2010年の歌は、善し悪しの判断も付かず、ものしかたすら弁えない落書が、闇雲に羅列されているばかりである。叙し方に基本となるフォームもなく、核となるべき概念もなく、ただ記すという行為そのままに、三十一字を列ねたものが、あたりに散乱する有様だ。それは etude のもとになった草稿(というよりウェブ上の落書)を、幾つか眺めてみればすぐに分かるだろう。
縁取りの赤みの山を蝉の音(ね)の
かどわかさないで母の子守歌
意匠惨憺、何を求めて唄い継いだものか、作者の情のまるで伝わらない落書である。普通に叙してみればよく分かるが、
ふちのあたりの赤くなった山の蝉の音よ
かどわかさないで欲しい母の子守歌よ
蝉の音にかどわかされたくないほどの「母の子守歌」に、一歌内に於ける必然性などまるでなく、極めて偶然的に、転がし終えたサイコロの目を、その場に書き記したくらいの結末である。より正確に言えば、蝉の声にかどわかされたくない対象としての「母の子守歌」がちと唐突に過ぎる。上の句の叙し方も実に拙く、
「縁取りの赤みの山」
などと、夕暮の山の端を表現しようとする言葉のもてあそびぶりは、詩情を知らない愚鈍のカラスの、安っぽい修辞を塗り込めた張りぼて細工のような体たらくで、ほとんど無知な学生じみている。これをどうにか逃れようとして、
赤みさす日暮れの宵の山の端を
くゆらして鳴くひぐらしの歌
など変更するも、説明的な「日暮れ」やら「鳴くひぐらしの歌」やら、散文的な説明文の構図を捨てきれていない。端的に言えば、「暮れ」で日が暮れることは十分であるし、「鳴くひぐらし」ならば取りまとめの「歌」を含むので、このような短詩に於いては、それがある種の効果をもたらさない限り、くどくどしい表現は不要であるうえに、儚(はかな)くも詩情を削ぐといった不始末である。これにより詩文的傾向が損なわれ、解説文、説明文、つまりは散文的なニュースを聞かされるような錯覚を引き起こすのがオチである。つまりは始めより悪くなってしまったようだ。
そこで次に考えたのは、「ひぐらしの歌」ではなく、かえって具体的ではありながらも、その実虚構へと至らしめる「千のひぐらし」という表現であった。
赤みさす暮れの山辺のふちどりを
くゆらして鳴く千のひぐらし
けれども終局のところ、
「赤みさす暮れの山辺の」
もまた、
「赤くなる暮れの山辺」
と言っていることとおなじで、言葉つきを改編したとしても、安易な表現は逃れ得ないことに気がついた。もしも、
「ひぐらしに染まる夕べの山の辺の」
などと叙されていれば、まだしも効果的なのかも知れないが、そのような生かし方も思い浮かばず、遂には「しののめの」と朝に移してしまい、
しののめのたなびく雲の山の辺を
くゆらして鳴く千のひぐらし
となるまでは、さらにあれこれと煩悶するような不始末であった。
幼さのまどろみ頃の子守歌
酔いどれグラスに溶かす宵かも
ほとんど滅茶苦茶である。あるいは酔いどれの呂律(ろれつ)の廻らなさっぷりを、このようなぐだぐだの表現に塗り込めたのだろうか。そうであるならば、その結果生みなされるぐだぐだな表現を読まされる我等は、さぞかしたまったものではなかろうものを。
もし、そのような効果を詩的に生かすのであれば、完璧以上の表現を駆使して、なおかつ不体裁に整える技量が必要で、この落書がそのような能力のない者の、愚鈍の速筆であることは誰の目にも明らかである。これを散文にしてみればよく分かるだろう。
幼い頃、母のもとにまどろみながら聞いた子守歌を
酔いどれのグラスに溶かすように
聞いている宵であることよ。
つまりはこういう事であるが、始めにあげた滅茶苦茶の短歌と、今記した散文の説明書を比べてみれば、はるかに散文の方がその想いが伝わって来ることは間違いない。つまりは奇妙な表現や、言葉をこねくり回して、「まどろみ頃」やら「酔いどれグラスに溶かす」などと奮発すれば奮発するほどに、詩情を離れ、かの例の謎サークルの好むような、奇妙な表現のオンパレードに陥ってしまうのがオチである。ただそれだけのことすら、この作者は悟っていないのであろうか……これだから、酔っぱらいって奴は……
ようやく体裁を整えようとして、
幼さのまどろみに聞く子守歌
淡き思いに溶かす宵かも
あるいは
「淡きグラスに溶かす宵かも」
の方が良いかと煩悶するも、こね回せばこね回すほど、着想の定まらないあまりのピンボケぶりに嫌気がさして、遂には着想そのものを放擲し、反古駕籠(ほごかご)に放り込むこととした。つまりは採用されなかった歌である。あるいは
幼さのまどろみ満たしたほろ酔いの
おもかげに聞くなんの子守歌
くらいであれば、採用することも可能であっただろうか。あるいはそれも幻覚か。なんだか近頃、あらゆることが面倒になりつつあるようだ。
お背なよりつかもうとした満天の
星降る夜よ永遠(とわ)のぬくもり
これもやはり「満天の星降る夜」などとくどくど説明を叙した部分が、興ざめを引き起こしている例である。その初稿を、
お背なよりつかみかけてた星あかり
降りしきる夜の永遠(とわ)のぬくもり
とするも、三句、四句の「星あかりの降りしきる夜」の冗長性が気になってくる。さっそく視点を転じて、
お背よりつかみ取れない粉雪の
降りしきる夜に永遠のぬくもり
とし、粉雪へと至らしめることにした。しかし、真の難儀はここから始まることとなった。つまりは
背中からつかみ取れない粉雪が降りしきる夜
というのは、あまりにも説明的な、すなわち浮かんだイメージを詩的表現へと至らしめる努力もせずに、誰もが記せるように、散文的に叙しただけの表現を、ただ言葉数だけ整えた、かのサークル的短歌に過ぎないことに気がついて、
粉雪をつかむ仕草をあたたかく
見まもる人よ坊や抱けよ
など、母親からの表現へと変化させては見たものの、「粉雪をつかむ仕草」という安易な説明に対して「あたたかく」と陳腐な直情に訴えて、「見まもる人」に委ねるほどの、在り来たりの月並調に陥ってしまった。それを逃れようとして
粉雪の髪毛につけば不思議がる
坊や抱けよありったけして
粉雪が髪の毛につく
それによって不思議がる坊や
その坊やを抱けよ
ありったけして
前のものより、行為を複雑に絡み合わせてみることにした。しかし、最後の「ありったけして」の安っぽさが際立っている。ここは却(かえ)って、
粉雪の髪毛はらって不思議がる
坊や抱けよ変わる信号
など対象者の居るべき実景に思いを委ねたらどうだろうと考えた。しかし、最後だけ取って付けたような説明書に陥ってしまい、詩としての結晶化の果たされないまま、ニュースのようなオチを迎えることとなったようだ。ここは一度坊やへと大きく焦点を定めて、それを大きく反転させ、
粉雪の髪毛はらって不思議がる
つぶらなひとみ坊や抱けよ
とするくらいが、もっとも詩情の生きてくるのではないかと結論したのであった。
フォーカスの定まらないもの、歌うべき焦点の定まらない落書は、例えその場の情景が詳細に記されていても、ピンぼけのポンチ画には違いない。次の例はそれである。
ねえ母さん今年も庭にコスモスの
咲きます秋のひなたぼっこよ
端的に言えば、何を目的とした、何に感動した表現であるのか、さっぱり分からない。ただその時の思いを拙く叙したものとして、最低限度その人の感覚は伝わってくるが、詩文としての情緒の結晶化、抽象化が果たされていないため、つまりはたまたま字数のあった散文には過ぎず、その結果、くどくどしさばかりが鼻につくといった不始末である。これは最終的に、
ねえ母さん覚えていますかこの庭に
今年も咲きますひなげしの花
へと落ち着いた。まるでその瞬間にすらすらと言い述べたような短歌であり、始めのものと大した違いもないように思われるくらいだが、必ずしもそうではない。ここに到るまでの経緯を見てみることにしよう。
ねえ母さん今年も庭にコスモスの
咲きます秋のひなたぼっこよ
「ねえ母さん」の呼びかけに対して、
「今年も庭にコスモスの花は咲きます」くらいが一つの感慨のパッケージとしてもっともナチュラルな情感を表現しているところを、曲折を加えて、
ねえ母さん
今年も庭にコスモスの花は咲きます
(というところの)
秋に於けるひなたぼっこよ
という叙し方に、詩情を削ぐほどの説明過剰、すなわち理屈が込められている。つまりは情に於いて自然に受理する歌ではなく、その曲折の妙を楽しむという要素が前面に押し出され、作者のエゴ、つまりは着想が原形質にチロついて、聞いている者の詩情を削ぐ方向に作用するという訳だ。それならば、
ねえ母さん今年も庭にコスモスの
花は咲きますあの日見た夢
ならばまだしも、咲く花の「あの日見た夢」へと繋がるかと考え直した。毎年咲くコスモス、それが今年も咲いたところへ、かつて眺めた幼い頃のコスモス、そう、あの日の夢を思う、といった意味であるが、眺め返せば、まるで始めの粗忽を逃れていないようだ。ようやく、
母さん母さん覚えていますかこの庭に
今年も咲きます赤いひなげし
と「母さん、今年も庭に花が咲きます」という抽象化された一つのイメージに収斂することを思いついた。要するに前にも考察した、一つのパッケージとしてのナチュラルな着想へと収斂させることが、最善の道だったようだ。しかし、叙し方が定まらず、さらに紆余曲折し、最終的に、
ねえ母さん覚えていますかこの庭に
今年も咲きますひなげしの花
へと辿り着いた。それにも関わらず、朗読を行うに当たって、一度また
ねえ母さん覚えていますかこの庭に
今年も咲きます花はひなげし
の方が面白いのではないかと思い返した。しかし、要するにこれもまた「その花はひなげしである」という理屈が混入することになり、「ひなげしの花」とするときのストレートな情緒性には一歩譲るように思われ、ついに「ひなげしの花」とすることにしたのである。もっとも、どちらがより優れているのか、今もって分からない。
以上をまとめると、ありきたりな、不自然さのまるでない表現を装うということはなかなかに難しく、ついつい思いついたイメージをあれこれと歌に込めたり、体裁に曲折を加えることによって、着想が豊かになったような錯覚に取り付かれるのは、初学のもっとも単純に陥る罠であり、サークル短歌のもっとも好むところのものであり、これは作者のなかに、詩型に対する情緒表現の核が形成されきっていないのが原因である。恐らくはこの作者は、まずもっと故人の和歌を学び取り、和歌というものの概念を体得する方が先ではないか、そう思わせるくらいの混迷であった。
曲折を経ても採用されるなら、まだしも結構である。次はあまりの着想に混迷を極め、ついに失墜するに到った例である。
生えかけの手足に見せるちぐはぐの
おたま見まもるものはなんでしょう
この小学生のつぶやきにも似た、池を見たときの気分を現した初稿を、
生えかけの手足もどこかちぐはぐの
おたまを見まもる川の淀みよ
極めて短絡的に、誰もが想い浮かべるような着想でもって、おたまを見まもる大きな者へと、フォーカスを移す策に打ってでたものの、誰しも思いつく、誰しも叙し得るほどの安っぽさを逃れ得ず、
生えかけの手足もどこかちぐはぐの
おたまじゃくしよ畦にゆく水
などもてあそぶも、はじめのチープな落書から何一つ発展したところは見られなかった。この作品は、後に類似の作品があり、そちらこそ本命であるような気がして、ついにはこれを捨て去ることとしたのであった。あまりにも類似の作品であるから、あるいはそちらと融合したと考えることも可能である。
生えかけのおたまじゃくしのちぐはぐな
ちぐはぐおどり畦にゆらめく
普通の語り口調と、律文的抽象化を果たした文体と、どちらが良いか、定まらない場合も珍しくない。
肩寄せてどこまでいきます二人して
いつかはひとり歩むあなたよ
まったくもって語り口調の歌である。散漫ではあるものの、その感慨は文体と融和して、不自然なところはどこにもない。しかし
「肩寄せてどこまでいきます二人して」
では日常の語り口調の範疇から一歩も逃れ得ず、従って結晶化されべき詩的表現には乏しいように思われる。そこで、意味はそのままに言葉の叙し方を模索し、
肩寄せてどこまでいこうか二人して
いつかまたひとり君は旅立つ
などと考えるも、始めの素直な感慨よりも、かえって理屈っぽくなってしまい、詩情性に於いては後退現象を引き起こした。それを逃れようとして、
肩寄せて歩いていきます君と僕
羽ばたくときの予感こめながら
つまりは、素直な語り口調に鳥のイメージを込めるくらいの、しかし理屈や着想の前面に現れない、嫌みのない歌へとようやく辿り着いた。
しかしその後、
「羽ばたくときの予感こめながら」
はちとルーズ過ぎるのではないかと思い直し、
肩幅にあゆむリズムも僕たちの
いつか違える時は来るかも
など古歌の文語体の傾向を幾分か取り入れてみれば、何となく和歌めくような錯覚に捕らわれて、私はつかの間はしゃぐ程の醜態へと陥ってしまったのである。さらにその後、「僕たちの」などの無頓着の現代文的な説明書がはなはだ興を削ぐので、
肩幅にあゆむリズムもほほえみも
いつか違える時は来るかも
へと辿り着いた。
しかし読み返してみると、少しも「二人の違える時の来る」という感慨が心に響いてこない。つまりはレトリックのみの虚言へと落ちぶれてしまったらしい。それで始めの語り口調と、後から生まれた和歌的な表現との折り合いを付けて、
肩幅にあゆむリズムもほほえみも
いつか違えて君は旅立つ
へと逢着した。果たして、以前の
肩寄せて歩いていきます君と僕
羽ばたくときの予感こめながら
に対して、心情に対してどちらのほうが誠なのか、どちらが詩的表現としてまだしも結構なのか、わたしには今もってよく分からない。ただ、読み返せば読み返すほど、「予感こめながら」の率直さに引かれてしまうのは、この歌の推敲の失敗を意味することにはなるのだけれども……
僕にもねえ日だまりくらいの幼さが
あったはずだね褪せたアルバム
おさな日の喜びに満ちたアルバムも色あせて、年月の果てのこころの哀しみを慨嘆(がいたん)する歌を、幼さとたわむれるような言葉つきで記すのはいいとしても、
「僕にもねえ日だまりくらいの幼さがあったはずだね」
はちと甘えすぎである。そう思って、語り口調を改変し、
僕にもいつか日だまりくらいのやさしさが
あったはずだね褪せたアルバム
として「僕にもいつか」とわずかに客体に眺めてみればまだもの足りず、日だまりくらいのやさしさに対して、より枯れ葉めく思いを込めようと思い立ち、
いつかの僕日だまりみたいな優しさも
あったのでしょうかいちょう散ります
としてみたものの、非常に理屈っぽくなってしまった。特に「優しさもあったのでしょうか」とわずかに引いたため、「あったはずなのに」という思いは遠ざかり、「僕にもいつか」を「いつかの僕」と客体視したために、主観的なつぶやきが、中途半端に主観から乖離して、詩情にマイナスに作用しているためらしい。このような場合、中途半端に直情に寄り添った立場を逃れ、写実的傾向のうちに、主観を宿した方がうまくいくのではないかと思い直した。
おさな日の日だまり公園のはしゃぎ声
あの日みたいないちょう散ります
しかし、
「日だまりの公園にはしゃぎ声がしていちょうが散る」
というのは焦点の定まらない文脈である。つまりは構図とピントにぶれがあり、読み手に何をこそ伝えたいのか、そこがはっきりしていない。ただ自分の思いついたイメージを箇条書きに並べたようなもの、つまりはサークル短歌お得意の構図であるから、大いに推敲の余地がある訳だ。
おさな日のいちょう広場のはしゃぎ声
あの日みたいな風に散ります
とすれば、「公園のいちょうが散ります」がメインで「わたしの幼かった頃のようなはしゃぎ声がする」がその舞台となって、構図が定まるように思われた。だが「風に散ります」は当たり前すぎて、ちと興ざめを引き起こすようだ。そう思って、
おさな日のいちょう広場のはしゃぎ声
あの日みたいな風のたわむれ
と変更してみたが、まだしもしっくり来ず、下の句をどうしたらよいものか、散々に思い悩む週末を迎えた。順番に挙げてみるだけでも、
忘れたくない回り道かも
あの日の午後の回り道かも
あの日見た夢思い出させて
思い出された仕事帰りよ
せっかく構図の定まりかけたはずだったのに、いずれも
「あの日みたいな風のたわむれ」
より大いに後退して、くどくどした説明書へと陥ってしまったようだ。
今考えると、「いちょう広場」という言葉を使い始めてから、歌の全体的傾向が、「いちょうが散る」ではなく実は「子らのはしゃぎ声」にこそピントを定める方向に梶を切っているのを、無意識に感じ取って、「風がたわむれる」などイチョウにスポットを当てた表現では無く、「あの日を忘れたくない」というような「はしゃぎ声」に対する思いへとシフトさせようとしているものの、うまくいかずに、あれこれと煩悶しているというのが、この改変の失策に繋がっているらしい。ようやく、
おさな日のいちょう広場のはしゃぎ声
忘れたくない今日は回り道
となった。これにより「いちょう散ります」は大いに背景に埋没し、「秋の広場の忘れたくないはしゃぎ声」にスポットを定めた訳だ。しかし、結句(けっく)がどうも落ち着かず、
「今日は日曜日」「午後のやすみ日」
などとさ迷って、
おさな日のいちょう広場のはしゃぎ声
忘れたくない今日のやすみ日
へと辿り着いた。しかし「日」の三つ込められているところからも、全体が「その日」に対して、やけにくどくどしくなってしまったらしい。これは朗読してからようやく気がついて、また悩み抜いたあげくに、ようやく
おさな日のいちょう広場のはしゃぎ声
忘れたくない今日は遠まわり
という、一見無難な発想へと落ち着いた。これは「今日は回り道」と同じ発想だが、「回り道」では状況を説明した傾向が強いものの、「遠まわり」ならより主体的に活動したという動作的傾向が強まるため、詩情が生きてくるように思われたためである。つまり「回り道」では、迂回すべき道を示しただけで、「回り道をしよう」という表現にしても、それを間接的に主観へと置き換えたものに過ぎないが、「遠まわり」は「遠くをまわる」という自らの行為、すなわち主観により近く、そのため、
「あの頃のはしゃぎ声を忘れたくない」
という主観と寄り添って、全体に詩情の保たれた歌となっているように思われる。つまりは例の、主観なんだか、説明なんだか、感想なんだか、ニュースなんだかよく分からないような、サークル言語のちぐはぐな表現には陥らずに済んだのではないだろうか。
おなかすいた犬の尻尾の侘びしさを
蹴りつけにして誰の憂さ晴らし
このような初稿が比較的整っているのは、表すべきイメージが明確に定まっているため、ぶれが起こらないためかと思われる。そうであるならば、あらゆる歌をものするに際しても、明確な構図を定めてより始めて歌いださなければ、わたしは怠惰の落書を、後になってからひたすら改編する煩わしさから逃れられず、巧みな和歌など到底歌いようがないのではないか。そんな思いさえして来るくらいである。ただし、始めの客観的な描写を、すぐに主観へと置き換えたがるのは、未だにこの作者が、安逸な直情主義を捨てられないためなのであろうか。すなわち、
人恋しさ隠しきれない野良犬を
蹴りつけにして誰の憂さ晴らし
と「誰の憂さ晴らし」に蹴られた犬が「人を慕った」犬であったという対比へとデフォルメを強めた結果、始めの「わびしさを」より大いに主観主義を邁進(まいしん)し、そのため遂に
淋しさにしっぽ丸めた犬っころ
蹴りつけにしてなんの憂さ晴らし
へとまとめられることとなった。もちろん主観主義が悪いわけではなく、主体客体その狭間のさまざまなものし方すべてには、それぞれの善し悪しが存在し、巧い表現も拙い表現もあり得ることは、改めて言うまでもない。ただ、始めのものよりも幾分「甘ったるい」作品に仕上がっていることは、逃れられない事実である。ただし、これと同種の(ほぼ同一の)歌が後にあるために、そちらはより客体的にものして、この二つをパラレルの歌とすることとした。その歌は、
おなかすかせてすり寄る犬の痩せ腹を
蹴りつけにして誰の憂さ晴らし
であるが、あまりにも類似性が強いため、ついにはこの後の歌を採用し、「淋しさに」の歌は、甘ったるいが故に破棄することと相成ったのである。ここでは客観主義が勝利を治めたようだ。
唇の触れてこぼれる余韻さえ
木枯らしと散るなんの疼きよ
はなはだしく独りよがりで、「唇の触れてこぼれる余韻」なるもの、何を表現したものか、おそらくは「くちびるが触れ合って引き離された後の余韻」という意味であろうか。次の「木枯らしと散る」は比喩であり、そのような触れ合う人との恋が散った後に「なんの疼き」が残るという歌らしい。それはそれ、いにしえの和歌調を導入して体裁だけは整えられているが、読み返せば読み返すほどに嘘くさく、到底失恋した人の「疼く」思いなど伝わってこないこと、ほとんど殺風景と言っていいくらいである。その理由は、恐らくは文脈が説明的な叙し方を逃れていないためかと思われる、すなわち理屈、あるいは散文的なニュースである。
唇が触れ合ってこぼれた頃の余韻さえも
木枯らしのように散り去って残るなんの疼きよ
「なんの疼き」を生みなした着想を、順番に説明しているばかりで、
余韻さえこぼれて戻らぬくちびるの
などスポットへ思いを収斂させ、あるいは倒置を行うなど、語り口調が心情に作用するための効果的な言いまわしにはなっていないため、散文の解説を聞かされるおもむきが、初稿を覆い尽くしている。ようするに、この着想は、より主観的にものした方が良さそうだと考えて、
唇の触れあう頃のぬくもりを
木枯らしと散るなんの疼きよ
などものしてみるも、安易に「ぬくもりを」などと直情を込めたために、抽象性、象徴性に勝る古文調とかみ合わなくなり、
君の指さき触れあう頃のぬくもりを
落ち葉散らしてなんの疼きよ
遂には、古文でも現代文でもなんでもない、滅茶苦茶の落書へと陥ってしまった。けれどもここがターニングポイントとなり、ようやく現代的な語りかけによって、感慨をまっとうしようと思い直し、
あなた色のくちびるみたいなエピソード
からすうり見てたこころ疼くよ
とすることとしたのである。しかし「からすうりを見ていたこころが疼く」というのは、やはり説明的傾向に勝っているようだ。そこで、
あなた色くちびるみたいなからすうり
ぼんやり見てます宵のエピソード
と改変するが、
「あなた色のくちびるみたいなからすうりをぼんやり見ています」
とその場に語りかけた様相が極めて強いものを、急に抽象的に突き放しに掛かる「宵のエピソード」は、かえって詩情にそぐわない。そうであるならば、下の句を「風が変わり目に吹けばからすうりは揺れ、それはまるでこころに揺れるあなたのくちびるのおもかげのようだ」といった意味に、主観と実写を混合させて、全体のバランスを取って、
あなたみたいくちびる色したからすうり
こころに揺れる風の変わり目
としたらどうかと思うに到った。
これらの推敲は、別に難航を重ねたものを抜き出したものではない。落書に残された初稿から順番に九つを抜き出しただけのことである。つまりこれらの短歌は2010年のある春の日に、酒に酔いながら、恐らくは三十分も掛けずにキーボードに打ち込んだものを、2011年の秋になって改変をしたときのプロセスを、初稿一日分だけ書き記してみたに過ぎないのだ。つまりは、このような精神をすり減らす、くどくどしい推敲に推敲を重ねて、ようやくわずかな作品に仕上がったというのが、「 etude 」と題された短歌群の全体像である。
上の例では、まだしも九つのうち七つは最終稿に採用されているが、これはむしろ開始部分ならではの例外で、怠惰の落書の恐らく半数以上は、推敲を待つでもなく、一読するなり破棄せざるを得ないほどの代物であった。つまりは歌い方などまるで弁えていないのに、思い立つなりその場でひと筆書きを連ねたのが、2010年の歌の実際であったのだ。その遺棄された例としては、たとえば初稿の落書の開いたところから、順に列挙しただけでも、
鳴き音してあらぬ仕草をほととぎす
なぐさめみたいな歌に満たせよ
陳腐の題材を陳腐に読んで、しかも上の句のはなはだ意味不明瞭な、手の施しようのない駄歌である。あるいは、
秋影を夜ごと身に染む夢にさえ
恋しき人をいまは浮かべず
「秋のさみしい夢にさえ恋人は出てこない」
くらいの陳腐の題材を、ストレートに表現するならまだしも、中途半端な古歌を猿まねして、しかも「いまは浮かべず」などという、馬鹿馬鹿しい屁理屈に陥った、つまりは言葉をこね回しただけの駄歌である。さらには、
答えては暮れぬの原を赤々と
染め散りやまぬ紅葉なりけり
失笑を誘う古歌の猿まねに加え、「答えては暮れぬの原」などといった団塊世代の下劣な駄洒落を取り入れて、青ざめたうらなりの失笑を誘う駄歌まで横たわっている不始末だ。そうかと思えば、
お話しをしてくださった炬燵部屋
あたたかなのはこころでしたっけ
語り口調はまだ自然なものの、あまりにも散漫、ルーズ、ほとんど詩文にして残すべき価値もないその場の感慨を、書き記しただけのものも多い。もっとも、このような作品は、おしなべてこの作者の傾向であり、本質であるには違いなく、そうさげすむものでもないが、それにしても、もう一捻りくらいなければ、詩文になど成りっこないことは明らかだ。
このような過ちは、けれども素直に笑って済ませられる失態である、この時期にもっとも多いのは、古語調とも古歌の物真似とも成りきれない、言葉をもてあそんだだけのいびつな貝殻が、貝塚を埋め尽くして転がっている不始末で、前に挙げたのもその例であるが、さらに一例を上げれば、
せせらぎを隠し草かげかすれ灯す
ゆき人忍べ風の蛍よ
のような、ほとんど訳の分からない駄歌が、所狭しと行間を連ねているのは情けない。これに×を付けるのさえ、涙ながらの手作業であった。特に夏頃になると、この手の言いこなしを探求して、いっそう不可解に陥るものが多くなり、それと同時に、精神的に下方変位したものが目立ち始める。これは同時期の精神の状態を示したものとはいえ、マンネリズムじみた堆積平野をとぼとぼ歩くくらいの同一趣向のオンパレードだ。そのような、変な言いまわしの下方変位の歌の例を幾つか挙げるなら、
ひと言の愛を求めて人切りの
悲しみ知らぬ城の石垣
梅雨だれの霧雨止むと降るとなく
終わり間近の紫陽花しずくよ
かたつむりのどか潤す雨粒の
落としこころを思う我が身よ
どんなにも叫び声して答えなく
真っ暗闇のみ夜ごと迫るを
だらしないとお叱り受けてなお辛く
自らを処せぬおのれ侘びしき
など枚挙にいとまない。もちろんすべて脚下されたが、とうちゃん情けなくって涙が出てくるくらいの不甲斐なさである。
わたしは俳句よりも短歌の方が、自由に述べられる幅の分だけ、たやすく詩的表現に結晶化される詩文形式であるように錯覚していた。けれどもそれは違っていた。詩文を詩文として結晶化させるには、その表現を動かない状態にまで至らしめる、つまり絶対的に最適な表現へと至らしめる必要があるのだが、言葉の動く幅も、全体の構図も文脈も、俳句よりも短歌の方が遙かに大きく、つまりは冗長であるがゆえに、それを類い希なる結晶へと至らしめるための作業には、大いなる困難が伴うものらしい。
「 etude 」以前の作品もそうであるが、すくなくとも自らが完成したと考えるまでの推敲の行程が、あまりにも煩瑣な手続きを要するのは、つまりは始めに示した例のように、改訂に改訂を重ねてようやく辿り着くような有様であるのは、この作者が未だ和歌の形式に於ける「ものし方」について、十分熟れていない証拠である。恐らくこの作者は、自らの落書に専念するではなく、古典の取り込み作業にこそ邁進すべき位置に、茫然と立ち尽くしているのではないだろうか。今こそそのような己を認識し、取り込み作業にこそ全力を傾けるべきではないだろうか。この事だけが、おおよそ「 etude 」に含まれるの作品群を眺めたときの、唯一の感慨である。問題はこの人物の、惰弱を極め、怠け心に生きがいを見いだすほどの精神で、はたしてこの人物の歌に、将来性あるや無しや、はなはだ疑問とせざるを得ない状況ではある。
(おわり)
2011/12/7