八重山の思い出その11

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川平湾

 土産屋が並ぶ小さな駐車場に降り立つと、アイスクリームの看板と一緒になってグラスボートのチケット売場があった。私達はさっそくチケットを購入して、駐車場から砂浜へ向かう坂道を下り始める。チケットを眺めながら歩いてた私は、砂を踏んだのではっとして顔を上げると、いきなり川平湾の景観が飛び込んできたので、思わずあっと声を上げてしまった。ちゅらさん組みがわあいと歓声を上げ、緑シャツは砂浜のおじさんにチケットを渡すと、海辺に向かって走り出す。私も搭乗券を切って貰い、波際に出て周囲を眺めながら、しばらくは言葉を失っていた。
 アーチ型に覆われた川平湾は、打ち寄せる波もほとんど立たず、海は深さを変える入り江に応じて、ソーダ色から群青まで移り変わる。海底に透ける砂が緑茶をこぼしたような彩色をほどこして、日を浴びると蛍光塗料のように輝くのだった。浮かぶ島々は重なり合いながら、初夏のおもむきで亜熱帯の植物を茂らせ、島の合間からは、走ってきた石垣島の海岸線が見える。まるでエメラルドグリーンの滴(しずく)がしたたるのに任せて、長い年月を掛けて湛(たた)えた、まぼろしの湖にたどり着いたような錯覚にとらわれた。しかし遙か左手の向こうだけは、どんなに目を凝らしても岸影は見えず、波立つ青海が広がっている。砂浜は白く細やかで、裸足になって踏み歩いたら、どんなに心地がよいだろう。ただ岸に横付けされたグラスボートと、湾内に浮かぶ船影だけはまったく人工的なもので、マイナス要因になるかと思われたが、実際は壮大な景観に吸収されて、まるで苦にならないほど、川平は美しい場所だ。浜の方を見返ると、川平公園の展望台が小さく見えた。
「わあ、ここにもにゃんこ」「西表にゃんこ」とさっそく脱線したちゅらさん組みが走り出す。白砂が黒土(くろつち)に代わりつつ、アダンの木が何本か伸びる辺りに、眠る猫を発見したのだ。猫は慣れているせいだろう、ふてぶてしく転がっている。ガイドさんが猫は沖縄方言で「まやー」と呼ぶのですと教えると、2人は「はままやー」とか「ねむりまやー」と呼びながら、デジタルカメラで写真を撮り始めた。そのうち「八重山猫紀行」のアルバムが出来るかも知れない。
 一方緑シャツはといえば、アダン(阿檀)の木にぶら下がる実を指さして、「パイナポー発見」と叫んでいるが、ガイドさんが慌てて「それはパイナップルではありません。パイナップルは大地に低く生える草であります。大根やナスの知人であります。リンゴやミカンのような果物達とは違い、決して木になったりはしません」と説明すると、「そうなんだ。オレは都会っ子だからパイナップルは椰子の実みたいにぶら下がっているのかと思ったよ」と言う。実は恥ずかしながら私もそう信じていたのだが、犠牲者は一人で沢山だ、ガイドさんに合わせて知ったかぶりして笑っておいた。
「そういえば、さっきお土産屋さんでスナックパインって書いてあったよねえ。」
 猫を捨てて眼鏡がアダンの実を見上げると、ベレー帽も寄ってきて「あの小粒のパイナップルみたいな実が、これじゃないの」と顔を傾けた。私に質問されても困る。こんな時はガイドさんが話し出すのを待つだけだ。
「全く違います。お店屋さんにあったパイナップルは、あれはスナックパインと申しまして、確かに大きさも小ぶりでありますから、一見(いっけん)アダンの実が刈り取られた姿にも見えますが、実際は全くの別物です。スナックパインは、パイナップルの食感をさらに高めようと努力して、品種改良の結果生み出された、普通のパイナップルよりも甘くて酸味の少ない新進気鋭の名産品です。そして底のあたりを軽く切り込めば、まるで初めからブロックを寄せ集めて作られたように、するすると手でちぎって食べることが出来る、優れた特性の持ち主です。最後には芯まで美味しく戴けるという、至れり尽くせりの実なのです。そして草から実を付けるパイナップルの仲間であります。しかしアダンは、このアダンの実は違います。これは木の実であります。人々の賞賛を受けるフルーツにはなれなかった、悲しい木の実であります。昔は食用にしたこともありますが、その淡泊な甘さには誰もついて行けず、他に優れた食材が豊富にある以上、あえて食用にすることも一般的では無くなったのであります。唯一八重山地方では、アダンの新芽の所をあく抜きして、精進料理のように正月を祝う調理が残されていますが、これは筍のような食感で、なかなかに美味しいのであります。ですからいつの日か、その食感を生かす調理法によって、一躍料理界に躍り出ることも、無いとは限りません。私はそう祈っているのです。」
 ガイドさんは解説をすることに飢えているようだった。スイッチが入ったら、もう誰にも止められない。
「そんなアダンですが、彼はタコノキ科という所属チームに入っています。そこの幹の下をごらんなさい。太い気根が伸びているでしょう。根っこが外に顔を出してしまった気根は、仲間川のマングローブでも散々お目に掛かったと思いますが、幹から出る気根が次第にはびこって、タコの足のように複雑に伸びることから、タコノキ科と命名されたのです。そしてアダンもその一員であります。彼は沖縄では暴風を防ぐために、潮(しお)の侵入を防ぐために、海岸線に多く植えられる葉にとげのある海岸木(かいがんぼく)なのです。」
 海岸木と聞いて緑シャツが反応しないはずはなかったが、洒落を言う前に眼鏡がパンフレットを丸めだしたので、「なんでそんなもの持ってくるんだよ」と驚くと、彼女は「だって丁度いいんだもん」と答える。こうして緑シャツの得意技は封印されてしまったが、私達にとってはありがたいくらいだ。
 私はアダンを見上げながら、帰りがけにスナックパインでも買っていこうかと考えていると、グラスボートが出発するという。さっそく竹富島で水牛に乗ったときのような布陣で、他の客に遅れて乗船し、男達が左側に、女達が右側に、海の底が見えるグラスボートにそれぞれ腰を下ろした。解説をしながら船を操る操縦士は、船尾にハンドルを握って控えるから、水牛の時とは違って、私達がボート解説員の一番近くになった。エンジン音が上がると、船はさっそく岸を離れる。

グラスボートでサンゴ礁

 私達が囲んで見下ろすために、手すり付きの堀が大きく船の中央を占領し、堀の底がそのままガラス張りになって、海の底が見られるようになっている。激しいモーター音と船が進むのに合わせて、ガラスすれすれの海底が移動しながら、へばり付いた気泡が生き物のように揺れ動いた。がらくたのような沢山のサンゴ破片の合間に、小さな魚が通り過ぎていく。その海の色は大分緑がかって見える。観光ガイドを兼ねた若い操縦士がようこその挨拶を済ませると、船はいったん速度を落として、さっそく船底ツアーが始まった。
「はびこる雲が邪魔ですが、今日の天気はまあ悪くありません。海の底をご覧あれ、ここはちょっとプランクトンが多くて、緑色に濁ってます。」
 白骨残骸の中に、生きたサンゴが見え始めた。14,5人の頭が熱心に堀を覗き込む。
「今まで沢山見かけた、砕けた小さなサンゴ。遊泳禁止のため折る人はいないので、これは台風など自然の力で壊れた無数の残骸です。この残骸が砕けて最後には川平の砂浜になるから、なかなかロマンチックでしょう。船底にはすでに沢山の魚が泳いでますが、こうして潮が満ちているあいだは盛んに活動して、潮が引き始めると魚の姿がぐんと減る。このグラスボート観光も、海のコンディションによって、海底の様子はどんどん変わります。特に海の透明度は、上げ潮や下げ潮で海がかき回されると非常に悪くなるし、プランクトンの発生や、台風が近づいても悪くなる。逆に太陽が直接照り注ぐと、浅瀬の海底を非常にはっきり映し出します。さらに大潮で潮が引ききった時には、この辺りは大分陸地になってしまうのですから、コンディションによってグラスボートの評価に差が出るのは仕方がない。すばらしいと何度も来てくれるお客さんも居れば、ネットで悪口を書く人もいるのです。」
 そう言いながら船はまた少し進む。
「はい、サンゴの残骸のあいだにシャコ貝が見えてきました。20センチぐらいでしょうか。近づいたり触ったりすると、口をパクリと閉じるから危険です。昔、有名なドクターがシャコ貝と格闘した逸話があったような。確か貝柱をメスで切り裂いて満潮の危機を乗り切ったとか。とにかく挟む力は強力なシャコ貝ですが、刺身などにして食うとこれが旨い。では、もう少し沖のポイントに向かいましょう。」
 振り向くと遠ざかる川平公園は小さく、ボートは島の間を勢いよく抜けていく。やがて速度が急に落ちたので、景色を眺めていた私も、再び底のガラスに目を向けた。海底までの距離はずっと開いたのに、さっきより透明度が上がり濁りが少ないようだ。白骨サンゴの破片もあまり見えなくなり、そのかわり名前も分からない沢山のサンゴが、形も色も大きさもさまざまに生息している。ちょうど一斉に打ち上げられた花火が、開いた一刹那にフィルムに固着したよう。海中の亜熱帯植物園のような景観だった。その上空を飛び交う鳥達の代わりには、様々な色をした熱帯魚達が長閑に、あるいはせわしなく泳ぎ回っている。群れをなす魚もあれば、はぐれ者もいて、直進する青い小魚の後ろから、ずんぐりした赤い奴がゆらゆら泳ぐ。見慣れない美しさに、観光客は息を凝らしてじっと覗き込んだ。
「はい、透明度が高まってきました。沢山の熱帯魚がいるでしょう。ほら、ちょうど小さいのが競い合うようにして泳いでますね。そのうち黄色い方がネッタイスズメダイ、そして全身青いのがルリスズメダイ、どちらもサンゴの森では馴染みの魚です。サンゴだっていろいろあります。例えば枝の青いサンゴが見えるでしょう、あれはエダサンゴで、青色でないのもあります。同じように枝を伸ばしても、先が細く尖っているのはトゲサンゴという別の種類。そんな訳で、熱帯魚もサンゴも沢山の種類があり、とても紹介しきれるものじゃありません。」
 なるほど、咲き誇るサンゴたちは、数え切れないほど個性派揃いだ。カメラを出してフラッシュ無しで撮影していると、突然向こうに座っていた眼鏡が立ち上がり「隠れクマノミ」と声を上げた。慌てて枝状の白いサンゴを見ると、オレンジ色の熱帯魚が白い縞模様を飾って、恥ずかしそうにサンゴに擦(す)り寄って泳いでる。ベレー帽が「ニモだわ。ちゃんとサンゴの合間に戯れてる」とカメラを出すと、先ほどのスズメダイよりもっと大きい体をひねって、ニモはガラス越しから逃れてしまった。
「はい、紹介する前に発見しましたね。最近は癒しの熱帯魚ブームで、すっかり人気者になったクマノミや隠れクマノミですが、やはりサンゴの代表的な住民です。特に隠れクマノミはファインディング・ニモですっかり熱帯魚のスターになってしまいました。この前なんか、小学生達があまりニモニモ暴れるので、身を乗り出しすぎて止める間もなくガラスに転落して、幸い怪我もなくガラスも無事でしたが、私は心臓が止まるかと思いましたよ。」
 ちゅらさん組みは「生きてクマノミを拝めるなんて」「それもニモの方に」と言って感動している。ただしデジカメは間に合わなかったようだ。
「さて皆さん、サンゴは何だか知ってますか。あれは海藻のような植物ではなく、れっきとした動物です。決してあのかたまり全体が一つの個体ではなく、沢山の小さなサンゴが、蜂が巣を作って住むように、個体ごとに石灰の巣を作って、その中に生活している集合体なのです。とはいっても、サンゴの個体は蜂とは違って巣と一体化し、離れて生活することは出来ない。
 石灰で出来た巣も含めて、一つの種類でまとまった集合をサンゴ群体と呼びます。つまりそれは純粋な巣ではなく、個体の外側骨格に別の個体の骨格が連なって出来ている訳です。群体に住む1つ1つのサンゴのことは、『サンゴ個体』とか『ポリプ』と言い、彼らは『刺胞(しほう)』という毒針細胞を持ち、触手に触れたプランクトンを毒で殺して食べています。そのため大きな所属分類は刺胞動物と呼ばれるが、クラゲなどもこの刺胞動物の仲間。この前NHKで遣っていた『地球大進化』では、7億年前の生物として登場したエディアカラ生物群の中に、刺胞動物の原始の姿も見られるというから壮大です。
 その刺胞動物の中でも、サンゴやイソギンチャクのように付着性のポリプを特徴とするものを、さらに細かく分類して花虫綱(はなむしこう)と呼び、その下にサンゴの種類が来るというのが、まあ生物界上の分類ですが、私はガイドになるために、これを覚えさせられて非常に難儀(なんぎー)な思いをしました。
 しかしサンゴの恐ろしさは、まだまだこれからです。このポリプは、褐虫藻(かっちゅうそう)というピカッチュウみたいな単細胞の藻類を体内に住まわせて、その褐虫藻の光合成エネルギーを活用しているというから驚きます。共生(きょうせい)というのでしょうか、この光合成植物のお陰で、サンゴは命を繋ぎ、あのように豊かな色彩を保つことが出来るわけです。おっといけない。共生といえば、隠れクマノミが見えたら説明しなければならない話がありました。」
 なるほど海底散策ツアーも均質なガイドのために定まったコメント部分が多分にあるようだ。
「あの隠れクマノミは、よくイソギンチャクに体を擦り寄せている所が紹介されますが、あれも共生関係なんです。イソギンチャクの毒針細胞に対して免疫のある隠れクマノミは、イソギンチャク畑に潜り込んで、外敵から身を守って生活しているわけです。しかし離婚夫婦のように共生が破綻することもある。
 サンゴの場合、海水が異常に高くなったりすると、中の褐虫藻が個体からうっかり放出されてしまい、サンゴはこれに驚いて全身真っ白の白髪オジィと化して、やがて死んでいくというのが、よく白化現象と呼ばれる現象で。1998年の世界的なサンゴ危機では、八重山地方でも沢山のサンゴ礁が白化して死んでしまったのです。他にも、サンゴをがばがば食い殺すオニヒトデが大量発生したり、最も恐ろしい人間が環境を破壊したりして、サンゴは日々危機にさらされている。皆さんもサンゴを見付けたら、優しく接して下さい。」
 個体に共生する褐虫藻の光合成エネルギー。それはサンゴだけでは消費しきれず、余剰エネルギーを含んだサンゴの排出物を餌とする食物連鎖が、通常あり得ない高密度の生物地帯を生み出しているのが、サンゴ礁の海ではなかっただろうか。そしてそのサンゴ達は、ある満月の大潮の晩一斉に、蓄えた卵入りのカプセルを海に向かって放出し、海の中はまるで雪が降り積もるのを止めて登っていくように、天に帰っていく神秘の光景が見られるのではなかったろうか。私はサンゴの番組を思い出しながら、そんなことを考えていた。すると船は少し進んで、また異なる海底がガラス越しに見えてくる。
「はい、このジャガイモがごろごろしているような巨大なサンゴが見えてきました。美味しそうなこのジャガイモは、グラスボートで巡る川平湾の名所の一つになっています。ジャガイモサンゴとでも覚えておいて下さい。写真撮るなら携帯でも結構写りますよ。ただしフラッシュ焚いちゃ駄目です。」
 船底一杯にもこもこと岩のようなサンゴが鎮座している辺りで、しばらく留まっていた船は、折を見て少し前進した。
「すこしずれて、砂が多く見られるこの辺に、はいはい、居た居た、居ました、ほらあの図々しく横たわっているのがナマコです。4コマ漫画、ナマコの一生でもお馴染みですが、なんて図々しそうな奴だ。調理されたナマコを見かけたら、彼の姿を思い出してあげて下さい。それでは、グラスボートの旅も解説も、ナマコを持って終わりにして、これから再び川平湾に帰ることにしましょう。」
 急に速力を増したボートから顔を上げて、近づく川平湾と駆け抜けていく島々を眺めながら、私達は浜辺に戻ってきた。白いビーチに足を下ろせば、この砂が先ほど見たサンゴの破片かと、訝(いぶか)しがるほどの細やかさだ。ボートを離れると、我らのガイドさんが話し出す。自分で解説が出来ないのはさぞ辛かっただろう。
「大潮の干潮の時は、湾内に浮かぶ小さな島々も、入り口付近の小島さえも、歩いて渡れるほど潮が引き、海水は一部を残して消えてしまいます。美しい観光とはいえませんが、いつかまた訪れて、そんな姿もぜひ見て頂きたい。ここで年中川平湾の姿を追っていれば、さぞ自然の不可思議なエネルギーを実感することでしょう。私もガイドを引退して、いっそ八重山に住みたい誘惑に駆られるのであります。」
 この博識の彼がグラスボートの解説をしたら、どんな話が聞けただろう。私達は砂浜を歩きつつ、すぐ先にある川平公園の展望台に向かうことにした。階段を登る辺りに、シュノーケルと書かれた屋台風の出店があり、八重山の若者が数人おしゃべりをしている。何時までもアルバイト生活じゃあ駄目さあという話らしかったが、イントネーションが違うものの、意味の分からないような方言はなく、大体意味が通じる訛り標準語だった。ただ横を通った時に「なんぎさー」と聞えたのが、印象に残った。「なんぎ」とは要するに難儀の事で、沖縄の人達はちょっと面倒なことがあると、すぐ「なんぎー」を連発するのだという。いずれにしろ、若い人達の間では、初耳では理解に困るような方言は、もう遠いものになってしまったのかもしれない。方言を持たない私は、それを少し勿体ないことだと思って、階段を登っていたのだが、下の方では相変わらず楽しそうな笑い声が響いていた。

2006/06/22
2006/08/31改訂
2006/09/22最改訂

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