「人々に答ふ」にもとづく幾つかの和歌

(朗読) (改変和歌十朗読)

「人々に答ふ」にもとづく幾つかの和歌

注意

 この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、歴史的価値を鑑み、そのままの形で作品を公開いたします。なにとぞご容赦ください。

本文

 正岡子規の歌の随筆に、「人々に答ふ」というものがある。その初めに、『柿園詠草(しえんえいそう)』(正しくは「かきぞのえいそう」か)の中の十首を批判した部分があるが、この歌集は、紀州藩士であり国学者でもあった加納諸平(かのうもろひら)(1806-1857)という歌人が、一八五四年に作った自選集である。これが偶然、子規の「人々に答ふ」に取り上げられていたために、わたしが文庫本の横に落書きを記したことがあるのは、もちろん加納諸平にとってはいい迷惑には違いないのだが、子規の批判がなかなかに妥当である点を含めて、ちょっと批評がてらに、よりよき道を模索してみようという試みである。あくまでもわたし一個人の思うところに過ぎないことは、改めて言うまでもない。

 批評の精神こそ物事のはじめなれ。誰の言葉だか知らないが、すっくと立派な言葉である。安易に過去を権威として讃える姿勢が横行すると、次の段階で、ある種の言論統制が大衆の自助努力によって完遂され、その文化を荒廃させ、伝統とばかりに保存することのみに終始して、祭り本来の活力をなくして継承だけに走り、最後には戦争に旗を振っておいて、後から騙されたと叫ぶような不始末では、もはや手の施しようこれなく……

 なんてことが決して起こらないように、批評の精神だけは保ち続けようと思うのである。優劣の問題を好悪にはき違えてフィーリング任せに褒めかつ罵る人間に、物の価値など分かりようがないからである。

 なお岩波文庫の「歌よみに与ふる書」(正岡子規)より引用のため、注釈の読みが現代語になっている他、元歌と異なる点あるかなきかについては、リサーチ至らない点を付け加えておく。あくまでも子規の随筆に基づくものであることをお断りして、さっそく初めの歌を眺めてみよう。

[一]

朝風に若菜売る児の声すなり
朱雀の柳眉(まゆ)いそぐらむ

「眉(まゆ)いそぐらむ」を「変な言葉」「擬人的形容を用うるはよろしからず」はもちろん、「柳眉(りゅうび)」のシャレがない方がよいという子規の意見は、まったくその通りかと思われる。

朝風に若菜を売る子供の声がする
朱雀通りの柳も眉を急がせていることだなあ

くらいで考えても、上の句は実に殺風景な事実の描写に過ぎず、それを抽象化して和歌とする意思乏しく、そもそも

「朝風に若菜を売る子供の声がする」

はスケッチに過ぎず、しかもくどくどしいくらいのデッサンで、これをどう取捨選択をして、また焦点を当てるべき言葉に指向性を持たせるかなど、歌を詠むべきあらゆる努力が始まるべきところを、すべてを放棄して次に行くのは、ちとぐうたらかと思われる。つまり

「朝風」「若菜を売る」「児の声がする」

を出来るだけ中立に並べた新聞的な叙述に、

「朝風に若菜々々の声の児を」

(声にウェイトが掛かる、かつ文脈は児に掛かる)

「朝風や/若菜とひびく児の声を」

(朝風にウェイトが掛かる)

「朝風や/若菜売り児の声もして」

(朝風と声もしてに均衡を保つ)

など指向性を持たせてこそ歌詞の本領も生かされるところを、言葉のリズムに拘泥するほどの面白みもなく、叙述的傾向が後半に生かされる訳でもないばかりに、怠惰の一首(いっしゅ)に陥っているようだ。

 これは子規の言うとおり、後半の「眉いそぐらむ」のまとめが、うまく機能していないために、全体の情景がばらばらのままに事切れたような感じになってしまったらしい。出だしから、もう一度考えてみよう。

朝風や若菜売り児(こ)の声ひとつ

くらいにしても、叙述的傾向を逃れられるのに、事実をただ順番に提示して、言葉の体裁を整えるのは、それは新聞のする仕事であって、歌としての価値に乏しいものと思われる。それでいて、下は「眉いそぐらむ」となり、上の句の叙述に対して、下の句は急に気取りすぎで、全体のプロポーションがちぐはぐになってしまった。

 あるいは当人は、フォーカスを柳の葉にまで近づけると共に、柳眉の表現に歌全体のスポットを収斂させて、あるいは少年の眉毛すらも掛け合わせているつもりだったのかも知れないが、「柳眉いそぐらむ」なんて不自然な表現へと収斂させたために、全体がへたな駄洒落みたいになって、子規に突っ込まれる最後を迎えた。

 率直な叙述が生かされるのは、言葉のリズムの必然性と、それ以上の表現が詩情にマイナスに作用するような場合で、「眉いそぐらむ」の場合はむしろ言葉の戯れを求めてこそいるのに、辿り着くまでを無頓着にすらすら叙述したために、「眉いそぐらむ」が嫌みに目立つことになってしまった。そこを子規に付かれたのである。

朝風や若菜売り児の声ひとつ
答えも知らぬ朱雀柳よ

くらいで率直に歌っておいた方が、まだしも情が損なわれないかと思われる。情を蔑ろにしてまで、言葉をこね回しすぎるのは、時代的な弊害なのだろうか。それとも個人の力量なのだろうか。情と言葉の不一致は、次の歌にも続いていくからである。

 もっとも今日は、これをはるかに凌ぐ無駄な陳述、不自然な言語で、情を皆殺しにするような歌が、大繁殖をしているところを考えると、まだまだこの和歌には、はるかに歌のリズムが保たれていることを見ることが出来るかもしれない。次。

[二]

暮れぬめり菫咲く野の薄月夜(うすづくよ)
雲雀(ひばり)の声は中空(なかぞら)にして

暮れてしまったなあ、菫の咲く野の薄月夜
雲雀の声は中空にひびいて

 「暮れぬめり」は他の歌から引用してみたくらいの印象が強いが、この投げかけをしておいて、「薄月夜」は子規の言うように「甚しき撞着(どうちゃく)」のように思われる。そもそも「暮れたようだなあ」と情をかき立てておいて、「菫の咲く野の薄月夜」の叙述は、自然な文章の流れからいっても変で、

「暮れてしまったなあ、菫の咲いた野原の薄月夜」

というのは、感嘆の後に「菫の咲いた野の」なんてくどくど説明するので、かなり不自然である。ようするに叙述が多すぎである。だいたい感嘆に切れた後ろには、ある程度焦点の絞られた文脈が効果的に配置されなければならず、

「危ないじゃないか。子供が飛び出した道路の雨の夜」

のようなたどたどしさが、特に最後の「薄月夜」のくどい説明に込められていて、はなはだ興ざめを起こすところだ。暮れてしまったのだから、せめて、

「暮れぬめり菫咲く野の淡月を」

くらいだって、陳述過剰を逃れるくらいのものである。それでもまだ「菫咲く野」というのもくどい説明で、「すみれ野」で十分説明の付くところを、「菫咲く野」とリズムを損ないつつも叙述を重ねたために、たどたどしさに拍車が掛かるといった不始末だ。そもそも古典的な和歌の秀作は、口頭において自然な文脈をさりげなく差し替えつつも、驚異的な表現に結びつけるところに、比類なき特徴が挙げられるものを、ただ説明を並べ立てる文章を構築する一方で「暮れぬめり」などと遊ぶのは、机上に文章をこね回した結果ではないかと思われる。

 だから二句と三句の書法が「暮れぬめり」を中空(なかぞら)に宙ぶらりんにして、取って付けたような借用的印象を濃くするわけである。

暮れ残るすみれ野原の薄月を
声のみ慕いて雲雀いずこか

これでもまだ「薄月」がくどすぎる。別段薄いかどうかくらい、読み手にゆだねればいいからである。和歌は散文ではなく、叙述をしたいなら、散文を持ってすればいいからである。この言葉にはこの想いがなどと探求するばかりに、情と結びついた言葉のずたずたに引き裂かれた例としては、例えば俳句においては、中村草田男の

万緑の中や吾子の歯生え初むる

などが絶好の例であるが、こんな無茶苦茶な表現は、漢詩の精神を持ち出したって硬すぎだ。情と表現が噛み合っていない。こころから吾子の歯の様子を思い浮かべて感動できた人は、当時においても己惚れ俳人以外には存在しなかったものと思われる。もっとも彼の場合は、

降る雪や明治は遠くなりにけり

のような情と言葉の結びついた傑作もあるから、言葉で遊んだくらいのところを名句と胴上げされてしまっただけかもしれないが、はたして加納諸平の場合はどうであろうか。

暮れかけのすみれ野原の夕月を
気配ばかりの雲雀いずこへ

くらいだって十分かと思われる。夕暮れの雲雀の気配ならば姿ではなく声だろうという想像力で委ねるくらいが、送り手と受け手との対話がかえってなされるように思われる。スケッチした言葉を全部使ったのでは、歌ではなく記述になるのは避けられない。だんだんひどくなってくるから、覚悟が必要である。三歌目。

[三]

行くも花かへるも花の中道を
咲き散る限り行きかへり見む

 出だしに「行くも帰るも」といっておいて、最後の「行きかへり見む」このたどたどしい描写はどこから生まれたのだろうか。「嫌みたらだらに感ずるのみ」との子規の説、もっとものことと思われる。

「行くも花、帰るも花という中道を、

咲いては散るあいだは、行くときも帰るときも見る」

詩である以前に、散文としてもくどくどしく、後世に残るべき価値も無きものを、なにが悲しくて私撰集に残さなければならないのだろうか。この文章を小学校の先生に添削させたら、必ず赤点を付けることを請け合うくらいのものである。

「こらこら。行くも花、帰るも花と歌った以上は、行き帰りに見るのは前提なんだから、いちいち言い返さなくたっていいんだよ」

 内容あって体裁あり、意味あって体裁あり、駄文を体裁だけ整えても、それは和歌でもなんでもなく、偶然字数があった散文には他ならず、これすなわち駄散文を極めたるものに過ぎず、下二句の羞恥無き描写、ずたずたのフォーカス、なにゆえこのくらいの羅列を、後世に伝えようと試みたのか、その辺のことを、改めてお尋ねしたいくらいのものである。

行くも花かえるも花の路のべを
今宵かぎりと雲のたなびき

 最後の結句、「唄う雨粒」でも「笑う風音」でも何でも構わないから、フォーカスを変えて、それをもって散り惜しむ気持ちへと移して欲しいところである。また、我に収斂させたいのであれば、「惜しむ靴音」くらいだって、「行きかへり見む」よりはマシである。とにかく、どうしても描写一辺倒を全うしたいのであれば、せめて「行きかへり見む」のような、古典を習う中学生でも失笑するような表現だけは、避けるべきかと思われる。この言葉が付き得るのは、「行くも花帰るも花」と歌い始めない場合である。次。

[四]

桑とると霞(かすみ)わけこし里の児が
えびらにかかる夕ぐれの雨

 母音のリズムがすでに出だしから「uaouo,auiaeoi,aoooa」であり、そのまま十回唱えても笑ってしまうくらいの不始末だ。その上、第三句に至って、母音の動きが無駄に沈静化して、口頭的リズムを消沈させているが、何の効果もないといった有様である。

しかも、

「桑とると霞を分け越してきたよ里の子が

えびら(矢入れ・竹籠)にかかる夕ぐれの雨」

日本語の持って行き方が変である。こんな分かりにくい駄文は芭蕉の細道に一行となく、つれづれなる文章にも一文たりとも見られず、いったい里の子に焦点を定めたいやら、「えびら」に焦点を定めたいやら、目線があっちにいったりこっちに行ったりで、焦点が定まらない。まず「桑とると」の意味が、もし自分が桑を取る意味ならば、四句目の「えびら」が里の児のものか自分のものか、不明瞭きわまりなく、かといって「桑をとろうと」里の児が霞をわけこしてくるとすると、自分が桑を取るような「桑とると」の錯覚に邪魔されるので、ようするに言葉の選別がうまくいっていない。つまり歌の趣旨としては、

「桑をとるために霞を分け越してきたよ里の児が」

と詠もうとしているのだが、

「桑とると、えびらにかかる夕ぐれの雨」

の部分が自己の行為を錯覚させうるために、焦点が定まらなくなってしまうのである。(万一、霞をわけこして雨が降りますの意味ならもっとぐだぐだであるが)

 さらに「里の児が」における「が」によって、「里の児のえびらにかかる」ではなく、「里の児が」居たのは置いておいて、あらためて下の句が始まるような印象を与えるため、一度解析に成功してからも、やはり聴覚上の「里の児」に定めがたいような不自然というか、曖昧性というか、もう少し的確な助詞を入れべきではないかという疑問が、愉快でない余韻となって残されるというわけだ。

桑つみの霞深くを唄う児の
えびらにかかる雨の夕暮れ

桑つみの霞の果てを唄う児の
えびらにかかる雨の夕暮れ

くらいで、上の四句に変な途切れ間を設けず、「雨の」の言葉に掛からせた方が、焦点がしっかりして、それに答える「夕暮れ」が情景を定めるかと思われる。そのような意味もあって、「夕暮れの雨」という言葉も、「雨」にこそ焦点を当てる言葉になっていないので、ついでに直しておいた。後ろに掛かる言葉が、必ずしも最大比重を持つとは限らないからである。

 これはもちろん一例に過ぎないが、もしこの素材を現代文に置き換えつつ、中学生に書かせたならば、誰しも、これよりうまくまとめ得るのではないだろうか。私には何となく、「歌には切れが大切だよ」と学校で教わるがままに、不自然な切れを入れて褒められている、可哀想な中学生のことを思い出したくらいである。

 さらに「霞わけこし」は作りすぎて分かりづらいのみ、というかどこかから借用したような印象がするのだが、その辺のことは不明である。「霞わけこし」にはやはり霞を越えて雨になるという意味も込めたのであろうか。「霞わけこし」と「夕暮れの雨」を両方歌うのも、くどくどしいように思われる。

霞より桑とり唄を歌う児の
えびらもかすむ春の夕暮れ

なんてすると、改変の意味がそもそも無くなってしまうか。これは「歌」を母音リズムで「uaoiuao,uauoo」における「uaoiuao」uaoの派生とその繰り返し、「uauoo」uaoの展開的拡大によって、リズムを取ったもので、出だしの「霞」と四句の「かすむ」は異なる意味の「かすみ」であるから、言葉のリズムの協調をしてもフォーカスは狭まらないと考えた上での繰り返しである。もちろん私のなかでの正当性には過ぎない。次ぎ。

[五]

棹(さお)ふれし筏(いかだ)は一瀬(ひとせ)過ぎながら
なほ影なびく山吹の花

 「棹ふれし筏」「一瀬過ぎながら」を「いと拙く覚え候」との子規の言葉、また「巧みならんとして言葉づかひ無理に相成候」の言葉、聞くべきところもあるかと思われるが、全体の歌としてのリズムは整って、フォーカスの持って行き方も(細部がたどたどしくはあるが)悪くはない。問題は頭の「棹ふれし」が提示から次を導くものとしてうまく機能していない点で、「棹ふれし筏」では描写としても歌い損ねの感が濃厚である。和歌であるならば、もちろん事実そのままを描写する必要は無く(もちろん子規は実写主義なんか提唱していない)、一層のこと、

棹をふれ筏ひと瀬を過ぎながら
なほ影なびく山吹の花

くらいの出だしの方がずっと引き締まるものと思われる。あるいは、

棹さばき筏漕ぎゆくひと瀬にも
なほ影なびく山吹の花

くらいだと、[景+情]の統一とフォーカスの持って行き方に、動的傾向が加わって、ちょっと武士的傾向を持つかも知れない。

[六]

山里は卯(う)の花垣(はながき)のひまをあらみ
しのび音もらす時鳥(ほととぎす)かな

 「垣の隙(ひま)があらいとて忍び音漏らす訳は少しも無之」は、恐らく歌のフォーカスが、時鳥を効果的に定めえなかった結果、子規がこのように感じ取ったものと思われる。つまりはようやく聞こえてきた「しのび音もらす時鳥」の臨場感まるで無く、しのぶまでもなく初めから聞こえていたものを、あえて読みました風の作歌濃厚である。さらに初めから聞こえていたとすれば、上の句の舞台設定が無駄なものとなり、歌全体が安っぽくなってしまう。特に「ひまをあらみ」の言語は、引用的かつ、「使ってみました」的な、つぎはぎの感漂うが、それは置いておいて、

山里は卯の花の花垣の隙間も荒ければ
しのび声が聞こえてくるのは時鳥であることよ

やはり実に事実そのままの描写、すなわちデッサン、スケッチに過ぎないものと思われる。子規の述べた「写生」はもちろん「スケッチ」主義ではなく、捕らえたものを切磋琢磨することは言うに及ばないのだが、

「山里の卯の花の垣根の隙間も荒いので
忍び声が聞こえてくる時鳥」

とはいったい何の散文的ニュースであろうか。叙述そのままだから、時鳥が生きてこない。視線を移し、心情と描写とを行き交い、和歌の作者と詠み手、あるいは聞き手とを結ぶ、あらゆる手段が蔑ろにされたまま、そのままの描写を言葉で整えただけならば、それはむしろ散文で描写した方が相応しいのである。歌には歌の必然性がなければ、何のために歌になっているのか存在価値がなくなってしまう。

 ようするに叙述だから「ひまをあらみ」が嘘くさく、借用の印象が強くなってしまうのだ。だから子規の言うところ、「言葉のシャレが行はるる処にはいつでも趣味乏しく候」となってしまう。もちろん子規は、一歌ごと、個別特有の吟味を論ずるに足るべき人物であるから、該当箇所の表現さえ巧みであったならば、うまいシャレであるよと、逆に誉めることだってあり得るのだ。

 そのそも歌の趣旨において、山里である必然性もなく、のどかなる田舎くらいでも十分であり、「卯の花垣」「時鳥」などがすでに演出を加えているのに、舞台描写を欲張りすぎの構図が、無駄な陳述を呼び込んでいることは疑いなく、どうしても山里から続けたいのであれば、

山里は卯の花盛(ざか)り垣の間を
なお鳴きしきる時鳥かな

くらいでも、くどくどしい叙述を回避できると思われるが、素直に「山里」を破棄すれば、

卯の花のさかりは里の垣の間を
声のみひびく時鳥かな

これは「の」でリズムを取りつつ、後半に破棄する例である。「さかりの」とやると、逆に単調に陥ってくる。いずれにせよ、「ひまをあらみ」はかえって意味に溺れて、詩情を蔑ろにしていると思われる。それも、荒れた垣根の隙間から時鳥といった大したこともない着想なのだから、素直に破棄するのが正解かと思われる。

[七]

蚊遣火(かやりび)の煙にとざす草の庵(いお)を
人しも訪(と)はば水鶏(くいな)聞かせむ

またそのまんまの陳述である。

「蚊遣火の煙でとざされた庵に、

人が訪れたら水鶏を聞かせよう」

さんざん順に叙述を連ねたあげくに、「水鶏聞かせむ」とは何のことだろう。着想のユニークも何もない。何々「水鶏」ですと、さすがでございます、くらいの着眼点では歌うべき意味だってないのである。子規が「四,五の句に至りて調子抜けが致し候」と言うのも、叙述の連続が最後まで続くので、歌が散文化してしまっているせいである。だから効果的にフォーカスを移すべき「人が尋ねたならば」の部分がずるずるべったりになってしまい、最後まで「水鶏を聞かせましょう」とそのままの叙述で終わってしまうのだから、調子抜けするのは当たり前である。

 つまりは、「煙にとざす」の着想の面白さに己惚れて、全体的な構図の切磋琢磨に思いを致さず、ただそのまま叙述したのではないかと思われる。ただし下の句で「人が尋ねたら」とフォーカスを移して、最後に庵から離れて音声を導入して「水鶏」にスポットを当てるのは悪くない発想で、つまり全体のプロポーションは、実はそれほど悪いものではない。叙述一辺倒をちょっと回避するくらいでも、歌は全然生きてくるものと思われる。

 ただ「煙にとざす草の庵を」は効果的と言うよりは、むしろ実際にそう見えていたとしてもちょっとデフォルメされた戯画っぽくって、かえって詩情を弱めているかと思われるので、これは却下して、例えば、

蚊遣火(かやりび)の煙たなびく我が庵(いお)を
人もし訪(と)はば水鶏(くいな)答えん

大きく変えずに、最後を「水鶏答えん」にしただけでも、四句までの叙述的傾向を、虚構のための問いとなすことが出来るのではないかと思われる。つまり「水鶏を聞かせましょう」では叙述のままに終わってしまうが、その庵の場所は「水鶏が答えてくれるでしょう」という趣旨である。しかも主が居て、それじゃあ「水鶏を聞かせますよ」といった味気ないスナップ写真ではなく、シャッターを押しても、未だ人の姿なきようなイメージを表すことが出来るから、一石二鳥かと思われる。

[八]

一むらの杉の梢(こずえ)に山見えて
月よりひびく滝の音かな

 子規の非難するほどに山の遠近を、「一つの山のみ」として糾弾するべきかどうかは分からない。つまり子規の言うところ、上三句は遠き山に思われ、下二句では滝の音から急に近くなるという非難であるが、全体の構図はそれほど悪いものではないと思われる。特に後半のフォーカスの移り変わりが、視線上は月へと収斂し、聴覚上は滝の音へと収斂し、合わせて一つの景観を心情に返すあたり、決して劣った歌ではない。ただしかし「山見えて」(小学校の作文並)の言葉と、「梢」に拘ったために、プロポーションが完成されきれなかった嫌いがある。つまり「杉の梢に山が見えまして」と、たどたどしい説明に陥ってしまったわけだ。

ひと群(むら)の杉のかなたを山裾の
月よりひびく滝の音かな

このくらいでも、上の句が「月」に掛かるために、自然にイメージが下の句に収斂されていくというわけだが、ついでに上三句が月に掛かるために、子規の言うような滝の音が必ずしも「山」から響いたものとならず、距離感が定まる。つまり三句までは月の距離を求めるものとなって、滝は案外に近いところにあるのかもしれず、あるいは月より響くので、山裾と自分の中間あたりに響くのかも知れず、いずれにせよ必ずしも山より響かなくなるので、かえって好都合かと思われる。しかし、子規の取り上げた十首の中では、なかなかに秀歌とまでは言えないにせよ、まともな方の歌である。

[九]

五百重山(いおえやま)霧深からし菅笠(すげがさ)の
しづくも落つる有明の月

この場合、二句目をちょっと変えれば、立派に「しづく」への指向性を持たせた歌になるところを、「霧深からし」(子規の言うように「霧も深いようなのだが」の意味か)などとやったために、三句目との連携が途絶え、その切れた感じがかえってイメージをピンぼけにして、霧深くしてしづくの落ちるやら、どうしてそれなのに月が見えるのやら、不可思議な歌に陥ってしまったようだ。切れがあった方が名歌などと、教わったことを真に受けて失敗した感の強い歌である。霧が深いのに月を詠みたいのであれば、

「霧は深いものをそれでも浮かぶ有明の月」

(念のため、これは散文)

のように持って行けばよいし、しづくに焦点を当てたいならば、

「いよいよ深くなってしづくも落ちてくる」

と月が見えなくなりました的にまとめるべきところを、無頓着に四句と五句が乖離して、焦点を無くしてしまったという訳である。それで子規も第二句を取り上げておいて、「さるにても言葉少し足らぬやうに存候」とまとめているのである。また彼は「雫も落つる」の「も」の字が意味を持たないとも記しているが、全体の意味が独りよがりであるために、「も」の意味が、読み手に解釈しきれないのは当然である。ただ子規自身、この歌は「柿園詠草」の中にはなかったようだがと記しており、あるいは他の人の歌かも知れないので、一応注意しておこう。いずれ、この場合は極めて率直に、

五百重山(いおえやま)名残の霧も菅笠の
しづくとなりて有明の月

くらいでいいかと思われる。最後の歌。

[十]

雲かかるわたのみなかにあら汐(しお)を
雨とふらせて鯨(くじら)浮べり

 これまたそのまんまなニュースである、しかもずいぶんお粗末なニュースである。小学生新聞を思い出すくらいのものだ。

「雲のかかる海の真ん中に荒汐を

雨のように降らせて鯨が浮かんでいる」

疲労困憊の歌で、泣きたくなってくる。新聞からニュースを引っ張り出してきて、叙述のままに詠み尽くしたら、一日百歌でも二百歌でも詠めるたぐいのものである。まだ口調リズムが破棄されていないだけ、大量生産時代を迎えた言葉のガラクタよりは有意義なところがあるかもしれないが、子規の言うところの、汐がついに雨となって降り注いだ、くらいの冗談的な歌にしたほうが、よほど面白かったと思われる。

わたなかの鯨の汐を追雲(おいぐも)の
せまる港に今宵雨降る

これはしがない歌である。最後のオチにはちょうどいいくらいのものである。以上の十首を見る限りでは、加納諸平の和歌には、今日にも通じるような、教科書で習ったばかりと詠んだような弊害と、叙述過剰の傾向が見られるようである。それでは失礼。

2010/1/28

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