交響曲第39番変ホ長調(K543)、1楽章

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序奏(1-25)Adagio

 新全集で4/4から2/2に訂正された後、早めの演奏が増加中の序奏。同音程を打ち鳴らすフォルテの複付点の重々しさの1小節目が、囁(ささや)くピアノに変じたる2小節目に、ヴァイオリンが音階パッセージで降りて来るという冒頭2小節を元にしている。10小節目から付点密度が高まり、ベースが一拍ごとに付点音符を付け加えると、ティンパニーがどこどん連打され、その上で木管のフレーズが流動化し、その上ヴァイオリンが交互に音階下行パッセージを奏でだす。これで次第にエネルギーを高め、14小節から力強い付点が管楽器も含めて鳴り響く中で、音階パッセージが上行型に転じヴィオラとベースによって高く上り、次の小節で付点リズムで緩やかに下降する。これを3回繰り返し序奏のクライマックスに到達すると、22小節目から付点が鳴り止み、薄い声部書法による推移が繋いで、いよいよソナータ・アレグロの第1主題が開始する。

提示部(26-142)

第1主題部分(26-96)Es dur

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・第1楽章の主題が3拍子で開始され、これ自体がちょっとしたユニークな驚きとなっている。ハイドンの交響曲嬰ヘ短調「告別」や、後にベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調「英雄」など幾つも例があるとはいえ、一般的には第1楽章のアレグロでは2拍子系が期待されるところであるし、さらに主題が薄い声部書法で小声で開始するから、主題の期待に対して新鮮なフェイントを受ける効果がある。第1主題(26-39)は弦楽器とホルン、フルートが掛け合いながら始まり、(40-53)が変化を付けた繰り返しになるが、主題自体は分散和音上行型で始まり順次下行型で落ち閉じるという4小節が一つのフレーズを形作っている。これを踏まえて、次の4小節では異なる分散和音型から最後に順次下降に至るフレーズが形成され、続いて分散和音型と順次進行の2小節ペアが2回繰り返されつつ最後に終止すると、継続的に8分音符の走句的パッセージが締め括り(39小節)、再度第1主題が繰り返されていくという、単純見事な教科書のような主題作曲がなされている。2回目の主題繰り返しでは、半音階進行が主題を修飾し、より滑らかな優しい主題に変奏すると、54小節から主題に対し力強い推進力に溢れた楽句が管弦総奏によって演出され、主題への応答のような効果を出しながらも、続く推移に継続する。楽曲が躍動を増加させ次に向かう推進力を得たことは、連続的に使用される8分音符の刻みに見ることが出来るが、これは続いて16分音符の刻みが登場し、またトリルや逆付点を使用した特徴ある音型が投入され、第1主題部分でも主題に匹敵する重要な部分を担っている。この楽句のフレーズ開始が、分散和音で行なわれ順次進行に至るという主題冒頭のパターンを踏襲し、それが音価の引き延ばしも加わって大きく変化した姿であると解釈できる。大きな枠組み、ここでは分散和音から順次進行に至るというパターンを使用して、第1主題部分全体の土台を規定すると同時に、その中で多様性を持たせる作曲法は大楽曲形式のセオリーだ。「一貫性と多様性!!!」と誰かが向こうで叫んで、「コホン」と咳(せき)をして通り過ぎて行きそうじゃないか。この部分は第1主題に呼応しつつ管弦総奏による主題全体のクライマックスを形成し、後続使用する動機を新たに生み出しながら、刻みの推進力を元に、続く第2主題へと楽句を押し出す重要な役割を担っていると言える。この推進力を引き継いで、71小節目からは、管楽器の4分音符のファンファーレと弦楽器の8分音符の躍動に対して、次の小節16分音符の音階下行パッセージを組み合わせて、リズムの足踏みと突進による聴感速度の波を作るという推移部分を形成し、同時にこの部分で(B dur)に転調、最後にその属和音と属音上のドッペルドミナントの交替に到着し、ついに第2主題が登場か。というところで見事にフェイントを織り込み、8分音符連続リズムから派生した「タンタタ」リズムを繰り返す1小節と、4分音符のファンファーレ部分をペアとして、合計4回も繰り返して推移を締め括るエピソードを挿入。第2主題への旅が型にはまったつまらない集団スーツのサラリーマン人生に陥ることを防いでいる。

第2主題部分(97-119)B dur

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・8分音符の同音程の刻みの上で、順次下降型を分散和音風味にした第2主題が2小節フレージングして、続く2小節で管楽器の応答とチェロの対旋律が加わって4小節。これをもう一度繰り返して、そのまま次のフレーズを紡いでいくが、モーツァルトの場合この部分全体が第2主題部分ぐらいの区分でちょうど良い。

終止部分(120-142)B dur

・素材由来を以前から引用できるだろう終止部分は、まあ細かく書かないで、代わりに和声的な特徴だけ付け加えておくと、この部分も4度和音で開始して、何度も2度和音を挟むなど、サブドミナント和音が比較的使用されるのがモーツァルトの特長で、例えば属和音と主和音に生き甲斐を見いだす傾向の強いベートーヴェンと比べると、よりポピュラー曲などのコード進行と親和性があるため、かえって初めての人でもすんなり導入されやすいかもしれない。

展開部(143-183)

 モーツァルト時代の展開部の作曲法は、提示部で与えられた楽句や動機を動的に配置して、転調を駆使した変化密度の高い部分を一時彷徨い歩き、これが安定した再現部に回帰するというものだ。ベートーヴェンになると、提示部を踏まえたドラマの中心部を作成する傾向が強いが、展開部の本来の役割は、しばらく動的で逸脱した部分を彷徨った動機が安定して再現部に移行する。というところから始まっているから、比較的短いが次々に変化するというのが、モーツァルト時代のソナタ・アレグロ形式の定石だ。(もちろんロンド・ソナタ形式の中間的部分のような意味で、複合三部形式の中間部分を形成するような自立的中間部を形成するなど、実際の作曲方法はいろいろあるが。)使用楽句は皆さんそれぞれ由来を楽譜で確認した方が文章で書くより分かり易いので、参考までにこの部分の転調だけ追ってみると、次のようになっている。ただ、提示部最後に生まれた「たんたた」のリズムの活躍は、ぜひ注意して貰いたい。
(B dur)→(As dur)→(b moll)→(c moll)→(As dur)→(g moll)→(F dur)→(c moll)→(Es dur)

再現部(184-309)Es dur

 再現部ではフレージング(スラーなどを付けての歌わせ方)が故意に替えられて第1主題が再現され、第2主題は(Es dur)のままで行なわれるが、全体に提示部を踏襲。コーダの代わりに、終止部分の後ろが楽曲終止として拡大され、いさぎよく第1楽章を終える。実はこの曲は、3拍子で優雅な第1主題自体以外は、アレグロ部分は最終楽章のアレグロ的に動的で推進力を持ったリズムに溢れ直線的でもある。これが開始の序奏との性質の違いとして、見事にバランスを保っている訳だが、その精神を踏まえて、コーダ無しで終わる率直な作曲になっている。だからこそ、この楽章はジュピターの第1楽章とは全く異なり、ポリフォニー的要素はずっと少なく、むしろホモフォニー的傾向が強く選択されている。その精神は快活さと推進力にあるのだから、白鳥の歌が天国的心持ちでというよりは、娯楽的シンフォニー(オペラ序曲から派生した社交的なシンフォニーの意味)の抽象化とでも言った方が、的を得ているかもしれない。ただモーツァルト後年の簡素化の見事さと、オーボエ無しのクラリネットという効果などが、人々に優雅さの裏に寂しく優しく羽ばたく白鳥の幻想を駆り立て、「見て、ほら、あそこに白鳥が。あんなにも。」と呟かせる原動力になっているのかも知れないね。

2006/06/09
2006/07/04改訂

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