赤い雪

(朗読)

赤い雪

 目覚めれば、薄明みたいな部屋を、かといって火灯すでもなく、まだ眠るあいつを残して、俺はまた立ち上がった。部屋の真ん中には、発光体のオブジェが回っている。黄緑色の明かりを放って、立方体の集積回路みたいな様相の、円柱の台に乗せられた、静かな静かな工芸品。一つの角から斜め立ちした側面に、ちょっと手をかざしてみれば、ひときわ輝きを放った上方に、カレンダーと現在時刻が投影されるのだった。

「ただいまの時刻は……」

なんて自動音声が教えてくれるので、俺はもう起き上がる決心をした。

 しかし、ちょっと部屋が寒いようだ。早起きのしすぎで、空調モードがまだ変わっていないのだろう。入り口にあるパネルを操作して、埋み火(うずみび)モードを解除した。この『炭火シリーズ』の空調システムは、モードの名称が大和心をくすぐる。すぐにそれらしい肌感覚になるので、非常に気に入っている。暖かさはすぐに募ってきた。

「もう、朝なの」

ベットの方から、寝ぼけた女の声がする。それが誰だか、わざわざ説明する必要もないだろう。

「まだ寝ていろ、朝食の準備をするから」

 今日は俺の担当だ。朝食は二日交替制である。共同生活の基本だった。昔は家事は女、仕事は男なんて、馬鹿げた時代もあったそうだが、ようやく近頃は、仕事と家事のバランスが、双方向に保たれるようになってきた。これは夕べのニュースの解説である。

 だからって、手の込んだことはしない。ご飯と味噌汁がベースである。決してパンではない。世界は一時期、グローバル化を極めたなれの果てに、単一文化、単一言語の危機をすら迎えたことがあった。国際的巨大企業の押し売りが流通商品を均質化し、英語共通文化圏の代表者たちが各国の政権を担当し、ついに母国語を英語に変えたからである。もちろんネットで繋がった大衆が、無頓着にそれを望んだことが主因であった。しかし、それが自らを豊かにするどころではなく、画一化した乏しい人間しか生み出さなくなったとき、巨大資本による単質的な娯楽しか生み出さなくなったとき、ようやくリバイバル運動が沸き起こった。ずいぶん昔のことだ。

 その結果、固有の言語、固有の衣裳、固有の文化、固有の歌を讃えるそれぞれの国が、地域が、小集団が、それぞれに自己主張を掲げながら、異なる集団と盛んに付き合いを深めるという、「新多様化宣言」が国際会議で採択された。もちろん個別主義ではない。新しい国際主義の枠組みに他ならなかった。

 それ以後、世界中の誰もがスーツを着込んで会議に列席し、会社に通うという、不気味な社会は少しだけマシになった。各国とも、民族衣装をもとに、現在に最適化された、着こなしやすい衣裳を正装と定め、公式会議に出席するようになった。天皇が洋服で諸国を行脚(あんぎゃ)なさるようなこともなくなった。各国とも、各国なりのファッションとブームを持つようになり、民族伝統と結びついた服装は、それぞれの地域産業を回復させた。世界規模の大企業が単一の服装を流行らせる、おぞましいシーズンをようやく乗り切ることが出来たのだった。

 だから企業だって、今ではそれぞれ独自の制服を着こなしている。学校の制服だってずいぶん違っている。私服のところだってある。もちろん程度の問題には過ぎなかったが、全員が同じスタイルで町を行き交う、あのおぞましさだけは解消されたのであった。そして、それに合わせるように、自国スタイルの食文化も見直されたから、もちろん俺たちは各国の食事だって楽しむが、朝食の基本はご飯に里帰りを果たしたという訳だった。

 もっともこれは、学生時代に教わった抽象的な歴史に過ぎない。しょせん人類は纏綿(てんめん)と連なる連続体だから、こうしたことはパーセンテージの問題に還元されるからである。自国スタイルと国際主義を両立する流れとは別に、万国共通主義もやはり大河を流れている。けれども割合の変化こそが、もっとも大切なことだというのが、学生時代の歴史の教師の口癖になっていたのを、俺は今でも覚えているくらいであった。

 さて、話がそれたようだ。米のブランドは、『コノハナノサクヤヒメ』である。最近、美味しい米として有名だ。もちろん工場米ではないが、その名称は、日本神話の女神に由来するらしい。ホデリ、ホスセリ、ホオリの命(みこと)のお母さんで、ニニギの命(みこと)の妻なのだと、袋のところに説明書きが加えられている。なんでも友人の説によると、この米を『コノハナサクヤヒメ』と呼ぶのは間違いで、母音のもたらす『OOAAOAUAIE』における真ん中の『O』の影響力を悟り得ないものには、詩人になる資格などないそうである。ずいぶん馬鹿げた説を唱えたものである。

 もちろんご飯はタイマーで炊いてあるから、後は佃煮と、スクランブルエッグと、ベーコンを焼くだけである。どこが自国料理の見直しかと思うだろう。しかし、すべてを太古に巻き戻したんじゃあ遣りきれない。ほんの少し、自国に戻すくらいだっていいではないか。現に俺だって、塩鮭を焼くことだってある。味噌汁はちゃんと準備する。パンの消費量は、ピークの半分になったと、少し前にニュースでやっていた。そのくらいの見直しだって、十分すぎるくらいのものである。

 準備が済んだら、ようやくカーテンを開く。『炭火シリーズ』だから、部屋のなかは暖かい。しかし今日は、冬寒の風が吹いているらしい。もちろん晴れじゃない。どんより曇っている。しかも灰色の雲だ。今に雪でも降りそうな気配だった。

 ベランダの窓をぼんやり眺めていると、彼女が自(おの)ずから起き上がってきた。俺の隣りに立って伸びをするから、そっと引き寄せてやった。彼女が体を預けてくる。ちょっと髪を伸ばしすぎだ。寝ているうちに切っちまおうか。

「やだ、海があんなに緑色」

俺がその髪を弄んでいると、彼女は海を眺めながらに目を丸くした。

 今日はいつもより、海が緑色に発光するらしい。温暖化の促進と、メタンハイドレートの融解が、大規模な気候変動を巻き起こしたとき、各地で大都市の水没や、島での生活放棄、巨大ハリケーンの襲来などが相次いだ。人間の利害関係のしがらみが、温暖化抑制に間に合わなかったためだ。我が国の首都でも、海面上昇に地震が加わった時、現状維持が困難になった地域が広範に生まれ、その頃だったろう、馬鹿みたいに人口を密集させて、人間らしい生活を破棄するような生き方が見直され始めたのは。首都の移転こそなされなかったが、地域都市の活性化が図られ、東京の人口も、かつての半分くらいになった。以前よりは住みやすい環境になったそうである。ぎゅうぎゅうに狭いところに固まって、群がることが幸せだなんて思う奴らも、今ではずいぶん少なくなったなんて、老人たちが口にすることさえあるくらいだ。

 しかし、ちょうどその頃かららしい、毎年冬になると、夜光虫の変種で強力な光を放つプランクトンが、時々湾内に群がるようになったのは。今日のような暗がりの曇り空では、昼間でもそれが光って見えるのだった。もちろん、そこにいる魚は窒息しちまうから、漁業関係者には、『地獄の緑火』などと恐れられていた。

「なんだか不気味だな」

「灰色の風景に、黄緑だけが浮きあがるなんて」

 そう。灰色の風景はまだ健在だった。この都市の緑化計画と景観の見直しは、重点地域を除いて、あまり進行していなかったからである。特にこのあたりは、かつての生き残り地域だったから尚更(なおさら)だ。それでもあの海の底には、古い町並みがそっくり残されているに違いない。もちろん、高層ビルは首を折られて、船の運航が出来るようになっている。数日前のドキュメンタリーでも、海中の映像を盛んに放映していたっけ……上空では、赤い点滅灯を付けた飛行機が、ゆっくりと飛行場へ向かっていく。水平線の彼方まで、厚い雲が覆い被さっている。

「さあ、飯にしようぜ」

俺たちは茶の間に向かった。リバイバルの影響で、もちろんすべての部屋ではないが、食事を取る居間だけは畳になっている。ちゃんと炬燵だってセットされている。古くて新しい生活。床敷きの畳なんて、室町頃からの伝統しかないらしいが、それだって十分大和魂なのだというのが、これまたワイドショーのナレーターの話だった。

 もちろん、食事中はテレビなんか付けない。静かに味覚を楽しむんだ。国際機関が、生活におけるメディアのあり方の枠組みを提唱したときも、列島の国民だけはテレビをたれ流しにし続けた。日本を名指しで非難する有識者も現れたが、へこたれる様子は見られない。だが俺たちは、その枠組みに賛意を示し、食事の時はメディアとは関わらず、食事をこそ楽しむことに決めたのだった。もちろん快適な生活である。彼女だって賛成してくれている。

 だいたい、朝のニュース番組なんか、十五分も見れば足りるものなのだ。あとは電子ブックで新聞をひと巡り。大した時間じゃない。残念ながらこの国には、今だニュースの見過ぎによって、世間を受難の連続と見誤る、心気症の傾向が、多くの国民に息づいている。自らの周囲が、どれほどの安全に守られているか、まるで分かっていない。このことも、国際機関から文化的後進性との指摘があったが、メディア漬けの国民には通用しないらしかった。

 さっそく片付けを済ませて、ひげを剃り尽くしていると、不意に壁掛けのディスプレーが、ニュースを流し始めた。いつもは、ホテルの回廊なみにBGMを奏でながら、風景が移りかわるくらいの壁紙パネルに過ぎないが、緊急時のニュース受信を兼ねているのである。もちろん、ニュースの垂れ流しにも出来るし、アルバム再生装置にもなるから、なかなか便利な代物だ。今は音声受信モードになっているから、香港かどこかの夜景がアルバム投影される中に、アナウンサーの声だけが響いてきた。音量は自ずから大きくなる。

「間もなく、該当放送受信地域には、雪が降るでしょう」

ただそれだけのニュースである。今日は日曜だし、二人で部屋に籠もっているのも悪くない。しかし彼女に尋ねると、

「クリスマスの買い出しに行かなくっちゃ」

と張り切っている。こうなったら、もう止められない。女の購買意欲だけは、人類滅亡の日まで変わらないんだ。また付き合わされるに決まっている。俺はしぶしぶ、彼女を倣って外出の準備を始めた。この間の借りが、まだ一つ残っていたからである。

「ねえ、ちょっと来てよ」

驚いたみたいな彼女の声が、ベランダの方から響いてきた。

「どうした」

と出向いてみると、

「あれ」

と窓の方を指さした。俺は釣られて覗き込む。灰色の世界に、雪が降り出したのだ。しかしそれは、真っ白な雪ではなかった。俺だって生まれて始めて見るような、真っ赤な雪が降り始めたのである。まるで紅色牡丹の欠けらのような、返り血を浴びて染まったような、薄気味の悪い雪が、大粒の血の涙をしたたらせて、ぽたりぽたりと舞い落ちているのだった。

「赤い雪」

俺は思わず呟いた。彼女が怖がって、そばに寄ってきた。俺は彼女を抱き寄せながら、二人で降りしきる雪を眺めていた。

 それは、恐ろしい光景だった。灰色の空、くすんだ町なみ、かなたには黄緑の発光を続ける海。そこに赤々とした雪が近景に、遠景に、後から後から果てなく降り募るのである。不意にうしろから、臨時ニュースの声が響いてきた。

「速報。速報。臨時ニュースをお知らせします。ただいま、赤い色をした雪が降り初めたもようです。現在のところ、理由は判明しておりません。有害の恐れがありますので、該当地域の皆さまは、外出をお控えください。またすでに……」

 俺はリモコンを使って、騒々しいニュースを切った。

「今日は外出をお控えください」

俺が呟くと、彼女は、

「分かったわよ」

と首を傾けた。ちょっと不満そうである。

 赤い雪は、赤いままに降り積もって、いつしか町並みを血の色に染め抜くのだろうか。恐ろしいことである。相変わらず仕事一筋の奴らも多いから、ニュースにも関わらず、下界では傘の影や、自動車の移動が忙しなく続いていた。

「クリスマスにも、赤い雪が降るのかしら」

彼女がそっと呟いた。この都市にまた悪いことが起こる予言のような気がして、俺はなんとなく落ち着かなかった。

2010/3/6

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