夢の五段階説

(朗読)

夢の五段階説

 今年またしてもの大学受験に失敗した。僕の一生懸命は親たちにも分かって貰いたいばかりに、さらなる買いあさった参考書を積み上げて、必死なところをアピールしてしまったのだ。それからまた勉強が始まろうとしていた。けれども僕は机に向かって首をひねった。

 数学の勉強は、高校二年生のところから止まったまんまである。英語なんかはまるきり中学校から止まったまんまである。教科書ばかりが山のように積まれて、そうして参考書やら計算ドリルやら、どこから手をつけて良いのかも分からない。自慢じゃないが日もすがらそれを眺め暮らして、溜息ばっかり繰り返すのがなんとも自分流である。効率よく塾へなど通うのは、僕には耐えられない思いであった。

 まずは問題集を順番に並べてみる。それからスケジュール表を作ってみる。罫線を定規で引きながら、スパッとボールペンを振り切った。すこし格好(かこ)いい。それから日付を書いてみる。書いてみると驚くくらい、やることが沢山ありすぎて、あっぷあっぷに息が詰まってとても泳ぎ切れそうにない。すっかり気持ちが凹んでしまった。これは進むべき一歩ごとを怠惰にやり過ごた、学生時代への警鐘と罰が、神々から下された結果なのであろうか。悩ましいうちにうっかり一日を過ごしてしまった。

 金銭を負担する両親には本当に済まないと思う。けれども大学を勧めるのも両親である。あいつら自分たちで行けばいいのにと、ちょっと自棄(やけ)を起こすことだってある。またせっかく勧めてくれるのだから、ぜひとも行きたいと願うこともある。ようするに僕には意見がないんだ。意見がないから、目標も定まらないんだ。僕は一塊のくらげだ。ぷかぷか漂うばっかりだ。そうして今度は部屋を行ったり来たりする。そうしたら今度は僕は駄目犬だ。小屋のまわりをうろちょろするばっかりだ。時々は空手の真似をして、「えいっ」と手を付きだしてみる。なんだか自分でも弱そうである。しかし両親は共働きだから、僕が机に向かっていると勘違いしているに違いない。そう思うと気の毒だ。せっかくだから机に座ってノートを開くことにした。すると真っ白なところに、

「山積みだらけのパイナップル畑」

と謎の言葉が記されている。はてな? 自分でも意味が分からない。きのう寝る前に記したものらしい。さっそくその横にパイナップルの似顔絵を描いてみる。あまりうまく描けていない。もう一度描いてみる。やっぱりいびつだ。これじゃあ到底絵描きになんかなれっこないや。などと絵描きに興味もないのにわざとそんなことを考えてみる。考えるのがひとつの儀式である。僕はなんだかこの頃おかしいんじゃないだろうか。それともみんな順調に大学に行っちまったんで、すっかりこころが淋しくなって、ひがんでいるだけなのだろうか。

 誰かにメールを打ってみる。指から蛸がはえるまで打つから、これは「蛸指メール」である。ヒトコト打ったらヒトコト返ってきたので、今度はフタコト打ったら、フタコト返ってくる。おもしろくなってサンコトめは別の奴に打ってみたら、同じ浪人だから隙とみえて、文字列が一杯返ってくる。そんなことをやっているうちに、また一日が失われてしまった。ああ、これじゃあ牢獄にでも入れて貰わなくては、とても勉強なんか出来そうもないや。しかし書店に行って軽犯罪くらいじゃ、罰金くらいが関の山だし、かといって何かあっちゃ一生が台無しである。名無しさんも盗みそこねが命綱。最近はメディアだってうるさいのだ。それにしてもこんなお勉強とやらに、何の意味があるというのだろう。僕は重ねられた山積みパイナポー、じゃなかった、教科書をぽんぽん叩いてみる。それから、

「静かにしていろ、身代金が来るまでの辛抱だ」

と脅してみる。やっこさん恐れ入って、黙って控えていやがる。笑っているうちに急に虚しくなってきた。やっぱりこころに障害があるんじゃないかしら。すこしは勉強をしなくてはいけない。

 試しに国語を開いてみよう。そら見たことか、いわんこっちゃないではないか。つまらない文章が並べられていて、そのうしろから四択が攻め寄せてくるのだ。主人公のカッコ内の気持ちを考えろというやつだ。それでいてどれもこれも嘘くさい。父さんに対する葛藤だとか、やけっぱちの自暴自棄だとか、けったいなことばかり並んでいやがる。本当に作者に確認を取ったのだろうか。作家だって人の子だから、あるいは、

「はっちゃけたいようなやんちゃ魂」

「さいを転がすと市が立つほどの遊びごころ」

なんて選択肢があったって差し支えないような気がする。おもしろくって、そのついでに、ここの漢字を覚えましょうっていうのなら、僕だって喜んで覚えるのだけれども……

 あきらめて数学を取り出した。さっそく訳が分からなくなる。こんな数列や数式、使いながらに生活をしている奴なんて見たことがないや。昔小学校の頃、八百屋の親父に尋ねたら、

「馬鹿野郎、計算なんて足し算引き算だけで十分だ」

と怒鳴られてしまった。だから学校で先生にそう言ってやったら、掛け算割り算はどうしたと怒り始めて、大切な耳たぶをぐいぐい引っ張ってくる。あんまり痛くてもう耳がもげるかと思った。どらざえもんの気持ちがよく分かった。あんな暴力、今だったら軽犯罪じゃないかしらん。

 だいたいサインやらコサインやら、みんなで一致して覚える必要がどこにあるっていうんだ。あんまり平たすぎだ。これじゃあ、稲作が大事だからって、全員に稲作を学ばせるのと、なんにも変わらないじゃないか。使うべき人が知っていれば十分じゃないか。えい、なんとか答えてみろ。これじゃあ教養がなくって知識だけ持った、偏った社会人になる一方じゃないか。ええい、それがインテリジェンスか。

 僕はみなぎるたましいでもって憤慨を始めてみたが、勉強の出来ない負け犬の遠吠えの気配が漂ってきて、僕のたましいを蝕んだ。ああ、救急車を仲間と間違って唸るときの、愚かしい犬の遠吠えよ、我もまたその声の仲間入りを果たすのか。そう思うと悲しかった。不意に悲壮感が漂ってくる。

 けれども悲愴と書くと、断然ベートーヴェンじみてくる。もう勉強なんか駄目だと思って教科書なんか閉ざしてしまう。明日は明日の風が吹く。四月半ばの風が吹く。そうであるならば、風が吹いてから考えたっていいに決まっている。今はただ悲壮感あるのみ。トラジェディ・リリックのみやびさよ。僕はベートーヴェンの悲愴ソナータを持ち出してきた。もちろん楽譜じゃない。ピアノなんか弾けっこないんだから、演奏家のCDであることは始めっから分かりきっている。アンプのスイッチはリモコンでもたやすく灯るのだから、ちょっとトレーに乗せてから再生してみたい。

 たちまち序奏が迫ってきた。何かが始まりそうな予感。嵐の前の静けさ。お舟を浮かべてどんぶらこ。木の葉はどこえさ行くのでしょう。このゆったりとした短調が、刹那に駆け出すその時に、疾風怒濤が訪れる。シラーやゲーテがその一味だったか、すこしずれていたか、学校の教育だからはなはだ不明瞭であった。「群盗」が関係しているような気がする。けれども「歓喜の歌」は、あれはベートーヴェンのために作詞されたようなものではないか。フリーメイスン? 僕は音楽に耳を傾ける。すなわちこれがハ短調である。シュトゥルム・ウント・ドラングの到来である。

 二楽章に入ったら、急に「雨だれ」が聞きたくなってきた。そこはかとなく似ているような気がする。ベートーヴェンよさようなら。最後まで聞いてやる義理もないから、リモコンでえいっとやっちまった。思えば残酷なことをしたものである。こんな飽きっぽじゃあ音楽家にはなれないなと思うと、不意に悲しくなる。つい携帯に手を伸ばして、メールでひと言、

「ピアニストになりたい」

と送ったら、

「お馬鹿めが」

と返ってきた。僕はさっそくトレーにショパンの前奏曲を乗せた。

 けれども「雨だれ」は眠くなるものだ。「うとうと」は遅れた頃にやってくる。もう昼だというのに、僕はもう一度眠くなる。もう一度? けれどもおかしいや、ここはもうすでに、夢のなかだったような気さえするのだけれども……

 うとうとしていたら、妹が帰ってきた。ガチャリバタンと扉が開く。今日は部活がないらしい。まだ高校生であるが、浪人を重ねる兄を軽蔑していることは間違いない。だいたいいつも家にいるものだから、果てなく兄が邪魔なことはいうまでもない。自分だって行くところさえあれば、家になんか居たくもないんだが、図書館へ向かう気力さえ、今ではすっかりなくなっちまった。つまり僕は無我の境地に達してしまったのである。

「ただいま」

と妹が言う。そうであるならば、

「おかえり」

と答えるのがそりゃあ筋ってもんだ。やっこさん用が済んだら、とっとと自分の部屋に入っちまったんで、こっちとしても大助かりだ。兄弟なんてしょせんこんなものさ。ずっと一緒にいるべきものじゃあない。けれども……

 けれども妹は優秀である。おそらく彼女から勉強を教われば、僕は受験勉強の荒波から救い出されるに違いない。どだい僕の知識は数年前で止まっているのだから、もう大部分妹に抜かされ尽くしているはずだった。抜かされ尽くした駄目な兄を、

「The兄い」

と呼んで、彼女は定冠詞つきで馬鹿にしているかもしれない。時には学校でさえ、

「The兄い」

LaLaLaまったくお邪魔なお荷物と、仲間うちで歌い合っているかもしれない。そのうち面倒になって、「ザニー」と省略されて、ブロードウェイミュージカルにされていないとも限らない。主人公の知らないところで!

それを考えれば、とても勉強を教わる気にはなれなかった。

 かつてのクラスメイトにだって出会えない。僕が浪人ばっかり嗜むから、みんな急速に遠ざかっちまった。こうしてメールを打つくらいの仲間はいるが、教室で人気を博していた頃のようにはうまくはいかない。一本槍のレールを憧れながらに走る夜汽車みたいに、陸橋から転落したならず者のことなど、すっかり軽蔑する癖が付いてしまっているらしかった。つまり僕は脱落者である。予選敗退者である。諸行無常の鐘の音である。源三位頼政(げんざんみよりまさ)の「馬に鞍おけ」である。けれどもはたして本当にそうであろうか……

 あんな教育システムからすべり落ちないことがはたして優秀なのだろうか。全然別のシステムにならなければ、僕たちもう勉強なんか出来ないのではないだろうか。いっそのこと、そう信じる人だけが集まって、集うがままに新しいコロニーを、現代を克服した清らな常(とこ)しえの国を、共に築けたらどんなにいいかとも思うのである。けれども僕には彼らとの連絡すらつかない。翼の折れた天使。ファウストに騙されたメフィストフェレス。重しを付けられたヤンバルクイナ。かのご大層なネットの世界、あれは繋がっているようで繋がっていない。あれは同類のための並列回路なんじゃないだろうか。個性を研ぎすませるためではなくって、個性をなくするための共通回路。ブロクのお仲間意識のみすぼらしさ。僕は悲しくなって、ベットの上に体を投げ出した。妹の部屋から、流行歌が流れてくる。僕はポピュラーからも脱落してしまった。



 第二段階。そんな響きに酔ひどれて、僕は勉強なんかしないぞの悟りを開いた。半導体以上の大発明。しかし僕がそれに気づくためには、ずいぶん偽りの目標を掲げさせられて、それを原稿用紙に表してこいだの、校舎の周りを走ってこいのと、あんまりな境遇にも耐えてきたものだった。そして今こそここに宣言する。こんなに社会がふてくされちゃったら、もう目標は諸悪の根源と一体である。さあみんな、今こそフリーダムを掲げて、荷物をまとめて家を飛び出そう。いい年をして恥ずかしいくらいのものである。だが気づかないよりはマシなんだ。僕は思いきって着の身着のまま、玄関から飛び出した。両親には少し済まない気もしたけれど、もう誰も僕のかもめのジョナサンっぷりを、留めることなんて出来るものか。飛び出すときに「ほいやっ」と声を張り上げると、なんだかポストモダンな心持ちがした。

 振り向くな僕はうつくしい。それじゃあまるでナルシストだが、小賢しく親のことや体面のことを、煩悶するには及ばない。僕は岩に突っ立って、そこで自由を宣言した。それは山肌にそそり立つ崖っぷちではなく、切り出されて並べられた建築資材に過ぎなかったけれども、宣言すればたちどころに、殺されかけていた豊かな感性が、立ち戻るような心持ちがしたのであった。すなわちこれが不確定性の導入である。

 僕は大地を蹴って、岩から飛び降りた。いや少し違う。岩から飛び降りて、大地を踏みつけにした。近くに立てかけてあるシャベルを思いきり蹴っ飛ばしてやった。ガラガラと音を立てて、向こうの方へ倒れていきやがる。たった一撃でシャベルを仕留めるとは大したわたくしである。残されたペットボトルもついでに蹴っ飛ばすと、中味をぶちまけてお亡くなりになった。いい気味だ。それから青空を確かめた。鷹だか鳶だかが、ぐるりを描いている。すがすがしい春の一日だ。

「おおい」

と呼んでみる。すると向こうからも、

「おおい」

と声が返ってくる。はてな?

 さすがにこれはおかしい。鷹が叫び返すなんて。それにどたどた足音が響いてくる。僕は驚いて振り返った。そうして驚いた。しまった、これはとんだ過ちだった。鷹ではなかった。石材管理人が鉈(なた)を振るって攻めのぼってきたのである。

 僕は真っ青になって走り出す。どうやら石材加工センターにでも紛れ込んでしまったらしい。まったく気がつかなかった。岩によじ上るので精一杯だったのだ。作業員らはみんなして、飯を食いながらに笑ってやがる。こら、笑っているばやいか、僕が殺されかけているんじゃないか。管理人は真っ赤に燃えて迫りくる。僕は真っ青になって逃れゆく。「赤と青とのシンフォニー」、ホイッスラーならそんなたわけた題目で、ジョン・ラスキンと格闘をしかねないくらいの修羅場である。助けてくれ。交番はどこだ。僕はひたすら逃げた。実際、逃げまくったと形容してもまだ物足りないくらいに逃げたのである。

 ようやく振り切って一息つくと、僕は鞄から教科書を取り出した。お前たちのせいで、僕は石材に追っかけられたんだ。もう今日という今日は許さないぞ。とその首根っこを掴まえてぶらぶらさせる。どうだ、お前たちは生贄だ。今に炎が迫り来るぞ。ほうら、どうする。

 僕は憂さ晴らしにライターで点火してやったのだ。

「ほおら、今こそお前らの最後だ。憐れめ、憐れめ」

そうささやきながら、数列にまで火を放ってやる。ルートやらコサインが、炎に飲まれて足掻く姿が惨めである。ざまあみやがれ。煙は高く高くに登ってゆく。これは雲にはなれない煙である。僕はついに自由になったのだ。もう何者も、僕を教育をすることは出来ない。そう考えたら、ちょっと言葉の響きがおかしいような気がして、僕は首を傾げて考え込んだ。何者にも教育されなかったら、僕はいったい何者になれるんだろう?

 すると誰かが近くで、

「放火だ、放火だ」

と叫びだした。僕はまたびっくりする。違う、違う、これは放火じゃない。グレートな焚き火なんだ。おじさんの肩を揺すって説明しても、分かってくれないらしく、「助けてくれ」と叫んで逃げてしまった。それからお巡りさんが飛んできた。僕はもう慌てたのなんのって、

「飛んで火にいる夏の芋虫」

と叫ぶやいなや逃げ出した。なんだか意味が間違っている。しかし訂正している余裕はない。こんなところで捕まるわけにはいかないんだ。親元へ帰されるに決まっている。そおら、僕は全力疾走だ。雲の親分と競争だ。警察官なんかに負けるものか。足音が恐いあまりに、もううしろだって振り返らないや。

 ああ、そうなんだ。僕は走りながらに気がついた。自由を勝ち得た者に、この国は居所を与えてはくれないのだ。とっ捕まったらギロチンに決まっている。ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ。これはいったいなんのおまじないだ。上原さんの讃え歌? ロベスピエールの断末魔?

 僕はもはや迷わなかった。心ある人ならみんな分かってくれるだろう。僕はこう願ったのである。言葉なんか忘れちまってもいい。もうこんな国の言語に未練なんかないや。叙述がすべて捨て去られてもいい。言葉を愛するものが、もうどこにもいなくなっちまったのだから……

「ああ、誰もがみんな束縛がてらに喜んでいやがる」

 僕は全力で走り出した。教科書の煙はまだ遠くでもくもくしている。けれどもお巡りさんはもういない。あるいは僕の幻覚だったのかもしれない。それとも消火に向かったのだろうか。しかしそれは、消防のすべき仕事である。僕はもう教科書なんか大っ嫌いだ。お高くとまりやがって。僕を馬鹿にしていやがるんだ。もうぐれてやる。そうだあの崖っぷちだ。僕はあそこに向かって走らなければならない。走りきって飛んで見せなければならない。辛い仕事だ。全力疾走だ。つまりは死ぬも生きるも同じことさ。そしてついに今、僕は一世一代のジャンプを試みたのである。えいっと蛙の足みたいな煮え切らない姿で、僕は崖から飛び出してみせたのであった。



 すなわちそれが第三段階だった。僕は真っ逆さまに落ちかけたけれど、途中でふわふわとして留まったからである。ああ、第三段階。僕は自分の体に羽が生えていることを確認した。僕はもう自由だ。愉快な第三段階だ。誰にも束縛されることはない。それはようするに、たった一人で中空を漂うくらいの、淋しい淋しいステップアップには違いなかった。それでもなお自由の旗は掲げられ、はたはたはためいている姿が、僕の孤独を慰めてくれたのである。ダイオードになんか何が分かるもんか。一生回路のなかで発光でもしていやがれ。そんなすがすがしい思いで胸が一杯だった。

 町を駆け抜けるとき、僕は自分の家の上空を旋回した。父さんと母さんが僕を捜し回っている。妹はテレビを見て笑っていやがる。けれども僕はもう動じなかった。諸君はそんな僕をさぞかし薄情者と罵るだろう。親不孝者めとさげすむだろう。おおいに結構である。僕はもう自由である。立派な第三段階である。あなたがた地上の嘲笑を高くで旋回しつつ眺めながら、なんたる愚かしい者どもであることか、地べたを這いずり回っていやがると、僕はゆとりを持ってはしゃいで見せることさえ出来たのであった。

 ああ、ある朝、結城守(ゆうきまもる)は大学へと向かうだろう。かつて僕らは机を並べて、未来について語り合ったこともある。けれどもお前はその大学を出たからって、スーツに縛られた企業戦士となるばかりだろう。戦士とはとんだお笑いぐさだ。戦士とは名ばかりの、しがない部品にさせられて、一生を無駄に過ごすんだ。ざまあみやがれ、だからお前は僕より偉いのだ。

 ある朝、高木美音子(みねこ)は専門学校を卒業するだろう。あなたの夢は大勢の社会にのまれて、行き場をなくして粉砕されるだろう。そして無難な結婚をして、子供を産んでいるうちに学校一の、美女もお婆さんになるだろう。けれどもお前の歩く姿は、少なくとも僕よりは偉いのだ。

 そうして沢山のクラスメイトたちが、あっぷあっぷしながら人ごみに飲まれて、小さなパーツの一つとなるのを発見するだろう。パーツは自分を見るのが嫌でたまらないから、口を揃えて激しく僕を糾弾するだろう。上空から眺めている僕に苛立ちを起こすだろう。

 僕はいつまでもひとりぼっちで、こうして大空を羽ばたいてゆこう。両親と妹にだけは、すこし済まなくも思うけれども、フリーダムを高く掲げて、大空を羽ばたいていこう。あるいは地上のすべての人々が、僕に向かって石を投げるかもしれない。翼をぶち抜かれて僕は、大地に転げ落ちるかもしれない。最後には鍋に入れられて、煮られて食われちまうかもしれない。

 あるいは僕は誰からも相手にされず、糸の切れた凧みたいに、すべての人々から忘れられてしまうかもしれない。子どものうっかり離した風船みたいに、ぷかぷか野郎にさせられてしまうかもしれない。けれどももし誰かひとり、そっと僕を知る人があって、その翼のみすぼらしいにしても、必死に羽ばたくその姿を眺め、その迎合しないたましいを、その勇気を讃えてくれる人があったなら、僕はその人にだけはただありがとうを言うだろう。僕はあなたを祝福するだろう。あなたの声援だけが、僕のたったひとつの勲章となるだろう。

 あなたの夢を僕は知らない。そして僕の夢をあなたは知らない。それでいいのだ、それでいいのだ。僕は羊雲と漂いながら、そんな唄をいつまでも歌っていくだろう。



 第四段階。調性は短調に変わった。またベートーヴェンのシーズンが到来したのである。すなわち夢から覚めたとき、僕はとっくに大学を卒業してしまっていた。それはありきたりの、安賃金の労働者であった。そしてこの国は、平等主義をまっとうしてへらへら笑っている間に、実力主義とはまるで関係のない、へつらい主義の不気味な階級社会が、生み出されてしまったのを僕らは茫然と眺めるのだった。それは真面目な人が評価もされず、懸命な人だけが馬鹿を見る、露出狂と日和見野郎のための、不気味な階級社会だったのである。

 僕はまたとぼとぼと職場に向かう。夢の中でせっかく完結した、ちょっぴりおとぎ話じみた僕のコメディは、朝曇りの侘びしさのなかで埋没する枯れ草となってしまった。現実がどんよりと覆い尽くしたとき、僕らはまた詰まらなく歩き始めることだろう。だが諸君、現実がおもしろくないような社会なんて、根っこからして間違っているに違いない。安っぽい虚構にばかり溺れる、娯楽漬けの衆愚も間違っているに違いない。もしそうであるならば、夢見る人たちだけでコロニーを作って、どうして新しい社会を作ることが出来ないだろう。プロレタリア階級。時代錯誤の響きが少しずつ、うしろから足音を忍ばせている。寡占が進行し、グローバルスタンダードの名において、世界中の国々の伝統を破壊し尽くした時、世界の大部分の人はただ真っ平らの労働者にさせられて、共通の娯楽を与えられた、何かひもじいものに置き換えられてしまうのだ。それなのに幸せ一杯にへらへらと笑うのだ。人でなしの動物となって笑うのだ。もしそうだとしたら、僕たちはとんだ頓珍漢を、うっかり演じてしまったのではないだろうか……

 歩きながら考えることが灰色になって僕を馬鹿にする。ああ、夢見の鳥と羽ばたいてみたい。僕らはもうすでにみんな、安っぽい並列回路に過ぎないのだろうか。鞄から取り出して、携帯を眺めてみる。また下らない羅列で、おはようの挨拶が飛び込んでくる。はたしてこれは本当に人間の繋がりなのだろうか。汚らしい川が流れているあたりで、僕は橋げたにもたれつつ考える。よどみに浮かぶうたかたは、僕の気持ちをあざ笑う。いくら携帯を川にぶん投げてみたところで、安っぽいしがらみは外せないんだ。結局新しいの購入するに決まっているのだから。そして決まっていると思い込むくらいの精神が、囚われ人の証しには違いないのだ。

 ああ、はち切れそうな思いが溢れたって、すぐにこぼれてまた明日に飲まれちまう。今日を新しく作り変えようったって、究極のところ誰にも為す術(すべ)はないのだ。だって、みんなで為す術がないって決めつけているんだから、新たなる気力が生まれるわけがないではないか。

 現実にはジャンプをする勇気すらない僕こそが、諸悪の根源であると辿り着いたとき、最後の決断の欠落が、僕を永遠(とわ)に怠惰な生活へと押し戻す。もし段階をへて落ちぶれ始めた僕を、あなた方がちょっとばかり罵るなら、大丈夫、僕はあなたがたにこう答えるだろう。あなたがたの大部分はまったく誤っていた。ただ僕の尻込みしつつうっかり飛び上がった、かの間の抜けたジャンプ法だけが、しがらみから逃れて自由に見渡すための、翼をたとえ束の間でも得ることが出来たのである。つまりあなた方の飛び方は、まったくもって間違っていたのである。けれども……

 かといって僕は、現実では惰弱を極めた。そして僕はこの沈んだ心のうちに、ついに第五段階に達したのである。それは誰も慰めてくれることさえ知らない、前人未踏の荒野であった。ラクダの小隊だけが、パカポコと僕を罵ってくれる。僕は砂埃の中でのっしのっしと、オアシスを求めてさ迷い歩くのだった。ああ、こんなことなら、初めから並列回路を抜け出してみるんじゃあなかった。僕はつい好奇心が過ぎたのだ。いや、あるいはこれは、僕が人一倍臆病だったからなのだろうか。つい命綱が本物かどうか確かめてみたくなって、かえって山野に踏み込んでしまっただけなのだろうか。今となってはもう分からない。

 いよいよ翼を折られて、並列の世界に真っ逆さまに落とされた時、僕は以前のようにはどっぷりと、その並列を楽しむことが出来なくなっていた。ああ、イーカロスの偽りの翼よ。僕がほんの少しの好奇心をみなぎらせたからといって、このように真っ逆さまに、突き落とすだなんてあんまりである。僕は少し涙を見せて、それから天空の世界のことなどみんな忘れちまおうと決心して、またとぼとぼ歩き出すのであった。

「おおい、何やってんだ」

同僚の声が不意にするので、僕は思わず振り向いた。

「これから出勤か」

さっきのメールの相手である。僕は黙って頷いた。それから僕らは連れ添って職場へ向かうだろう。決して謀反気を起こすでもなく、今日一日の仕事をこなすに違いない。

「それだから駄目なんだ」

僕は宛先なしで、そんなメールをそっと記してみた。

その時本当に目が覚めた。

覚書

作成2009/10/23-10/31

2010/1/22

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