交響曲第39番変ホ長調(K543)、2楽章

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主題提示部(1-27)As dur

主題提示部分(1-8)

<<<確認のためだけの下手なmp3>>>
・ほとんど和声課題かと思わせる、単純な[Ⅰ-Ⅳ-Ⅰ]と[Ⅴ-Ⅰ-の2転-Ⅴ]の間を、短いパッセージで繋いだ4小節が半終止する前半。これを繰り返しつつ、短いパッセージの締めくくりの[des]音を、[d]音に替えることによって[E dur]に転調し完全終止する後半。使用する楽器は弦楽器のみで、ヴァイオリンのメロディーの下で、薄口に和声付けが行なわれるだけのシンプルな8小節。これを第2主題の出発点として楽曲が開始する。その初めの1小節のメロディーは、4分音符の主音[es]音の後、付点の細かいリズムで小さな山を描いて元の[es]音に帰ってくるが、続く2小節目後半から始まるパッセージではオクターブ上の[es]音まで到達し、しかもオクターヴ内のすべての音を丁寧に辿(たど)るように作曲されている。したがって4小節の大枠はオクターブ上行型の音階上行型であり、このシンプル極まりない構図を2回繰り返して主要主題が出来ている。つまりこの主題はすばらしく意識的に創作されたシンプルさなのであって、無邪気に天上の音楽を写し取った訳ではない。その中でも冒頭部分の付点リズムの音型Xと、この付点リズムを使用しつつ、旋律が2倍の長さに成長しながら階段型に上行していく音型Yは、付点リズムそのものと共に楽曲の中で重要な役割を果たすことになる。

中間部分(9-19)

・主題提示をリピートして2回繰り返すと、中間推移に移行。この部分は主題の圧縮により形成され、主題提示部分全体を強固に主題に凝縮している。具体的に見ていくと、主題そのものでは音型Xが完結した後、改めて音型Yが提示されていたのが、Xの終わりとYの開始が重なり、Y音型自体が短縮され、2小節のまとまりを形成。しかも一貫してビオラが保続[es]音を16分音符で刻み推進力を与え、和声は推移的に逸脱しながら、この2小節を繰り返し、つまり主題の一貫性と推移的部分を見事に両立している。しかも音型Yは、主題そのものでは順次音階を階段のように2度下行しつつ登っていたのが、推移部分の1回目で3度上行が見られ、2回目で4度上行に成長し、3回目でついに5度上行(いずれも2度下行を除外した場合)したエネルギーで、[As dur]のドッペルドミナントとドミナントの交替に至る。このように無駄なく主題再現に向かう定型部分に入り、特徴的な付点音型のまま自由なパッセージ的部分に移行し、最後に音階を下りつつ中間部を抜ける。

主題再現部分(20-27)

・さらに主題再現部分も非常に単純な遣り方で、初めの主題提示部分に変化を付けている。つまり主題の音型も小説数も全く同じなのだが、ただ4小節をもう一度繰り返す主題後半部分が、ここでは短調に替えられて、非常に印象的に主題提示部分と異なる印象、何かドラマがこれから始まるのではないかという思い。つまり楽曲終止感よりも、先への期待が生み出される効果を出している。しかしこの短調から始まる緩徐楽章のドラマは一旦回避され、リピートによって中間部からもう一度やり直す。そして繰り返しの後に次の部分に移行するわけだが、そこではやはり劇的なドラマが形成されていたのだった。このように思わせては回避する、そして思わせては実際にドラマが開始するという2つの効果は、作曲者の意識の中にあったので、この第2楽章のリピートはすべて執り行う方がよい。またこうして主題提示を見てくると、無邪気な天性で作曲されたような楽曲が、実は周到に計算されたものであったことがよく分かるだろう。そしてこの主題提示全体は全く弦5部だけで行なわれていて、ようやく参加する管楽器導入の豊かな色彩的発展を見事に演出している訳だ。

主題展開部(28-52)

対主題部分(28-37)

・主題再現の後半が短調化することによって主題に対する不穏なものが呼び込まれ、それは(f moll)の属和音を8分音符で4回、ピアノながら短調を確定化させる扉の音として打ち鳴らし、付点化しない16分音符の下行型パッセージによる2小節によって導入を果たす。しかも導入の響きは初めての管楽器で行なわれ、非常に印象的だ。その後、管楽器は長い音価で和声を響かせ、弦のベースが16分音符を刻みこみ、内声弦楽器がそのリズムに対してシンコペーションの刻みで絡み合うという、リズム的緊張の高い短調部分が形成され、これに乗せて主題に対抗するような対主題がフォルテでヴァイオリンに登場する。この旋律自体も音の跳躍と、走り出しては宙に止まるようなリズムで形成され、非常に緊張感の高い劇的な部分を形成。主題の[4+4]の安定した小節運びに対して、2小節を最小単位とする6小節のフレーズを元に、その一番最後の1小節をさらに2小節繰り返えすという8小節であり、その最後の2小節では管楽器も動きを増しリズム密度を高める。これによって安定した主題に対抗する動的な対主題を形成している。

主題への回復部分(38-52)

・ピアノでヴァイオリンが16分音符の刻みを行ない始めると、管楽器と弦楽器のベースが対話をするように、音型XYを繰り返す。短調からの離脱が図られ、いわば主題提示部の中間部分に回帰した恰好だ。しかし先ほどのドラマのためにこの部分も変化を被(こうむ)り、音型XYを3回繰り返すと、ベースが1小節ごとに音型Yの短縮形を繰り返す上で、管楽器が16分音符を刻む印象的な響きが形成され、これに乗せてヴァイオリンが音型Yに対して対旋律的に新しいフレーズを導入。半ば独立的な部分を形成し、和声転換密度も高く、主題提示部での中間部分よりも、大きく発展性を増し、より展開部的部分になっている。その後付点リズムによるヴァイオリンの薄いカデンツ風パッセージを経て次の部分に移るのは、ちょうど主題提示部の主題再現部分に向かう時と同様だ。いわばこの主題発展部では、対主題の短調的部分から主題を回復しようとしつつ、半ば独立的に発展してしまった楽曲拡大のため、この部分全体が動的な展開部的部分を形成している。

終止部(53-67)

 主題提示から主題展開という楽曲の拡大が、必然的に終止的な部分を呼び込み、先ほど主題再現への道筋が見えたにもかかわらず、主題の回帰ではなく終止部が形成される。これは対主題部分の劇的な力が大きく、すぐに主題が回帰する小楽曲の形式よりも、より大きな形式を指向するからである。この終止部は、対主題の導入で生まれた8分音符を4回打ち、16分音符の付点無し音階パッセージに繋がっていくという主題が、対位法的に管楽器で連続導入される5小節で開始。これに対して弦楽器の付点リズムが特徴的な主題終止が加えられた8小節が形成され、これがもう一度繰り返し終止する。しかし、先ほどの主題展開部後半で見られた、主題回帰への欲求が、展開後の終止の欲求と同じぐらい強いため、大楽曲を指向して再び主題が再現されてくることになる。

これまでの部分の発展的繰り返し(68-143)

 再度主題提示から終止までが繰り返されるが、同時にこの2回目は1回目を修飾した発展型になっていて、まず主題提示のリピートは無く、提示される主題は4小節だけ弦楽器が導入すると、後半4小節は管楽器にメロディーが現われて表情を豊かにする。続けて主題中間部分(76-)では管楽器に16分音符の音階下行パッセージが対旋律として加わり、主題再現は木管の総奏的に開始するなど、より修飾的に変奏された姿で開始。その後も同様に進行し、2回目の終止部まで到達する。到達すれば、1回目同様、再び主題が恋しくなると言う仕組みだ。

主題による終止(144-161)

・後は皆さんご存じの通りだ。主題が再び顔を出しつつ変化を加えながら、終止を全うするのだ。こうしてみると、モーツァルトもやはりルーズになりがちな緩徐楽章に対して、構成、楽句の発展、楽器導入、修飾の拡大など様々な方法を駆使して、緻密なプランを導入しているのが分かるだろう。もちろんこのような計画は楽曲から受ける情緒を最大限に生かすために練られて居るのだから、その計画が優れたものであるほど、まるで天から与えられた神の音楽のように感じて、うっとり感動してしまうのは、作曲家にとって、これ以上喜ばしいことはないはずだ。
 ……それにしても、音型XYは何のために命名したのか、出番があまり無かったか。

2006/06/15
2006/07/04改訂

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