「ここに居(お)れば剣の道も極めよう。道さえ極まれば、息子たちの指南役として、取り立ててやることも出来よう。なにゆえ城を去らねばならぬ」
後ろの方で呼ぶ声がする。煌めくばかりの身なりとその立ち居振る舞いは、ただの武将とも思えぬ。振り返った若き剣豪は、しかしそんなことはあずかり知らぬ様子である。
「たましいの欲求こそ我がいのちの道しるべであるならば、木枠に囲まれなすべきことの定められた一生など、人のいのちにはあらず」
と叫び返す。
「人は枠組みをすべて振り払っては生きられぬぞ」
城坂(しろさか)の半ばから城主が腕を振りかざす。その背後から眺め降ろしているのは白鷺(しらさぎ)のごとき姫路城だ。剣豪は黙って一礼した。なおも追いすがる侍どもを逃れて、ぱっと小道を駆け出した。さながらそれは次の獲物に心奪われた師走(しはす)の隼のようであった。城主はすがすがしい思いでその後ろ姿を見送る。池田輝政その人であった。
慶長九年。武蔵は京への歩みを早めつつあった。道ゆかばつくしも顔を覗かせ、木々は若葉を取り戻そうとしている。すべてが明らかである。かつかつと足を繰り出すと、自分の未来が無限に開けているような気がする。すれ違う商人が、賑やかそうに馬車を転がす。あらゆる命が今、来るべき春を迎えようとしていた。
関ヶ原の戦よりのち、歴史の舵は家康のもとへ靡(なび)こうとしていた。しかし畿内に君臨する豊臣家の名声もいまだ廃れなかった。京の街は、普請最中(ふしんさなか)の江戸と共に、この時期大いなる活気を呈していたのである。もう一戦(ひといくさ)あろうことを聞きつけた浪人どもが、全国から職を求めて京や大坂に溢れていた。そんななかにあって吉岡道場は、京都一の兵法指南所として、荒くれどもの憧れの的として、かつてないほどの名声を高めつつあった。当主は若き吉岡清十郎である。武蔵はこの吉岡を倒すため、今その門前に立ち尽くした。
「御免、御免」
と叩く戸の、内より激しい掛け声がする。木刀の交わるカンカンという響きがする。
「吉岡道場」
と高く添えられた、名人墨書のような立派な札が掲(かか)げられている。やがてぬっと一人現れた。
「何ようか」
稽古着の藍の鮮やかが、戸口からぱっと翻る。さすが京の剣士だ。稽古着からしておしゃれでよく手入れがしてある。しかしこの染め物がこの吉岡でなされたものだとは、もとより武蔵には知り得ようはずもなかった。またそれを知っていたからとて何になろう。武蔵の服は着たきりで色褪せている。着物のことなどはどうでもよい。知りたいのはただ一つ。己の剣の腕だけである。
「お手合わせ願いたい」
と挨拶をする。フンと鼻から吐き出すみたいに嘲笑が帰ってくる。それから「どうぞ」と勧められ、するりと奥まで通された。何十人もの門下が道場破りの顔を見ながら、また来やがったかと眺めまわす。金を取った方がいいんじゃないか、次から次へときりがねえ、ひそひそ囁く声がする。ざっざと入ったか広き土間は、打ち合いの熱気でむんとしてた。わざと踏み付けにして、地面の固さを確かめてみる。すると名を名乗れと怒鳴られた。
「宮本武蔵」
と答えると、
「死んでも構わない旨をこちらに記してもらおう」
門下が紙切れを突き出した。枠に捕らわれていやがる。武蔵は苦虫を噛みつぶす思いだったが、黙って一筆したためた。
すると向こうから「俺が行こう」と一人歩み寄って来る。図体だけなら武蔵よりも一回り大きい。けれども色の白い京の遊び人といった男である。都だけに荒くれも洒落ているのだろう。色白は木刀を抜き放つと同時に、一同がぐるりを取り囲んだ。武蔵も木刀を渡される。振ってみると細工がしてある訳でもない。重心も悪くない。それを使うことにした。
爪先に軽く力を込めて、歩幅を踏み直し、相手を睨み付ける。その瞳はまるで、たたえた椀から際どく浮き上がった水面(みなも)の静けさである。今は留まっている。しかし、一度(ひとたび)動き出したら、獅子奮迅の激情が、濁流となって敵を喰らい尽くすことは疑いない。しかも相手はそれに気付いていない。格下だと思って油断している。そのうち色白は盛んに体を左右に揺すり始めた。道場破りの剣のリズムを確かめようというのだろう。武蔵とて今だ未熟者である。しかし己の未熟だけは熟知している。ただどうしたら成熟できようか思い悩みつつ、強い相手を求めてさ迷い歩いている。さ迷いながらとうとう吉岡までやって来た。一体いつになったら成熟できるだろう。あるいはこいつらをすべて倒したら、先が見えそうな気がする。武蔵は波長に合わせて、偽りのリズムを描いてみせた。それが罠である。門下は気づかない。さっと剣を振り上げた。
「やっ」
と鋭い声がする。武蔵は剣を払った。門下の剣がむなしく空を切る。その途端、木刀を振り上げた武蔵の腕が、渾身の力を込めて……
こほん。と咳払いがする。浩介(こうすけ)ははっと我に返った。夢から突き戻された子供みたいに、キョトンとしてあたりを見渡すと、ガタンゴトンと電車の音がする。日暮れの町明かりが車窓を流れ去る。ネオンライトがさっとゆき過ぎる。座席はどこもかしこも満杯で、収めきれない人だかりが、吊革にぶら下がったり、慣れたしぐさでバランスを取ったり、つまらなそうに遠くを見つめたり、携帯に夢中になったりしている。彼らが揺れるのに合わせて、向こうの窓が見えたり隠れたりしている。隙間からあちら側の座席が見える。疲れ切って眠りこけたスーツ姿、化粧の乗りも悪くなったOL、禿かけの丸眼鏡、誰もが疲れた様子で頭を揺すっている。人声はほとんどしなかった。
「次の停車駅は」
聞こえにくいアナウンスがぶっきらぼうに鳴り響く。浩介はさっきまで剣豪になりきっていた自分が、興醒めするほどの馬鹿らしさであった。そのうえ膝の上には、掠れ傷さえところどころに年季の入った仕事鞄が、怠そうに横たわっているばかりである。甦った若き日の情熱がポキンと折れるような味気なさ。それでも今日は列車を一本乗り過ごしたおかげか、座席に座ることが出来たのだ。
読書を断念した浩介が、小説を鞄に突っ込んでふと見あげると、髪を真っ茶色に染めた若い女が、目の前で化粧の匂いを発散させている。化学薬品まみれのぐちゃぐちゃの匂いだ。鼻が腐っているんじゃないかと、浩介は不愉快になる。自然の美しさにペンキを塗りたくったみたいなお化けが、近頃にょきりにょきりと湧き出て来るのにも関わらず、誰も咎めようとはしない。まるで浮き世の定めみたいに、トレンドを謳歌していやがる。みんな本当になんとも思わないのだろうか。ただ自分一人が不愉快を噛みしめているだけなのだろうか。浩介には分からない。
しかし「自分の若かった頃は」などと考え始めるうちに、浩介はちょっと改まった。これは有史以来はてなく繰り返された命題ではなかったか。そうやって変わりゆくうちに社会が刷新されるんで、停滞している社会よりはまっとうな現象なのだろうか。しかし納得がいかない。人がけばくなったり動物的感情を丸出しにしたりするのが発展なら、我々がようやく辿り着いた戦後民主主義というものは、いったい何のために存在するのだろう。
浩介はこの頃いろいろなことを考える。けれどもまとまって社会論や政治論を通読しないから、大抵は感情と理論がごっちゃになっている。しばしば直前に見たドキュメンタリー番組やニュース解説に毒されている。けれども浩介はこうも考える。今までだって人々の願望が社会を変えてきたのであって、社会論が未来を生み出したわけではない。つまりは感情と結びついた己の考えこそ、もっとも尊いものには違いない。それが寄せ集まって社会が革新されればいいのであって、展望されべきビジョンとそれに邁進する力のない社会は、どんなに議論を重ねたって、衆愚の享楽のうちに埋没しちまうんじゃないかしら。ではもし、誰もが刹那的娯楽をむさぼる一心から累積された文化をすら放逐したらどうする? それがほとんどの人の望みとなったら。もしお化けになるのが、国民の総意だとしたら……
頭がごちゃごちゃして思わずぱっと顔を上げると、列車の人並びは何も変わらない。ごっとんごっとん揺られる任せであった。誰もが疲れた顔をしている。ほほえみはどこにもない。やつれている。葬式じみている。浩介はまた考えだす。こんなやつれた人波が、知性と品性をひとりひとりに行き渡らせようとした我々社会の限界だったなんて、そんなことってあるだろうか。ようやく誰もが教育を受けて、誰もが考える葦になったはずの草原で、人々は与えられた仕事をスケジュールに管理され尽くし、作業工程に従うばかりで、その不満を解消するために、あらゆる娯楽と化粧とゴシップを求めるような有様なら、我々は何のために教育を浸透させ、政治を人民の手に委ねたのか分からないではないか。古代ローマ時代、パンとサーカスを漁(あさ)っていた頃より、もっと酷い有様ではないのか。けれども……
浩介は単純者である。昨夜(ゆうべ)見たローマ帝国の番組に触発されて、ナレーターの話しとごっちゃになって、こんな憤慨を張り巡らしている。洗練のない、にわか作りの憤慨であることまでは気づかなかった。
不意に手の平を見つめてみる。まだ瑞々しいかなと思う。しかし裏返すと、手の甲は干からびかけたシワが寄り始めている。彼はちょっと寂しくなって自分の指先でそこを撫でてみた。カサカサしているような気がする。最近、浩介はよく自分の手を見つめている。何度眺めたって手の甲は若返りっこないんだが、まるで自分の年齢を確認する儀式みたいにして、これから干からびる一方の肌のぬくもりを、思い出したように確かめるのが、近ごろ彼の日課のようになってきた。社会のことを憤慨したって始まらない。それよりお前自身はどうなのだと、誰かがそばで囁くような気がする。毎日を振り返ってみれば、職場へ出掛け列車で戻って来るばかりの毎日である。浩介はそれをいったい何度繰り返したろう。一年のうちの出勤数を二百五十日として計算しても、十年で二千五百回、二十年で五千回、三十年で……
浩介はなんだか恐ろしくなった。そんな莫大な日数(ひかず)を職場に費やした自分は、その実何ものなんだろうかと悩み始めた。若い頃は仕事への情熱もあった。新しい計画に携(たずさ)わるのは楽しみでもあった。自分の仕事が、会社の未来を指向しているような愉快もあった。またそれが社会へはね返って、仕舞には人々を潤すようにも感じられた。けれどもある時から楽しまなくなった。自分でなくても同じだと気づき始めたのは、なにも馴れや怠惰によるものばかりではなかった。舞台のうしろ側まで見通した結果生じた、必然的な諦めといった方がふさわしかった。もし好奇心旺盛な子供を、強いて勉強させられている気分に追い込むとしたら、悪いのは学校である。教師である。決して子供が悪いんじゃあないだろう。もし仕事への情熱豊かな青年を、仕事をさせられているように導くものがあるとすれば、それはその企業が、その組織が、不適切な人事がこそが、情熱を削ぐべく作用しているに違いない。しかしそれが特定の企業ではなく、社会一般に蔓延した全般の現象であったらどうだろう。社会のあらゆるシステムが、気力を損なう一方に働きかけるとしたら。
もっとも浩介はそこまで考えない。ただすべてを見渡せた気がしたとき、仕事は自らの欲求にそぐわない、職務の勝ったものへと成り下がったのである。けれどもそう思い始めた頃には、彼はすでに結婚して妻もあった。子供もひとり生まれていた。家すら建て終えてローンが残っていた。安易に仕事を辞めることなど叶わなかった。いや、叶ったとしても、その頃の浩介には、もはや仕事を思い切るだけの勇気は出なかったのである。だから便宜上彼は仕事が好きであるかのように振る舞った。そうして実際それなりの充実感を得て、作業に埋没しつつ生きて来たつもりになっていた。それでいて薄っすらと心にそぐわないような感じは、今だ拭い去ることが出来ずにいたのであった。
次の停車駅を告げるアナウンスが飛び込んで、浩介は驚いて瞳を開いた。自分でも知らない間に首をうなだれて、空想の狭間をさ迷っていたらしい。手のシワが瞳に入って、浩介はがっかりする。一番のお化けは自分かもしれないと思えば悲しくなってきた。慌てて顔を上げて、はかないような町並みを窓越しに眺めようとしたのだが、押し合う人並みに邪魔されて、窓の外は見られなかった。
電車が止まると扉の音がして、人だかりは黙したままで傾(なだ)れ出た。視界がちょっと開けたところをぼんやり見ていると、入口の境目でつまずいた爺さんを、ゴミでも避けるみたいにぱっと分かれた人波が、分かれながらに列車に乗り込んで来る。爺さんはコンクリートに足を折って、痛そうにへこたれているうちに、早くも閉ざされた戸口から、走り出した列車のプラットフォームは、かなた後ろへと押しやられた。浩介はなんの感慨も湧いてこない。ただ次の駅かと思って、それからまた頭を垂れた。
うつらうつらしているともう下車の駅である。浩介はどんなに疲れても、この駅を踏み外したことがほとんどない。あったとしても、よほどの泥酔に見舞われた忘年会の帰りくらいなものである。人間の能力はあながち馬鹿に出来ないものだと、彼はくだらない感慨に寄り添いながら、足早一筋に駅を逃れでた。宵へ取り込むような駅前ネオンの看板が飛び込んでくる。初秋の涼しさがシャツを寒がらせる。昼間の暑さはもうどこにもない。駅前のタクシー乗り場から、今一台が客を乗せて走り去った。浩介はようやく人を逃れたような安らぎを感じたが、そこへ顔じゅう化粧塗りの男女が素通りしたので、またぎょっとなった。なんであんなお化けを誰も咎めないのかとすぐに憤慨し始める。この癖はあまり子供のと変わったものではないようだ。浩介は考えだす。
昔は水商売の専科だったようなけばつく格好が、宵のネオン街では吸収しきれなくなって、巷(ちまた)に一斉に溢れ出したらしい。健全な人並みが街をどう豊かにするのかを知らないのだろうか。カップルは、男までにせ物の香りを振りまいてきらびやかを装っている。浩介は外国の町並みをテレビで見るたびに、行き交う人々の姿を不思議に眺めることがあった。そこには我々よりはるかに雑多な人々が溢れていた。髪や目の色も様々だった。また我々と同様、化粧過剰な夫人やずぼらな労働者、おしゃれが生きがいみたいな生娘に、ヤンキー風の青年。それからもっと普通の人々。それらが入り乱れているにも関わらず、誰もが最低限度のセンスだけは弁えていて、つまり民族的とかそういうことではなく、ただ人々が暮らすための日常を安っぽくしないように、最低限度のマナーだけは保たれているように思えたからである。おもちゃのにせ物らしさが滲みでて、けばけばしくもそぐわないような町並みを、浩介はどこにも見いだせなかった。しかもこの現象は、浩介の感じるところ、ここ数十年の間に苛烈を極めたように思われる。けれども……
浩介はまた考え出す。若者の瑞々しさでこそまだしも体裁を取り繕うくらいの安素材の服装を、よれよれに踏ん張って着こなした高齢者の、不気味な町並みさえもやはり、首都圏の周囲には次々と発生しているらしい。恐ろしいことである。安っぽいものが本物らしさを奪っているところは、商品看板の乱立とよく調和している。それでいて老いも若きも、厚化粧もよれよれも、誰もが生涯をメディアに毒されながら生活しているんだ。
最近彼は、小さい頃からブラウン管ばかり眺め暮らした結果として、時折そんなことを考えるようになっていた。けれども決してそれを突き詰めて、娯楽媒体と距離を置こうとまでは思わなかった。つまり彼のおぼろげな思想は、列車に揺られたり歩行者が愚痴るくらいの、たわいもない感慨に過ぎなかったから、それがポリシーに昇華することなど決してなかったのである。だから彼は家でもしょっちゅうブラウン管を眺めている、それどころか近頃はテレビゲームにさえもハマっている体たらくを、私はこれから皆さんにお見せしようと思っているくらいである。
日本だけでもないかな。浩介はまたさ迷い始める。アジア人のもたらす美的センスの欠落が、共通現象を大陸でも引き起こしているような気がする。それにしても、チープな文化をばかり懇切丁寧に指導してくれたはずのアメリカでさえ、浩介の見る限り、これほど猖獗(しょうけつ)を極めているとは思えない。もっと落ち着いていて、まだしも本物っぽかった。ネオンの明かりを眺めながら、靴音の重い響きを確かめながら、彼の頭はぐるぐる回転した。
しかし彼は決して反動者でもなんでもない。もっとありきたりのルーズな保守主義者に過ぎなかった。それゆえ彼は社会を思って憤慨するのであるが、デトックスされた小説やテレビドラマとは違って、彼くらいの毒を持ってこの世を憂える人々は、実際はそこらじゅうにいた。まして年を経るごとに、人は保守的傾向を帯びるのが当然であるとすれば、彼の妄想の傾向にしたって、それほど人並みを逸脱したものとは思えない。むしろ問題は、彼がこれほどの憤慨を、ただブラウン管の向こうの諸外国と照らし合わせて、しかももっぱら欧米と照らし合わせて、憂慮すべきところの自国とのみ比較して、導き出しているところにあった。彼は一度として国を離れたことなどなかったし、諸外国を歩き回ったことなど決してなかったのである。ただ眺め暮らすメディアの力によって、諸外国を知り得たるものと、いくぶん錯覚しているには違いなかった。
したがって彼の憤慨は必ずしも合理的なものとはいえなかった。むしろ彼の生理的な不快感が、導き出した答えには過ぎなかった。ただし、それが悪いかどうかはまた別の問題である。暮らすべき社会の理想が、もし合理性だけから導き出せるものならば、言語も風俗も、冠婚葬祭も歌の節さえも、ただ一つのところへ収斂されて差し支えないものを、人々はそれぞれにアイデンティティを押し立てて、自らの風俗と言語を掲げる生活にこそ、豊かさと幸福を見いだしている。もしそれぞれの地域住人の共通イメージのうえにコロニー的な社会が生み出されるのが王道であるとするならば、彼らの目ざすよりよき社会は、科学的根拠よりも伝統から、風習から、そして言語自身から導き出され、プラトン主義的な理想を掲げてこそ、豊かに実現できるには違いなかった。そうであるならば……
自分が思い描くより良き世界は、あるいは客観的理論を弁えていないにせよ、未来を願うアイデンティティのひとつには違いない。浩介の見るところ、そうした健全を指向すべきビジョンの乏しさこそが、安っぽい社会を生みだしているようにも思われるのだった。
けれども彼は、それを突き進めて社会に働きかけるほどの気概は持ってはいなかった。日々の生活に手一杯の浩介に、どうしてそのようなバイタリティが残されていようか。それに持っていたとしても、彼にいったい何が出来るだろう。小さな共同体を集って、愚痴を言い合うくらいが関の山ではないか。そんなあきらめが社会を覆い尽くしたとき、悲しいほどに窮屈な、身動き一つ取れない、偽物に埋没してすべてを忘れ去るみたいな、哀しき現在が導き出されたのかもしれなかった。
それにしても、ビジョンどころの話しではない。向こうからよれよれの婆さんが来たので、それを避けてすれ違ったときに、浩介の考えはまた道を逸れてしまった。たちまち新聞で、高齢化率が二十パーセント以上であるという社説を読んだことを思いだして、十人に二人が六十五歳以上というのはとても尋常な社会ではないと考え始めた。あるいは高度成長と共に歩んできた自分も、存在自体がいびつな人口分布に一役買っているのだろうか。そう思うとちょっと情けなくなってくる。そして自分ももうすぐあの婆さんみたいに干からびちまうのかと思うと、不意に侘びしさが胸に浮かび上がってくるので、浩介は慌てて歩調を高めて、くだらない感慨を振り払おうとした。それにしてもこの頃、時の流れがあまりにも早い。光陰矢のごとしというのは若者のための言葉ではなく、あれは中年のための格言ではなかったかと、思いを新たにするくらい歳月がどしどし流れていく。そして彼は最近、娯楽を眺め暮らせば眺め暮らすほど、人間は感情を乏しくして雑になっていくばかりで、豊かな累積されべきものを取り落として、時間ばかりを怠惰に押し流すような恐怖に、ときどき囚われることがあった。その結末が歳月を圧縮して、自分をあっという間に老人へと導くのではなかろうか……
彼は武蔵のことなんかすっかり忘れて、家まで十五分ほどの町並みを、歩きながらにそんなことばかり考えていた。しかし歩調まかせの思いつきであるから、ちょっとした拍子で題目は変わってしまう。今度は仕事のことを思い出して、そっちに掛かりきりになってしまった。
首都という経済集積センターへ、人々を送り込むために生まれた町並みは、もうすぐ八時だというのに煌々として明るかった。そうであるならば、我々の乗り降りする鉄道列車は、さながら心臓へ血液を送り出す大動脈ででもあるのだろうか。彼が何気なく見あげた夜空には、星座の姿すら描き出せないくらい、ぽつりぽつりとした秋の星あかりが淋しく瞬いている。それでも草むらの蔭から、弱々しい虫の音(ね)が響いてくるのであった。彼は信号を待った。それから信号を渡った。ライトも付けない自転車とすれ違った。ちょっと腕時計を眺めた。規則正しい家並みへと路地を折れ曲がった。そして向こうの角へと消えていった。
浩介はようやく自宅のランプを見いだしてほっとなる。なぜだか分からないがほっとなる。今日一日が終わったような気がする。決して楽しくて出かけた訳ではない。仕事のために出かけたものだから、無性に自宅が恋しくなるのだろう。あるいは疲れて休みたがる精神を、町中で癒やすことが叶わないばかりに、自宅が恋しいのかもしれなかった。彼は念のためにポストの残留物を確かめて、それから玄関のベルを鳴らした。むろん鍵は持っているから、黙って入っても構わないのだが、はるか昔に妻を持っていらい、もう何十年になるだろう、この習慣だけは決して変えようとはしなかった。
「お帰りなさい」
愛嬌もなく妻が顔を出す。燈火(とうか)に映しだされたその顔は、けれども家を持った時分の妻ではなかった。滑らかさの面影も次第に消されゆき、いつしか頬のあたりにさえ、浩介の手の甲みたいなシワが寄り始めていた。息子の直也が生まれた頃はベルを鳴らすのが楽しみなくらい、妻はまだ若々しかった。玄関でくだらないおしゃべりに興じたこともあった。何かというと肌を寄せ合って、触れ合うみたいにして話したがった。今では寄り添うなんて思いの他である。互いに一定以上は近づかない。別に嫌いでもなんでもないんだが、女として好きなんていう感情は、とうの昔にゆくえ知れずになってしまった。それにどう見ても婆さんである。近づきたいと思わないのはむしろ当然だった。つまりは万事が干からびつつある。浩介はそんなことを考えながら、黙って細君に鞄を手渡した。
「今日は遅かったのねえ」
恭子(きょうこ)は台所へ戻りながら鞄を椅子へ置いた。それにしても今だ出迎えてくれる妻を持った浩介は幸せ者である。本来は感謝しなければならないくらいだが、慣れきっているせいでなんとも思わない。
「今日はねえ、島崎課長が急に風邪を引いて欠勤だったものだから、仕事が増えてね」
恭子に話しかけながら、今さら見栄も体裁もなく、居間でズボンを脱ぎ始めた浩介に、
「それって、例の流行(はやり)のインフルエンザじゃないの」
と細君が心配そうな顔をしてみせる。
「家にだけは持ってこないで欲しいわ」
と言う。
「それは俺だって、ウイルスに張り紙でも付いていれば、持って帰るものでもないが」
浩介は気さくな家用に着替えながら、ようやくちょっとほほえんだ。細君が晩飯の皿を並べている。箸置きは客がないから省略されている。テーブルの隅の籠には蜜柑が山積みになっている。昨日はずいぶん減っていたから、あれは今日買ってきた蜜柑に違いない。つやつやしていて瑞々しい。きめ細かくって張りがある。浩介はちょっとうらやんだ。リモコンを掴み取って、付けっぱなしの番組をニュースにシフトしてみる。たちまちアナウンサーが、
「今日の組閣に際し、新たなる顔ぶれのこの変革に対して」
などと抑揚をつけた解説を始めた。
「それにしても、昔はもっと淡白な口調だったがなあ」
独り言みたいに呟きながらしばらく画面を眺めていたが、
「民主党が政策を打ち出したら、直也ももう一人子供を作る気になるかもしれないね」
などと馬鹿なことを妻に向かって聞いてみた。
「だってあなた。少しくらい支援があっても育てる隙が貰えなくっちゃ、なかなか生み辛いわよ」
「共働きを止めにしたらいい」
浩介は無責任なことを平気で述べ立てる。もっとも顔はテレビの方に向いているから、どのくらい真面目な発言だか分かったものではない。
「直也はあなたの会社ほど大きいところに務めているんじゃないんですから、かえって私たちの頃より、よっぽど大変なんですよ」
妻の方がよほど現実感覚があるようだ。
「そんなものかな」
浩介はちょっと昔を思い出した。直也が子供の頃、恭子は仕事には出ていなかった。もっとも結婚する前は働いていたんだが、子供が出来たときに思いきって止めてしまった。自分の両親と、恭子の両親とが、そろって子育てに専念しろと煩く説教したせいでもあった。恭子が仕事に対して、それほど執着(しゅうちゃく)を持たなかったためでもあった。思えばあの頃は家のローンもあったし、子育ての費用まで考えると、あながち二人で働いてもよかったくらいだが、恭子が仕事を辞めても家計が破綻しないくらいには、浩介は給料を稼いでいた。それにしても、それほど楽な生活ではなかったが、あの頃の自分より直也の生活は苦しいのかしら。浩介は、金銭的都合もあって二人目を断念した当時をようやく思い返した。その時もう一人欲しがる妻を宥めすかしたのは、かえって浩介の方であった。ようやく直也がある程度成長すると、妻もパートに出るようになって、あるいはその時分だったら、もう一人育てるチャンスがあったかもしれない。けれども歳を隔てて、今さら二人目を育て直す気にはなれなかった。浩介はそんな当時を思い浮かべながら、直也もきっと今を逃したら、一人っ子を育てるはめになるだろうと、画面を眺めながらの感慨に耽っていた。
ニュースは交通事故の話に移り変わる。ちょっと携帯に触れた拍子に人を撥ねたというので、極悪非道の人でなしとして糾弾している。そばに座った著名人が、
「近頃ことに自分勝手ばかりと社会規律を無視して事件を引き起こす大人たちが増えまして、携帯電話などを持ちながらどこまでもさ迷い歩くさまは、さながら真昼のソムナンビュリストの、町なかを渡りゆくごときものでありまして」
と大いに憤慨している。この中年女性は、近ごろ現代人に活を入れるご意見番として取りざたされている芸能人である。もっともらしいことを言っているが、それほど性格が立派そうには思えない。けれどもニュース解説のアナウンサーはもっともらしく頷いている。こいつらは本当につい鳴り響いた携帯にさえ、絶対触れたりしないほどの人格者なのだろうか。到底そうは思えなかった。
コマーシャルに入ったので画面から離れた。なかなか料理が来ないので、目の前に並んでいる小皿から、里芋の煮っ転がしを口に放り込んでみる。置いてある箸さえ使わずに、口をもぐもぐさせている。何の変哲もない味であった。あたりきの味。あたりきの箸。いつもの細君。干からびゆく自分。不可解な感傷に囚われながら、立って冷蔵庫からビールを取って来て、コップになみなみと注ぎ始めた。
「お前も飲むかい」
と聞いてみる。
「あなた、お酒も少しは控えないと。休肝日って言葉があるでしょう。自分の歳をいくつだと思ってるんです」
と細君が嫌味を返す。こんなことなら聞かなきゃあよかった。ちょっと酒の味がまずくなった気がする。
「いいんだよ。第一、俺には酒ぐらいしか自由になるものがないんだから」
と答えると、冗談だと思ったか妻は取り合わなかった。今年二度目の秋刀魚が運ばれてくる。
「おっ、目黒のサンマだね」
と浩介が言う。
「何です目黒のサンマって」
「何だお前知らないのか。落語にそういうのがあるだろう」
「落語なんてあなた、いつの間にそんなものに興味持つようになったの」
「いや、興味もないんだが、このまえテレビを付けたらさ、目黒のサンマ、目黒のサンマってあんまりお殿様が言うものだからさ」
「嫌だわ。全然意味が分からないじゃない」
「何でもね、江戸の将軍様だか誰だかがね、食べ慣れている鯛に飽き飽きしたところへもって、ある日目黒へ出かけるんだがね」
浩介が話し出したんで、恭子もちょっと立ち止まって聞き耳を立てている。浩介はちょっと若い頃を思い出したような気がした。もちろん遠い面影をである。
「将軍様が弁当を忘れて腹がへった、何か食い物はないかって騒ぎ立てたところへ、日頃なら絶対口にしないような、百姓どもの下賤の魚、サンマを焼いている匂いがしてくる」
「なんで将軍様が弁当を持参するのよ」
「弁当は戦国時代からあったそうだから、出かけの際には持参したっていいのさ」
「それでどうなるの」
「それでその匂いを嗅ぎつけて、あれはなんじゃ、と訊ねるんだね。するとあれはサンマでございますという。あんまり芳ばしい匂いがするもんだから、わしはそれを所望じゃということになって、とうとう一口頬張ってみたのさ。そしたらこれが旨いの何のって。あんまり旨かったんで城でも調理させることにした。ところが将軍様のためにってんで、みんな油を抜いちまった。油を抜いたサンマなんてとても食えた料理じゃあない。あんまり不味いんで顔をしかめた将軍様のひと言、サンマは目黒に限るって締め括るような落語さ」
何だか語っているうちに落語口調が勝手に入ってくるので、細君は笑い出した。
「おかしい。それでそのオチは何の意味があるのよ」
「だからさ。サンマは目黒じゃあ揚がらないだろうってオチだよ」
「何だか、理屈っぽいオチなのね」
「落語のオチってものは、笑いじゃなくておかしみをもたらすように出来ているのさ」
と知りもしないことを平気で説明してしまった。笑いながら細君はご飯と味噌汁を運んで来る。忘れていた醤油を取って来る。それで斜め向かいに座ったんで、浩介は改めて晩飯を食い始めた。いただきますとも何にも言わない。もっとも細君だってそんなものを求めやしない。時計を見るともう八時半を回っていた。
「直也も最近顔を見せないな」
二人ともテレビ番組に視線を釘付けたままで話をする。いつものことだ。天気予報も終わりに近づいた。アナウンサーが、曇天のあすの朝を、肌寒さについて説明している。
「仕事が忙しいんでしょう。それにお盆やお正月でなくっちゃ、そう簡単には帰ってこられませんよ」
「そんなものかな」
浩介は自分だって現状どこかへ訪問するような余力など残していないことをすっかり忘れている。そして社会人として務め盛りの息子が、妻と、それから小学生に上がったばかりの孫を連れて、時々顔を覗かせないのを不満に思っている。浩介はまたチャンネルをシフトした。
「そこで質問ですが、あなたはなぜこの文明の世に、なお山登りにアイデンティティを見いだすのでしょうか」
いかにも台本で選び取った視聴者サービスめいた質問に、写真家が答えるというインタビューだった。
「文明の世というのは私には分かりませんね」
まだ三十代半ばくらいだろう、日焼けしたノッポの著名人が、自分の取った写真をトンと重ねながらに答えている。さっきまでは写真の話で盛り上がっていたに違いない。ノッポはジーンズを履いて、さも気楽そうな格好ではあるが、テレビであるからもちろん着古しではなかった。演出家に頼まれて着たのに違いない。その顔を浩介もどこかで見たことがあるような気がした。たしか登山をしたり、地方の村々や名所を巡りながら、紀行文と写真の一緒になった書籍を、もう何冊も出している旅行家である。
「と言いますと」
局のアナウンサーがインタビューをしているようだが、このアナウンサーは訊ねかたがインチキ臭い。少し詳しく説明すると、自らが信じ切っているように話す能力が不足している。それで大げさな抑揚を付けるから、嘘くささが増大するに違いない。もっとも写真家は頓着しない。
「つまり自動車が出来たこと、電車が駆け巡るということと、マラソン選手の走るべき意味は、何の関係もないからです」
アナウンサーがなるほどと頷いてみせる。
「つまり文明の世ならばこそ、なおさら登りたくなる山もあると」
と覚えたての言葉で合いの手を打つ。浩介は彼の眼鏡が顔と調和していないのが気になり始めた。
「より正確には、文明とは関わりなくです。時として僕ら、日常空間のありきたりの行為から離れて、小さな冒険を絶えず行わないとするならば、我々の生涯はあまりにも単純な舗装道路をひたすらに、歩き続けるだけの無意味なものになってしまうことでしょう。それが楽しくて仕方がないなら、それも生き方なのかもしれませんが、時々はそこから逃れることがなければ、自らの命の甲斐というものが、あまりにも希薄なような気がしてならないのです」
写真家はいつの間にかカメラの方を見つめて話し出した。まだ若いくせに生意気な奴め。浩介はちょっとムッとなる。
「それに道具が肥大すればするほど、我々の生活は自由になるかのように思えて、その実モノへの依存度を高めつつ、隷属の度合いを深めてしまう。そしてそうなるともう、道具なしでは生きていかれないほどに、人間自体が乏しくなってしまう。それは我々の幸福を指標に考えたら、むしろ不幸なことだと言わざるを得ません」
浩介はちょっと騙されているような心持ちがし始めた。宗教活動の勧誘じみた気配である。しかし自分の日常が単純な作業行程から延々と演繹されているような毎日を考えると、今度は写真家が羨ましくてたまらなくなりだした。自分も今すぐ山野を駆け巡りたいような衝動にかられた。インタビュアーが、
「あなたも昔はディスクワークをなさっていたそうですね」
と訊ねると、
「ええ、一度就職して、二十代の頃はずいぶんキーボードを叩いたこともありました」
「今ではあまりパソコンは使いませんか」
「実はずいぶん使います」
写真家は笑っている。
「パソコンは便利な道具ですから、目的を持って使用するのになんの躊躇もありません。むしろあれがないと困ってしまうくらいですからね」
アナウンサーは眼鏡の枠をちょっと抓(つま)んでから、
「以前と今とでパソコンの使い方に違いはありますか」
と訊ねた。
「ええ、ディスクワークをしていたころは、パソコンが仕事そのものだったのです。というとちょっと語弊がありますが、仕事の内容がパソコンの内部にあったといいますか。うん、ちょっと表現が違うな……」
写真家はしばらく考えていた。
「小説だって同じですが、テレビやらゲームやら、視覚だけで取得した情報というものは、決してスナップ的な記憶を乗り越えて、自らの感情と結びついた行為としては、頭にはインプットされないものなのです。つまり人間というものは、例えば足を浸したときの波の感触だとか、岩が揺れ動いた刹那に脈拍が高鳴る恐ろしさだとか、野分の去った風の薫りと大気の冷たさに、色づいた山の紅葉(もみじ)が一色単(いっしょくたん)にまとまって、感覚と感情がひとつの記憶として焼き付けられたときに初めて、それが他と区別されべき豊かな思い出となるくらいの生き物であって、その時ようやく記憶は、独自の一塊のイメージとなることができるのです。ですからその段取りを踏まえずに、視覚情報から得られる喜怒哀楽ばかりを日常に溜め込んでも、振り返ってそれは我らの真の喜びとはならず、つまりはその人にとっての、その刹那を生きたという証(あかし)にはならないと私は思うのです」
アナウンサーの眼鏡がこころなし曇っている。あの顔は相手の発言をちゃんと理解していない顔だ。あるいは全然違うことを考えていたんじゃなかろうか。けれども答えは用意されている。
「それが仕事の場合でも同じだと」
下を向いたところを映されそうになって、慌てたインタビュアーがなんとか立て直す。妻の恭子がテレビの外から、
「ねえあなた、今一色単(いっしょくたん)って言ってなかった。一緒くたの間違いじゃないかしら」
「さあ、新語かもしれない」
浩介は聞き流す。もちろん写真家は知るよしもない。軽いジェスチャーを交えながら話を続けた。
「だって私はディスクワークをしていた頃の自分をどんなに思い描こうとしても、例えばとある山のあの麓のところで鳥が飛び出してシャッターを切ったときの一瞬みたいには、豊かに回顧することが出来ないからです。どこまでいっても一枚のセピア色のスナップに過ぎないのです」
「それであなたは職場を去られた訳ですか」
インタビュアーが嫌味な眼鏡を光らせるので、浩介は何だか急に嫌な心持ちがした。たちまちリモコンをたぐり寄せてチャンネルを回しちまう。隣のチャンネルではまた天気予報をやっている。昼の気温はまだまだ高いが、明日はどんより曇空だと宣言する。細君が、
「せっかく面白いこと言ってるのに、なんですぐチャンネルをぐるぐる回しちゃうの」
と不平を持ってくる。
「いや、だって、俺の生き方を否定されたような気がしたからさ」
と思わず本音を口にしたが、細君は軽い冗談くらいに受け止めて、
「また馬鹿なこといって」
と笑っていた。浩介は仕方ないから、黙って箸を運ぶ。小皿には沢庵が並べられている。合成着色料の偽物の色じゃあない。色づき始めたイチョウを染め落としたような薄い黄色である。しばらくコリコリと歯ごたえを確かめていた。
「この漬け物はちょっと味が濃すぎるんじゃないか」
ついに浩介は話を沢庵の方に逸らしてしまった。
「そうなの。夕べ曽野(その)さん家(ち)の奥さんが持って来てくれたんだけど、なんでも田舎から沢山送られてきたからって、味はいいんだけど、ちょっとしょっぱいのよ」
「まあ、飯と一緒ならそれほど気にもならないがね」
浩介はまた放り込む。それから醤油を垂らした大根おろしを秋刀魚の上に乗せると、一切れをご飯と頬張って、まだ残っているビールで流し込んだ。無茶な食事の仕方である。ただし秋刀魚の始末は妻よりよほど綺麗である。恭子の皿では、秋刀魚が内蔵と皮とを滅茶苦茶にされて往生しきれないでいる。秋刀魚の黒目がこころなしか涙目になっている。若い頃は海なし県の出身だからとよく戯(からか)ったものだ。妻の方でも往生を研究した時期もあった。けれども上達したようには思えない。もっとも浩介が最後にからかってから、もう十年は経つかと思われるくらい、二人の生活は慣習化していた。もちろん不満はない。ただもう一本ビールが飲みたいと願った浩介は、これについては近頃めっぽう煩(うるさ)くなり始めた妻の言葉が、不満といえば不満である。昔は何本飲んでも不平も言わなかったのにと、浩介は秋刀魚のからかいと一緒くたにして憤慨している。しかしとりもなおさず夫の体を心配してのことだから、浩介の方で我慢すべき不満ではあった。しばらく生贄の秋刀魚の顔を眺めていた彼は、まだ残った身を箸で突っつきながら、
「秋刀魚はやはり目黒に限る」
と呟いた。妻はむろん取り合わなかった。
味噌汁は最後に呑むのが浩介流である。誰に教わったでもなく、幼い頃からそうなってしまった。誰も注意してくれなかったので、ずっと変わらずにいる。けれども細君が減塩を志してから、ずいぶん味気ない汁物になってしまった。浩介はいつしかこれが味噌汁だと考える癖がついた。それで社食の味噌汁はお湯で割って飲むくらいである。
「お茶が飲みたいね」
それが当然といった調子で、彼は片付けに立った妻に言いつける。浩介は「あなたが入れなさい」と言い返されないことが、どれほど幸福かを知ろうとしない。もっとも細君も、お茶くらいで我を立てるほど、現代的に仕上がってはいなかった。ある批評家なら言うかも知れない。彼らは無造作に懐古主義を全うしたと。もっとも浩介は、決して古き良き時代を指向するような男ではなかった。いってみれば、彼はもっと時流的な人間であった。
それが証拠に、彼らはいつでもテレビを眺めながら暮らしている。直也がいた頃からそうだった。彼ら親子は、個別に食事を取るほど荒んだ生活はしてはいなかった。大抵遅れがちな浩介の帰りを待って、いただきますをするのが晩餐の慣わしとなっていた。けれどもそれは、三人が三人とも同じ食卓にあるという以上の意味を持ち得なかった。互いがそれぞれに映像を追い掛けながら、黙々と箸を動かすばかりであった。もちろん家族だから話し掛けないこともない。けれども会話は娯楽の合間になされべきものであり、その逆ではあり得なかった。だから彼らは娯楽を肴に互いに食事を取っていたようなものである。もしそれを端から見たら、さぞかし異様な光景と映ったろう。けれどもこの異様な光景は、日本全国到るところに溢れた「あたりき」の異様な光景であった。だから浩介もなんとも思わなかった。妻もなんとも思わなかった。生まれてそれを受け入れた直也は、なおさら思わなかった。さながら虚飾された商品看板や、安素材じみた駅前景観の情けなさを、彼らがまるで気にも止めないのと同様、自然を蔑ろにした土木工事にも、彼らが無関心であるのと同様、それは人間社会の必然くらいに感ぜられ、居心地の悪さなど思いもよらなかったのである。だから浩介たち親子は、二十年あまりの歳月を一つ屋根に暮らした仲間としては、あまりにも表層的にしか意志を交わ合ったことがなかった。しかもそれは多分に断片的であり、誰が何をしたくらいの見出しのニュースに留まっていた。直也が大学を決めるときでさえ、彼らはまるで事務的な会話で済ませちまったほどである。けれども彼らは無頓着に溶け合っていた。つまりはそれが家族の営みだと、信じて疑わないくらいの感性でもって、むなしい食卓をも団らんと見なすあいだに、長い年月を過ごして来たのである。そして今もう直也は家を離れ、浩介はこうして妻と二人晩飯にありつくのである。あの頃もそうであったように、テレビをたれ流し、ぽつりぽつりと会話を挟みながら。
極論すればそれこそが、彼らにとっての幸福の姿に他ならなかった。そのくせ浩介は、喫茶店で黙りこくったままゲーム機に向かって、互いに対戦しあう子供らを見かけたときには、殴り付けてやりたいほどの吐き気を覚えたのである。向かいの相手を人とも思わずに遊び合う不気味さに、原始的な不快感を覚えたのである。高き御空から見ればその光景も、三人が黙々とテレビを眺めつつ食事を取る光景も、同一線上の事象には違いなかった。しかし浩介にはそこまで思いが至らない。昔はあんな珍奇な生き物は存在しなかったくらいに考えて、平然として腹を立てている。さらに奇妙なことは、いい大人がテレビゲームなどをするものかと職場で公言するような浩介が、最近息子の残していったテレビゲームを試してみるうちに、続きが気になりだして後に退けなくなっていることである。我々はその姿を観察せねばならぬ。浩介は二階の自分の部屋へと登っていく。妻は台所で後片付けを始めている。フォーカスはおのずから二階へと駆け上がる。
浩介は列車で読んだ武蔵のことを忘れた。晩飯の写真家のインタビューも忘れた。茶髪を見たときの不快感も、沢庵のしょっぱささえもう忘れてしまった。ドアを引くと、カーテンが開かれたままの部屋は、ガラス戸さえ開かれて、網戸から涼しい風が入り込んでいる。洗濯物を干すついでに、妻が開けておいたに違いない。昼間の暑さはどこかへ行ってしまった。盛んに虫の音が聞こえる。うるさいくらいなのはアオマツムシに違いない。浩介が幼い頃ふるさとで聞いたただの松虫に比べると、いくぶんデリカシーに欠ける都会ッ子の鳴き声だ。けれども決して嫌な鳴き声ではない。窓際に近づくと、お隣の窓枠からは寂しいオレンジ色のランプが漏れていた。けれどもカーテンの模様は分からなかった。ようやく部屋の蛍光灯がぱっと灯るとき、窓ガラスを閉て切った自分の姿に驚いた浩介は、慌ててカーテンを引っ張った。
それからちょっと躊躇する。しばらく考える風である。部屋の中を二三度往来する。往来しながらも、次第に昨日の続きが気になってくる。確かめなければならないような使命を感じだす。たしかにドラゴンは飛び去った。けれども……
この頃、止そうかと思いながら、ついゲームのスイッチを入れてしまうのが浩介の慣わしになっていた。今日こそは本気で止そうかと思う。けれどもちょっとした娯楽くらい、小説と同じじゃないかと考え直す。軽蔑するほどのこともなかろうと正当化する。こんなこと気にするのは、今どき自分くらいだと開きなおる。所詮(しょせん)はリモコン一つのことだから、結局テレビに繋がれたゲーム機の電源を入れてしまった。オープニングを眺めているあいだに、だんだん戦闘意欲が高まってくる。「賢者のゲーム狂い」とはよく言ったものだと、浩介は変な諺を呟いてみた。そんな格言があるんだかないんだか、相当に怪しいものである。
シワの刻みを忘れ去った浩介は、束の間RPGの主人公へと若返る。ロードが始まると、パーティーは暴れものの巨大翼竜(ドラゴン)と闘うために、城塞都市の宿屋でしばし休息を取ったところであった。浩介はコントローラーを握り締める。
情報収集を志して酒場へと向かった。もう下界のことは瞳には映ってこない。完全に主人公になりきっている。思想もヘチマもみんな凍結しちまった。彼は酒場を歩き回りながら、人々のおしゃべりに耳を傾けている。
「ビールばだましいは最高の酒だ」
と変なことを言う酔っぱらいがいる。カウンターに入ってみたら、『ビールばだましい』という酒が売られている。どんなネーミングセンスかと思う。こんな飲み屋じゃすぐ潰れるなと心配する。けれどもさっきビールを一本しか飲めなかった浩介は、せめて夢の中ではこれを注文することにした。
「この隠し味は、まさかコーンスターチでは」
仲間の一人が、変な感慨を述べている。こいつは盗賊上がりだから、戦闘のときも剣は使わずにナイフで済ませている。だから細身の男であった。
「何と不埒千万な、ビールは水と麦芽とホップだけで作るものだ」
別の剣士が憤慨している。こちらは主人公よりもがたいがでかい。由緒ある騎士である。しかし斬鉄剣(ざんてつけん)の持ち主みたいに、とんだ堅物でもあるようだ。
「またお堅いんだから」
と女魔術師がからかいだす。紅一点の彼女は主人公のことが好きらしい。こんな若くて綺麗な魔術師から慕われてみたい。浩介は妻から引っぱたかれそうなことを平気で考えている。
「シュメールからの輸入品なんです」
ウェイトレスがもう一杯勧めるが、肝心のドラゴンの居所は分からず仕舞いだった。念のためにもう一杯注文してみる。
「実はドラゴンの居所を知ってる奴を探しているのだが」
と浩介が頼みもしないのに、さっきの堅物の剣士がウェイトレスに尋ねると、後ろの方から、
「何らと、お前ら、あのドラゴンに何の用があるんだ」
と酔っぱらいが絡んできた。
「カレドニア卿から頼まれてドラゴンを討ち果たさなければならない」
「けっ、お前らが、あのドラゴンを倒すだって。こんなひよっ子どもが」
と大いに罵倒にする。相当に酔っているらしい。それにしてもカレドニアはブリテン島の北部の地名である。えらく適当なネーミングをしたもんだ。もっとも地名が名称になっても、何の不思議もないのだが、少しまえにもオルドビス博士なるものが登場して、浩介を困惑させていた。
「ひよっ子かどうか試してみるか」
主人公がいきなりその胸ぐらを掴んで片手で持ち上げてしまったので、これに驚いた酔っぱらいは、
「この奥に物知りの騎士がいやがる、そいつに聞け、俺は知らん、俺は何にも知らん」
とじたばたし始めた。そのまま放り投げてしまおうと思ったが、『放り投げる』などという選択肢は用意されていない。その場へうち捨てて奥の部屋へと向かってみた。
すると孤高の戦士が酒を呑んでいた。生意気そうにふんぞり返って、他の酒飲みどもはぐるりを近づかないようにして控えめに飲んでいる。余程の暴れ者なのだろうか。しかも名前の表示に『ある孤高の戦士』と書いてあるのが気に食わない。冗談も大概にしろと浩介はいきり立った。しかし翼竜の居所は奴しか知らないと、今しがた訊ねもしないのに老人が説明してくれたばかりである。
「町を荒らすドラゴンの居所を教えて欲しい」
ゲームだけに単刀直入である。浩介は半ば登場人物に取り込まれている。そんなことを気にする余裕はない。
「なんだと。お前があのドラゴンを倒すだと」
鼻で笑っていやがる。腹立たしい奴め。画面一杯に表示された口元が、軽蔑した薄笑いで延びきっている。
「それがどうした」
と答えてやる。なに、実のところ答えはあらかじめ決められているんだが、決められている答えを自らが発したと思い込むくらい、浩介の客観性は年相応に段階を経ていない。だから何にでもすぐ取り込まれる。すぐ現実のように憤慨したり、歓喜したり、嘲笑したり、悲しんだりする。ついにその感情が偽りであることには気づかない。安全なフィルター越しの感情であることに彼は気づいていない。
けれども近頃はようやく「おや」と思うことはあった。虚構に無駄な時を費やしているような空しさを感じることはあった。ただ「おや」を突き詰めて解剖せずにまた虚構に身を投じてしまうから、ついに悟ったためしがない。その果てなき連鎖の上に、彼は今下り坂を迎えようとしている。否、すでに転がり出しつつある。快活が諦めに道を譲ってしまっている。それなのに今日も無駄な徒労を繰り返している。そうやって我を忘れて、時間を浪費しつくしている。浩介よ、それがお前の一生なのか……
もしそれだけのことを、この竜の騎士が突然吐いたなら、浩介はどう思っただろう。あるいは彼の一生を嘲笑し始めたらどうするだろう。怒りに任せてコンセントを引き抜くだろうか。それともしんみり己(おの)が身を振り返って、情けなくって涙するだろうか。わたしには知るよしもない。
「もともと人畜無害のドラゴンを凶暴に至らしめたのは、お前たち人間のしわざだ」
孤高の戦士は、同じ人間とも思えないことを言い出した。それからいろいろと問答があった後で、
「俺とドラゴンは一心で、ドラゴンと俺は同体だ。同一のものを倒すというなら、まずは俺から倒してみせるがいい」
と何だかよく分からない台詞にぶち当たった。さすがに年配の浩介はおかしいなと思う。きっと子供向けに作られた手抜きが、こんなところに表れるんだろうとちょっと冷静になる。その冷静になったところで留まっていれば良いのだが、ついに両者が剣を抜き放ったので、また物語に引き戻されてしまった。
「表へ出ろ。ここでは迷惑が掛かる」
騎士が挑発する。RPGだから出来るだけ戦闘に持っていくのは目に見えている。浩介は憎らしき騎士を倒してやろうと、指先に力を込める。まるで自分が剣でも握っているつもりらしかった。もちろんコントローラーの振動は切ってある。
BGMが風雲急を告げ、たちまち戦闘シーンに移り変わる。騎士はいつの間にやら額に謎の紋章を浮き上がらせながら、剣を抜き放って画面中央にクローズアップされている。こちらは四人だから、冷静に考えればはなはだ卑怯な戦である。正義などあったものではないのだが、そんなことには構ってなどいられない。『たたかう』の項目から、体力や魔力も確認せずに、好き勝手な選択をした浩介は、たちまち劣勢に立たされた。直也のようにはゲーム慣れしていない。近ごろはアイテムで回復するコツだけは掴んだが、魔法の効率的な使用がはなはだ不十分である。すでに味方の一人が、
「奴は炎の盾を持っている。炎の魔法は効かないぞ。注意しろよ」
と初心者向けの説明を加えてくれたにも関わらず、『ファイア』の魔法を二度ほど続けて、その度ごとに跳ね返されて大損害を被っている。実戦だったらとっくに黒こげの七面鳥である。しかも炎は注意を与えてくれた仲間をさえ焼き払ったのだが、そいつは死にかけながら不平も言わずに闘いを続けている。俺の言葉が分からねえのかと怒りも何もしない。ただ攻撃の順番をおとなしく待ちわびている。順が来なければ動こうともしない。
このような解決され得ぬ細部のアホらしさが、ゲームの娯楽としての限界であるように思えるのだが、そんなことは浩介には分かりっこない。しかし、さすがに三度目の『ファイア』を唱えるのは止めにして、剣での闘いに戻してみたのだが、水か氷の魔法を使ってみるまでは思いが至らなかった。人海戦術的に回復と攻撃とを繰り返す。
それにしても浩介は知るべきであろう。魔法の効率はともかく、日頃の仕事においても、浩介の作業工程の中に、いくぶん不都合な点があるという事実を。それを知らぬばかりに浩介は、常に不平を漏らしている。己の能力を評価されない境遇を歎いている。風邪で休暇中の島崎課長の代わりくらい、自分でも務まるだろうと信じて疑わない。それどころではない。彼以上のことが自分には出来るはずだと憤慨している。そこが度し難い。
戦闘は凄惨な消耗戦に陥ってしまった。味方が何度も殺される。そして何度も甦る。思えばずいぶんお粗末な設定ではある。順番にせめぎ合っている様子も、引いて眺めれば滑稽である。しかし浩介は真剣どころではない。焦燥を誘うBGMと迫り来る全滅の恐怖から、ひたすら回復魔法と回復アイテムを駆使して、額には汗さえ浮かべつつ、気障ったらしい騎士に剣を振りかざしている。全身全霊いまこそ捧げんばかりにして闘っている。しかし回復の回数が多すぎて、一人の騎士に対して、一対一程度の攻撃しか繰り出せていない。短絡的な消費をケチって、全体回復の魔法を躊躇している。そのためかえってMPの消費を多くしている。これではゲーム制作者にとって思うつぼだ。総力戦は泥沼の様相を呈し、時計の針は右にぐるりを描く。
ついに騎士が、
「我が最後の攻撃を受けてみよ」
と自らの滅亡近きを宣言したが、不可解な呪文とともに掛けられた魔法によって、仲間のうち二人が殺されてしまった。残っているのは主人公と、ビールにいちゃもんを付けた堅物だけである。紅一点も盗賊の端くれも大地に延びている。残る二人もHPが危うい。けれども仲間を甦らせているうちに、またあの攻撃を食らったら全滅するかもしれない。浩介の額を冷や汗が流れる。幸い攻撃は、二人ともにこちらが先らしい。彼は意を決した。
「ここでいのち尽きようとも」
思わず口から吐きながら、残る二人がまた『たたかう』を選択する。仲間の剣が振り下ろされる、騎士は点滅を繰り返す。まだ死なない。万事休す。浩介の攻撃である。剣がずばっと騎士の斜を切り抜ける。その瞬間だった。「ぐあぁ」という悲鳴のような効果音が鳴り響いて、画面が大きく揺れ動いたかと思ったら、騎士はばったりと大地に臥して、それから蒸発するように消えてなくなったのである。どうやら勝ったらしい。
コントローラーを取り落とした浩介は、両手を握り締め、勝利に酔いしれた歓喜の表情で、背もたれのない後ろに倒れ込んだ。しばらくは放心したみたいに天井を眺めている。首だけ振り向けると、テレビからは勝利の音楽と、褒賞の内容が表示されている。そこにはドラゴンソードも記されている。ドラゴンの仲間だと主張したはずの敵が、ドラゴンを切り刻んだ備品を付けていることがちょっとおかしい。あるいは、輩(ともがら)だからこそ許された特権なのだろうか。
彼はまるで一山の道のりを踏み超えたような充実感と、徒労感に襲われてしばらく放心していた。コントローラーを動かさなければ次へ行かない仕組みだから、続きを見逃す恐れはない。ごろんと仰向けになって、闘いの余韻にひたっている。しかしよくよく考えてみると、実際はただ一人の、ヒットポイントを高く設定した中ボスクラスの騎士を、ようやく退治しただけのことなのだ。それだって、呆れ返るくらいのものであるが、制作者によって露骨にバランスを調整されたものであることは、浩介くらいの年齢なら、興醒めに掴み取ってしかるべきである。つまりは馬鹿らしくなってスイッチを消すべきところを、彼は少年がはしゃぐみたいにして大喜びしているのであった。
第一そのゲームは、ストーリーからしてまるで成人向けでなかった。いかな浩介とて、その馬鹿げたストーリーを改めて紙にでも記したなら、あまりの稚拙さに驚き入って、二度とは手を伸ばさなかったかもしれない。もっともハリポタだって、ずいぶん子供々々したストーリーであるのに、大人まで手を伸ばすほどの世界的ヒットになってしまった。してみると、あながち浩介だけに問題がある訳でもなさそうである。しかもゲームにおいてはこの短絡的なストーリーが、絶えず戦闘とレベルアップを通じて小出しに続けられるものだから、成長の快楽とルーズな物語とがごっちゃになって、浩介はなおさら画面に釣り込まれるのであった。
「けっ、お前もなかなかの勇者だったよ」
浩介はそんなことを思わず呟いている。もしそんな番組があるならば、今週の「孫が見たくないおじいちゃんの姿」のベストワンかもれなかった。倒された騎士が竜の居場所を告げ始める。息も絶え絶えに、つまり「三点リーダ」を使用しながら話し出した。点を取り除くと、
「ドラゴンはもともと神々と共にあった。人に危害を加えるような悪しき動物ではなかったのだ。聖なる生物であったものを、人間どもは商売のために競って狩り尽くそうとした」
と話し出す。こんなところに商売が出てくるとは思わなかった。ちょっとドラゴンに気の毒になる。浩介は現在ドラゴンの牙というアイテムを身に着けている。これもドラゴン狩りの副産物に違いない。案の定、
「そうやって、お前たちが身に付ける仲間の骨やたましいの欠片(かけら)が、ドラゴンたちを駆りたてるのだ」
と説明し始めた。浩介は、
「お前のドラゴンソードはどうなんだ」
と突っ込みを入れたくなったが、残念ながらゲームにコメントを挿入することは不可能である。騎士は説明を続けた。
「もっともドラゴンを殺して宝としているのは王室だ。ドラゴンがこの付近に暴れ回るのはそのためだ」
と打ち明ける。浩介はテーゲーに聞き流す。ただ肝心の、
「森の外れの塔に行け」
というひと言だけをしっかり刻み込んだ。
ああ、やっぱりそこかと浩介は嬉しくなる。実は兼ねてから目を付けていたのである。予想が的中した。騎士はとうとう息絶えたが、浩介はもう構ってはいられない。死骸を放置してその場を立ち去ってしまった。ゲームとはかくまで稚拙なる感情で進めらべきものである。すこしばかり感情移入しているつもりになっても、ゲームに過ぎないという前提は拭い去れない。もっとも拭い去れないのが正しいんであって、向こう側の乏しい世界に埋没しちまったら、たちまち人でなしになっちまう。だから浩介の態度を非難するには及ばない。
さっそくアイテムを整えて宿屋でセーブをする。始めの頃は、アイテムも買わずに全滅を食らう過ちを繰り返した。セーブをせずにふらふらと砂漠をさ迷って、サボテンどもに袋叩きにされたこともあった。もっともその頃は仲間もいなかった。それから比べたら、浩介なりの進歩をしたものである。もっとも回復アイテムを使いすぎたせいで、騎士から得た褒賞はすっかりポーションに替わってしまった。しかし気にする必要はない。どうせ闘えば金は入るのだ。それにしても次はドラゴンである。浩介の猪じみた戦い方で、果たして勝利を迎えることが出来るやら、そうとう怪しいものであった。浩介はもう一度宿屋に泊まってデータをセーブする。あきらかにセーブ過剰である。先の騎士との戦闘が余程こたえたものと見える。
いよいよ城門を出立した。薄暗い森並は、昼だか夜だか分からないくらい足下が覚束ない。木々を踏み分けると、ぎしぎしと響きがして、心細そうなBGMの合間から、時々コウモリのびっくりさせる羽ばたきさえ聞こえてくる。やがて小川のせせらぎも近づいてきた。木下闇(このしたやみ)の合間へ薄い光が射し込めて、水面(みなも)がきらきら瞬いている。心憎いほどの演出だ。しかし浩介には過剰すぎる。彼はお化けじみた敵が不意に登場するたびに、肝の潰れる思いで剣を振るっている。コウモリさえも攻めて来る。しかも吸血とかいう技を使ってくるので、こちらの体力を奪われると同時に、向こうばかりが元気になりやがる。なんたる憎らしさ。浩介はコウモリが嫌いになった。
「もうすぐ夜になるわ。急ぎましょう」
紅一点が、頼みもしないのに勝手に全体回復の魔法を使ってしまった。かわいい癖に勝手なことをしてくれる。浩介は魔力の減少を心配したが、これは制作者の配慮によって損なわないようになっていた。それならば大いによろしい。浩介はたちまち嬉しくなる。さらに踏み入ると、また暗がりの中からせせらぎが聞こえてきた。その合間には小さな光の粒が、灯ったり減じたりを繰り返している。
「雫蛍(しづくぼたる)だ」
盗賊あがりが指さすと、なるほど蛍たちはゆらりゆらりと明滅しながら、浩介を森の奥へと誘っている様子であった。彼は自分がドラゴンの住処に向かっている臨場感で、コントローラーを握り締めながら慎重に一歩踏み出した。落とし穴でも避けるような面持ちである。枯れ木を踏むときの足音が、森の不気味を高めている。ところが心奪われているさなかに、突然うしろからコンコンと音が響いたので、浩介は飛び上がらんばかりに驚いてしまった。
細君ががちゃりと戸を開ける。まるでいかがわしいところを母親に見つかってしまった少年みたいに、息のつっかえた浩介だったが、それはそれ、壮年の男性にふさわしい分別を、ゲームくらいで取り落としてなるものか。彼はしごくなんでもないという風を装った。実は心臓がばくばくしているんだが、顔には出さない。だからドラゴンを血眼に追い求めていたとは、細君はついに気づかなかった。
「あらやだ。ゲームなんかしてるの」
と部屋に入ってくる。
「なに、直也の残していったものだ。どんなものかと思ってね」
「それで面白かったの」
「うん、まあなんだ、なかなかよく出来ているようだね」
さっきまで釣り込まれていたとは、どうやら白状したくないらしい。細君は、
「洗濯物がベランダに干したままなのを思い出したのよ」
と向こうへ渡ってガラス戸を開ききったので、締まりの悪くなった浩介は、
「彼岸が近いから御萩(おはぎ)が売れるだろう」
と恭子に切り出した。妻は地元の製菓会社の直売店でパートをしている。今では直也も独り立ちして生活には困らないくらいだが、ずっと家にいても仕方がないからと、浩介と一緒になって貯金を貯め込んでいる。余命幾ばくにも広がる老後を謳歌するために、今のうちに働いておくんだそうである。もっともパートだから、浩介の労働時間よりはよほど短い。仲間とファミレスなどでだべって帰って来るくらいのゆとりがある。だから今でも十分人生を謳歌している。なすべき事など考えないから、浩介と違って老いゆく今に屈託がなかった。
「まだそんなに変わらないわ、ぎりぎりよ売りが増加するのは」
「そんなものかな。でも少しは延びるだろう」
「ぼちぼちよ、ぼちぼち」
妻は自分の表現がおかしくて思わず笑いながら、ベランダに出てハンガーごと衣類を取り込んでいる。肌ざむのすがすがしい風が流れ込んでくる。
「ねえあなた、一度くらい紅葉(こうよう)を見に行かない」
ポンとシャツを投げ込んだ。
「そうだなあ。しかし休日はどこも混むからなあ」
「有休が貯まっているでしょう。たまには休みを貰ってもいいんじゃあないの」
浩介もなんだか仕事を休んでのんびりしたい気がする。どこかに一泊して温泉にでも入ってみたい。けれどもこんな話は、大抵はうやむやになってしまうのがこれまでの慣わしになっていた。
「今年は意地でも休みを取ってみようかな」
独り言みたいに呟くと、
「そうなさいよ」
と妻は靴下を投げ入れる。それからようやくガラス戸を閉めて、カーテンを引いて、取り込んだ洗濯物を籠の中へと放り始めた。浩介はありきたりの幸せじみた思いが湧いてきて、なぜ自分はそれなのに不満があるのだろう、この頃焦燥ばかりに苛(さいな)まれるのはなぜだろうと考えたが、答えは出なかった。誰でも同じなのかな、年を取るとそう思うようになるのかな。心のしおれた拍子に、ゲームへの情熱はすっかり干上がってしまった様子である。
「どれ、風呂にでも入ってこようかな」
浩介はゲームを切って立ち上がる。翼竜のことは綺麗さっぱり忘れてしまった。明日になったらまた思い出すかもしれない。
階段を下りようとすると、ぎしぎしと軋む音がした。結婚したときに買った家だから、だいぶ古びている。階段も床もところどころ軋みがする。もっとも浩介の体重が近ごろ増加の傾向にあるのも事実である。現に妻が昇って来るときには、階段の音に気づかなかった。シャツを着ているとそうでもないが、服を脱ぐと妻にからかわれるくらい、お腹のあたりが出っ張っている。典型的なメタボ予備軍の腹である。そのくせ運動などはやる気にはなれなかった。元来彼は若いときから運動をしない男である。服さえ着れば小太りとまでは言えないが、決して人並み以上に見栄えのする男でもなかった。普段の服装さえだらしなくなりがちな浩介が、電車の中では他人の格好を憤慨していたことが、いくぶん滑稽といえば滑稽である。もちろん浩介はそうは思わない。ただ階段の昇り口(のぼりくち)で振り返ると、
「やっぱり、俺の退職に合わせて、新しい家を建てようか」
と、まえに話題になったことを聞いてみる。
「それじゃあ、もっと働かないと」
細君は笑い出した。自分に言い聞かせたのか、夫に言い含めたのか、あるいはその両方であるようにも思われた。
湯船の中で浩介は家のことを忘れてしまった。ドラゴンのことも思い出さなかった。体を洗って、腹をぽんぽん叩いてから、寒がりに浸かり始めたお湯の、のぼせゆくのに任せて鼻歌などを歌っている。だいぶん音程が狂っている。涼しい大気がちょっと欲しくなったから、立ち上がって窓を開け放つと、淋しげな虫の音(ね)が流れてきた。うそ寒の空へと逃れ去る蒸気と入れ替えに、新鮮な肌冷えが胸元へと流れ込んだ。まるで温泉にいるみたいだ。浩介はこりゃこりゃとした気分になって、また湯船に首まで浸かりこんだ。やはり今年は温泉に遊びに行きたいと思う。休みが取れるかとスケジュールを思い返してみる。それから必要もないのに浸からせたタオルを、まるで子供みたいに膨らませている。幼い頃を思い出して、ちょっと戯れてみたらしい。そのかわり鼻歌は止めにしてしまった。
いつの間にか彼の空想は、祖父に入れられた生家の風呂場へと移っていった。それは今のような小綺麗な浴室ではなかった。風呂釜も木造だった。裸電球がぶら下がっていて、それは紐で点灯するほど素朴な代物だった。しかも風呂と土間と脱衣所と物置が入り交じった空間を照らすには弱すぎて、揺れる灯火(ともしび)は哀しいくらいに味気なかった。さすがに薪ではなかったけれども、風呂炊きにはずいぶんうるさい響きが必要だった気がする。まるで夢に逢ってみたいくらいに、あの頃の記憶は暖かくて穏やかだった。浩介は赤いネットに入った石鹸を思い出した。それはミカンを買ったときの包みで出来ていた。祖父は残り少なくなった頭をさえ石鹸で洗ってしまっていた。けれどもシャンプーは置いてあった気がする。時々不思議な話を聞かされた。祖父は話し上手ではなかったけれど、孫のためにいろいろな物語りをしてくれたからである。その内容は、ひょうたんから豆仙人が現れて、望みの夢を叶えてくれたりとか、果てなく伸びゆくヘチマの話だったりとか、象が動物園を逃げ出して大草原に帰りゆく話だったりした。また浩介はよく話をせがんだ。そしてこんな風にしてタオルを膨らませて、それをぶくぶくさせて喜んだ。浩介は試しにタオルをもう一度膨らませてみる。それから水面下へと押し込んでみた。隙間から漏れ出た泡粒が細かくなって沸き上がる。面白くも何ともない。なぜこれだけのことがあの頃にはあんなに新鮮で、今はまるで味気なく思えるのだろう……その相違にまた驚かされた。また考えが飛翔し始める。今度は翼竜のことでもなく、武蔵のことでもなく、今日の職場での出来事であった。
島崎課長が休みだったので、今日は隣の部署から代行が指示をくだした。ある原料発注のプランだが、年末に向けて拡大すべき与件(よけん)であるから、上方修正しろという命令であった。その量が不景気を十分に加味していないように思えたから、浩介は代理者に告げたのだったが、彼は
「上から拡大の命令が出ているから」
とだけ答えて、煩わしげに浩介を追っ払ってしまったのである。浩介はなおも修正プランを幾つか示して、少しでも実体に近づけようかとも考えた。けれども止めてしまった。どうせいつものことである。いちいち論理的説明を加えたところで、「活力あるプランは必ずしも経験からのみ導き出されるものではない」とか、「上司の命令だからまず間違いない」とか、最終利益まで合理的に算出しないような決定で、勝手にプランが邁進(まいしん)してしまう。いや、正しくはそれも違う。計画書の利益計算は見事になされている。しかも細部の見積もりの集積までなされている。ところが一番大切なはずの消費者動向を年じゅう過大評価するから、生産過剰に陥って利益が食い潰されることが多かった。期待通りの場合と、予想を裏切った場合と、予想に到らなかった場合を長期的に合算(がっさん)してみると、全体の期待値を下げれば、さらに利益が増大するにも関わらず、次の計画がなされるたびに、希望的観測が幅を効かせるのは、まったく感覚的要素がプランに割り込むからに他ならなかった。それでいてすべてが終わってから、くだらない反省会を催して、誰もが思っていたようなことを述べ立てる。酷いときには、部下に進言されたはずのことを、初めて気づいたように反省している。それで次の計画にはまるで生かそうとはしないのだ。これらを延々と続けることが、浩介の会社の宿命のようにさえ、今では思われるのだった。この時もだから、彼はいつものことだと諦めて、代理者の命じるままに発注を入れたのである。
かわりに彼は仲間と戯れて、
「また馬鹿な命令が回ってきたよ」
「あれじゃあ、在庫が大量に残るぞ」
「残ったからって誰も腹は斬らんぞ」
と笑い合った。そうやって彼らは、自らが過たずプランを立案する能力を有したる者のごとく愚痴るのが常であったが、その実各々(おのおの)能力の限界があって、容易に正道など見いだせないのが浩介の商売なのである。彼にしたって、島崎課長から言わせれば、いくぶん先読み不足からくる後追いの傾向があって、それはいわば、彼が魔法を有効的には活用せず、力任せに闘いを挑むような性癖(せいへき)が、初心者任せのRPGほど酷くはないにせよ、時折顔を覗かせるのであった。しかし浩介がそれを知り得ようはずもない。島崎課長の仕事ぶりなら、自分の方がうまく回るだろうと信じている。そうして絶えずやきもきしている。そのやきもきが正しいかどうか、それを冷徹に眺める客観性に欠けていた。
とはいえ、浩介も長年勤めるベテランである。それに代理のプランは誰から見ても、おそらく休んでいる島崎課長が目を通しても、過剰発注であることは間違いなかった。それなのに、彼にはどうともできない。命じられれば最後には従わざるを得ない。しかしそれが組織というものなんで、つまりはそれが当たり前だと今では思っている。そうやって沢山の浩介が生まれだすと、次第に従うがままの社員が増えてくる。命令をくだす方が担ぎ上げられた分だけ手抜きになって、希望的観測が幅を効かせるようになる。それを糾弾する者がすぐに左遷されるようになる。命令の素通りがまかり通る頃には、企画立案まで硬直化してくる。それでも長年培った取引やマニュアルによって、だらだらと巨大な組織を維持し続けるんだか、次第に朽ちかけているんだか、あるいはいつの日か刷新がなされるんだか、そこまでは浩介にも分からない。浩介はその分からないあたりのことを、今風呂に浸かりながらごちゃごちゃと考えていた。
いつの間にかまた代理者に腹を立て始めた彼は、その憤りがまったく会社のためであると錯覚しているらしかった。日頃から指示に服さなければならない鬱憤(うっぷん)が累積して、己(おの)がプライドを窄(すぼ)めていることには気づかないようだ。堅気(かたぎ)の自分が、不真面目な代理者に退けられたと思っている。その実、拒絶されたときの浩介は、自己否定に対する防御的な不快感以外何一つなかったのであった。人は老いるほどに率直な喜怒哀楽の情さえも、言い訳を付けずに有り難がることが、ますます出来なくなってゆくものならば、浩介が会社のためにのみ憤慨したと錯覚しても、あながち非難すべきものでないのかもしれない。浩介はだんだんつまらなくなってきた。また鼻歌などを歌ってみるが、やはり音程がずれている。それが窓から漏れだしている。しかし、ひっそりとした戸外(こがい)には笑うものとてなかった。そろそろ頭がのぼせてくる。
じゃばじゃばと威勢よく立ち上がり、開け放ったガラス窓をぴしゃりと閉めた途端に、浩介はなぜだか分からないが、不意に、
「秋という大動脈を切られけり」
という俳句が浮かび上がった。
風呂釜を蓋しながら、突然閃いた言葉を何度も反芻(はんすう)してみる。なぜこんな言葉が生まれたのか、不思議な思いで脱衣所に逃れ出る。
この頃浩介はテレビの俳句添削などを見ることがある。老後の楽しみという訳ではないが、歳を重ねるごとに表現を味わうゆとりが生まれてきたのかもしれなかった。あるいはそうではなく、最近妻が遣り始めた絵手紙などを見るうちに、自分も何か創作がしてみたくなっただけかもしれなかった。テレビを見るたびに、ご意見番的なコメントをする俳人どもを眺めて、どれほど手前勝手な商売があったものかと羨ましく思ったくらいである。それも必ずうまく添削するならまだしもだが、時にはせっかく普通の言葉で纏まっているはずの俳句を、変な「ばや」とか「けり」に改変させて、返ってごちゃごちゃにしているだけのように思えることもあった。「冷や奴」の句を改変させて「奴食ぶ(やっこたぶ)」とほくそ笑んだときには、そんな珍妙奇天烈(きてれつ)な言語があってたまるかと不快を感じたことさえあった。一番不可解なのは、文語調がなんたらかんたらと申して、例えば「言う」を「言ふ」に改めさせてはしゃぎまくっていることである。しかもそれが美しき蒼き我が国の伝統なのだそうである。だとすれば驚愕すべき事実ではある。けれども俳句をよく知らない浩介だから、あえて批判するだけの勇気は持たなかった。ただ一般人にとって変てこ極めつけたる言葉遣いこそが正統なら、俳句の価値なんぞどこにあるのかと思ったばかりである。もっともこんな感慨は滅多に起こさない。大抵はなるほどと思って眺めている。あるいは何かを食べる方に夢中になって、好い加減に聞き流している。それでも最近は自分でも面白半分に五七五をこね回すことがあった。それを妻に見せて白い眼をされることもあった。一度などは、
「あきらめをずんぐりまなこの秋刀魚かな」
という句を詠んで、大笑いされたくらいである。たしか今年初めての秋刀魚が並んだ晩のことであった。もちろん名句のつもりで見せたんだが、あんまり妻が笑うものだから、自分でもおかしくなって笑い出してしまった。それで未だにこの句を諳(そら)んじることが出来た。しかしまだ彼は歳時記には手を出さない。それほどの熱は出なかった。季語さえ碌すっぽ知らないから、大抵は春夏秋冬の文字がどこかにすっぽりと納まっている。
「初夏をビヤガーデンの流行歌(はやりうた)」
と詠みながら、ビアガーデンだけで季語になるとは気づかないで平然としていた。それさえうまく掴めれば、
「ふられ日をビヤガーデンの流行歌」
など、いろいろな逸脱も出来るのだが、二つの季語が邪魔になって、身動きが取れなくなっている。もっともどっちにしたって大した句じゃあない。また辛うじて春夏秋冬を逃れたときでさえ、せいぜい桜だとかトンボだとか、簡単な季語で済ましている。今では手帳に三十くらいは記してあるが、好きとも暇潰しとも言えないくらいの数量だ。もっとも俳句などは芸術でないと、天から思っているところが偉いといえば偉い。ちょっとした遊びのつもりだから、懸命に季語を覚える気など毛頭なかった。
「秋という大動脈を切られけり」
もう一度呟いてみる。しかしこれは悪くないようである。浩介は考えた。なぜ窓を立て切った拍子にこんな句が生まれたのかは知らないが、ガチャンと閉じた窓の断罪のような響きが、大動脈に行き着いたところが我ながら妙である。秋ならば真っ青な静脈くらいがふさわしかろうものを、大動脈と言い切ったところに気迫がこもる。ただなぜ秋が大動脈と繋がるのか、それが分からない。しかし分からない分、かえっていろいろ思案を浮かばせそうな気がする。それで脱衣所で体を拭いているときは、これを例のテレビ番組に応募してやろうかとまで思い始めた。浩介はだんだん妄想を突き進む。とうとう頭の中では、最優秀作品に選ばれる瞬間をさえ、浮かべながら背中にタオルを回している。
「私ども長らく批評をしておりますが、これほど大胆な作品というものは、誠に珍しいものでございます」
選者のなかでも最長老の俳人が、ボードに書かれた俳句に説明を加えている。もちろん浩介の頭の中である。
「まさに我々の住まう列島くまなき生命の営みは、春に萌え出ずる息吹の、夏を盛りと繁栄を極めたる後、銀杏(いちょう)散りゆく秋の侘びしさの中に、断罪されるがごとき生命を絶ち斬られ、凍えべき冬を迎える有様でして、それをこれほど単刀直入に、かつ『切られけり』と断ずるほどの俳句は、我々俳人の世界にあっても、いやいや、なかなかこう言い切れるものではありません。アマチュアの方ながらに脱帽の思いであります」
すると今度はやはり年配の女流俳人が、
「それにこう、なんと申しますか。ここにはおそらくわたくしたち老人の、向かえゆく冬のさなかに命を断罪されるがごとき悲しみをさえ、そこはかとなく込めておられるような心持ちもいたしまして」
とやはり絶賛している。
「これほどの俳句を作られたのは、いったいどのような方なのでしょうか」
とナレーターがマイクを握り締める。そのうち妄想が発展して、最後には自分が番組に呼ばれて、年間最優秀俳句賞なるものを獲得し、それがもとで俳句集などを作るはめになって、てんてこ舞いするような有様をさえ浩介は、服を着る間にだらだらと推し進めてしまった。句集には妻の名前と、直也の名前と、それに孫の名前と、もちろん直也の妻も、などとあれこれ考えている。ついには職場を休むときの挨拶まで考え始めた。
「申し訳ありません。詰まらない趣味にかまけまして」
などとひとりで恐縮している。これ程の妄想家もちょっと珍しいくらいである。
浩介はここは一句、細君に紹介しようと考えて、がらりと脱衣所を開け放った。毎度の妄想なので、服を着こんだ頃には、大分覚め掛かっている。けれどもせっかく浮かんだ名句だから、ちょっと批評が聞きたい気もする。恭子の絵手紙も近頃は手が込んできて、この間などは、子猫の絵を色彩で描ききった横に、
「水鉄砲子らのはしゃぎを聞く頃の
縁側子猫何を思うの?」
などという短歌の付いたのを見せてよこした。浩介はなるほど下手くそな猫であるが、歌にはかえって無視出来ないものがあるように思われ、少しばかり見直したところだったから、今度は自分から名句を披露しようと考えたのかもしれなかった。
居間へ向かうと、恭子はまだテレビを付けてニュースを眺めていた。ところが浩介が何か言い出す前に、
「あなた、また芸能人の麻薬ですって」
と顔を振り向けた。浩介はちょっと驚く。おや、こんな人が麻薬をするだろうかとあっけに取られた。それはかつて直也が好きだったこともあるアイドルの、なれの果ての醜態だったからだ。
「法律でも作って、麻薬をやった奴は、二度とテレビに出さないようにしてしまえばいいんだ。テレビだって多分に公共的な要素を持つには違いないんだから」
それから興味津々と容疑者の芸能活動を紹介しているボードを眺めるうちに、せっかく風呂場で思いついた俳句のことは、きれいさっぱり忘れてしまった。ボードには、
「スイミーな気分でハネムーン」
というデビュー曲の名も載っていた。細君はまた、
「やあねえ」
とぼやいている。浩介にはそれほど大した事件とも思えない。ちょっと意外なんで驚いただけである。あるいは彼女も、干からびゆく自分に怯えて麻薬に走ったのではないか、そんなことをさえ考え始めた。時計は十一時を回っている。あまり遅くなると明日が辛いだろう。浩介は妻におやすみの挨拶をすると、ぎしぎしと軋む階段を昇って、自分の部屋へと戻っていった。
ベットに入ると、部屋のメインライトを消して、近くの暖色照明だけにして、頭上の棚から小説をたぐり寄せた。これは武蔵の単行本とは違っている。あれは電車用、こちらは就寝用である。それでいて両者ともろくに話を覚えていない。いや、読んでいるときはまだしも熱を入れて読んでいるのだが、次の小説の導入を読み進める頃になると、一つ前の内容だから綺麗さっぱり忘れてしまう。彼はそれをもう十年以上繰り返している。だから読んだ小説の数だけは大したものである。携帯を弄んだりゲームに興じて暇を潰している連中よりは、はるかに高尚であるといっても構わない。しかしその実、高尚の中味が空っぽである。頑張って思い出したところで、見出しの大枠と作者くらいのものであった。それでも話しを吹っ掛けられれば、おぼろげな内容を再生するくらいのことは出来たので、彼は困らなかった。第一、内容に踏み込むほどの友人は、彼の近くにはいなかったのである。彼はしおりの挟んであるページをそっと開いてみる。ずいぶん分厚い文庫本である。遅々として進まないから、そろそろ読むのを止そうかと思い始めている。けれども眠る前には、これこそもっともふさわしい小説であるようにも思われる。彼は目を落とした。女神テティスの言葉が書かれている。それがちっとも女神らしくない。まるきり男だか女だか分からない。これが神の語り口らしかった。
「歳月に足すくわれし我らの、奪われし時の刻み儚(はかな)し。秒針をさえ憐れみ、無常一徹のクロノスの歩みをさえ、振り返りてのち初めて怯えるほどのうつし世を、今はただ若き血潮のままに、アキレウスよ、汝が定めをのみを生き尽くせ。英雄ならざる生涯の、果てなき路の永遠(とわ)にほほえみを満たすとも、己(おの)が身を焼き尽くさんばかりの漁(いさ)り火を、束の間も満たせぬ生涯なれば、何のためにか衆生(しゅじょう)の世に、汝(な)が身をしばし投じたるか、何のためにか乾坤(けんこん)の狭間(はざま)なる我が胎内に、その御魂(みたま)を宿すべき意義あらんことか」
海の女神テティスは我が子を慰め、慰めながらに鼓舞し、逃れなきアキレウスの定業(じょうごう)を、今はせめて太陽神アポローンの耀きにさえ勝るほどの、絢爛(けんらん)で満たすくらいが母の勤めと、涙をひた隠し、そのこころを奮い立たせ、ただ穏やかなる波の間に間に、しばし息子の手を握り締めるのみであった。
何だかまどろっこしくなって、浩介は小説をぱらぱらと読み飛ばし、偶然開いたところを斜めに読んでみる。ページごとに理解していたんでは、とても付き合いきれないから、浩介は章ごとの粗筋だけ読んで大枠は把握してある。それで全体の像だけはどうにか掴み取ったのであるが、彼が開いたところは、アキレウスが戦利品の愛妾(あいしょう)ブリセーイスを、総大将のアガメムノーンに奪われ、怒りの果てに戦線を離脱したのを、親友のパトロクロスが、せめて自分に兵を貸してくれと懇願するところらしかった。もっともそれだって正しいのかどうかよく分からない。とにかくギリシア軍が大挙して押し寄せて、トロイヤを陥落させる物語であることだけは間違いない。しかもギリシア軍はアカイヤ軍と呼ばれているようだった。大方兜の色が「赤いや」とでもいうオチなんだろう。
勇者パトロクロスのなおも懇願する様は、さながらアカイヤ全軍の慟哭をここに集結させんがごとし。
「ペーレウスの子よ。女神テティスの子よ。我が無二の親友よ。今まだ人のこころを残すなら聞くがよい。アカイアの将軍どもの今累々と屍を晒す様は、さながら堰を切ったスカマンドロスの濁流が、嵐の晩に広大な平野を飲み尽くし、進軍する我らを土塊(つちくれ)のままに押し流すが如(ごと)し。テューデウスの子ディオメーデースは傷つき、槍の巧みオデュッセウスさえも自らがその槍の餌食となり、アガメムノーンもあなたを蔑ろにした報いを受け、今や満身創痍の有様だ。アキレウスよ。総大将がすでに罰を被った以上、もはや仲間のためにも恨みを捨て去り、固く閉ざした剣の鞘を、再びアカイアのために振り向けてはくれないか」
されど頑な女を奪われたアキレウスの怒りは解けず、パトロクロスに言い返すには、
「そのくらいのことで、アガメムノーンの罪が許されたと思うなよ。お前にだから話すのだが、予言によって絶たれるべきこの命を、投げ打ってまで戦に望んだ我の、今日の限りを剣と交える情熱は、アカイアの武将のすべてを連ねても、なおも敵うべきものではないのだ。それを己(おの)が手柄もなくただ命じるばかりの男に、我がいのちを賭した戦利品の、たとえば僅かひと欠片であっても、並みいる勇者どもの前に奪われたとあっては、どうしてそれを許すことなど出来ようか」
うな垂れたパトロクロスは意を決し、
「こうなったからにはあなたには頼まぬ。せめて麾下のミュルミドネスらを我に貸し与えよ。我こそあなたの身なりをして敵陣に進み出で、味方の士気をせめて鼓舞せんのみ」
諫(いさ)め得ぬ友の勇姿を眺めたアキレウスは、いっそ己が出陣すべきかとこころを動かされた。しかしアガメムノーンより受けし屈辱の傷は重く、ついに腰を上げるまでには到らなかった。代わりに彼は友の願望を叶えることにしたのである。
「だがパトロクロスよ。決して鼓舞する以上のことをしてはならんぞ。トロイアの勇者、我が剣をも躱(かわ)す唯一の男、あのヘクトールと闘おうなどとは、夢にあっても思うなよ」
アキレウスは友だけに見せる優しさを、そっと瞳の奥に走らせた。もとより承知だとパトロクロスは頷く。
「アキレウスよ、あなたの姿で戦場(いくさば)に赴きさえすれば、必ずやトロイヤの名だたる将軍は恐れをなし、野分を前に小屋を取り繕う牛飼いどもの、怯えた姿で城砦へと逃れ戻るであろう。我が軍は息を吹き返し、敵の背を城門まで迫ることさえ叶うだろう」
浩介はだんだん眠くなってきた。トロイヤの古き御代の物語が、堅苦しい子守唄みたいにこだまする。アガメムノーンにあらがったアキレウスの覇気と、今日の職場での態度がごっちゃになって、浩介を虚しい気持ちに追いやった。アキレウスのような英雄の生涯なんて、自分にはどだい無理だったのだ。こんな英雄みたいな生き方は、当時だってあったものやらどうやら、到底知れたものじゃあない。まるっきり文学作品の絵空事じゃあないかしら。とうとう浩介はそんなことを考え始めた。そのうちまぶたが重くなってくる。
それにしても毎日単調に職場に通い、疲れ戻ってくるだけの浩介にとって、絵空事の英雄は小さな慰めではあった。こうして束の間だけでもアキレウスになれる。パトロクロスにもなれる。大空を羽ばたくイーカロスにだってなろうと思えばなれる。しかしなったつもりでも自分の足は動いていない。剣だって握ってはいない。切り込まれる心配すらない。すべてが偽りの空想である。虚構安堵と読み継ぐから、五感が伴ってこない。筋肉の動きが結びついてこない。すなわち本物のようには心に響かない。もっとも本物として焼き付けられたら、バーチャルの世界と現実世界の区別がまるでつかないことになっちまう。分け隔てていたものがごっちゃになってしまったら、人間としては大いなる後退現象である。安逸な妄想家の浩介にそこまで陥る心配はない。人は実際に触れているものと触れられぬものとの区別が付くように仕上がっている。それは本能といってもいいし、実物を見分けるための基礎能力といっても構わない。ただあんまり妄想が勝り、現実世界の刺激をまるで吸収しないと、脳味噌がショートして人でなしが生まれることだってある。しかしそれは通常起こることではない。
浩介だってそのくらいのことは十分承知である。彼は何ものに身を投じても、それが虚飾に過ぎぬことを熟知している。それでたやすく日頃のうっぷん晴らしに、虚飾の世界に旅立つのである。しかしついぞ日常の方を、自らの意志で変えようとはしなかった。いや、あるいは、若い頃にはそんな気持ちもあったかもしれないが……浩介はどんなに思い出そうとしても、それをつかみ出すことが出来なかった。もう活字は追っていない。トロイヤはいつしか枕もとに置いてしまった。そうして天井を仰向いてくだらないことばかり考え始めた。
いったい自分は何がしたいのだろう。何の不満があって近ごろ物足りないのだろう。思えば子供の頃から、自分には成すべき使命があるような気がしていた。いつかその使命が目の前に現れて、賭して勝負を挑むべき日が来ることを夢見ていた。そのくせ、彼は何ものにも人並み以上にのめり込んだことがなかった。高度成長時代の大量就職のいわば最後の波に乗って、彼が今の会社に勤め出したのは、だから自らの夢を成し遂げたという理由ではなかったのである。ただ周囲に同化しながら学生時代を謳歌した挙げ句、就職するのを当然として面接を受けたまでのことだった。夢を実現する資金を得るためと考えればまだしもだが、浩介には叶えるべき夢さえなかった。無批判にレールの上を突き進みながら、ついにここまで来たのである。つまりレールを歩むことと、飛翔する空想とは、何の繋がりもなかったのである。いつも何かを夢見ながら、夢のかたちはちっとも定まらなかった。だからそれを現実世界に具現化するなど、思いもよらなかった。
もう少し考えてみると、使命があるような錯覚は、浩介が幼い頃から見続けたテレビやら漫画やら、最近では小説などから送り込まれた、美しき幻想に過ぎないような気もする。登場人物の煌めきに憬れた彼は、バーチャルの領域ではそれこそ命のあり方だと讃える一方で、現実世界ではただただ人々の真似をして、レールを歩むことが人生だと割り切って、無頓着に生きて来ただけのような気もする。使命感や夢への願望自体が、物語にのめり込みがちな浩介の虚構に過ぎなくって、現実の自分は安逸なレールを踏み外す意志など、はなっから持たなかったようにも思える。突き詰めると自分は今の生活をこそ望んだのであって、この幸福を噛みしめながら、残りの生涯を全うするより他に、レールなどありっこない訳になる。あるいはそうかもしれない。けれども……
浩介は考えながらに次第に文脈が繋がらなくなってくる。学生時代には羊を数えたこともあった。それを友達と競ったこともあったっけ。あれは幾つのことだったろう。机の上はごちゃごちゃで、勉強をさぼることがステータスだったこともあった。けれども受験の時期が近づくにつれて、誰もがそんな偽りのステータスに飽き飽きして、真面目に教科書を開いていたことさえ今となっては懐かしい。あの頃の自分は何が望みだったろうか。今の自分を見たら、はたしてなんと言うだろうか。お褒めの言葉が返ってくるとはとても思えない。ただでさえ青年は非情なものであるから、侮蔑(ぶべつ)の言葉くらい自分に吐きかけないとも限らない。思い返してみれば、あの頃は眠れぬ夜もあった。恋の悩みでベットを転げ回ったことさえあった。夜というのものが、ずいぶん長いもののように思われた。今は駄目だ。疲れてすぐ眠くなる。何かを考えようと思っても、すぐに脈絡が付かなくなっちまう。まるでこんな有様だ。カチカチカチカチ、時計の針がさりげない哀しみを唄う。リーリーリーリー、窓の外では虫たちが、指揮者もおらずに合奏を続けている。風の音はまるきり聞こえない。眠りの神はそっと舞い降りる。浩介はギリシアの夢の神の名前を思い出そうとしたが、だんだんそれも意味をなさなくなってきて、とうとう眠りに落ちていった。時計はもう十二時を回っていた。
どこかで声がする。
「こんにちは」
気がつくと小さな子供が叫んでいる。浩介ははてな、今は昼だったかなと思う。ぱっと顔を上げると、自分は居間にうつ伏せになっていた。聞き覚えがあるものだから、慌てて玄関へ出迎えると、直也とその妻が孫の手を引きながら玄関に立っている。おじちゃんを見つけた孫が、
「こんにちは」
ともう一度頭を下げる。久しぶりに子らが訊ねて来たらしい。
「まあ、上がれ」
気さくにスリッパを並べると、直也の妻が申し訳なさそうに、
「ありがとうございます」
と答えて靴を脱ぎ始めた。二階へ上がっていた浩介の妻も降りてきた。孫息子から
「おばちゃんこんにちは」
と言われて、
「こんにちは、翔(しょう)ちゃん。ずいぶん大きくなって」
と頭を撫でている。それから直也の妻に向かって、
「涼子さんいらっしゃい」
と挨拶をするので、涼子はまた深々とお辞儀をした。手にはお土産がぶら下がっている。それを受け取ると、さっそく居間へ通させた。
テーブルにはいつの間にか皿が並べてある。おかしいな、さっきはなかったのに。浩介は不思議な気がした。キッチンペーパーを敷いた上には、もう天ぷらまで揚がっている。座布団が余計に並べてある。始めから息子たちを待っていた様子であった。浩介はちょっと訝しげに席に座ると、翔太(しょうた)が、
「おじちゃん、今日は赤くないの」
と浩介に訊ねてきた。前来たとき、酔って真っ赤になっていたのを覚えているらしい。
「赤いのは夜だけなんだよ」
翔ちゃんは腑に落ちない。
「どうして夜は赤くなるの」
「それはね、おじちゃんは仕事で疲れると、燃料が尽きて赤くなっちゃうんだよ」
と説明すると、すかさず翔ちゃんが、
「嘘だい。あれは酔っぱらいだって言ってたよ」
「誰が」
浩介はキョトンとなる。
「おばちゃんが」
と答えたので大笑いになった。そのおばちゃんがめんつゆとそうめんを運んでくる。浩介は急に真夏に引き戻されたような暑さを感じだした。
「今日はずいぶん暑いな」
と直也に首を向けると、妻の涼子が先に、
「お盆なんですもの」
と屈託もなく笑っている。浩介ははてな、今はお盆だったかなと思う。それから孫に向かって、
「夏休みは楽しいか」
と訊ねると、
「うん、いつもと変わらないよ」
翔太はだいぶつれない。はじけて楽しいとか、パパとクラゲが海でどうしたとか熱を入れて語ってもよさそうだが、淡々としたままママの隣に座り込んでいる。正座でないのはまだしも、あぐらにもなっていない爪先が、奇妙な方角にちぐはぐにはみ出ている。何の教育も与えられていないのかと、浩介にはちょっと驚かされる。
「ママが帰って来るまで一人じゃ淋しいでしょう」
今度は恭子が翔ちゃんに聞いてみる。翔太は
「別にさみしくない」
と言い切った。まんざらやせ我慢とも思えない。かえって大人の方がやきもきしているくらいのものである。
「早く二人目を作ったらいい」
浩介はデリカシーのないことを言い出した。
「親父だって俺一人だったじゃないか」
と直也が笑うので、
「今にして思うと二三人あってもよかった」
浩介は小皿に醤油を流し込む。食卓には刺身も並べられていた。ただし翔太の好きなパイナップルは、まだ冷蔵庫に隠されているらしい。
「なかなか経済的に難しいからねえ。生みたくても生みづらいんですよ」
と直也を生んだ張本人の恭子が弁解する。女性の生涯に産む子供数は、現在平均1.3人を少し上回ったが、いつまた割り込まないとも限らないと、浩介は新聞で読んだことがある。なるほどそれじゃあ二人三人は産めっこないと、自分が昔二人目を断念したことを思い出して、束の間に得心した。それから直也の仕事の話に移りながら、
「いただきます」
と挨拶をして、昼食が始まった。
ところが静かな居間に堪えられなかったか、直也がすぐにテレビのスイッチを入れた。昼の番組がデフォルメされた笑いで満たされる。あの笑いは偽物である。孫も始めはそれを眺めていたが、やがて詰まらないといった風にポケットからゲーム機を取り出した。そしてたちまち自分の世界にもぐり込んでしまったのである。浩介はびっくりした。直也はよそへ行ったときの最低限のマナーすら教えていないのか。急に腹立たしくなってくる。嫁の涼子がいる手前黙っていてやるが、後で注意したがよかろう。箸を動かしながらも、孫の姿を見るたびに、飯が不味くなるような思いであった。
浩介の妻と涼子が世間話を始めた。
「なかなかお伺いできませんで」
と挨拶しているが、浩介には急に嘘くさく聞こえだす。教育も出来ないぐうたらめと思う。「まったくぐうたらである」と天から怒鳴りつけて遣りたくなったが、我慢しながらめんつゆでサツマイモを食っている。わざわざ天つゆと分けていないから、つゆは一つである。なんだか妻さえも気にくわなくなり始めた。その妻は涼子に向かって、
「学校ではインフルエンザが流行っているんじゃない」
と心配する。
「うちの学校はまだ大丈夫ですけれども。本当は予防接種があれば一番なんですけれども」
と涼子が答えている。「ですけれども」が二回も入っている。浩介はますます不愉快になる。黙ってテレビを眺めていた。しかし食事が進むに伴って他の者も会話を忘れてしまった。そして最後には、四人はひと言も口を交わさずに、番組に合わせて一斉に笑いながら箸を動かし始めた。浩介まで不快感を忘れて笑っている。孫だけはテレビが面白くないので、ゲーム機を操りながら器用にそうめんをすすっている。そして誰もがこれを当たり前の光景として、屈託もなく過ごしているのであった。
ありきたりの風景。ありきたりの幸せ。いとしいわが家。愛すべき家族。夢のなかで浩介は、訳の分からない感慨を浮かべて懐かしがっていた。けれども不意に自分たちの姿が、まるでスナップ写真みたいに焼き付けられたとき、急にぞっとした寒気を覚えた。まるで真夏ののっぺらぼうに鉢合わせたような恐怖だった。これはいったいなんの風景だろう。喫茶店でゲームを弄ぶ学生と、何も変わらないではないか。ここには五人の人間があって、互いに触れ合うくらいの距離にありながら、誰もが個別に画面と向き合っている。ただテレビが笑いや涙を呼び起こしたときだけ、偶然に笑い合ったところで仲間意識をちょっと甦らせて、またブラウン管へと返っちまう。翔太にはそれすら出来なくて、もうまるで別世界の住人に紛れ込んでしまい、現実世界のおじちゃんやらおばちゃんの姿など、今や瞳には映らない様子である。それを直也はまるで注意もせず、テレビを見ながら笑っていやがる。
教育もまるきりなければ、豚と一緒じゃないか。浩介は急にカッとなって、怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られた。けれどもまたはっとする。そして思わず硬直してしまった。彼は不意に思い出したのである。あれはたしか、亡くなった父の実家へ、直也を連れて行ったときのことだ。やはり直也が小さなゲーム機かなにか、それはまだ今ほど精巧なものではなかったけれども、手前勝手に始めたとき、自分はそのことをまるで気にも止めずに、注意すら与えなかったのである。あの時も家族の前にはブラウン管があって、皆はそれを眺め暮らしながら、それが家族団らんだと信じ切っていやあしなかったか。自分の教育の落ち度が咎となって、ここに表れているに過ぎないのではないか。
ぞっとして食卓を見渡すと、浩介がこうして視線を移すのにも関わらず、誰一人気づいていない様子だった。浩介は順番に彼らの頬を睨んでみる。みんなテレビを眺めている。黙々と箸を動かしている。ずいぶん幸せそうである。時々笑いながら口をもぐもぐさせている。それでいて、てんでばらばらだ。浩介は急に震えがきた。真冬に氷水をぶっかけられたような寒気がした。一人でふらふらと手洗いへ向かったが、それさえ気に止めるものは誰もいなかった。もう一度振り返る。みんなテレビに夢中である。一人はコントローラーに熱中している。彼は目眩を覚えながら居間を逃れ出た。
用を済ませてからすべてを水に流して、手を洗って居間に戻ったとき、浩介は心臓が張り裂けそうになって立ち尽くした。闇に袋詰めされたような恐怖だった。膝ががくがく震えて止まらなかった。誰もいない。自分の他の誰もいないのである。そこにはテレビが付けっぱなしにされていた。天ぷらがそのままに残されていた。孫のゲーム機が転がっていた。そうして誰もいない。人の気配がしない。どこかへ隠れた訳でもなく、どこかへ逃れた訳でもない。ただ始めから存在しなかったみたいに、空っぽの部屋の空っぽの食卓。くだらない娯楽番組ばかりが、偽りの歓声のどよめきを挟んで、エアコンの効いたテーブルに、悲しく谺するばかりだったのである。浩介はこころに闇を被せられたみたいになって、墨汁を浴びせられたみたいになって、「うわっ」と叫び声を張り上げた途端、ぱっと目が覚めた。
驚いた拍子に布団を跳ね起こした。寝室は真っ暗である。額から冷や汗が流れ出る。しばらくはどこにいるのかも分からなかった。ようやく胸の鼓動を整えるみたいに、小さな暖色ランプを灯すと、アキレウスを読みかけに眠りに落ちてから、まだわずかに一時間しかたっていなかった。置き時計が無機質に針を送らせる。カチカチカチカチ、それは揺るぎない刻みである。浩介は立ち上がった。階段をそっと下りて、それから洗面所で顔をじゃぶじゃぶ洗う。何度も執拗に拭いてみる。泥でも塗りたくられたような気持ちが拭いきれない。蛍光灯に映された自分の顔。お化けみたいな真っ青である。真っ青な上に、明かりの加減かシワが目立つ。なまじいアキレウスになりかけたまま眠りに就いたから、その対比がいっそう醜いのだろう。これから老い朽ちる一方なのが悲しくなってくる。それからさっきの夢のことを思い返して、ますます恐ろしくなる。自分の一生は与えられた娯楽のうちに過ぎ去るだろうかと考えると、何もせぬまま亡びちまうような侘びしさで、こころが張り裂けんばかりに虚しくなってきた。憐れんだ虫の合唱が、また遠くから聞こえてくる。リーリーリーリー、それは夜更けを歌うのだった。浩介は洗面台横の窓ガラスを少し持ち上げてみる。小さな街灯の灯しが差し込んでくる。大気はだいぶ涼しくなった。虫の音(ね)が大きくなる。浩介は大きく深呼吸をしてから、なるべく何も考えないようにして、自分の部屋へと戻っていった。
寝付けないものだから、ベットを離れてちょっとアンプのスイッチを入れてみる。それから久しく聞かなかったAMを適当に選局した。途端に若い女の声が二つ聞こえてきた。
「ええー、それが恋の終わりだったなんて悲しすぎるう」
「そーなのよ、もう三日もケーキが食べられなくって」
「三日も? そんな断食たえられない」
などと屈託のない会話を繰り広げている。若い頃はなぜこんなにも拘泥せずに生きていかれるのかと、浩介は懐かしい気持ちになった。それに断食なんて言葉を使っているのがちょっとおかしい。もちろんパーソナリティーはそんなことは知るよしもない。しばらく失恋の話で盛り上がっていたかと思ったら、いきなり一人が、
「わたし、へこたれない」
と力を込めて言ったので、もう一人がツボを突かれて笑い転げてしまった。
「ねー、なに笑ってんの、もーなんなのよ」
「だって、へこたれないってあんた、いきなり」
「いいじゃん、頑張りましょうって意味だよー」
「だってへこたれないだよ、へこたれない」
とうとう二人で大笑になって、しばらくラジオの進行がストップしてしまった。浩介はさっきの夢を思い返したくなかったから、軽薄な番組をそのままにベットの上に座り込んだ。
「それじゃあハガキ紹介しちゃうね」
といってパーソナリティーが葉書を選び取った。ちょっと男の子の声色を真似しだした。
「僕は今高校三年生です。今僕には付き合っている彼女がいます」
と始まったので、すぐに二人がひゅうひゅうと囃し立てる。あんまり囃子ばかりが募って先に進まなくなってしまった。スタッフが呆れて鳴らしたものか、「ブー」とブザーが響いたから、堪えきれなくってさらに大笑いしている。浩介はこれほど笑えるということが不思議でならない。心底笑ったことなんて久しく無い気がする。自分にもそんな時代があったろうか。それともそんな風に笑ってばかりいたから、時間を怠惰にやり過ごしてしまったのだろうか。
ようやく二人は一息ついて手紙を読み直した。内容は、僕も彼女も受験を控えて、あまり会わない方がよいという話になって、このまえ彼女と喧嘩になってしまいました。僕には大切な時間を犠牲にしてまでなぜ必死に勉強しなければならないのか、それがよく分かりません。本当に受験のために、今を犠牲にした方がよいのでしょうか。お二人の感想をお聞かせください。といった内容であった。浩介はこんなに軽いパーソナリティーだから、
「勉強なんか止めちゃえ止めちゃえ」
とでも言い出すのかと思ったが、二人とも勉強して大学に入ってからでも恋愛は出来るよと、殊のほか良識的な発言をする。勉強くらい我慢出来なくっちゃ恋愛じゃないだとか、二人で進み具合をメールで確かめ合ったら素敵だとか説明している。決して今は勉強どころじゃない、愛に溺れるときだとは勧めない。もちろん浩介だってそんなことは勧めないだろうが、勉強をしたところでどうせ先の見えた将来ならば、いっそ若さのありったけを愛に溺れたっていいような気さえし始めた。そんな生き方があってもいいのかもしれない。あるいは自分は本当は、そんな生き方がしたかったのだろうか……
「それではペンネーム、『コンパスと定規』さんからのリクエストで、この曲をどうぞ。波照間和基(はてるまかずき)さんの『夢の季節』です」
浩介ははっとした。懐かしいイントロが響いてくる。それは彼がちょうど大学を卒業する頃流行ったポピュラーソングであった。沖縄出身であるこの歌手の、始めての標準語の歌詞として、この曲はたちまちブームを巻き起こし、市井の人々の心を温めたものである。浩介はあの頃を思い浮かべながらその歌詞に耳を傾けた。
君の面影ひとつ残されて夢は
夜行列車の揺れるみたいに
窓辺には落書き一つ
終着の季節とはなりました
さようならと人さし指で
しるすとき夢ははかなく
面影の君は遠くへ
消えるだろう夜霧のかなたへと
プラットフォームにあふれ出た
人波くらいが僕たちの
幸せだったね毎日がいつまでも
ひとりぼっちの旅人となって
僕はあのふるさとへ帰ろう
窓辺には落書き一つ
さようなら夢の季節よ
さようなら僕の夢の季節よ
曲が終わると共に浩介はアンプのスイッチを切った。若い頃の瑞々しさで心が洗われたようだった。けれども本当の夢の終わりは、そんな恋する季節に見るものではないと、手を摩(さす)りながら今は考える。そんな考えに束縛されることが、心を重くしているには違いない。ああ、もう一度、未来が無限と感じられる頃に戻ってみたい。草原を思う存分駆け回ってみたい。けれどもそんな思いは決して羽ばたかず、そっと枕を撫でるばかりであった。自分にはまだ何十年かの時が残されているとしても、とてもそれを妻のようにエンジョイする気分にはなれない。若い頃のようには、何をするにしてももう要領がすっかり悪くなっている。彼は最近よくそう感じるのであった。
それにしてもあの頃を思い返しても、ぽっかりと羊雲みたいな希望が、曖昧に浮かんでいるばかりでは、今さら若返っても、なすこともなく日は暮れるばかりのような気もする。気を紛らわせようとして、彼はさっきのフレーズを口ずさんでみる。音程は相変わらず狂ったままだった。
それからそっとベットにもぐり込む。せめて穏やかな夢でも見たいと願ったが、また恐ろしい夢に出くわすような予感に囚われて、恐くなって二度三度寝返りを打った。それから目をぱちぱちさせたり、さっきの歌詞を思い浮かべているうちに、まぶたは次第に重くなってきた。いつしか浩介は、半ばうつ伏せるみたいにして、夢の世界へと引き込まれていったのである。
また夢を見た。その日はどうかしていたらしい。やはり陰惨な夢だったのである。夢先で浩介は上司に呼び出されていた。
「姿崎君。君の出したこの計画書だがね」
部長の中田が束ねた書類を手にしている。
「悪いが今回は、早川君のを採用することにしたよ」
姿崎とは浩介の名前である。早川と聞いて浩介はちょっとムッとした。すでに彼のプランを知っていたからである。
「理由を聞かせて貰っても構いませんか」
諦めずに食って掛かった。しかし浩介は不思議に思う。こんなありきたりの采配に腹を立てるなんて、まったくどうかしている。もっとも風呂場では代行のことにいきり立つくらい、まだ仕事に対する情熱は残されているようにも見えるのだが、夢のなかの浩介はそうは考えなかった。こんな気概は無くしたはずだと考えながら、行動としてはいきり立っている。夢の中だからその矛盾が縺れ合ったままで解(ほど)けなかった。
「理由と言われてもねえ。まあ効率と費用の掛け合わせの算出においてだねえ。早川君の方がいっそう現実的だという決定なんだがね」
中田部長は人を煙に巻くような答えをした。
「彼のプランは私も知っています。しかしあえてこの時期に採用すべきものとは思えません。第一……」
浩介がなおも食い下がろうとすると、中田部長はちょっと留めて、それから小声になった。
「それは分かっている。分かっているんだがね。第一君、私が君を高く評価しているのは、君自身よく知っていることじゃあないか。じつはだね、早川には海外出張の話が持ち上がっていてね。それでひとつ箔を付けてから送り出したいと、彼の上司が頼み込んできてね。そこでまあ、多少の損失は出るかもしれないが、さりとて会社に負担を掛けるほどのことでもあるまいから、ひとつこの計画を採用して、まあなんだね、結果が出る前に送り出してしまうという算段なんだね」
「それじゃあ効率を最大限に高めるという我らの職務に反します」
言ってからまたはてなと思う。そんなポリシーを掲げて仕事をしたことなど久しくなかったはずである。こんな心変わりがどこから湧いてきたのか不思議に思う。それでいて現実の浩介は、今でも効率と合理性を突き詰める仕事内容を崩してはいなかった。安定した功績をコンスタントに導き出すことにおいて、かえって粋がっていた若い頃よりも、遥かに巧みであるのに、浩介自身それを十分に理解していないのは少しもったいない気はする。またこれこそが多少の欠点はあっても、浩介の最大の特質として高く評価されべきはずなのに、そのことを会社も浩介も十分評価していないのは皮肉でもある。それは新しいプランを進めるよりは、現状を維持するために必要な限定的な能力に過ぎなかった。けれども誰もが立案の巧みである必要はないのである。そのことを多少なりとも評価してくれているのは、かえって島崎課長くらいのものであった。もちろんそんなことは、夢の中の浩介ばかりではない、現実の浩介だって知り得ようはずがなかった。
「君はまだ若いなあ。仕事の内容だけでなく、少しは情実(じょうじつ)についても勉強しなくっちゃあ、これから先の出世だって難しいぞ。まあ、もっと勉強したまえ」
中田部長は浩介の肩をポンと叩くと、笑いながらに行ってしまった。浩介はぽつんと残される。諦めがてらに書類をテーブルに置いたとき、いつもの癖で手の甲を眺めると、シワがまるでなかった。肌がずいぶん瑞々しい。おやと思う。ふっと顔を上げて見渡すと、知っているはずの顔ぶれがみんな若々しい。とっくに職場を離れたはずの奴もいる。ようやく夢の浩介は、自分がまだ二十代後半であることを思い出した。思い出すと同時に、入社して五年目になるというのに、自分の仕事が認められない腹立たしさが溢れてきた。青年のひたむきさが、その苛立ちを加速させる様子だった。近くの先輩が、
「あんまり食って掛かってもしょうがないぞ」
と笑っている。同僚が、
「どうだ、帰りにヤケ酒でも。付き合ってやるから」
と慰める。浩介はいつものことには違いないと自分に言い聞かせた。椅子に座って仕事に戻ろうとしたが、さっきのことで頭が一杯になり、ちっとも捗(はかど)らなかった。しばらくの憤慨のあとから、諦めが顔を覗かせる。浩介は考え始める。どうせ組織というものは、そもそも上からの命令で成り立っているものなのだ。あまり我を立てても仕方がない。それにおとなしく服従している奴の方が出世のペースだって早いのだ。それも部長とか課長とかに取り入って、ご機嫌を取るような奴ほど、業績をうまく誤魔化して貰ってトントン出世しちまう。浩介は五年の間に何度かそれに遭遇した。今回のように自分が踏み台にされたこともあった。けれども五年目の彼は、まだ五年分の職場の実状しか知り得なかった。だからたまたま今の境遇が悪いんで、会社の境遇がどこもかしこも均質に出来ているとまでは思わなかった。これから十年二十年の間に、彼はそれを悟るに違いない。夢の中の青年はまだ知らなかった。けれどもそれを眺める浩介はとっくに知り尽くしていた。不思議な矛盾に酔いどれるみたいに、浩介はこの青年を第三者として眺めたり、当事者として振る舞ったりしていた。
眺める方の浩介はもどかしくなる。自分があの頃と同じような仕事を、延々と続けるうちに今が導き出されることを観念すると、やりきれないような不快さえ湧き起こった。それにしても彼が今までこなした仕事の累積は相当なものである。その間に実体としての成果がどれほど自分に伝わったろうと考えると、結果すら数値にしか還元され得ない仕事の内容にはちょっと驚かされる。夢の中だから感情がむき出しに捉えるのだろう。懐かしい仕事仲間を眺めながら、あの頃も今も単調に繰り返されつつある職務に、振り返るべき豊かな思い出が存外少ないことにも驚かされた。もちろん夢の中の青年は、そんな浩介の感慨など知り得ようはずがない。はがゆそうに机を眺めている。しばらく憤慨をさ迷っては、はっとなって仕事を再開する。データを打ち込みながら、また考え始める。いつの間にか指が止まっている。ちっとも埒が明かない。諦めた浩介は休息を取るために屋上へと逃れた。気分転換を図るつもりらしい。
芝のある屋上は若葉じみた初夏の風情だった。真昼の日射しを避けて、浩介は木造りのベンチに腰掛ける。不思議な歪んだ屋根が、日射しを遮りつつも風だけは通すから、日陰は思いのほか涼しかった。ポケットから取り出した煙草に火を付ける。煙を吐くたびに、流れる雲の子分みたいにして浮き上がる。空は青く突き抜けている。地上のしがらみなんて、どこ吹く風さえ知れやしない。浩介はようやく自分が生きているような実感を得た。こうして空を見あげていると、こんな自然に生きることが本当の人生で、今の生活が取り返しのつかない誤謬(ごびゅう)のようにさえ思えてくる。しかし、しがらみからは抜け出せない。一息ついたら、もうさっきの計画書のことを考え始めている。今、自分のプランで発注を掛ければ、必ず成功するような気がする。少なくともマイナスになることは絶対にない。彼はまた妄想の森をさ迷い始めた。
さっそく数値がぐんぐん上がり始める。上司がよくやったと褒めるとたんに同僚が拍手をしてくれた。それでも数値の伸びは止まらない。仕舞いには、戦略が予想をはるかに上回り、企業の株価を押し上げるほどの利益を叩き出し、緊急人事が発令され、浩介は課長のポストに昇進となった。彼はまた妻に報告するときの会話をさえ妄想し始めた。空想の間だけは幸せを邪魔するものなどいない。そのくせ彼は、自分の担当で株を動かすほどの業績など、出せっこないことを熟知している。熟知しながら空想に耽っている。浩介はいつしか目をつぶって煙を吐いた。煙は空へと向かう。空には雲がぷかぷか漂っている。小鳥がちいちい鳴いている。けれども浩介には聞こえてこない。
突然うしろで「おい」と声がする。振り向くと直也が立っていた。おやと思う。立っている直也は自分と同じくらいの青年である。その自分は二十代後半でようやく結婚したばかりで、子供だってまだ生まれていないはずだのに、そこに立っているのは紛れもなく直也である。よく知った我が子である。それでいて友人くらいの青年である。浩介はこの矛盾を解きほぐそうと躍起になった。けれどもどうしても縺れた糸玉が解(ほど)けなかった。
「どうした、仕事の最中(さいちゅう)じゃないのか」
と聞いてみる。直也は何を言ってやがるんだという表情をした。よく見ると肌の色がだいぶん黒い。自分よりはるかに健康そうである。しかも仕事着とは思われないカジュアルな格好をしている。むろんスーツじゃあない。ジーンズを履いているんでもそれが分かる。浩介はインタビューの写真家の服装に似ているような気がしたが、その影法師は夜霧をさ迷うみたいに、どうしても思い出せなかった。
「まだこんなところで仕事してたんだ」
と直也が言う。なんだか幼なじみみたような口の聞きようである。とても親子の間柄じゃあない。浩介も親友に会ったみたいに答えている。なんだか奇妙な光景だ。
「そう言うな。お前みたいに自由気ままに生きられるものか」
と浩介は白状する。
「なぜ」
直也はキョトンとする。
「なぜって」
浩介は急にどぎまぎした。自分でもなぜだかよく分からなかったからである。
「生きられないんじゃなくて、はみ出るのが怖いんだろ」
と直也が冷やかす。自分もあるいはそうかもしれないと思った。トントンと学校を順調に進学しながら、大学にもすんなりと合格して、在学のうちに就職が内定して、そのまま企業に取り込まれていった浩介にとって、社会の王道から離れ、独立独歩の草むらへと踏み入ることなど、真剣に考えたこともないくらい、彼は舗装道路を歩き続ける通行人には違いなかった。しかしこの男はそうではない。浩介はようやく思い出した。昔自分と一緒に、
「企業なんかに就職したら、人の道さえ踏み外す」
とはしゃいでいたあの頃のまま、こいつは悠然とレールのしがらみを逃れ、まるで草むらを掻き分けるみたいにして一人で歩いて来たのである。浩介は自分が敗北者のような気がして、すっかりしょげてしまった。肌黒の直也は屈託もない笑顔である。歯だけは真っ白だ。
「どうした浩ちゃん、しっかりしろよ。背中が丸まってるぜ」
と横に腰を下ろした。それから背中をポンと叩かれた。浩介は降参したみたいになって、さっき職場であったことを話し始めた。少しは気が晴れると思ったからでもある。直也はいつの間に持っていたものか、二本のうち一本の缶コーヒーを浩介に手渡して、自分でもそれを開けて一口つけてから、
「組織だろうと何だろうと、自分の信じることを同等の立場で主張できないような社会は間違っている」
と言い出した。企業に勤めもしないくせに。腹立たしくなった浩介は、
「お前は気楽なものだ。もし組織の上下関係を越えて誰かが恣意的に行動してみろ、企業全体の規律と目標が保てなくなって、空中分解してしまうことは目に見えているじゃないか」
と答える。すると、
「そんなの分かりっこないね」
と直也は冷やかした。浩介はふと、学生時代に彼が『先輩後輩不要論』を唱えだした時のことを思い出した。
「むしろ恣意的に行動することを許容できないシステムそのものに問題があるんじゃないのか。第一、ある提案を否定するに際して、提案を否定すべき根拠は客観的なデータにあるべきはずだ。上下関係ではなく、中立的な是か非かであるべきだろう。それを論じずただ上下関係くらいで済ませる社会こそ、当座のシステムの麻痺している証拠であり、すなわちあんたの言うところの、空中分解的な危機に瀕しているんじゃあないのか」
「それはそうかもしれないが」
浩介は急に弱気になる。すると直也が急に親しそうに、
「なあ、浩ちゃん。お前の遣りたかったことは本当にこんなことだったのか。これがお前の望んだ夢だったのか。安定した賃金を得るためだけに、何から何まで己(おの)がプライドを売りつけにしなくちゃならないのか。組織だから当然だなんて、そんな犬みたいなことを言わなくちゃいけないのか」
と諭し始めた。
「お前に何が分かる」
浩介は弱々しく吐くのが精一杯だった。
「誰もがお前みたいに勝手気ままに生きられるものじゃない。第一俺は結婚だってしてるんだ。独身者のお前とは違う。子供が出来れば教育費だって掛かる。一家を養って行かなくちゃあならなくなる。老いた父母だっていずれは負担になる。恒久的な生活を全うするためには、どうしたって組織に所属する必要だって出てくるんだ。それに多少の我慢があっても、俺は虐げられている訳じゃあない。今回の件だってそうさ。ちょっとひがんでは見せたけど、別に俺のプランが採用されないにしたって、別のプランが採用されるにしたって、それほど根本的な違いは第一ないんだ」
言ってしまってからはっとなった。それじゃあ自分が懸命に考えたこのプランには、いったい何の意味があるっていうんだ。思わず言葉を宙に放ったままぽかんとなってしまった。直也はその顔があまりにも素っ頓狂なので大笑いを始めたくらいである。
「浩ちゃん。そりゃあ、あんまり酷いじゃないか。冗談にしたって上出来だよ。自分が虫けらで、代替可能な歯車に過ぎないって、自分で叫んじまったようなもんじゃないか」
浩介は腹を立てるだけの勇気すら出なかった。力が萎えたみたいにがっかりしてしまう。直也は、
「いいかい、あんたがここに務めているのは、誰が頼んだことじゃあない。自分で勝手に選択したからここにいるんだ。結婚だってそうさ。子作りだって誰から脅された訳じゃあない。そうだろう。老後の父母だって。笑わせちゃあいけない。それは当人らがまず解決すべき問題さ。それとも浩ちゃんは自分が老後になったら、息子に負ぶさりたいなんて、本気で考えているんじゃあないだろうね。それとも浩ちゃんの両親が、そう懇願したとでもいうのかい。いいかい、戦後の民主主義ではね、とにかく一人一人が一人一人の生き方に責任をまっとうする。その代わり、己の生きる道に自由の旗を掲げ、束の間のいのちを謳歌する。それこそ個人を尊ぶべき民主社会の、一人一人のいのちの意味ってもんだ」
自由の旗だなんて海賊みたいなことを言い出すから浩介は驚いちまった。けれどもよくよく思い出してみると、これは高校時代に自分が吐いた台詞を、直也がそのまま鸚鵡返しに伝えただけであることに気がついた。自分にそんな頃があったかと驚かされる。はたして高校時代の自分がまともなのか、今の自分が落ちぶれちまったのか、だんだん分からなくなってくる。ただ今の方が情けないという思いだけが募った。責任が深まっただけだと思い切る勇気は沸いてこなかった。
「いいかい浩ちゃん。組織とかシステムというものは絶対悪じゃあない。それは確かだ。ただし組織やシステムを人間の方が動かしているうちはいいんだが、そのうち規模がでっかくなってくると、あるいは人の意志を重んじるだけの社会的素養が退化しちまうと、たちまちにして人は組織の中に埋没しちまうんだ。歯車のような行動を選び取って、それが組織のためだとか、次の装置を動かすには必要だといって、自己の責任とプライドを投げ打っちまう。最後には大喜びで、軸の巡りをシッポを振りながらぐるぐる回りだしちまう。けれどもねえ、人の築くべき組織は部品の連鎖じゃあないんだ。もっと有機的なもので、各構成要員の意志とプライドと、それを制御すべき命令系統が、互いに能動的に果たされるとき、もっとも効率的に働きうるものなのだ。分かるかい。効率っていったって必ずしも利益追求だけじゃないんだぜ。もし人が人でなしになって利益だけが残されたって、人でなしの利益なんか何の価値も持たないんだから。あらゆる経済活動は人が人らしく豊かにあらんがためのシステムの上に成り立っていなくっちゃいけないんだ」
浩介はだんだん頭が痛くなってきた。実は何を言っているのか、分かったような分からないような気分である。直也はお構いなしに話しを進める。今度は急に身近に迫ってきた。
「僕もねえ。幼い頃から、親父にはレールの上を歩くことばかり教わってきたのさ。勉強だの、お塾だの、大学が名門でないと大損だなどと、さっぱり見当がつかないじゃないか。何が分からないって、勉強するのは個人の人格を形成して、それを高めるためだろう。好奇心を満たし、その上に生涯の喜びとなるような職を見つけるためだろう。あるいは社会に対して自分の判断基準を身に付けるためだろう。ところがそんな理由づけは、ただの一度としてなされたことはなかった。ただ損をするから、いいことあるから、誰もがしてるから、そんな詰まらないひと言のために、無駄な羅列ばかりをひたすら暗記させられて、知性を有機的な思考の道しるべにする方策など、今まで一度も教わりやしなかった。ねえ、そんな教育があるだろうか。よく考えてみれば、それは学校というシステム自体が、いつの間にやら自己存立(そんりつ)の理由をすら忘れちまって、ただ企業に就職するためだけの道具になり果てちまっているだけのことじゃあないか。家庭にしたって同じことだ。俺の家がそうだった」
浩介は驚いた。
「だってお前の家庭は」
記憶が錯綜したみたいに直也が自分の息子だったか旧友だったか分からなくなる。
「どうした」
直也は缶コーヒーを飲み乾した。
「だってお前の親父は」
俺じゃないかと浩介は思ったけれども、なぜ同じ年頃の青年が自分の息子なのかが分からない。夢の意識は完全に消えている。今の浩介は一人称である。分かりようはずがない。しかし直也はもはや、相手の様子を気遣うだけのゆとりを持たなかった。
「鳥のように大空を羽ばたくための素養ではなく、人らしく生きるべきための道しるべではなく、レールをはみ出さないための保険じみた感覚で、お勉強ばかりを連呼するようになっちまっているのさ。俺の家がそうだった」
また俺の家が出た。浩介は思わず相手を直視した。驚くとたんに直也の顔は険悪な表情となって、浩介の瞳を見返したのである。
「俺は決意したね。こんなくだらないレールは踏み外そうって。だってこのまま進んで行ったら、親父みたいになっちまう。今のお前みたいになっちまう。俺はお前の人生をうしろから歩んでいくのは、そんなのはまっぴら御免だ」
直也は立ち上がった。そして自分のことを睨んでいる。浩介はぞっとした。直也は顔を真っ赤にして、
「あんたの歯車人生を俺に押し付けないでくれ。あんたの忠犬ハチ公ぶりを、俺に引き継がせないでくれ。俺はこんな安っぽい社会に勤めるのは、がらくたの歯車の巻き添えを食らうのは、そんなのは堪えられない。それじゃああんたの二の舞だ」
と激しく自分を怒鳴りつけたのである。浩介はカッとなった。こんちくしょうと思った。息子に自分の生き方を否定されるほど腹の立つことはない。その怒りは、あるいは自分の所有の癖にという原始的な感情にも似ていた。彼はいきなり立ち上がった。直也の胸ぐらを掴むと、その頬を殴ろうとした。考えるよりも早く右手が飛び出していた。けれども不思議なことに、その右手は振り切ろうとしても、まるで粘土に繰り出した拳(こぶし)みたいに、前に進まなくなっちまった。怒りが体に連動していかない。ついに右手はむなしく空を切って、自分はそのまますとんと膝から崩れ落ちた。おや、どうしたろうと思う。握っていたはずの手を眺めながら「あっ」と思った。それはまるでしわくちゃの老人の手であったからだ。夕べ撫でたときよりも、遥かに干からびている。
「無理すんなよ爺さん」
直也のひと言が頭に響き渡った。急に力が萎えたみたいになって骨がミシミシ悲鳴を上げ始めた。足がガクガクして容易に起き上がれないほど力が抜けてしまった。情けなく首だけを仰向けると、直也は心底軽蔑しきったという風に自分を眺めている。とどめの台詞を言うために。
「まるで負け犬だな」
頭がカーンと熱くなって、もう何も考えられなくなってしまった。羞恥と驚愕と徒労が挫けた怒りと一緒になってぐちゃぐちゃに煮込まれているような気分である。直也はしばらく自分を憐れむみたいに眺めていたが、
「あばよ」
とひと言残すと、自分を一人置き去りに、芝生の向こうへと立ち去ってしまった。出入り口のところでこちらを振り返ることもなく、ただ腕だけをあばよという風に肩まで上げて、彼の姿はもう見えなくなった。ひとしきり風が吹き込んで、干からびた自分を押し飛ばそうとする。
彼は芝生に倒れ込んで仰向けになった。悲しいくらいの青空だ。風はまるで昔走り抜けた草原みたいに、初夏(はつなつ)の息吹を頬に伝えてくれる。けれどもそれを受けべき頬は落ちぶれて、干からびかけて、惨めに横たわっているばかりであった。ああ、自分は何もなし得なかった。そんな気持ちが胸に一杯広がって、あまりの淋しさに、浩介はいつしか嗚咽していたのであった。喉のあたりが震えている。けれども涙はもう出なかった。ただの一滴も出なかった。まるで端から見たら笑っているように嗚咽しながら、浩介は自分が涙の出ない男になってしまったことを悟った。雲がぷかぷか流れていく。ああ、この空はまるで、幼い頃見かけたあの空みたいだ。浩介は背の高い草むらを押しのけて、そこに路を築き、広場を築き、それぞれを家に見立て、あちらこちらと遊び回った、幼き日々のことを不意に思い出した。あの時寝転んだ空も、高くって青くって、そしてまるで希望に溢れて、果てなく未来に続いているように思われたのに、今同じ空が、こんなにも寂しく広がるのは何故だろう。育て上げた直也にまで生き方を否定されて、けれどもこうして雲を眺めていると、軽蔑されるのが当然の生き方を、自分は歩んでしまったような侘びしさが、どうして拭い去れないだろう。自分だってそれなりに仕事をこなしてきたはずなのに、なぜそれを全面的に肯定して、悔いなき人生だったと諦めることが出来ないだろう。風がまた吹き抜ける。小鳥がちゅんちゅん笑っている。二羽睦まじく、つがいになって飛んでいく。浩介の意識は遠ざかった。このまま消えちまうのだろうか。そう思いながらに視界が暗くなる。直也、お前はそんなに俺を憎んで……
浩介はベットに飛び上がった。汗で寝巻きが濡れている。しばらくあたりをきょろきょろ見渡していた。真っ暗なばかりの自分の部屋である。ようやく暖色ランプを灯しながら、「とにかく今日はどうかしている、尋常ではない」と思い始めた。あるいは本当にインフルエンザにでも掛かったのかしらと心配になる。頭を振ってみるとがんがんするようだ。まだ枯れきってはいない手の甲を、悲しく撫でてみる。
それにしても何であんな陰惨な夢を見ただろう。さっきは恐ろしかった。触れた自分の皮膚が枯葉みたいだった。直也はまさかあんなことを胸に秘めながら自分と接しているんじゃあなかろうか。明日仕事に行くのが、果てしなく嫌な気がする。しばらくの間は黙然(もくぜん)とベットに座り込んでいた。すると自分でも分からない、ただもう取り返しがつかないという気分だけが、狭苦しい寝室にこんこんと沸き上がって来るようで、いたたまれなさばかりが募ってきた。驚いた彼は慌てて寝室から抜け出して、階下の洗面所へと飛び込んだ。顔をじゃぶじゃぶと洗い直す。鏡に浮かんだ自分はさっきよりもっと蒼く感じられる。お化けに取り憑かれた表情だ。それを洗い落とそうと、浩介は何度も何度も水を汲み上げた。それからハミガキ用のコップに水を注ぎ入れて、がぶがぶ飲み干した。ちっとも旨くなんかなかったけれども、わずかばかりの気丈さが戻ってきた。
もう一度水道を捻ってみる。また水がこぼれ出す。今度は止めてみる。水は出なくなる。そんなことを何度も繰り返してみる。外から涼しい風が入ってくる。虫の音がリーリー聞こえる。開いたままになっていた窓にようやく気づいて、浩介は洗面所の小窓をそっと降ろした。電気を消して二階へ戻ろうとすると、階段がまたみしみしと声を立てる。それがずいぶん大きな響きに感じられた。
浩介はベットに座り込む。このままでは、寝るたびにうなされそうな気がする。いっそ朝まで起きていようかしら。浩介はしばらく黙然(もくねん)としていた。けれども疲れ切った頭は、彼の統制を受けきらなかった。自然とまぶたが重くなる。深い眠気に囚われる。ついに倒れ込むように毛布にくるまれた彼は、手招きに導かれながら夢の世界へと引き込まれてしまった。そしてそれがその夜最後の夢だった。
夢は明け方近かった。浩介は孫にせがまれて、中国の昔話を読んで聞かせていた。たまたま自分の連休が、直也の出張と重なっていたため、孫が預けられたからである。時々おじちゃんの家に出かけることは、孫にとっても気分転換の遊びを兼ねていた。昔は家が恋しくなって突然泣き出したこともあったが、今では自宅同然の我が物顔で振る舞っている。浩介にはそれが愉快である。それに今日はゲームを持ってこなかったそうである。大いに結構だ。浩介はさっそく本を読み始めた。
物語は唐の時代の「枕中記(ちんちゅうき)」から取られた「邯鄲(かんたん)の夢」という題目である。この単行本は有名な逸話ばかりを子供向けに並べてあるらしい。浩介は孫をそばに座らせると、さっそく活字を拾い始めた。するとそれがまるで一字一句丁寧に、思い起こせるくらいはっきりと、夢をさ迷う浩介にはその物語が、現実のことのように感じられるのだった。仕舞に彼は登場人物の青年とほとんど同化してしまい、自らが出世したり、えん罪を被ったり、ついには子供らに見取られて大往生を遂げる気にさえなったのである。その語り口はこうであった。
とんと昔のことでした。中国に唐という帝国がありました。帝国には玄宗(げんそう)という皇帝がありまして、あまねく祖国を治めていらっしゃいました。唐には河北省(かほくしょう)という北方の地域があります。そこにはまた邯鄲(かんたん)という小さな村があり、村にはひとりの仙人が滞在しておりました。仙人というと、皆さんは怪しい妖術を使ったり、魔物と渡り合ったり、不老不死やら竜の魂などと、いちじるしい魔法使いのようなものを想像されるかもしれませんが、この頃の仙人はもっと穏やかで、いわば人のよいお爺さんくらいの様子でありました。ただ市中(いちなか)にあって、人々の悟りやら暮らしのための知識などを、賢者の智恵として分け与えるような、静かな静かな老人でした。そんな仙人のひとりに呂翁(りょおう)というものがあったのですが、彼はたまたまこの邯鄲で休息を取っていたのです。
すると孫が、
「仙人は魔法も使えないの」
と質問し始めた。浩介はちょっと困る。使えないというと軽蔑しそうな気配である。仙人は魔法を使えなくっても仙人だが、翔太は納得しないだろう。
「仙人だから、魔法くらい使えるんだが、人のいるところでそんな妖術を使ったら、みんなびっくりするだろう。だから使わないのさ」
と言って済ませちまう。
「じゃあ本当は強いんだ」
と孫は納得する。
「おじさんとパパを合わせたよりもっと強い」
これは例えが悪すぎである。
「それじゃあ、全然強くないじゃんか」
と子供だけに正直なところを容赦なく言ってのける。浩介はちょっと考えてから、
「おばさんとママをやっつけるくらい強い」
と言ってみたら、翔太は、
「ふーん」
と妙に納得している様子だった。それから、
「僕も仙人に会いたい」
と言い出した。
「仙人に会うのは難しいから、このお話しで我慢しなさい」
浩介は先を読んで聞かせる。
呂翁の休んでいる宿に一人の若者が立ち寄りました。今晩一晩泊めて欲しいそうです。どうせ今日は仙人以外にお客はありませんから、宿屋の主人は「どうぞどうぞ」と案内して、ちょうど仙人が手の平をかざしている、炉端の方へと連れて行きました。晩飯が出来るまでここで休んでおいでなさいと言って、主人は向こうへと行ってしまいます。若者は、
「どうもすみませんご一緒します」
と呂翁に挨拶しました。呂翁も、
「いいえどういたしまして」
と答えます。それから二人は暇な時間を持てあまして、ぽつりぽつりと世間話を始めました。呂翁が訊ねると、若者は身の上を話し始めます。自分は廬生(ろせい)という名で、仕官の当てが外れて、今さら別れを告げた国にも戻れず、とうとうこの村まで旅を続けてきたところだと説明します。それから自らの才能に対して、あまりにも社会が冷たいことを歎いて、深いため息をさえ漏らすのでありました。
「それほど栄誉と官職が欲しいか」
呂翁が訊ねますと青年は、
「当然です」
と答えます。仙人は右手を炉の方へ持っていくと、
「そうかのう」
といいながら暖めておいた酒をなみなみと盃(さかつき)にそそいで、
「まあこれでも飲みなされ。悲しきこともしばし宥めてくれるものは、酒というものじゃ」
と勧めてくれました。近くでは大粟(おおあわ)が蒸されています。大粟は帝国では黄粱(こうりょう)ともいうのですが、これはご飯の代わりにして夕飯にいただくために、こうして蒸されているところなのでした。青年は盃を受け取ります。それからありがとうといって、黄粱から上がる蒸気を眺めながら、ぐっと酒を飲み乾しました。酒は不思議な甘みがあって、トロンとしていて、優しい飲み応えだったので、
「こんなお酒は初めてです」
と言って飲んでいるうちに、青年は急に眠くなり出しました。まぶたがだんだん重くなってくるのです。ついに盃を置いて、
「すこし横になってもいいかしら」
と高くなっている板のところに体を横たえましたので、呂翁がこれを枕にするがよいと、真ん中をくり抜いた陶器の枕を差し出しました。青年はこれはどうもと横になると、しばらくは囲炉裏に炎のちらちらする辺りをぼんやり眺めていましたが、次第にとろとろとし始めて、ついには眠りに落ちてしまったのです。
廬生は夢を見ました。出世の夢です。彼は邯鄲を出発しますと、またいろいろな町を巡り始めました。ずいぶん苦労が続きました。盗賊に襲われて荷物を奪われたこともありました。まんまと騙されて、安い給料で働かされたこともありました。けれども旅をするあいだに経験を積み、とうとうある名家の館で住み込みをさせて貰うことになりました。ずいぶん懸命に働きました。仕事の合間には、役人の試験を受けるために、寝る間を惜しんで勉強にさえ励みました。この試験はどんなに勉強を続けても、死ぬまで合格できない人が沢山いるような、それは難しい試験だったのです。そんな真面目な青年に目を掛けた雇い主が、これは見込みのある男だと高く評価してくれました。彼はとうとうその名家の娘さんを嫁に貰うことが許されたのです。華やかな結婚式が開かれました。娘さんは若くて綺麗でしたので、青年はずいぶん幸せな気分でした。 いいことはまだ続きます。合格するのが難しいというあの役人試験に、青年はきっぱりと合格してしまったのです。またみんなが祝ってくれました。酒も沢山飲みました。妻がお酌をしてくれました。それから彼はさっそく役人として勤めを始め、出世の階段を昇り出したのです。最初は荷物を帳面に書き付ける仕事でした。そこで一番偉くなった彼は、今度は都の長官に選ばれました。さらに大官にまで昇りました。そしてとうとう、都の真ん中にある皇帝の城で、仕事をするようにさえなりました。青年は幸せの絶頂を迎えたのであります。
ところが人生万事塞翁馬(じんせいばんじさいおうがうま)と申します。逃げ去りし塞翁の馬を嘆き悲しめば幸福と転じ、歓喜の極みにはまた悲しみの押し寄せたるがごときありさまでして、つまり廬生は皇帝の側近に疎まれてしまったのです。
浩介は何だかおかしい気がした。子供向けの文章にしては急に難しいことを書き連ねたのは、作者のこだわりなのだろうか。翔太の顔をちょっと覗いてみる。孫は分かったんだか、分からないんだか、早く次を聞かせろという表情をする。ちょっと立ち止まって聞いてみたい気がしたが、孫の瞳が次へ次へとせがむので止めにしてしまった。また話を再開する。
「側近の権力は皇帝に継ぐほどでしたから、青年は苛めにあって、あっという間に地方に流されてしまいました」
そう浩介が読むと孫が、
「ソッキンは悪い奴だ」
と言い出した。
「違うよ側近にもいい側近と悪い側近があるんだよ」
と弁明する。
「嘘だい、ソッキンがいじめたんだから、ソッキンが悪いんだ」
とまるでソッキンを固有名詞と思い込んでいる。説明するのもややこしいから、
「そうか、悪いソッキンだ」
と済まして話しを続けた。物語は三年間苦しみに耐えた青年が、ようやく再び認められて、都に戻って仕事をするようになったことを説明している。浩介は、
「こうやって頑張っていれば、誰にでもいいことがあるんだね」
と孫に説明すると、
「運だよ運」
と、とんでもないことを言い出す。何でそう思うのか聞いてみたら、
「だって、頑張れば報われるなんて嘘っぱちだって昨日見たテレビで言ってたよ。すべては運なんだって」
浩介はこんな社会でいいのかしらと首を傾げながら、
「そんなことはないよ。そりゃあ運だってあるけれど、全部が運だけじゃあないんだよ」
と言いながらページをめくった。
「廬生はもう青年とは呼べないくらいの年齢になりました。そしてようやく報われた思いで仕事に励んでおりました。ずっと都で待ってくれていた妻子とまた生活が出来るようになりました。給料も前よりぐんと上がりました。大きな館まで手に入れました。けれどもある日突然、彼は謀反の疑いを掛けられてしまったのです。つまり皇帝をやっつけようとしたという疑いです」
すると下から孫が、
「ソッキンの仕業だ」
と言いだした。浩介はまさかと思った。あながちあり得ない話でもなかったけれども、「枕中記」なるものの原作を知らないから、何とも答えられない。知らない振りをして話を進めてしまう。
さて、とうとうある朝、役人が兵を従えて彼の館を取り囲みました。廬生はびっくりして門を飛び出したのですが、さっそく縄を掛けられてしまったのです。泣きすがる妻と子に向かって、彼は無実を訴える詩(うた)を歌いながら、どなどなと連れ去られてしまいました。もちろん向かった先は牢屋です。沢山の人たちが一緒に捕らえられました。その中には廬生の知った顔もあれば、知らない顔もありました。朝が来ると数名の罪人が牢屋から出されました。後から聞いたら、罪を犯したので、首を切られてしまったといいます。次の日になると、また数名の罪人が外に連れ出されました。そうして首を切られました。そんなことが続いたので、廬生はいつ自分の番が来るのかと、毎日が恐ろしくて気が狂いそうでした。今日が最後か。明日が最後か。彼は一日を生き延びた証しとして、棒きれで壁に落書きを始めました。一日一本ずつ線を引いていったのです。そんなある日、ちょうど線の数が二十本になった朝でした。ついに彼は牢獄から引き出されてしまったのです。
いよいよ処刑されると思ったら、諦めかけていた命が、たまらなく惜しくなり始めました。明日を迎えられないということが、まだ遣るべきことがあるのに殺されるということが、たまらなく恐ろしく感ぜられました。彼は急にじたばたし始めました。裁判官の前で必死に無罪を主張しました。もはや言葉つきさえ忘れてしまい、とうとう
「何をしやがるんだ、無実の罪でいさぎよく死ねる阿呆がこの世にあってたまるか。放せ、放せ!」
と叫び出しました。あまりのお下品な言葉づかいに驚いて、これはもしかしたら本当に無実かもしれないと考えた裁判官が、判決を伸ばして皇帝に伝えました。皇帝も彼が無実であってくれたらと念じていましたから、ひとまず遠くの荒れ地へ追放くらいで許してやろうと話がまとまりました。こうして彼は、農作物さえろくに育たない岩ばかりの土地に流されて、それでも明日があることに感謝しながら、懸命に命を繋ぐことになったのです。
下で孫が袖を引く。どうしたと訊ねると、
「ねえソッキンはどうなったの。悪者なのにやっつけられないの。やっぱり世の中運だけなんだ」
浩介はこのままではまずいと考え出す。
「そんなことはない。ソッキンは必ずやっつけられるよ。今は青年は雌伏(しふく)の時っていってね、悪が亡びるのを待っている時期なんだ」
と言いながら、物語の変更を頭に巡らせた。またページをひとつめくる。
「とにかく」
廬生は思いました。命は取られずに済んだのだ。諦めずに歩いていけば、生きている間にはチャンスは何度でも訪れる。彼はある晩、長い手紙をしたためました。それは都の友人に当てたものでした。彼は事件のおかしな点や、自分が事件を起こせない理由などを説明し、まだ真犯人が皇帝の近くにいるかも知れないから注意すべきであることを手紙に書き記すと、これをどうにか皇帝に渡して貰えないかと頼み込んだのです。ところがその友人は、手紙をこともあろうにソッキンに手渡してしまいました。ソッキンはもちろんそんな手紙は皇帝に渡したくありませんから、王宮の外れで手紙を燃してしまおうとしました。枯れ草に火を点けておりますと、ちょうどそこに皇帝が通りかかります。
「これ、ソッキン。そこで何をしておる」
ソッキンは飛び上がらんばかりにびっくりしました。あっと思って手紙を隠したので、皇帝が、
「あやしい奴め、それを見せよ」
と手紙を奪い取りました。ぱっと広げて読んでみますと、あの懐かしい廬生からの手紙ではありませんか。ソッキンの顔が真っ青なのを皇帝は見逃しませんでした。
「皆、ソッキンを捕らえよ」
と命令して牢獄で取り調べを行いますと、なんと驚くことに、皇帝に謀反を企んでいたのは他でもない、このソッキンだったことが判明したのです。
「それでソッキンはやっつけられたんだ」
と孫が嬉しがる。ませていても子供だけに正直である。浩介は物語を変更した甲斐があったとほっとする。それにしても、皇帝が直々に御見つけなさるとは、ずいぶん短絡的な物語に変更なさったものである。
「ほらね、悪はその時は罰を受けないように見えても、きっといつの日か罰を受けることになるんだ」
と翔太の頭を軽く叩いてやる。孫は喜んで頷いた。話はいよいよ大団円(だいだんえん)を迎える。浩介は声が軽くなった。
ソッキンはとうとう処刑されてしまいました。廬生はすぐに都に戻されると、無実の罪で捕まえたお詫びの気持ちもあり、また皇帝の危機を救った英雄ですから、悪いソッキンに代わって皇帝のお側に仕えるようになったのです。彼はその後長い間皇帝を支え、自分の仕事に誇りを持って、長い人生を歩みきったのでした。そしてある日、幸福な晩年を迎えたのであります。
ある朝のことでした、廬生は自分の生涯が幕を閉じようとしていることを悟り、自分の子供たちを近くに呼び寄せました。もう大好きだった妻は一足先に亡くなっていましたから、そこにはおりませんでした。彼は子供たちに諭します。
「自分は正直に生きて幸福を勝ち取ったのだから、お前たちも決して嘘を付かないように生きなければならない」
子供たちはそれぞれに頷き合いながら涙を流しました。それが最後の挨拶だと、みんな分かっていたからです。そうして廬生は、自分の意識がだんだん遠ざかるように思いました。もう今はただ天国を待ちわびるみたいに、
「ああ、思い返せば長いようで短い生涯だった」
と呟いたのであります。その時でした、
「そうではない、そうではない」
と、はるか昔に聞いたことのあるような声がどこからともなく聞こえてきたのです。廬生は驚きました。
「わたしが幸福のうちに生涯を全うしようとするのを呼び起こさないでおくれ」
と言ってみますが、
「お前はまだちっとも生きていない」
と老人の声が頭に響き渡ります。
「わたしは十分生きた。そしてすべてを知り尽くした」
廬生は負けずに言い返しますが、
「お前はまだすべてを知ってはおらぬ。いや、何一つとして知ってはおらぬ。どんなに大地を駆け巡ったつもりでも、お前はまだほんの一本の道の上を歩いて来たに過ぎぬのだ」
その声はいよいよ大きくなって、廬生の頭に響き渡って、おいそれと往生などしておられなくなりました。それから何度も彼の名前を呼ぶ声が聞こえ、そしてついに、
「おい、起きなされ」
という声がして、自分の肩をいきなり叩かれたものですから、廬生はびっくりする拍子にはっと目を見開いたのです。するとどうしたことでしょう。そこは自分の臨終の床ではありませんでした。そこは自分がはるか昔、ほんの数日立ち寄ったあの、邯鄲の村の鄙びた一軒家のなかだったのです。酒を勧めてくれたあの仙人が、静かに静かに笑っていました。廬生は何が起こったのかも分からず、しばらくは自分の袖のあたりやら、呂翁の姿を眺めては、目をキョトンとさせるばかりでした。近くではあの黄粱(こうりょう)さえも、まだ蒸されたままでした。湯沸かしの釜がことこと音を立てています。すべてがうたた寝を始めた時とまるで同じでした。
「いい夢は見られたかのう」
老人は笑います。廬生はようやくすべてが夢のうちの絵空事であったことを悟りました。
「私は夢のなかで波乱に満ちた生涯を送り、出世と栄誉のうちについに一生を終えたのです」
青年が正直に申しますと、
「人の一生など一炊の夢に過ぎぬのじゃ。いや、蒸される途中の黄粱の夢とでもいった方がいいかのう」
呂翁は笑っているばかりです。青年はあくせくと出世を志す一生を、夢のなかですべて見せてくれた仙人に感謝し、今度は誰もが志す一本道をではなく、別の生き方を目ざそうと心に決めるのでした。けれども、と青年は思います。夢の中の自分は、決して自らを売ろうとはしなかった。そのことを青年はすがすがしく思い返すのでした。それから呂翁に手渡されたお茶を、うまそうに飲み干してみせました。呂翁もお茶を飲み干しました。それから晩餐の時刻が近づいてくるのを、二人はのんびりと待ちわびるのでありました。めでたしめでたし。
孫が黙って聞いているので、あるいは眠ってしまったのかしら、と浩介は見おろした。すると孫の瞳が下から自分を見上げているのだった。まるで大人じみた光りを放って。恫喝するようなその瞳に、浩介は思わずあごを引いた。ぎょっとしたのである。少年は立ち上がった。
「僕もそんな夢なら見たことがある」
浩介の方に向き直ったその声は、まるで翔太の声ではなかった。もっとしっかりとした、大人の口調だったのである。そのくせ声色は、甲高い子供のままだった。
「僕、話して聞かせよう」
少年は気味の悪い笑い方をする。目が吊り上がっている。翔太はこんな狐みたいな少年じゃない。孫の姿をした偽者だ。こいつは誰だ。浩介はたじろいだ。話を聞いてはならないと、どこかで本能が警告した。けれども耳を閉ざせなかったのは、体がまるで硬直して、手足を動かすことが出来なかったからである。
「僕もあるとき夢を見たんだ」
少年は語り出した。座り込んだままの自分と視線が一致したとき、孫の顔が急に大きく見えるのが、なおさら不気味だった。
「それはね、僕のお父さんが出張している晩のことさ。僕はおじちゃんからお話しを聞かせて貰ってね、その間に眠ってしまったんだ。そしたら僕もねえ、やっぱり邯鄲の夢を見たのさ」
まさに今じゃないか。しかし浩介は口を開けなかった。
「僕、さっそくお話ししよう」
少年はさあ今度は僕の番だぞとふんぞり返るみたいにして、落ち着きのない手をぶらぶらさせながら、いっそう声を高くした。
「その夢はね。とっても悲惨な物語だったんだ」
浩介は硬直したままである。恐ろしくて聞きたくないのだが、どうしても逃れることができない。
「僕はね、ずいぶん生かされてきたんだ」
突然ぞっとするようなことを言い出した。
「僕にはね、夢やら希望なんてなんにもなかったんだ」
少年は淋しそうにほほえんだ。しかし言葉はむしろ激しいくらいだった。
「だいだいさ。夢とか希望とかってものはさ、周りの大人たちが夢とか希望とかに満たされていて、初めて子供に伝わってゆくものだろう」
浩介は動かない。
「僕ねえ、そんなものバトンタッチされた覚えが一度としてなかったんだ。ただ父さんから訳もなく勉強を強いられて、母さんも大学に入っておけば安泰だからとくどくど言うし、学校の先生も盛んに勧めるし、みんなもそうしているものだから、ああそうか、それが人生ってもんなんだなって思って、小さい頃から塾などへも通わされ、その一方では毎日テレビを眺めたりゲームに浸(ひた)ったり、人が人をあざ笑ったりするような不気味な番組を楽しいと思い込んで、これが人間だって信じ込んで、つまりはほら、おじちゃんも知っているような僕の毎日があるわけさ。けれどもそんな毎日にも月日はずいぶん流れてねえ、僕はやがて大学を卒業して、ある企業に就職したのさ。新入社員のバッチなんか付けちゃってねえ。もちろん父さんや母さんだって喜んでくれたよ。なんといっても名だたる企業だったからね。これでお前も幸せになれると言わんばかりの表情だった。ところがねえ、企業というものは実につまらない、自分のプライドを蔑(ないがし)ろにして、上からの命令にはタコでも従うのが当然みたいに、たとえ違っていても組織の使命を全うするのが立派だとか、秩序はかくて保たれしとか、わたくしまだまだ未熟でありましたとか、そんなことを自分に言い聞かせているうちに、その実肝っ玉が忠犬ハチ公のなれの果てみたいに干からびちまうようなとんでもない所でねえ。まあ、少なくとも僕の務めた企業の中味はそんな有様だったのさ。僕だって、初めのうちはそんな鎖付きの生活に、堪えられないような不快感も湧いてきたんだが、そのうちどうでもよくなり始めてねえ。惰性の法則とでもいうのかしら。その生ぬるさが居心地よくさえなって来ちゃってねえ。とうとう生まれたまんまの人間であれば、堪(こら)えられっこないような惨めな生き物に変えられてしまったよ」
孫は舌を出して妖怪みたいに笑って見せる。火でも吐きそうなくらい口が真っ赤である。浩介はそのまま食い殺されるような恐怖を覚えた。
「とうとう僕は、自分の意志で組織に従っているんだなんて思うようになり始めた。毎日毎日電車に乗ったよ。電車は悲しく揺れてねえ。いくらたましいが落ちぶれたって、自分が楽しくて出掛けるのか、辛くて出掛けるのかくらい、僕にだって見分けが付くからね。だから虐げられた心ばかりはいつも「はけ口」を求めて、僕らは寄り集まっては酒を飲んで、みんなで愚痴ばかりを言ったよ。けれども口から出てくる悪口はどれもこれも嘘くさくってねえ。そこで僕ら、惨めな気持ちを慰めてくれるものを必死になって探したんだ。ところがねえ、慰めてくれるものはあったのさ。すぐ近くにあったのさ。例のブラウン管の向こうにさ」
翔太はいきなりリモコンのスイッチを入れた。テレビが映し出されるやいなや、一人の若者が別の若者の頭を思いきりひっぱたいた。その瞬間ブラウン管の向こう側からは、笑いの渦が巻き起こった。浩介は冷や水をぶっかけられたような心持ちがした。
「どうだい。驚いたろう。人が人の頭を叩いて喜ぶなんて、そんな不気味な光景、純粋なこころのままではとても堪えられないだろう。だって僕らせっかく知性を獲得したんだからね。それでようやく自分自身をもの思う特別なもの、相手ももの思う特別なものと把握することが出来るようになったのだからね。だからこそ、相手の人格を傷つけるような行為は、たとえそれが偽りであったとしても、眺めれば不快感を引き起こすのが当然だとは思わないかい」
翔太はもう笑ってはいなかった。ブラウン管からはけたたましい野獣のような叫びが鳴り渡って、はっと思った浩介の向こうで、今度はお笑いが相手を罵って喝采を集め出した。罵られた相手が、まるで幸せ一杯の動物的な笑みを、画面一杯に満たしたとき、浩介にはもはやそれが人ではなく、幼い頃に見せられた妖怪図鑑の一ページのようにさえ思われ出したのである。気にも止めたことのないありきたりの光景が、不意に不気味な様相を呈してくる。彼は恐ろしくなって「止めろ」と言おうとしたけれど、やはり体を動かすことは出来なかった。
「すごいだろう。相手を馬鹿にして笑いを取ったり、馬鹿にされて喜んだり、信じられないだろう。相手を屈辱して自分を優位に立たせたり、わざと虐げられて喜んだりなんて感情は、動物に近いものだから子供なんかが喜んですることだけど、普通に精神が形成されていったら、むしろ不愉快になるべきだと思わないか」
翔太は子供らしくないことを述べ立てる。
「僕らせっかく誰もが教育を受けて、自らの人格を築くことが出来るような世界を作り上げてきたつもりだったのに、娯楽としてただ動物的な笑いを追い求めるような不気味な社会が生まれちまった。なぜかって。第一学校で人格なんてまるで教えないしね。偽りの道徳が精一杯だしね。それに生まれたときから娯楽漬けで、動物的感情が倫理的に昇華する機会がないしね。第一、娯楽は倫理を屈辱することを糧に喝采を求めるものだからね。動物的であるように仕向けるわけさ。それにさあ、なんといっても僕ら、組織の中では虐げられっぱなしだからね。はけ口が欲しいのさ。圧迫された感情を自分では何もしないまま弛緩させるには、誰かが誰かに馬鹿にされているのを見るのが一番すっとするのさ。自己環境の圧迫と甘受の関係よりも、いっそう下層にあって嘲笑と甘受の関係を眺めるのが、すっとするだけなのさ。もしそうでなく根っからこんなのが楽しいなら、もうそんなのは人でなしなんじゃないかなあ」
孫は腕を組みだした。口調が大人である。浩介はだんだん言葉を追うのが精一杯になってくる。
「まあ、人間なんて社会的動物であるのだからして、品性なんかあっという間にひん曲がっちまうんだけど、当人ばかりは依然と変わらないつもりだから、だらだら毎日を過ごすんだね。日が昇れば職場へ出かけ、ひたすらタイムスケジュールに縛られて、けれども与えられた仕事の内容は常に部分的であり、たやすく代替が効くものばかり。己(おの)が誇りだって些細なことで傷つけられっぱなし。それでも自分は充実した職務を全うしていると粋がって、けれどもその実冴えなくて、夕暮れて終業の鐘が鳴れば、てくてくと酒などを飲み歩き、せめて仕事の愚痴などいたし、ゴシップやらニュースをネタに酔いどれては見ても、喜びに溢れた会話などはまるでなく、だからこそげらげら笑うことばかりを、過剰に求めるようになっちまって、ついには終電に乗って帰ってゆく。そして帰ったらまたチャンネルを捻って、虚構や娯楽に溺れようとするんだね。そんな毎日が止めどなく続いていく。そしてね、本当に恐ろしいのはね、浩介、まだこれからだよ」
孫が笑っている。恐い。止めてくれ。浩介は手も足も動かない。金縛りにあったみたいだ。額から汗が流れ出す。ただ聞きたくない、聞きたくないと念じている。
「毎日が果てなく同質的傾向を強めてくるとね、自分では新しいプランに邁進しているつもりになっても、ほら、つまりは僕らの愛すべき娯楽と同じことさ。どんなドラマだって自分が登場人物として活躍する訳じゃないだろう。あくまでも疑似体験に過ぎないだろう。つまりはブラウン管のかなたの絵空事でもって感情に作用する単純なプロセスが、表層的な宥められた感情起伏と、イメージ固着とを引き起こすに過ぎないのと同じで、組織の中に分配された仕事とやらもまた、一つのだらだらと続く舗装道路を形成しているに過ぎないのさ。第一人の病気を治すわけでも、調理の先にほほえみを見るわけでも、自然と喜怒哀楽を競い合うような農業をやっているわけでもないからね。だって浩介、考えてもみるがいい。君はただ長い数値の連なりを、繰り返し繰り返し相手として、もたらすべき結果さえもやはり数値に過ぎないというのだから、その均質的な無意味さはどうしたって、振り返るべき自らの生涯を、舗装道路のように味気なくするに決まっているじゃあないか」
少年はもったいぶって、ちょっと休憩する。さっきからうろうろと浩介の前を行ったり来たりしている。もうテレビは切ってしまった。浩介は血の気が失せていく。まるで自分が自分に向かって毒を吐いているような絶望に似ていた。
「振り向く歩道の乏しさに、僕らはあっというまのお爺さんなのさ。いくら子供や孫とお出かけしてみても始まらないよ。だってそんなのは、三百六十五分のほんの数日、頑張っても数十日だからね。仕事に疲れて、ほとんどの日曜はごろ寝一方だしね。一年のほとんどが、鄙びたひと続きの路面なのさ。ねえ、聞いておくれよ」
少年は急に語調を変えた。急に嬉しそうにし始めたのである。
「僕ねえ。灰色路面の果てにぐんぐん年を取ってねえ。ようやく振り向くと何にもなかったんだ。ところどころに家族との思い出がはためく一方でねえ。残りは、かの愛すべき仕事と、それから娯楽で埋め尽くされているはずなんだけれども、おかしいねえ、だって平面なんだからね、仕事も平面だし、読んだ小説だってしょせんは平面だし、自分の感情や感覚と一体になっていないんだからね。何とも殺風景な一本道なのさ。始めて見たときはさすがに僕もびっくりしてたよ。でも考えを改めようとはしなかった。なにしろ忙しかったからね。お金だって必要だったしね。そのうちいつしか三十路になっちまった。けれどもそれきり後ろは振り向かなかった。だって妻子もあったし、家のローンだって馬鹿にならないからね。僕はもう与えられた道を突き進むしか、他に遣りようがないじゃないか。諦めるでもなく、ただただ仕事にのめり込んだよ。またゆっくり考えるゆとりも無くなっていた。思考するのさえ億劫になり出してねえ。
だからようやく久しぶりに振り向いたときは、もう四十路(よそじ)を回っていた。けれどもそこから先は早くってねえ。時がずんずん流れたよ。そしたらある日このあたり、ほら、この手の甲やら頬のあたりに、カサカサしたシワが生えてきてねえ。僕はがくがく震えちまったのさ。だってさあ、僕はまだ何にもしていなかったんだもの。ただ平面が広がるばかりさ。娯楽の平面。仕事の平面。英雄ばかりを行間に眺め暮らして、自分の手足は伴わない、感覚のない小説の平面。ただそれだけの生涯。僕は不思議だった。今まで眺め暮らしたドラマの登場人物やら、小説の主人公みたいな、いや、いくら何でも僕だってそこまで己惚れちゃあいないんだが、それにしても何か一つくらい、歩道にそびえる輝かしいもの、回顧されてしかるべきものがあってもよさそうなのに、振り向くとたんの舗装道路が、ところどころに家族団らんの旗を掲げながら、真っ平らに延びているばかりなんだからね。それを見ているうちにねえ、僕は心にまで灰が染みこむ気がしだして、ただ恐くって、恐くって、恐くって、恐くって、まるで目暗めっぽうに走り出したんだ。早くこの道路から抜け出さなくっちゃ、このまま死んじゃうと思ってね。でもねえ、走り出したら、すぐ息切れしちゃうんだ。どうしたことだろう。僕は自分を見回した。自分の両手を眺めだした。ほら、こんな風に。そうしたらさあ、ほら、こんなにシワが寄ってるんだよ、ねえ、やだよ、まだ何にもしてないのに、お願いだよ、これ取っておくれよ」
少年は急に泣きだした、泣きだしながら両手を前に突き出した。瑞々しいはずの子供の手先だけが、病葉(わくらば)の朽ちたかさかさになっていた。苔石みたいな骨格のいぼいぼが突き出ていた。目を見ひらいた浩介はただもう必死になって、横に首を振り向けようとしてもがき苦しんだ。
「ほら、もうこんなにお爺さんなんだもの。僕はたちまち息切れしたよ。苦しくって、苦しくって、だんだん歩けなくなってきて、膝が重くって、重くって、ついにカクンと折れたらばったり倒れちゃったんだ。病院に担ぎ込まれてねえ。家族に連絡が入った。ご臨終が近いというわけさ。見取ってくれるのは、僕の家族に違いないよ。薄目を開くと、ほら、病室に四人とも顔を並べているじゃあないか」
少年が息を継ぐ。もう泣いてはいない。また奇妙にはしゃぎだした。浩介は臨終の姿を垣間見たような錯覚に囚われた。
「ところがねえ、僕、驚いちゃったんだ。僕が死ぬ間際だというのに、病室にはテレビが付けられていてねえ。僕も含めて誰も彼もが、僕が死ぬのを待つのに隙かいて、テレビをそれとなく眺めていたのさ。おまけにさ、なんと僕まで死を待つのに隙かいて、一緒にぼんやり眺めていたのさ。ときおり同調して一緒に笑ったりしながらね。だって、それが僕らの一家団らんなんだからね。幸せの縮図だからね。逃れられなき定めなんだからね。それから僕は嫌々ながらに、みんなの前で「いい人生だった」なんてドラマから教わった台詞を吐き捨てて、わざとらしく悲しみの表情をぐるりと眺め回して、あまりの嘘くさいさに怖じ気づきながら、ついにぽっくりとくたばっちまうのさ。ずいぶん味気ないよね。だってみんな娯楽慣れしてるんだからね。実際の死には、BGMだってないし、台詞だって効果的じゃないからね。俳優でもないから抑揚も足らないしね。みんな内心興醒めなのさ。第一、何十何百という感情誘導的なドラマで死を眺め続けて来たからね。デフォルメされた作劇の手順を踏まないと、泣けない体になっちまってるのさ。だから僕は味気なく死んじまうわけさ。そして死んじまった後でさあ、ほら浩介、たしか邯鄲の夢の話だったはずじゃないか。これはほんの黄粱(こうりょう)の夢だったはずじゃあないか。だってその僕の夢の姿はまさにさあ」
「止めてくれ!」
浩介はようやく金縛りから抜け出したみたいに、真っ青な瞳で翔太を押しのけた。すぐに両耳を塞いだが、声は頭のなかに響き渡った。
「その姿はさあ、僕よくよく考えてみたんだ。なんか見覚えがあるなあって。よく知った顔だなあって。そうしたらさあ、ねえ浩介、それはお前だったのさ、それはお前の一生を記した夢だったのさ」
それからもう高笑いが延々と響いて、浩介はその場を逃れようと、痺(しび)れきったふくらはぎで無理矢理足を駆り、勝手口の玄関から外へ飛び出した。けれども不気味な笑い声は、どこまでもどこまでも追っ掛けて来るようで、浩介は時々うしろを振り向いては、じんじんと熱くなる太股を両手で押さえつけながら、何とか家を離れようと必死になった。だのに笑い声だけが今だ響いてくる。景観がいつもの調子ではない。空が紫色をしている。町並みには車も来ない、人も歩かない、まるですべての音を忘れたみたいに、灰色にひっそりと沈み込んだ中に、あの笑い声だけが鳴り止まなかった。浩介は耳を塞いだ。
それからまた走り出す。ところがちょっと走っただけなのに、もう呼吸が困難になってきた。よろめいて立ち止まる。耳に当てた指先に異変を感じて、息切れながらに眺めたとたん、氷塊にでも封じ込められたみたいに全身が硬直した。心臓が止まりそうだった。手の甲はもう枯葉みたいなしわくちゃになっている。肉がそげ落ちている。死を待つ老爺の腕である。たちまち心が真っ暗になった。
「嫌だ、まだ何もしていないのに」
必死に叫ぼうとしたけれど、喉まで干からびて声が出なかった。崩れるみたいにその場にしゃがみ込んだ。何もなし得ぬままの老人。娯楽漬けの老人。組織漬けの老人。終末の老人。それは悲しい老人であった。人なみの家族やら孫があって、幸福とばかりに歩んできたつもりだったのに、娯楽が寄りそって豊かな会話を奪い、息子の直也さえもはや組織の中に埋没しかかっている。老人は悲しく顔を上げる。歩道の向こうを孫が歩いていく。どこへ向かうのだろう。塾の看板が見える。孫は奥へと消えていった。
親子三代ひもすがらに遊び暮らした面影も淡く、ひたむき議論に興じた思い出も無く、たまたま出かけた旅行でさえも、夕べのホテルでははや娯楽に手を伸ばすほどだった。でも、なぜそれほど強い刺激を求め続けただろう。それはおそらく、どれほど求めても刺激が足りないせいである。ではなぜ足りないだろう。それは平坦な情報に過ぎないからである。擬似的な感情であるからこそ、少しでも心の起伏を得ようとして、より誇大な感動に包まれて、喜怒哀楽を貪り尽くそうとするのである。作劇のデフォルメはいよいよ肥大し、しかもどれほど肥大しても偽物のままで、自分はいまそれを眺め暮らした挙げ句に、こうして一生を終えようとしている。途方に暮れた自分の横をひとりの青年が追い越していく、後ろ姿が誰かに似ている。
「直也」
と呼んだつもりだったが、言葉にはならなかった。直也は高いビルディングの影に消えていった。もうすぐ出社時刻である。
自分は結局、仕事に不満があっただけなのだろうか。浩介は朦朧とする頭のなかで、誰もがみんなこんなもので、悟りきれない自分が悪いのだろうか。幸せに十字を切ってほほ笑むべきなのだろうかと諦めてみる。けれども結論を出したって、過ぎ去った歳月は帰ってこない。車道の向こうにはレストランが見える。窓ガラス越しにウェイトレスの歩く姿が見える。ウェイトレスはある席の前に止まる。並べられたカップに、お代わりのコーヒーを入れている。そこに恭子の姿があった。主婦で集まってお茶を嗜んでいる。そうだ、自分は妻を愛していた。浩介はせめてそこに望みを託した。自分の人生を愛に終わらせようとした。けれども出来なかった。あんまり娯楽の愛ばかりに溺れたせいで、愛の定義が歪められている。老いたる夫婦の静かにひたむきな愛が、本当の愛の姿に思えない。
こころがパニックになったみたいに、浩介は突然呼吸が苦しくなってきた。慌てて口元に指を当てたら、かさかさした頬が冷たくなっていた。心臓がどっくんどっくんと悲鳴を上げている。嫌々ながらにポンプを送り出している。浩介は不意に貧血のような目眩を覚えると、ついにその場に倒れ込んでしまった。もう自分は死ぬのだろうか。やがて救急車の音が聞こえたような気がしたが、彼の意識は遠のいていった。それから、どうやら病院に担ぎ込まれたらしい。
かすかに瞳を開くと、自分の妻と直也と、それから涼子と孫と、みんなが自分の部屋に佇んでくれていた。ちょっと嬉しくなって声を掛けようとしたときに、浩介はびっくりした。誰も自分を見ていなかったからである。彼らの視線を追ってみると、例のブラウン管が誇らしげに控えていた。ああ、と浩介は思う。どうやら自分が亡くなるまでのあいだ、手持ち無沙汰であるらしい。自分はうなり声をあげる。みんなが寄って来る。ドラマみたいな台詞を期待して待ち構えているのが分かる。けれども自分は俳優じゃない。本当にここで死んじまうんだ。誰か助けてくれ。浩介がどんなに思ってみても、もう枯野を駆け巡るのは夢ばかりで、足は動かなかった。腕すらも差し出せなかった。まぶたが重かった。いい人生だったと言わなければならないのが、たまらなく苦痛である。けれども、娯楽漬けだった自分には、他の言葉は浮かんではこなかった。とうとう苦痛のままに、
「ありがとう、いい人生だった」
と呟いて、全身から力が抜けていった。自分の意識がだんだん遠ざかる。遠ざかる。遠ざかる……
はっとして跳び起きると、朝の六時であった。また激しい汗を掻いている。体がずたぼろに疲れ切って、体中の間接が軋んでいる。カーテン越しの光りはすっかり朝めいて、時計の針はチクチクと刻んでいる。浩介は思わず自分の腕を突き出して、その手をまじまじと眺めたが、干からびたはずの肌はいくぶん瑞々しさを取り戻していた。ほっとして無理に立ち上がろうとすると目眩がする。重い体を窓辺へ這うようにカーテンを一杯に引ききった。窓ガラスを開けて、朝の空気を吸い込む。空は曇天だ。けれども、町の喧騒にまだ毒されていない大気は、精一杯のさわやかさで浩介の心を慰めてくれた。小鳥が屈託なくさえずっている。虫の音はもうしない。浩介はベランダの手すりにもたれかかった。
まったくどうかしている。とんだ夢を見たものだ。彼は夢を思い出さないように努めたが、ちょっと瞳を閉じると、その光景はまざまざと焼き付けられていた。あんな恐ろしい悪夢は今まで見たこともない。自分はよほど精神が病んでいるのだろうか。そんなに今の仕事に不満があるのだろうか。自分はいったい何がしたかったというのだろうか……
浩介は手すりにかけた指先が、まだ震えているのを発見した。夢魔というものは、あるいは本当にいるのかなと思う。たましいを吸い取られたような気分である。出来るだけ思い出さないようにして、とっとと忘れちまった方がいい。庭向こうでは一軒先の亭主が、勤め先が遠いせいだろう、もう玄関からスーツ姿で現れた。浩介には気づかずに眠そうにして歩きだす。まっすぐ駅に向かうに違いない。庭先を見おろすと、好い加減に撒いておいたコスモスが、いく輪ほどの淋しさで揺れていた。
重い頭を二三度振って、浩介はベランダを後にした。階段を下りて、わざと何でもない風に顔を洗って、があがあと音を立てながらうがいを済ませる。綺麗に髭も剃ってみる。肩を二三度揺すってみる。顔色も悪くないようだ。これなら大丈夫と思い直してから、居間へ入って「おはよう」というと、妻は朝から元気であった。朝食の準備をしながら、
「よく眠れなかったの」
と聞くので、なぜと聞いてみると、
「夕べ何度も起きてきたじゃない」
と妻は平気な顔で答えていた。
「よく知ってるな」
「だって階段がぎしぎし軋むでしょう」
「うん、そうだな」
浩介はあやふやに済ませてしまった。さすがに夢にうなされたとは答えにくかったからである。日本人は些細なことでそれぞれに迷信家であるから、ひょっとしたら正夢になるのを恐れたためかもしれなかった。浩介はテーブルに腰を下ろすと、放り出されている新聞をちょっとめくってみた。まず組閣のことが見出しになっている。一枚めくると社説には「メディアミックスの展望」と書かれている。浩介は読み飛ばす。政治と経済のあたりを好い加減に読んでから、スポーツ欄は野球の結果だけをもう一度確認する。それから後ろの方に麻薬のことが取り上げられている。浩介はシャーロック・ホームズが麻薬を使っていたことを思い出して、まったく無駄な記憶であるとおかしくなった。最後にテレビ欄をちょっと眺めて、それから朝食に取りかかる。妻がテレビのスイッチを入れる。浩介はなんだか恐ろしくなった。
「テレビは消してくれ」
小声で呟いた。妻は不思議な顔をする、
「なぜ」
と屈託もなく答えている。
「いいからスイッチを切ってくれ」
自分でも驚くくらいの声が出た。妻は少し驚いて、
「どうしたのあなた」
とテレビを切りながら、夫の顔を覗き込む。
「実は少し頭が痛いんだ」
と頭を押さえてみせると、妻は昨日の島崎課長の病気を思い出したらしく、
「大丈夫なの。まさかインフルエンザじゃないの」
と体温計を探しに立ち上がった。浩介は慌てながら、
「違う違う。第一お前、インフルエンザで発熱したら、頭痛がするぐらいじゃあ済まないよ」
「そうねえ。でも念のために今日は休んだらどう」
と心配するが、
「課長が出てくるまでは、おいそれと休んでなんかいられないさ」
とトマトを箸に突き刺しながら答えるので、妻も体温計は止めにした。代わりにお茶を持ってきてくれたので、口を清めるみたいに飲み乾してから立ち上がった。歯を磨いて髭を剃るついでに、自分の頬の肉を大切そうに撫でてみる。まだ大丈夫かなと思う。そんなに悲観したものでもない。それから制服を着るときに、今度は突き出た腹が気になって、少しは運動でもしようかと考えながら、ようやく玄関を逃れた。ひときわ忙(せわ)しいから、恭子は朝の見送りには来てくれない。晩の出迎えだけでも感謝すべきだろう。曇天の涼しい空気を吸い込んでみるが、忌まわしい夢のせいで、朝っぱらから気分が冴えなかった。ひとりになったらまた夢の記憶が浮き上がってきた。忘れよう、忘れようと歩くたびに、後ろから追って来るみたいでちょっと不気味である。電車の中でもきっとうなされることを思えば、靴さえ重く感じられるほどだった。
電車の人だかりは憂鬱である。座席を取れなかった浩介は、立ったまま周囲を見渡すと、どれもこれもうつろな表情のまま、眠たげに俯いたり、朝っぱらから携帯を弄くったり、ヘッドホンの内側に引き籠もったりしている。もちろん学生もいる。会社勤めもいる。役所へ向かう者もいるだろう。けれども、これはまるで護送列車のようではないか。不意に夢で会った直也の快活さが浮かんできた。それから現実に会う直也が、近頃自分に似たあきらめの表情を見せることがあるのを、浩介はちょっと心配になった。列車の空想は定まらない。視線もやはり定まりそうにない。
偶然あちらに顔を移したときに、無惨なゴリラ顔の中年女性が、茶色に髪を染め抜いているのを目撃した浩介は、たちまちげっとなった。あんなこてこての日本人の、整頓をしくじったゴリラ顔を、まだしも控えめに隠すのは、あたりきの中に埋没させてくれる黒髪だけである。控えることだけが、ゴリラを目立たなくさせる唯一の道である。それを妖怪も泣きだすほどに染め抜いて、顔には奇妙なパテだかマスカラだかペンキだか白粉だか、油彩画だかテンペラだか分からないものを塗りたくって、化学薬品のどぎつい香りを振りまいて、ゴリラは鏡などを取り出して自分の顔を眺めている。自分でよく吐き出さないものだ。結局は誰も注意し得ないものだから、いろんなお化けが沸き上がるのかなと思う。何でも個人の自由で済ませるような社会を生みだしたのは、ああしたお化けどもの努力のたまものなのかなと、訳の分からない感慨に耽っていた。けれどもお化けの天下には、メディアが関係しているような気がする。ただ朝だから、浩介の妄想は昨夜(ゆうべ)のようには駆け出さなかった。幸い離れているから香水はそれほど匂わなかったが、それを一目見たなり、浩介はまた頭がずきずきと痛み出した。
流れゆく町並みに瞳を移すと、どこもかしこも穢されている。どんよりしている。冴えない灰色に打ちのめされている。ここは人間の掃きだめかと心配になる。それを薄々感じているから、列車に護送される人々は、こんなに嫌そうな表情なのかと思う。それとも自分の心が病んでいるために、ありきたりの風景がデフォルメされて映っているのかとも思う。こころはますます憂鬱になる。夢に打ちのめされた後だから、今朝は武蔵の続きを開く気さえ起こらない。職場へ向かうのがたまらなく嫌だ。仮病でも使って休んじまおうかしら。けれども……
浩介は踏ん切りもなく流れてゆく。停車駅ごとの人だかりと、ガッタンゴットン、ガッタンゴットン、まるで同調しながら揺られゆく。ようやく目的の駅に到着した。
人ごみが雪崩れて溢れかえる。事故が起こらないのが不思議なくらいである。降り立ったプラットフォームには、端から端まで人がひしめいている。誰もがそれぞれに詰まらなそうな顔をしている。空と一緒でどんより曇っている。ケミカルセンターのモルモットだって、ここまで密集させられることはないな。浩介は馬鹿な感慨を持ちながら、プラットフォームの端(はし)の、停車場のすぐ前に押しのけられたみたいにして突っ立っていた。いつもなら掻き分けながら改札を目指すくらいの浩介だが、今日はぽつんとひとり世界から阻害されたような気分だった。それなのに、自分だけがすべてを知っているような気がしてならなかった。曇天の冴えない雲が、濁った灰でも降らせるみたいにして、羽を広げた屋根の隙間から顔を出している。向こうには高層ビルが、コマーシャルの壁みたいにして立ちはだかっている。どれもこれもが色彩に乏しい。浩介は昔読んだ核戦争後の世界を思い出す。たまらなく心が重くなる。ふと顔を落とすと、赤茶けたレールが、上だけ銀のひかりを放って虚しく横たわっている。人はこんな時に死にたくなるものかなと浩介は思う。悪夢のイメージが沸き上がってきて、締め付けられるような苦しさを覚えた。このまま今日を生き延びたからってどうなるものでもないと、あの夢の少年に脅されたような錯覚をさえ覚えた。
「急行列車が通ります。急行列車が通ります」
駅のアナウンスが、どさどさの足並みと一緒に響き渡る。それから「白線の内側までおさがり下さい」と述べたてる。浩介は列車の来るかなたを眺めた。列車はすさまじい勢いでこちらへと近づいてくる。若干速力を弱めていても、駆け抜けようとする正面から、風を切って突っ込んでくる。あれにぶち当たったら、ひとたまりもないなと思う。肉体だけでなく、くだらない悩みや寂寞(せきばく)も一緒に吹っ飛んじまうんじゃないかと思う。また手の甲を撫でてみる。なぜだか分からない、哀しみが込み上げてくる。吹っ飛ばされてぐちゃぐちゃになったら、楽になるのかなと思う。そうこう思っているうちに列車は近くなる。
ぱっ、と男が飛び出した。浩介にはそう思われた。夕べから精神を痛めつけられていた浩介は、飛び出した男が自分自身であり、自分が自分を束の間に眺めたような錯覚に囚われたが、そうではなかった。黒い影が遠くにドサリと落ちるのを、浩介ははっきりと見たからである。途端にプラットフォームに悲鳴がとどろいた。向こうの人垣がぱっと左右に分かれた。それから激しいブレーキの軋む音がして、長い列車が行き過ぎたかなたで急停車した。沢山の駅員と、担架と、「お下がりください」という叫び声と、野次馬の人だかりと、色々なことが浩介の前で一遍に起こった。浩介もその人だかりに近づいていった。横たわる影がちらっと見えた。ひと目見たなり、浩介にはもう忘れられなくなった。それは人の形とは思えない、変な折れ曲がった肉の塊であった。正面からぶち当たったらしい、ぐちゃぐちゃの顔が原型を留めていなかった。けれども体はスーツを着たままである。立ち上がってもよさそうなくらい、ほかに損傷は見つからない。顔だけが損なわれている。まるで人の姿ではなかった。それはおそらく浩介と同じくらいの年齢の、中年の男性であるらしかった。
浩介は二三歩よろめいた。それからたちまちがたがた震えだした。人波を掻き分け掻き分け、一目散に現場を離れて改札へと逃れ出た。改札の窮屈な人ごみをくぐると、サラリーマンは四方へと散り急ぐ。すこし肩幅が広くなる。仕事へ向かう足並みは、立ち止まることを許さないくらい勢いがある。押し出されるのか、押しのけるのか、分からないほどの急ぎ足だ。今日はそれに付き合わなければならないのが、はなはだ苦痛である。
彼は歩きながら、夕べの夢のことを一時(いちどき)に思い出した。自分の一生の末路が、飛び込んだ男に集約されたような気がした。自分の脈が高まったままなのを感じた。ようやく密集した駅前を離れたとき、彼はビルを抱え込むような歩道の横に逸れて、わずかに一人の空間を得ると、わざと精一杯の呼吸をしながら、震えるようなたましいを落ち着けようとしばらく留まっていた。信号が赤から青に変わって、四車線の通りが一斉に動き出す。涼しい風が、それを追ってか車線沿いに流れ寄せる。浩介のスーツを吹き抜けざまに冷やかした。その時である。なぜだか分からないが不意に、
「秋という大動脈を切られけり」
という夕べの俳句をふっと思い出した。そしてそれがついさっき、果たされたような気がしだした。
彼はとぼとぼと歩行者の中に消えていった。むろん職場へ向かうためである。もう始業時刻が近い。周囲は高いビルで覆われている。狭められた空は灰色の雲に閉ざされたままだ。小鳥らの歌は聞こえてこない。彼はついに仕事を休む勇気を持たなかった。まして仕事を辞めるなど思いもよらなかった。そんな勇気はもう一生出ないかと思う。あと十年も務めないうちに退職である。今さら何かをなすなんて、夢物語もいいところである。また手の甲を撫でてみて、すべて自分が悪いのかなとぼんやり考えてみる。けれども何だか腑に落ちない。浩介はすたすたと歩みを早めながら、いや、決して自分が悪いんじゃない、悪いんじゃない、こんな社会にしたのは誰の責任だ、誰が悪いんだ、けれどもそれは自分じゃない、自分じゃない、自分じゃない。一歩たびごとにそんな言葉を踏みしめながら、彼は行き交う人波を追い越し追い越し、自分のビルディングの下へと足を進めるのであった。
(おわり)
作成2009/9-19-10/21
2010/3/8