2016年の詩を並べたものには過ぎません。一貫性はありませんが、久しぶりにピアノの調律を行ったので、それをはじめに記して、最後が雪の詩になったので、「pianissimo な雪もよい」という仮題を、適当に与えてみたものです。そうして、それだけのことなのです。コメディな「食い意地」の詩は、愉快な詩集にまとめたいと考えましたが、今はそのような気分にもなれず、また一つくらい、このようなものが紛れ込んでいるのも、多様性には貢献する面もあるかと妥協し、ここに収めることにしました。なかなかに風刺的意味合いもあるようですから、場違いというほどのこともありません。
この年は、アルコールを抜こうと、真剣に格闘した年で、今までとは異なり、赤点で落第することは無く、一定の成果を残すことが出来たのですが、そうはいってもせいぜい60点といったところ。以下の詩を打ち込んだのは、結局残りの40点。アルコールにどっぷりはまっていた時だけには過ぎませんでした。多少理性の箍(たが)がゆるまないと、私には言葉をもてあそぶことすら、出来ないようであります。発句や和歌もまた、ほとんどがその副産物には違いありませんから。
わたしはいじけていたのでしょう
少しはすねてもいたのでしょう
あなたを近くに見かけても
わざと冷たくあしらって
寝たふりなんかしてみたり
ふてくされてもいたけれど
あなたの声が聞きたくて
あるいは2008年、2009年にもさかのぼる、
途絶えた調理の依頼さえ、
震えた声でするのでした。
spring piano
響きあわせが奏でかな
それは、まるで酔いどれの生活が、まぶしい日差しを怖がるみたいに、調和の取れた和声の営みから、怯えるように隠れては、夜明けをすら忘れた暗雲のようなもの。
新しい朝の喜びさえ、忘れたモノトーンの色彩に、不意に差し込む太陽に、驚きながら手を合わせ、あなたを忘れた長い夜に、贖罪の祈りを捧げます。
やがて、忘れ去られたこの部屋に、懐かしい人は年老いて、「どうしたの」なんてあいさつを、心配がてらにしてくれるものだから、私はちょっと照れくさくて、「しばらく喧嘩をしていました」なんて、冗談交じりにつぶやくのでした。
ニュアンスだけの会話なら、通じきらなくても暖かく、それきり彼は黙々と、調律をしておりました。
やがて共鳴の破綻は解消され、
ハルモニアへといたるなら……
その善意の人は歳月の、余分な上乗せも要求せず、あの頃とおなじ催促で、私の入れたまずいコーヒーを飲みながら、次に来るときは定年などと、気さくに述べて帰って行くのでした。
そうしてふたたびあの頃の、ピアノの響きは満開の、花の盛りへと帰ってくるのでした。
春はまだ?
C dur して 祈りかな
こうして、演奏がつらいほどに狂っていた、ピアノの響きが戻されて、残り四畳半ほどの部屋の中、いがみ合うようなわびしさに、さいなまれていた二人が、ようやく縒りを戻して、その指先を触れ合うのでした。
けれども、それもまた、
わたしの一方通行の片思い。
わたしにとって彼女は、相変わらず手に負えないくらい不可解で、永遠に私にはなびかない、気高い楽器には過ぎないものでした。こうして、しばらく触れ合っていると、またそのことが思い出されます。なぜ、いつからか寄り添わなくなっていったのか、その理由もまた、かすかに心の底にうずくのでした。つまり有り体に言えば、わたしには才能が足らなかったのでせう。
人は時々、みずからの能力の指向と限界から乖離したものにあこがれ、それゆえ人生を徒労に費やすものらしいですが……
あるいはそんな無駄な情熱こそが、人の命の本体であって、それがうまく出来るかどうか、そんなことは、ささいなことなのかも知れませんね。というのが、ようやくこの頃たどり着いた、日和見主義者の結論なのでありました。
めでたし。めでたし。
(2016/2/23記す)
馬鹿馬鹿しいくらい、このような「見出しを付ける」という行為が、とりとめもない妄想に指向性を与え、それと同時に無意味な散文ですらも、作品らしく仕立て上げてしまうということ。
そうでなくても、どれほどわたしたちの正体が、ある種のパターン化された行為に、束縛されがちであり、とらえられることを喜びとする、類似的嗜好から成り立っているか。動物の持つ根源的な、個性の範囲の狭さなどについて、あれこれと考えてしまったりもするのですが……
今さらそんなことは、
些細なことには過ぎません。
くだらない落書きの言い訳に、
プロローグめかしてみたには、
きっと違いないのですから。
例えれば、誰も知らない野原の真ん中に
さびしそうにわらいますのは、捨て去られた
ぶっきらぼうな、アンフォラみたいな
ひび割れた、たましいなのかもしれません
たれ待つ虫の、夜も更けて
月かげワルツか、おだんごめかした
銀のしずくか、酔いどれの
枯れにまかせたうさぎです
カフェに溶かしたカーテンの
夜霧とミルクの混ざりけは
伝えられないもどかしさ
あなたにそっと手渡して………
時計は 針のひとまわり
またひとまわり ひとまわり
どれだけまわって 壊れても
それさえ時の ひとめぐり
今はあなたと
どれだけお話したくても
答えられないくちなしの
清く真白(ましろ)な痛みです
それもまもなく
風にさらわれて
ひとりぼっちの散歩道
昨日の夕べの悲しみは
悲しみという情緒が結ばれるやいなや
情動をもさぶる動物にしか
理解できないものになりましたのに
明日の夕べの悲しみを
歌うあなた方は情動をむさぼる
感情的動物の付属物の付属物の、そのまた付属物の
理屈が結び合わされた、けだものには過ぎないのに
そうしてそれだけが
たったひとつの人間の
存在意義でもありアイデンティティでもあり
つまりは証でもあったはずなのに
その一番大切なものを忘れて
まるでみずからを理性やら知性のたまものだなんて
あはは、おかしいや、勘違いするほどに愚かしい
動物の端くれにも満たないものと成り果てました
知性の派生するその根源をさえ
探り当てたならこれほどみじめな
不始末にはならなかったはずなのに
(数学やら科学でさえも愚かしい
好奇心という名の欲望の副産物には過ぎなくて
しかも解き明されるべき価値さえも
情緒を離れれば言語化の意義さえ見いだせない
つまりは、感情の求める物には過ぎないものなのに)
僕ら世代はまるで本体を見誤って
干からびた魂にはびこるカビのように
みずからの情緒を穢してはしゃぐのでした
それがあなたがたには幸福であり
ただ、わたくしに地獄であるならば
それもまた動物的な解決の
なれの果てには過ぎないのだけれども……
たましいの本性がうずきます
あるいは私個人の本性でしょうか
けれどもそれを穢したあなたがたすべての
雄叫びの中にもほんのわずかな
憂いの悲しみが潜んでいることを
わたしは悲鳴のように感じてしまうのでした
わたしはその悲鳴のために歌います
たとえ99パーセントのあなたがたが
わたしを嘲笑して穢すとして、これからも
たとえもっとも身近な者からもさげすまれ
侮蔑と警鐘を片手にあざ笑うとしても
もはや嘲笑することだけが、あなたがたに残された希望
同質的回路で相手を罵ることだけが
あなた方のたましいの残骸であるとしても……
そうして、それらの精神にへつらった
いつわりの詩人どもが、あなたの友となり
あなたがたに相応しい、いつわりの夢やら愛を
グロテスクに斉唱するとしても……
わたくしはそれでもたったひとりの
そこからあぶれてひたむきな悲しみに沈んでは
なみだする誰かのために歌うことだけが
たとえ、もはや理性やら知性とは交わらない
非理性的な情動、
不条理な妄動、
原始的な暴挙には過ぎないとしても。
わたしはただ一人なみだする
あなたのために歌うことだけが
たったひとつ残された動物的なよろこび
つまりは最後に残されたもの
わたしの情緒がまだ生きているあかし
つまりは唯一の希望であり
最後の頼りであり
そうして人のたましいであるように
思われてならないものですから
[P.S.]
99.9999%の人々に憎しみを
そうして見知らぬひとりぼっちのあなたに
あなたこそはたましいを残され島の
人間というものであったことを
歌い続けようと願います
わたしの倒れるその日まで
弱り切ったその人は
酒を飲ませてももう駄目で
意気消沈を友として
怠惰を抱えて揺らいでた
風前の灯火なのだと
ちょっと笑った笑顔には
やつれたような能面の
いつわりの表情が浮かんでいた
ただ歳月に流されて
朽ちゆく枯葉を待つような
その精神は干からびの
がさがさとしたけがれして
遠くみずみずしい頃の
おもかげと結びついた記憶ばかり
最後のよすがに寄り添って
毎日はあてもなく流れ去るのだった
弱り切ったその人は
まもなく必死にしがみついた
たましいの糸さえぷっつりと
断ち切られるには違いなく
後は例のあの薄汚い
大同小異のがさがさとした
枯葉どもは大地に群がって
霜にまみれてのたうちながら
無意味な一生を終えるのだろう
もはや、生まれてこなければよかったなんて
そんなみずみずしい感性すら
無くしっちまった醜態の果に
無様な一生を終えるのだろう
かさかさと干からびた手の甲を
大したものだとなぐさめ合うような
不気味な宣伝にほろ酔いながら
みずみずしいものを憎むふりして
でも本当の奥底は、ただうらやましいばかり
「近頃は」なんて、ローマ時代からの
自らにおもねったような台詞……
その口吻のうちに滅ぶだろう
それこそあなたがた、同一精神上の
レールのなれの果てに、静かに横たわるもの
あまたの実例に彩られた
やがては訪れるべき
等しい末路には違いありませんから。
歯っ欠けじゃよ、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじゃろうて、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじゞいのうらみ唄
じゞいの歯っ欠け、台無しなって
食うも食われぬ、ボロ切れの
餅も通らぬみじめさよ
飲み足りなくて、また飲んで
食い足りなくて、また食って
食事の合間に、おやつらやら
むさぼり抜いて生きてきた
戦後の報いか仏罰の
釈迦の弥勒かにらまれて
じじいの末路か歯っ欠けの
食うに食われぬみじめさよ
歯っ欠けじゃよ、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじゃろうて、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじゞいのうらみ唄
思えば汚ねえ食い意地を
袖にかくして孫どもに
説教したって陰口を
叩かれまくってへっちゃらな
羞恥心さえ食い意地の
干からびちまったじゞいなら
まみれたシワのだらしなさ
見せびらかしてはもぐもぐと
汚らしいと罵られ
聞こえぬ耳の知らぬふり
かつての仲間のいつわりの
老いたる美には旗振って
本当はおなじしわくちゃの
不気味な顔にはぞっとして
けれどもそれを認めたら
自分ももはや化け物さ
穢れた姿に相応しい
最果て情緒は食い意地か
ああみじめじゃろ、みじめじゃろ
食欲の果ての、ずたぼろの
ああ、歯っ欠けじゃ、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじゃろうて、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじゞいの写真など
葬儀の席にも見とうない
しこたま補正をしておくれ
ああ、しておくれ、しておくれ
晩飯食ったか忘れても
食欲だけはレーテーの
忘却の川は飲み干せぬ
おにぎり欲しい、柿食いたい
せんべいよこせや、まんじゅうも
あるいはこれが終局の
人感情じゃござそうろう
日本語さえも忘れかけ
もどろな羞恥にマナーさえ
葬儀にげほげほ咳まくり
くしゃみ三発ひんしゅくの
食い意地だけはまんじゅうか
まんじゅうおしくら、せんべいも
ござそうろうなら日本語も
知るもんでなし、がさごそと
闇夜の棚をあさっては
老いたる娘に叱られる
かつては讃えた愛娘
これはなんたる変わりよう
ぎょっと老いたるその姿
みずから忘れてびっくりし
人切りばばあかしわくちゃの
驚くワシこそ父親じゃ
ああ、歯っ欠けじゃ、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじゃろうて、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けしても食い意地は
死ぬまで続くよ、どこまでも
歯っ欠け仲間に、日は落ちて
南無阿弥陀仏と、骨焼いて
どこじゃろ、欠けた歯の跡は
わしが拾うてやろうかい
ああ、仏罰じゃ、仏罰じゃ
じゃが、仏罰よりも、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けよりも、そうじゃ、食欲じゃ
阿弥陀如来も、おにぎりじゃ
しどろもどろの日は移り
やがては業火に焼かれても
わしは死ぬまで歯っ欠けじゃ
歯っ欠けしても食欲じゃ
それが畢竟執着の
今生定理と知ることが
周利の悟りと悟りきる
豆大福が至福じゃろう
ああ、歯っ欠けじゃ、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじゃろうて、食い意地は
死ぬまで捨ててなるものか
しがみついては生き甲斐じゃ
ああ、歯っ欠けじゃ、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじじいの、食い地唄
ああ、歯っ欠けじゃ、歯っ欠けじゃ
歯っ欠けじじいの、恨み唄
さて、さて、
また、鬼の居ぬ間に漁るかのう
それにしても今夜の晩飯
何を食ったじゃろうか?
あなたはどうして
そんないつわりのイルミネーションや
飾り立てたショーウィンドゥに
はしゃぎ回るおさな子みたいに
静かな三日月頃の
砂浜のあこがれくらいのもの
潮騒のささやきを捨て去るみたいに
磨かれたしら玉にあこがれるのでしょうか
そんなものなどなくても
僕らの毎日は豊かで暖かくて
そうしてささいな食事しながら
ほほえんでいられれば満ち足りたはずなのに
ありきたりがどうして
足らないばかりにもの欲しさをして
あちらこちらの魅力にはさいなまれ
きらびやかにまみれてはしゃぐのでしょうか
ある時、蛍がふと、そう思いました
けれどもその蛍さえもまた
今では人工的に築かれた河辺装置の
清らかな水を有り難がるくらいの
不自然な蛍には
過ぎないことを知ってしまいましたから
もう彼にはせめて真心を込めて
本当の生き方を神さまに祈るしか
あらゆるすべは無いようでありました
それなのに、すさんだ私たちはもはやその事さえも
つまりはもし神さまがそれを
聞き届けてくださったとして……
蛍はものの数分たりとも
もうあたりきな自然の中では
舞うことも光ることも
奏でることも出来なくって
急に恐ろしくなって
わなわなと震えだし、作られたもの
いつわりの世界に戻りたくって、戻りたくって
なみだを流すには違いないということ
そしてその中にいさえすれば
いつわりなんてどうでもいい
はしゃぎまわるイルミネーションの
虚飾に満ちたきらびやかさ
それだけが幸福の指標であり
ひたむきなんて言葉は、泥にまみれた前世紀の
つまりは、きらびやかな水槽には不似合いの
欲しいときのカワニナにさえ不自由するような
不浄の淀みに満ちたにせものの
川瀬のようにしか思われなくて、また
きらびやかなLED照明にまばゆくされた
形を変える噴水のしあわせを
楽園みたいな喜びで眺めては
不意に人工的に作られた暗闇には、また
自らの演出を誇らしげにして
いつわりの蛍は舞い踊るばかりでした
いつわりの蛍は
いつわりの蛍なんて定義がすでに
どうしてもいつわりの認識にしか
思われないのはもっともで
いつわりの蛍は
しあわせの島の楽園に
静かにそして軽やかに
酔いしれているばかりなのでした
そうして神様はいなくなり
ほんとうとかいつわりという定義もた
うたかたの泡となって消えたのでした
思い返せばふるさとは、ひとかげさえも消え失せて、ただ懐かしい風景に、セピアをかざしていのるでしょう。それなのに、もしわずかな現実に触れたなら、なんだか知れねえとがった痛みに、刺されるような風が吹き、わたしは秋をうらむでしょう。そうして春をいのるでしょう。
そんな営みのうちに、いつしかわたしのプロフィールはかき消され、あの頃は未来と溶け合って、永遠のうちに果てるでしょう。私の知らないあなたは、いつしかそんな歌をくちずさみながら、もはやわたしの知らないその街を、おおらかな調子で歩くでしょう。屈託もなくほほえみながら、私のポケットに潜む、なんだか冷たい水晶のことなんか、ちっとも理解することはなくって、励ましてくれる風を友として、陽気に散策するでしょう。
そんないつかのあなたを夢見ながら、わたしはこうしてチクチクと、思い出に刺されるみたいにうなだれて、でもまたふと顔を上げて、夕暮の窓を開け放っては、ぼんやりしたオレンジの夕暮に、おぼろ月夜の気配がこもるのを、花咲く頃の親しみで以て、静かにこの街を愛するでしょう。そんな思いは自らを、けなそうとしても生まれてしまう、気ままなものには過ぎないことを、夕べにそっと悟るでしょう。静かないのりと知るでしょう。
わたくしにとってこの街は
おわりの景色でありました
生きていることはかなしくて
いつわりとしてありました
わたくしにとってこの街は
呪縛のようでありました
ステップさえもみじめして
ゆび先ながめて泣きました
それからどれほど後始末
ふるびた夢は過ぎまして
立ち寄る駅はエトランゼ
まぼろしみたいなセピア色
懐かしむような影法師
スナップさえもあともどり
過ぎゆくあの頃の日だまりと
つくような痛みがありました
あゆんだ靴のほころびを
かどわかすのはわたくしの
位置の誤謬(ごびゅう)には過ぎなくて
それさえ外せばなにもない
情も罪も爛漫(らんまん)も
けがれも果てもはじまりさえ
鋳造(ちゅうぞう)された言の葉の
かさねあげしたパズルして
喜怒哀楽にゆだねられ
レトリックじみた記号して
わたくしたちそれぞれの結晶は
風のまにまへと消えるなら
かたきのようなこの街も
やがてはふるさとへと帰るでしょう
うらみかなしみさえ糸のほどけたなら
結びあうつぼみへと返すでしょう
春のほこりのわたくしの
胸さえひばりは羽ばたいて
はしゃぐみたいななぐさめで
ありきたりへといざなうなら
かなしむなかれふるさとよ
あの街、この街、ありまして
寄り添うあなたの影さえも
未来の花のひとすくい
それならせめてふるさとを
なつかしむくらいの哀れみと
ひねもすほうけた日和見の
寄り添うような今日の日は
ただやすらぎとかなしみの
おぼろ溶かしてカクテール
オレンジ色したよい空に
街のあかりと喧噪よ
いくじなくしてなみだする
さくら夕暮のおだやかさ
街のあかりのともしともして
しあわせゆだねてみましょうか
雪降る夜はわたくしの
たましいさえも清らかな
すてきなものに思われて
凍えた窓のベランダで
真白な息をけむりのように
それから手すりの
雪を丸めた冷たさに
わざと驚いて見せながら
あちらの屋根に放ったら
どさりと落ちてずるずると
なだれのようなゆかいです
はらはら散ります粉ならば
寝たふりしてます街角の
うすら明るい静けさのなか
(校舎時計が見下ろした
グランドさえも真白にそ
染めゆく絹の痕跡は
なんの模様を描くやら)
明日になればだるまさえ
ふたつみっつのしのぎ合い
はしゃぎに満ちたよろこびもまた
いつ世も変わらぬ景色です
いまは静かに夜も更けて
降りつのります雪あかり
静かに見下ろす街なみは
風さえ忘れて祈ります
しんしんとするその歌を
僕はどれほどいつまでも
聞いていたいと願うのです
あの頃、いつか、遠き日の
同じ景色をまたひとしきり
感じていたいと願うのです
過去も未来も消え失せて
ただいつまでも祈りして
今さえすべてと散る雪に
手を差し伸べてみたけれど……
手のひらに散る冷たさは
たちまち崩れて水玉の
なみだ潤すばかりです
悲しくそっと手を振れば
どこにもいませんわたくしの
愛する人は間にやらいつの
遠く/\の蜃気楼
あるいはそれさえいつの夜の
impromptu に描かれた
奏でたピアノの落書きなのかも知れません。
それともあなたのおもかげの……
名残のような白さして
わたしの今へ溶けてゆく
つかみ取れないきみ色の
過去は真白に染められて
祈りの花と散るでしょう
冷たい風の透明な
つかの間いのちのあかりして
はかなく消えるそれまでは
世界を白く変えるでしょう
隠されたような真実と
諭すみたいに降る雪の
やさしさそれはどうだろう
はっとわたしはベランダの
冷えたサンダルに驚いて
わざと足をすくめて見せたりしながら
凍えた窓を閉ざすでしょう
それからそっとカーテンの
雪降る夜も追憶のかなたへ
風に消されてゆくばかり
それがどうしたと思うけど
なんだか惜しいくらいの清らかさに
塗り替えられた今だけが
あるいはあなたとわたしとの
かすれる前のスナップのように
思われるような願いなら
わたしはあなたを愛すでしょう
わたしはあなたを祈るでしょう
あるいは雪の夜のまぼろしか
けれども清らかなよろこびと
わたくしの心象風景なのですから。
(おわり)
2018/01/22 掲載