(朗読なし)
このコンテンツは、詩のコーナーの「Xの座標」へと編纂された、その以前の状態をとどめているに過ぎません。
年の明けるよろこびなんて、もうどれくらい忘れたろう。いつもと変わらない毎日が、たまたま暦に掛け合わされたとき、人はあさましくもよろこびにひたる、そんな風習の名残みたいにして………
けれどもなくしていたんだ。
誰もがそんな新たな思いをゆだねるとき、
ただ僕らにだけ感じられる、
相対的な空気のようなもの
あるいはそれが淀んだとき
世界は混沌と戦乱を迎えたかも知れず
あるいはそれが澄み渡ったならば
もう誰もがアルカディアの
まつりに手を取り合うほどの……
けれどもそれは、いつもままならず
相対的にうつろうような晴れやら曇りの
蜃気楼みたいなしぐさして
けれどもきっと僕たちの
よろこびやらかなしみのみちしるべ
僕らのあゆむみちすじに起こる
手を取り合ったり、いさかいをしたりするもの
その根源的すがたであるならば……
わたしは朝日にあらたまの思いを
ゆだめては見ようかともうのです
人間なんて塵や芥(あくた)の
けれども僕らにとっては
かけがえのないいのちなのだって
庭先の鳥たちのよろこびに
ゆだねてみようとも思うのですけれども……
あらたまの庭を訪ふなりつがひ鳥
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
まあるい猫がひとつだけ、鈴の音ならしてのど声を、鳴らしてねむるこたつです。わたしもとなりにねむりましょう。いつしか春の夢を見て。
こたつにはひと鳴き猫か春の夢
坊やのえがくらくがきは、間延びしました曲線の、なにやらピカソのしぐさして、ほほえましいな、かたり歌。
ルバートに春をゆだねて絵描歌
きょろきょろしてますあの人は、いなかのなかのそのなかの、おのぼりさんではないですか。当たり前さのしぐさして、目的持ったしぐさして、威風堂々歩きます、でも本当は、本当は、きょろきょろしてますあの人は、いなかのなかのそのなかの、おのぼりさんのしぐさです。
おのぼりさん見つけて春の気配かも
春はまだ、砂にまみれたほこりして、かざしていました若き日の、ひらひらしてます個性さえ、オリジナルだって信じてた。
僕の自在とエゴの肥大よ春埃
あの子は消えて、十字にかざしたらくがきの、未来をえがく文字ばかり、あわせた手のひらむなしくて、見上げた空のつめたさばかり、ひるがえるようなつばさです。
そして僕の祈りともなく冴え返る
先生。
あなたがあたりきの表現に、
まことがあるって教えてくれたから、
わたしはくだらない知恵袋の
みじめさを知ることが出来たのです。
そうして時折はこんな句も、
らくがきしてみたくはなるばかりです。
やはらかな土筆を摘むやをんなの子
これならば、それはあれより、どれよりも、こうして、そうして、ああ、どうしよう。
こそあどに春をおそわる坊やかな
恋をしました。
恋をしたんです。あのひとの
影ふみするような
恋をたとえば……
さゝやきはすみれの花のものがたり
ばあさんや、
生きておればポチも、
もう十年になったじゃろうか。
ポチの庭に今年も花は咲きにけり
アクセサリーな
さくら並木は showwindow
それはこの街の
隠れた恋のスポットなのかもしれませんね。
さくらばなあなたにあげたいイヤリング
春のうららのオカリナは、
おぼろ月夜を待ちわびる、
いにしえのみやこ、あるはまぼろし。
散りそめてのぼりくだりの隅田川
どこまで高くのぼったら、
お空の果てに会えるだろう。
どこまではてなく飛んだなら、
虹のはてには逢えるだろう。
紙飛行機
虹の果てまで 追いかけて
くしゃりと響くかゝとして、
つぶしたいのちもおざなりの
ありきたりした毎日に
真っ赤なリボンをかかげましょう。
かたつむりつぶして逃げる赤りぼん
そうしてまもなく、夏もおはり。
子をいのる夜鷹を銃で撃つものを……
そんな殺風景な残虐が、
効率なんて呪術みたいな
ただ人でなしのしぐさして、
ひろがっているのではないでしょうか。
たとえばいびつな砂ならば、
「Xの座標」やら「pulsarの風」など瓶詰めに、
らくがきしてはその価値を、
たたえたくなるものもあるかもしれません。
そうしてそれが本体とは、
なんの関わりもないことなどは、
気にもとめないらしいのです。
わたしはそれらをにくみます。
断罪するでもののしるでも、
なくおびえながらにくみます。
近寄らないでと願うのです。
その歌声が嫌なのです。
ただそれだけがすべてですから。
Xの座標もなくなくて天の川
あなたには愛する人がいて、
あなたには愛される人がいて、
わたしの居場所はそこになく、
あなたはわたしを誰とでも、
変わらないくらいに笑うのです、
屈託もなく、
笑うばかりなのです。
あなた欲しくて飛行機雲を眺めては……
はなしもしない言の葉を、
使いもしない知識して、
覚えるなんてばからしい、
それってあるいは僕たちの、
いのちの根源じゃあないだろうか。
そんな思いもさわやかな、
風に夢みる午後の授業に。
さわやかな
英語にねむる 窓の席
ゆびさきはじけて鳳仙花、
黒豆粒のはしゃぎして、
こぼれおちますかなたには、
のぼり疲れたカナブンが、
しがみついてるおもしろさ。
かなぶん
のぼりわすれて 鳳仙花
月夜の晩にとりあった、
あなたとわたしのゆびさきの、
もつれるみたいなよろこびは、
むすびあう影のあそびです。
月ヶ浜
君と僕との影ぼうし
遠くの雲はいわしらの、
しま模様した青空に、
ながれてゆきますかなたには、
いつかの夢もあきらめの、
はるかなる、高みをゆくでしょう。
追いかけた
夢そら高く いわし雲
木から木へ
よじ登ってはあざをして、
遊び疲れた夕空も、
あの頃は、無限だって信じていたけれど……
残されて公園となるもみじかな
マンネリズムが怖くって、
僕らはいつでもはしゃいでいたね、
それは必至になってお互いのなにか、
傷つけたくないような季節して、
きっと無理をかさねていたんだ。
けれどもう今は、
きみと僕と
ひだまり秋の
らくがきと……
みおくるひとのかなしみは、
あらゆる季節の情景を、
うつしかえては、
変わらないものかも知れません。
プラタナス去りゆくバスに手を振れば
いつしか村に、
米のなごりのゆたかさと、
よろこぶような神楽も消えて。
里は荒れて新酒の札(ふだ)もなかりけり
獺祭書屋の主人なら、
こんな見舞いを、えがくでしょうか。
それとも、
軽蔑されるでしょうか。
見舞われてつぶさに柿を握りけり
うつくしき
ものへあこがれた みにくさを
ゆるせないのは道徳でしょうか。
ねたみでしょうか。
あるいはもっと根源にひそむ、
わたしたちの美的基準の問題でしょうか。
わたしには分かりませんでした。
恋をした案山子を燃やす人のかげ
真っ赤なサソリの明滅を、
不安な警句に脅すような、
あの鉄塔のシグナルより、
かなたのしずかなあの星の、
おだやかなちからづよさはどうだろう。
鉄塔のシグナル赤くつづみ星
どうしようって
思えば思うほど不安になって、
現実逃避のあれこれと、
手を伸ばしてはうかばない、
お腹がすいたをいいわけに、
答えをみては安堵します。
答え見てカップラーメン二日前
傷があるわけではないけれど、
こころに傷があるわけではないけれど、
いまさらこころに直したい、
痛みがあるわけではないけれど
湯治してあさな夕なの顔合
ちょっと呑みすぎた、
オスミンみたいな失態も、
人のよならばうれしくて……
はな唄を湯気に濡らして茶漬けかな
あわてんぼうなそのひとは、
待ち合わせ場所さえ忘れます。
そうしてこころは子どもらの
笑顔のことでいっぱいです。
もみの木にトナカイを聞くサンタかな
子どもは夢にねむります。
あたたかいのは家族です。
大好きなのはふるさとの、
雪の降る夜の音楽家。
リャードフペチカに眠るおんなの子
わいわいあつまった友だちの、
手を振るさようならがさみしくて、
ひとはいつまであそぶことを、
しつづけられないものでしょうか。
そんなことをつぶやいたら、
あなたは横で笑っていたっけ。
君の頬にそっとメリークリスマス
守ってあげたくなったから、、
あたいはあんたを引き寄せる、
さみしそうにしてたなら、
抱きしめるくらいしかできないけれど。。
気のまままわたのわたのやさしさで
恋人たちのぬくもりは、
雪もよいした風にさらされて、
つめたくなって離れても、
離れきれないものかしら。
けんかして許してメリークリスマス
antique めいたよろこびを、
ランプみたいにかざしても、
おめかし dinner の wine さえ、
あなたのひとみの red です。
君と僕とアールヌーボー雪もよい
お別れの季節が訪れて、ふたりの鼓動はずれていく。それはいつも恋人たちの大切な、イベントにあわせるみたいに、もう戻れないこころをうつして、あたらしいなにかに惹かれるみたいに、そうしてどちらかの未練を引き連れながら、訪れるありきたりのワンシーン。
足音のクリスマス改札をゆく君は……
疲れた駅前のサラリーマンやら、
しわくちゃの指先が鍵をかけようとして、
あるいは君と僕との着飾ったエピソードなんて、
もう、あきました、あきました。
ただ地上のいとなみを離れては、
もっとひろがる世界にあこがれるみたいに、
それが見たくて、
夜空を見上げるのでした。
はく息のしろさすっと流れ星
坊やの約束を破ったら、
坊やは泣きべそをかきました。
母さんは父さんを弁解します。
坊やはますます泣きました。
父さんはしかるかと思われましたが、
やさしく針を後戻りすると、
あやまりもせずに言うのです。
時計の針を戻してメリークリスマス
たくさんのおもかげがつらくって、わたしはふるさとを去るでしょう。たのしいことはあまりなく、振り返るほどにきたならしい、自分のすがたがつらくって……それでもそこは、わたくしの生まれた街には変わりはないのですけれども。
今は手を振りたくはありません。
ありがとうやら、また会いましょうなどとは、
手を振りたくはありません。ただ、
しおさいの唄を聞きながら、
そこを逃れるのがゆかいでなりませんでした。
なにか清らかな時代が、
始まるような気がしたものですから……
澪つくし遠ざかりゆく冬の街
わたしの両親は病院に勤めていたから、おさないわたくしの記憶にも、不思議とさまざまな溶液やら、ホルマリンのにおいやら、ぷかぷか泳いだ胎児の印象が、刻み込まれているらしいのですが……
わたしにはそれらは懐かしく、
ふるさとみたいに思われるのでした。
ふらすこの胎児冷たき病理かな
老いたるものは
回想をしてつかの間の
安らぎと厭世のはざまに
息づくものなのでしょうか……
決して未来を、
信じることなく……
皺くちゃに寒をたらして呑にけり
ひとなき空に
からすのみこだまして
はななく消える
この世をゆだねようとして……
終わりの景色を寒空に聞く鴉かな
そのあまりの陳腐に
あきれ果て、いのちの凡庸を思うとき
終末を
夢みてなげくからすかな
など落書するも、
いつしか酔いのしどろもどろに、
終わりの景色を
夢みてなげくからすかな
くらいに投げ出すばかりが、
わたくしの歌の、つまりは実情なのです。
それにしても………
寒河に犬肋骨と成にけり
くらいの情緒を、
しかもほんの十七字に
たぐいまれなる表現の
可能性などあると信じては……
人影を探し求めて暮の街
ほどなくひとなみの、
なみゆくほどの人影の、
あまたの砂の落書の、
かわらない情緒だと気づく頃……
ほろ酔いののれんに聞くや除夜の鐘
なんていつわりを、
年の瀬にゆだねたくもなるものです。
そうして、また、ちょっといたずらして。
朝昼晩春夏秋冬年之暮
そんな中学生の頃の落書も、
近頃はなつかしいくらいです。
幾とせの喪中はがきをいたしけり
あるいはまもなく、
わたくしは消えてゆくのかも知れません。
けれども……
去年(こぞ)の雪。牢獄に聞くヴィヨンかな
歌わなければなりません。
わたしのいのちが続くかぎり、
もう何語でもかまわない、
わたくしの塗り替えられない、
ひとりぼっちしたきり/”\すの歌を、
わたくしは歌わなければなりません。
それは点より生まれ
やがては点へと帰り永遠と続く
普遍やら価値など存在しない
つまりは絶対領域の価値観とは
関わりのないただ人のよの
よろこびやかなしみなど言う定理から
逸脱したようなつかの間の
わたしたちにしか意味のない落書きの
その狭間ににしかわたくしの
いのちの価値もよろこびも
畢竟見いだせないからには
違いないのですから。
2015/10/26 掲載
2015/11/03 詞書下書