八重山の思い出その14

[Topへ]

白い家族連れ

 隣りに客が入ったかと振り向く途端に、「やあ偶然ですね」と声がする。見覚えのあるその顔は、由布島でハイビスカスに埋もれていた中年親父じゃないか。その向かいには白い息子が、座りながら無愛想に顔を軽く下げた。息子の栄養を吸い取ったような体格の良い妹が「こんばんは」と言って兄の隣りに腰掛け、眼鏡を掛けた母親は立ったままガイドさんに「どうもお世話になりまして」と社交辞令を述べている。ガイドさんも改まって「いいえ」とお辞儀をする。母親はようやく安心して親父の隣りに腰を下ろした。
 この因縁の家族とは、旅行中しばしば顔を合わせたが、ついに接触するとは夢にも思わなかった。私の戦慄など知るよしもない4人は、さっそくオリオンビールを4つ注文して、メニューを開いて料理を選んでいる。盛んにページをめくっているが、沖縄料理はあまり知らないらしい。気の短い中年親父が、このお薦めコースで良いじゃないかと言うと、白い息子がそれじゃあ詰まらない、個別に頼もうじゃないかと反論して、なかなか収拾が付かない。母親がガイドさんに助けを求め、料理について尋ねるのは時間の問題だった。こうして運良く隣りに座った彼らは、私達同様メニューを決めて貰うことなったのである。
 しかし私達はすでに食事半ばで、向こうはまだ始めたばかり、ガイドさんは隣のためにクーブイリチーとゴーヤーサラダを頼んでから、両方の席で一緒に箸を付ける主旨で、ゴーヤチャンプルーとパパヤーチャンプルーという、沖縄名物チャンプルー料理を少し遅れて注文した。安心した隣の席では、オリオンビールが到着するやいなや乾杯が始まる。気さくな社交家の緑シャツが、「皆さんはどこに行ってきたんです」と家族に質問し、料理を待つあいだ私達は、彼らの観光に話を移した。居酒屋での話題がころころ転回するのは世の常だ。
 どうやら彼らは午後の観光を、私達が時間の都合で省(はぶ)いた、石垣島最北端を目差すドライブに費やしたらしい。白い息子が不平顔で、「限られた時間だから、最北端など止めて、米原海岸から川平に回ろうと言ったのに、煙が高く昇るように、ひたすら北を目差すものだから」とぼやくと、妹が笑いながら「兄(あに)いが一番走り回って、写真取りまくってたくせに」と切り返す。それにしても危ない。もう少しで、同じルートに出くわすところだった。私は息子の良識的提案を見事に突っぱねた家族に感謝した。あまり偶然が重なると、呪いを掛けられて東京でも鉢合わせないとも限らない。こうして最後に居酒屋で逢うだけでも、恐ろしい因縁を感じるのだった。
 ガイドさんが細かい経緯(いきさつ)を尋ねると、父親が「午前中の小浜島では皆さんとご一緒しました」と、ハイビスカスのくせに丁寧な受け答えをする。彼の話によると一行は、小浜島でヤマハリゾートはいむるぶしまで観光を楽しみ、そこのレストランで昼食を済ませた後は、石垣島に戻るやいなやレンタカーに飛び乗った。さあ出発だ、夕暮れまで観光するぞと気負った所、アクセルが踏み出せない。それは踏み出せないはずだ、誰も行き先を知る者が居ないのだ。彼らは観光名所の下調べもせず飛行機に飛び乗って、後先考えなくレンタカーだけ借りてみたのである。
 笑ってはいけない、案外こんな観光客はざらにいるものだ。「無計画の計画」なんて言葉もあるが、万事無計画では時間の無駄が生じるばかり。せっかく本土を後にした甲斐がない。多少予備知識を持っていた息子が、パンフレットを見ながら、「米原海岸から川平湾の方に回って、ぐるりと返ってくるルートなら、石垣島の名所が効率的に回れる」と提案したところ、それはどうかなと聞いていた他の三人が、パンフレットの北方にニョキン出た半島の、石垣島最北端という一文字に突然意気投合し、平久保半島をドライブして、平久保崎(ひらくぼさき)の灯台に向かおうと決めてしまったそうだ。白い息子がジョッキを片手に、「自分が何か提案すると、必ず別の決定が下されるけど、何なんだいったい。」とオリオンビールをやけ飲みすると、突っ込み役の妹が、「不幸な星の下に生まれた兄い」と言って、兄より深くジョッキを進める。なれなれしい緑シャツが、「まさか一人だけ血の繋がらない他人ではないか」と不謹慎なことを言うから、眼鏡が「静かにしなさい」と取り分けの長箸を突きつけ、皆で笑っていると料理がやってきた。
 まずは、隣の席にクーブイリチーとゴーヤーサラダが並んだので、彼らは旨い旨いと箸を付け、クーブイリチーについて尋ねる母親に、ガイドさんは先ほどの説明を丁寧に繰り返した。話が折られている間に、やがてゴーヤーチャンプルーと、パパヤーチャンプルーが両方の席に届けられ、私達もさっそく箸を付けたので、話は当然料理に移行する。
 ゴーヤーチャンプルー。ゴーヤーと島豆腐と、ポークと玉子の憎い奴。最近では「チャンプルーの元」が加工食品となって並び、ゴーヤーも年中関東のスーパーに並んでいる。スーパーお薦めのメニューを見ながら、自宅で調理してみたり、出来た総菜を試しに購入したり、外食で季節メニューのゴーヤーチャンプルーを注文した人もいて、誰もが味だけは知っているつもりだった。しかしそれは真のゴーヤーチャンではなかったのである。
 まずは家族連れの母親が「あら、家で作るのとは全然違う」と感心する。眼鏡が「固い島豆腐が水気を出さないせいかな」と箸を伸ばす。「島豆腐ですか」と息子が尋ねると、緑シャツは「水分の少ない手強(てごわ)い豆腐だ」と言って済ませしまった。なるほどゴーヤーと島豆腐の素材を生かしたこのチャンプルーは、玉子も程よく水気が飛んで、食感があって美味しいものだ。さらに加工肉のポークランチョンミートを使用して、肉にも食感の統一が図られている。したがって今の形のゴーヤーチャンプルーは、アメリカ統治時代に完成したと言えるかもしれない。
 しかしベレー帽が「あら、これが本当にパパイアなの」と、好奇心に任せてパパヤーチャンプルーに移ってしまったので、皆も慌てて次の料理を皿によそる。緑シャツが「パパイアを炒めるとは何事か」と冗談で憤慨すると、ガイドさんが箸を下ろして説明を始めた。
 「沖縄でパパイアは蒼いうちにもぎ取って、野菜として調理するのであります。あなた方も朝食にパパイアの漬け物を見たでしょう。また別の方は、パパイアが炒め物にされた皿から、料理をよそったかも知れません。その方はつまりパパイアチャンプルーを戴いた訳でありまして、パパイアと肉や野菜をヘルシーに炒め物にした、ごらんの通りの料理であります。ワンポイント加えておきますと、健康ブームで取りざたされる酵素パパインは、成熟した果実にはほとんどありません。沖縄のように青いうちに調理してこそ、パパインを摂取できるのであります。」
 なるほど、パパイアの半透明な細切りは、しっかりした歯ごたえと、滑らかな舌触りと、癖のない薄い味が甘みを帯びて、飽きのこない料理だ。この味をどう表現したらいいか、ほろ酔い加減に考えていたが、ベレー帽が唐突に、「イカの刺身の細切りに魔法を掛けて野菜に化かしてしまったような味」と言いだして、お茶の間の皆さんを煙(けむ)に巻いてしまった。ゴーヤーもパパイアも、同じチャンプルーの炒め物なのに、それぞれ異なる個性を発揮していて、2つを同時に注文したガイドさんの采配(さいはい)がうかがえる。
 そのうち例の親父が、いきなり立ち上がると「おい貴様、しゃべってばかりいないで、俺のために酒を選べ、このやろう」と、ガイドさんの胸ぐらを掴んで暴れだし・・・・てはいませんでした。いけない、いけない、私も少し酒が回ってきたようだ。そうではなく、この親父が泡盛を飲みたいと提案し、釣られた私達も泡盛を注文しようということになって、ガイドさんにお薦めの酒を聞いてみたのである。彼は親切にも並んでいる泡盛の瓶まで差して、石垣島で有名な「於茂登(おもと)」でも頼んでみたらどうです、と教えてくれた。結局ガイドさんも含めたこちらの5人と、家族連れの親父が「於茂登」のロックを注文し、隣りの息子と妹はオリオンビールを追加。母親は酒より料理らしく、まだビールが半分ほど残っている。
 酒がやって来れば、ビールを飲んでいるくせに白い息子が、「泡盛というと、確かタイ米を使用した焼酎ですよね」とガイドさんに尋ねた。「そのとおりであります。正しくはインディカ米を使用し、その大部分がタイ米であるという表現が相応しいのですが、これを胞子の黒い黒麹菌(くろこうじきん)で発酵させ、蒸留して純度を高めたものが泡盛であります。」
「それにしてもあの壁に並んでいる瓶は全部泡盛でしょう。随分沢山種類が有りますね。」
「あのぐらいで感心してはいけません。沖縄県には47か所の酒造所があって、他にも協同組合がありまして、銘柄にして500種類を越える数があり、それらがさらに細かく分類されていて、競い合って地域自慢の泡盛を販売しているのであります。」
「そんなに有るんですか。」
「沖縄では島の酒ということで、泡盛をシマーと呼ぶほどであります。つまり泡盛が島そのものであるかのように、瓶の隅まで飲み尽くすのがウチナーンチュ、沖縄の皆さんの姿であります。大抵オリオンビールを飲んだ後は、ひたすら泡盛を飲んで盛り上がるのです。ロック、水割り、カクテル風、飲み方に違いはあるけれど、老若男女(ろうじゃくなんにょ)すべての県民が、ゆりかごから墓場まで泡盛に酔うのです。酒の消費量も全国でトップクラスでありますから、日没の遅さもあり東京ならお開きの時間頃になってようやく、酒宴は盛り上がりを見せ始め、0時を過ぎてなお踊り狂うのが沖縄式なのであります。」
 するとちゅらさん組みが例の番組を思い出して、「ちゅらさんの中に出てくる居酒屋でも、盛り上がってくると皆で三線を掻き鳴らして踊り出すよね。」
「そうそう、お祝いの時も皆で一斉に踊ってしまう。まさか、沖縄ではあれが当たり前なのかしら。」
 2人はガイドさんの顔を見詰めた。
「沖縄では必然なのであります。沖縄は今だ家族親戚の横の繋がりが厚く、彼らの年中行事悉(ことごと)くに沢山の血族が集まり、お祝いの度にグループを組んで歌い踊るほど、一人ひとりが芸能に秀でているのであります。中でも宴会などで手をひらひらさせて踊るものは、沖縄本島ではカチャーシと呼ばれ、お子さまからご老体まで蝶のように手を返し、三線に合わせて盛り上がってしまうのです。何も特別の行事だけではありません。沖縄では友人と集まって飲む機会も非常に多く、そのような日常の宴会もまた、熱気を帯びて踊り出すのであります。あたかも明治維新の矛盾にえいじゃないか運動を繰り広げる、狂瀾怒濤(きょうらんどとう)の乱舞が街角に溢(あふ)れ出すがごとく、深夜の熱気はますます高まっていくのであります。」
 ガイドさんも少し酒が回ったか、よく分からない落ちを付けたようだ。笑って良いのか、謹聴(きんちょう)すべきなのか、私にはさっぱり分からない。ただガイドさんの話には、酔っぱらいの誇張があるようにも思われた。
 ところで今気が付いたのだが、こうして全員で酒を飲んで、飲んで、飲みまくって、私達はどうやってホテルに帰るのだろう。ガイドさんはちゃんと落ち度なく考えているのだろうか。まあいいや、こんな時沖縄では「何とかなるさ」の意味で、「なんくるないさー」と叫んでしまうのだそうだ。「なんくるないさー」、いい言葉じゃあないか。だんだん陽気になってきた私は、味も記述も乱れる時分だが、「於茂登」は料理にマッチしていて、程よい辛みが美味しく感じられた。冷やして美味しい、という言葉が浮かんだが、私は比べられるほどの泡盛は飲んだことがないし、泡盛はどれも冷やして美味しい酒ではないか。これじゃあ全然意味がない。もう一度確認しようと思って口に含むと、溶けだした氷水と酒の成分が融和して、薄まりながらかえって味が引き立つように感じられ、この泡盛という酒は、どうして氷が入るとこうもすばらしく生き生きとしてくるのだろう。
 私がグラスをからからと転がしていると、気の早い親父は、さっそく泡盛を飲みきってしまった。ガイドさんが今度はクースはいかがですと、親父のためにクースのグラスを注文する。残念ながら酒の名称は忘れてしまったが、親父は「クース」とは何ですとグラスに口を付けて、「ああ、古酒の事ですね」と了解したようだ。クースは文字通り古酒の沖縄訛りで、泡盛では3年以上寝かせた酒に、古酒の名称が使用出来るという。やがて私達は、泡盛を飲みながら、チャンプルーに箸を延ばし、思いだしたように家族連れの観光話に戻っていった。
 妹が「途中で赤い三角屋根のある展望台で休んでいったね」と回想する。観光馬鹿のガイドさんが「そこは玉取崎(たまとりざき)展望台であります。東の太平洋だけでなく、反対側の東シナ海も見られたことでしょう。あの辺りは一番幅の狭い首の辺りになります」と答える。母親が思い出したように「三角形のような山が立ってたのは、そこだったかしら」とようやくジョッキを空にすると、息子が「確か何とかマコペーとか書いてあった」と答える。ガイドさんは黙っている訳にはいかない。
「マコベーではありません。マーペーであります。それは野底岳(のそこだけ)という山で、火山活動の結果あのような形になったのです。マーペーというのは、昔強制移住によって黒島から石垣島に連行された娘さんの名で、黒島に残された恋人のカニムイを慕い、あの山の上なら黒島が見えるだろうと、未開の山を狂乱の呈でかき分けかき分け、上り詰めた山の先には、黒島の方角に冷たく立ちはだかる於茂登岳。絶叫の中で髪を振り乱し、地を踏みならし、のたうちまわる彼女の、衣服さえもはだけ、ついに精根尽き果てて地に伏して嘆(なげ)き、涙は山をつたって麓(ふもと)に達するかと思われた頃、彼女は何時しか大きな岩の固まりとなって、そばにはただ彼女の衣服だけが残されておりました。それ以来人々はあの山のことを、ヌスクマーペーと呼ぶようになったというのであります。」
 さすがにガイドだけあって、淀みなく話される昔話には、みな酒を忘れて聞き惚れるほどだったが、緑シャツが首を突っ込んで、「するとこの於茂登のやろうが、2人の恋を引き裂いたのか。俺が飲み込んでやるから、覚悟しろ」と言って泡盛をぐっと飲み干した。すると親父が、「それは違う。その話の於茂登というのは役人の命令という絶対服従の社会状況を、人間には逆らえない大自然を表わすことによって、間接強調したものだ。神話や民間伝承では、込められた思いの深さを表わすために、よくそんな遣り方が使われている。」と緑シャツを諭したので、緑シャツは面食らって、空になった於茂登のグラスを見詰めてキョトンとしてしまった。その不意を打たれたような仕草が可笑しいので、全員大笑いとなったのだが、やっぱりこの家族は油断がならない。息子と親父が場違いな議論でも始めたら、あっと言う間に閑古鳥(かんこどり)が鳴き出すかもしれない。幸いその話は笑いに途切れて、彼らの観光話に帰って来た。
 野底岳と展望台を後にした家族は、北に向かう途中の伊原間(いばるま)サビジ洞という鍾乳洞を見学し、白い息子が「鍾乳洞は初日に見たじゃないか」とぼやくのを無視して、ひたすら暗闇へ足を進め、突き抜けた先に海が広がるユニークな鍾乳洞を楽しんだ。それから美しい海を眺めながらドライブし、石垣島北端の平久保崎灯台に辿り着いたという。時間はちょうど私達が御神崎の灯台にいた頃で、同じような白い灯台のある高台には、やはり強風が吹き抜けて大変だったそうだが、雲の晴れ間から光の筋が射したのが印象的だったと妹が締め括った。そのスポットライトは私達が眺望した、あの貨物船を照らした光に違いない。
 家族は車に戻ると、さらに灯台から見えた、遙か遠くに広がるビーチを目差して、農業道のような狭い道に入り込み、うっかりレンタカーの底に傷を付けながら、ついに砂浜まで辿り着いた。さすがに時季外れの浜辺には、誰にも拾われない貝殻などが幾つも転がり、それを集めて帰って来たのだそうだ。母親は親父が大きな変わった岩だの、まだ湿ったサンゴだの余計なものを拾ってきて、荷物が重くなったと愚痴をこぼしている。不平の息子は「行って帰ってくるルートは観光時間のロスに繋(つな)がるから、よほど時間のある人以外には、最北端はお薦めしない」と最後まで自説を曲げなかった。妹が笑って「まだいってるし。一番はしゃいでたくせに」とジョッキを飲み干すと、2人揃ってオリオンビールの3杯目を注文した。彼らはどこまでもビールで押し通すのかも知れない。
 そこにチャンプルーの皿も空になった頃、いつ注文したのか、次の料理がやってきた。店員が帰る前に、私と緑シャツは頷(うなず)きあって、さっき選んでおいた泡盛を、「まさひろ、グラス2つ下さい!」と2人でハモって注文したら、眼鏡が突然に吹き出して「誰なの、まさひろって誰なの」と一人で壷にはまってしまった。メニューを見せて酒の名前だと説明しても、よほどこたえたのか笑いが止まらなくなってしまい、あまりにも苦しそうに笑っているのが面白くて、仕舞いに全員が笑い出してしまった。周囲のお客さんには全く申し訳ないほどの馬鹿騒ぎだが、それにしても気になるのは「まさひろ」で、いったいどんな奴が来るのかしらん。グラスが来るまでに到着した料理をよそってみると、これはどうも味噌ベースの煮物のような感じだ。一箸先によそった隣りの家族が、「美味しい」「旨い」「これは一体何ですか」と感嘆するので、慌てた私達もさっそく戴いてみると、「これは旨(うめ)え」とのシャツの叫びに、眼鏡が「食文化の構築だわ」と全然意味の分からない感想を述べ、私もガイドさんに「これは何の野菜です」と勢いよく尋ねてしまうほどだった。
「これはナーベラーンブシーであります。ナーベラーというのはつまりヘチマのことで、その味噌炒め煮物というような意味でナーベラーンブシーと呼ぶのであります。」
「ヘチマですか」
「あのあごの長い?」
「ヘチマを食うのか」
「あごの長い?」
「大きなお世話よ!」
「タワシなら使ったことあるが」
「そうであります。ヘチマは実は栄養価も高く、本土でたわしのまま終わってしまうのは、実に迂闊(うかつ)であります。さらに味もこのように、少し野性味がありますが、瑞々しく柔らかい食感で、すこぶる美味であります。」
「強いて言うなら、ナスの味噌煮のような感じだけど、その上を行く完成度の高さだ」と白い息子も感心している。私はさっきの感想を思い出したから、ベレー帽に「どうです、この味の感想は」と聞いてみた。皆も彼女の発言を待っているようだ。彼女は「そうねえ」と考えた後で、「ヘチマがナスの味噌和えに上品に化けて見事狐の嫁入りを全うしてしまったような味だわ」と答えた。酔っぱらっているせいか、言葉の意味はよく分からないが、何だかすばらしい感想のように思われ、皆さん感心して思わず拍手などして、またしても周囲の席から白い目で見られたが、もう誰も気にしていないようだ。
 そこに「まさひろ」がやって来る。2つ並んだ「まさひろ」がやって来る。店員さん「はいお待たせ、まさひろです」と置いた瞬間、せっかく笑いの治まった眼鏡がまた思いだして、突然腹を抱えて笑い転げる。これはまったくもって笑い上戸だ、しばらく放っておこう。口を付けてみると、まさひろの味は、非常に中性的でバランスが良く、味の強度も先ほどより若干下がり、さらさらと飲みやすい。「これは女性にも飲みやすい泡盛だ」と言うと、気になって仕方がなかった「まさひろ」の事だから、結局ちゅらさん組みも「まさひろ」を注文してしまった。注文しながらまた笑い出して、店員を呆れさせたのは言うまでもないが、その「まさひろ」と一緒に次の料理が運ばれてきた。もちろんちゅらさん組みは、料理よりも気になる泡盛に手を伸ばしたが、一口飲んだベレー帽が「ほんと飲みやすい」と感心すれば、眼鏡の方は「やだ、まさひろ飲んじゃった。何か大胆」と顔を赤らめて、ベレー帽から「ちょっとあなた、静かにしなさい」とメニューで引っぱたかれている。本当に馬鹿だ。
 やがて感心は皿に盛られた料理に向けられる。しかし「まさひろ」に気を取られている間に、またしても隣に先を越されてしまった。家族連れが「これも旨い」「これは芋ですね」「兄(あに)い見たいにねちっこい」「なんだと」と騒ぎ出すので、私達も慌てて、ねっとりねちっこそうな、冴えない色した皿に箸を伸ばす。口に含むやいなや、嬉しくなった。ナーベラーンブシーに続いて、これも非常なヒット料理だ。
「これはドゥルワカシーといって、つまり泥沸かしという意味なのでありますが、沖縄で栽培される水芋(みずいも)、つまり田芋(ターンム)によって生み出された、沖縄版里芋の煮っ転がし、その粘着質タイプであります。」
とガイドさんまで変な修飾を加えて教えてくれた。白い息子が「粘着質タイプというと、ドイツの医学者エルンスト・クレッチマーが定義した性格分類ですか。でもあれだと」と考えていたが、親父が笑いながらよせよせと彼の方を見たので、彼も笑って話を折ってしまった。2人ともよく自覚しているらしい。
 それにしてもこの料理は美味しい。ひたすら旨い旨いと箸を進めながら、泡盛に口を付けると、何だか酒の味と料理の味が、相互に高めあっているような錯覚に捕らわれた。あまり旨そうに飲んでいるので、家族連れの兄弟も「まさひろ」を頼むと言いだし、空のジョッキが寂しかった母親も、「ちょっと飲んでみようかしら」と参加を希望したので、ついに2つの卓上は「まさひろ」オンパレードになってしまった。ただ親父だけが、クースをもう一度頼んで済ませている。非常にマイペースだ。緑シャツは「まさひろ、まさに一堂に会する!」と訳の分からないことを叫んで、これが乾杯の合図となって、始めて両方の卓全員がグラスをかち合わせた。念のために加えておくと、これは飲み会でよくある名前の勝利だ。石垣島に来たのだから、本当は「八重泉」などを薦める方が定石(じょうせき)だろう。
 ガイドさんがメニューを取り出して、どうですまだ次を頼みますかと聞いてきたが、さすがに食べ放題状態の私達は、とどめのドゥルワカシーでお腹一杯、もう入らない。酒もいつになく飲んだ気がする。しかし甘いものは別腹というちゅらさん組みが、案の定また最後にデザートを頼むと言い出して、結局私達は5人とも、シークァーサーアイスクリームを注文して、隣りの家族と話しを続けながら、最後には食後のサンピン茶まで飲んで締め括った。隣りの家族連れはまだ食事中なので、私達は名残惜しく別れを告げて、帰路に着くことにしたのである。ガイドさんは、家族のために残りのメニューを注文しながら、軽く料理の説明を加えると、丁寧過剰な母親が「本当に何から何までありがとうございます」とお辞儀をしていた。店を出るとき振り向くと、白い息子と偶然に目があったので、私達は軽く会釈をして、軽い因縁の縁切り挨拶とした。こうして注文の多い沖縄料理店を後にしたのである。

花火の夜

 離島桟橋の方に戻りながら、ちゅらさん組みが「そういえば中味汁(なかみじる)を注文し忘れた」「ショックだわ」と、まだ料理の話をするので、呆れたガイドさんが「私としても、ヨモギを使った炊き込みご飯であるフーチバジューシーや、沖縄版お好み焼きのヒラヤーチなども紹介したかったのですが、一度に全部食べてしまったら先の楽しみがなくなるではありませんか」と2人を窘(たしな)めた。2人は「はーい」といって素直に従う。私はまさか酔っぱらい運転をしないだろうかと、帰りのことばかり心配だったが、ガイドさんはごく当たり前の選択として、タクシーを拾ってくれたのだった。駐車場に捨てたレンタカーについては、きっとすでに手が打ってあるに違いない。
「明日は再び全員行動に戻って、まず皆さんを石垣島の市街地にある、石垣公設市場にご案内致します。この市場の2階が、石垣名産品が会するトータルなお土産屋さんになっていて、またこの市場のある『あやぱに(綾羽)モール』の商店街では、沢山の土産屋が建ち並び、市場を中心としたお土産タイムを満喫できるでしょう」とガイドさんがとどめを刺すと、お土産の一言に歓喜したちゅらさん組みが、一頻(ひとしき)り喜んだ後に、嬉しくなってポピュラーソング「花」を歌い始め、緑シャツが「どっこお、どっこお」と不可解な合いの手を入れ、今思えばよくタクシーを蹴り出されなかったものだ。それからガイドさんは「明日の昼食は、市街地で各自自由にしてありますから、私は皆さんに八重山そばの美味しい店を紹介しましょう。そばと名(めい)を打ちながら、そば粉ではなく小麦粉麺を使用し、茹で上がるやいなや油で打って、醤油ではなくカツオと豚のダシ汁を使用した『沖縄そば』。そんな中にあっても、丸い麺で独自の主張を行なう『八重山そば』の味を、ぜひ堪能して頂きたいのであります。ただし念のために教えておきますと、調味料として卓上に並べられた『ピパーチ』と『コーレーグース』、この2つを動員して味を整えなければ、完成された八重山そばとは云われません。ピパーチは八重山地方だけで使用される、独特のスパイスなので、ぜひお土産コーナーで1つ買っておくことをお薦めします」と提案してくれた。「よっし、明日はラーメンそばを食うぞ!」と緑シャツが盛り上がって、「八重山そばでしょ」と眼鏡が突っ込みを入れながらホテルに辿り着いたのである。
 その夜私達は、まだ眠りに就かなかった。買ってきた花火を持ち出してホテルを出ると、安全な広がりで小さな花火大会を開催し、火の粉が舞う枝を持っては振り回したり、火花が吹き上がるのを眺めたりしながら、今日1日のエピローグを心に焼き付けた。煙が昇(のぼ)る先を見上げれば、澄んだ大気の彼方には、夕方の雲はすっかり払われ、深い空のずっと奥に、夏の星座が輝いている。大きな夏の三角形が、明るい3つの1等星で並び、天上には花火の瞬きよりずっと静かな、しかしずっと壮大な煌(きら)めきが、静かにこの世界を包み込んでいるのだった。
 今日は楽しかった。こんな愉快に過ごせた日を、私はずっと失っていた気がする。再び天空を仰げば、ちょうど白鳥座の十字架の辺りを、小さな流れ星がすっと通り過ぎた。楽しい私達の騒ぎ声だけが、静まり返った夜の大気の中で、星明かりと花火に照らされて、キラキラと明るさを変えた。
 演出家のガイドさんが、線香花火を不思議に2つ結んで、「アベック花火です」といって私達に差し出す。酔っぱらいの4人は、緑シャツと眼鏡さんが、そしてベレー帽と私が線香花火を2人の指で支え、ガイドさんがそれにマッチを近づければ、燃える小さな玉が線香の先に生まれ、小さな花が刹那に咲いては散る連鎖のように、しばらく続いた線香花火は、真っ赤な玉の色がくすんで、どちらの玉も下には落ちないで、留(とど)まったまま燃え尽きた。そのとき私は、酒だけでなく大気に酔っていたのかもしれない。旅の最後に生まれた詩は、恥ずかしいくらいに甘ったるくて、一筆書きのように生まれたその言葉を、私は心の中に書き留めて、寝る前に手帳に書き込んだ。

「北十字」
白鳥の歌は天上に伝わり
魂が星空に帰されたとき
夜を照らす十字架となって
敬虔な誓いを奏でるだろう
十字を支えるくちばしには
色違(いろたが)いの炎が寄り添って
線香花火の玉が結ぶように
重なって1つの輝きとなる
いつしか白鳥は闇を照らす
幸せの道しるべとして
銀河を越える恋人たちの
地上を駆ける恋人たちの
守り神として初夏を告げる
流れる星に祈りを捧げ
仰ぎ見すれば天空(そら)を駆ける

 こうして長い一日が幕を下ろし、翌日私達は最後の観光を楽しみ、本土に戻る飛行機に乗りこんだ。機内で私はベレー帽に、桟橋で作った詩を清書して、その後ろに最後の詩を記入して、恥ずかしいのでぶっきらぼうに手渡した。飛行機が羽田に近づくと、日を落とした夕暮れの灯火が、次第に数を増やし、人口の鳥は静かに滑走路へ降り立つ。最後にガイドさんにお礼を言ってから、私達はまた4人で会う約束をして、羽田を後にした。東京はまだ薄寒くって、灰色の雲が低く垂れ、私が旅立つ前と同じように、沢山の人が同じような服を着て、ひどく没個性的に詰まらなそうな顔を、私に投げかけたが、私は気にしなかった。どんな所にいても、北十字が心の中にあると信じていた。
(終わり)

2006/08/05
2006/09/04改訂
2006/09/29再改訂

[上層へ] [Topへ]