シューベルト 交響曲第7番 2楽章

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提示部(1-110)

先に第2主題冒頭までまとめたヘタレを掲載。
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第1主題提示部分(1-63)

・第1主題(1-15)は以後の重要素材が出そろう15小節までとなるが、実際は(1-7頭)までで最重要楽句の提示が完了し、メロディーが閉じられて、ここまでで主題提示が終わり、続けて出だしの序奏を含めて主題繰り返しが行なわれ、その最後に15小節目の16分音符の分散和音の特徴的な終止音型が派生するようにも感じられる。これは主題のメロディー型以外にも、和声が主和音に解決し、そこで序奏部分からもう一度開始されるために、前半と後半旋律が、連続的というよりは断続的に、つまり繰り返しのようにより感じられる訳だ。しかし、同時に1回目の最後の旋律が順次上行で終わっているのに対して、2回目の最後の部分は半音階下行型が続いた後に終止音型が登場するように、この2回の登場をペアとして前半後半として、一つの大きな枠組みとするもう一つの括りが機能しているため、大括弧の中に小括弧を入れたような、枠組みの二重性を持たされている。特に16小節以降の部分は、(1-15)小節までを発展させた繰り返しになっているので、この16小節以降に差し掛かると、先ほどの15小節全体に対応した部分が繰り返されるように感じられ、いわば最小単位の括りと、より大きな主題の区切りが複合化されて、聴覚上第1主題全体の構成把握に心地よい迷いを生じさせ、これが何度聞いても飽きない見事な構成感として機能している。ここでは、(1-7頭)までの最小楽句単位を主題中主題として、(1-15)までを第1主題として話を進めることにしよう。
・さて、冒頭の主題中主題はホルンとファゴットによる3小節の序奏によって導かれ、その3小節目に弦楽器に主題が登場するのだが、管楽器の序奏部分ではコントラバスがピチカートで「音階順次下行型後跳躍付」を行い、この管楽器の序奏と下行音型は常に一緒に使用され、主題が回帰する合図を担うと共に、ヴァイオリンで開始する旋律の持つメロディーの流動性に対して、全体構図を形成する定期的な句読点のような役割も担っているようだ。この管楽器による序奏の合図は、上声が順次3音上行をするという簡単なもので、もちろん第1楽章の冒頭旋律の開始部分に基づいている。そのことは、3小節目に導入される主題旋律を見れば分かるだろう。この主題旋律の輪郭である、順次上行した後に分散和音的に下行し、最後に上行を試みるという大枠自体が、第1楽章の冒頭旋律から採用されている訳だ。それでも信じない人のために、さらに細かく見ると、第1楽章冒頭旋律の「シドレシ」から「シドシ」が生まれ、続く冒頭旋律の「ラファソ」の回音が到着する「ソ」が、そして冒頭旋律最後の「レドファ」も倚音を除く「ドファ」の進行が、順次進行化した「ミファ」となって、主題中主題の「シドシソミファ」の旋律を形成している。(もちろん長調だから、G音は#が付けられるが。)
・こうして7小節頭までで主題中主題の提示は終わり、7小節目からはこれをもう一度繰り返すうちに、主題旋律の最後の部分が半音階下行型に変化し、15小節目で16分音符の分散和音上行に始まる特徴的な動機型音型(終止音型としておく)が導入されるので、ここまでは主題繰り返しの最後におまけが付いただけのようにも感じるわけだ。
・ところが続く真の第1主題繰り返し部分(16-32頭)において調性を(G dur)に移行して、主題中主題とその繰り返しがなされ、(E dur)に回帰しつつ、29小節目から先ほど15小節目で生まれた終止音型が3小節に渡って確認されるので、この辺りでもう一度冒頭からの道のりを振り返って思い致してみると、どうも記憶の中の音楽も、(1-15)までがひとまとまりのような心持ちが強くなることになる。(もちろんそう感じるための要素は、この繰り返し部分の効果だけでなく第1主題そのものにも含まれているが。)いわば、主題中主題が何度も繰り返されているようにも、またより大枠の主題が2回繰り返されているようにも、共に感じてしまう私たちの切ない耳の性質(?)を利用した、してやったりの楽曲構成方法が行なわれ、非常にすぐれた構成法をものにしている。しかもこの繰り返し部分最後では終止音型の持つ分散和音上行開始に対して、次の小節にリズムの少し異なる下行の勝った応答動機を登場させ、さらに終止音型で返答を加えている。見方によっては第1回目の主題中主題では何もなかった平面から、1回目の繰り返しの最中に終止音型が生まれ、これが4回目の主題中主題繰り返しに至って応答を加えるまでに発展したようにも、感じられるぐらいだ。
・続いて32小節からは管弦総奏によって、冒頭序奏に基づく力強い部分に逸脱するが、45小節目で再び第1主題主題が再現されるため、第1主題部分の大きな枠組みである[A-A'-B-A'']という構図がクローズアップされてくる。しかも逸脱部分の後の第1主題繰り返しは、主題中主題1回分ですぐに終止音型が登場するという、主題を結晶化したような高い密度で行なわれ、その一方では終止音型部分がさらに小節数を拡大し、終止側が成長している遣り口も非常に自然で、こうした主題変化の運びは極めて理に適っている。
・その後管と弦による序奏音型が2回繰り返されつつ、ヴァイオリンの単音に至り、第2主題を迎える。

第2主題提示部分(64-95)

・同じだ。全くこれもそうなのだ。私は気づいてしまったのである。かつて第1楽章で第2主題が裏拍伴奏を伴ったのと、全く同じ遣り方ではなかったか。それだけではない。それだけではないのである。先ほど見た直前の最後のヴァイオリン単音部分を第2主題側と考えれば、まさしく冒頭旋律、伴奏型導入、主題導入という遣り方までまったく一緒だ。まったく一緒なのだ。こうして私は、まさに気づいてはっとして息をのんでしまったのである。(・・・何なんだ、この文章は。病気じゃないかしら。)こうして(cis moll)で開始する弦楽器の裏拍伴奏に乗せて、クラリネットが(66-83)までメロディーラインを奏でる、非常に息の長い第2主題が開始。続いて84小節からは(Des dur)に移行して、オーボエが第2主題を繰り返すうちに、その主題後半部分から付点付きの16分音符による第2主題終止音型が登場。しまった、こっちの遣り方は、ついさっき第1主題部分で見た遣り方そのものじゃないか。この終止音型が管楽器で印象深く6回繰り返されると、第1主題の逸脱部分と類似の展開によって、管弦総奏による(cis moll)の楽句部分、つまり総奏和音に乗せた8分音符進行部分が登場する。果たして、第2主題も[AABA]型が登場すると云うのだろうか・・・・。

提示部終止部分(96-110)cis moll→D dur

・ある面では、まったくその通りなのである。96小節からの管弦総奏(96-102)は、ちょうど第1主題での管弦総奏部分の音型を跳躍進行分散和音型にしてさらに力動感を高めたものになっていて、ここではその力を利用してか、103小節から始まる管弦総奏楽句の繰り返し部分で、オーボエと弦楽器に32分音符の非常に細かい旋律修飾伴奏が加わり、提示部全体の力強いクライマックスを形成しつつ、110小節まで推移する。そしてその後に待っている楽句は、まさに第2主題の裏拍伴奏を利用した、第2主題と同族的な部分なのであった。まるで、第1楽章が[AABA]型を歩んだように、第2楽章もまた[AABA]型の理念が内包されていたのである。
・しかし同時に、111小節からの部分では、メロディーラインが第2主題と異なり、管楽器が休止しヴァイオリンとベースが2重奏を奏でるなど、実際は第2主題繰り返しではなく、続く新しい部分が形成されているのだった。つまり、ここでもシューベルトは、魅力的なトリックを用いている。つまり第1主題側の[AABA]型を指向しつつ、111小節から再度第2主題が登場するように見せかけ、さらに第2主題伴奏をそのまま使用して、半ばその意義を残しながら、同時に新しい部分に到達させているので、この111小節以降も2重の意味を持たされている心持ちがしてくる訳だ。しかし実際はこの111小節以降が、まさにソナタ・アレグロ形式なら展開部が置かれる場所となっていて、展開部ではなく一つの中間部メロディーに基づく完全な中間部として機能している。

中間部(111-141)D dur→G dur→C dur→E dur

 先ほど述べたように第2主題の裏拍伴奏を使用し、その属性のまま留まっても居るように感じられる中間部は、まずベースラインに旋律が登場し、1小節遅れてヴァイオリンがそれを類似の旋律で追い掛けつつ、裏拍伴奏に支えられた2重奏を奏でるというもので、開始旋律ラインに明確に第2主題の変奏が見られる一方、その旋律後半には第1主題の旋律が内包され、第2主題が優位ながらも、決して第2主題部分ではなく、展開部と同意義の中間部を形成しているのが分かる。さらにこの部分はもっぱら弦楽器によって進行し、途中定期的に管楽器が響きを補強しているうちに、134小節で(E dur)のドッペルドミナント9の準固有下方変位に到達して、最後にはただのドッペル7の2転に到達、この一連のドッペルドミナントをちょうど属和音の保続音Ⅴ音の代用として、最後の保続音的部分を形成して、ドミナントを介さず142小節目でいきなり(E dur)の主和音にいたって主題を再現する。

再現部(142-249)

第1主題再現部分(142-204)

・序奏を含めて提示部同様に進行し、[AABA]型の[B]にあたる序奏に基づく管弦総奏の逸脱部分で、転調の向きを提示部と変えることによって、最後の主題再現から第2主題への移行部分を(A dur)で行なっている。

第2主題再現部分(205-236)

・提示部では直前の(E dur)が平行調の(cis moll)に移行して第2主題を行なったが、今度は(A dur)を同主短調(a moll)に読み替えて第2主題を開始、楽器もクラリネットではなくオーボエが開始し、2回目の主題で(A dur)を回復し、楽器をクラリネットで登場させている。

再現部終止部分(237-249)

・もちろん調性が変化している。果たして今度は第2主題部分は返ってくるのか。

コーダ(250-312)

 何を暢気なことを言っているのだ、もはやまとめのシーズンの到来である。第2主題的なものの再現の残照は、250小節目から登場する32分音符分散和音上下運動に乗せて行なわれる、総奏による和声的裏拍リズムだけになり、これは直前の逸脱部分から連続的にフォルテッシモの力強い和声的部分を形作るが、この部分はもはや第2主題部分の回帰とはまったく云えず、この部分が終止への合図となって、これ以後コーダに突入する。

・後は軽く書いておこう。まず第1主題の持つ終止音型部分が繰り返されるうちに、その16分音符のリズムが連続化して終止的フレーズを讃えると、268小節から序奏2小節を4小節に拡大して終止風フレーズを加えた7小節を、楽器を変えて2回繰り返し、280小節で第2主題へ移行する際使用した単音ヴァイオリンのフレーズを登場させるが、その後ろに登場するのはもはや第1主題の主題中主題と終止音型の結晶化された5小節で、短音ヴァイオリンからの経緯をもう一度確認し、もはや第2主題への指向性はなく、第1主題で目出度く幕を下ろす決意を穏やかに示しつつ、最後は終止音型の連続使用から、序奏そのものいによって静かに締め括る。

まとめ

 このように、第2主題の構成は手の込んだもので、この楽章の持つ穏やかな旋律に乗せた素材を、緩徐楽章でルーズなものにしないために、あらゆる方針を導入する方法は、まさにベートーヴェンが緩徐楽章で一貫して模索し続けた遣り方と同種の作曲精神であり、さすが崇拝していただけの吸収力だと感心させられるのであった。(実際は、ベートーヴェンだけから学んだとは云えないのだろうが、楽曲比較のためには、前にやったベートーヴェンの楽曲から特に由来を考えるのも悪くはない。)
 なお第3楽章については、シューベルト残したものは、開始部分の総譜以外はピアノ用のスケッチであり、しかも後ろ側に行くほどスケッチは荒くなり、トリオに入った部分で単音だけになり、その繰り返し部分で楽曲は途絶えているという、まさに構想を練っている真っ最中のものであり、当たり前のことだがこれをさらに練り上げて、完成されたスケッチに仕上げる過程においても、そのスケッチを元に総譜を作製する過程に置いても、楽曲は常人には推し量れないほど発展していくものであるから、このスケッチをもって、第3楽章以降の出来が良くないことに気が付いたなどと、浅はかに叫びまくるのだけは止めにしたい。個人的にはこのまま作曲を続ければ、非常に第7番に相応しい第3楽章が完成したと思われ、完成されなかったことが悔やまれるが、いずれにせよこの第7番は、2楽章で十分完成した作品などではなく、楽章ごとの情緒推移を考えても、演奏時間を考えても、続く楽章を絶えず求めて止まない状態で残されていると思われる。恐らくこの3楽章で、救いのこない悲劇調の第1楽章と、その後の束の間の憩いような緩徐楽章に対して、快活なものが導入され、最終楽章では悲劇調の解消が行なわれ、輝かしく楽曲全体が閉じられるのが相応しいと考えられるのである。
 最後に一つだけ、第4楽章にロザムンデからの持ち込みをするのは、音楽的趣味の欠片すら持ちえないほどの怪奇現象である。・・・だって、一耳聞いて不似合いじゃないか。理屈以前の問題だ。(と、私の耳は嘆いている。)

2006/01/19
2006/02/18改訂+MP3

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