい主題が提示を終えると、再び開始に戻って繰り返される。

行進の発展的部分(78-)

陰気で荒々しい主題による導入(78-88)g moll風

・管楽器のファンファーレと弦楽器の6連符が交替し、管と弦が第1主題を断片的に交替で提示し、これが導入となって主題の展開が開始する。主題を断片的に演奏する遣り方は、中世のホケトゥスのようでもあり、ウェーベルンの断片主題にも通じるが、ベルリオーズの時期この手法はかなり斬新に聞えたのではないだろうか。

輝かしい軍隊的主題による展開部分(89-104)B dur

・第2主題のファンファーレが弦楽器の3連符や細かい修飾で煌びやかさを増し、刑場に引かれる主人公を伝説のヒーローにまで高めているかのようだ。

陰気で荒々しい主題による導入(105-113)g moll風

・再び展開部への導入で見られたファンファーレと弦楽器の交替が行なわれ、断片的に楽器を渡らせた第1主題が次のエピソードを導入。

陰気で荒々しい主題による展開部分(114-139)g moll→

・行進のクライマックスが訪れ、弦楽器の足並みがざっざと激しく打ち鳴らされ、行進の6連符が管楽器に引き継がれ、その中で主人公を暗示する第1主題を使用したトロンボーンとオフィクレイドが、動揺か苦しみを高めていくようだ。そして123小節で行進は終わり、主人公がいよいよ処刑台に配置されるクライマックスが、主人公の第1主題の管弦総奏による激しい魂の揺さぶりとして提示される。この後は純器楽曲なら主題の再現的部分が続くかも知れないが、作劇的手法で次の場面に引き継いで、[提示ー展開ー再現]の変わりに、[提示ーその発展ー結果としての新しい場面]という作劇風楽曲形式が用いられているわけだ。

刑場での処刑部分(140-178)g moll

・140小節からギロチン台にかけられた主人公に刑を執行する秒読みが始まるように、主人公の魂を恐ろしく揺さぶる恐怖の付点進行となって、弦楽器が不穏な空気を高める。これに対して聴衆のヤジや指笛のような響きが定期的に管楽器で鳴り響く。この恐怖の臨場感たるや。そしてこの聴衆の管楽器と主人公の弦楽器が154小節から互いの鼓動のように、聴衆は高ぶる(Des dur)で、主人公は恐怖の高まった(g moll)で、1小節ごとにぶつかり合うのは、まるで心理小説を書くような作曲スタイルだ。返す返すもベルリオーズに良い台本と良い環境を提供して、もっと沢山のオペラ作品を残して貰わなかったのは、大きな損失である気がしてきた。そして怯えと歓喜は[160-163]で最高潮に達し、その一刹那に主人公は恋人のイデー・フィクスを僅か4小節回想する。事象が劇性を極めた一刹那に、主人公の内面が一瞬表現され、それが劇的な幕切れの場面に引き継がれるという効果は、映画でも漫画でも使用されることがあるが、あるいはこのような手法はロマン派文学と、それを音楽に持ち込んだベルリオーズらのロマン派作曲家達の時代に始まったのかも知れないね。
・そして恋人の回想の最中、169小節目に唐突に、無情なギロチンがフォルテッシモで振り下ろされ、主人公の首が弦楽器のピチカートでごろんごろんと階段を転げ落ちて・・・では無いだろうが、床に落ちるのである。次の小節、処刑の執行に歓喜した群衆が(G dur)の完成を上げて曲を終える。ここで初めのパンフレットに帰ってみると、この主人公は悪夢の中で自らが処刑されるところを、同時に別の位置から眺めさせられていることから、夢でしばしばあるように、一方では楽曲内で処刑される主人公の感情をそのまま共有しながら、同時にそれを離れた位置からも観察するという立場に立たされている訳だ。処刑される恐怖だけでも耐えきれないものなのに、それを眺めるもう一人のわたくしの恐怖。この精神を崩壊させかねない心理的極限状態が引き金になって、主人公の魂は魔女の集会に引きずり込まれる。いずれ、この4,5楽章は単なる夢の出来事ではなく、主人公の魂が崩壊して、あるいは夢魔に食い殺されて、あるいは悪魔に見初められて、二度と帰ってくることは出来ないというような、深い意味が込められているように思われる。自分が自分で無くなったら、もし自分を保てなくなったらどうするか。この恐怖はあるいはシューマンなら・・・・・。


2006/10/10
2007/3/26改訂+MP3

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