生き埋

(朗読)

生き埋

「ただいま、二〇〇八年、三月八日、十一時二十七分。富士山で噴火が発生しました」

 テレビから丁寧なアナウンスがなされる頃には、すでに部屋の中はぐらぐらと揺れ動いていた。窓際を眺めると、まさに富士山のてっぺんから火炎が吹き上がっている。あんな遠いのに、こんな大きな揺れが来るのはちょっと信じられない。一緒に地震でも発生しているんじゃないかと思うくらいである。けれども違っていた。なんだか燃えたぎった溶岩が、はるか我が町まで飛ばされてきて、ドシン、ドシンと、爆弾なみに建造物を破壊しているのである。また、向こうから火の手が上がった。西の空では富士の火柱が、真っ赤になって燃え盛っていた。

 溶岩が窓に目がけて飛んでくる。私は恐ろしくなってキッチンの方へ逃れた。近くに騒音が響いて、またぐらぐらと地響きがした。

 しばらくは床の上に、膝小僧を抱えて縮こまっていた。恐ろしいことこの上ない。このマンションに直撃でもしたら、ひとたまりも無いだろう。そうでなくたって、町中が大火災に見舞われるに違いなかった。自分は、うまく逃れられるだろうか。

 キッチンといっても、ここは部屋の入口部分である。もう鍋やらフライパンが散乱して、踏み場もないような有様になっている。皿は籠のなかに割れているので、タオルで包んで飛び出さないようにしておいた。しかし、足場を整えているとほどなく、蛍光灯がふっと途切れてしまう。むしろ今まで点灯していたことが奇跡だった。

 玄関の扉から、ガラガラと響きが伝わってくる。驚いて、のぞき穴から見ると、よく分からないが、向こうの家々に灰だの軽石などが降り積もっている様子だった。ドアを開いて確かめようとしたが、どんなに押しても開こうとしない。一体、どうなってしまったのだろう。

ドシン、ドシン

体ごと当たってみたが、まるで壁のようになって動かない。激しい地響きだけは止んだんで、部屋の方へ戻って、窓際から確かめようとした。すると大変な事態が進行していたのである。

 ベランダと窓のあいだを埋(うず)め尽くして、砂礫(されき)やら土砂やら火山灰やらが、もう巨大なものではなく、窓ガラスを破壊するでもなく、淡々と蓄積を続けているのであった。窓ガラスに針金が入っているから持ちこたえているようなものの、もう自分の腰の高さくらいまで、灰に埋もれているのである。

 それにしても、ここは三階である。下の階はどうなってしまったのであろうか。慌てて窓際に近づいたら、驚くべき光景が広がっていた。見晴らせる遙かかなたまで、二階建ての家々を丸呑みにして、火山灰が降り積もっているのであった。黙示録の予言が成就するみたいに、すべてを更地に返すために、同色の雲から灰が降り注いでいる。恐ろしいくらいの静寂だった。ただ富士山の火柱だけが、唯一の騒音となって色彩を奮い立たせている。それ以外はただ灰色の砂漠が、かなたまで続いていくような感じだった。

「そうだ、ラジオがあった」

私は電池式のラジオを引っ張り出してきた。選局を続けると、放送はほとんどが途切れている。ようやく一局入ったかと思ったら、しかしもう、

「まもなく、こちらの電波は途絶えることになるでしょう」

という悲痛な叫びが響いてきた。都内は高層ビルが多いはずなのに、どうしたことだろう。テレビだって映らないのだから、事情なんて確かめようがなかった。ラジオはほどなく途切れ、どの選局も意味をなさなくなってしまう。都内も壊滅状態なのだろうか。窓の外は、早くも半分以上埋もれてしまった。それでいて、一向に止む気配さえないのである。

「このままでは生き埋めにされる」

 突然、恐怖が沸き起こった。もう一度、玄関へ走ると、扉へ何度も激突して、わずかでも押し開こうとした。もちろんこんな状況で外に出たって、砂礫に打ちのめされて、たちまち殺されてしまうかもしれない。それでも外に出たかった。こんなところで、窓が完全に埋もれたら、電気だって途切れて、懐中電灯やら、携帯やらの明かりで、死ぬのを待たなければならないのだ。そう考えると、たとえ打ち殺されても、どうしても部屋から逃れたかったのである。

 また部屋へ戻った時、思わず立ちすくんだ。窓がほとんど埋められている。ガラスに亀裂が走って今にも割れそうだ。もう駄目だ。最終局面だ。とても部屋から必要物資を救出しているヒマはない。辛うじて携帯だけを持ちだして、私はキッチンへ飛び込むと、ドアを全力で閉め切った。その瞬間である。激しいガラスの割れる音がして、部屋に砂礫がなだれ込んできたらしかった。

 扉を閉めたら、真っ暗な闇に閉ざされた。入口の覗き窓のひかりすら、もう見られないのであった。私は携帯を開いてみる。小さなライトが、辛うじていのちを繋いでいるように思われた。それを見ているうちに、私はゾッとなった。

「なんで扉を閉めたりしたんだ」

慌てて、部屋へ向かう扉を開こうとしたが、こちら側も、もはや開かなくなってしまっていた。火山灰がドアを塞いでしまったのだ。なんて馬鹿だったんだ。扉を開けたままにして、奇跡的に途中で留まったら、掘りながらに外へ逃れた方が、まだしも生存の可能性があったのに。私は何度も体当たりを試みた。部屋の扉に、それから反対側のドアに。真っ暗な世界は恐かった。スイッチを入れても、もちろん電気は点かなかった。食料はある。数日は生きていける。けれども町中が灰の下では、助けに来てくれる者なんかいないだろう。この携帯だって、どのくらいバッテリーが持つか分からない。すでに充電は満タンではないのである。ネットに繋いでみても、通話を弄っても、もう電波なんか、まるで届かなくなっているのだった。

 ここには、包丁がある。もしもの場合は、せめて自分の意志で……それは恐ろしい決断になるだろう。せめて誰かと話がしたい。隣にも誰か、閉じ込められてやしないだろうか。そう思って何度も壁を叩いてみたけれども、留守なのか、もう埋もれてしまったのか、なんの答えも返ってこなかった。何となくホコリっぽいので、携帯の明かりを掲げたら、とうとう通気孔のところから、火山灰が進入を始めたらしい。

 私は観念しなければならなかった。そうだ、人生最後のひと時を、まだ冷蔵庫のものが腐らないうちに、確かここに酒が……よかった、割れてない、人生最後のラッキーだ。せめて酒でも飲みながら……

 そう思いながら、泣きべそがてらに酒を開けているところで、私は目が覚めたのであった。ずいぶん寝汗を掻いていた。慌ててカーテンを開いたが、砂礫なんかどこにもなかった。私は穏やかな自分の部屋に感謝した。実に短い夢であったが、実に恐ろしい夢であった。

2010/4/6

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