八重山の思い出その10

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米原へ

 「これから米原に向かいます」ハンドルを切り都会的な交通量の十字路を曲がると、車は石垣島の海岸沿いではなく、島中央の東寄りを南北に抜ける209号線に入った。実は石垣島はなかなか起伏の激しい島で、山岳地帯を抜けるといったら大げさかも知れないが、島内陸部は最高峰の於茂登岳(標高526m)を筆頭に、幾つもの岳がそびえている。昔から八重山の中では水源を持ち、そのため幾つものダムが作られ、今日では電力の確保にも恵まれているのだ。住宅も尽きた道路は山のシルエットを見ながら進み、周囲に広がる農耕地の中を、上下に勾配しながら続いている。まるで関東平野を山沿いにドライブするような感覚だ。
 ただ違うのは、まったく対向車とすれ違わない。前を見ても後ろを見ても、がらんとした道路が伸びているだけだった。ようやく対向車線に一台現われたと思ったら、ゆっくりゆっくり近付いて来る。すれ違うのが待ち遠しいくらいだった。しばらく進むとトラックの後ろ姿が見えてきたが、これがまた非常にゆったり走っている。「あれ、あの車、故障でもしたのか」と緑シャツが指さすと、ガイドさんが「いいえ制限速度で走っているだけです」と言う。なるほどスピードメーターを見ると、私達の方が少し速度を越えているらしい。先ほどの対向車も速度を守っていたのだろう。ガイドさんの話では、石垣島では制限速度を守るのが当たり前で、超えて走る愚か者は観光客ばかりだという。誰もいない道路で速度を守り抜くとはすばらしい。成熟しているなと考えていると、まるで成熟していない緑シャツが「抜いちゃえ抜いちゃえ」と言って、パンフレットを丸めた眼鏡に叩かれている。
 そのうちレンタカーのナビゲーションが、ダムの姿を映し出した。石垣島での最大の「底原(そこばる)ダム」だ。1992年に竣工(しゅんこう)して活動を始めたダムのお陰で、昔から干ばつに悩まされた石垣の水源も大分よくなったという。しかし完全には安心出来ないとガイドさんが教えてくれた。
「また、この石垣島と西表島、与那国島だけに生息するカンムリワシは、約200羽ほどしか生息しない稀少(きしょう)動物で、西表ヤマネコと同様に特別天然記念物でありますが、このダムの辺りで見かけることがあります。方言では『マヤダン』などと呼ばれ、指笛のような鳴き声で知られています。」
 ワシと聞くと緑シャツが霊感を得て、「カンムリワシと言えば」と身を乗り出すから、下らない洒落(しゃれ)だろうと思って振り向くと、もうすでに眼鏡からパンフレットで叩かれている。「痛い、この暴力女何をする」と緑シャツが自分の肩をなでると、「だって洒落の後で叩いても、前に叩いても同じだし」とパンフレットを突きつけるので、シャツはもうしませんと両手を上げて降参した。ところがベレー帽が「カンムリボクなら許されるかも」と支援するので、眼鏡はパンフレットを電光石火のごとく翻(ひるがえ)し、帽子の上をぽかりと叩いた。ベレー帽は「暴力反対」と嘆いているが、眼鏡は「カンムリボクでもカンムリオレでも許されないの」と、パンフレットを手の平に打ち付けて勝利を宣言した。何だか3人だけで楽しそうだ。私はガイドさんの横に座っているから、除け者にされたようですこし淋しかった。すっかり学生気分になってきたようだ。
 ガイドさんは冗談を無視して運転を続ける。そのうちポッカリと暗い穴が近づいてくる。
「あれは於茂登トンネルであります。沖縄県で一番長いトンネルで、1km以上に渡ってトンネルが続くのであります。そして、『於茂登の長いトンネルを抜けると米原であった。海の底がサンゴになった。駐車場に車が止まった。』と、夏国の物語が始まるわけです。もちろん、駒ちゃんも葉子もいませんが。」
 ガイドさんの洒落は博識すぎて意味が分からないが、実際はトンネルを出て少し西に行くと米原だ。カーナビには「ヤエヤマヤシ群落」という文字が左側に表示されている。八重山にだけ自生するヤエヤマヤシは、やはり国の天然記念物に指定されているが、それが数百本もの群落になった観光名所の一つである。トンネルを越えて少し進むと、道は海岸線に突き当たり、海岸に沿って左右に走る79号線に出る。ここを左に曲がるとすぐに、私達の目差す米原に到着だ。

米原(よねはら)ビーチ

 看板にしたがって米原海岸に切れると、砂と土で固められた駐車場がある。降りれば気温はすっかり初夏で、水着になっても構わないぐらいだ。樹木の中に米原キャンプ場が広がり、木々の合間には米原ビーチとエメラルドブルーの海が誘う。喉が乾いたから、自動販売機で冷えたサンピン茶を購入すると、缶を片手にキャンプ場を歩き出した。駐車場の大きな掲示板には、「サンゴは生きています、折って殺しては駄目駄目です」と書いてある。ガイドさんがさっそく説明を始めた。
「この米原にあるビーチは、流れが速く危険があるので海水浴場としては公認されていないのであります。しかし隣接するこのキャンプ場を目当てに、夏場には沢山のキャンパーが訪れるのですから、自己責任で海水浴を行なう石垣島の名所に他なりません。ここは冬に閉鎖され夏に開かれるキャンプ場ですが、4月からはもう使用可能であります。かといって、冬は水道などが停止しているだけで、立ち入り禁止ではないのですが。」
 樹木に囲まれたトイレや炊事場らしい設備付近には、子供達の遊ぶアスレチック施設が並び、その奥には青いテントが幾つか張られている。「あれ、もうキャンプをしている人がいる」とベレー帽が不思議がると、失礼にかけては第一人者の緑シャツが「キャンプというか、上野公園の浮浪テントを思い出すような」と聞えたら困るようなことを言う。
「ここが無料キャンプ場だった頃には、確かにホームレスの皆さんも沢山テント生活を営んでおりました。今でもキャンプ熱が高じて年中テント生活という強者もいて、様々なキャンパーが入り乱れ、これから夏に向け賑わいの一時(ひととき)を向かえるのであります。」
「そうなんだ、オレもキャンプやりたいな。」
「このキャンプ場は夜になるとヤドカリの活動を見つけたり、蛍が飛ぶこともあるのです。」
 蛍と聞くと皆は詩を感じて、それぞれテント生活を心に描いている様子で、しばらくは黙って足を進めた。それにしてもキャンプ場施設は大分荒れている。夏場になる前に修理でもするのだろうか、アスレチックだって補修しなくては、子供が怪我をするかも知れない。キャンプ場を浜辺に抜けると、目の前にビーチが広がっている。ちゅらさん組みも緑シャツも、海に出ると途端にはしゃぎ出した。砂を踏むと結構じゃりじゃりした感じがする。この浜はサンゴの破片などが多く転がり、海に入るならビーチサンダルがないと危なそうだ。
「これが米原ビーチであります。浅瀬にまでサンゴ礁が広がる海岸は、シュノーケルによる海中散策がすばらしいスポットであります。あの白波の立つ辺りで、海の色が濃く変わるでしょう。きっぱりとあそこまでがサンゴ礁の範疇(はんちゅう)であり、白波の下がリーフと呼ばれる縁(ふち)を形成しているのであります。つまりリーフまでは非常な浅瀬でありますから、引き潮には干潟(ひがた)を形成して、サンゴがなければサンダルで歩き回る有様です。そんなサンゴ礁と触れ合えるビーチですから、宿泊の皆様にはぜひサンゴを破壊したり、自然を虐める行為は止(よ)して頂きたい。私はそう思うのであります。」
 道理でサンゴの欠片(かけら)が多いはずだ。砂浜はサンゴ片の多い所と、砂の細かい部分と、じゃりじゃりした大粒の砂の部分が交替しながら、波打ち際まで続いている。
「あれ、大きな穴が開いてる。」眼鏡がまだ湿った波際に近寄ると、指で輪っかを作ったぐらいの穴が、くり抜かれてポッカリ空いている。「ここにもあるよ」とベレー帽が別の穴を覗(のぞ)く。「その穴は、昼間潜んで夜活動するスナガニ科のミナミスナガニや、ツノメガニ達の掘ったものであります。スナガニ科は逃げ足が速いために、英語ではGhostcrab、すなわち幽霊ガニと呼ばれるありさまです。」
 ガイドさんが話している間に、緑シャツはスコップ状のサンゴの破片を捜して、勢いよくその穴を掘り始めた。
「あれ、掘ってるうちに穴が消えちまった。」
「完全に乾いた砂を流し込むとルートが分かるのであります。」
「なるほどスナガニ科。」
と今度は別の穴に砂を流し込んで掘り始めたが、かなり奥までルートを辿っても蟹は見つからなかった。ガイドさんは細い植物のツタを持ってきて、少しずつ別の穴に押し込んでいく。すると今度は慌てて蟹が飛び出してきた。緑シャツが「スナガニ科!」と叫んで追い立てる。必死になってこちらに逃げて来るから、不意を打ってスナガニ科を捕まえてやった。いくら足が速くても後ろに気を取られていちゃ蟹なしだ。取り上げてみると何の変哲もないただのカニだ。挟まれないように甲羅の中心を摘(つま)んで眺めていると、懸命に手を振り回している。ベレー帽が「せっかく寝てたのに」と言うので、住みかの穴に帰してやった。しかし人の好意が分からないカニは、あらぬ彼方に全速力で逃げて行く。シャカシャカ駆け出すその姿は、足がもつれないか心配するぐらいの慌てようだ。緑シャツが面白がって追い掛ける。ビックリしたカニは海の中に潜ってしまった。私は手帳を取り出して、思いつくままに小さな詩を書き記しておく。

砂浜潜る蟹は長閑に
波を子守歌にして
小さなほこらに眠るよ
小さく祈れば悩みさえ
挟みで刻んでくれるよ

P.S
でも追い立てれば
指を挟んでくれるよ

 カニにも会えて満足したので、私達は波際を散歩しながら、サンゴ片や貝殻を探し回るビーチコーミングを始めた。空は相変わらず晴れたり曇ったりだが、日が差す度に輝く海は、色彩から明度まで増加させ、砂は光を吸い白く吐き出す。風が抜ける彼方(かなた)を見返ると、於茂登(おもと)岳と周辺の嶺(みね)が、深緑に重なって瑞々(みずみず)しい。小川がキラキラと水を湛(たた)え海へと帰る。その先の海岸線は、カーブを描いて海に張り出している。これから向かう川平湾に向かって、半島が伸びているのだ。砂浜には岩石のようなサンゴ石や、海岸に打ち上げられたウキや、砕けた貝殻片などが転がっていて、私達は夢中になって探し回った。
 やがて緑シャツが「これだ!」と叫ぶから、「どうした、何か見つかったか」と顔を上げると、両手でも抱えきれないような丸太が打ち寄せている。「これが一番の大物だ」と笑うから、呆れた眼鏡が「それじゃあ持って帰りなさい」と命じれば、緑シャツは「よし」と力を入れたが、さすがにこれはビクともしなかった。しかしせっかくの記念だ。丸太を中心にして記念写真を撮ってから、流れ込む小川を遡(さかのぼ)りつつ、再びキャンプ場に戻った。
 するとキャンプ場の端から79号線に復帰する出口に、カラフルな巨大シーサーが沢山並んでいる。隣には店が構えている。シーサーなどの焼き物で有名な「米子焼工房(よなごやきこうぼう)」という店だそうだ。ユニークなシーサーが沢山製造され、お土産にしたら面白そうだったが、私達は時間の都合で先に向かうことにした。ちゅらさん組みは「シーサーが待ってるのに」と不満顔だ。戻る途中、巨大なクワズイモの葉っぱが何枚も生えているので、私はハイビスカスのおやじを思い出し、緑シャツを葉っぱの中に埋(うず)めて、首だけ出して写真を撮ってやった。後から見たら非常に恥ずかしい写真が出来たので、せっかくだからシャツだけでなく全員に送ってやった。
 駐車場へ戻る途中、こんな自然豊かな蛍すら飛ぶ米原に、リゾートホテルを建設するという話をガイドさんから聞かされたので、後日インターネットを調べてみた。私はその完成図を見て驚いてしまった。余計な配慮はせず美的基準だけで考えても、完成予想図は景観を知らない前世紀的な、それがあることによって、土地の風土を明確に損なう、悲惨の建物だったからである。リゾート建設にしても、景観と自然に溶け込んで観光を誘い込むような配慮が欲しいこれからの時代、こんな安いものを建てるのは、幾らなんぼでも愚かだ。しかも米原の海は日本人はおろか世界中の人々にとって遺産になるほどの、優れたサンゴ礁地帯であり、大がかりな工事をして荒稼ぎをするような場所では無いのである。私は、あの男が居酒屋で「資本主義馬鹿」と叫んでいたのを不意に思いだした。彼は安易な発展のなれの果てに精神が干からびて、伝統も風俗も倫理も気品も朽ち果て、最も安い低俗な物欲しか残らなくなる現象を嘆いて、また東京の景観の醜さを呪い、あれはコンクリートと排気ガスにまみれた汚い商品看板だけのゴミ箱だと叫んだ。酔っぱらっては、激しく私に毒突いて、弁解がましく都会を擁護しようとする私を、卑怯者だと罵った彼は、今日もどこかで苛立ちをぶつけているのだろうか。沖縄も本島の景観は開発で切り崩され、自然の風景を破壊する建築が休みなく顔を覗かせ、その代わり沢山の観光客が押し寄せるあか抜けたリゾート地となったが、その挙げ句の失業率の高さは何を意味するか、資本主義馬鹿の精神に食い荒らされて汚染されているのだ。そんな風に食ってかかるだろうか。私には分からないし、今度会っても私は聞く耳を持たないだろう。ただ八重山には、沖縄本土が辿った道とは違う方向で、観光の活性化を図れないものだろうかと、ぼんやり頭に浮かんだが、米軍基地問題も島の暮らしも知らない私は、やはり無責任な余所者で、リゾートホテルに滞在する典型的な観光客として、この話に深入りする資格は無いのかもしれない。それに私は彼の言葉を思い出すのは、ちっとも楽しくないのだから、この話は打ち切りにして紀行の続きに戻ることにしよう。

川平湾へ

 車に戻ると、木陰にも関わらず車内はすっかり熱くなっていた。しばらくドアを開放してから乗り込んだ私達は、米原ビーチを後にして海岸沿いを走る。途中には美味しいと評判の食事所もあり、米原を訪れる人は、この付近で食事を取ってもいいかもしれない。途中「トミーのパン屋」と描かれた小さな看板もあった。
「少し折れると小さなパン屋があるのですが、そこのパンがなかなか美味しいのであります。」ガイドさんが説明するうちに、珍しく先を行く自動車が見え始めた。速度をきっちり守っているのだろう、私達はすぐに追いついてしまう。こちらが制限速度を微妙に超えているせいだが、速度厳守の運転が、あんなに長閑でゆとりあるものだとは思わなかった。そういえば歩く速度ですら、東京と大阪は全国で2位1位を争う早足の地域ではなかったろうか。沖縄の人達は歩いてもゆったりしているのかもしれない。前の車両は日光を受けてキラキラと輝いたが、私達が周辺の店を見ながら、「アール・ヌーヴォーよりカフェ・ヌーボー」とか、ガイドさんが答えて「川平湾にも八重山そばの美味しい川平公園茶屋があります」とか盛り上がっているうちに、いつの間にかどこかに曲がってしまった。
 そのうち道は右に大きく弧を描く。地図を見ると、ちょうど石垣島の北西部分から葉っぱが2枚生える様に、北と西に向かって伸びる半島がある。北の方が川平(かびら)半島で、西は崎枝(さきえだ)半島、または屋良部(やらぶ)半島だ。川平半島には263mほどの前嵩(まえたけ)があり、崎枝半島には216.5mの屋良部岳(やらぶだけ)があって、仲良くいただきを競っている。川平湾はその川平半島の付け根に広がっているが、湾の出口に小島(くすま)という離れ島が控え、これにより閉ざされたようなサンゴ礁の湾が形成され、穏やかなプールのように海水浴に最適の海が広がっている・・・・・・・かと思ったら大間違いだ。実は湾を流れる海流はなかなか早く、遊泳禁止ゾーンになっているから気を付けなさい。
 そんな川平湾だが、地元では「キファンナト」つまり川平の港(んなと)と呼ばれ、全国で僅(わず)か8か所の国指定名勝地(めいしょうち)に指定され、石垣でも一番の観光スポットになっている。太陽の角度が変わる度に様相を変える海は、宝石のように美しいという。また世界で始めて黒真珠の養殖に成功するなど、真珠養殖地としても重要で、遊泳が出来ない代わりに、船底がガラス張りになって海を散策する、グラスボート観光が有名だ。私達も、そのグラスボートに乗るために川平湾に向かっているのである。

2006/06/12
2006/08/31改訂
2006/09/22再改訂

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