お久しぶりです。さすがに、覚えながら進んでいますから、少々手紙をさし上げるまでに時間が掛かってしまいます。
だいぶ秋めいてきました。わたしのマンションからの眺めも、ここは決して済んだ大気の望むべくもない所ではありますが、澄んで赤らむくらいの夕焼け日和が、増えてきたような気配です。それにしても、夕暮れは秋というよりも、このあたりでは、本当は冬にならないと澄み渡るような夕日には出会えません。そんなときは、ふるさとわずかに恋しかりけり、といった気分です。
さて、今日は「第三章」の「掛詞(かけことば)」についてです。これは私の歌ですが、書籍の説明に従って、
夏川の淀みもなくて流れゆく
涙まかせの恋もあります
と「涙」が同じ意味のまま、上の句にも、下の句にも二重に掛かるようなものを「広義の掛詞」と考えてもよいでしょう。しかし、和歌の修辞法としての掛詞は、二つの別の意味で重なり合うものです。
それでは、掛詞が発達した「古今集」のなかから、時代を三つに区切って見ていきましょう、といのが書籍の解説です。わたしたちもちょっとだけ、それを追ってみることにしましょう。
まずは「読人知らず時代」の掛詞です。
篝火の影となる身のわびしきは
ながれて下に燃ゆるなりけり
(篝火の川面に映る影となってしまったような侘びしさは、流れては下に燃えるばかりなのです。そうして水面に映る我が身のつらさ。涙は流れ落ちて、それでもなお燃えているばかりなのです。)
「ながれて」が「流れて」と「泣かれて」の二重の意味を持つばかりではなく、文脈自体が、それによって二重の意味を付与されているのを見ることが出来ると思います。簡単にいうと、
「ながれて下に燃ゆるなりけり」
が、
「流れて下のほうに燃えている、篝火の影」
とも捉えられるし、
「涙が流れ落ちては、まだ燃えている、我が身のわびしさ」
とも捉えられるのです。
次ぎに「六歌仙時代」の掛詞です。六歌仙とは「古今和歌集」の序文のところで、やんちゃものの紀貫之が、言いたい放題に批判している、貫之の一つ前の代表者たちの時代で、有名な小野小町の歌も、そこには収められているのです。
花の色はうつりにけりないたづらに
わが身世にふるながめせしまに
ここでは「ふる」に「降る」と「経る」の意味が、「ながめ」に「長雨」と「眺め」の意味が、それぞれ掛詞として組み込まれていて、そのため下の句が、
「わたしが世の中をうかうかと経つつ眺めているあいだに」
という意味と、
「わたしの住む世に降る長雨のあいだに」
という意味が、どちらかが虚飾でもなく、両方とも真実として収められているのです。するとまるで、上の句が自然描写にも捉えられ、一方では「花の色」に己の美貌を委ねているようにも思われ、本来であれば長文で説明が必要になるだけの内容を、和歌のなかに収めることが出来るのです。
しかも、それだけではありません。一度その意味を捉えると、唱えるたびに二つのイメージが、どっちつかずに頭に浮かんでくるので、心地よい言葉のトリックに、酔いどれるような愉快さえ芽生えてくるのは不思議です。二つの情景が同時に捉えられて、心のなかにシンクロするような、不思議な感覚があるわけです。
さらに書籍から、「撰者時代」の和歌。これは紀貫之などの当事者時代の歌という意味ですが、その中から、紀貫之本人の歌として、
初雁(はつかり)のなきこそわたれ世の中の
人の心のあきし憂ければ
ここでは、「なき」が「初雁の鳴き」と自分が「泣き」という掛詞であり、同時に「あき」が「秋」と「飽き」の意味に掛かります。
「初雁の鳴き声こそ空を渡れ。
世の中に住む人のこころに、
秋が悲しいのだから」
という意味が情景として設定されていて、それを舞台に、
「初雁の声ほどの私の嘆きさえ、一緒に空へと渡ってゆけ。
世の中に住むあの人のこころにも、
飽きが来たのを悲しむように」
というもっとも伝えたい思いを乗せたのだ、と見ることが出来ると思います。
そうしてみると、例えば「花の色は」の和歌も、伝えるべき思いを表現すべき情景の提示を、もう一つの意味がそのまま担っていると見ることも可能で、掛詞とは、伝えたい思いを語るための舞台装置としての情景と、そこに語られるべき俳優の台詞、あるいは詠い手の心情を、同時に表現するという、究極の奥義であると言えるかもしれません。それだけに、失敗すると、わたしが序詞のところでみせたような、「あまだれ」のような失笑の和歌が生まれもするという訳なのです。
恐らく、この技法を肌身に感じることが出来るかどうかは、演劇的な感受性の問題であり、情景のなかで発せられる言葉としての和歌を、楽しめるくらいの感受性さえあれば、今の人にだって、意味さえ理解できれば、十分に楽しめるものかと思われます。
そんな面白さを、知らない人だかりが生まれてしまったのは、詰まるところは学校の教育システムが、あまりにもお粗末であり、教師自身が和歌への感受性などまるでなく、それどころか趣味の向上など知る間もなくて、大人になったような方々までいたりと、つまりは和歌という創造的行為へこそ還元せられるべき事柄を、暗記ものとして、意味の説明に終始するのが原因かと思われます。あんな干からびた教育方法によって、授業時間を増やそうが、あるいは減らそうが、本質的な解決には、結びつかないのではないでしょうか。私は、学生時代のあらゆる授業を思い返すたびに、何だか頭がぼんやりしてくるのです。
さて、わたしのいい加減なまとめですいませんが、書籍においては、和歌が三十一字の定型であることが、定型のなかの掛詞の二重の意味を必然化させ、つまりは聞き手に容易に把握されうる状況を生み出し、それによって偶然が必然化されるとしてあります。
つまり開かれた散文の世界では、言葉の二重の意味など、次の文脈に押し流されて、和歌のような枠に閉ざされた言葉みたいには、抽象性を保ち得ません。そうして定型のなかで、この部分ではまとめがなされるだろうという枠構造の必然が、二つの意味を一つの枠組みに封じ込めるアシストをしてくれているのです。
それから書籍においては、筆記されることによって文字から得られた見た目の類似性、同一性のよろこびに目覚めつつも、根本はやはり発音される、言葉として読みあげられることによってこそ、二重の意味のトリックが効果的に再現され得る、声の芸術の技法であるということが説明されています。
それではまた、幾つかの和歌を試みて、今回の終わりにしたいと思います。
[夜・寄る/町・待ち]
星の頃を寄るといいます町あかり
仕事帰りのあの人の影
[風・風邪]
かぜでまた唸り声する寝室の
窓辺あらしも今宵峠か
[空巣・鴉]
夕焼けに餌とり戻れば鳴きしきる
からすの嘆き子らよいずこへ
[返信・変身]
変身もなし得ないよなヒロインの
探してばかりの恋のひと文字
[木の実、木のまま・木の幹のまま、着の身着のまま]
山道を踏む野分さえものとせず
きのみきのまま在るたくましさ
古語の使用についてのお話ですが、たしかに名詞やそれに類する表現ですと、たとえば一度「夕まぐれ」の意味さえ覚えれば、現代の言葉とも馴染みやすい便宜がありますね。また、「ぬ」や「ず」など、
「知らぬ間に」
「知らずのうちに」
「分からず屋」
「分からん」
現在比較的使用しうるものもありますし、「イ音便」の元となった、「き」などは、返って美しき表現として、時折使用されることもあるくらいです。
「美しき青きドナウ」
「嬉しきことは良きことなんて言いますけど」
こうしたものは、もちろんすべての場合ではありませんが、完全な現代文のなかに、すんなりと入っていける親和性を持っていると言えるかもしれません。
わたしはむしろ、動詞や助動詞などの活用語の使用において、特に違和感を引き起こすのではないかと考えています。結局は、今日、どの程度使用されているかという、問題に還元されることとは思いますが、不明の名詞などは、なにかしらの名詞であるとして、文脈に関係せずに読み飛ばすことが出来ますし、意味さえ分かればたちまち名辞化されますが、文脈を(毎回毎回かたちを変えつつ)動的に構成するような他の部分においては、同じようには把握しないものと思われます。
例えば、否定の「ず」などはしばしば使用される一方で、
「月は宿るのだろう」
なんていう表現を安易に、
「月宿るらむ」
としたり、
「なりぬべきかな」
なんて、現代文の文の運びのなかに持ち込んだら、文体自体が不自然になってしまうからです。もちろん、和歌のすべての部分が、当時の文体になっていさえすれば、なんの問題も生じないのですが、
「男友達を励ましている」
などと続けるから、問題が生じてくるわけです。
(二〇〇九年九月十四日)
2010/2/24
2010/3/5改訂