Xの座標 (2012年)

(朗読1 発句) (朗読2 和歌)

Xの座標 (2012年)

Xの座標 (2012年)

前書

 2012年の落書から、句を抜き出して変えました。それからしばらくことば書きを、加えておもしろくしてみます。ただそれだけのことなのです。

発句

正月

 年明けのよろこびなんて、もうどれくらい忘れたろう。いつもと変わらない毎日が、たまたま暦に掛け合わされたとき、人はあさましくもはしゃぎたてる、そんな風習の名残みたいにして………

 けれどもなくしていたんだ。
  誰もがそんな新たな情緒をゆだねるとき、
   ただ僕らにだけ感じられる、
  相対的な空気のようなもの

  あるいはそれが淀んだとき
   世界は戦乱を迎えたかも知れず
    あるいはそれが澄み渡った彼方(かなた)には
   誰もがアルカディアの祝祭の

    手と手を取り合うほどのうれしさ……
     けれどもそれは、いつもままならず
      相対的にうつろう晴れやらくもりの
     蜃気楼みたいなしぐさして

  それでもきっと僕たちの
   よろこびやらかなしみのみちしるべ
    僕らのあゆむみちすじに起こる
   抱き合ったり、いさかいをしたりするもの

 その根源的なパトスであるならば……
  わたしは朝日にあらたまの願いを
   ゆだめては見ようかと思うのです
  人間なんて塵や芥(あくた)の

けれども僕らにとっては
 かけがえのないいのちなのだって
  庭先の鳥たちのよろこびに
 ゆだねてみようとも思うのですけれども……

あらたまの庭を訪ふなりつがひ鳥

 遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

春待

 まあるい猫がひとつだけ、鈴の音ならしてのど声を、鳴らしてねむるこたつです。わたしもとなりにねむりましょう。いつしか春の夢を見て。

春を待つひと鳴き夢かこたつ猫

[この句、「春待ちの」「春待ちは」と改変しかけたこと何度となく。語りのよろこびとしては「ひと鳴き夢」のこった表現に対して、上句まで作りすぎると、人工の構造物。すなわち、例のものどもの、「作りました発句」へと落ちぶれることを、見せしめのために、ここに記しおく。あながち悪いものでもないが、上句の動的傾向のもたらす効果を、よくよく吟味すべき。]

 坊やのえがくらくがきは、間延びしました曲線の、なにやらピカソのしぐさして、ほほえましいな、かたり歌。

ルバートにゆだねて春を絵描歌

 きょろきょろしてますあの人は、いなかのなかのそのなかの、おのぼりさんではないですか。当たり前さのしぐさして、目的持ったしぐさして、威風堂々歩きます。でも本当は、本当は、きょろきょろしてますあの人は、いなかのなかのそのなかの、おのぼりさんではないでしょうか。

おのぼりさん見つけて春の気配かも

 春はまだ、砂にまみれたほこりして、かざしていました若き日の、ひらひらしてます個性さえ、オリジナルだって信じてた。

僕の自在とエゴの肥大よ春埃

 あの子は消えて、十字にかざしたらくがきの、未来をえがく文字ばかり、あわせた手のひらむなしくて、見上げた空のつめたさばかり、ひるがえるようなつばさです。

誰(た)が人の祈りともなく冴え返る

 先生、
  あなたがあたりきの表現に、
   まことがあるって教えてくれたから、
  わたしはくだらない知恵袋の
 みじめさを知ることが出来たのです。
  そうして時折はこんな句も、
   らくがきしてみたくはなるばかりです。

やはらかな土筆を摘むやをんなの子

 これならば、それはあれより、どれよりも、
   こうして、そうして、ああ、どうしよう。

こそあどに春をおそわる坊やかな

 恋をしました。
  恋をしたんです。あのひとの
   影ふみするような
  恋をたとえば……

さゝやきはすみれの花のものがたり

 ばあさんや、
  生きておればポチも、
   もう十年になったじゃろうか。

ポチの庭に今年も花は咲きにけり

 アクセサリーな
  さくらなみ木は showwindow
   それはこの街の
  隠れた恋のスポットなのかもしれませんね。

さくらばなあなたにあげたいイヤリング

春のうららのオカリナは、
  おぼろ月夜を待ちわびる、
 舟人たちのかたり歌かな。

散りそめてのぼりくだりか隅田川

 どこまで高くのぼったら、
  お空の果てに会えるだろう。
   どこまではてなく飛んだなら、
  虹のはてには逢えるだろう。

紙飛行機
  虹まで夢を 追いかけて

[二句「果てまで虹を」など、中途半端に定まらず。「虹の果てまで追いかけて」の陳腐を逃れようとして、さまようも、ついには「虹の果てまで連れてって」など、安っぽい流行歌のフレーズさえ浮かんでくる不始末。「虹まで風を」など試みるうちに、夢見心地の空想的な着想に寄り添って、かえって「夢を」のような、安易な空想へゆだねる方が、まだしもマシかと結論した。いずれにせよ、くだらないものではあるが、2012年の発句には、このくらいの、どうとでもなりそうな、安易なものが多いようで、後から加えた詞書きの詩の方が、かえってこなれているものも多い。参考までに、記しておく。]

 くしゃりと響くかゝとして、
  つぶしたいのちもおざなりの
   遊びつくした毎日に
  真っ赤なリボンをさゝげましょう。

かたつむりつぶして逃げる赤りぼん

 そうしてまもなく、夏もおわりを迎え、

子をいのる夜鷹を銃で撃つものを……

 そんな殺風景な残虐が、
   効率なんて呪術的な
     たゞ人でなしのしぐさして、
   ひろがってゆくのではないでしょうか。

たとえばいびつな砂ならば、
  「Xの座標」やら「pulsarの風」など瓶詰めに、
 らくがきしてはその価値を、
    たゝえたくなるものかもしれません。
  そうしてそれが本体とは、
     関わりもない虚飾であるとは、
   気にもとめないらしいのです。
      わたしは彼らをにくみます。
    断罪するでも、のゝしるでも、
       なく、おびえながらにくみます。
     近寄らないでと願うのです。
        その歌声が嫌なのです。
      たゞそれだけが、すべてです。

Xの座標もなくて天の川

[中句は、「座標さえなく」「座標も知れず」などいくらでも浮かぶが、投げやりなくらいの初稿の方が、本意に叶うように思われた。]

 あなたには愛する人がいて、
   あなたには愛される人がいて、
  わたしの居場所はそこになく、
    あなたはわたしを誰とでも、
      変わらないくらいにわらうのです。
        屈託もなく、
      わらうばかりです。

あなた欲しくて
   飛行機雲を眺めては……

 はなしもしない言の葉を、
   使いもしない知識して、
     覚えるなんてばからしい、
  それってあるいは僕たちの、
    いのちの根源じゃあなかろうか。
      そんな願いもさわやかな、
        風に夢みる午後の授業に。

さわやかな
   窓べ英語か 子守歌

 ゆびさきはじけて鳳仙花、
   黒豆粒のはしゃぎして、
     こぼれおちますかなたには、
   のぼり疲れたカナブンが、
 ほうけた顔してにらめてた。

かなぶん
  のぼりつかれて 鳳仙花

[「のぼりわすれて」⇒「のぼりつかれて」に変更(朗読を聞いて)]

 月夜の晩にとりあった、
   あなたとわたしのゆびさきの、
     もつれるみたいなよろこびは、
   むすびあう影のあそびです。

月ヶ浜
  ゆびさきむすぶ 影ぼうし

 遠くの雲はいわしらの、
   しま模様した青空に、
     ながれてゆきますかなたには、
   いつかの夢もあきらめの、
 はるかなる、高みをゆくでしょう。

追いかけた
  夢はかなたへ いわし雲

木から木へ
  よじ登ってはあざをして、
    遊び疲れた夕空も、
  あの頃は、無限だって信じていたけれど……

残されて公園となるもみじかな

マンネリズムが怖くって、
  僕らはいつまではしゃいでいたね、
    それは必至になってお互いのなにか、
 傷つけたくないような季節して、
   きっと無理をかさねていたんだ。
     けれどもう今は、

きみと僕と
  ひだまり秋の
    らくがきと……

 みおくるひとのかなしみは、
     あらゆる季節の情景を、
   うつしかえては、
      変わらないものかも知れません。

プラタナス
  去りゆくバスに手を振れば

 いつしか村に、
    稲のなごりのゆたかさと、
  祝いみたした神楽も消えて。

里は荒れて新酒の札(ふだ)もなかりけり

 獺祭書屋の主人なら、
    こんな見舞いを、えがくでしょうか。
   それとも、
      軽蔑されるでしょうか。

見舞われてつぶさに柿を握りけり

 うつくしき
   ものへあこがれた みにくさを
  ゆるせないのは道徳でしょうか。
    ねたみでしょうか。
   あるいはもっと根源にひそむ、
      わたしたちの美的基準の問題でしょうか。
    わたしには分かりませんでした。

恋をした案山子を燃やす人のかげ

 真っ赤なサソリの明滅を、
    不安な警句に脅すような、
  あの鉄塔のシグナルよりも、
     かなたのしずかなあの冬星の、
   おだやかなちからづよさはどうだろう。

鉄塔にサソリ火燃えてつゞみ星

 どうしようって
   思えば思うほど不安になって、
     現実逃避のあれこれと、
  手を伸ばしてはうかばない……
    お腹がすいたをいいわけに、
      答えをみては安堵します。

答え見てカップラーメン二日前

 傷があるわけではないけれど、
   こころに傷があるわけではないけれど、
     いまさらどこに直したい、
   痛みがあるわけではないけれど

湯治してあさな夕なの顔合

 ちょっと呑みすぎた、
   オスミンみたいな失態も、
  人のよならばうれしくて……

はな唄を湯気に濡らして茶漬けかな

 あわてんぼうなそのひとは、
   待ち合わせ場所さえ忘れます。
     そうしてこころは子どもらの
   笑顔のことでいっぱいです。

もみの木にトナカイを聞くサンタかな

 子どもは夢にねむります。
   あたたかいのは家族です。
     大好きなのはふるさとの、
   雪降る夜の音楽家。

リャードフペチカに眠るおんなの子

 わいわいあつまった友だちの、
   手を振るさようならがさみしくて、
  ひとはいつまであそぶことを、
    しつづけられないものでしょうか。
      そんなことをつぶやいたら、
    あなたは横で笑っていたっけ。

君の頬にそっとメリークリスマス
  or 君の頬ふわりとメリークリスマス

 守ってあげたくなったから、、
   あたいはあんたを引き寄せる、
  さみしそうにしてたなら、
    抱きしめるくらいしかできないけれど。。

気のまままわたのわたのやさしさで

 恋人たちのぬくもりは、
  雪もよいした風にさらされて、
   つめたくなって別れても、
  離れきれないものかしら。

けんかして許してメリークリスマス

 antique めいたよろこびを、
   lamp みたいにかざしても、
  おめかし dinner の wine さえ、
 あなたのひとみの red です。

君と僕と art nouveau 雪もよい

 お別れの季節が訪れて、ふたりの鼓動はずれていく。それはいつも恋人たちの大切な、イベントにあわせるみたいに、もう戻れないこころをうつして、あたらしいなにかに惹かれるみたいに、そうしてどちらかの未練を引き連れながら、訪れるありきたりのワンシーン。

足音のクリスマス改札をゆく君は……

 疲れた駅前サラリーマンの描写やら、
   しわくちゃの指先が鍵をかけようとして、
  あるいは君と僕との着飾ったエピソードなんて、
    もう、あきました、あきました。
   ただ、地上のいとなみを離れては、
     もっとひろがる世界にあこがれるみたいに、
       それが知りたくて、知りたくて、
     ふと夜空を見上げるのでした。

はく息のしろさすっと流れ星

坊やの約束を破ったら、
  坊やは泣きべそをかきました。
    母さんは父さんを弁解します。
  坊やはますます泣きました。
父さんはしかるかと思われましたが、
  やさしく針を後戻りさせると、
    あやまりもせずに言うのです。

時計の針を戻してメリークリスマス

 たくさんのおもかげがつらくって、わたしはふるさとを去るでしょう。たのしいことはあまりなく、振り返るほどにきたならしい、自分のすがたがつらくって……でもそこは、わたくしの生まれた街に、変わりはないのですけれども。
 今は手を振りたくはありません。
   ありがとうやら、また会いましょうなどとは、
     手を振りたくはありません。ただ、
   しおさいの唄を聞きながら、
 そこを逃れるのがゆかいです。
   なにか清らかな時代が、
     始まるような気がしたものですから……

澪つくし遠ざかりゆく冬の街

 わたしの両親は病院に勤めていましたから、おさないわたくしの記憶にも、不思議とさまざまな溶液やら、ホルマリンのにおいやら、ぷかぷか泳いだ胎児の印象が、刻み込まれているらしいのですが……
 わたしにはそれらは懐かしく、
  ふるさとみたいに思われるのでした。

ふらすこの胎児冷たき病理かな

去年今年

 老いたるものは
   回想をしてつかの間の
     安らぎと厭世のはざまに
   息づくものなのでしょうか……
     決して未来を、
       信じることなく……

皺くちゃに寒をたらして呑にけり

 ひとなき空に
  からすのみこだまして
   はななく消える
  この世をゆだねようとして……

終わりの景色を
  寒空(かんぞら)に聞く鴉かな

 こんな発句の、
   あまりの陳腐にあきれ果て、
  いのちの凡庸を思うとき。

終末を
  夢みてなげくからすかな

 浅はかな落書をするも、
   いつしか酔いのしどろもどろに、

終わりの景色を
  夢みてなげくからすかな

くらいに投げ出すばかりが、
  わたくしの歌の、つまりは実情なのです。
 それにしても………

寒河に犬肋骨と成にけり

 くらいの情緒を、
  しかもほんの十七字に
   たぐいまれなる表現の
  可能性などとは信じてみても……

人影を探し求めて暮の街

 ほどなくひとなみの、
   みちゆくほどの人影の、
  あまたの砂の落書の、
    かわらない情緒だと気づく頃……

ほろ酔い
  のれんに聞くや 除夜の鐘

なんていつわりを、
   年の瀬にゆだねてみたくもなるのです。
 あるいは、また、ちょっといたずらして。

朝昼晩春夏秋冬年之暮

(あるいは下句「去年今年」)

そんな中学生の頃の落書も、
  近頃はなつかしいくらいです。

幾とせの喪中はがきをいたしけり

 あるいはまもなく、
   わたくしは消えてゆくのかも知れません。
  けれども……

去年(こぞ)の雪。
  牢獄に聞く、ヴィヨンかな。

 歌わなければなりません。
   わたしのいのちが続くかぎり、
  もう何語でもかまわない、
    わたくしの塗り替えられない、
   ひとりぼっちしたきり/”\すの歌を、
     わたくしは歌わなければなりません。

それは点より生まれ
  やがては点へと帰りゆくもの
 情やら倫理など存在しない
   つまりは絶対領域の定理とは

関わりのない、ただ人のよの
  よろこびやかなしみなど言う逸脱の
 あぶくみたいなつかの間の
   わたしたちにしか意味のない落書き

その狭間にしかわたくしの
  いのちの価値もよろこびも
 畢竟見いだせないものには
   違いないのですから。

間奏曲

枝豆と発句、あるいは和歌と法王

 冷凍された簡易枝豆の流水解凍には、塩味の薄いこともある。それでスパイス入の塩を振りかけてみれば、まるで味わいの異なる枝豆へと生まれ変わった。そこでふと思うには、こしょうやらカレー粉で、味つけをするのも風流なものか。スパイシー枝豆やら、ゆず胡椒枝豆こそ、居酒屋のバラエティーにはふさわしいもの。あるいはまた……

枝豆を辛子に茹でて下しけり

辛子湯に枝豆をして茹でるかな

 つまるところ、近頃は怠惰のうちに、時におぼれる不始末である。それに対する感慨も、麻痺して浮かばない酔いどれは、身を任せるどころの比喩ではなく、すっからかんに惚けているような状態のことを、人は無気力と呼ぶのであろうか。

 ところで、わたしはこの、
  五七五の形式は好きである。
 それはきわめて容易(たやす)いからであり、枯れと干からびの区別もつかなくなった哀れ蛾の、芸術性云々(うんぬん)をほざくためではない。それでも奥が深いことは、正岡子規の遍歴を眺めるまでもなく、数年前まで、こんなたわけた冗談を、すらすらと述べられなかっただけでも、十分悟らされる事実である。

ふるさとに手を振る君よ麦の秋

かなぶんのぼり疲れて鳳仙花

散り染めてのぼりくだりの隅田川

幾とせの喪中はがきと呆れけり

ほろ酔いののれんに聞くや除夜の鐘

 虚偽か誠か、situation はさまざまなるべし。吾がこゝろ半ばいにしへ人となりて、人のこゑさへとほき耳の、無用の人へといたる夕べに、落日にゆらめく波間眺めて、ふと明日のいのちを、夢に描くほどの、愚か人ともなりぬべし。

 たとえばあなたは糾弾する。
  古文めかして、situation とはいかなることか。
   君のこそまさしくいつわりの、
  いかさま言語の創造者にはあらざらんやと。

  はたしてそれは外来語を糾弾するにや。
   あるいは今様を古調にもてあそぶ、
  精神の不一致を糾弾するにや。
 わたしはひとりとぼとぼ歩き、もはやいかなる言葉もかなたの空耳に、なんのことやらさっぱり分からず、振り返ってはにこにこいたし、またとぼとぼと歩きゆく。けれども……

 韜晦のなかにも、一片の真実が籠もるならば。それくらいのつむぎ歌して、一生を過ごせたならば、どれほど短い命にも、なぐさめくらいの価値はあるのかもしれません。

ふしだらな鼓動にえがく夢さえも
 つかむしぐさを誰がわらうか……

今日をあかし
   明日をあかして 言の葉に
  あかしていつか おわる時まで……

みの虫の 風にあおられ 朽ちました
  唄声もなく 降りつのる雪

永久(とわ)のみことのりを
  夢みてうたうあの人を
    あざわらいます
  わがよ春びと

 そうです。
  最後だけトーンが異なるのは、
   平清盛の後白河法皇に対する歌だから。
  だからといってこれは、
 歴史とはなんの関係もない、
  ただ sympathy で満たした、
   酔いの落書きには、
    違いないのだけれども……

 けれどもわたくしには、梁塵秘抄こそ 言の葉の
    まがたまくらいに 思われてなりません。

     なみだの果てにも、
       今をよろこべと……

和歌

「梁塵秘抄」

永久(とわ)のみことのりを
  夢みてうたうあの人を
    あざわらいます
  わがよ春びと

「幼なじみとわかれるときに」

そっぽむいた あなたの髪は はつ風に
  吹かてはるか 夢を追いかけ

「二年目の盆に」

お供えの
  餅はきなこを さわらびの
 鈴のねに聞く あの人の風

「ふられたばかりのその人は、
   傘もなくってなみだです。
  ふられたばかりのかなしみで、
    どしゃぶりのなかを駆け出せば、
   なんだかなおさらみじめです。
     部屋にもどってぐしゃぐしゃの、
       服を着替えてねむります。
    あしたの朝まで泣いたなら、
      いつしか梅雨も晴れるでしょうか」

どしゃぶりに うちまかされた あじさいの
   なみだも晴れて うつす色彩

「バルドラの野原にさそりが一匹
   いたちに追われてふる井戸の
  底にぽちゃりと落ちました。
    さそりはいのちを思います。
   たくさんの殺したいのちと、
     殺されたいのちが混ざり合って、
       ただみずからの罪深さが、
         悲しくなって果てました」

水に落ちて、改心しました虫けらの
  いのちをついばむものさえもなく

「真っ白な少女がありました。
   色素が足りないのでありました。
  他にも大切なものが足りなくて、
    空に召されるのだと、
     お医者さまが言っておりました」

病床の
  白百合花は ひとの香に
 染まることなき
   まぼろしの花

「『ジョヴァンニ、ラッコの上着が来るよ』
   ザネリもみんなも、カンパネルラまでもはしゃぎして、
     まつりのなかへ消えてしまいましたから、
   もう賑やかな街なみから逃げ出すみたいに、
      ジョヴァンニはただ懸命に走るのでした」

漆黒の 河辺にかゞる ともし火と
  まつりもはてゝ いざよう月夜と

「情と結ばれない、
   解説したような落書きを、
     どんな歌手も歌おうとは思いません。
  ただあなた方だけが、
    それを詩だと言い張るようです。
      ただ数に押し込めただけの散文を……」

にせものだよ
  あんたのことだよ すな浜に
 ガラス玉した 歌人とかいう

「葉月のつごもりの日」

ふたりの指
  線香花火の はかなさは
 きらめきみたいな 夏の終わり日

「夕やけ小やけに日は暮れて
   夕やけ小やけの歌がする
  振り向いたら僕の影ぼうしがずっと
     ひとすじに伸びているばかりでした」

さみしくて
   夕焼け小焼け 風唄(かざうた)に
 くちずさみます
     きみの名前を……

「どんなに変えようとしても、
   わたしはこの部屋から逃れられなかった。
  未来をみちびく希望もなくして、
    ただ、いじけていたんだ……」

飲みかけの
   ワイングラス くだけては
  真っ赤な指で ひろうかなしみ

「回想と現実」

けれどもはや、僕らのきらめく季節さえ
   まぼろしみたいな、今はただ秋……

「学生服を着こなして、
   いつしかスーツを着こなして、
  おなじしぐさの、おなじ価値観の、
    あなたがたが、僕はこわかったんだ」

きり/”\す
  がなり声した 蟻どもの
    声に怯えて 歌う哀しみ……

「恋するピエロの歌」

あなた欲しさに
  さまよい歩く 月の夜の
 浜のピエロを おぼれさせてよ

「ウィーン郊外」

ホイリゲに
  シュランメルして
 ほろ酔いの
   四重奏さえ いつの人かも

「どんなに耳をすませても
   ただしんしんとする雪の静けさばかり
  もうみの虫のうた声は、
    二度と聞こえてはこないのでした」

みの虫の 風にあおられ 朽ちました
  唄声もなく 降りつのる雪

「警句」

にくしみを
  殺す勇気も なくしては
 愛することさえ 誰も出来ずに……

「声のかぼそる夜更けには、
   わたしの希望もくじけてしまうの」

あたいはきっと 不死鳥なんだと 思うけど
  なぐさめしてよ いまはそれだけ

後書

 2012年の落書から、
   和歌を抜き出して変えました。
  それからちょっと詞書を、
    加えておもしろくしてみます。
   ただそれだけのことでした。

          (おわり)

2015/10-11月頃 編纂
2016/01/27 掲載

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