シューマンの生涯と楽曲

ローベルト・シューマン(1810-1856)の生涯

シューマンの生涯と楽曲
 
……詳しくは、上から生涯にリンクしてください。ここでは極めて略歴を。1810年6月8日、ツヴィッカウに生まれたローベルト・シューマン(1810-1856)は、ロマン派時代の文学などに傾倒しつつ、音楽を学び、フリードリヒ・ヴィークのもとへ弟子入りしたところ、そこで出会ったクララとの愛に溺れながら、1830年代、「幻想小曲集」「クライスレアーナ」など数多くのピアノ曲を作曲。
 1840年には、父親の反対を乗り切って結婚したシューマンは、クララのあいに支えられながら、交響曲の年と呼ばれる1841年には「交響曲第1番」(春)などを作曲し、リートの年とされる1842年には沢山の歌曲を、室内楽曲の年とされる1843年には、多くの室内楽曲を作曲。
 その後、精神的な不安定を抱えつつも、ピアノ協奏曲イ短調、交響曲2番、交響曲第3番など多くの作曲を残したが、1854年にはライン川に飛び込んでしまい、精神病院で、切ない最後を迎えるのだった。

作品解説、楽曲解析(アナリーゼ)

交響曲(シンフォニー)
交響曲第3番変ホ長調、op97 (「ライン」)
交響曲第4番ニ短調、op120

関連リンク

「ウィキペディア」
…………ウィキペディアの「シューマン」のコンテンツ。
「Web KANZAKI」
…………「Web KANZAKI」のシューマンのコンテンツ。
「musiquest」
…………「musiquest」内にある、シューマンの交響曲のページ。

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