言葉遣い、現代短歌の弊害その二

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言葉遣い、あるいは現代短歌の弊害その二

 お元気にしておられますか。暑い日が続きますね。私は近頃すっかり引きこもり児童です。何しろ和歌やら俳句やら、散文詩といっしょに、小説にまで手を出して、何らかの答えを見いだそうと、模索を続けていますから、どうしても外へ出るのがおっくうになって、キーボードと戯れがちになってしまいます。あまりよい傾向ではないようです。健全な日本男児から乖離していることを、白状しなければなりません。

 なんでも料理のレパートリーがまた一つ増えたそうですね。おめでとうございます。この間作っていただいた、レミャノリャ……なんでしたか、ややこしい名前の郷土料理、大変美味しかった。しかしそれにしても、、あなたはいったいどこの国の料理をマスターされているのでしょうか。ちょっと気がかりです。私は今朝は柿ピーと、それからリンゴジュースだけで済ましてしまいました。怠惰の食生活といわねばなりません。

 さて、さっそく本題に入りましょう。もう少し、言葉遣いについて見ていこうと思うのです。恐らくそうすることが、もっとも手っ取り早く、自分のゆくべき道を見いだすことにもなると思いますので。

フォーカスについて

 ここで、和歌でもっとも重要な、いえ、詩としての最低条件がどのようなものであるか、少し述べておきましょう。たとえば次の歌は、百人一首の歌です。

恋すてふ我が名はまだき立ちにけり
人知れずこそ思ひそめしか

また、大体のところで(趣旨は通じるはずですから)現代語の和歌にしておくと、

恋をして浮き名はやくも立つのです
思い密かに抱いていたのに

ここで大切なのは、
一.そもそもの歌の内容
一.文章の運び方、フォーカスの変遷、各種技法など
一.口調のリズム(韻、母音のリズム、助詞などがもたらすリズムなど)
一.以下略
(一.同士は上下関係にはなり得ない)

 そのうちのフォーカスの変遷について、見てみたいと思います。もちろん当時の歌にも下手歌あり、百人一首などは名歌中の名歌なので、すべてが例外的ファインプレーといっても構わないくらいですが、少なくとも歌集を組んで出版し、あるいは金銭を徴収して謎の言語を伝授するという、もし仮にそんな集団が、この世に存在するというのならば、一般人の趣味的な歌より劣等では、巻き上げた代金の分だけ、詐欺に手を染めるようなものです。それに五七五七七なら和歌というのでは、それこそ容器を眺めて納得したような馬鹿さ加減ですから、巧拙についてもうすこし考えてみようと思うのです。

 さて、この百人一首のフォーカスですが、

まず、元々の文脈が

「知られない思いを抱いていたのに、

恋をしているという私の浮き名が早くも立ってしまう」

となります。ここには、

「自分が恋心を抱いているということ」(内的状況)

「その浮き名が広まってしまうこと」(外的状況)

という大きな意味の移り変わりがあって、自分の思いとそれを眺める世間、より正確には恋心と、人目をはばかる体面とが、共に込められていると言えるでしょう。そうであればこそ自分の恋心が、「俺は苦しいんだぜい」くらいの動物的な感情で終わってしまわず、様式化、抽象化がなさせるというわけです。これがもしも、

「私は恋しくって苦しくってあなたのことばかり、

考えて夜も眠れないのです」

などと、自分の思いばっかり、愚か愚かした学生の詩みたいに連ねたら、かえって思いが台無しになることはいうまでもありません。ついでに言えば、ニュース的な事実の羅列は、詩としては低俗なものです。それを基準してしまったら、そもそも何が良い歌であるかどうか、考える必要がなくなってしまいます。

 済みません、ちょっと脱線しましたね。脱線ついでにいえば、学生の詩が率直に主観的であることは、必ずしも悪いことではありません。ただ問題は、思いを様式化することが、結局は主観を客体化して、相手に伝えるためには必要な手続きであり、率直な主観のままでは、それは誰しも同等の表現に過ぎないから、その人のアイデンティティーが、詩のうえでまるで無いということに、成長した後にさえも、気づかない人がいるということなのです。

 もちろん「恋すてふ」の和歌では、そうした馬鹿馬鹿しい陳述は行わず、自分の恋心を、周囲の目線によって客観視させ、ひと目にも分かるほどの恋心を抱いてしまっているのかと、抽象的に悟らせるように設定されているのです。しかもそれが倒置法でなされているために、

「恋をしているという噂が立ってしまうのです」

と周囲を意識した外的なフォーカスが、

「密かに恋心を抱いていたというのに」

と詠い手の内面へと収斂されると同時に、まずは結論だけを提示して理由を保留しておいたものが、聞き手の期待を高まらせておいて、下の句で解消するという策略なのです。

 そのうえ出だしの部分、「恋すてふ(恋をしているという)」という問いかけが、「我が名」と言い直すことによって切られる(文脈を途切れる)感じがあるため、聞き手の関心をいやが上にも引きつけますが、実はここでも

「私の恋するという浮き名」

という叙述を、

「恋するという、私の浮き名」

と倒置したために、一句目の思いに重心がかかるという演出がなされているのです。この大小の倒置を織り込んで、心情を効果的に表現するあたり、フォーカスの設定は見事としか言いようがありません。

 それに対して、前回の「今しばし」はどうでしょうか、

今しばし麦うごかしてゐる風を
追憶を吹く風とおもひし

「今しばらく麦を動かしている風を
追憶を吹いている風と思うのです」

はたして下の句は、おのれの内面にフォーカスが移動しているでしょうか。いません。「封じ込めたい追憶のかなたへ」くらいの文脈に運ぶならばまだしも、これは「~を~だと思った」という、学生レベルの比喩を述べ立てているのに過ぎないからです。つまり中学生なら、

「今ちょうど麦をうごかしている風を、記憶を吹いている風と思うよ」

と歌っているくらい、誰にでも出来るような事実提示の作文を、文章の体裁だけを整えただけに過ぎず、(これまた習えば誰にでも出来る、つまり詩情とは関係のないことですが)、なんのフォーカスの移しさえも見られない、陳述的短歌に過ぎないわけです。

 もちろん率直な歌のなかには、たまらない魅力をたたえた傑作だってありますが、それは言葉のリズムと結びついたうえでの傑作であって、「うごかして・ゐる風を」などの、リズムを損なうような、無意味な切れ(途中切れの意味です)の表現がない場合に論ずるべき問題です。この切れでは、和歌の三十一字の定型として封じ込められるべき、リズムの必然性が無くなってしまうからです。

 それにしても、これはまだ善意のある歌の方なのです。実はこの短歌と「冥き遊星」の短歌は、私が唯一購入してしまったという、悲しき短歌雑誌、すなわち「NHK短歌二〇〇九年四月号」より拾い上げたものですが、もちろん「NHK」の出している、この雑誌のみが、際だって悲しき雑誌なわけではありません。他のどの雑誌を立ち読みに眺めても、どれもが同じくらいの悲しみに満ちているのです。

 わたしは何分、これを購入したのと同じ頃になって、ようやく和歌への関心が高まり、始めてその手の雑誌を開いてみた訳ですが、この社会からずれまくったような違和感は、いったいどこから醸し出されているのやら、初めはちょっと理解がつきませんでした。まさか言葉をもてあそんで、粘土みたいにこね回しているような謎のサークルが、この世に存在するなんて、夢にも思わなかったからです。それまでは、偶然番組などで添削している人を眺めても、

「この人、大丈夫かしら」

くらいに考えて、それが社会に及ぼす弊害のことなど、悪意のことなど、考えたことすらありませんでした。そうでなくても、わたしは違う分野のことばかり眺めてきたのですし、近頃ようやく、自国の伝統やら歴史やらに興味を持って、遅かれと思って首を突っ込んでみると、ちょっと体質がおかしいのではないかと、考え方やら方針からしてが不可解に思えることすらあるのです。けれども、それは置いておいて、和歌の話を進めようと思います。

 その雑誌に含まれる、「現代短歌アンソロジー《街》三十首」というページには、悲惨な言葉の配列が、短歌と銘打って載せられています。もちろん他のページだって同じくらい悲惨なのです。わたしはもっぱらこの、偶然手にした雑誌からだけ、短歌を掲載することによって、悲惨の現状を一般的傾向へと結びつけようと思います。まさか、いろいろな人の歌を集めた短歌の雑誌が、そのときだけ偶然、奇妙な歌ばかりを選別したとは思えませんし、また書店でちょっと立ち読みに開いただけでも、このような不可解な表現ばかりが、軒を連ねていることは明らかだからです。

第一の例

 さて、順番に少しだけ、ただ現状を知るためにのみ、眺めてみることにしましょう。まずは木俣修(きまたおさむ)(1906-1983)の「冬歴」より。

バラックが狭(せば)むむしあつき道をゆき
回想はかの日の秘話にかかはる

母音で、

aatuua,eauuiaui,iioui,aiouaaoio,iaiaaau

「tu」は詰まって読んで、十回読んでみるまでもないでしょう。一句二句壊滅状態で、リズムのすべり出しに失敗しています。俳句だろうと短歌だろうと、言葉のリズムが詩にすらなっていません。ただの言葉の羅列です。

 しかも開始から、「バラックが狭む」なんて奇妙な言葉で出発します。それでいて叙述が、バラックが狭まっていることにスポットを当てたいのやら、「むしあつき」に焦点を定めたいのやら、見当も付きません。ただ並べただけなのです。恐らくは、携帯小説に生きがいを見いだす中学生くらいだって、なんて下手な文章法だという憤慨が、率直に提出せられ、ぐだぐだ興ざめの説明によって誤魔化そうとする教師どもを、いっそう軽蔑するような事態にもなることと思います。もちろんそれは、教養がないからではありません。言語に対して率直だからです。

 そもそも、「バラックが狭む」なんて言葉遣いは、いかなる時代でも存在しません。バラックがおかしいのではなく、現代文的な「が」の運びの後ろに「狭む」なんて奇妙な古語を奮発しているのがおかしいのです。まるで現代文で詩文を作る能力のない者が、逃れて短歌にのめり込んで、奇妙な表現をもてあそんでいるような印象が濃厚です。

 言葉とは、文法ではありません。たとえばある瞬間の言語は、文章全体のもたらすリズム感、使用する単語、租借された慣用的表現、もちろん文法、様々なものが結びついて、初めて一つの真実となっているのです。だからこそ、源氏物語は、当時の言葉さえ学べば、情が自然に流れ込んでくる、不自然な断絶のない、一つの読み物となるわけです。

「バラックが狭まる蒸し暑い道を行き、

回想はかの日の秘話に関わる」

というのは、完全に現代文の文章の運びです。バラックが時代感を設定してしまうこともありますが、それを抜きにしたって、新聞時代の言語感覚に基づいた文章です。しかも、どんな新聞を眺めたって、ここまで叙述のつたない文章は、ちょっと探し出せそうにありません。それとも、しどろもどろの文体をもてあそぶことによって、蒸し暑くてもうろうとした頭脳をでも表現したとでもいうのでしょうか。けれども、それは間違った表現方法です。独りよがりな表現方法です。この文章は、現代文の、しかも、たどたどしく、くどくどしいたぐいの叙述に過ぎません。

 そのくせ、学生さんがお勉強をしたばかりと、「狭む」やら「むしあつき」なんて表現を使用したために、現代語から見ても、古文から眺めても、どの時代の誰が読んでも滅茶苦茶な、サークル同業者の内部でだけ通用する、謎の文体が生まれてしまいました。しかも内容がそのまんまの叙述のうえに、下の句の意味が甚だしく独りよがりです。

 第一、思い出されべき「回想」は、「かの日の秘話に関わる」というのは変です。この「回想」は題目として、「私がおこなった回想」という確認された事柄を、「は」でもって未確定の情報の提示へと結びつけたものと思われます。しかも回想とは、過去の事柄を改めて浮かべることであって、その時点では完了しているはずです。「回想しつつある」ならともかく、「回想は」と言い表すなら、すでに回想は済んだ事柄です。それでいて「関わる」と説明しているのがはなはだしい自家撞着(じかどうちゃく)なのです。考えてもみて下さい。

「ひもじさは夕べの食事抜きに関わる」

どう考えたって変です。

「食事抜きのせいである」(理由である)と説明すれば、

(過去→「それが理由である」→現在のひもじさ)

と自然に流れて意味が通じますが、「関わる」は関係を表しているのであって、

「かの日の秘話に関わる回想」

とまだしも意味の通じる文章に改めてみたって、やっぱり、

「かの日の秘話を回想する」

なら確定している過去を回想している様相ですが、そこに「関わる」という関係の説明が入ることによって、

「過去(かの日の秘話)→現在完了(回想)」

という歌い手の行為としての、自然な説明の順序立てが、阻害されてしまっているのです。つまりこれは、過去と現在の関係を無視して、相互を説明した叙述にすぎないのです。

 だとすると、

「過去→現在の回想」

という歌い手の意思など存在しないものとして、(これはつまり、主観的行為としての上の句は、存在しないということを仮定するので、短歌としては破綻しますが)、単に事実だけを説明したと考えるほかありませんが、それだともっと不自然な叙述です。

「その回想は、あの日の秘話に関わっているのである」

文法うんぬんではなく、回想を説明するのに、こんな表現は新聞だって使いません。やはり誰かの主観的行為に託して、

「あの日の秘話が(誰かによって)回想された」

と説明するのが普通です。それは「回想」という言葉が、多分に「誰かの主体的活動」を表す言葉であるうえに、前に述べたように確定された過去を完了的に思いかえす言葉だからに他なりません。つまりは「関わる」という言葉遣い自体が、すでに不自然なのです。

 つまり下の句は、自分の主観的な立場から乖離させた、しかもつたない純客観の表現なのであって、そうすると今度は、上の句との文脈の関わりが破綻するのです。なぜなら上の句では、

「狭まっている暑い道をゆき」

などと主体的な、自分の立場から語っているのを、急に下の句で破棄したことになるからです。つまり、

「町なかの狭くて暑い道をゆき

状況は会社の存亡に関わる」

と歌って済ませているようなものなのです。そして、ここにこそ、この短歌の本質が込められています。歌とは散文の叙述ではありません。「状況は会社の存亡に関わる」のは歌う前提であって、事実の提示に他なりません。それをくどくどしく説明しておいて、歌だと言い張るから、おかしなことになるのです。しかも上の句と、下の句に一つの歌であれば不自然なほどの、文脈のぶれが生じているのです。これはつまり、散文であれば、

「町なかの狭くて暑い道をゆき、

私は汗を拭きながら考えた。つまり、

状況は会社の存亡に関わるのだと」

というような意味を、無理矢理短縮したものに過ぎません。この場合は、初めは主観的説明であり、次ぎにあらためて客観的説明を行うという二つの文脈なのです。これを無頓着に合わせるのは、学生レベルの作文法に問題があるといえます。

(もともとの「回想」の文脈で散文化すると、もっと分かりづらいことになりますので、ここではこの文章で話を進めます)

 つまり、一つの歌であるのに、心情の統一すらないのです。これならば新聞の、あるところの十七字と、別のところの十四字を無頓着に継ぎ接ぎすれば、いくらでも短歌が生まれてしまうということになります。

 簡単に言ってしまえば、ひとつの様式化された文体として、

「状況は会社の存亡に関わる」

の上につくべき文章は、

「町なかの狭くて暑い道をゆき」

のような主観的文章ではなく、

「株価の下落は一向に留まることなく」(客観的説明文)

というように、ちゃんと下の句側の叙述方法と一致させなければ、和歌うんぬん以前に、一つの文章として意味不明なものになってしまいます。だから読んでいるうちに、頭がぼんやりしてくるのです。つまりツボを心得ていない文章なのです。

 やはりこれは、暑さにまいっている様子を、ぐだぐだの文章によって暗示したとでもいうのでしょうか。頭が熱にやられて、文体にまで浸食を加えた有様を見事に表現した、たぐいまれなる芸術作品だとでもいうのでしょうか。そんなのは、あまりにも書き手の独りよがりです。一般人には、つたない文章にしか見えないに決まっています。他人に不快感を与えてまで自己作品をアピールするのは、それは一部の二十世紀アーティストたちの、干からびたアート作品だけで十分です。何しろ今はもう、二十一世紀なのですから。

 こんな詩情の欠けらもない文章なら、仕事帰りのサラリーマンの数だけ、毎日生み出されるに決まっています。はしゃぎまわる学生の数だけ、生み出されるに決まっています。作るのはもちろん勝手ですが、それをもって歌集などを仕立てるのはいかがかと思うのです。いや、仕立てるのはもちろん個人の自由です。自由なのですが、和歌の伝統の生きている時代であったなら、きっと誰かが咎めることと思うのです。そうして咎めをも覚悟して歌い合うということが、結局は和歌の質を、交互に高め合っていたのだと思うのです。それを無くしたとき、交互に何をやってもいいと許し合って、ただ破廉恥をばかりと、皆さんご一緒に手を取り合ったとき、謎の現代短歌の隆盛を迎えることになったのではないでしょうか。そうでもなければ、こんな不可解なものを短歌として讃え合ったり、雑誌に載せ合ったりするだなんて、私には到底理解できないのです。

第二の例

 次はもっと悲惨です。宮柊二(みやしゅうじ)(1912-1986)「晩夏」からです。

たまきはる命かなしと午後二時の
暑き石橋日本橋をわたる

 たとえば「たまきはる命かなし」の表現の時代、「午後二時の」なんて表現は使用しません、「日本橋をわたる」も同様です、だからこれは現代語を使う人にとっても、古文をたしなむ人にとっても、きてれつな表現です。読んで失笑するたぐいのものです。あるいは、もう少し言葉を大切にする人であれば、不快感を起こすには違いありません。現にわたしはそうです。おそらくあなたもそう思うことでしょう。

 これは、必ずしも名詞の問題ではありません。和歌の伝統、いや、それ以前に詩情の欠けらでも僅かに残っていたなら、例えば「日本橋より眺めれば」など、くどくどしい叙述から離れた表現を模索するのが、和歌の始まりなのであって、現に平安時代などは漢語が公式表現でしたから、硬直した叙述の度合いは、かえって今より圧倒的に堅苦しいくらいなのです。しかし、そのままの叙述を連ねても、感情と結びつかない説明文に過ぎないことは明らかです。そのあたりにも、あのような和歌のスタイルの意義があるのです。そしてまさにこの歌は、無駄な叙述にあふれているのです。

「午後二時の暑い石橋日本橋をわたる」

 それとも現代人は、「昼下がり」くらいではもう午後の暑い感じを受けることが出来なくって、時間をはっきり定めて貰わなければ、相手にこころを合わせることすら出来なくなってしまったとでもいうのでしょうか。石橋の日本橋などと、くどくど説明して貰わなければ、暑さが伝わってこないとでもいうのでしょうか。それはいくら何でも、人間の情というものを馬鹿にしすぎです。これは作者が、現代人に思いを致した結果ではなく、単に言葉の選別をする詩情というものが、まったくない人間が、つまり散文くらいがやっとやっとの人間が、よりによって和歌などに手を出した結果起こった、ささいな悲劇に他ならないのです。

 それにしても、散文にしたってつたない記述方法です。叙述のスポットがまるで定まっていません。新聞記者が読んだら、腹を立てて、

「俺たちは、こんな拙い文章はやらん」

と私を糾弾するに違いありません。まるで中学生日記の散文レベルです。そうして叙述の失笑を煽っておいて、まるで学生が先生から教わったばかりと喜んで、

「たまきはる命かなしと」

なんて付け加えるのですからたまりません。命の悲しみのみじんも伝わってこないことは言うまでもありません。それどころか、本来の「たまきはる」の用法に慣れ親しんだ人であれば、たちまち、馬鹿にされたような不快感が沸き起こってくるに違いありません。

 それにしても理解に苦しむのは、おそらくこの作者自身、他人を馬鹿にするほどの思いは僅かにもなく、意気揚々と言葉をこね回しただけのことで、その一方文脈はまるで中学生日記そのままの、新聞の素人投稿くらいの叙述的三十一字を歌集に投入し、それがさらに、有料の雑誌に載っているということなのです。これはいったい、どうしたことなのでしょうか。

 なぜ、豊かに蓄積された和歌の伝統を蔑ろにして、まるで子供が次から次へともぐら叩きゲームにいそしむみたいに、言語文化をたこ殴りにして欣喜雀躍するのか、私にはどうしても理解できないのです。ただただノイローゼに陥るくらいの有様です。

 「たまきはる」という言葉は、お菓子のおまけみたいに、「命」にくっついている訳ではないのです。言霊がこもっているのです。つまりはある種の儀式的な効果があるのです。その上で、言葉のリズムと、歌の傾向にまでも、枕詞は干渉を加えるものなのです。ただ出来の悪い散文のあたまに、ぽこりと乗せたくらいでは、まるで浮浪者に王冠を乗っけるようなもので、なおさらみすぼらしさが目立つばかりです。

 「たまきはる」に続く落書きを見てください。何のフォーカスの移しもヘチマの成長もありません。そのまんまの叙述です。詩情の欠けらすらありません。ただ、中学生の日記帳みたいに、

「午後二時の暑い石橋日本橋を渡る」

なのです。

第三の例

 次も同様です。近藤芳美(こんどうよしみ)(1913-2006)「埃吹く町」

上野駅の夜の半ばごろ浮浪児らは
踊る少女をかこみ集る

 これはニュースです。しかも散文ニュースです。偶然三十一字になっただけです。千人の中学生があれば、千人それぞれに生まれてくる落書きです。何の文章の構築も見られません。教養から来る言葉のユニークも見られません。彼らはこれを歌集とやらに入れて、出版までしているらしいのです。つまりはこれが有料の歌だというのです。むしろ買うような人間がいることの方が、私たちにとっては、はるかに問題なのかもしれません。これは歌ではありません、ただの散文です。

第四の例

 申し訳ありません。つい熱くなってしまいました。もう一つだけ見てみましょう。柴生田稔(しぼうたみのる)(1904-1991)「麦の庭」

この窓に集まりて来る街遠き
音おしなべてさやかにあらず

「この窓に集まって来る街の遠い音」

 完全に現代日本語の、散文的叙述法です。それをもって、「集まりて」「遠き」くらいならまだしも、「おしなべて」だの「さやか」なんて使うので、また古文と現代文の奇妙な混淆(こんこう)に陥っています。念のために、これは擬古文ではありません。擬古文ならたとえ名詞などは現代的であろうとも、文の運びかたの特徴を、ある程度当時の運びに合わせなければ、それこそ古文を愛するものにも、現代文を愛するものにも、不快感を催すような、偽りのサークル言語に陥ってしまうことは疑いないからです。しかも、和歌の唱えられることによるリズムが、ずたずたにされています。

 まずは意味の分かる「音の」ところまでをまとめた、上の句から考えてみましょう。

「この窓に集まりて来る街遠き音」

現代文が変です。「街遠き音」では「遠き街音」の意味にはなりません。聞いた感じが不自然です。まるでまずは街が集まってきて、続いて遠き音も集まって来るような文章です。窓に街が集まって来るなんていう表現は、もしあったとしても、あるいは謎サークルの皆さまには、ワンダフルな表現になるのかも知れませんが、言語を学びさなかの学生だって、なかなか選び取らなないくらいの、はなはだつたない比喩表現です。窓から見える町並みを、窓に街が集まって来るなんて、デフォルメも失笑を誘うくらいのものです。そうして、音まで含めたこの文章は、明確にその意味を先に感じさせてくれます。決して「遠き街音」の響きが、自然に窓へと収斂されません。黙って読まないで、上の句を何度も唱えて、本当に「街の遠き音」のニュアンスにすんなり自然に、ワンダフルに流れ込むかどうか、試していただけたら解ると思います。なぜなら「街の遠き音」は「の」で区切れますが、「街遠き音」は「街遠き」「音」よりも「街」「遠き音」で切れる感じが強いので、「街」と「遠き音」に把握されやすいからです。正確にいえば、柔軟の頭のなかでいったん把握し直した後にさえ、ある種の不自然が雑音として残るというくらいが、私の長々とした説明のいわんとするところだといえるでしょう。その程度の微弱さをして、どうでも構わないで済まされたのでは、何でもいいことになってしまいますから。



 普通の文章すらまとめられないのであれば、誰に限らず、詩と関わりを持つべきではないのです。いえ、もちろん作るのは自由ですが、世に問うてみるには、やはり最低限度のマナーが必要だと思うのです。それを字数が少ないばかりと、言葉をこね回しさえすれば詩になるものと錯覚などいたし、詩文すら満足に唱えられないような人々が、近代になって短歌やら俳句に、大勢群がってしまいました。もちろん群がるのは自由ですし、作るのも自由です。けれどもやはり、貴族時代の和歌のように、互いに善し悪しを突き詰めるほどの覚悟がなかったとしたら、批判や批評に晒され得るというだけの意識が、僅かでもなくなってしまったら、やがてどのような文化的末路を辿るか、それこそ企業の餌のようにさせられてしまった、川柳のなれの果てを見ても、よく分かると思うのです。あの世界では、言葉のリズムという一番大切な要素が破壊せられ、品位は一パーセントの欠けらすらも残されず、奇天烈な表現やら、着想のオンパレードの、言葉のガラクタが大量生産されているからです。そうしてくだらない着想の一文字をばかりと、詩的センスのない人間でも理解しうることだけを、交互に讃え合っているのです。

 それを考えるとき、俳句の世界がまだしも、どれだけ守られているかを知ることが出来ると思います。動物的と現代的とを履き違えて、絶好調とばかりに叫ばれては、もう、何も論ずる必要性はなくなってしまいますから。



 ともかくも、聞いて不自然な表現は、歌としてはもはや破綻しています。実際はそれ以上、語るべき何ものも、存在しないのですが、しかし頑張って説明を続けてみることにしましょう。

 先ほど説明したように、もし「遠き街音」ならば、「遠くから聞こえてくる街の音」を縮めたくらいの意味として、自然に捉えられるわけですが、「街遠き音」これは「遠き街の音」の意味ではなく、「街と遠き音」の感が濃厚です。つまり元歌は、意味を取って「音」まで入れるとなれば、

「この窓に集まりて来る街、遠き音」

という文脈に把握したくなるような傾向をもっていて、そうるすと窓に街が集まって来るという、(もちろんこんなチープな表現を、ユニークとして讃えるようになったら、もうおしまいかと思われます)、まず誤った捉えられ方をしてしまうのです。(より正確には、気がついた後には修正が掛かりますから、誤りはしないのですが、ある種の違和感が消え残るというくらいのものですが)、さらに「音」が下の句に掛かっていますから、もう一段階おかしなことになるのです。つまり、

「この窓に集まりて来る街遠き」

と下の句の「音」は、和歌として唱えた瞬間に、効果的に「遠き音」として把握されないからです。

 なぜなら下の句が「音、おしなべて」と、「街・遠き」で切れた後ろへもって「音」をずれ込ませただけでも迷宮入りなのに、「音」だけでとどめてから、新たに「おしなべてさやかにあらず」なんて出発なさるものですから、

「窓辺より見晴らす遠き街々の
音の気配もさやかにあらず」

などのように、上の句を下の句に橋渡したような効果が途切れてしまい、なおさら、

「この窓に集まりて来る街遠き」

を孤立化させてしまうからです。

 いわんとする意味から眺めた、一番初めの考察は保留して、この短歌をまっさらな心で聞いていると、まずもって、

「この窓に集まって来る街は遠い」

という意味こそが、まずはイメージとして浮かび上がってきます。集まって来る町が遠いというのは、距離感が滅茶苦茶です。遠い町並みは、決して集まって来たりはしません。遠くにあるのです。この不可解がまず第一に起こって、次ぎにさらに「音」が加わった時の不可解、私たちが初めに考察した不可解が第二に生まれ、このぐだぐだした(音便を戻しただけの)現代的文章のなれの果てに、待っていましたと、「おしなべて」「さやかにあらず」なんて時代錯誤の表現が、奇天烈を確定させるのです。

 上の句は古文にはなっていないのです。こってこての現代文です。こんなぐちゃぐちゃの文章は、普通先生が注意すべきものなのではないでしょうか。中学生が、古語と現代文をごっちゃにして答案を提出したら、それを採点する人がいなかったら、大変なことになってしまうのではないでしょうか。まるで日本語を穢しているとしか、私には思われません。サークルの謎短歌に関しては、すべて現代語にしてみれば、どれほど陰惨な表現をもてあそんでいるのか、よく分かると思います。すなわち、

この窓に集まって来る街遠い
音すべてはしずかではない

考えなくたって不自然です。中学生だって、こんなだらけた文章は、そうそう書けるものではありません。書き残す必要のない文章です。しかもこの短歌は、もっとも素直な読み方をするのであれば、

この窓に集まりて来る街・遠き
音・おしなべてさやかにあらず

と歌とは関係のない、ぐだぐだの切れを持っているのです。それでいて、街が窓に集まってきたり、街が遠くに思えたり、そうかと思えば遠き音だったと気づかされながらも、不自然が付きまとったりしたあげくに、歌のオチは「すべてがはっきりとしない」という、ただのくどくどしい叙述なのです。添削して、普通の中学生が書くくらいの文章に直して、

この窓に集まって来る街の遠い音の
すべてがはっきりとしない

という散文にしたって、あまりにも焦点が定まらず、その上、不要な説明に満ちあふれています。それとも、すべてがはっきりしないイメージを出すために、わざと歌をわからないようなイメージで飾り立てたとでもいうのでしょうか。そんなのは、いくら何でも間違ったやり方です。よくない、やり方です。それだったら、

集まりて遠きおしなべてさやか
この窓に来る街音にあらず

くらいにした方が、よほど効果的です。さすがにここまで滅茶苦茶になれば、コラージュの作品だと気づきますから。頑張ってパズルを解く気だって、起きるかも知れません。

(しかもこのパズルは、比較的簡単に解けるように作られています。それが解けない要素は私にではなく、元歌の問題に帰されることでしょう。)

 つまり簡単に考えれば、この短歌は、詩文はおろか、よどみなく普通の文章をすら記すことの出来ない、文芸として身を立てるには及ばないほどの人物が、なんども口唱に鍛え直すこともなく、学生がパズルをするみたいに、卓上に言葉をこね回して、不可解なものを生み出してしまったものであって、「歌」として分類するような文章ではないのです。ただのつたない「文」です。強いて言うなら「短文」です。これが一つの作品であるというのならば、新しい芸術ジャンルを創設したほうが、いいかと思われます。

 はじめに見た、当時の和歌のパラフレーズを思い返してみて下さい。もしこんなものを和歌だと言い張るなら、和歌とその伝統、すなわち私たちの立脚すべき文化に対して、あまりにも屈辱的なことではないかと思うのです。芸術のあるべき姿のために、作品を批判して、糾弾するべき人々がいなかったら、もしそれを他人の自由表現への侮辱だとして、すべてを封印してしまったとしたら、その国の文化はもはや、末期を迎えていると思うのです。

 言葉に生きるものは、言葉のために糾弾を続ける必要があります。そのくらいの本気すらなくて、ただなあなあを友として、良し悪しを放棄しつつ和やかに戯れるから、謎のサークルが誕生してしまうのです。  がらくたでも何でもお構いなしに、互いにすばらしいと褒め合っていれば、それはいいに決まっています。心乱されることもなくて、毎日笑い合っていれば、それは幸せに決まっています。そうして批判ばかりをみんなと糾弾して、蓋をふさいでしまったならば、どれほど彼らにとっては、幸福の理想郷に思えることでしょう。何をしても、咎めるものがいないのですから。

 けれども、文化も社会も、あらゆる事柄は、考える人たちが作ったものです。考えるがゆえに発展してきたものです。それを糾弾して、蓋をした瞬間に、その国はもはや衰退を向かえることは間違いありません。その国の伝統も、文化もみんな稚拙を一心に流れを早め、はやり以外何一つなくなってしまい、アニメやらゲームやら子供のオモチャくらいの作品しか、人様にお見せできるものが、なくなってしまうに違いありません。やがて彼らの文化は世界中から邪険にせられて、自我の雄叫びのうちに滅んでいくことでしょう。

 そうならないためにも、わたしは言葉という、もっとも文化の根幹に関する、芸術において闘っていこうと思うのです。けれどもひとりは苦しいものです。一緒に闘わなくてもかまわないのです。ただ、あなたが傍にいてくれさえすれば、まだしも勇気が湧いてくるように思われるのですけれども……



 すいません。とんだ場違いな脱線でした。わたしはまだまだ、こころが虚弱なようです。もっとしっかりしなければなりません。重要なことですから、執拗に繰り返しますが、和歌は散文の叙述ではありません。散文で効果的なことは、散文が行うべきです。和歌の領域は、例えば今の歌で例えるのであれば、この下手なスケッチから、どうにか読むべき着眼点を見いだして、そこにスポットを当ててこそ、始めて歌を読み始めるべきなのです。「べき」などと書くと、まるで規則を設けているように錯覚されるかも知れませんが、それは違います。ただ単に、そうでなければガラクタほどの価値もなくなってしまう、というだけのことです。

シングルに疲れたたずむ窓さきの
かすかなものは遠きまち音

 ルーズに済ませてしまいますが、このくらいの歌でも、四句目の「かすかなものは」までが問いかけ、というか題目の提示となっていて、「それは遠きまち音」という答えが返されるので、伝えたい事柄の中心が、フォーカスの設定からもサポートされるわけです。あるいは四句目の叙述を強めて「かすかに響く」にしてもなお、二句までの主観によって、「疲れてたたずんでいるわたし」それに対応して「遠きまち音」にスポットが当たるので、無意味な叙述ではないことになります。つまりは、叙述の過剰が即悪ではないのです。焦点の定まらない、心情とまるで結びつかない、ニュース的な記述のままに終わってしまう、無意味な駄散文が悪いのです。

 あるいは冒頭を「ダブルベット」にすれば、恋の歌にもなるかと思います。

ダブルベッド疲れたたずむ窓さきの
かすかに響く遠きまち音

ちょっと意味深になりますが、ホテルを思い起こさせるひと言が加わっただけで、どれほど効果的に聞き手に情景のイメージを与えることが出来るか、もとの曖昧を極めた短歌と比較して欲しいと思います。もちろん私は、アピールとはしゃいで、このようなことを記しているのではありません。このくらいの発想は、誰にだって自然に湧いてくるはずなのですから。

この窓に集まって来る街の遠い
音すべてがはっきりしない

 どこに歌のスポットがあるというのでしょうか。「音がはっきりしない」は中立的な叙述です。歌い手の思いがまるで「はっきりしない」、いや、正確には存在しません。あるものは、着眼点という名の己惚れだけです。強いて言うなら、この歌の価値は、窓辺の街音がはっきりしないという着眼点で歌えたわたくしをアピールすることにあった、としか言いようがありません。だとすれば、いやらしい歌です。しかも変なところで、「音」だけが下の句に組み込まれています。

まとめ

 つまり、これが彼らの主張するところの、現代短歌の実態なのです。かつての和歌の伝統をみんなハンマーでもってぶち壊し、もぐら叩きといじめ抜き、逃れたところをさらに蹴っ飛ばし、ただくどくどしくニュースを述べ立てるだけのものを、古文にもなっていない古語をもてあそんで、飾り立てるものが現代短歌なのです。もちろんすべてがそうではありません。けれどもこの雑誌一冊を眺めても、そうでないものを探しだすことが、お宝探しゲームくらいに難しい有様なのです。おそらく、謎サークルがこれほど隆盛を極めている時代には、きわめて常識的な人々は、雑誌などには顔を見せずに、隅のほうに追いやられているに違いありません。もちろん私にはそれを知るすべすらないのですが、謎サークルの分派ではなく、正当な和歌の表現を受け継いだ人々の、集うようなコロニーを、どこかに作れないかというような気持ちも、近頃は少しするのです。  しかも、この謎サークルは、新しい子分たちをジュニアとして、せっせと育てているらしいのです。ごく若い人たちまでも、平気で古文とも現代文とも不明瞭の、謎のサークル言語を使用したりするのです。それでいて、古文を本気で学ぼうとすらしないらしいのです。

 私は、わざわざこのような短歌を選び抜いている訳ではないのです。ただ順番に提示しただけなのです。なぜならこの三十首は、すべてがこんな調子で続いていくのです。私はなみだながらに読破しました。言葉をもてあそんでいる彼らが、許せない気持ちで一杯になりました。言葉はもっと真面目なものです。別段、スラングだろうと、「超(ちょう)」を付けようと、社会から乖離した、捏造言語を弄ぶよりは、遙かに真面目な言語生活には違いありません。

 この三十首には、一首たりともまともな歌がないのです。心情と結びついた、日常的な言語生活が存在しないのです。そうして見事なフォーカスの設定も、効果的な心情の表出もどこにもないのです。ただ一首ごとに、ここに記したようなことが、虚しく広がりゆくばかりなのです。あるのは着眼点におのぼれる子供の姿あるのみです。まるで言語砂漠です。言葉のなかに、地獄があるとは、わたしは今まで思いもしませんでした。



 あなたが、そして私が、ちょっと短歌の雑誌などを立ち読みにめくっただけで、気分が悪くなってくる理由も、これでは無理はありません。私はこんな恐ろしい世界が、この世に存在しているなんて、うかつにも今年になるまでは、すこしも知りませんでした。知らないこそが幸いだったのかも知れません。けれども私は日本人です。例えこの国のすべての人々が、愛国心をくだらないものと罵って、お化けみたいな化粧をばかり、雄叫びを一途と張り上げたとしても、なおかつ闘ってみせるほどの、けなげな日本人です。母国語を、母国語の歌の伝統を蔑ろにするような行為だけは、どうしても許しておくことが出来ないのです。

 なぜなら彼らは、これこそが日本の伝統で、美しい日本語だと主張するに違いないのです。日本の伝統に対して、これほど屈辱的な言葉があるでしょうか。私は悲しくなってしまいました。どうにか自分の和歌を見つけ出さなければなりません。奇天烈でなく、破天荒を極める必要を持たない、もっとありきたりの、現代にあって過去を踏襲しつつ、しかも未来に向かって手渡していけるような言葉の芸術を……



 しかしそれにしても、やはり書籍より、

あかねさす紫野行(むらさきのゆ)き標野行(しめのゆ)き
野守(のもり)は見ずや君が袖振る

のような万葉集の傑作には、何一つ変更しようのないひるいない結晶性を見いだすに付けても、私はそれと同等の完備された和歌を、現代語の表現に見いだしたいと願うばかりなのです。もちろんその一つの指標には、また書籍より、

「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日

といった俵万智さんの作品などが、好例として上げられることは間違いありません。

 これが口語調だったからブームを巻き起こしただけだなんて、今頃述べ立てる愚人(おろかびと)もいないと思いますが、純粋に詩として、言葉(表現)と心情が一致した、すばらしい結晶性を備えているからに他なりません。これを「陽に泡立つを目守(まも)りゐる」やら「麦うごかしてゐる」といった、情からずれた表現と比べてみるとき、さらに先ほど見てきた、「街遠き」などと比べてみるとき、どれほど自然であるか、よく分かると思います。それでいてフォーカスの持って行きかたは、さりげなくファインプレーに充ちています。決して誰にでも作れるような歌ではありません。

 そうして、このモダンな感覚は、わずかに「言ったから」を「言つたから」に変えただけでも、嘘くささのうちに崩れ去ってしまうものなのです。まるで現代文の小説の一節から、偶然見つけてきたくらいのさりげなさを装っているがゆえに、始めて価値を持ち得るのです。

 恐らくは、今回見た歌人のどなたかでしたらきっと、

七月六日美味しと君の聞く声を
思ふこころやサラダ記念日

なんて歌って国民一斉の失笑を買ったうえで、やれやれ、さればこそ大衆は愚かなりなんて憤慨したに決まっていますから。しかもそれがどれほどへたれきった駄文であるか、まるで自覚症状がないのです。

 俵万智さんの作品のように、自然であること、技巧的であっても自然を踏み外さないこと、それを指標とすることは、少なくとも和歌がピークを迎えていた頃には、守られていたように思うのです。それは単純に上品、下品としては分類できないような、ある種の品位、あるいはマナーと言ってもいいかもしれません。

 私はそれをつかみ取るために、まずは小学一年生の心持ちで、「和歌とは何か」における第一章「枕詞」へと向かってみたいと思います。

 どうかおかしなところには、些細なことでもお手紙をください。けれどもそれはそれとして、どうか私の味方であってください。心の支えだけは、誰にだって必要なものなのですから。では、今日はこれまでで失礼します。お元気で。。

(二〇〇九年八月七日)

2010/2/18

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