言葉遣い、現代短歌の弊害

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言葉遣い、あるいは現代短歌の弊害

 お久しぶりです。しばらく、考えていました。

 今はもっと、和歌の基本的な事柄をマスターした方がよいという意見、それから言葉遣いに対する、少なくとも現時点での考えを、きちんとまとめておいた方が、良いだろうという意見、共にありがとうございます。あなたの意見に従って、なにか和歌を学び取るための、初心者向けの書籍はないかと探すうちに、岩波新書より出されている渡部泰明(わたべやすあき)氏の「和歌とは何か」という書籍を発見しました。

 しばらくこれに寄り添って、一通りの技法を習得してみようかと思います。なぜなら今の私には、言葉のリズム以外に、寄るべきすべもなく、はなはだ心許ない有様には違いないのですから。

 言葉についての取りまとめですが、せっかくですから書籍の序章を眺めがてらに、片付けてみることにしましょう。もちろん現時点の考えに過ぎませんが、しばしお付き合いください。



 まずは序章では、和歌は演技をしているという説明がしてあります。レトリック(修辞技法)の前に、和歌の意味を問うものですが、それは書籍を読んでいただくことにして、当時の和歌がいかに現代にまで通用するか、厳密な意味は取らずパラフレーズして、ちょっと提示してみることにしましょう。

 書籍では「ひさかたの」の歌に続いて、「古今和歌集」の第一首目が上げられています。

年の内に春は来にけり一年(ひととせ)を
去年(こぞ)とやいはむ今年とやいはむ

 旧暦の正月と立春のずれにより、十二月のうちに立春を迎えてしまった。この一年を、もう去年と呼んでしまおうか、やはり今年と呼ぼうかといった歌ですが、そのまま現代風に直しても、

年のうちに春は来ましたこの年を
去年といおうか今年といおうか

[あるいは]
年のうちに春は来ましたこの年を
去年としますか今年としますか

など、自然に和歌として提示することが出来そうです。子規はこの歌を、くどくどしい説明として糾弾していますが、必ずしも叙述的ニュースに陥っていないのは、始めの二句が「まだ、年も明けないのに早くも春が来た」という喜びを込めた投げかになっていて、それが三句目以下の、「ちょっと待てよ、けれども実は、ちっとも年なんか明けてないんじゃないか」(まだまだ、春は遠いなあ)のような想いを、フォーカスとして内包しているからに他なりません。

 あるいは、もう少し正確に捉えようとするならば、新しい年を待ちわびる未来への待望と、去りゆく年を名残惜しむ過去への小さな憧憬が、さりげなく込められていて、それはおそらく自分を年末に置いて、過ぎる年と来たる年に多少の思いを巡らしてみれば、容易に受けることが出来るもので、これが捉えられるかどうかは、何人の問題ではなく、感情の抽象化が出来るかどうかの問題に、還元されることと思います。

 このようにして、文脈の配置や指向性を、心情と結びついた詩となるように、言葉のリズムと共に表現したものが和歌なのであって、ただ「~が~してわたしは悲しかった」と記したからといって、詩として悲しみが表現されているという訳ではありません。歌詞はニュースではないからです。新聞のように記述して、「だから悲しかった」「だから嬉しかった」というのは、心情が描写されていたからといって、心情表現を成し遂げた歌とはならないのです。

 さて、すこし脱線しますが、最近、視覚媒体のドラマなどを見ていると、恐ろしくなることがあるのです。異常なまでに、感情をデフォルメとばかりに引き延ばすのです。外国の、例えば西欧の映画などに、こんな不気味な表現方法はありませんから、これは国際主義などとは何の関係もなく、当たり前のことを、当たり前の時間軸に感受できなくなって、表現がどぎつくなっているのかと心配します。異常にデフォルメされた表情、不自然に着飾ったしゃべり口調、他の国の映画を見ても、あんな不可解なものを演技と称している人たちは、どこにもいないと思うからです。私は何だか、鎖国時代にデフォルメを突き進んだ、江戸時代の精神にも、似たものを感じるのですが、けれどもいまの場合は、毎日娯楽としての感情をむさぼるがあまりに、強刺激を求め尽くして、もはやありきたりの情緒表出では、つかみ取るだけの能力がなくなってきて、まるで集団的退行現象を、引き起こしているような恐怖さえ、ときどき感じることがあるのです。そうして誰も、それを何とも思わないらしいのです。

 けれども、これは恐ろしいことです。社会がその精神で蔓延したとしたら、恐らく人々は、いかなる歌もありのままに掴み取れなくなってしまうために、古典の和歌は、くどくどしいばかりに現代語で説明しつくされ、ようやく意味を掴み取られる一方で、自分たちは言わなくてもいい叙述をひたすら連ねたり、どぎつい刺激をばかり求めて、言葉を弄んだり、奇妙な着眼点をばかり、酔いどれて見せことになるに違いありません。

 さて、話を戻しましょうか。わたしの性格は、あなたも分かってくださっていることと思います。だけれども、あなたにだけは、たとえ自分の発言のために嫌われたとしても、嘘だけは付かないようにと、そう思っているのです。

 先ほどの和歌は、現代語の方がくどくどしく感じることと思います。発音が「去年(きょねん)」「今年(ことし)」となって、韻が崩れてただの説明に陥ってしまいましたから。

 しかしもちろん、当時の和歌のわかりやすさは、何もこの歌だけではありません。たとえば百人一首のうち、初めから順に、

秋の田のかりほの庵(いほ)のとまをあらみ
わがころもでは露にぬれつゝ

秋の田の刈り穂の庵の苫も荒れて
我が衣袖(ころもそで)は露に濡れます

 名詞の苫(とま)が、茅(かや)などで屋根を葺くために編み込んだものだと分かれば、意味は自然と通じるのではないでしょうか。もちろん現代語版はパラフレーズですから、厳密な意味は一致しませんが、現代語による和歌の意味を問い直すのが目的ですから、気にすることはありません。

 ここでは一見、自分の袖が露に濡れる理由を、上の句が説明しているように錯覚しますが、立ち止まって考えてみると、上の句の

「秋の田んぼに建てた穂を刈るための小屋の苫も荒れたので」

の結果として、

「私の袖は露に濡れてしまいました」

なんて説明は、あまりにもくどくどしくて不自然なことが、文脈からあまりにも明らかですから、つまりは、上の句が例えに過ぎないことは、比較的率直に把握できるのではないかと思います。そうして、比喩と思って眺めると、余計な説明など加えなくても、何となく失恋やら、なにやら、自分に悲しいことがあって、だから「わがころもでは」なんて、改めて言い直すような表現をして、最後に「ぬれつつ」と締めくくったことが悟れると思います。ようするに、初めはわざと別の舞台装置で演出しておいて、急に転じて詠い手のこころを表したような歌として、眺めることが出来るわけです。

 これを例えば、
「そこには一匹の犬が干からびて死んでいたのである」
などと歌いきってしまったら、もうどれほど歌が台なしになるかよく分かることと思いますが、今日の現代短歌と呼ばれるものは、往々にしてそのような歌を、奇妙な言葉つきだけをもてあそんで、突き詰めるための道具へと転落させられてしまった感があるようです。

 さらに、馬鹿みたいに全部説明してしまわないところに、読み手を意識した、あるいは聞き手を意識した、詠い手と読み手の双方向の関係のなかで詠われる、和歌の本質があるといえるかもしれません。「犬」は非道すぎるにしても、ここで「涙の袖も」などと歌ったら、詩情が台無しになることは、いうまでもないのですから。つまり、説明過剰に見える上の句は、じつは確信については何一つ説明していないという効果を、ここに見て取ることが出来るのです。ある種の心地よい誤魔化しといってもいいかもしれません。また、「の」による心地よいリズムが、無意味な叙述ではなく、歌としてのよろこびを保っている点も、言うまでもありませんが、重要なことです。

 百人一首の次の歌になると、

春過ぎて夏来にけらし白妙(しろたへ)の
衣ほすてふ天の香具山(あまのかぐやま)

春過ぎて夏の気配は白妙の
衣干すという天の香具山

 くらいではいかがでしょうか。白妙は白い布くらいで考えておきましょう。元歌の意味は、
「夏になったら白妙の衣を干すという天の香具山に、春が過ぎて夏が来たようだ。白妙の衣が干されているではないか」
あるいは
「白妙の衣ほすという神話のある天の香具山にも、春が過ぎて夏が来たようだ」
くらいの意味でしょうか。現代語では名作が台無しなのは仕方がありません。ただ私は、このくらいの現代語による和歌で、奇妙な発想やら言語をねつ造せず、すらすらと記すことが、どれほど当時の和歌と親しい関係にあるかを知っていただければ、それで十分だと思うのです。これらを眺めただけでも、どれほど語りかける時の仕草して、歌が詠まれてきたか、よく分かると思うのです。

近代・現代短歌の一例

 これが近代になると、たちまち、めちゃくちゃになって来ます。この話すという感覚が、バッサバッサと皆殺しにされてしまうのです。それをもって私たちは、現代短歌と命名することになるでしょう。けれども正岡子規の悲惨な和歌を引き合いに出すのは、彼の歌論には面白さを感じるので、少し気が引けます。(もちろん面白いということは、正しいということを意味しませんが)代わりに、たとえば、

さくらばな陽に泡立つを目守(まも)りゐる
この冥(くら)き遊星(ほし)に人と生まれて

 これは山中智恵子(やまなかちえこ)(1925-2006)の歌ですが、すでに二句と三句が、奇妙な表現に陥っています。母音を見ても、「iiaaauo、aoiiu」なんて口調的なリズムを蔑ろにした、つまりかつての和歌ならば却下されるくらいの、むしろ詞書(ことばがき)(和歌などの説明を加える散文部分)にふさわしいような表現です。ためしに白妙の二句三句の「auiieai、ioaeo」と交互に五回ずつ言ってみて下さい。これは要するに、口の動かし方の心地よさのもたらすリズムと言えるかもしれません。

 ついでに、白妙の方を見てみましょう。二句が「ai」の二回繰り返しをベースに成り立っていて、その「i」を引き継いで始まる三句目が、歌のなかで始めて導入される「o」の響きを確定させます。驚異的なのはその「o」が四句目の「oooou(e)u」の四連続の「o」の重さへの導入となっているといった具合で、口調リズムの面白さだけを見ていても、飽きないほどなのです。そのような面白みは、「さくらばな」の方にはまるで感じられないのです。

 それにこの歌は、第一硬すぎです。芭蕉だったら「陽に泡立つを/目守りゐる」なら二句三句の、たとえ一方は取ることはあっても、両方平気で並べたりはしないでしょう。歌だって同じことです。そうやって硬直しておいて、他のところは不釣り合いに柔らかな表現なのです。あげくに四句目の「冥き遊星」とはなんのお遊びでしょう。

 もちろん古典の和歌にも遊びの言語は沢山含まれます。けれども彼らは使うべき所と、そうでないところを、教養として、あるいは品性としてわきまえていました。もっとも人を感動させたいようなきまじめな歌の、シリアスな瞬間には、不自然な表現のお遊びなんかは、決してしないのが上策です。「冥き遊星」とあって、私たちの住む地球を、

「なんと美しく表現したのだろう」

と、この部分において感動するひとが、いったいどれくらいいるというのでしょうか。むしろ、せっかくの真面目に語りかけるべき部分が、子規流に言わせれば、下らないシャレのような味気なさで、興ざめを起こすような気さえ、わたしにはしてくるのです。

 それはいわゆる、日本語だけで記された小説の、

「あなたが好きです」

というような率直であるべき所を、中国語に置き換えておいて、

「あなたが喜歓(すき)です」

なんてルビを振るようなものです。

 一番大切なセリフのところで、安っぽい冗談やらオシャレ気取りは、読者の詩情を断ち切るたぐいの、くだらないお遊びには違いありません。これは文法ではなく、品性の問題に還元されるでしょう。

 はたしてこの歌を一般市民に読ませて、いったいどれくらいの人々が、ポピュラーソングなどにある率直な歌詞に対して、より感動するというのでしょうか。それが高尚だから、大衆には理解できないのだときては、もはや手のつけようもありません。

「桜の花が太陽に泡立っているのを見守っている。
このくらき星に人と生まれて」

 むしろ、ある種の説教臭さというか、感動の押しつけを感じる人たちの方が、私には多いかと思われます。究極的には、戦争賛美の和歌にも似た、不必要な独善のようなものが、そこはかとなく漂ってくるのです。なんていうのは、ちょっと感覚的すぎますね、後で具体的に説明することにしましょう。

 そもそもこの歌は、女性的なものと男性的なものが中途半端にごっちゃです。同時代の女流俳人の俳句と一緒で、無理に男性の口調に合わせたために、表現がちぐはぐになってしまうのです。「目守りゐる」の表現は、そのくらい、他の部分から浮いて聞こえてきます。俳句で言えば、例えば桂信子(かつらのぶこ)(1914-2004)の次の俳句などは、

窓の雪女体にて湯をあふれしむ

 女体(にょたい)なんて、ご自身の言語感覚から自分を表し得ていないような、偽りの表現を使って、しかも「あふれしむ」なんて奇妙なとりまとめを気取って見せたので、ようするに情のない偽りの俳句になってしまいました。大体いつの時代の女性が、「女体にて」なんて感慨でお風呂に入るというのでしょうか。主観的な句に過ぎないくせに、表現が主観に寄り添っていないのです。ただの言葉の遊びです。内容は空っぽです。それが読者にまで素直に伝わってきます。ですから、そういう悪い影響を受けていないような、柔らかい表現では、

ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜

なんて名作も生み出すことが出来るのです。ここには偽物の表現は、ただのひと言も含まれていません。「女体」の「あふれしむ」とは、雲泥の違いです。そうして口調が自然だから、言葉と心が一致しているから、詩が生きてくるのです。



 さて、話を「さくらばな」に戻しましょう。ところで私は、古文の知識ははなはだ不十分ではありますが、「目守りゐる」なんて表現は普通になされるものなのでしょうか。

 おおよそ私には、「陽に泡立つを」という取るに足らない発想に縛られて、三句目が苦しくなった不自然な歌にしか思えません。そもそも「陽に泡立つを」で、眺めが暗示されているうえに、次の句で説明し直す必要があるのでしょうか。単なる叙述の過剰です。「守り居る」の意味ですから、「目守」の漢字の意味を加えて「見守る」と取るならくどくどしい説明の繰り返しであり、もし純粋に「守っている」とすれば、何様のつもりだか、はなはだ説教くさい、イヤミな歌になってしまうに違いありません。そうしてそのイヤミは、女性が子供を守っているくらいの表現にしておけば、綺麗に消えて無くなってしまうイヤミです。つまりは「守っている」というような、客観的な記述を割り込ませるから、まるで何様がお守り遊ばすかといった、嫌らしい歌になってしまうのです。「守りたい」「守ります」くらいだって、どれほど女性的な主観を込めた歌に変えられるか、分かったものではありません。

 この場合、三句目は不要で、別の方針を立てた方がよいと思われるくらいです。

木もれ陽の泡立ち満たせよさくらばな
守りぬきたい春の気配を

 あえてダイレクトな下の句を入れてみました。どちらがより心情に深く来るか、眺めるのを止めて、お説教の歌と、交互に何度も唱えてみて下さったら、きっとよく分かると思うからです。このくらいの歌で、詞書にして、
「私たちのありきたりの、心もなくて変わりゆく環境破壊に思いを致し。この遊星(ほし)に生きていることへの感謝を託して」
なりなんなり記しておけば、どれほど「目守りゐる」より効果的だか分かりません。

 ここまで考えて、ようやく気がついたのですが、元歌は、着想自体に撞着(どうちゃく)が潜んでいます。さくらばなの泡立ちから、大地の下に広がる惑星まで持ち出して来たのが、欲張りすぎの、心情を無視した描写なのであって、

「さくらの花の泡立ちを見守っている」というのは、フォーカスの収斂です。散文的に言っても、目の前の景観から地球にまで持っていくような場合には、

「花は咲き、日は照らし、河はせせらぎ、山はいま燃え上がろうとしている。ああ、この星に生まれてきたと……」

のような、拡散的、拡大的な視野の移動が、読み手の情を自然に、地球へと導くのであって、

「花は咲き、そこには木漏れ日が差し込んで、まるで光のもれているのが、泡立っているようにさえ思えるのであるが。そうして、私はいまそれを、見守って眺めているのだが」

これは、焦点の著しい収斂であって、収斂したまま、三句目は「それを見守って居る」という説明的叙述に過ぎないために、フォーカスの転換する効果に乏しく、よってこの場合は、例えば、

「ああ、今その花びらを、そよ風が揺らしていることよ」

くらいのフォーカスの移りが、もっとも心情の喚起にはふさわしいはずなのです。それを急に下の句で、この惑星がなんて言いだすから、取って付けたような印象か、あるいは、説教みたいな嘘くささに陥ってしまうに違いありません。つまりこの歌には、不自然さが、さくら花のように満ちあふれています。まるで泡立っているのです。意味的には、まだ「守りつつ」くらいで、地球に導いた方が、まだしも救いかもしれません。それにしたって大げさすぎです。

 とにかく、女性的な柔らかさに、無意味な硬直を与えている二句と三句が、歌にとってはマイナスに作用していることは確かです。そうして音読的であるよりも、黙読的に整えた歌になっています。だから黙って読んでいる間は、口に出したときの違和感が分からないものだから、黙読的体裁に誤魔化されて、見事な名歌となってしまう訳です。

「陽に泡立つを目守(まも)りゐる」

 特に「目守りゐる」が「まもりいる」ではなくて「マモリール」という変な言語に聞こえてくるので、聴覚的にはそこで詩情が破綻するような気さえするのです。けれども実は、これはなかなかにマシな方なので、あえて取り上げたのです。まだしもこれは私には、十分に和歌には思えるからです。

近代・現代短歌の一例、その二

 次ぎに佐藤佐太郎(さとうさたろう)(1909-1987)という人の歌を眺めてみましょう。

今しばし麦うごかしてゐる風を
追憶を吹く風とおもひし

 というのがあります。私はあえてこのような歌を引っ張り出している訳ではありません。たまたま手に持った雑誌から、もっとも優れたものを抜き出しているだけなのですが、それにしたって、最後は「おもひし」なのに、なぜ上は「麦うごかしてゐる風を」なのでしょうか。いったいいつの時代の人が、そんな表現の混淆で、言語的生活を営んでいたというのでしょうか。

 まるで学生が頑張って、古語を扱おうとして、(ちょうど作者の作った頃の)現代語とごちゃ混ぜになったような不自然が、短歌からあふれ出ているのです。「うごかしてゐる」の正当性はともかくとして、
「今しばらく麦を動かしている風を追憶を吹く風と思った」
という文章の持って行き方は、典型的な現代文の表現です。現代文の作文を、文法だけ古文に変えても、過去の文体にはなりません。文の運び方をある程度取り込まないかぎり、いつの時代にもあり得ない、今の私たちにも理解できない、古文を愛する人たちにも、理解できない、奇妙なサークル言語が生み出されるだけなのです。

 つまりは三句目が、「してゐる風を」という、まことにルーズきわまりない、句切れが悪いだけの、古典的リズム感をまるで無視した、それでいて何の効果もない、焦点のぼけた、現代文的な区切れの半端さに陥っているのです。あまりにも弱すぎて、「ゐる」にはリズムが掛かれないし、かといって「風」に掛かっているとも言い難く、ようするに下の句へ転じる前の焦点を無くして、四句目へと滑り落ちるのです。あるいはこれは、素通りする、風の流れをでも表現しているのでしょうか。けれどもそれは、無意味な表現方法です。それでいてラストは「おもひし」と、無頓着に古語を割り込ませるのです。

 わたしは、古典の知識に問題があることを白状しますが、はたして「おもひし」は根本に「思ったものである」、つまり、過去的表現が籠もるものではないでしょうか。そうであるならば、

「今しばらく」気持ちとしては「今まさに」くらい、

麦を「うごかしている」最中の、まさに吹いているその風を、

追憶(思い出される過去)を吹く風と「おもひし」では、

今の情を歌っているやら、歌ではなくただ結論を述べただけなのか、さっぱり分かりません。

「今ちょうど麦を揺すっている風を、追憶を吹いている風と思った」

意味は通じますが、上の句で、聞き手のこころに風が吹き、さてどのような風なのかと高まる期待を、(「動かしている」では高まらないという事実は、とりあえず忘れて)、後半を期待するこころを、まるでクイズ問題の解答みたいに、

「追憶を吹く風と思った」

では、情を揺り動かされ損ねて、ただ答案を出されたようなもので、詩文としては、完全に破綻してしまいます。上の句の内容においては、歌い終えた現時点にまで風の想いを重ねるこそ上策で、あるいは最後を、
「追憶を吹く風となるまで眺めていたいものだ」くらいにまとめておけば、出だしの「今しばし」も、まだしも価値を保ち得たかもしれません。とにかく「思った」ではいけません。詩情があまりにもない、学生的な叙述です。「今まさに動かしているさなかの風を」ただ「思った」だろうと「思ったものであるよ」と感慨を込めようと、完了に封じ込めてはならないのです。安い理屈に陥ってしまうからです。出だしの「今しばし」の意味が殺されてしまうからです。

 いずれにせよ、この文章が、ひとつの文章としてはまるでこなれていない、「動かしていゐる風」だの「おもひし」だのを織り交ぜた、つまりはいつの時代にあっても不自然な、広範の社会に咀嚼されていない捏造言語であることは間違いありません。それも、卓上でこね回したような文章です。ですから黙読するときれいに思えるのです。特に「し」を視覚的に利用してひらがなで体裁を整えているから、眺めて心地よいのは実は当たり前です。詩として読まれ聞かれることを考慮しない、そんな美しさなのです。

 けれどもそれは、詩を愛する人間にとっては、もっとも糾弾すべき事柄です。詩とは、どのような形式であっても、情と言葉をひたむきに結びつけて、さらにその言葉でもって詠み手と聞き手を結びつけて、感動を呼び込むべきものですから、言葉で遊ぶのではなくて、言葉を弄ぶような行為だけは、許されてはならないのです。そのようなものは、学生のスラングなどよりも遙かに、社会のために有害であるようにさえ、私には思われるのです。

 大戦でぼこぼこに打ち負かされたおかげで、地主やらなにやらの特権階級もなくなって、私たちは本当の平等を手に入れました。すべての詩は、すべての歌は、私たちすべての国民のためにあるもので、不可解な言語を創造する謎サークルが身内で楽しむためのものではありません。あるいはそんな芸術が合っても結構ですが、和歌やら俳句は我が国の伝統であって、つまりは国民のものです。国民のものを謎のサークルがもてあそんでるとしたら、やはり国民は自分たちのために、その行為を糾弾すべきではないでしょうか。もっともいまや国民性など知ったこっちゃない、笑い暮らすばかりの烏合の衆であるから、文化がどうなろうとぎゃあぎゃあ騒いでさえいればいいというのであれば、もう何も、語ることなど無くなってしまうのですが……

 けれどもわたしは、ポピュラーソングなどの歌詞のなかに、そこには言葉で遊んでいるものも、実に安い言葉ばかり並べたものも、もちろん見いだすことはありますが、言葉を弄んだものだけは、決して見つけることなどないのです。それは歌うという行為が、語りとしての正当性を保証してくれている、つまりは制作者はそれを判断基準に、作詞を行わなければならないことに基づいているからです。だからこそ、例えば、数十年前の歌詞に古さは感じても、歌詞内部での表現の不一致は起こらないのです。そうして、これは当たり前のことですが、内部で不一致が起こらないということは、言葉を使用した一つの作品にとって、最低レベルの条件なのです。これは英語を挟み込むとかいうこととは関係がありません。それは楽曲と結びついた配置の問題であって、決して英語と日本語が、四六時中に交替するような歌は、普通には行わないからです。ただサークルの人間だけが、それと同じような失態を、意気揚々と演じきるらしいのです。

[作者覚書]英語の挟み込みの部分には、結局のところ漢字の挟み込み(つまり今日に連なる文体)と同様、社会的に必然的に見なされるようになれば、なんの問題もならなくなり、社会的に熟れた、不自然でない表現になるといったことを、さらりと織り込んだ方がよいかもしれない。

 はたして、こんな迷文を製造することを、現代的だと主張することが出来るのでしょうか。それともアートががらくたに格下げされたように、言葉も格下げされるべきだとでもいうのでしょうか。ちぐはぐなコラージュ技法を駆使した、前衛的な詩だとでもいうのでしょうか。けれども、たとえ誤謬(ごびゅう)にしろ、それを主張できたのは、進歩史観と発展主義が前衛を主張し得た、せいぜい五、六十年前までくらいが限界だと思うのですけれども……

 すいません。また、脱線しました。これはもっと素直に、

今しばし揺るがす麦の風をこそ
追憶を吹く風と思えよ

これだって、「風」が繰り返しの効果にあふれるというよりは、無駄なくどくどしさにあふれています。元歌のほうを、現代文に解体してみればすぐ分かりますが、

「今しらばく麦をゆるがしている風を
追憶を吹く風であると思ったことである」

 くどい「風」の繰り返しです。なんの技量もなく、そのままの叙述を取り出して、体裁を整えただけの文章のなかで、風を無意味に二回繰り返すので、くどくどしくなってしまったのです。

 恐らくは、黙読においてのみ形を整えたから、このようになるのかと思われます。それに下の句の「風だと思いました」というのは、まさに叙述的散文の手法であって、歌においてはわざわざ記すべき何の意味もない、無駄な取りまとめになってしまっています。それでいて、眺めているだけなら心地よいのです。

 それではどうしましょうか。いっそ「追憶を吹く風と思ったんですよ」みたいな、落語のオチは空しいものですから、

いちめんの麦をゆるがす風をいま
追憶としてさらばふるさと

くらいで、最後の五句目は、何でもいいから、フォーカスを移しておけば、もう少し、幅のある歌になるのではないでしょうか。上三句の風景をどうするのか期待していると、「今はそれを、追憶されべきことがらとして封じて、さらば故郷よ」といった、自分の行為へと結びつけるので、ずっと「風」にとどまりっぱなしの歌よりは、生き生きとしてくることと思います。

 もっとも五句目はちょっと冗談です。これだとちょっと芝居じみたようなおかしさがあるかも知れませんから、もう少しひたむきに考えた方がいいのかもしれません。まあ、ちょっとした息抜きです。

 さて、重要なことですから、何度でも繰り返しますが、ただ「何々が何々をして何々を何々と思うよ」というのは、ただのスケッチです。新聞の叙述です。小学生が覚える作文です。そうして散文です。三十一字にしてもそれは散文なのです。偶然、字数があっただけの散文なのです。それでも構わないと教えるから、歌でも何でもない、奇妙なものが大量生産されてしまうのです。

 歌のリズムと結びついた文脈、言葉の選択と、情と景とを行き交うフォーカスなどを駆使して、始めて詩が生まれるのです。五七五七七なら和歌であるというのは、つまりお米を炊いたらすべてご飯であるといって、無理矢理食べさせるような教え方です。拙くても、それはご飯かもしれません。けれども、それは食べられないご飯です。食べたくない、ご飯です。料理を習おうとしている人だって、美味しいご飯の炊き方をこそ、学ぼうとしているはずです。歌を覚えようとしている人だって、歌を知ろうとしている人だって、うまい歌の作り方、見分け方を知りたいのです。それを、三十一字ですべて歌なんて、大手を振るから、三十一字のがらくたが、大量生産時代を迎えてしまうのです。

 けれども、がらくたをどんなに記しても、豊かな品性は身につきません。うれしい歌は詠えません。ただのだみ声のカラオケです。ですから私たちは、よりふさわしいやり方を、模索し続けなければなりません。どうか、お暇なときにでもこれを読んで、また感想を送っていただけたら幸いです。

まとめ

 これ以上考えるのも、辛いものですから、そろそろ先に進むことにしましょう。表現がちぐはぐになる傾向は、たとえば源実朝(みなもとのさねとも)の次の歌にもちょっとだけ見られるようです。再び書籍に戻って取り上げてみましょう。

箱根路(はこねぢ)をわれ越え来れば伊豆の海や
沖の小島に波の寄る見ゆ

 結句がちょっと苦しくなってしまったのは、箱根を移動中に即興で思いついたからと悟ることも可能ですが、それでも、「麦うごかしてゐる」のような失態は決して演じていません。もちろんリズムだって保たれているのです。あるいは歌としては、

箱根路をわれ越え行(ゆ)かば伊豆の海
沖の小島に寄せる白波

くらいの方が、無難かもしれませんが、改めて記してみると、実朝のちょっと無骨風の表現は、はるかに臨場感を表していて、リズミカルでもあり、わたしの浅はかの歌が、硬直しきった箱庭細工に過ぎないことを悟らせてくれるばかりでした。やっぱり、彼らの歌には、わたしには敵わない、何かが込められているようです。あるいは、本当に魂が込められていて、私たちの口から出任せばかりの軽燥(けいそう)とは、ひと言ごとの重みが違うのかも知れません。調子に乗って、批判しようとしたのは、大いなる間違いでした。いろいろ至らない点も、あるかと思います。もうしばらく、和歌の言葉遣いについて考えてみることにしましょう。けれども今日はもう、ずいぶん長くなりましたから、これにて失礼しようかと思います。

 どうか、気が向いたら、あなたも歌なり句なり、送って下されたら嬉しいです。もちろんあなたが望まないかぎり、こんな批判をしたりはしませんから、ご心配なさらないでもいいのです。感想をお待ちしています。それでは。

(二〇〇九年七月二十二日)

作品外の即興的な愚痴(再構成用)

追憶の麦をも焦がす風をいま
受けて旅立つさらばふるさと
→上の自分の完成型と入れ替えるか

 麦の歌は、なによりも無駄なそのまんまに終始して、情景が心情へと、単なる叙述でなくて知らぬ間に移り変わる、和歌時代の本質から見ると、あまりにもニュース丸だしで、こんなものを崇める人間が、この世に存在すること自体が、むしろ驚異的である。わたしは無性に悲しみばかりである。

2010/2/9

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