返信ありがとうございます。現時点であまり考えを詰めすぎず、まずは先に進んだらどうだというご意見、ごもっとものことと思われます。すこし思いが先走り過ぎたのかもしれません。古語調の許容範囲の一般論への還元なども、未来へと保留して、今は拘泥しすぎないで、とりあえず見つけた書籍を頼りに進んでいこうかと思います。考えてみれば、まだ第一章にすら踏み込んでいませんでした。たしか、序章で躓いたようです。けれども、現代短歌の傾向を改めて眺めることが出来たことは、かえってよかったように思うのです。
また、一般的な口語調短歌やら、ネットでのことも、まるで知らないわけではないのですが、すべてを把握できないものの、叙述的傾向にある本質は変わらなかったり、語られずの落書きを持って、無意味なオシャレを気取ったり、かと思えば、川柳のように、残すべきなんの価値もない落書きになってしまったりと、そちらはそちらでいろいろと問題があるらしいのです。それに今のわたしは、そのようなものを覗いている場合ではないと思われますので、今回こそはおしかりを受けないように、書籍の内容に移ろうかと思います。
まず、比喩やら対句、倒置など、現代文でもおこなうような修辞法は、別に和歌の技法ではないので割愛しますが、限られた字数の中で、より豊富な思いを込めようとするとき、和歌には重要な二種類の技法があります。
それは、
ある言葉に「掛かる」技法と、
ある言葉に二つの意味を「掛け合わせる」技法です。
「流れの速き川」だって、「流れの速き」が「川」に掛かって説明を加えているのはもちろんのことで、私たちの文脈は絶えず、次の部分に掛かりながら表現を行っていくものですが、特に歌全体の脈絡よりもなお、ある特定の言葉に掛かって修飾を加える言葉が、修辞法となって後世に残されました。全体の文脈との関わりが強くなると、独立した修辞部分とは見なせなくなりますから、必然的に歌の意味と関わりなく、ある言葉にかかる定型的修辞法の役割を担うことになります。
[一]枕詞(まくらことば)
・もともとは長歌など叙事詩的な、あるいは詔のような詩文を形成するに際して、字数を整えたりするような慣用句であり、同時に掛かる言葉を褒めたり、怖れたり、崇めたりするような儀式的な要素を多分にもっている言葉です。また地名について、その地を言葉で讃えるようなものも多いのが特徴で、多くが五文字の言葉で、五七五七七の「五」の部分に置かれ、ある名詞を修飾する慣用的表現です。その一方で、万葉集などの隆盛時に多用されたために、後になって慣用句となったものも多く存在し、そうしたものは、多分に本来の言葉の意味を保ったまま使用されているのです。
例としては、学校でも習いますが、
「ひさかたの」と詠んで「光」に掛かるようなものです。
[二]序詞(じょことば)
・やはり、歌全体の内容をしばし留めつつ、(歌における時間をストップさせると言えるのでしょうか。もうちょっと考えてみる必要がありそうですが)、ある言葉を修飾的に説明する言葉で、先の枕詞が、「これが出てきたら次は……」という、慣用句としての効果を利用したものであるのに対して、序詞は「ある言葉を説明する」という効果自体を利用した修辞法になっています。それがゆえに、枕詞と同じくらいの長さのものよりも、二句に渡るもの、三句に渡るものなどが好まれ、本来の訴えたいこととの間の、場面転換、情景の移り変わりを魅力的に演出するするのです。例えば、これは冗談の歌ですが、
「夕べみた浅間の噴火の溶岩の」
と序詞を詠んで、次の言葉に掛かりながら、
「怒りと思えば我慢も出来よう」
といった具合です。
[三]掛詞(かけことば)
・広く考えれば、二つの意味を掛け合わせたすべての言葉が、いわば掛詞的であり、
「虫の音の響き渡るような嘆きさえ、
わたしはなおも思いわずらう」
とすれば、同じ意味ではありますが、「嘆き」は上の句にも下の句にも関係してくるので、二重の意味を持っていると言えます。けれども、これはありきたりの言語生活にも行われるもので、改めて修辞法として取り上げるまでもないものですから、修辞法としての掛詞は、
「二つの異なる意味を一つの言葉のなかに掛け合わせたもの」
と考えることになります。しかもその二つの意味は、どちらも文脈と関わりを持ってくるのです。また冗談の歌で説明しますと、
「ゆう君がおもちゃ投げてる窓辺から
早くもあきかと眺めのとんぼよ」
(「秋」と「飽き」を掛けたもの)
といった具合で、この二つの「あき」の意味は、「ゆう君が飽きた」ということも「秋かと眺めるとんぼ」ということも、文脈として生かされているという訳です。
[四]縁語(えんご)
・こちらはもっと周辺的な修辞法であり、気がついた人がなるほどと思うくらいのものなのですが、つまり歌のなかのいくつかの言葉を、一つのイメージへと収斂するために、ある対象物を思い起こさせる言葉を、効果的にもとの意味に織り込むという方法です。簡単に眺めれば、
「萌えの頃を覚えていますか夕焼けの
今は枯れ葉につどう焚火人(たきびびと)」
では、「燃え」「焼け」「枯葉」「焚き火」が縁語となっていて、そのうち「萌え」が「燃え」になるところではいわば掛詞的な二重の意味が込められているという訳です。しかし掛詞が、どちらの意味も文脈に関わってきたのに対して、縁語の言葉のイメージの連鎖は、決して本文へは介入をなし得ません。ただ気がついた人のこころに、そうしたイメージが副次的に浮かんでくるくらいのものなのです。
そのうち、書籍の第一章に記されているものが、枕詞ですが、実は現在に使用する用法としては、必ずしも重要なものではありません。というと語弊がありますが、今日和歌を作るにおいては、周辺的な技法と考えて差し支えありません。この技法は、先ほど見ましたとおりに、ある言葉を導くために、
「光」の前に「ひさかたの」を加えて導く、
「母」の前に「たらちねの」を加えて導く、
といった修辞法ですが、おそらくは短歌形式が和歌の主要形式となるより前、蓄積されてきた長歌などの、長々と連なる歌詞(かし)のあいだを取り持ち、また定型句の登場によって心的なリズムを整え、同時に効率的にある言葉を導くための、特徴的な表現として生み出されたものが、はなはだしく慣習化した後に、万葉の頃には慣用句くらいに残されたものかと思われます。
これは推測ですが、一定の調子(例えば七五)などで長く歌いつぐ場合、「光」「日」「天」「神」といった短く、しかもしばしば登場する重要な言葉を、効率的に提示するために、その言葉と合わせた、詩文に合う長い単語のようにして、繰り返し使用するうちに生み出されたもので、同時にその言葉を褒めたり怖れたりするような、いわば「崇め言葉(あがめことば)」として慣習化したものではないかと思われます。
「崇め言葉(あがめことば)」とは、つまり「神」は常に敬うべき存在でありますし、「光」には喜ばしく絶対的な力が、「夜」には畏怖の念が、それぞれに付きまとうといった心情を、この書籍流に説明すれば、ある種の呪文のように唱えながら、敬いつつも字数を整える効果を担っているのです。
このような慣用句の派生は、イーリアスやオデュッセイアの慣用的表現の技法を思い起こさせますが、短い短歌形式の隆盛を極めた時代よりも、長歌や詔(みことのり)などが重要な歌謡であった時代からの、ふるき伝統の継承を強く感じさせます。古事記のなかにも、地名の由来に関する記述などが結構ありますし、地名を言祝ぐ(言葉を持って祝う)というような意味もあって、地名に付く枕詞もまた、多く存在するのかもしれません。
一方では、慣用的表現ですから、言祝ぐほどの意味もあまりなく、もとの意味のままに、歌の定型として使用されるに過ぎないものもあります。特に短歌時代の慣用表現的な枕詞には、そのようなものが多いようです。
今日でも例えば、皆さんがたゆまずの精神を持って、
「指うちの携帯」
などという表現を、交互に使用し続けていったら、いつの間にやら「指うちの」が枕詞になってしまったというような、皆で言葉を共有する喜びのようなものも、当時の和歌社会にはあったことでしょう。特に万葉集頃の似通った和歌を眺めていると、かえって真似や類似表現の美味しいとこ取りを、交互に楽しむうちに、総体として優れた表現が、優れた和歌が生まれてくるのだというような、言葉の共通財産的な意識を、多分に感じさせてくれるのです。
実は、一個人のイマジネーションなんて、天才一人にしたって大したものではないのです。たとえば、自分の長編作品のほんの片言ばかりを、歌詞に取られたと吠え立てるような小説家が、もしこの世に存在したならば、どれほど社会にとって、有害であるかは言うまでもありません。まさか、今日の人間が、そこまで稚拙で劣等に落ちぶれたとは思いませんが……
話を戻しましょう。枕詞の古層がかなり古いものであるために、そのような言祝ぐたぐいの枕詞は、万葉集の作られた頃にさえ、多分に意味の損なわれた慣用句の様相を濃くしていったことと思われます。そのために、書籍に記されたとおりに、文脈に溶け込まないある種の違和感を持った言葉として、和歌のなかに存在することになります。そのようなものは、例えば「光」の登場を、何だかよく分からない仰々しさ、というか儀式っぽい厳かで促すことによって、全体の和歌の調子をより様式化することによって、抽象性を高めることに寄与するのです。例えば、有名な、
ひさかたの光のどけき春の日に
しづ心(ごころ)なく花の散るらむ
この「ひさかたの」は、単に光を呼び込んでいるだけではなく、下の句の思いが、何気ないふとした感想ではなく、もう少し観念的な様相を深くして、思いをいたしたような雰囲気を、間接的に表現してもいるのです。つまり、
「しづ心なく花の散るらむ」
という感想を、日常的感情から引き上げる効果をも担っているのです。そのような効果をわきまえないと、
たまきはる命かなしと午後二時の
暑き石橋日本橋をわたる
のような滅茶苦茶な「たまきはる」が出発進行を企ててしまう悲劇にも見舞われることになります。つまり「たまきはる」で日常感情からすくい上げ、上方からの眺めへと変わったはずの視線が、くどくどしい叙述の説明によって、奈落の底へ転落してしまう姿をのみ、この短歌からは読み取ることが出来るからです。
このような儀式的効果の高い枕詞がある一方で、「もみじ葉の→過ぎ」などのように、まさに慣用表現じみた軽い表現の枕詞もあるのです。
さて、書籍から、
修飾する言葉を、枕詞
修飾される言葉を、被枕(ひまくら)
と呼ぶのだそうですが、この「枕→被枕」の関係と、被枕以降の文脈が関係を持たないところに特徴があるようです。もっともこれは当たり前ではあります、だって、
「もみじ葉の過ぎゆくのを川辺に眺めていました」
では、そのまま「もみじ葉」が過ぎゆくのを眺めていたことになってしまいますから、普通の文脈になってしまい、枕詞でもなんでもなくなってしまうのです。「ひさかたの」だってそうです、
「ひさかたのと言ってみましたわたくしは」
としたら、その「ひさかたの」は枕詞でもなんでもないという訳なのです。けれども、
「もみじ葉の過ぎゆく秋は悲しかりけり」
などとすると、秋までの文脈において自然ではありながら、必ずしも「秋は悲しかりけり」の思いとは、直結しなくてもいいようなアンニュイが生まれてきます。これをさらに、
「もみじ葉の過ぎゆく年ぞ悲しかりけり」
とすると、「過ぎゆく年」と「もみじ葉」とが乖離して、「もみじ葉」は完全に「過ぎ」を慣用句として修飾したものとなるのです。もちろん慣用句であるかどうかは、ようするにその時代の他の歌々のあいだで、使用されていたかどうかによって定まり、もし慣用的表現でないとすれば、それは序詞になるのです。
「砂時計の過ぎゆく秋は悲しかりけり」(序詞)
さらに書籍からの引用をしますと、
「枕詞は、崇めたり、怖れたり、憧れたりする対象の登場を促す言葉ということができるだろう。もう少し正確にいえば、これから現れ出る言葉(被枕)が、畏怖・崇敬の対象にほかならないという予感を、その場に満ちあふれさせる言葉である」
と記されています。そうして、文脈に溶け込まない言葉が、異質なものとして登場することによって、次の言葉を予告する、ちょっと舞台掛かった装置になっているというような内容が書かれています。
そうだとすると、現在短歌を作るべき私たちにとって、まだしも共通で使用されていたという伝統すら、すっかり途絶えたところで、ただ枕詞辞典などを引用して、これを真似するのは、甚だしい言葉のお遊びに陥る可能性を多分に秘めているのです。それはあの「たまきはる」の一首を思い返していただければ十分かと思われます。
それでいて、そのリスクの割に、得られる効果に乏しいということにもなるのです。なぜなら、もはや共通に使用していた文化圏が廃れてしまいましたから、あまり知られない枕詞ばかりもてあそんでも、かえって読みづらいばかりになってしまいます。
それでいて、枕詞は学校のお勉強みたいに教えて貰って、習得する知識ではありません。歌を作る広範な人々が、共通の表現として弁えることによって、始めて詠み手にも聞き手にも伝達可能な符号となって、かつては使用されていたものなのです。だからこそ、どのような場合に使用すべきかという共通の意識が、「午後二時の」のような「たまきはる」を作ることを許さない土壌を提供していたのです。単に光のあたまに「ひさかたの」をくっつけて詠っている訳ではないのです。
ここで二つのことが起こります。まず枕詞の知識や、古文の知識がまったくない現代の人々は、この謎の言葉の登場をもって、むしろ「何だこりゃ」と興ざめいたし、一方、古文の知識をある程度持った知識人には、「こんな表現があってたまるか」とサークル枕詞に興ざめを起こすばかりなのに、サークル歌人ばかりは意気揚々として、
たまきはる命かなしと午後二時の
のような泣きたくなるような、超絶技巧を繰り広げるわけです。
その一方で枕詞がなくても、必ずしも和歌の表現に差し障りがないことは、今日からみればほんの慣用句くらいにしか、みなされない点からもおわかりかと思われます。
つまりは枕詞を生きた言葉として守りぬく集団(もちろん謎サークルとは別のものです)が無くなった今日からみれば、それほど重要かつ効果的な表現では無いのです。ですから学生などに、沢山の枕詞を覚えさせたり、まして現代文に「母」やら「光」が出てきたからといって、あたまにぽこりと乗っけさせたってしかたがないのです。むしろ過去の和歌を覚えた後で、ここが枕詞と説明できるくらいで十分なのです。
けれどももし、古文の和歌の美しさに気がついて、それを次々に覚えるうちには、いつしか擬古文の自然な枕詞を、すらすらと唱えることが出来るでしょう。あるいは現代文の中にさえ、それを織り込むべきすべを見いだすでしょう。そうなったときは、その人は始めて枕詞を使用したらよいのです。サイズに合わないあたまに無理矢理乗せること、それだけは避けなければなりません。
こうして意義が定まった後で、理論と行為は必ずしも完全一致をみないものですから、通人に訴える表現とか、ちょっとユニークな表現を求めて、枕詞の世界に足を踏み入れてみることは、和歌を楽しむ人々にとっては、まったくマイナスなことではありません。それは現代にとって重要な表現ではありませんが、依然として魅力的な表現には違いないからです。ただその際には、やはり黄金時代の精神をある程度わきまえて、違和感の演出という書籍にある意味を吟味したほうがよいでしょう。特に失笑を催すたぐいの冗談に陥るということだけは、避けなければなりません。それでは短歌ではなく、ただの駄文になってしまいますから。
例えば、
ひさかたのひかりを浴びて庭草も
喜びくらいの春はすぐそこ
くらいの抽象的表現には結びつくかもしれませんが、
ひさかたの光照らした電灯の
まぶしさあふれて御飯おいしい
などと、日常の叙述をおこなってしまうと、途端に「たまきはる」の様相を帯びてくることと思います。ただし、黄金期を弁えるとは、それに思いを致すくらいの意味であって、なんでもそれに乗っ取って詠うべしという意味では、もちろんありません。
ひさかたのひかりを浴びたら嬉しくて
ぽちの散歩も今日はとおまわり
一つ前は拙い歌ですが、こんな風に歌うと、「ひさかた」の借用の意味がまた変わってきます。「ひさかたのひかり」と昔は歌われたような光を、といった意味がこっそり暗示されます。しかも、光は抽象的な上の句のみにとどまるので、一つ前のような破綻をしないのです。
すべての歌は、過去の踏襲ではなく、未来へ向かうものです。これは、過去の文体に乗っ取った場合にもそうなのです。そうして過去を知っていればこそ、お勉強のついでに使ってみましたような、硬直した表現から逃れて、その一方で、過去の和歌集団の伝統とはまた違った、新しい枕詞をすら、楽しむことが出来るかもしれません。
そんないい訳をしておいてから、私はいくつかの枕詞を試みてみるのです。そう、軽蔑したものでもありません。
(ちはやぶる→神)
ちはやぶる神の行き交うこの山を
駆け抜けるとは冬の木枯らし
(ひさかたの→天・日・月・光)
ひさかたの月もすがたをしのぶ夜の
墓に語らう若き人影
(あかねさす→日・昼・紫)
あかねさす日だまりくらいのまぶしさを
忘れたくない夜の病室
(あしひきの→山)
青々と燃える炎はあしひきの
山また山を馳(は)せるカワセミ
(ぬばたまの→黒・夜)
ぬばたまの夜の波間をちらちらと
呼ぶものの影知らぬ漁り火
(あらたまの→年)
あらたまの年の宴を高らかに
告げます乙女ぼくの恋人
(たまきはる→内・命)
老い果ての猫のなみだもたまきはる
いのちをかえす冬の砂浜
(たらちねの→母)
たらちねの母のいのりを夕月の
かなたにながめるシベリアの冬
(二〇〇九年八月三〇日)
2010/2/23