短歌の修辞法、縁語、本歌取りなど

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短歌の修辞法、縁語、本歌取りなど

 おはようございます。それともこんにちはでしょうか。写真はまだ出力していないのです。ごめんなさい。早急に、手紙を書き終わったら、パソコンから印刷します。そうして同封させていただきます。そうすれば、ごめんなさいではなくって、こちらになります、お待たせしました、と記すことが出来るでしょう。こっそり一枚、俳句か短歌を記して置きますから、決して怒らずに、ちょっとほほ笑みがてらに眺めてやってください。

 さて、そろそろ書籍をまとめて終わりにしようと思います。このままでは、いつまでたっても、私は自分の和歌を歌えそうにありませんからね。

縁語(えんご)

 まず第四章の「縁語(えんご)」について、軽くお話しします。いろいろ定義が難しいらしいのですが、私たちはあまり気にすることはないと思います。本文の内容と関わりのない説明になってしまいますが、例えば雨の縁語を用いようと思うのであれば、

「傘」「濡れ」「待つ」「さす」

などといった、関連付けられるようなイメージの表現がなされていればよいのです。そうして、直接その言葉を使用しなくても、つまり「待つ」が「松」などに暗示されているに過ぎなくても、縁語としては成り立つのです。書籍では有名な古今和歌集の一首

唐衣(からころも)着つつなれにしつましあれば
はるばるきぬる旅をしぞ思ふ
    在原業平

が上げられています。これは学校の授業でも、折句(おりく)の作品であることが説明されたりしますよね。つまりそれぞれの句の頭を取っていくと、「かきつはた」と花の名前が織り込まれているというわけです。その一方で、唐衣の縁語として、

「褄(つま)」「張る」「着ぬる」が、
和歌の文脈の意味である「妻」「はるばる」「来ぬる」
とは別に存在していて、それはちょっと聞いた時の印象というよりも、覚えながらに何度も唱えてみるときに、まるで心地よい意味の錯覚というか、別のイメージが想起せられて、和歌の価値を高めてくれるように思われます。つまりは、ぱっと見、くだらないお遊びのようでありながら、噛めば噛むほど味が出てくる、スルメのような名脇役が、縁語だと言えそうです。一度そのイメージを掴んでしまうと、今度はどうしたって一緒に浮かんできてしまうからです。だから、もちろんのことですが、言葉として覚えて、唱えられなければ、その味わいなんか、絶対に分からないのです。

 実は小説だってそうなのですが、一回読んでごちそうさまをするような読書や、短歌の読み方は、娯楽として餌をいただいているばかりで、ちっともその人の教養なんかにはなりはしないのです。その意味で、沢山の物語を次から次へと読みあさったり、ましてや速読やらあらすじなんて知ったって、きわめて無意味なことには決まっています。

 枕草子の時代に古今和歌集の暗記が貴族の皆さまによって励まれたのは、何も暇でしかたなかったので、酔狂にやっていたわけではありません。もちろん社交場として宮廷の存在があるのが第一ですが、たとえばイギリスで、シェイクスピアの詩文を覚えさせるようなもので、そうやって覚えたものが教養となって、その人の語りを豊かに彩ってくれるからです。そうしたものを持ち合わせない人間は、つまりは日常会話においてその文化圏の教養をさらりと込めたり、ちょっとした修辞や比喩をイヤミなく流したりすることなど、何も出来ないに決まっています。つまりは、ニュースをだらしなくオウム返しにしたり、流行りものの娯楽の説明以外なにもない、奇妙な娯楽動物が誕生してしまうことにも、なりかねませんからね。

 たとえばここに、叙述的な説明しか出来ない人がいるとします。けれども叙述的な説明なら、語りにおける叙述的説明など、しょせんは限界がありますから、叙述的に説明された書籍を読んだり、ネットで調べた方が、はるかに価値を持つことになるのです。意味だけ分かっていればいいというのは、もっとも下等な知識には他なりません。あるいはそれは、知識でもなんでもない、消化されていない情報と言った方が相応しいことにもなるでしょう。なぜならその人は、その意味することにおいて、本当に自分の意見なんて、なにも持っていないからです。それを利用して、何かに生かすことすら、何一つとして出来ないからです。

 一方で、感情の抽象化、他人に伝達するためのちょとした様式化としての言語変換作用が全く出来ない人間がいたとします。彼の言葉は、動物的な鳴き声に毛が生えたくらいのものになってしまうことでしょう。それはもちろん現代性とは関係ありません。それはただ直情を、直情的な言葉しかやり取りする事しかできない、きわめて動物的な、人間としては後退した何ものかであって、あたりに騒音をまき散らすばかりということにもなってしまうに違いありません。

 あるいはそんな社会動物に陥らないように、人間の日常会話が、ぐだぐだの叙述言語(これは比喩的な意味で、ただ箇条書きのように中途半端な情報を垂れ流すといったニュアンスです)ではなく、また叫び声と一緒にならないように、語り手の思いを表現と結びつけて伝えながら、会話を楽しむという人間的な生活を維持するために、守られるべき教養だといえるかもしれません。そうして和歌は、私たちの国の伝統として、よその国では得られないたぐいまれなる詩文なのです。私たち以外には、なんの値打ちもない詩文だと言ってもいいかもしれません。

 ずいぶん脱線しましたが、だからこそ、芸術やら伝統のために覚えたり、古語を覚えるための和歌ではなく、生きた現代文の詩型としての和歌を、もし日常会話のなかでさえ、さらりと織り込むことが出来るような教育が出来たとしたら、それこそ本当の、私たちの教養のための生きた短歌ともなることでしょう。プラトーンは、
「私に国のノモス(詩)を作らせてくれるならば、誰がノモス(法)を作ろうと構わない」
という格言を残しました。法が社会を築くのではありません。言葉が社会を築く、もっとも根源の原動力であると、彼は知っていたからです。

梅雨やみの月暈(つきかさ)さして待つ人の
宿りに向かう遠き馬車音

 閑話休題。縁語に話しを戻しましょう。これは知る人ぞ知る、ベートーヴェンの「不滅の恋人」の逸話をちょっと込めて、先ほどの雨の縁語によって歌ってみたものです。

 これは要するに、

「梅雨の中休みに、月暈(つきがさ)を被ったようなひかりが空から射して、待っている人の宿へと、遠く馬車が走っている」

くらいの描写なのですが、一方で「梅雨」から派生して、「梅雨闇」「傘」「さす」「待つ人」「宿り」のような縁を持つ言葉をちりばめたという趣向になっています。すなわちこれが、縁語なのです。

本歌取り(ほんかどり)

 続いて、古歌などと対話と繰り広げながら、新しいものを生み出していこうという「本歌取り(ほんかどり)」が「第五章」に記されています。書籍から、

苦しくも降りくる雨か三輪の崎(さき)
佐野の渡りに家もあらなくに
(万葉集三巻。長忌寸意吉麻呂・ながのいみきおきまろ)

(いい加減いつまで降る雨なのだ、三輪の崎の
佐野の渡し場には雨宿りの家さえないというのに)

この歌を踏まえて、

駒(こま)とめて袖うちはらふ陰(かげ)もなし
佐野の渡りの雪の夕暮
(新古今集、藤原定家)

(馬をとめて、袖打ちに雪を払うべき陰さえどこにもない
佐野の渡し場の雪の夕暮れである)

 ここでは、「佐野の渡り」という場所が言葉も含めて同一であり、降り来るものから逃れる場所がないという意味まで共通していて、藤原定家が古歌を引用しつつも、雨を雪に変え、さらに元歌のいらいらした感じから、静寂の諦観へと情景を移して、この歌を読んだことが、元歌を知っている人には、すっと入ってくるという和歌になっているそうです。

 さて、元来和歌には共通表現を好む傾向があるので、本歌取りという言葉にも、ある程度、定義が必要になってきます。まずは、枕詞や類似的な序詞といった慣用的表現が共通だからといって、本歌取りとはいいません。さらに、特定の和歌から着想を得ていても、それが明確にその和歌と結びつけられた表現でなければ、それは「参考歌」くらいに留めるべきものだそうです。

 そうして、それを越えた、過去の和歌と明確に結びついたような「本歌取り」というものは、特に十二世紀後半頃から始まって、十三世紀に隆盛を極めたのだそうです。それは「新古今和歌集」の時代に当たっていました。ある種のマンネリズムを打破しようとした、新しい表現の模索が、かえって古歌との対話を行わせたのではないかと、書籍にはそんな趣旨のことが記されています。

 それではここで、書籍に従って、本歌取りの分類をまとめておきましょう。もっとも、短歌はわたしのオリジナルです。

[心を取る本歌取り]
・男女間の和歌のやりとりの際に、相手の和歌の意味を踏まえた上で応答するような、「贈答(ぞうとう)の体(てい)」の本歌取りは比較的古くからある。
・この「贈答の体」のように、言葉だけでなく、本歌の内容を織り込むような本歌取りを、「心を取る本歌取り」という。

[本歌]
波間より拾い上げますさくら貝
遠くにきみの白いパラソル

[心を取る本歌取り]
波間より拾われたいなさくら貝
あなたの指さき触れられ色して

[詞(ことば)を取る本歌取り]
・それにたいして、元歌の部分部分の言葉を借用するものの、歌の主意は必ずしも考慮に入れないものを、「詞(ことば)を取る本歌取り」という。

[本歌]
波間より拾い上げますさくら貝
遠くにきみの白いパラソル

[詞を取る本歌取り]
波間より溢れるくらいのさくら貝
満たして描いたビーチパラソル

 藤原定家が弟子に和歌を教えた「詠歌大概(えいがのたいがい)」の中で、模倣に陥らないための説明を加えているようですが、もちろんこれは鉄則ではありません。それによると、

・近頃七、八〇年以内の歌からは取らない
・取る場合、五句中三句は取らない。最大でも二句と三、四字までに留める
・本歌と同じ主題にすると新鮮みが出ない。四季歌を恋歌、雑歌などに変えるなどすると、非難されない。

といったことが記されているそうです。

贈答歌(ぞうとうか)

 さて、本歌取りの技法は、相手の歌に返答を行う贈答歌(ぞうとうか)に最適です。そのような訳で、書籍は和歌の修辞法を終えて、「Ⅱ 行為としての和歌」へと入っていくのです。まずは「贈答歌」の説明がされていますが、もちろん本歌取りをしても、異なる歌を返しても構わないのです。相手の歌に対して、その内容を読み取った上で、やり込めたり、自分の思いを伝えたり、優れた和歌で返答すればいいだけのことです。一例を挙げてみましょう。

[男]
きみを待つ浜辺の宵を踏み足の
響きの砂になんのときめき

[女]
ときめきを隠し響きの砂の跡
悟られたくないあなたの背中よ

[男]
寄せ波にうつし影より君の髪
振り向きざまに口づけかわそう

[女]
見え透いたしぐさと思えばなおさらに
嬉しくもなるそれが恋かも

 続いて、「歌合(うたあい)」というものについて、説明がなされています。これは左方(ひだりかた)、右方(みぎかた)に別れて、和歌の優劣を競うというもので、もちろん出題された題目に対して、歌を詠み合うのです。このように、題に基づいて和歌を詠むことを、題詠(だいえい)と呼びます。それに対して、一人で自分の思いを詠うものを独詠、贈答歌のように相手と対話を行うものを対詠と読んだりします。

 さらに「屏風歌」「障子歌」の説明がありますが、これらは描かれた画の物語を補ったり、それを踏まえて、例えば画に対して、音を加えたりと、やはり特徴的な傾向を持っているようです。「屏風歌」は「古今和歌集」の時代に流行していて、それが紀貫之などの作風にも関係しているともいわれているほどです。

 最後に「柿本人麻呂影供(かきのもとのひとまろえいぐ)」という、万葉時代の歌人を讃えるがあまり、供養と和歌の奉納を兼ねた行事が誕生してしまったこと、それから「古今伝授(こきんでんじゅ)」という謎の儀式のことが説明されて、書籍はまとめへと移ってゆくのです。

 以上、和歌の修辞法の習得は、これで終わりにします。そろそろ自分の歌を詠わなければ、なんの意味さえありませんから。

 次回はきっと、幾つかの和歌をお見せしたいと思います。けれども、これだけ消化するのも大変ですから、ちょっと小休止。来月中にはきっと、小さな作品をまとめてみせましょう。

 九月も残りわずかになりました。そろそろ手紙ではなく、直にあなたに会いたくなりました。どうか、お暇な日にちをお聞かせください。こころからお待ちしています。それでは。。

P.S.

 俳句と短歌についてですが。すべての人々にとって有意義なのは、俳句ではなく短歌の方です。これは優劣の問題ではなくって、誰かが趣味で詩を作ろうとします。詩とは主観的な表現による直情的な語りを様式化、抽象化する作業です。また、心情のこもらない叙述に、歌い手の思いを込める作業でもあります。

 ある怒りや、悲しみや笑いを、そのまま中学生日記みたいに羅列しても、必然性のある詩文にはなりません。抽象化されない率直な言葉は、鑑賞されるべきの価値を持たないからです。

 もちろん中学生が直情を記すことは、いいえ、あらゆる年齢の人が、自分の感情をあらためるために、思いを率直に記すことは、きわめて有意義なことです。けれどもそれだけでは、人間の情と言葉の関係は、直情以外に存在しないと決めつけているようなものです。間接的に「好き」と表現することが、かえって、直接「好き」と言うだけでは伝わらないことを伝える、紛れもない人間社会の言語生活に他ならないことを、知らずに済ませているようなものです。どれほど直接的に「好き」と懸命に叫んでみても、それはあらゆる人々に共通の、極めて直情に密接した言葉であって、つまりは動物の鳴き声のような、感情と直結した表現に近いものですから、そのような言葉ばかり並べるだけでは、人間社会は、がなり声の動物社会へと、後退をとげるばかりなのです。

 もちろん私たちは、本当に相手が好きなときに、目の前でへんな比喩を拵えたりはしません。そこでただ「好きだ」と伝えるのは、その二人の会話が、もっとも人間の本質的な部分、あるいは本能につながった部分で触れ合おうとしているがゆえに、正統な会話なのです。怒りの極限には、「馬鹿野郎」のような単純なののしりこそが、結局は正統なのです。ただ私たちの社会は、それだけでは、乏しく干からびてしまうのです。人間には知性の部分と感情の部分のバランスが必要であって、そのような直情のみの言葉遣いでは、社会全体が貧相になってしまうばかりなのです。そうしてただ相互にギスギスを極めるのみです。そうならないための教養として、詩的な表現を多少とも身につけることは、それぞれの国の言語生活において、きわめて重要なことなのです。

 ですから、詩作を行うために、感情一辺倒の言葉を抽象化、様式化するということは、決して言葉のあそびではありません。自分の直情を、客体化して眺めるうちに、その直情を別の視点から眺めるもう一人の自分、という視点を築く作業でもあるのです。そうやって自分の思いを見つめ直すうちに、それを乗り越えたり、相手側の視点に立ったり、それほどのことでもなかったな、と思い直したりする、きっかけにだってなるにちがいありません。(こういうことは、倫理とか道徳のお勉強で教わったって、実はほとんど身につかないものです。)

 また直接感情をぶちまけるばかりでは、思うように回らない現実社会において、交互に相手に思いを伝えるための、会話のコツを教えてくれもするでしょう。それだけでなく、まるで自分の思いが、自分を離れて結晶化したような、知的な喜びだって得ることが出来るでしょう。それは感情を無視したあそびなのではありません。感情と言葉とを、これまでの直接的な関係ではない、もう一つのやり方で表現したことになるのです。そうして、そのためにこそ、あらゆる国の詩というものは、それぞれに必要なものなのです。けっして、芸術の一ジャンルとして、伝統的な価値を担っているばかりではないのです。むしろ、たとえそうした芸術ジャンルの詩が、すべて滅んでしまったとしても、それとは関わりなく、人間としての会話のために必要なものなのです。

 さて、話しが長く伸びましたが、そのような表現媒体としての詩を取り上げるとするならば、日本語の文章によって一つのまとまった詩作を行うためには、短歌の長さのほうが、俳句よりもはるかに自然なのです。おおよそ二つの文脈を表現するくらいのゆとりがありますから、例えば、

「ああ空に鳥が飛んでいるのが見える」

「まるで自分の喜びのように羽ばたいている」

くらいの、ここでは[情景+こころ]というフォーカスの設定が、日本語で詩を表現するのには、ちょうどよい[最低限度の]長さを提供してくれているのです。

 俳句というのは、この文章の、

「ああ空に鳥が飛んでいるのが見える」

のなかだけで、なにかを表現しようとする芸術ですから、きわめて特殊なものであり、たやすくできる割には、本当に価値のあるものを作るには、短歌の長さくらいの文脈で、自由闊達に優れた表現を駆使するくらいの能力がないと、まるで意味がない(同じものの大量生産になってしまう)のです。それでいて、短歌くらいでしたらちょうどよかったはずの言葉の抽象化の作業が、さらにもう一段階、超絶技巧にまとめ上げられなければならないのです。

 それでいて、率直な思いを表現するには、あまりにも切り詰め過ぎなので、すなわち言葉を「置くような」、情をとことんまで削り取ったような表現が目指されるわけです。(もちろん情を廃したところに存在するのではありません。それは芭蕉の句を知らない愚か人の言葉に違いありません)だから、率直な自分の直情をもう少し抽象化された表現に結びつけるような、きわめて重要な詩の練習には、最適なジャンルでもなんでもないのです。特に子供のうちには、のびのびとした自由な表現を、

「僕のお母さんは、今日は歯医者でいなかったので」

「一人でまっているのは、悲しかった」

などという、物語性や情景を持った心情を、詩として様式化する練習には、圧倒的に短歌の方が相応しいのです。ですから、子供に俳句を作らせることは、もちろん構いませんが、表現の成長を助けると言うよりは、警句やコマーシャルの格言を作るのがうまくなる程度のもので、そんな極限状態で思いを表現させることは、かえって窮屈すぎて意味のないようにも思えます。

 わたしはむしろ、すべての人が、短歌をやって、その上で興味のある人が、俳句を作れるようであって欲しいと思うくらいです。なぜなら和歌こそが我が国でもっとも長い伝統を持ち、すべての短詩形式の生みの親でもあり、かつ日本語をもっとも有機的に詩作へと至らしめる、すばらしい詩型であり、かつ表現の自由における幅を持っているからです。

 芭蕉が和歌の伝統から、発句を導き出したという、馬鹿馬鹿しい事実を忘れてはなりません。正岡子規が大量の短歌を作ったという事実を忘れてはなりません。俳句の形式は、もともと和歌の伝統の中から生まれてきたものです。それを切り離して、俳句だけを懸命に拵えるような人々が、もし仮に今日いるとしたら、私はこう言いたいのです。あまりにも、小っちゃ魂(だましい)が偏狭に過ぎると。

 言葉の表現に興味を持った人は、せこせこした箱庭のなかに楽園を築いて、さらにそこに小屋を設けて真ん中のこたつ布団に潜り込んで、うんうん唸って一つのジャンルに囚われるような、島国根性じみたことはせずに、少なくとも俳句、短歌、散文詩、それから随筆くらい、つたなくてもいい、関心を広げてみなかったら、いくら特定のジャンルの書籍を読みあさったり、句集などを紐解いても、極めて矮小なミクロの作品しか、生まれてこないことは間違いありません。そうして、スケールの小っちゃいところを殻に籠もって安心なさっている様相を、勝手に道を究めることだと誤認いたして、ますます点のごとくに狭まっていく不始末では、文化上なにも益するところなんて無いに決まっています。

 私は今の世の中に、歌人とか俳人なんて呼ばれる人々は、無意味かつ不要だと思うくらいです。すべての人が、詩人くらい、あるいは文筆家くらいの大枠でもって、ある時は歌を詠み、ある時は句を詠み、あるは随筆を記し、散文詩もおやりなさるくらいの、あるいは小説にだって手を出すくらいの、表現の自由度を持たなかったら、いくら狭々しいサークルをこさえて殻に閉じこもったところで、なんのユニークな作品だって、生まれてこないことは間違いありません。そうして逆に、詩も歌も作らずに小説など懸命に拵えても、きわめて同時代の流行りにのみ訴えるばかりの、乏しい作品しか生み出せないのではないかと思うのです。おそらく正岡子規という人は、彼の短い人生を賭けて、そのことをこそ俳句の革新などよりも、私たちに伝えたかったのではないでしょうか。彼の随筆などを読んでいると、そんな心持ちさえしてくるのです。

 すいません、いろいろ修辞を眺めた後なので、ちょっと疲れ気味です。うまくまとまりが付かなかったかも知れませんが、私は詩というものについて、ざっとこんなことを思っているのです。

 けれども同時に、短歌の形式は、あらゆる詩作の初めの一歩として、また常に我が国の伝統にとって帰順できる豊富な遺産を誇るジャンルとして、私は俳句などよりも短歌をこそ、詩作の第一のジャンルとして掲げたいと思います。もちろんそれはヒエラルキーのトップという意味ではなく、そこから始めて、いつもそこに帰ってこられる、私たちのあらゆる詩作のより所、という意味なのです。

 そうして、私は、芸術ジャンルとしてのすぐれた短歌などよりも、もし人々が日常会話のなかで、何気なく五七五七七の形式に封じ込められた表現を、さらりと着こなすことが出来たなら、それこそもっとも重要な、和歌の伝統の継承につながるのではないかと、そんなロマンチックなことを、密かに考えているのです。それでは、失礼します。



   (二〇〇九年九月二十五日)

2010/2/24

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