クロノスの秒針

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始めに

・[朗読]の見出しは、実際は単に一行分空白で番号は無し。また朗読のところの見出しは、本文にはない。

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クロノスの秒針

朗読1 [ライブの前日]

「折られた翼」
夢とか希望とかそういうんじゃなく
ただ一つだけのことのためにすべてを
捧げることが打ち寄せる脈の
唯一の意味だって信じてたんだ

夢とか希望とかそういうんじゃなく
本当を求める魂をあざ笑って
足を引っ張り合ってヒエラルキーの
どん底に群がるような群衆が
今を生きるなんて知らなかったんだ

こんな不気味な国を作っておいて
誰ひとり作りかえようとしないのか
嘲笑のこだまばかりが
奇声のように酒場にあふれ出す

自分で耕すより楽だった
眺めて暮らすことのほうが
死ぬまで眺め続けて
命は干からびていったんだ

動物のように振る舞うことが
最新式だなんて精神が
自発的に生まれる国を
俺たちは始めて見つけたんだ

雄叫びが町じゅうにこだまする
真面目なものを排除する
意味を戦わせるでもなく
刺し殺して排除する

誰もものを言わなくなった
動物園はいつの日かきっと
世界中から封鎖されながら
滅びの季節を迎えることだろう

俺はもう誰も信じない
負け犬みたいにとぼとぼと
蹴られながらに歩っていく
こんな国に生まれちまったら
それがもう本当の生き方だって
今は信じているからだ

たぶんもうすぐ鐘の音(ね)が
俺を埋葬するだろう
墓のなかには残飯が
否応(いやおう)なくも投げ込まれ
奴らは勝利に酔いしれるだろう
夕暮れの居酒屋はひとしきり
俺のウワサで持ちきりになるだろう
嘲笑をさかなにして乾杯の
盃は高く掲げられることだろう

夢とか希望とかそういうんじゃなく
ただ一つだけのことのためにすべてを
捧げることが打ち寄せる脈の
たった一つの意味だって信じていた

夢とか希望とかそういうんじゃなく
本当を求める魂をあざ笑って
足を引っ張り合ってヒエラルキーの
どん底に群がるような蟻どもが
この世に居るなんて知らなかったんだ

道具になることが生きがいみたいな虫けらが
この世に居るなんて知らなかったんだ

 吐き気がする。もうこりごりだ。腐ったウマザルが。龍也(りゅうや)は思わず言い返した。

「なんの計画も立てられねえくせに、ふざけたこと抜かしてんじゃねえよ」

中年の淀んだ瞳に、憎しみの炎が沸き上がるのが見えた。それは汚れた炎だった。知性のまるでない、生ゴミを燃やすような炎だった。姑息(こそく)にも畠を荒らし回る、泥棒の姿に似ていた。龍也はますます不快になってきた。

「貴様、俺の言うことが聞けないのか」

年齢よりずっと老いたシワくちゃを引きつらせて、空腹のため飼育員に噛みつくみたいな姿で、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立ててきやがる。龍也は生理的な嫌悪を覚えた。まるで動物園の老猿(ろうえん)が、現実社会に紛れ込んで、キーキー叫んでいるようにしか思えない。

「聞ける聞けない以前に、いつ、その計画とやらを立てたんだよ」

「なんだとお前、前に説明したはずだろうが」

「説明したことなんかねえだろうが」

「いいや、またお前が忘れてるだけだ」

「だったらいつ、どこでしたんだよ」

「そんなこと、いちいち覚えていられるか」

 なんでこんな動物の相手をしなければならないのだろう。猿みたいなシワ顔の癖に、馬みたいに伸びきっていて、アゴがヘチマなのである。とても人間の顔には思えない。龍也は憎しみすら折れそうになった。こんな下等な馬猿(うまざる)の世話を、動物センターのボランティアじゃあるまいし、どうして見なければならないのか。本当は蹴っ飛ばして終わりにしちまいたいくらいである。けれども、ここは職場である。職場には職場のルールがある。それは猿よりも、龍也の方がまだしも弁えているらしかった。だいたい、職場で「お前」とか「貴様」なんて言葉を使うような奴が、どうして社会に紛れ込んでいるのだろう。

「ふざけるな。説明どころか、計画書すら持ってきてねえだろ」

龍也には分かっていた。どうせこう言い返したってこの動物は、

「お前がどこかへ無くしたんだ」

 ほら、見ろ。自分の行動なんて、まるで覚えてやしないのである。いや、もっと悪い。今まで出鱈目だけで押し通してきたから、それでまかり通ると信じていやがるんだ。龍也はここまで羞恥なく、はなっから嘘っぱちだけを並べたてて、自信満々にしゃべれる人間に、これまで一度も出会ったことがなかった。こんな生き物に近づいただけで、自分の人生が祟られているような気がする。しかし、こんな劣等な無能者を、平然と役職に就けている企業の体質こそが、一番の問題には違いないんだ。

「じゃあ元の企画書を見せてみろよ。好い加減なこと抜かすな」

 龍也は言い返した。それにしても、こんなウマザルのために、彼はどれほど無駄な犠牲を強いられて来ただろう。猿は休日変更も、人員配置も、製造プランも、パソコンへの打ち込みさえも、なんの仕事さえ満足にこなせなかったからである。それでいて、たまたま気がついたことを、何のプロットもなくその場その場で適当に指示したり、遣ったりしているだけなのである。おかげでせっかくのプランがねじ曲げられ、効率をところどころに落としていくのだが、悲惨なことに実際の計画を切り盛りしていたのは、龍也を始め、彼のもとに配属された従業員たちであった。

 龍也たちは、効率の悪化を最小限に食い止めるべく、すぐに修正をかけ直す。すると、何の計画も立てられないウマザルのことだから、自分の指示が変更されていることにも気がつかず、自分の采配が、プランを邁進していると信じ込むといった有様であった。ようするにウマザルは、自分を大した管理者だと思い込んでいたのである。それでいて、何一つ出来なかった。企業にとって、これほど有害な男もそうはいない。しかし、その有害性にすら気づかないとしたら、それは企業の体質である。もしそのような体質が、広く社会を覆っているのであれば、それは社会全体の問題にもなってくる。もちろん龍也はそこまでは考えない。ウマザルも鳴くのを止めなかった。

 もちろん猿は、企画書なんか作っている訳がない。良心の欠けらでも残されていたならば、自分の非を認めざるを得ないところであるが、そこはウマザルであるから、口で勝つこと以外の何も浮かんでこない。さっそくお決まりの手段で、相手をやり込めようとし始めた。

「ここは企業だ。この中では、俺が上司だ。お前は俺の意見に従わなければならない。それ以外の権利は、お前には無いんだ」

今までそうやって相手を黙らせてきたから、こんな言葉を伝家の宝刀だと信じ切って、自分の優位は疑いないものと思い込んでいる。たしかに憐れな猿ではある。しかし、その下で働かされる人間の身にもなってみろ。動物の世話なんかさせられて、どれほどの悲劇か分かったものではない。こんな生き物にも、はたしてご両親とか、家族とか子供があるのだろうか。龍也は徹底的に黙らせてやる決心をした。

「違うな。上司だろうとなんだろうと、遣るべき事を遣っていない奴には、誰もがそれを糾弾する権利があるんだ。それこそが企業の利益にも適うことになる」

「馬鹿野郎、黙れ、しゃべるな」

職場で馬鹿野郎なんて言葉を使う奴に、龍也は始めて出会った。しかも、ここは零細企業じゃない。日本でも名の知れた大企業である。それが、こんな男を役職に就けて置くなんて、どれほど呪術的な社会なんだ。クジ引きで人事をやっている訳じゃなかろうに。

 もとより、馬鹿といわれて冷静でいられるほど、龍也は大人ではなかった。いや、むしろカッとなったら子供になってしまう点では、ウマザルと大差は無いくらいである。もっともこれは、龍也が猿と同一であるという意味ではない。社会的なマナーは、双方が約束を守っている限りにおいて、始めて成り立つものだからである。相手から約束を破ってきたなら、口げんかだろうと、殴り合いだろうと、あるいは殺し合いだろうと、対応しなかったら自分が負けてしまう。それを「無法である」なんて、どこかの教師みたいに訴えてみたって、何の意味があるだろう。人間は常に動物的な側面を持っている。だからこそ社会の仕組みを築いて、それに統制を加えるんじゃないか。ウマザルみたいに土足で踏みにじってくるような奴には、相応に対処するのがあたり前だ。それを押さえてまでシステムに依存するのは、はなっから人間性を放棄しているだけである。相手がその気なら、龍也は躊躇しなかった。

「馬鹿はお前だ。このクズ野郎が。人員計画すらろくに立てられないくせに、上司みたいなこと抜かすな。お前がいったいいつ、その上司とやらの仕事をした。だいたい昨日の仕事残りはなんだよ。あの醜態は。お前がちゃんとプランを立てないから、あんなことになるんだろうが」

 まとめて言い放ってやった。ウマザルが真っ赤になって、言葉を失っている。元来が、人並み外れて脳味噌が小っちゃいから、理屈で責められると、とっさに言葉が生まれてこないらしかった。なぜなら龍也の言葉は、ひとつ残らず真実だったからである。いくら嘘にまみれた猿だって、仕事が回らなかった事実は隠しようがなかった。それ以前に、怒りと羞恥で脳味噌がパンクして、嘘を付くだけのゆとりが無くなってしまったのかもしれない。ついに何一つ言い返せなくなってしまった。

 あるいは皆さんは、猿にも良心が残っていたことに安堵なさるかもしれない。しかしそれは、彼を知らないあまりに、一般論に類推しすぎたゆえの誤りである。彼のなかに良心などは存在しない。実際のところ、このウマザルは、スケールの小さい悪人だった。そうして龍也は、それをよく知っていた。つまりこの男は、自分を良く見せるためにも、他人を貶めるためにも、あらゆる嘘を平気で付きまくるのである。

 すでに彼のもとで仕事をする従業員たちは、ウマザルがいかに上司の悪口を、陰にまき散らしているか、嫌というほど聞かされていた。それも嫌いな相手を罵るだけではない。ただ自分をアピールしたいばかりに、社長だろうと会長だろうと、あらゆる上司を無能呼ばわりに罵るのである。それは例えば、

「あいつさえいなければ、俺はもっとうまく作業工程を見直せるのに」とか、

「上でべらべら言ってるだけで、ちっとも現場に降りてこない。いるだけ無駄だ」といった有様である。もちろん本部の人間に対しても、

「作業改善の奴らは無能揃いだな。俺が考えた方がよほどマシだ」

なんてことを平気で述べ立てるのだった。そのくせ、自分では計画ひとつ立てられないのである。

 さらに素晴らしいことに、彼は上司の前ではシッポを振った犬っころであった。米つきバッタが這いつくばるみたいに、急におべっかを使い出すのである。今どきマンガにも却下されそうな人物が、こんな身近に実在するということが、龍也にはどうしても理解できなかった。もちろん、卒業したての世間知らずじゃないから、この世に酷い連中が溢れているくらいの事は知っている。しかし、ここまで擁護すべき点の見いだせないような人間は始めてであった。存在そのものが罪悪というのは、こいつを指す言葉なのだろうか。だってこの男は、自分がいないときなどは、

「あいつも、まだやることが分かりきっていないから、この前も俺が指導してやったところだ」

なんてことを同僚に吹聴して回っているのである。もちろん自分に限ったことではない。猿に言わせれば、配属の従業員は、全員が彼のご指導のもとに、お勉強をさせられているイメージなのである。そして至るところで、指導している自分の姿を、出鱈目ひと筋にアピールするのである。

 何よりも腹立たしいのは、実際は作業行程のほとんどを、龍也をはじめ、従業員たちが負担してスケジュールを回していることであった。それでいて猿は、自分の無能がもとで引き起こされたあらゆる失敗を、部下のせいにしたり、ミスを隠すような工作を行って、運良くバレなければ、

「まんまと隠し通せた」

なんて台詞を、平気でほざいているのだった。

 本当にこんな人間が、現実世界に存在するだろうか。人間の着ぐるみをまとった猿が、うろちょろしているに過ぎないのではないか。身の丈はかえってひょろ長いくらいだが、現にいつも動物的な、挙動不審な動きをしているではないか。龍也にはどうしても理解しきれなかった。仲間と喧嘩をしている時のような、人間らしい怒りが湧いてこない。言葉の通じない動物にからかわれているような、虚しい怒りと、生理的な不快感から抜け出せなかった。だが、すべて言っておかなければ、よけい不快感が残るに決まっている。龍也は言葉を止めなかった。



 けれども、その暴言を詳細に記して、皆さんに不快感を与えることもないだろう。声の大きい龍也が弾丸のように糾弾し始めると、彼に敵うものなんか、まず存在しないのである。初めのうちはそれでも、

「お前らが俺の命令通り歯車のように働かなかったら」

なんていう暴言を繰り返していたが、

「歯車だと。ひとつ上の歯車がぶち壊れてたら、下の部品は身動きが取れねえんだよ」

と言い返されて、真っ赤な梅干しみたいになったり、真っ青な胡瓜みたいになったり、顔色を目まぐるしく変え始めた。やがて、それに合わせるみたいに、しどろもどろの様相を濃くしていったのである。そしてついには、

「そもそも、あんたがまともに計画を立てなかったから、今回の大失敗になったんだろうが」

と、龍也から数値の書かれていない書類を突きつけられたとき、猿は完全に息の根を止められた格好になった。しばらくポカンとして、真空に陥ったみたいに立ち尽くしているのである。脳味噌の回転が間に合わなくなったらしい。龍也はそう考えた。

 すると突然、ウマザルの態度が豹変した。この不始末を社長などに伝えられてはたまらない。従業員と怒鳴り合ったこと、それも自分から怒鳴り掛かったことなどが知られたら、自分の評価に傷がつくという恐怖が、頭のなかに閃いたからである。すると彼は、龍也がびっくりするくらいの勢いで、プシュッと音を立てたみたいに萎んでしまった。まるで風船に針を刺したような消沈ぶりである。龍也はしばらくの間、何が起こったか掴みきれなかった。ひとりの人間が、激しい怒りの状態から、こんな短期間のうちに、へらへら笑いのピエロになってしまうなんて、今まで経験したことが無かったからである。私にいわせれば、龍也はそれだからまだまだ青いのであるが、だからといって、このような経験を、人生のために得るべきだとは、執筆者の私としても、どうしても思えない。ようするにこれは、人生において、知らない方が幸せなたぐいの経験に過ぎなかった。

 目の前の管理者は、もはや別人のようだった。その瞳には、負け犬が見せる独特の愛嬌すら、醜く浮かんでいるのであった。それでいて瞳孔が穢れている。龍也はなんだか不気味だった。

「いや、それは必ずしも、日頃からの失態ではなく」

慌てて鞄から資料をあさり始めた。スケジュール表を取り出して、ここで何々の用事が入って、そのためにプランがまとめられなくなってと、まるで上司に説明するみたいに、ヘコヘコしながら言い訳を始めたのである。そのうえ、少し前に社員がひとり減ったから、仕事が回りきれなくなっていることを述べながら、

「それは君だって、よく分かっているじゃありませんか」

などと、急に丁寧語を使い出したので、龍也は思わずぞっとなった。これは比喩ではない。本当にトイレにでも駆け込んで、吐き出したいくらいの気分になったのである。

「お前なんか辞めちまえ」

と言われるだろうと待ち構えていたのが、あまりの拍子抜けで、しばらくは茫然としてたが、ウマザルはその間にも、計画書を次からは提出する約束をして、ほほ笑みを絶やさずに、その場を立ち去ったのであった。

 影で怯えるみたいにして聞いていた同僚の渋川(しぶかわ)が、すぐに寄ってきた。同僚といってもこいつは正社員。龍也は非正規である。

「河東さん、大丈夫だったの」

と不安そうに聞いてくる。河東(かわひがし)とは龍也の名字である。

「あんまり大丈夫じゃねえよ。ありゃいったい何のお祭りだ」

龍也がちょっとポカンとしているので、渋川も笑いだした。

「急にへらへらし始めたんで、ちょっとびっくりしたけど」

「大方、情緒に疾患でもあるんだろ」

「初めっから変だったよ。ファイルする企画書まで白紙では問題が起きますよって、丁寧に注意しただけなのに」

「マグマの乏しくなった活火山みたいなもんだな。挙動不審にいきなり破裂して、いきなり消沈しちまって」

呆れたように仕事を再開する。ただ、感情を揺すぶられた結果として、仕事は捗(はかど)らなかった。いつものように切れがない。それが龍也にとって余計不愉快であった。怒鳴り合いの様子が勝手に浮かんできては、作業の邪魔をする。なんであんなウマザルのために妨害されなければならないのかと、一日、イライラが消えなかった。



 ようやく仕事を終えてマンションに帰ると、川田恭斗(かわたきょうと)から電話が掛かってきた。明日のライブの最終確認である。ところが、「ああ」とか「おお」とか、龍也の口調にはキレがなかった。

「どうした。何かあったんじゃねえの」

恭斗はすぐに突っ込んできた。もちろん龍也は、

「何でもねえ」

などと、ぶっきらぼうに答えるのである。恭斗は笑いだした。

「何だよ、ライブ前に溜めとくと、本番ミスるぜ」

ともっともなことを言うので、

「いや、職場で嫌なことがあっただけだ」

と白状した。それでようやく恭斗は、彼が仕事を替えたがっていたことを思い出したのである。たしか無能の上司が就任して以来、ストレスが溜まるという話しだった。正社員でもないうえに、高給を得ている訳でもないのに、そんなに職場にこだわるのは馬鹿げている。

「だから、新しい仕事探せって、前から言ってんじゃんかよ」

と諭してみた。けれども龍也は煮え切らない。

「それはそうだが、急に辞めると職場が回らなくなるからな」

なんて職場の心配をしているのが、ちょっと滑稽である。

 河東龍也は、ロックバンド『无型(むけい)』《下注一》のボーカルであり、作詩と作曲を行うバンドの中心的存在であった。その歌詞には、

「仕事に埋没した歯車め」とか、

「黒蟻どもの行列が」なんて、

忠犬ぶりを罵る内容も多いのに、それでいて仕事の心配をしているのがちょっとおかしい。恭斗が思わず噴き出したので、龍也も気がついたのだろう、

「反骨精神と、仕事をこなすことは、別に対立概念じゃねえんだ」

といって笑いだした。自分でも少し滑稽だったに違いない。

 そもそも龍也は、自分の歌詞をあざ笑うくらい、職場では懸命に働いた。それもウマザルのように、認められたい一心からではない。ただ、遣ると決めた以上は、全力でないと気が済まないらしかった。たとえ金のためだろうと、自分から入社した以上は、決して怠けないのである。そのへんが、好きなこと以外、ばっさり切り捨てる、ギターの恭斗とはまるで違っている。恭斗だったら、決して揉め事なんか起こさない。それほどの情熱は沸かないし、嫌になったらすぐ辞めてしまう。その代わり、音楽においては龍也に劣らないくらい、妥協を許さない男でもあった。

「とにかく、本番前なんだから、気持ち切り替えろよ」

念のためにもう一度確認したが、龍也は、

「うん。そりゃ分かってる」

なんて唸ったままだ。まあいい。こいつは単純だから、今日はもう、事件のことしか考えられない。その代わり、明日(あす)になったら綺麗に忘れている。さっぱりしたものである。

「とにかく、時間だけは忘れんなよ。陽一(よういち)には連絡入れとくから」

とつけ加えて携帯を切った。リーダーは龍也のはずであるが、あの調子では連絡なんて忘れちまうに決まっている。まったく世話の焼ける奴だ。恭斗はそんなことを考えながら、佐々木陽一(ささきよういち)と記された携帯番号をディスプレイに映しだした。



 龍也の気分は帰ってこなかった。携帯を放りだして、ベットに仰向けになっている。恭斗の言うように、仕事など、いざとなったら辞めてしまえばいいのだ。などと考えてみてもさっぱりしない。気を紛らわせるために、明日(あす)の確認でもしようと思って、立てかけてあるアコースティックギターを握りしめた。もちろん、近隣に迷惑が掛からないように、ポロンポロンと奏でながら、呟くみたいに歌うのである。あるいは皆さんは、そんなのロックじゃないと、物語の進行に危惧を抱くかもしれない。それはごもっともな心配である。しかし龍也は、すでに二度もマンションを追い出されている。今のマンションでも管理人に呼び出されて以来、さすがに近所を気にするようになった。それに慣れたものであるから、今さら大声で歌わなくても、十分音は取れるのである。けれども……

 こんな小市民みたいな環境だから、この国の音楽は、みんな小さく纏(まと)まっちまうんじゃねえのか。龍也はそんな自虐めいたことが浮かんできて、余計に気落ちしてしまった。とにかく何か歌って気を紛らわせよう。

『おわりの風景』
おわりの風景が
俺には見えるんだ
感情を忘れちまった
人ごみのこの町で

おわりのサイレンが
俺には響くんだ
生き方を忘れちまった
犬どもが溢れだす

言葉が四方から
ちくちく刺してくる
大量生産の
錆びた釘ばかり

感情が細りやがった
符号で繋がって
記号に縋りつき
まち針みたいに叫んでた

言語は凍てついた
四択と四択で
繰り返される断片が
端末を駆け巡る

喜怒哀楽の
四方向しかない
不思議な動物が
扉から溢れだす

おわりの風景が
俺には見えるんだ
人間を忘れちまった
着ぐるみのこの町で

 最後まで歌いきってみたが、気分が冴えなかった。根が単純だから、前日のことは水に流せるが、事件のあった当日には、そのことしか考えられなくなってしまう。無理に鎮めようとすると、荒波のように押し返してくる。こうなってはもう駄目だ。龍也は諦めてシャワーを浴びることにした。服だけ脱ぎ捨てると、キーボードのうえにごちゃごちゃに取り込んだ洗濯物から、下着だけを引っ張り出して、それから玄関近くの洗濯機に、今着ているものをそのまま放り込んで、シャワーを熱めにして肌に打ちつけた。そのまま浴槽で髪も体も洗いながら、溜まったお湯に浸かるのである。

 しゃかしゃか遣っているうちはよかったが、ほっとして湯船に浸かった途端に、またウマザルの顔が浮かんできた。昼間の口論が甦って、不快感でゾッとなる。自分まで動物に貶められたような気がして、言い負かした喜びすら湧いてこなかった。龍也はとうとう観念した。こうなったら駄目だ。とことんまで考えるしか、道は残されていない。どうとでもしやがれだ。悟りにもなれないような諦めであった。



 ウマザルは、自分に対しては初めてであったが、日頃から配下の従業員たちに、理由もなく感情まかせに怒鳴りかかるという、二十一世紀の先進国とは思えない、旧石器時代の下等な管理者であった。龍也の務めるあの有名な大企業が、従業員の人権を蔑ろにするような人事を、平気で行っているという事実が、この国の企業体質の内面的な脆弱性を、暴露しているようにさえ思われた。奴の計画能力の欠落のせいで、前任者の代よりも何十万もの損害が、週別に時系列の数値となって表れていたからである。それでいて、これを改めようともしない。もう半年にもなるが、せいぜい、名目上の注意を与えるくらいのものである。掘り下げて原因を突き詰めれば、それが当事者の能力によるものか、外的要因によるものかくらい、簡単に調べられる筈なのに、そんなことは考えもしない様子である。そうやって集積したレポートをもとに、人事を行うべきであるという人材把握の方法が、まるで板に付いていない。

 そもそも、従業員に吠えかかる動物かくらい、最低限の上司チェックシステムさえあれば分かるはずである。そうやって得られた情報をストックして、明確な人事をすればいいものを、「コネ」やら「ゴマスリ」やら「ソロソロドウダネ」なんていう、時代錯誤の精神が、いまだ命脈を保っている有様だ。想像を絶する無能の中間管理職が、我が世の春を謳歌し続けている。

 もっとも、評価表の提出はある。自己筆記に基づく、上司がチェックするものである。ところが、これがまた空洞化している。前年比の記入欄もあって、ボーナスなどには影響を与えるのだが、当人と上司の阿吽(あうん)でどうにでもなっちまう上に、必ずしも人事の決め手になっていない。いや、少し正確に言うと、決め手になる場合もある。けれども、そうでない場合もある。つまりはダブルスタンダードみたいに、判断が明瞭でないところに、コネコネした人事がまかり通っている。名目だけ近代化したようなものである。それに、年功序列の意識がまるで抜けきっていない。旧態依然としている。若手が上司になることだってもちろん多いのだが、それにしたって、年齢が決め手となって、昇進がなされる例があまりにも多すぎる。また、運良く昇進すると、降格する規準が明瞭でないから、だらだら役職に留まって、管理職の何十パーセントかが、確実に腐臭を放っている。

 もっとも、これは龍也の感想である。日本企業をつぶさに調べたレポートでも何でもないのだから、誤解してもらっては困るのだが、彼は職場から行方不明になる上司にさえ、一度会ったことがあるくらいだった。朝と終業のとき以外、どこで何をしているか、誰も知らないのである。それでいて、正社員の肩書きだけで、さらに役職に付いただけで、たとえ仕事の内容が半分でも、龍也の二倍も三倍もの給料を貰っている。一方では、優秀も無能もお構いなしに、つまりは人を代替可能な部品みたいにして、派遣労働者の括りで首を斬ったり、非正規雇用者からリストラを求めたりする。人的資源の重要性が、まるで分かっていない。こんな事では、お国のために人間を爆弾なみに扱った、大戦時代と何も変わらないではないか。国家の構成要員を死地に赴かせて、国のためになるとは滅茶苦茶な論法だ。企業の生存を盾に人間を切り捨てる、今の体制とそっくりではないか。

 龍也は、むかし祖父から聞いた、無能盲信に任せて部下たちを死地に追いやる、中隊長だか何だかの話しを思い出すたびに、これを職場と重ね合わせて考えることがあった。もちろんこんな話し、陽一や恭斗にはしたことはない。どうせ笑われるに決まっている。

 それにしても、こんな事ばかり浮かんでくるなんて、今日はどうかしている。これもウマザルの祟りなのだろうか。どうやら俺は、自分の職場での姿を、自分で批判して歌っているだけらしい。歯車や黒蟻なんて言葉も、すべて、自分に吐きかけているに違いないんだ。だとしたら、かえって矛盾を極めている今の方が、魂を揺さぶるような歌が歌えるのかもしれない……

 なんだか自分に化かされたような結論だが、考え疲れたら気分が晴れたんで、龍也はたちまち機嫌を回復して、風呂から上がってビールを飲むと、明日(あした)を夢みて寝ちまった。なかなかに単純な男である。龍也が寝ちまったんで、私も記すことが無くなった。酒でも飲んで寝ちまうことにしよう。話しはさっそく、翌日のライブ会場だ。

朗読2 [ライブ当日]

 路地裏の下った階段に看板があって、夕暮れのネオンランプでいざなっている。小さなライブ会場は、しかし満員とまではいかなかった。十年前には新鮮だったファンの顔は、どことなく龍也たちの年齢に合わせて、更けゆくようにも思われた。もっとも昔みたいに、駅前や公園でゲリラライブをしないので、若いファンが増えないのだろう。それどころか、肝心のライブ自体が、以前ほど頻繁では無くなっている。龍也などは、スケジュールの兼ね合いのせいだと考えているらしいが、ドラムの佐々木陽一(ささきよういち)に言わせれば、絶対に売れてみせるという気概が、斜陽を迎えつつあるようにしか思えなかった。可能性を求めて、陽一がネットへの配信を提案したときだって、龍也も恭斗も感心を示さなかった。どうせ、そんなのはロックではないと言うんだろう。しかし売れなかったら、音楽だって続けようがないではないか。陽一は、ずっとそんなことを悩んでいたのだった。だが、もういい。陽一はリズムを早くする。ライブもようやく折り返しだ。もうこれで、すべてを終わりにするんだ。

 陽一は会場を見渡した。かつては満員にひしめいていた観客が、今では、人の幅にもゆとりを見せ始めている。萌えいずる若草のシーズンを過ぎ去っちまった。だが、それもしかたがない。三人とも、とっくに三十路(みそじ)を回ってしまった。五人あったメンバーだって、ひとり減り、ふたり減り、今ではギターとドラムとボーカルと、ギリギリの人数で活動を行っているのである。そんなことを考えていたら、陽一は自分のドラムまでキレが悪くなってくるようで、慌てて頭を振った。それにしても恭斗のギターは今日も冴え渡っている。陽一は、奴の駆け上がるパッセージに心を研ぎすませた。

 恭斗の指が超絶技巧にネックの幅を上下するとき、陽一はリードギターにリズムを食われた。駆け抜ける漆黒の隼。魂を込められた悪魔どもが右手のピックから叫びをあげる。溺れかけの快感。恭斗のギターのノリは多分に呪術的だ。火打石で星を作る黒魔術のような感覚である。自分では「暗黒の煌びやか」という謎の形容詞を好んで使っている。恭斗は今、その暗黒の呪術をアンプに奏でながら、龍也のボーカルを呼び込もうとしている。つかの間に瞳を合わせると、奴の歌声がパッセージに溶け込んでくる。その瞬間、恭斗はゾクッとした戦慄を覚えるのであった。

 客が減ろうと、三十路を回ろうと、龍也の歌声は死んだりはしない。それどころか、ますます冴え返るらしかった。漆黒のギターを打ち破る稲妻の煌めきだ。恭斗はまた妙な感慨を抱いている。つまり彼は、龍也の音楽に惚れ込んでいるのだった。そうでなければ、恭斗ほどのテクニックを持ったギタリストが、どうしてこんなマイナーなバンドに燻っていようか。

 それに客は冷たくはなかった。今でも熱い声援を送ってくれる。歌が替わると、龍也は今度はベースギターを奏でながら、いきなり高音を張り上げた。昔はボーカルに専念していたんだが、なかなかどうして悪くない。多才な奴である。しかし、仕事が忙しいからといって、今日は恋人の咲菜恵(さなえ)は来ていなかった。彼女は正社員だったが、それほど大きい企業ではなかったんで、よくサービス残業をさせられている。それで抜け出すことが出来なかったのだろう。構うもんか。龍也は音楽へと埋没した。

 俺だって若い頃は、ライブが終わるたびに、女が抱きたくてたまらなかった。ファンと戯れて、打ち上げに向かって、そのままホテルになだれ込んだこともあった。興奮した情熱が、動物的な凶暴性を駆りたてて、理性を食い潰すような快楽に、酔いしれていたこともあった。いつからだろう、まるで咲菜恵ひと筋みたいな、堅気な男になっちまったのは……

 ライブは終わりに近づいた。昔のように、絶叫のままに失神するようなファンはほとんどいない。すこし落ち着いた様子で、それでも熱狂的な歓声で答えてくれる。誰かに支持されるってのは嬉しいものである。最後にアンコールに答えたとき、龍也は学生時代に作った、一曲のバラードを歌うことにした。陽一のスネアが、恭斗のギターをイントロに追い掛ける。龍也が遅れてマイクを握りしめる。スローテンポで始まるこの変則的な歌は、彼がほとんど最初に作った曲と言っても構わない、懐かしい曲であった。

『僕らの生涯』
いつか下らない毎日が終わりを告げ
思い描いた希望を掲げ
まるで別の生活がきっと
始まるのだろうと思っていた

同じ制服でひしめいて
くだらない授業にしがみつき
休み時間のだらけた会話は
テレビも音楽も誰もが知ってる
題名と歌手が違うだけの
土筆(つくし)ならびの歌ばかり
人とは違うと粋がった
制服の裾を変えただけなのに
自己主張だと粋がった

蟻の養成所に入れられて
社会人という名の空っぽの
企業の豚に育てられ
心の中にはエゴだけが
虐げられた反動で膨らんだ

空っぽのエゴで必死に叫ぶ
いつか下らない毎日が終わり
見たこともない希望がきっと
新しい生活を導いてくれる

同じように飼育させられて
自らを生かせる特徴さえも
まるっきり食い潰されて
画一化された卒業生が
たとえどんなに粋がっても
開く扉は一つしかない
最後には面接に足を運ぶんだ

希望はみんな朽ち果てて
希望はみんな朽ち果てて
同じ姿の制服で
学生時代と変わらぬ制服で
電車に乗り込む蟻どもよ
学生時代と変わらぬ生活
テレビやネットのたれ流し
漫画を読んで笑っていやがる

誰もが知ってる番組と
誰もが知ってるその歌手と
お前はいったい誰なのさ
お前のなかには何もない
エゴの中には何もない
鏡を覗けば黒蟻が
隣の真似して映っている
下卑た笑いを見るだろう

 この曲を作ったとき、龍也はまだ高校二年生であった。すでに中学生の頃、バンドのテレビ番組を見て以来、彼は音楽にのめり込んだ。初めの頃は、日本のバンドの歌詞を真似てみたり、英語を翻訳したりして、歌詞を書いていた。それからギターを買ってきて、両親から白い眼で見られながら、下手なバンドを結成してみせた。初めてのバンドの名前は、『武蔵(むさし)』と命名した。これは剣豪に掛けたというよりも、レイテ沖海戦に沈んだ戦艦に掛けたものである。その頃はまだ、

怒りは誰のためにある それは俺の祈りだった
いつか誰もがひざまずく 夢だけを友に生きたのさ

そうだろう、ひかりのなかで
生まれ立つ、季節には
まだ知らぬ、憎しみを
いまはこんなに、胸に秘め

 なんて、歌いやすい歌詞を書いていたのである。中学を卒業するまでには、このような歌詞がノート一冊分は溜まっていた。ところが高校に入ったとき、親戚の大学生から借りたCDが、龍也の音楽を一変させた。それは、ハロウィンの『Keeper Of The Seven Keys Part 2』《下注二》というCDだった。何気なく再生したヘッドフォン越しに、導入がボーカルに道を譲るころ、龍也はメタリックのイーグルの飛翔に頭を打ちのめされた。しばらくは震えが止まらなかった。自分のこれまで接してきた音楽は、いったいなんだったのだ。ロックって奴はこんなものだったのか。俺のはまるで、子供だましもいいところだ。魂のすべてが飛翔する姿が見える。衝撃のなかで彼は、始めてロックを悟ったのである。

 それ以来このCDは、ずっと彼のバイブルだった。その、社会に反旗をひるがえす歌詞の力強さに、小っちゃな自分のハートと戯れている、愚鈍な音楽どもとはまるで違う、気高き精神を見い出したからであった。つまり彼は、ようやくハードロックの世界に足を踏み込んだのである。もちろんその頃はまだ、後のメンバーなんかひとりも知らなかった。

 CDの中でも、タイトルを冠した『Keeper Of The Seven Keys』がすごかった。この十三分を越える曲は、龍也の将来を規定したと言っても構わない。彼はその歌に導かれるように、サビだのAだのBなどという、馬鹿げた楽曲バランスから自由になっていった。ときにはまるで初期バロックのカンタータのような、取り留めもない方法をすら模索し始めたのである。もちろん彼自身は、そんなことには気づかなかった。己のままに進んできただけである。しかしそれ以来、難解と思われるようなメロディー構成さえも、あえて厭わなかった。

 だからといって、すべてがそんな曲ばかりではない。かえって民謡なみの単一旋律で歌いきる、質素の極みみたいな楽曲だってあるくらいだ。けれどもこの『僕らの生涯』は、彼の音楽のきっかけを生みだした、記念すべき作品だったのである。だから幾分アマチュア臭さが抜けないものの、彼にはお気に入りの一曲だった。

 歌が終わると、拍手がまたひとしきり高まった。歓声が沸き起こるが、悲鳴にまでは至らない。熱狂の中にもゆとりがある。龍也は両手を振り上げながら、歳月が流れたような気分が、ライブを終えた喜びのなかに、僅かに兆すのを感じた。だが、それは仕方のないことだ。クロノス《下注三》の管轄するという時計の針だけは、誰にだって止めることなんか出来やしないのである。アンコールを終えた三人は、

「サンキュー」

と大きく叫ぶと、ようやく舞台から立ち去った。拍手はしばらく鳴り止まなかった。



 片付けを終えて、ライブハウスに挨拶をすると、ようやく打ち上げである。もっとも近頃はファンとは飲み歩かない。もっぱら身内同士である。咲菜恵と、それから陽一の彼女が居るときは、五人になることも多かった。しかし六人にはならない。恭斗は最近、女への興味を無くしてしまったらしい。けれども今日は、三人だけで飲みたいような気持ちが、それぞれにするらしかった。

 乾杯の合図だけは、あの頃と変わらない。ビールを片手に、龍也が音頭を取って、お疲れの挨拶をするのである。二十代の頃は、店を貸し切って飲み潰したこともあった。サーバーの清掃前でビールの味が落ちていた時などは、

「この野郎、発泡酒を出しやがって」

と濡れ衣のままに暴れたこともある《下注四》。調子に乗って全員で歌いまくって、店を摘み出されたこともある。その時は腹が立ったから、閉店の看板を、店の前に引っ張り出してやった。思えば下らない悪戯である。あの頃はずいぶん若かった。今はなんだか丸くなっちまった。五人のメンバーも三人に減って、ファンと飲み明かすこともなくなった。次第にロックが黄昏れていくような悲しみが、つかの間、龍也のこころを寂しがらせた。

「今日は最高だったぜ」

ジョッキを掲げながら、わざと大声で奮い立たせる。ドラムの佐々木陽一が、冴えない顔をしているのに気がついたからである。

「なあ、陽一」

と繰り返すと、佐々木は、いつもみたいには乗ってこなかった。

「もちろん」

とだけ言って、乾杯とばかりにジョッキを飲み干してしまう。ヤケを起こしたような飲み方だった。

「おいおい、どうしたんだ」

龍也は活気づける。けれども恭斗が、

「陽一には話しがあるんじゃねえのか。聞いてやろうよ」

と言うので、ハッとなった。前から心配していたことが、ようやく現実になるような侘びしさで、こころの中がヒヤリとした。なんだ。あの話しか。せめてもうしばらくは、待って欲しいと思う。

「まあ、後で話すよ」

陽一もすぐには話さずに、ウェイターを見つけて、

「中生もう一杯」

なんて自らを活気づけている。それでしばらくは、暗黙の了解で、話しを移しながら、刺身の盛り合わせだの、鳥唐(とりから)のちょいっとレモンだのを突っついたりしていた。

「そういえば龍也。職場で何かあったんじゃねえの」

恭斗が不意に聞き出した。陽一は何も知らないものだから、

「職場って、なにかあったの」

「それがさ。昨日電話したら、不機嫌モードになっててさ」

「職場では暴れないのが龍也のモットーじゃなかったっけ」

陽一が笑うと、

「俺は暴れてねえ」

龍也は不味そうに酒を飲み干した。

「ちょっと、ビールひとつ」

とウェイトレスに叫んでから、

「あれは俺が被害者だ」

と昨日の経緯を説明した。陽一と恭斗はちょっとおかしかった。いきなり怒鳴られたところまでは、確かに被害者らしかったが、その後の話しを繋ぎ合わせると、龍也が加害者のようにも思えたからである。二人がにやにやしているのを見て、

「違う。お前らはあいつの日常を知らないから。口げんかで俺が言い負かしたくらいに考えてやがるんだ。とんだ誤解だ」

「そりゃいいけどさ。企画書なんて空っぽだって、お前が注意されることなんかないんだろ。放っておけばいいじゃんか」

恭斗の言うことはもっともである。

「駄目だよ。龍也は事なかれ主義は嫌いなんだから」

陽一が擁護するとおり、龍也にはそんな器用な真似は出来ないのだった。

「仕事も全力。ロックも全力」

到着したビールを飲みながら、奇妙な格言を述べている。恭斗は笑いだした。

「そんなんじゃ駄目さ。仕事はなあなあ、ギターは全力」

「そうだよ、懸命に働いたって、相応の賃金を得られる見込みなんて無いんだから」

陽一が痛いところを突くんで、龍也は思わず頷いた。

「懸命にやっても。仕事が増えるばかりで、得られるものがないのは事実だ」

「おいおい、自分でそれを言うか」

けれども龍也は笑わなかった。

「俺の場合は、全力主義なんだから仕方がない。だが社会体制としては、どう考えたっておかしな話しだ」

すると恭斗が思い出したように、

「そうだ、親父が昇進試験の話しなんかしてたっけ」

「あれ、恭斗の親父って、どっかの金融系だったよね」

陽一が枝豆の殻を投げ入れる。

「その親父がぼやいてたのさ。なんでも、上に立つような人材には、丁寧に顧客に対応するような良心が求められるのに、手っ取り早く売りさばいたり、昇進試験の勉強ばかり熱心で、先輩から傾向と対策を聞き出したり、そんな売込隊(うりこみたい)ばっかりが成績を収めて、昇進を重ねていっちまう。するとそんな上司が溢れかえって、顧客への対応なんかより、とにかく成績あげろっていうような体質に、企業倫理が塗り替えられちまうっていうのさ」

「でも、経営は順調なんだろう」

「それが、もはや名前だけだって言うんだからよ。俺を頼ったって無駄だとか言って」

「だが、お前の親父はギターを認めてくれるから羨ましいぜ」

むかしバンドで親父と喧嘩をしたこともある龍也が呟いた。

「それどころか、俺のこと羨ましがってさ。自由の羽根が欲しいなんて言うんだ」

「それじゃあ、ギターでも教えてやったら」

「まさか无型の新メンバーって訳じゃねえだろうな」

と龍也が笑いだした。しかし、そのうち陽一がメニューを見ながら、

「何だろう。この歳末ジャンボコロッケって」

龍也も向こうから覗き込むと、

「当たりが出たらもう一個じゃねえのか」

「頼んでみれば分かんじゃねえの」

恭斗がウェイターを呼んで、コロッケとシークヮーサワーを頼んだ。もともとシークヮーサーサワーだったものが、恭斗のなかで勝手に短縮化された名称である。ようするに彼はこれが好きなのであった。

 酒を飲みながらしばらく待つと、なるほど、赤字覚悟の巨大サイズのコロッケがやってきた。もっともコロッケなんて原価が安いから、これでも利益は出るのかも知れないが、三人で取り分けて、ジャストなくらいの大きさである。それでいて、値段はいつもと変わらなかった。

「年末に向けて、歳末ジャンボ招き猫って曲でも書いてみるか」

龍也が訳の分からない冗談をいう。

「駄目だよ、龍也がコミック作ると、生真面目になっちゃうんだから」

「だから、曲はお前らが作るんだ」

「じゃあ陽一、よろしく」

恭斗は陽一に役目を渡してしまった。

「ちょっと待てよ、いつからコミックバンドになったんだよ」

「そういやあ、前に作ったコミック。題名なんだっけか」

恭斗はしばらく考えていたが、まるで思い出せなかった。

「ああ、夕立なのに傘もささずに、じゃなかったっけ」

そう言った陽一も、歌詞の内容までは思い出せない。龍也のほうを見つめると、彼は笑いながら歌い始めた。

夕立なのに傘もささずに とぼと疲れた権吉(ごんきち)の
ひも付き歩けば犬っころ 憐れなしもべと引っ張られ
カエルに驚きひと声吠えて ご主人様の足のかげ
ああ哀愁の雨宿り そろそろ晩飯食いたいワン

「やっぱ面白いじゃねえか。どうして失敗だったんだ」

龍也は納得いかない。ライブでこの曲をやったときも、誰も笑ってくれなかったのである。すっかり静まり返った空気が、ちょっと恐ろしいくらいだった。もう五、六年前のことである。その代わり、拍手は絶えなかった。ようするに龍也の冗談は、観客には通じなかったらしい。

「そりゃお前、旋律が全然コミックになってないからさ」

恭斗が笑いだした。

「いいや、この生真面目のフレージングと、冗談めいた歌詞が、独特の面白さをだな」

「だいたい権吉ってなんなのさ」

「権吉は犬だ」

と龍也が言い放つので、大笑いになった。最後に陽一が、

「音楽に引っ張られて歌詞を楽しんでるゆとりが無くなったんだと思うよ」

と、一番客観的なことを教えてくれた。

「そうか。じゃあやっぱり二人が作れ。俺はもうコミックはこりごりだ」

と龍也は嫌そうな顔をしてみせる。

 しばらくはこんな調子だったが、やがて話しが回帰することは、三人には分かっていた。それは龍也が、三杯目のジョッキにも飽きて、ちょっと気取ってメルローのデカンタを、焼酎の前に頼んだ時のことであった。

朗読3 [ライブ当日、その二]

 メルローには作りかけの土の味がする。樹木をあきらめて大地に返ろうとするような、湿った枯れ葉の味が。それがメルローをこよなく愛する、龍也の持論だった。だから彼はカベルネは飲まない。赤ワインは常にメルローである。もっとも、ワインなんて滅多に飲んだりしないんだが、赤はメルロー、白はシャルドネ、勝手にそう決めているらしかった。なんでも十年物くらいの絶妙な味わいを、二、三千円くらいのメルローに見いだしたのがきっかけだった。つまりは、高級ワインなんて飲んだことがないのであるが、一番好きなのは、もちろん焼酎であった。

 どんな国の酒だって、あれほど繊細な味は出せない。ウィスキー、ブランデー、ラム、冗談じゃない。焼酎こそ本当のロックさ。これもまた龍也の持論だった。横文字がついていればそれで満足だなんて、そんな隷属的な明治の俗物根性は、昨今の歌手たちの名称にまで、里帰りを果たしているらしいのを、彼は大いに軽蔑していた。そんなに奴らに憬れるなら、日本語を捨てて戸籍を移しちまえ。そうして二度と帰ってくんな。そう考えるのがロックじゃないのか。フォームだけを受け取って我が国に咀嚼(そしゃく)し直したロックじゃないのか。ミーハーを極めて西欧に憬れる、従属主義なんかは絶対に許さない。それが龍也のポリシーだったのである。それでいてメルローを飲んでいるのは、作者から見たらかなり辻褄が合っていないのだが……それにロックだって、憬れているのは海外のバンドばかりである。まあ、ポリシーなんて誰しも手前勝手なものであるから、そう非難するには及ばない。龍也に聞いてみたら、いろいろと言い分はあるんだろう。それにしても……

 それにしても、メルローを転がしながら龍也は考える。ちょっと腕時計を眺めたときに、自分の作った曲を、不意に思い出したからである。時計の針が、規則正しい秒針を打ちつけている。そうさ、こんな風にして、時だけはぐんぐん流れていっちまうんだ。俺たちがどんなに粋がっても、それを相手ともせず殺伐として、時の神クロノスの秒針だけは、決して刻みを止(や)めることなんかないんだ。あるいはそれは、鍛冶の神ヘーパイストスによって鍛えられた、絶対鉱物の歯車で組み合わされた、天空時計なのかもしれない。そうして俺たちは、誰もがその装置の下で、もがき苦しんでいるに過ぎないのかもしれない。殴り合いさえ厭わなかった十代の情熱が、女にまで拡張してきた二十代を過ごして、今はもう現実社会の殺風景に、半ば押し流されようとしているのを、三人はそれぞれに感じ取っていた。かつての反旗に生きる喜びが、少しずつ遠ざかり始めているような気がする。こころに隙間風が吹くのはなぜだろう。龍也はウェイターを掴まえて、鍋にでもしようと言い出した。陽一も恭斗も、すぐ賛成した。

「実は話しがあるんだ」

鍋の残りも少なくなってきた頃、陽一がふたたび口を開いた。思い切るようなその口調を聞いたとき、龍也は知り合った当時を思い出した。

 陽一は慣れないうちは、口の重い男だった。服装も地味で、ドラムなんかやっているのが似合わないくらい、傍目(はため)には冴えなかった。そんな奴と、始めて顔を合わせたのは、大学に入ってからのことである。すでに学内でも有名人だった龍也が、ドラムの募集を掛けたところ、数人の候補者のなかに、佐々木陽一の名前があった。もちろん龍也は、初め、くだらない名前だという感想を持った。都内だけで何十人も居そうではないか。せめて自分と張り合うくらいの名前が欲しい、そんなことを考えていた。もちろん音楽とは関係のない話しである。けれどもドラムの演奏を聴いてみると、その腕前は、名前ほどにありふれたものではなかった。紛れもなくロックであった。

 求めていたものを見いだした龍也は、演奏を聴いた翌日には、もう彼をメンバーにすることを決めてしまっていた。その後、別のバンドをやっていた川田恭斗が、龍也を慕って参加を希望した。他にベースが一人。キーボードが一人。『无型(むけい)』というロックバンドが立ち上げられたのは、その時のことである。

 この『无型』とは、ようするに「無型」の意味である。一九二〇年代の工芸運動のひとつの潮流だったらしい。学校の授業で横流しに聞いた龍也は、彼らの芸術のコンセプトよりも、「型の無い」という言葉本来の意味に引かれ、これをバンド名に掲げることを宣言したのであった。だから、母体はいわば学生ロックバンドである。あれからもう十年以上。けれども、陽一のドラムの切れは、決して衰えてなどいなかった。

「前にも冗談半分に、ちょっと話したことがあったけど」

間違いない。それは、実家に戻って親の跡を継ぎたいという話しである。

「俺たち、ずいぶん長い間、突っ走って来たじゃないか」

龍也はちょっと不愉快だ。

「もう諦めるつもりか。ふざけるな」

二十代の龍也だったら、そう怒鳴ったかも知れない。けれども今は、どこかで仕方がないという思いが、かすかに芽生えている。メルローを転がしながらも、気分が煮え切らなかった。

「けれども、永遠(えいえん)なんて存在しないんだ。いつかは終わりにしなくっちゃならないんだ」

 陽一は、三人のうちでは、もっとも大人しい性質(たち)であった。そうして実家からは、家の跡を継ぐように、盛んに勧められているのであった。もちろん彼だって若い頃は、

「俺はロックに生きるんだ」

と息巻いていたこともある。しかし最近では、もともとあった日和見主義が、穏やかな方向へ舵を切りそうなのを、龍也も恭斗もそれとなく感じていたのであった。

「実は、実家に帰ろうかと思ってるんだ」

彼がそう口に出したとき、だから、おおよそは察しは付いていたのである。

「そうか」

龍也はメルローを飲み干した。ちぇっ。味気ない。朽ちかけた枯葉の味がしやがる。不味いだけじゃねえか。けれどももう、二十代みたいに、いきなり怒鳴り掛かる勇気は起こらなかった。こころのどこかで、仕方がないと、誰かが囁(ささや)いていやがる。クロノスの秒針には勝てない。そんなひと言が、また龍也の頭をよぎっては消えた。

「なんだと。せっかくここまで頑張って来たんじゃねえかよ」

恭斗が真っ赤な顔をして睨み付けた。

「頑張って来た。頑張って来たからこそ言えるんだ」

陽一は、ちょっと口ごもっている風だったが、すぐに思い直して、

「俺たち、もう十年以上もやってきた。それもいい加減な活動を続けてきた訳じゃない。安定した職を得て、賃金を稼ぐ時間を捨てながらやってきたんだ」

「時間を捨ててだと。お前、そんな生き方が嫌だから、ロック一筋に生きてきたんじゃねえのかよ」

恭斗は、ほとんど立ち上がりそうになった。

「それは、そうだけど」

「あの女か」

 すでに焼酎を頼んでいた龍也が、キムチを突きながら陽一に尋ねた。だいたい察しは付いている。こいつはもともと、安定志向の強い男なんだ。その上、近ごろ女にのめり込んでいる。それも遊び戯れるような、若気のいたりののめり込み方じゃない。ごく普通のサラリーマンが、同僚を好きになって結婚するような、極めてありきたりの恋愛である。いつしか日だまり主義がロックを消し去ることを、龍也はすでに予感していたのであった。それにこいつは、継ぐべき家業を持っている。俺や恭斗とは違うんだ。

「実は、実家に戻って、あいつと結婚しようと思うんだ」

「音楽の夢は捨てんのかよ」

 恭斗は短気な方である。酔って喧嘩をしていた頃は、話しが訣別する前に、ひとりで殴り合いを始めるような男だった。龍也も激しやすい性格である。けれども龍也の方には間がある。本気で暴れると手が付けられなくなる代わりに、すぐには飛び出さない。そこが恭斗とは違っている。その代わり、いざとなったら恭斗のほうが融通は利く。彼は純粋に短気なだけであった。龍也の場合は、いったん怒り出したら、雌雄を決するしか道が無くなってしまう。ようするに、ひたむきすぎるのである。

 恭斗が飛び掛かってきそうだったが、陽一は話しを止めなかった。すべてを伝えるのが、仲間としての使命だと考えたからである。

「もう十年以上やってきたんだ。音楽で上を目指せるなら、とっくに結果は出ているはずだ。ここまで来たら、もう先は見えている。今さら売れっこないよ」

「ふざけるな」

恭斗が立ち上がった。自分たちの音楽まで一緒に否定されてたまるか。ところが、

「いや、聞かせて貰おうぜ」

と言って龍也が宥めたんで、彼は怒りをへし折れるような格好になってしまった。なんだ。つまらねえや。安っぽい学園ドラマじゃあるまいし。こんな打ち上げをするために、ギターを走らせたんじゃねえ。しかし恭斗もまた、陽一が去り行くことを、どこかで諦めるような気持ちがあったから、まるで力が抜けたみたいに、椅子へと座り込んだのであった。陽一はようやく話しを続けた。

「それは、高みを目ざしては来たけれど、最近思うんだ。俺たちの音楽は、もうマンネリ化しているんじゃないのか。少なくとも俺のドラムは、これ以上発展しない。最近、ようやく分かったんだ。それに、俺たちの音楽が数年前から進化しているなんて思えない。同じところをさ迷っているだけなんだ」

「それで何が悪い」

恭斗がまた食ってかかる。

「俺たちの音楽はそろそろ限界だよ。これ以上続けたって、何も変わりはしないんだ」

「違う、无型の音楽は、すでに完成されきっている。その辺のイカサマバンドの音楽なんか、遙かに凌いでいるんだ。風向きさえ変われば」

恭斗はいきりたった。自分たちの音楽に、絶対的な自信があったからである。いや、あるいはドラムだけは例外だったかもしれない。少なくとも、自分のギターと龍也の歌にだけは、彼は絶対的な信頼を寄せていたのであった。

「風向きなんか、永遠に変わらないんじゃないか。小さなライブハウスにすら、新しい客を呼び込めないで、よくそんなことが言えるな。もう時流に乗り遅れているんだ。だから見向きもされないんだ」

陽一は、長年思っていたことをぶちまけた。彼には、小市民的なところがある。自分たちの音楽が認められないのを、バンドの音楽性の問題かと、自問自答することが多かったのである。あるいは彼は、私たちにもっとも身近な存在であるのかもしれない。龍也のようにポリシーを掲げて突き進むような生き方は、誰もが憧れはしながらも、決して近づけないような、茨(いばら)の道を代表していた。また恭斗のように、自分の才能への揺るぎない信念を保つこともまた、ほとんどの人には叶わぬ生き方であろう。しかし、そんな誇りを掲げた連中から見れば、陽一の言葉は明らかに背信行為であった。恭斗は真っ赤になって、

「だいたい、お前のドラムがいつも足を引っ張るんじゃねえか」

と叫び返した。これは必ずしも間違いではない。陽一のドラムが下手なわけではないが、他の二人に才能があり過ぎたからである。だからといって、今の陽一にそれを肯定することなど出来る訳がなかった。

「それじゃあ、お前のギターはそんなに優れているのか」

と言い返した。

「当たり前だ、お前のドラムなんかより何倍も優れてる」

「そんなの、ひとりよがりだ」

 二人は勝手に盛り上がっていやがる。龍也はだんだん腹が立ってきた。どうしてもメンバーを離れるというなら仕方がない。笑って送り出してもやろう。だが、俺たちの遣ってきた音楽まで、どうして否定されなくっちゃならないのだ。そんなのは許せない。三人でやってきたからこそ、絶対に許せなかったのである。けれども今、恭斗と陽一とは、先に殴り合いを始めそうな気配である、自分が仲裁に入らなければならないのか。そう思うとなおさら忌々しかった。それでも立ち上がった龍也は、

「お前ら、いい加減にしろ」

とふたりを宥めようとした。しかし、導火線に掛けられた火は、もう止められなかったのである。顔を真っ赤にした陽一が、

「龍也の音楽だってそうだ。バンドを結成したとき以来、なんにも新しいことなんかないじゃないか。あの頃の瑞々しいメロディーが、今は朽ち果てていく一方じゃないか」

と思わず口にしてしまったからである。川田恭斗は思わずはっとなった。今にも飛び出しそうだった怒りが、全部まとめて引っ込んじまった。喧嘩において手の施しようもないのは、本当は短気な自分ではない。いっけん落ち着いている龍也であることを知っていたからである。

 慌てて声を掛けようとしたが間に合わなかった。いきなり、

「なんだとこの野郎」

という怒鳴り声が響いたかと思ったら、店じゅうの飲み客がシンと静まり返るなかに、龍也が反対側に座った陽一めがけて、居酒屋のテーブルをひっくり返したからである。コンロの火はすでに消されていたとはいえ、とんでもない無茶ぶりである。焼酎もキムチも鍋も一緒になって、陽一の方へ転がった。グラスの割れる音が響き渡った。簡易ボンベが床を転がっていった。向こう側の若いOL二人が悲鳴をあげて、入口に向かって走り出した。店の中は、ちょっとしたパニックになったのであった。

 けれども陽一は、すでにうしろへ飛び退いていた。何年、一緒に付き合っていると思ってるんだ。お前の行動などすべてお見通しだ。龍也が投げつけてきた椅子をさっと交わすと、陽一のうしろの空になったテーブルが、酒やつまみごと、凄まじい音を立てて崩壊した。ついに二人は殴り合いを始めて、狭い店のなかは、彼らの動きに合わせて、あちらこちらにテーブルを破壊させていったのであった。

 客たちはめいめいに店から逃れ出た。入口のレジのあたりで、店長が真っ青な顔をして、「警察だ、警察に電話を」と叫んでいる。これを聞いた恭斗は慌てて押しとどめた。それから二人を止めに戻りながら、

「いい加減にしろ。警察だ。警察が来るぞ」

と叫びながら、その間に割り込んだ。なんだか情けないくらいの役回りである。ようやく二人が別れたとき、二人の顔は真っ赤に腫れ上がっていた。



 あるいは皆さんは奇妙に思うかも知れない。職場では多少の分別を弁えていたらしい龍也が、こんな暴力に訴えることを。けれども彼らは、法律や社会倫理に乗っ取って行動している訳ではなかった。むしろそんなものは毛嫌いさえしていた。要するに彼らは、それぞれにまだ子供なのである。龍也が職場でのルールに従おうとするのは、社会がそれを定めるからというよりは、龍也がそうすべきであると信じ込んでいるからにすぎなかった。そして同じ要領で、彼らは知人同士のいざこざは、最後には素手で決着を付けなければならないという、そんなポリシーを心に掲げて、それぞれに行動していたのである。もちろん酒が入ってしまえば、一般市民のことなんて考えないのは、これまた仕方のないことであった。もともとポリシーなんて矛盾に満ちたものであるから、とやかく理屈を言っても始まらない。ただ、もし、己を律するための内なる法律をすら失ってしまったら、人間は単一行動の既製品に成り下がってしまうに違いない。なんて考えるのは、あるいは私も少し、龍也に毒されたせいなのだろうか。

 ようやく殴り合いは終わったが、恭斗は不本意でならなかった。弾丸役のはずの自分が、なんで亭主に頭を下げて、賠償の交渉などしなければならないのだろう。本当にうんざりだ。まだカッカしている二人を別々に帰して、それから何度も頭を下げて、いち早く逃しておいたギターをぶら下げて、彼はようやく居酒屋を後にしたのである。

 ライブだって黒字にならないのに、笑い事では済まないような賠償額である。けれども顔馴染みのよしみで、警察沙汰にだけはならないようにして貰った。その代わり、立ち入り禁止の処分となってしまった。もう嫌だ。とても付き合いきれない。恭斗のなかで、前からぼんやりとしていたものが、不意にかたちを持ち始めた。

 龍也の才能に惚れ込んで長居しすぎたんだ。確かにあいつの音楽には、信じられないような煌めきがある。けれども、もううんざりだ。今が潮時だ。ドラムが抜けたんだから、これで解散だ。自分のギターの腕前なら、十分に食っていけるんだ。俺も降りる。『无型』なんかにのめり込んで、悪い目を見すぎた。『无型』なんて洒落て見たって、しょせん「型無し」の意味じゃないか。冗談にもなってやしない。これがいい機会じゃないか。思えば自分だって、ずっと悩んでいたのだ。陽一の話に盾突いたりして、俺は馬鹿だった。俺だって本当は、あいつと似たようなもんなんだ。今後の方針について、ずっと悩んでいたのだ。そうだ、あの話しに乗ってみよう。龍也には悪いが、これ以上、沈みかかった舟になんか乗っていられるか。

 もともと、複数のメジャーバンドから誘いが来るくらい、恭斗の音楽センスはずば抜けていた。今でも幾つかの話しが、恭斗の周りには燻っていたのである。ところが当の恭斗は、なかなか『无型』から離れようとしない。結構な賃金の話しだって、ちらほらとあったのに……そんな話しを早くから受けていたら、俺は今ごろ、かなりの地位と名誉を得ていたのかもしれない。それを、龍也なんかにのめり込んだのが運の尽きだった。だが……確かに、あいつの音楽には、契約者だけにしか与えられない、悪魔じみたパッションが宿るのだ。すべてを焼き焦がす情熱が、たましいを奪い去る高揚感が、そして真実を写し取る水晶の玉を、奴だけが掲げることを許されたのだ。それはもはや、神々の啓示に違いない。陽一なんかに分かるものか。隆一の音楽が、衰えることなんかあり得ない。そして俺は、それを見届けたかった。奴の歌が辿り着く、至高の極みを……

 町明かりを行き交う人波から、屈託もない笑顔が近づいてはすり抜ける。恭斗にだって将来のことは気に掛かる。たとえ奴が音楽の化身だったとして、なんで俺が介錯人(かいしゃくにん)みたいにして、自分の人生を棒に振ってまで、奴の最後を見届けなくっちゃならないんだ。若い頃は音楽の真実だけがすべてだった。生活のことなんてまるで考えなかった。あとは女さえ抱いていれば、生きるには十分だったのに……

 今ではもっと別のことが、恭斗のこころにも広がり始めていた。女はべつにどうでもよくなってきた。その代わり自分は、死ぬまでギター一本で生活を続けたいんだ。今のままじゃ破綻するのは分かりきっている。仕事がてらのバンド生活だって、もう限界だ。ギター以外のことをしている時間がもったいない。たとえ目指すべき音楽が、龍也の言うような本物の音楽でなくたって……

 なんだ、それじゃあ自分たちの軽蔑していた、黒蟻の就職と変わらないじゃないか。恭斗は思わず吐きそうになった。俺もポリシーなんかではなく、ただ安定を望んでいるに過ぎないのか。不意に龍也の作った『クロノスの秒針』という歌を思いだして、そっと口ずさんでみた。すると、ぞっとするくらいの真実味が、恭斗のたましいを揺さぶり始めた。やっぱりあいつには敵わない。俺だって音楽の真実を探求したい。しかし、ここで踏み外したら、クロノスの秒針に飲まれて、無限の荒野をさ迷うことになっちまう。むかしは、それを恐れなかった。けれども今は……あの野郎、まさか自分の末期(まつご)まで予告して、こんな歌詞を書いたたのか。恭斗はなんだか恐ろしくなってきた。

『クロノスの秒針』
ポリシーと引き換えに
自由を買える金が欲しい
矜恃もプライドもくれてやる
砂時計の砂を俺にくれ

お前らはそうやって水晶を
打ち砕いて快楽を求めた
精神を築くための材料が
転用されて歯車になっちまった

クロノスが針を打つたびに
お前らは酔いを深めていった
クロノスの鳴らす鐘の音が
恐くてしかたなかったんだ

安全が愛おしくて
尻尾を振ることを覚えた
へらへら従うだけの
生き方こそが快楽となった

もう打ち砕いた水晶は
お前を守ってはくれなかった
精神を築き損ねた空洞が
ブリキの型を仕立てていた

クロノスが針を打つたびに
お前たちの体は錆びついた
クロノスの鳴らす鐘の音が
また誰かを死に神に渡すのだ

一人さ迷う俺を取り囲んで
ブリキをまとった笑い声がする
奴らはまるで檻の中にいる
珍獣をでも見ているらしかった

水晶をなくしたブリキどもが
群がった世界が檻の中だとは
気づかぬままに笑いあう
互いの歯車を回しながら

クロノスの秒針に怯えながら
俺は一人で足を引きずった
くすんじまってもこの水晶だけは
あたためながらに歩いていく

 駄目だ。潮時だ。だいたいあいつが、あんな馬鹿な真似をしなければ、俺たちは有名になっていたのだ。ああ、けれども、それはポリシーを投げ打つ行為じゃあないのか。恭斗の考えは定まらなかった。ギターケースを揺らしながら、改札口をくぐり抜けた。酔っているのだろうか。足がちょっともつれている。それから、昔バンドにあった事件を思い出しながら、階段を昇っていくらしかった。

 ようするに、あいつばかりが、神々の領域へと突き進むのか。それじゃあ、敵う訳がねえ。分かりましたって、おとなしく頭を下げておけば、龍也だって今ごろは、名を知られたボーカルになっていたのだ。それが己を売る行為だったとして、俺には反旗を翻すことなんか、もはや出来そうにない。悪く思うな。俺はあんたとは違うんだ。俺は短気なだけで、信念を掲げて暴風雨のなかをどこまでも突き進むなんて、どだい無理だったのだ。

 最終のプラットフォームが、酔っぱらいにむせ返すような急行を、駆け込むようにエレキのケースを押し込んだ恭斗は、閉ざされた途端に溢れかえったスーツ姿の、蟻を尊ぶ国民性のなかに飲み込まれた。自分も年を重ねて、こいつらの仲間入りを果たすのか。そう思うと淋しかった。ギターを弾いていたって同じなんだ。心のなかが妥協しちまったら、こいつらともう同じなんだ。結局はあいつだけが、俺たちの信念を、永遠(とわ)に掲げる例外的存在なのだろうか。だとしたら……

 だとしたら、奴は地獄を見るだろう。さもなけば近い将来、自殺でもしなければ、この国で正気を保つことなんか出来ないだろう。俺には付き合いきれない。どうしたって無理だ。もう三十だってとっくに回っちまった。誰だって、もっと安定した生活と、そうさ、信念よりも安定した収入と、時を買えるだけの金が欲しいのさ。しかたがないじゃないか。列車はがたごと哀しい子守唄をする。恭斗は眠くはならなかった。ただ窓際に立ち尽くして、スーツの間に挟まって、流れる町明かりを、見つめながらにさ迷っていた。

朗読4 [ライブ翌日]

 翌日、龍也はがんがんする頭を振って、夕べの一件を振り払おうとした。携帯にメールが入っている。陽一からだ。

「体中が痛たい」

と書かれている。龍也は、

「俺だって痛てえよ」

と返してやった。彼ら三人は、今までだって何度も喧嘩をしたことがあった。けれども、決して翌日にしこりを残さなかった。そしてそれは、殴り合うことによって、痛みを分かち合うからでもあった。それを、三人とも馬鹿みたいに、虚弱体質の虫けらどもが、陰険をモットーに裏口から罵りあうのを軽蔑するみたいに、大切な価値観として守ってきたのである。その代わり全力で殴る。殴って怪我をしたからって、訴えたりする訳がない。五分と五分で殴るんだ。何があってもお互いさまだ。けれども、ちゃんと心得があるから、古傷が残るような暴力になることはまずない。夕べみたいに暴れたって、物ほどに人間は傷つかない。つまりは物を投げるのは、相手にぶち当てるためじゃない。やりきれない怒りを分散させておいて、人間同士はただ殴り合うのである。このことを知らないと、夫婦喧嘩で物を投げ合うなんて話しを聞いて、すぐに殺傷事件と勘違いすることにもなりかねない。また、そういう怒りの極限にある理性の存在を知らないと、プロレスなんてパフォーマンスだと勘違いする結果にもなりかねない。もちろん、投げられた店はたまったものではないのだが……

 とにかく、奴らは全力疾走である。そんな動物的なフィーリングが、今ではすっかり損なわれちまった。だが、そうなったらもう人でなしだ。人は初めから知性と動物性を兼ね揃えた存在なんだ。だから、どっちを削ぎ落としても人でなしになっちまうんだ。龍也はそう信じている。だから陽一を恨まない。もちろん陽一だって恨んでいない。龍也はそのことを疑わない。陽一だって疑ってはいないはずである。

 それに比べて、人の皮を被ったあのウマザルの汚らしさときたら。龍也は、間延びした馬面を思い出したとたん、仕事に向かうのがたまらなく苦痛になってきた。鏡を見たら顔だって、真っ赤になって腫れているのである。

 それなのに休まない。小市民的な生真面目を誇る陽一よりも、龍也は本質的に一途なところがあった。ようするに懸命すぎるのである。彼にとっては、仕事をさぼることが、学業をさぼることが、ロックなのではない。逆である。自分で選んだものについては、懸命にやることがロックなのである。だから仕事であっても、自分で定めた道は、決して疎かにはしない。それはちょうど、学生時代に感心を示した数学だけは、けっして疎かにはしなかったようなものである。凸凹の彼の成績は、数学においてだけは、常にトップを独占していたのであった。

 だから職場の彼は、歌ほどの反骨精神は持ち合わせていない。非正規であるにも関わらず、正社員をも叱咤して、まとめ役になっているくらいであった。もっとも、いつでも辞められるという自由が、隷属されない気まぐれの翼となって、彼をひたむきにしているだけかもしれない。そんなことまでは、さすがに私も推察しきれないのだが、とにかく彼の仕事ぶりは、支社内でもよく知られていた。

 それにしても、私は不思議でならない。彼がもし、仕事中なんの問題もなく、優れた人材であるならば、この企業は龍也に賃金を与え、実際の役職を与えた方が、はるかに効率的にその部門を運用できるはずなのである。非正規だろうと、柔軟に雇用を締結すればいいではないか。派遣だろうと優秀な人材があれば、すぐに引っこ抜けばいいではないか。一方でウマザルのような無能者に、余分な賃金など与えてはならないのである。無能な役職者の給料をカットして、優秀な非正規にその役職と給料を与えるだけで、賃金上のプラスマイナスが無いばかりでなく、未来の経営にとって、大いなるプラスをもたらすだろう。詰まるところ、人間社会の効率化とは、適材を適所に配置して、それに相応しい地位と賃金を与えること、また、その逆をしないことに尽きるのではなかったか。

 彼は嫌々ながら職場へ赴いた。ウマザルのような無能者に、とやかく言われるのは堪えられない。奴が赴任して以来、これまでほとんど自分とは関わりを持たなかった、ようするにこちらの仕事は、龍也に任せっきりにしていたんで、彼の方でも自由気ままに計画を整えてやっていたのである。もちろん、好い加減という意味ではない。歯車のような圧迫感を感じないで済むという意味であった。それが四、五日前から、龍也の現場にまでちょっかいを出し始めた。そのうえ企画書のことを注意したら、いきなり怒鳴りかかってきて、一昨日の一件に至ったのであるが、これからもウマザルが無能をまき散らすようなら、自分も考えを定めなければならない。赤い顔を膨らませながら、龍也はロッカールームで作業着に着替えていた。あれこれと考えるので、顔以上に頭が腫れぼったい。

 ところが職場へ着いてみると、ウマザルは近寄って来なかった。ただ偶然すれ違ったときに、この間のことなんか気にも止めないような表情で、

「おはよう」

とにこやかに挨拶をするので、単純な龍也は、奴にも人間らしさが残されていたのが嬉しくて、威勢よく挨拶を返したくらいであった。ようするに彼は、善良すぎるのである。ウマザルほどの悪人を、なかなか把握しきれない。けれどもあるいは、皆さんだって同じではないだろうか。馬面の悪癖の比類なき醜態は、追々明らかにされてくる。

 龍也は陽気を回復した。拘泥しないことが一番だ。おまけに、膨らんだ顔のことも、誰も言ってこないので、屈託なく仕事をこなしていた。もっとも顔については、何度も膨らまして出社した結果、みんな慣れてしまったに違いない。そう考えると、柔軟な雇用の話しはともかく、時々顔を腫らしてくる龍也を、企業側が採用したがるかどうかは、職務内容とはまた別の話のような気もしてくるのだった。

 もちろん、その日の仕事が減ったわけではない。さっそく同じ配属の渋川が、

「次ぎ何やったらいいのかなあ」

と聞いてきた。彼は龍也と同じくらいの年齢であったが、正社員であった。だから本当なら、龍也たちに指示を与える側の人間であった。ところが実状は違っている。彼はすでにいくつかの部署で見捨てられ、猫の手よりはマシだろうという話で、龍也のもとに転がり込んできたのであった。つまり名目上は同僚であるが、実際は龍也のもとで働くように、言い渡されていたのである。ところが渋川は、それを全く気にしない様子であった。彼は出来るだけのんびり時間を費やして、退社時間ちょうどに帰っていくことをモットーにしていたから、上司ではないものの、的確な指示を与えてくれる龍也の存在は、かえってありがたいくらいであった。

 一方の龍也にしてみれば、叱咤してもペースが変わらない渋川のことなど、放置して自分で仕事をこなしている方が、はるかにストレスが掛からなかったから、不思議な同盟関係みたいにして、二人は意外とうまくいっていたのである。そのうえ、龍也の指示は的確だった。それまで注意されがちだった渋川が、その通りに動いてさえいれば、最低限度は認められるようにさえ、なっていたのである。もちろん、ぐうたらの評価は変わらない。変わらなくても結構だ。渋川は余計な仕事を背負わされたくない。つまり、評価なんかされたくもないのだから、ぐうたらでも上等なのである。本当に世の中には、色々な人間がいるものである。

 ここにもまた、システムの亀裂が存在している。渋川は龍也の二倍以上の賃金を得ている。就業時間の差を考慮に入れても、実際の作業内容は、龍也の三分の一くらいである。また、ウマザルの職務内容は渋川よりマシなくらいである。それでいて、さらに渋川の倍近くの賃金を貰っている。詰まるところは滅茶苦茶である。こんなところで良心的に働いているのは、ようするに龍也が馬鹿、といったらちょっと失礼だが、善良すぎるせいである。しかも、馬鹿に善良な人間が、この国には大勢いて、彼らの良心を食い潰して、企業がリストラの悪徳に身を染めている。とんでもない話しだ。ようするに、フルタイムだろうと短時間だろうと、職務内容いかんで賃金が支払われるようにならなければ、成績いかんで辞めさせられないようなシステムにしなければ、この呪われたような閉塞感からは、抜け出せっこないに決まっている。そのためには……

 私たちも家に帰って娯楽に興じることばかり考えず、また、与えられた職責を全うすることばかり考えず、積極的に労働運動やデモを組織して、自分たちのプラカードを掲げて、行進することが必要であるのは間違いない。この国の人間だけが、いつの間にやら、そんなことすら出来ない子ちゃんになってしまった。それでテレビやネットばかりを徘徊したところで、何が変わるというのだろう……

 龍也がロックを志すのに合わせて、この物語自体が彼の浸食を受けている。それを作者のエゴと見誤るな。創作された文学は、私小説を気取った刹那にさえ、やはり創作された文学なのである。太宰治の小説に、私小説なんてものは存在しない。それを弁えないで、作者個人のプロフィールと眺めたり、お涙ものと有り難がって感動しているうちは、本当に作品を評価する能力なんか、永遠(とわ)に持つことなんか出来ないだろう。

 それにしても渋川は、またちんたらと時間を潰している。一回で済むところを、二回、三回と行程を挟んでいる。龍也は遠くから見て笑っている。怒っているようには思えない。ウマザルのような上司に腹を立てる龍也が、ルーズな渋川に不快感も示さないのは、ちょっと不思議なくらいである。それどころか龍也は、彼とくだらない世間話で、時間を潰すことさえ時々あった。それがロックに生きた『无型』のボーカルの姿であるのかと、皆さんはまた糾弾するかも知れない。けれどもそれは誤解である。彼のポリシーは何も変わってなどいなかったのだ。

 つまり渋川は、己のポリシーをかかげて仕事をしない人間であった。いかなる場合でも、それを貫き通そうとした。ウマザルに怒鳴られても、馬耳東風に会話を受け流してしまう。

「そんなに大声を上げても仕方ありませんよ」

とか、

「これで精一杯なんですよ」

とか涼しい顔で答えるうえに、こちらがどんなに怒っても、まるで反応しないものだから、今ではウマザルでさえも、何も言わなくなった。もちろん、企業から見れば無能者(むのうもの)である。同僚にとってもそうだろう。そんな生き方なんて、憬れる奴なんかいんだが、ここまで徹底して安楽を指向する彼に、龍也は体制に組み込まれない人間の、自由な翼を見い出したのであった。それに、奴は正直だ。働きたくない一心で生きている。目の前にへつらった人間を、後ろにあげつらうようなこともない。真似したくないポリシーだが、まだしも認められるポリシーである。ウマザルよりはまだしもロックである。

 それに、ウマザルは管理者側の人間である。賃金を余分に得て、管理業務を任されている。部下たちが彼を飼育するようでは、本末転倒も甚だしいではないか。例えば、平社員がせいぜい十万円出せる損失が、地位が上がるにしたがって、数十万、数百万、一千万と、企業経営を揺るがすほどの損失を与えることが可能になるんだ。だからこそ企業のヒエラルキーは、政策的失敗などはともかくとして、単なる業務効率の悪化だけは招かないように、徹底的に最適化されなければならないんだ。それをこの企業では、まるで十九世紀的なコネの感覚で、二十一世紀にもなって人事を続けているらしい……

 それに現場の士気は企業活動の生命線である。なぜ働く人間が、動物から怒鳴られて、やる気を無くさなければならないのか。龍也にはまるで理解できない。自分みたいに言い返す奴なんて例外で、ほとんどの奴は、怒鳴られるがままに仕事をこなしているのである。だからこそ許せない。また、そんな人事をおこなう企業自体も腹立たしい。けれども横にあって、惰眠をむさぼるような渋川に対しては、あまり腹が立たないのであった。

 もちろん、渋川ひとりに構っている訳にもいかなかった。自分が指示を出さなければ、五、六人はあった直接の同僚も、その日の作業が定まらないのである。それでいて、問題があるのは渋川ばかりではなかった。彼はこんな社会にもまれながら、権限以上の職務を全うしつつ、家に戻れば反骨の願いを込めて、それでも翼を折られることもなく、矛盾を抱えて羽ばたく鳥みたいに、歌い続けてきたのであった。しかし今や、肝心のバンドが解体の危機にある。龍也にとって、一番の危機が訪れたのかもしれなかった。



 その日、ウマザルは何も言ってこなかった。だから龍也もそれっきり、一昨日のことは忘れてしまった。マンションへ戻ると、また陽一からメールが入っている。

「顔が腫れてて注意されなかったか」

という心配である。龍也は

「みんな慣れやがって、ひと言も聞かれなかった」

そう答えておいたが、返信のない恭斗の方が、かえって心配だった。あいつは、二人になっても活動を続けるつもりだろうか。あいつには、人並み外れたテクニックがある。ひとりでも食っていける。それならいっそ、俺なんかと活動するよりは……などと、いつになく弱気なことを考えている。気晴らしに咲菜恵にメールを打ってみたが、まだ残業中らしく、答えは返ってこなかった。

 またノートを開いてみる。すでに歌になったものも、そうでないものも、年代順に並べられた編年体(へんねんたい)の姿で、[No.17]に収まっている。つまりは高校時代に始めた番号が、もう十七冊目になっているということだ。それより古いノートは、あんまり酷いんで捨てちまった。残っているものだって、若い番号はほとんど役には立たないんだが、あの頃の気持ちを推し量る意味もあって、時々開いてみるのであった。《下注五》

 彼はどんなにパソコンが隆盛を極めても、このノートに記さないうちは、けっしてテキストファイルには打ち込まなかった。そしてノートに記すまでには、広告の白紙だの、プリントのうしろ側だの、ルーズリーフだの、あらゆる場所に下書きを繰り広げる。キーボードに打ち込んだ方が、手っ取り早いには違いない。しかし、彼はそのやり方にはロックを感じないらしかった。古いことが新しいこともある。積み重ねられた手抜きが、精神の退廃を生むことだってある。パソコンは清書とメールと、印刷と、それから音源と、その辺りで使うものと決まっていた。

 降り積もったマンネリズム。陽一は朽ち果てる一方だと非難した。はたして、そうだろうか。龍也は今でも、坂半ばの思いが拭い去れなかった。それは同時に、自分の生みだす作品に、きらめく価値があると信じていることでもあった。内容が同じというなら、今の小説なんてどれもこれも、ありきたりの堆積平野じゃないか。それでも新作を主張出来るなら、自分の歌だって、けっして終わりなんかじゃないんだ。内容が似てるからって、言葉まで一緒じゃない。フレーズまで一緒じゃない。そうであるならば、それは明日へと続く未来の音楽なんだ。ノートをめくりながら、そんなことを考えている。考えるうちに、ちょっと刺々(とげとげ)しい歌詞を見つけたんで、試みにフレーズを探してみた。

「遠吠え」
お前どもに何が分かる
シッポを振ったくずどもめ
忠犬よろしく踏み足そろえて
社会のために尽くすのか

どこへあってもどこへ立っても
俺たちは独立独歩の精神で
自分のフィールドだけはきっと
守ることだけが人生だった

怒りは人間の情だ
相手を殺す道具じゃない
動物のまんまで叫びだしたら
俺たちはもう人でなしだ

笑いは人間の情だ
金を稼ぐ道具じゃない
客のためにほほ笑んだら
俺たちはもう人でなしだ

それをなんとも思わない
醜いすがたの芋虫は
学問なんかはいざ知らず
人間なんかじゃねえんだよ

俺はひとりで震えてる
格好悪いとは思わない
恐ろしいときは泣いたって
恥ずかしいとは思わない

愛情だって同じこと
性欲を満たす道具じゃない
食って疲れて眠っては
オツムの付いてる意味がねえ

それをなんとも思わない
醜いすがたの芋虫は
学問なんかはいざしらず
人間なんかじゃねえんだよ

 芋虫は人間じゃない。学者だって文句は言うまい。単純明快な定理である。しかし、独立独歩を掲げたって、いつまで遣っていけるというのだろう。少なくともバンドは、今までだって年ごとに先細りで、それさえ風前の灯火になっている。若い頃には、浮浪者のダンボールに貶められても、そこから這い上がってみせるほどの気概があった。しかしクロノスの秒針は、ただ時間を押し流すだけじゃない。たましいの養分を蒸発させて、気概やら情熱やらを諦めへと熟成させる、触媒作用を持っているようにさえ、今では思われるのであった。やがて肉体の衰退さえも加わったら、パッションを支えるものは何もなくなっちまう。ぶるぶる震えるだけの負け犬になっちまう。昔はそんなこと考えなかった。けれども今は、干からびかけた影法師が見えることがある。自分自身の白髪の影法師が。だからこそ、陽一がもう実家に戻ろうという気持ちも、まるで分からない訳ではなかったのである。

 俺はきっと疲れているのだ。陽一は明るく送り出してやろう。殴り合いは前回でもう終わりだ。あれで双方ともカタが付いたんだ。そうだ、送別会をしなくては。場所はどこがいいだろう。この間の居酒屋は、あっさり出入り禁止になっちまった。ケチな奴だ。ちゃんと賠償したじゃねえか。そんなことを考えていると、携帯がメールを知らせて鳴りだした。咲菜恵からではない。陽一からだった。

 開いてみると、半月後にマンションを払うという連絡である。あの野郎、実は前々から考えてやがったな。龍也は、

「もっと早く教えろっての」

と送り返した。どうせあいつなりに悩んで、打ち明けられなかったに決まっている。最後までだらしのない奴。あらかじめ説明してくれれば、この間のライブでファンに伝えることだって出来たのに。今からでは、送別ライブをするのだって時間が足らなすぎる。それ以前に……

 このあいだの賠償で、当分はライブなど不可能であった。俺はよほどの馬鹿なのかもしれない。あんなに、お祭りみたいに暴れなければよかった。もっとも、金銭があったって、ライブが続くかどうか分からない。恭斗が離脱したがっているような気がする。何でもすぐ決めるあいつが、近頃悩んでいることだけは確かなんだ。それにメンバーが離れるときの徴候は、すでに何度も経験しているのだ……

 龍也は慌てて頭を振った。とにかく送別会を開こう。メールでは面倒だから、陽一に電話を掛けることにした。悩んでいたって、始まらねえ。それに、今は誰かと話しがしたい気分だった。

「ああ陽一か。この間は悪かったな」

龍也が話しかけると、

「いや、こっちこそ」

奴は照れたような口調で答えてきた。この間のマンネリの発言は、必ずしも本意ではないとか、いろいろ説明している。

「いいんだ。俺もちょっと行き詰まってたから、余計カッとなっちまったんだ」

などと話していると、遠くから女の声がした。

「なんだ、一緒だったのか。悪かったな」

「いや、全然大丈夫だよ」

「それでさ」

 龍也は送別会の話しを切り出した。陽一に異存がある訳がない。ついでに俺の彼女と、お前の彼女も誘おうという話しになった。まあ、いつものことである。女のいない恭斗には、龍也が連絡をつけることにした。何か理由を持ち出して、話しがしたかったからである。

「じゃあ、改めて連絡してくれるかな。俺はもう仕事を辞めたから、日にちは自由が利くんだ」

陽一は電話を切った。龍也は恭斗に連絡を入れ始める。しかし、なかなか繋がらないんで、待っているのがちょっと面倒である。しばらく陽一の方へでも、フォーカスを移してみようか。私はけっこう移り気なタイプである。



「ねえ、何の電話だったの」

陽一が電話を切ると、彼女はすぐに携帯電話を奪い取って、そのまま彼に抱きついた。

「馬鹿、菜魅子(なみこ)、重いよ」

「なによ、いいじゃない」

と乗りかかってくる。

「何の電話よ」

「龍也からだよ」

陽一は説明した。一人部屋に二人で住みついているから、生活空間は窮屈である。けれどもこいつが綺麗に片づけるんで、昔みたいにはごちゃごちゃしていない。かえって陽一には広々しく感じられるくらいであった。

「だって、このあいだ殴り合ったって」

菜魅子が心配そうに覗き込む。

「ああ、あれは痛かった」

「わたし、なんだかあの人、恐いわ」

「そんなことないって」

「だって歌詞だって、社会に盾突くようなものばっかり。もっと普通のバンドが歌うみたいに、恋の歌とかやらないわけ」

「社会派ロックなんだよ」

陽一は、もう一度菜魅子を引っ張り寄せる。彼女は、からだをごろんと預けてくる。

「ねえ、本当は後悔してるんじゃないの」

「いや、どうせ、いつかは終わりにしなくちゃならないんだ」

「デビューとか出来れば、一生続けていけたのにね」

「そんな大したバンドじゃなかったのさ。それに……」

 それにチャンスをぶち壊したのは龍也自身なんだ。自業自得だ。それはあいつは、自分のポリシーを貫き通せたかもしれない。だが俺たちは、仲間同士で活動をしていたんだ。あいつの配下となって、ドラムを叩いてきた訳じゃない。せっかくのチャンスを、手前勝手に袖にする権利が、あいつにあるのだろうか。今まで散々繰り返した思いが、不意に頭に浮かんできた。

 いや、そうじゃない。龍也のせいにするな。自分だってあの時は、あいつの意見に賛成したじゃないか。だらしがない。今になって翻(ひるがえ)すつもりか。陽一は慌てて頭を振った。菜魅子はおもしろがって、ますます抱きついてくる。

 もういいんだ。終わったことなんだ。しかし、あの日のわだかまりが、俺を実家に帰らせる遠因になっているのだろうか。あの日以来、あいつらから離れることを望み始めたのだろうか。けれども、俺のドラムなんかでここまで活動が出来たのだ、むしろ感謝するべきじゃないか。この間はあんなこと言ったけど、たしかに恭斗のギターは、俺なんかと比べものにならないくらい、際だった才能なんだから……もういい、とにかく実家に戻るんだ。なにも考えるな。

「そうだ。そろそろ引っ越しの準備を始めないと」

陽一は菜魅子の上に覆い被さった。

「ちょっと、重いわ。準備なんか出来ないじゃない」

「いいんだよ、終わってからで」

「何が終わってからなのよ」

「だからさあ」

 なにが「だからさあ」だ、恥ずかしくって小説にもなりゃしない。龍也は連絡を終えて、一人で歌を作っているから、やっぱり記述しても面白くもなんともない。連絡相手の恭斗にいたっては、どこに行ったか私にさえも分からない。とんだ不始末である。どの場面も描きたくなくなってきた。今日はもう寝る。皆さまのご推察に幸いあれだ。それではお休みなさい。話しはすぐさま数日後である。

朗読5 [辞職の日]

 言い争いからしばらくして、龍也はウマザルの犠牲に処された。己のエゴ以外存在しないウマザルが、言い負かされた恨みを、忘れるはずなど無かったからである。すでに奴は、自分から怒鳴り掛かって、コテンパンに打ちのめされたことを、相手から怒鳴り込んできて、自分が諭したことに作り替えてしまっていた。それで盛んに、同僚などに吹聴し始めたのであるが、事実関係はすでに社内に広まっていたから、猿がまた発症したという噂が沸き起こるばかりであった。哀しいことに、当人は脳味噌が小っちゃすぎて、それを悟れないのである。

 なんだ、嘘すら満足にこなせなかったのか。皆さんの疑問はごもっともである。こんな彼が管理職に就けたのは、ふたつ前の支部で、前年の与件から起こった数値上昇を、自分の采配と売り込んだ口車に、ある無能な上司がさらりと騙されたからであった。いや、あるいは、上司と猿とのスキルが噛み合っていたために、ウマザルだけに馬が合ったのかもしれない。とにかく、その上司が知り合いに働きかけて、昇進するほどの成績でもないのに、辞令を渡させちまったのである。

 それにしても、虚言癖(へき)すらあるという男を、企業がいつまでも放置しておくのはどうしたことだろう。それはまったく、人事権を本社が握っていて、よほどの問題でも起きなければ、支社では報告も干渉もしないような、奇妙な体質が出来上がっていたからに他ならない。もちろん、支社長などが連絡を入れれば、すぐ更迭されるには決まっていたが、ようするにそれほどの気概や活力を、この巨大になりすぎた企業は、すでに失いつつあったのである。だから、どんな優れた人材チェックシステムを作ろうと、柔軟な雇用体制に改変しようと、人事の流動性を図ろうと、人間側にそれに対応する意識がまるでないと、それらはあっという間に名目になってしまう。効率意欲を放棄したみたいな社会に挟まって、龍也はあっぷあっぷしているようにも思われた。

 さて、その猿が、また影でちょこまかし始めた。リストラの一貫として行われていた、非正規労働者の雇用解雇の推進プロジェクトのリストに、龍也の名前をすべり込ませたのである。ライブなどで時々休むことがあったから、勤務不良であるという理由であった。もちろん、事前に申請してあるから、言いがかりであることは間違いない。それにしても役職者が、プランの立案や計画の履行を目的に働かず、自分の感情の欲するままに、部下を怒鳴ったり辞めさせたりするようになったら、その企業はもうお仕舞いである。そうして龍也はいま、その犠牲に処されようとしている。祖父の時代みたいに、無茶な命令で命を奪われることが無いからといって、それを喜ぶ気にはとてもなれなかった。

 もちろん、龍也が有用な人間であることは知られていたし、猿の無能と悪癖(あくへき)も有名だったから、龍也のほうで積極的に糾弾に掛かれば、猿を追い詰めることだって容易かったに違いない。そうして、それが現場のためになることも、龍也には分かっていた。けれども彼は、正直うんざりしてしまった。こんな職場に関わるのが、ほとほと嫌になってしまったのである。

 もともと彼は、臨時雇用によって拘束時間を減らし、得られた時間をバンドの活動に当てていた。入社する際に、臨時休暇を取ることも告げてあった。つまり職場は、バンド活動と生活維持の資金源にすぎなかったので、仕事に生き甲斐があるという訳ではなかった。ただ中途半端が嫌いなばかりに、いろいろ請け負っているうちに、現場の束ね役になってしまっただけだ。彼の精神から考えれば、霊感の伴わない仕事など、かえって苦手なくらいだった。だから音楽活動が危機を迎えたいま、職場を含めて生活を見直したいという思いが、龍也のこころに芽生えたのであった。

 それに、自分を辞めさせようとコソコソ這いずり回るウマザルを、見続けるなんて堪えられなかった。龍也はさっぱりした人間ではあったが、毎日サルにたかられたんじゃあ問題外である。三日でノイローゼになっちまうに決まっている。やっぱり、自分から離れるしかない。あんな猿に関わったって、不愉快が募る一方だ。なんで俺が、バナナを与えなければならないんだ。彼はとうとう決意した。

「もともと、一時的な雇用を望んだだけですから」

 リストに従った面接があったときに、彼は辞職を告げたのである。猿の策略で辞めることにしておけば、現場への言い訳だってしやすいに違いない。自分の倍以上も給料を貰っている渋川の面倒だって、見続けるのは割に合わないではないか。今こそ潮時だ。

「しかし、せっかく長年働いているのだし」

面接官は留まることを勧めてくれた。彼はウマザルよりも上司であり、猿のイカサマぶりも熟知していたから、猿に謝らせても構わないとまで言ってくれた。龍也はもちろん嬉しかった。けれどもやはり、

「ありがとうございます」

とだけ言って、辞める決心は変えなかったのである。

「いずれは辞めようと思っていましたから」

仕事をする理由そのものが、重大な局面を迎えているんだ。それに猿なんかに頭を下げられても、虚しさが募るばっかりだ。かえってここが辞め時だ。彼は、面接をしてくれた兼持(かねもち)課長に向かって、

「長い間お世話になりました」

と挨拶をして、十一月いっぱいの仕事が終わったら、改めて礼を述べることを約束した。

「もともと、いつか辞めるという話しだったからな。無理には引き留めないよ」

課長は名残惜しそうに笑った。

「それにしても、まとめ役が辞めてしまうと、後が大変だな」

とぼやくので、

「すいません」

と素直に詫びておいた。もちろんこれは愛想である。愛想なんてロックじゃない。皆さんはまた怒るかもしれない。確かにそれは、ロックではないだろう。けれども人は丸くなってゆくものである。衰えなんだか、悟りなんだか、慣れなんだか、私には分からないが、ともかく三十路を回ればロックだって丸くなる。確かに二十代の龍也であったら、冗談や愛嬌で、

「すいません」

などは言わなかっただろう。しかし今の龍也は、そんなことは忘れている。角がすり減ってしまったのか、鍛えられて成長したのか、そんなことは学者にだって分かりっこない。

 幸いウマザルは、言い争いでぐだぐだされて以来、まるでボス犬を避ける動物みたいに、龍也の近くには寄ってこなかった。それだけがまだしも救いである。ところが退社を告げたあと、飯を済ませて作業場に向かったら、さっそく猿が、

「自分に逆らったからあいつを辞めさせた」

などと吹聴しているという噂が伝わってきた。龍也は腹が立つというよりも呆れ果てた。

「本当に猿は人間じゃあねえな」

 芋虫は人間じゃない。猿は人間じゃない。なんの問題もない命題である。よほどの変わり者でもなければ、真(しん)と答えるだろう。この単純な文脈が、龍也のなかでは偽(ぎ)とも取れる特別な意味を持っている。そうであるならば、文脈を切り離して真理を探究しても、全体のなかでは意味がまるで違ってしまうことについて、私たちはもう少し考えを巡らせた方がよいのかもしれない。政治家の言葉の断片を糾弾したり、学者の発言を切り貼りしてドキュメンタリーを捏造したりする悪癖は、現代社会を覆い尽くしているではないか。

「河東さん。辞めちゃうって本当なの」

渋川が心配そうに近づいてきた。河東はもちろん龍也の名字であるが、職場ではいつもそう呼ばれている。それにしても渋川は、ろくに仕事をしない癖に、いつも全体がくたびれている。とても同い年とは思えない。まるで十歳も二十歳も年配のような老け方だ。さぼり癖が退化を導くいい見本じゃないかと、龍也はそっと考察しているくらいである。その渋川は、龍也が自分のことをあまり咎めない上に、決して本当の上司ではないから、非常に居心地がよかった職場環境を、辞めて貰っては困ると思ったに違いない。

「悪いな、辞めさせたがっている奴がいるから」

と説明したら、彼は同情してウマザルの非難を始めた。もっともな非難ではあるが、同じくらい仕事をしない渋川に、果たして非難する資格があるかどうか、相当に怪しいものである。権利があるといえば、渋川は役職に付いていないという点が、挙げられるくらいのものだ。もっとも、その点を認めるからこそ、龍也は渋川に対しては腹を立てないのではあるが。

「まあ、しょうがない。十一月一杯はいるんだから、ひとつよろしく頼むぜ」

と答えておいた。しかし、他の従業員も集まってきて、いろいろ聞いてくるので、

「とにかく、仕事中なので、そういうことは後にしましょう」

と、幼稚園の先生みたいに手を叩いて、龍也はみんなを追っ払った。



 その夜は咲菜恵と一緒だった。思えばみんな丸くなっちまった。恭斗は、ここ二、三年、女なしでやっている。陽一は、実家で菜魅子と結婚するそうだ。それに俺だって、咲菜恵とはもう、かれこれ四年になる。新鮮なものに憬れるような情熱が、損なわれてしまったのだろうか。もっとも、それが悪いとは思わない。どこかで幕引きが必要なんだ。それに咲菜恵は、いつ見てもやはり新鮮な愛くるしさがあって、手放したくない女である。もし結婚を考えるのであれば、こいつと……

 龍也は仕事のこともあって、ちょっと弱気になっているのだろう。彼が結婚を考えるなんて、信じられないような話しである。もちろん咲菜恵は冗談に、龍也に結婚を迫ったことは何度もある。内心は本気だった。けれども、龍也は笑うばかり。結婚なんてロックじゃないと、本気で思い込んでいるらしい。そんな子供みたいなところが、ちょっと世間ずれして馬鹿みたいに見える。それでいて彼女が龍也から離れられないのは、そこに引かれているせいには違いなかった。それに龍也は真面目である。優等生の意味ではなくって、ひたむきで融通が利かないような真面目である。それが咲菜恵には安心するらしかった。つまりは大した女じゃない。なんて書いたら、私は彼女から糾弾されることになるのだろうか……

 けれども今日は、ちょっと落ち着いていられなかった。龍也が仕事を辞めると言い出したからである。少し前にも、陽一が実家に帰るんで、喧嘩になったという話しを聞かされて、咲菜恵は内心動揺していたのであった。口では色々言っても、彼女も菜魅子も、安定を求めたがる女であった。あるいはロックをやるような奴らは、そんな女を抱(いだ)きたがるもなのだろうか。それとも、小説にあるような、自我で渡り合うような女は、実社会には意外と少ないのだろうか。私には分からない。もちろん龍也にだって分からない。彼は今、他人に構っているゆとりなど無かったからである。

「ちょっと、聞いてる?」

「聞いてねえよ」

ほとんど滅茶苦茶である。

「最低」

 咲菜恵はムッとする。比喩でムッとするんじゃない。本当にムッとほっぺたを膨らましている。馬鹿なやつ。ふと、人さし指で突っついてみたら、今度は大笑いし始めた。大抵はそんなんで冗談になっちまう。けれども今日は、

「ねえ、冗談じゃなくってさあ」

と食ってかかってきた。

「俺はいつだって本気で生きてんだ」

「だからあ。なんで仕事辞めちゃうのよ」

「上司が最悪だって話したじゃねえか」

「それだけじゃないでしょう」

 龍也は彼女を覗き込んだ。ようするにバンドのことを聞きたいんだろう。だったら、はっきり言えばいいんだ。ぶっきらぼうに黙っていると、咲菜恵は思い切って進んできた。

「もうバンドは解散なんじゃないの」

さげすんだようには見えなかった。心配してくれているのが分かるので、龍也は粋がるのを止めた。

「俺は二人になっても続けるつもりだ。だが恭斗は、もう付き合う気は無いかも知れない」

と思っていることを正直に答えた。

「解散になったらどうするの」

「考えてねえよ」

「ねえ、考えてよ」

咲菜恵が真面目な顔をする。龍也はごろんと、咲菜恵の膝に頭をつけて転がってみた。

「考えるって何を」

「だからさあ。そろそろ、私たちも佐々木さんみたいに、結婚ようって言ってんじゃないのよ」

「結婚なんかしてどうやって生活すんのさ」

「いいよ。仕事が見つかるまでは、私が稼いであげるから」

「そんな、負ぶさるような真似が出来るか」

「いいじゃないの。一緒に生きてくんだったら、どっちが負ぶさったって」

なかなか率直な意見なんで、弱っている龍也は、思わずそんなものかなと思い始めた。膝が柔らかいんで、ふわふわと甘ったれた心地である。

「いや、俺は音楽を続けていくんだ」

危うく流されそうになって、慌てて起き直った。

「あら、だってこの前一緒になった、なんだっけ、ユーロシア……」

「ユイロシャーレだよ」

「そうそう。そのユイロのボーカルだって、子供がいるって話しじゃない」

「あいつらはプロじゃねえ」

「いいじゃない。プロじゃなくたって、趣味でも歌っていければ」

咲菜恵は、龍也が頷くはずがないことを知っている。それでいて頷かせたがっている。ついこんなことを言ったんで、かえって龍也は遠ざかってしまった。

「冗談じゃねえ。俺は音楽で生きてくって決めてんだ。趣味、ふざけるな。趣味のロックなんて、この世にあってたまるか」

「そんなの一杯あるわよ。今どきそんな、生涯かけて音楽なんてやらないわよ。テレビなんかに出ているバンドだって、みんな生活を楽しんでいるじゃない」

「あんな奴ら、偽物だ。偽物ばかりがメディアに登場するから、本当の生き方が覆いかくされちまうんだ」

「もういい年じゃないのよ。一体、私のことどう思ってるのよ。自分の夢ばっかり。バンドだって、これでもう、終わりじゃないのよ。いったいどうするのよ」

咲菜恵はいきなり泣きだした。崩れるみたいに両手で顔を覆うので、龍也はびっくりした。こんなことは初めてだったからである。こんな気弱な女だったろうか。龍也は自分自身も弱っているところなんで、思わず肩を抱き寄せて、宥め役に回ってしまった。自分ながらにどうかしている。俺だって本心は、諦めて結婚したいと思っているのだろうか。こいつと結婚して、子供なんか作って、パパって呼ばれたいのだろうか。

 確かに、このまま続けたって、どうせクロノスの秒針に飲まれちまって、三十代は四十代に移りかわって、やがては五十代を迎えて、そうしたら俺だって、一人で粋がっても、精神の衰えは留めようがないんじゃないか。いろんなことが頭を駆け巡っては、思わず咲菜恵に、

「よし、結婚しよう」

と言い返しそうになった。しかし、俺のロックも限界なのかと自問すれば、たちまち、ふざけるなという憤怒(ふんぬ)にも似た感情が沸き起こって、龍也を押しとどめた。冗談じゃない、今までやってきたのは何のためだ。みんな日和見しやがって。そんな激情が巻き返してきたのであった。

 咲菜恵を泣き宥めに寝かしつけて、龍也は寝室を抜け出した。まだ九時前であったが、咲菜恵は仕事が疲れているから、そのまま翌朝を迎えるに違いない。隣の部屋へ移ってぼんやり腰をかける。彼のマンションは部屋がふたつある。だから結構な家賃である。次の仕事を探さなくては、生活が行き詰まるのは目に見えている。

 職場を辞めますなんて、調子に乗って言わなければよかったのだろうか。結構な金額が毎月入っていたのである。俺はよっぽど馬鹿なのだろうか。向こうでは咲菜恵が眠っている。咲菜恵は、俺と違って結構な給料を貰っている。その上、俺みたいな男を好きだという。結婚したいと言ってくれる。俺なんかのために泣いてくれる。机の上だけ明るくして、ノートを開いた龍也は、歌詞を考えるでもなく、様々な思いに身をまかせていた。

 ポリシーだとか、生き方だとか、そんなものを掲げるのが、人間にとってはそもそも間違いなのだろうか。せっかく幸せになれるチャンスが身近にあるのだから、そこに縋りついて、それを喜びに、一生を送るべきなのだろうか。そうして、仕事を見つけて、好きでもないことに時間を捧げて、家族を養って、幸せだったなんて、最後にはほざかなければならないのだろうか。

 違う。そんなの間違っている。生きることは、もっと真剣でなくっちゃならないんだ。そして同じくらい、愉快でなくっちゃならないんだ。同じような仕事を、歯車みたいに続けて、人間同士で膝を突き合わせるでもなく、ただ偽物の娯楽に時間を費やして、ゴシップだのドラマだの、感覚と交わらない話しで酒なんか飲んで、だらだらに一生を終えるなんて、そんな部品を志願するような生き方、俺には堪えられない。泥だらけになっても、誰から嘲笑されても、踏ん張って歩いて行くんだ。

 しかし、いつまで、歩き続けられるというのだろう。俺が生まれて以来、打ちつける秒針だけは、歩みを止めたことはなかった。こいつは俺が死んでも、気づくことなく針を刻み続けるのだろう。クロノスの秒針。いつかは歩けなくなる時が来る。こころが折れる時が来る。それが今だというのか。十年以上、突っ走ってきた。これから先、音楽だけで生きていくなんて、まるで見込みも付かな有様だ。こうやって燻りながら、翼ばかりはよれよれになって、最後には、羽ばたけなくなっちまうに違いない。クロノスの秒針は、俺たちを時に返すだけじゃない。精神も、肉体も、奪い取りながらに刻んでいく。砂時計が終わるまで、俺たちはもとの姿でなんかいられないんだ。

 ああ、人生八十年とか馬鹿げている。昔と一緒さ。俺たちの命の限りなんて、せいぜい五十年か六十年がいいところだ。干からびた後に、何が残るっていうんだ。残り煙(げむり)の燻るほど、はしたない真似があるだろうか。そうして俺は、人生の半分以上を過ぎちまった。日々の生活が回転している。どんどん加速するような気がする。そうして加速するほどに、毎日を保つんで精一杯になっちまう。陽一の言葉は間違いじゃなかったんだ。確かに俺の音楽は、バンドを始めた頃みたいには、一曲ごとに成長なんかしていない。同じような曲を、作り替えるばっかりだ。

 龍也は哀しかった。口ずさみながら、詩を書き起こしていく。逃れられないわだかまりを、ぐちゃぐちゃにして飲み込んで、抽象化したみたいな落書きを、白紙に連ねていったのである。こうやって歌を作って、音楽を奏でているときだけが、彼にとってはかない慰めであるように思われた。ようやく構想が纏(まと)まると、彼はそれをノートに清書する。それからようやく、パソコンを開いて打ち直した。ノートブックはVistaではない、XPである。また新しいOSが発売されたらしいが、そんなことに関心はなかった。ただ十一月をあやかって、パンプキンの壁紙が右上に笑っているが、これは咲菜恵が勝手にいたずらしたものだ。龍也は、テキストファイルをメールに添付して、バンドのメンバーに送信した。次の曲が定まったときに感想を求めて行う、これは儀式のようなものだった。陽一がここを離れるまでは、俺たちはバンドのメンバーなんだ……

「灰化の翼」
俺の歌さえいつの日か
色づく枝葉の並木道
この心から舞い落ちて
靴に踏まれて消えるのさ

俺の声さえ夕暮れの
遠くをわたる雁(がん)の群れ
この体から羽ばたいて
赤い血潮に消えるのさ

誰かもう 帰り支度の 仕草して
忘れゆく あいつの影を ポケットに
突っ込んだまま 立ち去った

俺の夢さえ宵闇(よいやみ)の
しぐれに打たれて泣いたけど
隠し通した惨めさを
ひとり踏みしめ帰るのさ

俺の祈りは暗闇の
部屋の孤独にこだまして
忘れ去られて消えちまう
夜寒の毛布にくるまれて

みんなもう 埋葬のための 墓を掘り
棺桶を あいつのサイズに 合わせてた
詩集を先に投げ込んで 埋(うず)めるでもなく立ち去った

あいつは自分で火を放ち
ひとりで燃えていったのさ

朗読6 [恭斗の離脱]

 その日、川田恭斗はスタジオに出ていた。ドラムの合わせでカノンロックなんて弾いて、拍手をかっさらっている。そこはある有名なバンドの練習場だった。

「川田、やっぱお前はすげえ奴だよ」

「このまま埋もれるのはもったいなさすぎだって」

メンバーが口々に絶賛する。リードボーカルが、

「それで考えてくれたんだろうな」

「だけど、お前らのギター、なんだけ、谷垣だっけ、いいのかよ」

恭斗はちょっとからかうみたいに聞いてみる。ここに姿がないんで、裏があることは分かっていた。

「おいおい、俺たちはプロだぜ。おままごとじゃねえんだから」

 まったくだ。おままごとじゃないんだ。悪いな龍也、もう、お遊びはお仕舞いだ。思えば楽しいお遊びだった。だけどもう、後戻りは出来ない。自分はここに足を運んじまった。川田はそんなことを考えていた。そうして、彼を解雇させるほどのギター弾きなど、この国には存在しそうになかった。それほど奴のギターは特殊だった。日本人独特の、言語感覚から来る型にはまったような規律が、英語調のフィーリングで無造作に破棄されて、絶妙な抑揚と逸脱を、凄まじいリズム感で統制するのである。

 それにしても、合わせやすいドラムだった。

「さすが、うちのドラムとは違うな」

恭斗はつい口を滑らせた。

「おいおい、佐々木なんかと一緒にするなよ」

向こうからドラムが苦情を返す。

「うちじゃあ、ここまでのキレは出せねえからさ」

もちろん、陽一を非難するつもりはなかった。単なる事実なんだからしょうがないじゃないか。恭斗は考える。もともと俺は、陽一に付いていったんじゃない。龍也がいるから、あんなバンドに長年関わっちまったんだ。たしかに、おままごとにのめり込みすぎたのかも知れない。けれども限界だ。このままじゃあ、自分の才能が可哀想だ。

「じゃあ、よろしく頼む」

とうとう、そう宣言しちまった。もう後には退けない。途端にメンバーが活気づいた。伝説のロックバンドに近づいた心持ちである。

「よろしく」

「さっそく、新しい曲が生まれる予感」

などとざわつく中に、

「よし、お前ら、さっそく川田恭斗の歓迎会だ」

とボーカルが叫ぶので、たちまち歓声が沸き起こった。ようするに飲み会に終始することは、どこのバンドを渡り歩いても、変わることなんかないんだろう。これはいわば、朝廷儀礼みたいなものである。酒とそれから女と……恭斗はギターを片づけながら考えた。

 しかし女は、最近まるで好奇心が沸かないのだった。俺はあるいは、エレキの快楽に溺れすぎているのだろうか。それはもちろん、性欲とは違っている。オツムの小っちゃい心理学者じゃあるまいし。音楽の快楽を、性欲やら食欲と一緒にされてたまるか。けれども一つの欲求が、他の欲求を食い潰すことは、あるいはあるのかもしれない……

 馬鹿馬鹿しい、何を考えているんだ。恭斗は慌ててギターケースを閉ざした。すると、ポケットに突っ込んだ携帯が鳴り出した。何気なく開いてみると、龍也からメールが届いている。『灰化の翼』と題名が記されていて、暇なときに感想をくれとある。急に罪悪感が沸いてきたんで、慌てて携帯を仕舞い直した。ようするに今は読みたくなかったのである。

「よし、いつもの店に行くか」

このバンドも、ボーカルがリーダー役らしい。

「お前ら、いつもどこに行くのさ」

恭斗はメールから逃れた。奴の歌詞なんかに惑わされて、決心が鈍ったのではたまらない。龍也ほどの歌声なら、あんな不始末さえなければ、こんなボーカルなんかより、「神々の領域」を目指せた筈なのに。馬鹿な奴。けれども、馬鹿に一途だからこそ、俺だって付き合ってこれたのだろう。思えばもう、十年以上にもなる。

 恭斗たちは、常人を遙かに凌ぐ音楽センスの頂きを、古風に「神々の領域」と呼んでいるらしかった。恭斗はひとつ頭を振って、龍也の影を追い払った。その日また、帰宅途中の列車に揺られる頃、奴はメールを読み解く誘惑に駆られて、小さな罪悪感と格闘することになるだろう。それまでは恭斗よ、せいぜい、酒でも飲んではしゃいでいるがいい。



 それから二、三日後、龍也の職場では、ウマザルが小さくなっていた。急に部下に対して、おっかなびっくりの丁寧語を使い始めたのである。龍也はそれを遠くから眺めて、奇妙な心持ちがした。誰か、新しい飼育係でも訪れて、バナナでも与えたのだろうか。不思議なことである。渋川では事情に疎いに決まっているから、主婦でもあり、社内事情に首を突っ込みたがる久本に聞いてみることにした。それによると、どうやら社長から、直々に注意を喰らったのが原因のようだ。

「ほら、新入社員の柳岡(やなおか)君ね」

主婦の例外に漏れず、久本はおしゃべりであった。ついひと言尋ねれば、断りの隙がないくらい、すべてを話さないと気が済まない女であった。だから日頃は、余計な話しは避けるくらいの龍也だったが、その代わり、こういう時には重宝する。他人のことなんかどうだっていいが、怒鳴りあったのが関係していたらと、ちょっと気になったからである。

 話しによると、出鱈目ばかりを繰り返すウマザルを見かねて、今まで素直に従ってきたはずの柳岡が、つい「それは違うと思います」と答えたのだそうである。するとたちまち、ウマザルの態度が急変した。いつもの事とはいえ、柳岡のような新人にとって、それは初めての経験であった。失敗を咎められた訳でもないのに、いきなり怒鳴り掛かられたので、大いに驚いてしまったのである。しかも、その後が陰険だった。猿は腐った魂の全身全霊を駆使して、何かを尋ねられても無視したり、自分で勝手にやれと突き返したり、わざと不愉快な様子を表明したり、動物らしいところを思う存分発揮した挙げ句、ある時、柳岡が仕事をしていると、横にあった備品をいきなり蹴飛ばして、転がしたままに立ち去ってしまったのだそうである。まだ若くて率直な柳岡は、すぐに社長のところまで報告を入れにいった。もちろん本社の社長ではない。この支社の支社長のことである。この会社では、本社の社長は本部社長と呼ばれる慣習になっていた。もちろんウマザルの方では、そんな行動に出るとは夢にも思わなかった。他の従業員みたいに、堪え忍ぶものと高をくくっていたからである。それで、予想外の事態に巻き込まれたんだが、なんともはや、猿なみの自業自得ぶりであった。

 柳岡の話しを一緒になって聞いていた兼持課長が、龍也との面接を思い出しながら、ウマザルが部下に怒鳴り掛かったうえに、言い返されたことを逆恨みに、退職させようと画策したことを社長に説明したんで、日頃から問題を感じていた社長も、自分自身が従業員たちを呼び出して、直に聞き取りを行うことにした。仕事のたまっている彼がわざわざ行動するなど、かなり例外的なことである。さっそく順番に面接を行うと、

「備品を投げたことがある」

「挙動不審に、感情をぶちまけてくる」

「自分が間違っているのに、怒鳴り掛かってくる」

「何一つ計画を立てない」

「実際の作業工程は、全部自分たちがやっている」

「人員配置すら私たちがやっている」

「陰で自分たちのことだろうと、上司のことだろうと、悪口ばかり言っている」

「臨時の休みすら誰にも告げない」

「そのくせ、人が休もうとすると、文句を言って取らせない」

など、とんでもない話しばかりが沸いて出る。擁護する人間が一人もいない。社長は驚いた。類似の案件にはずいぶん立ち会ったことがあるが、ここまで一方的な事例は初めてだったからである。こんな三流小説にもならないような管理者が、世の中にいるだろうか。

 皆さんは、少なくとも支社のトップである社長が、こんな他人事みたいな感想を持ったからといって、非難するには及ばない。彼の仕事は、本部から伝えられたプランの大枠を、効率的に運用維持することにあって、個々の現場のことなどは、それぞれの管理者に任せるのが普通だからである。それに自分が歩き回ったって、現場がそれに合わせて偽善的態度を取っちまうから、悪い点は見えにくいものだ。社長だって、ウマザルにハッタリの傾向が強いことは知っていたが、

「私の采配によって」

とか、

「日頃から計画立案について言い聞かせているのですが」

などという報告が、例外なく出鱈目で成り立っているとは、夢にも思わなかったのである。だいたい、人間社会は相手の良心を前提に成り立つものである。それは企業でも同じである。二割、三割の嘘いつわりまでは勘定に入れるが、九割、十割で嘘を付くような人間が紛れ込んでいるとは、上位の管理者だって、なかなか考えつかない。つい良心的方向に解釈してしまう。社長は、自分が騙されていたような不快感を覚えた。そのうえ、従業員たちを、十九世紀の下層労働者なみに扱っているそうだ。さすがに放置しておくことは出来なかった。

 それで翌日、ウマザルを呼び出して、面接を行ったのだそうである。ほとんど問題児童を指導する学校の先生である。なんで自分がこんな事をしなければならないのか、社長ですら情けない気分だった。それにウマザルの態度が、やはりずば抜けている。それは、穏便主義の社長ですら怒鳴りつけそうなくらい、韜晦(とうかい)を極めていたからである。

 例えば計画を立てていないことを尋ねる。すると、

「そのようなことは、決してありません。いつも私が率先して」

などと語り出す。備品を投げたことがあるだろうと問うと、

「身に覚えがありません」

と言い放つ。柳岡への対応を追求すると、

「そんなつもりは、まったくありません。勘違いをさせたことには、誠に申し訳なく」

なんてことを、べらべらと述べ立てるのである。つまりは、精神が腐っていやがる。これは龍也の言葉ではない。そのとき社長は、生理的な嫌悪感を覚えたのであった。もちろん彼は、龍也とは違って、感情まかせに怒鳴りつける訳にはいかなかった。人間の態度など役職に応じて変わるものであるから、あるいは龍也にしたって、彼が猿の上に立つ人間であったなら、あのように怒鳴り返したりしなかったに違いない。またこの社長にしたって、平社員にまで降格すれば、威厳のあるような口調の、大半は損なわれちまうに決まっている。つまりは表層的な人格なんて、外的要因の作用によって生まれた、まぼろしみたいなもんである。すべてはぎ取って、どれだけの人間が残るんだか、到底分かったものではない。ウマザルにしたって、権限さえ与えなければ、勘違いして人様に怒鳴り掛かったりはしなかったのであるから、その点だけでも、企業は人事の恐ろしさについて、もっと思いを致すべきであるには違いない。もちろん、社長は不愉快を表には出さなかった。

「だが、柳岡の横にあった備品を蹴っ飛ばしただろう」

と淡々とした口調で続けると、

「すいません。ちょっと記憶にないんです」

なんてとんでもないことを言い出した。

「記憶にないだと」

社長もさすがに、腹が立ってきた。急に声を荒立てたので、ウマザルはようやくはっと気がついた。しまったと思う。今ごろになって、自分の誤魔化しが効かなかったことを、小っちゃ脳味噌に悟ったからである。社長は、柳岡と、現場に一緒にいた従業員を呼んでこさせて、

「二人の前で、お前は知らないと言うのか」

と駄目を押した。社長を敵に回してしまうとは、なんたる失態であろう。保身以外なにものも持たないウマザルの、小っちゃ魂(だましい)は震え上がった。かつて龍也に見せた、あのピエロみたいなへらへら笑いが帰ってきた。高めの猫背さえ丸めながら、ネズミの鳴き声みたいに説明を始めたのである。

「いいえ、あれは決して蹴ったんじゃないんです。すぐ足もとにあったので、つい突っかかってしまっただけなんです。備品を蹴るなんて、とんでもない。誤解です。いや、下らない誤解を与えてしまった。これは柳岡君、まことに済まないことで」

 ペコペコ頭を下げながら、今に土下座でもしそうな低姿勢である。この急な豹変ぶりは、柳岡を驚愕させた。ようするに不気味だったのである。せっかく好奇心で入社した新入社員の情熱が、ポキンと折れるような心持ちがした。社長だってもちろん不気味だったが、これ以上は何を言っても無駄だと悟ったのだろう。急に冷淡な調子で、

「とにかく今後、たとえ一人でも、問題の報告があったら、すべての経緯を本部に提出させていただきます。河東さんに怒鳴り掛かったこともちゃんと報告が入っていますから、もし次ぎに計画立案がなされなかったり、従業員に怒鳴り掛かるようなことがあったら、どうなるか覚悟しておいてください」

と言い放って、両手を擦って取り入ろうとするウマザルを立ち上がらせた。もう口を聞くのが嫌だったのである。そしてその場で、

「柳岡君、何かあったら、遠慮せずにすぐに報告するように」

とわざわざ伝えておいたのだそうである。柳岡は、少しだけ新入社員の情熱を回復した。こんな社長がいるなら、務めたのは間違いではなかったという希望が、少しだけ沸き起こったからである。そしてそれ以来、ウマザルは、龍也に怒鳴られてへろへろになってしまった時みたいに、梅干しみたいになって、縮こまったままなのだそうである。急に丁寧語なんか使い始めて、かえって不気味であると、久本は締め括った。

「なんだかそうなると、俺一人、辞め損な気がするね」

と冗談に言うと、

「誰も辞めて欲しくないんだから、撤回してちょうだいよ」

と彼女は頼み込んできた。龍也は笑いながら、

「まあ、他にもいろいろあってね」

と誤魔化しちまった。

 それに、彼は知っていたのである。ウマザルが恐ろしいほどの手際で、人事の担当に退社の書類などを、龍也のために取り揃えさせたりしているのを。それは奴が仕事の計画を、何一つ立てられないのとは対照的な、すばらしい行動力だった。それを人事から聞かされた龍也は、けれども怒りとか、不愉快とか、人間に対して起こるような感情は、もはや湧いてこなかった。不気味なネズミが這い回るような、汚らしさで背筋が寒くなった。

 たぶん柳岡も同じなんだろう。社長も似たような感情を抱き始めている。そうであるとしたら、このウマザルは何のために、この世に不愉快を与えるためだけに、悪臭を放って君臨しているのだろう。それが不思議でならなかった。でも結局は、こいつが問題なんじゃないんだ。これほどの問題児を見抜けない、明確な規準のないルーズな人事にこそ、根本的な問題があるに違いないのだ。こんなことを繰り返しているから、戦争にだって負けちまったんだ。また祖父の話しを思い出して、龍也は気が滅入ってきた。命を取られないだけマシだというのか。それをこそ感謝すべきだというのか。だとしたら、この国は、いったいどんな社会なんだ。こんなんじゃあ、一人で粋がって反社会に訴えたって、人形に語りかけるのと、何も変わらないではないか。あんなウマザルがのさばるような世界じゃあ、俺の作った歌なんて、ひとつ残らず偽物にされまうんだ……

 龍也が自分の周囲の環境から、社会を類推して批判しがちなのは仕方がない。彼は多分に主観的な人間である。その上、下層の労働者である。その上ロックである。どうしても、社会全体が歪んでいるようにしか見えなかった。その上、

「ねえ。次ぎは何すればいいかな」

などと、二倍以上の給料を貰っている渋川が、また聞いてくる始末である。本当にこの国はどうなっちまっているんだろう。龍也は、すっかり消沈してしまった。それでも彼は、すぐに的確な指示を下すと、人員配置を組み直した。計画書も作り直さなければならなかった。社長に脅されて以来、猿は計画書を立案してきたが、結局は役に立たない出鱈目だから、実用には耐えられなかったからである。こんな二度手間の分だけ、企業は余分な賃金を支払っているんだ。名目だけの計画書なんて、リストラの前に排除すべき事柄だ。計画書を作れる人間すら選別出来ないから、人海戦術なみの馬鹿さ加減で、人員を減らすしか思いつかないんだ。全員で突撃したら、機銃掃射に勝てるくらいの精神を、まだ引きずっていやがるんだ。そうして、上司に突撃を命じられたら、そのまま死地に赴いちまうんじゃないかと思うくらい、働く側だって忠犬過ぎるんだ。



 その日は、部屋に帰ってからも気分が晴れなかった。ウマザルのこと、渋川のこと、企業の体質のことなどが頭を駆け巡って、全然ロックになれなかった。自分から幕を引いたつもりだったのに、犬に吠えられて辞任に追い込まれたような、情けない首相の心持ちから抜け出せなかった。若い頃みたいに、なんでも粋がったまま貫き通せるほど、心が単純明快では無くなっている。それが余計に腹立たしい。龍也は不器用だから、こんな時、うまく考えを反らせるようなワザを持っていなかった。とことん考えつめて、疲れて眠ってしまうまでは、わだかまりから逃れられない。その代わり、翌日になるとさっぱりしたもんだが、短気なわりに冷めやすい恭斗とは大分違っている。また開いたノートを白紙のままに、ギターにすらも手を掛けず、音楽とはまるで関係のないことを思い巡らしていた。

 これからまた、やる気のある人間を疎外するような、ルーズに浸りきった社会に出張して、仕事を探さなければならないのか。本当にうんざりだ。彼は、失業による自殺のニュースを見るたびに、なぜそれほど簡単に死んじまうのかと不思議だった。経営者で借金に追われているならともかく、仕事なんて死ぬ気で探せば、よほどの高齢者でもない限り、何かしら見つけ出すことが可能だったからである。例えば仕分け工場では、退職後の年齢くらいの男性が、電話一本で仕事に来たりしているではないか。

 けれども違っていた。仕事が有る無しの問題じゃないんだ。正規とか非正規なんて廃止して、やる気のある奴、真面目な奴、懸命に働く奴がすぐに認められて、不真面目な奴、好い加減な奴、上に立つべきでない奴を、貶めるような社会でなければ、まともな人間が生きがいなんて得られる訳がないではないか。リストラをするのだって、非正規だからじゃない、仕事の内容によって理由付けがなされなくっちゃ、人間として見られてないのと同じじゃないか。つまりは部品扱いなんだ。歯車の規格が違うだけで、能力に関わらず烙印を押されちまうのである。もちろん自分は、そうやって辞めさせられたのではないが、そもそもリストラのプランが、非正規から選別する内容だったことに変わりない。それがすでにおかしいではないか。効率的にウマザルのような人間を見つけだして、脇に追いやったり、つまみ出したりするするようなシステムでなければ、企業の利益にだって、プラスになるところは無いはずなのに。

 ようするにどれだけ働いたって、運良く正規になれなければ、なんの価値もない歯車であると、どんなに仕事を替えたって言い続けられるような、そんな不気味な社会だから、やる気のある奴ほど生きる意味を失って、死にたくなっちまうに決まってるんだ。

 それでいて、社員になったって、大方報われないんだ。本当の意味での能力主義になっていないから、無能な中間管理職の職務を両肩に背負わされて、それでいて能力よりも、お調子者や口のうまい連中が、とんとん出世なんかしちまう。資格や成績や勤務内容とは別に、コネというもう一本の人事ラインが生命線を維持していて、選考基準をあやふやにしている。これじゃあやっぱり、大部分の社員は、成果いかんに関わらない歯車と一緒じゃないか。

 ああ、この国は、本当は、社会主義国家なんじゃないだろうか。それも本来の言葉の意味のではなく、いったん権力側に組みした人間が、甘い汁を吸いながら、なあなあに自分たちを擁護して、社会主義を隠れ蓑に、国家を乗っ取っちまったみたいな体制が、そっくりそのまま企業体質に移行して、資本主義を盾にして、従業員たちに平等主義を押し付けるみたいな、企業的全体主義がまかり通ってるんじゃないだろうか。そうして、彼らの手にする道具は、俺たちという名の部品そのものなんじゃないだろうか。あなたがたは、平等に企業の歯車です。横並びに痛みを分かち合いましょう。人間は平等なものです。差別を設けてはなりません。全員が部品としての職務を全うしてこそ、始めて企業が動くことが出来るからです。挙げ句の果てに、企業利益だけが守られていれば、自国民がどうなろうと知ったこっちゃないような無茶苦茶が、グローバル化を隠れ蓑にして、雇用者を切り捨てて回っている。日本人のためにならない日本企業なんて、日本人にとって必要なのかどうか、どう考えたって本末転倒じゃないか。

 そうなんだ。どんなに懸命に働いたって、人間としての評価が得られなかったら、真面目な奴ほど死にたくなるに決まっている。人間らしい奴ほど死にたくなるに決まっている。部品が大好きでげらげら笑っている奴らはいいさ。だが、俺たちはどうする。音楽すら認められない俺にしたって、いつか息の根を止められちまうのではないか。龍也はギターを手にとって、小さく奏でながら、一曲の歌を口ずさんだ。考えつかれた頭が、諦めがてらに悲しみを奏でて、今の心にマッチしたような、長大なバラードだった。

「引き裂かれた旗」
不気味な社会が襲って来やがった
夢だとか愛だとかほざきながら
俺たちを歯車に貶める
部品一途(いちず)の時代が来やがったんだ

反旗の旗はずたずたに
引き裂かれて燃やされた
誰もが合唱していやがる
メトロノームの規律を求めながら

あらゆるメディアの力を借りて
あらゆるネットを駆け巡り
奴らは単一の思想を身に付けた
奴らは単一の文化を身に付けた
奴らは単一の秒針を身に付けた
悪魔どもは住みかを失い
絶滅種族にさせられちまった

人道をかかげた言論統制が
奴らの思考を麻痺させた
人のいのちを盾にして
規律を乱した俺たちを
片っ端から投獄したんだ

それでいて歯車を指向する
有害な奴らのことは決して
糾弾しようとはしなかった
救世主として崇めやがったんだ

有害な奴らは図に乗った
同じ犯罪を繰り返した
善良なたましいを殺めては
その快楽をむさぼった

俺たちさえ狩り尽くせば
社会は安泰だと囃し立てた
誰も違うとは答えなかった
奴らは並列回路に群がった

俺たちは追い詰められた
有害な奴らは頂点を極めた
お前らが偽りの人道を掲げて
俺たちを追いやるほどに

有害な奴らの天下となった
俺たちがどれほど世のために
尽くして遣ったかもわきまえず
お前たちは俺たちを荒野へと駆逐した

流す血もほとほと無くなった
俺たちの旗はへし折られた
あんたら並列回路の勝利だ
言論の自由は奪われた
行動の自由さえも今はもう
規制され尽くしてこれからは

進んでシステムに寄生して
部品のなかでこそ安心して
愛の歌なんてほざきやがる
燈火に群がる蛾のように
快楽を求めて笑うのだ

自由の旗を掲げることは
一匹狼を守ることだった
有害な奴らを許さずに
反旗の精神を守り抜くことだった

誰もがそれを踏みにじった
そうしてデフォルメされた
愛の歌ばかりに酔いしれた
対立概念が消えちまった
誰もがますますひとつになった

干からびちまった荒野を
声を奪われた俺たちは
服もよれよれになりながら
追い立てられて逃げていく
お前たちの望みは遂げられた
文化的社会主義の完成だ

偉大な指導者に果たせなかった夢が
お前たちの自助努力によって成就する
俺たちの居場所はどこにもない
俺たちの旗は引き裂かれた
仲間さえもひとりふたりと
俺のまわりから立ち去った
全身をむち打たれ涙を流して
お前たちの仲間入りを果たすため

俺は今もう一人きり
みずからの幕引きを考える
アルコールばかりが虚しくて
グラスの割れる音がする

 龍也は窓ガラスを放ってみた。十一月半ばの風が冷たかった。夜のとばりを降ろしきった町並が、天空の星あかりなど掻き消すみたいに、街灯やネオンランプを煌めかせている。それは龍也の部屋からは見渡せなかったが、星数があまりにも少ないので、彼はふとそう思った。遠くから列車の音がする。帰宅途中にゆられる人たちは、最終近くの酔いどれの表情を、詰まらなそうに車窓に傾けながら、暖かい毛布にくるまれることばかりを願うだろう。あるいは携帯に逃れて、社会の矛盾など、思い浮かべないようにするだろう。そうやって、ごとごと揺られるうちに、毎日が果てしなく演繹されて、いつか終焉が訪れるのを、誰もが忘れたふりをして、来る日も来る日も仕事に通い続けるんだ。

 龍也は身を乗り出してみる。天空を見上げたら、クロノスの秒針が、自分にだけは見えそうな気がしたからである。けれどもそこには、漆黒にすらなりきれなかった星空が、木枯らしじみた風を響かせて、幾つか煌めいているばかりであった。不意に咲菜恵を抱きしめたいような淋しさが沸いてきたが、携帯を取りだそうとしてまた止めた。あいつはもう寝てしまっただろう。疲れているのを起こすのも悪いような気がする。龍也は、窓を閉めるとまたひたむきに、ノートの前に座り込んだのである。しばらくはあれこれ考えていたはずの意識が、次第に遠ざかるとき、彼は机の上にうつぶして、いつしか記憶を失っていった。遠くから聞こえる針の音(ね)が、子守唄みたいにして夢へと流れ込んできた。それは懐かしいような、母の歌声に似ていた……

朗読7 [陽一の送別会]

「乾杯」

 陽一との送別会は、小さなステージのある居酒屋で開かれた。ここは、バンドを遣っていたマスターが経営していたから、龍也たちとも顔なじみだったのである。

「无型(むけい)が解散とは思わなかったな。淋しくなるね」

なんて言ってくれる。

「解散じゃない。メンバー募集中だ」

と龍也が言い返す。まだ自分の離脱を告げていなかった恭斗は、ちょっと落ち着かない。女が二人いるんで、あまりバンドの話にはならなかったのが、かえって有り難いくらいである。

「ねえ、いつ結婚するのよ」

なんて咲菜恵が菜魅子に聞き始めた。

「まだ先なの。向こうで部屋を借りなくっちゃ」

「おいおい陽一、実家を継ぐんじゃねえのかよ」

恭斗はさっそく会話に逃げ込んだ。

「それがさ。実家の仕事をするのはいいけど、一緒に生活するのはさすがに嫌だから」

「そうなの。二人の生活、邪魔されたくないし」

「だから住むところは別にするんだ」

「なあんだ。じゃあ、今とあんま変わんないじゃない」

咲菜恵が笑いだすと、

「いや。これでも正社員扱いだから、給料はいいんだ。菜魅子も働くし」

と陽一がグラスを傾けた。龍也はこんなところにまで、正社員の言葉が出てくるんで、ちょっとびっくりした。

「わざわざ雇用契約なんかあるのか」

「当たり前じゃないか。零細企業だって、個人商店だって、ちゃんと契約を結んで、給料を貰わなかったら、お小遣いで働いているようなもんじゃないか」

「いや、そんなもんかと思ってた」

龍也はこんなところでは世間知らずな男である。

「あ、そういえば。あの首相って、億単位でお小遣い貰ってなかったっけ」

菜魅子はマスターの創作料理を突きながら口を突っ込んだ。

「なんだそれ。一億あれば、なんもしないでロックに生きられるじゃねえか」

恭斗がげんなりする。

「いや、違うな。そんな奴には、ロックなんか歌えねえんだ」

龍也は真面目になる。

「結局、俺たちの生きているあらゆる矛盾が、断末魔の叫びを奏でる一刹那に、真実の歌声が潜んでいるんだ。リッチな奴らに、本物の歌なんか歌えねえよ」

「ねえ。じゃあ、さあ」

咲菜恵が、何を言い出すのかと思ったら、

「やっぱり、私たちも結婚しよっかあ」

と言いだしたのでびっくりした。

「どうして、じゃあさあで繋がるんだ」

龍也が目を丸くすると、

「ほら、子供が出来たら、あらゆる矛盾がもっともっと増えるわよ。金もなくなるし」

と言い出すので、思わずみんな大笑いになった。すでに子持のマスターが、向こうから、

「そうだ河東。どこの国のミュージシャンだって、年とともに生活を変え、歌を変え、その中で自分のロックを奏でてるんだ。お前もそろそろ結婚して、子持ロックを遣ってみろ」

なんて言い始めた。

「おいおい、なんだよその子持ロックって、ししゃもじゃねんだ」

「ししゃも、懐かしぃ」

「菜魅子、なにが、懐かしいのよ」

「子供の頃、カルシウムがどうのって、食べさせられた記憶が」

「そう言えば、最近食ったことないな」

「マスター、ししゃもある、ねえ、ししゃも」

「あるわけ、ないでしょう。お客さん、お願いだから、メニューにあるもの頼んでくださいよ」

なんて、酔っぱらうがままに笑いに包まれた。他のお客さんは、ずっと向こうに一組と、夜の窓際に一組と、つまりはたいした店でないから、気さくな盛り上がりを見せるらしかった。

 陽一が、自分の抜けた後を心配して、ちょっと尋ねたとき、恭斗が、

「そういう話しは、お前を送り出してから、考えるに決まってんじゃんか」

と言い逃れをしたので、三人はそれとなく思うところあって、音楽の話しは止めてしまった。ただ、

「お前、向こうへ行ったらドラムはどうするつもりだ」

と龍也が聞いたとき、

「うん。実はまだ、何も考えていないんだ。しばらくは落ち着かないから」

「落ち着いたら続けろ。いつかまた三人で、音を合わせようぜ」

なんて言いだした。龍也も淋しいのだろう。しかし恭斗が、

「その頃はすでに、お爺ちゃんじゃねえのか」

なんて言い出すものだから、また女二人が、

「やだ、孫もいたりして?」

「それじゃあ、孫持ちロックじゃないの」

「孫持ちロック?」

恭斗が悪のりして、

「マスター、孫持ちししゃもある」

と聞いたので、菜魅子と咲菜恵が同時に噴き出して、収拾が付かなくなってしまった。

 こんな楽しい飲み会も、当分見ることも無いかも知れない。立ち上がった龍也は、ステージにあったアコースティックギターを手に取ると、

「一曲、即興で歌います」

とお辞儀をした。他の呑み客も一緒になって、まばらな拍手を送ってくれる。恭斗と違って、彼のギターはシンプルで、それほど凝ったことは出来ないけれども、

「それじゃあ、題名は、幸せ酒場で」

と言って、スローテンポでイントロを弾き始める頃には、誰もが静かに彼を見守った。社会批判的な歌ばかり書いているけれども、本当はありきたりの日常を、さらりと歌い流すような歌詞にこそ、龍也の煌めくようなセンスは込められているようにさえ、私には思えるくらいだった。

『幸せ酒場』
幸せ酒場に ほほえみあって
青春色した つまみがひとつ
僕らの時代が かげろうなんて
思ったことすら なかったけれど

道ばたにまた 標札がひとつ
右に行こうか 左に行こうか
僕らはそれぞれ 悩んだけれど
踏み出す靴音 あちらこちらへ

いろんな手と手を 取り合って
みんなではしゃいだ あの頃が
時計の針を 聞きながら
そっと静かに 遠ざかる

明日になったら 旅立ちの
手を振るときの 淋しさも
きっと忘れて 見せるけど
この今だけは もうすこし

幸せ酒場に ほほえみあって
青春色した つまみつまんで
一緒に酒も 飲んでいたいな
時が流れる 音がしますね

 咲菜恵と菜魅子が涙目になっている。みんな感動して聞いている。恭斗はひとりで戦慄を覚える。即興でこんな歌が歌えるなんて、信じられないくらいの音楽センスである。それくらい龍也のメロディーラインは、在り来たりではなかった。まるで徹夜で試行錯誤を重ねて、最後に自然へと回帰させたような、技巧性と単純さを兼ね揃えている。けれども誰もそこまでは気がつかない。マスターが、

「いい曲だねえ」

と讃えると、陽一が、

「さすがだよ、お前」

なんて見直している。女たちが盛んにエールを送る。けれども……その才能を本当に見抜いているのは、自分だけなんだ。恭斗はまた罪悪感が湧いてきて、ひとりでふさぎ込んでいた。残っていたジョッキのビールを空にする。そんな思いには気づかない陽一が、威勢よく、

「マスター、恭斗にビールもう一杯」

と注文して笑っている。ただ、戻って来た龍也だけが、

「どうした、恭斗」

と声を掛けた。

「いや、なんでもない。いい歌だと思ってさ」

なんて軽く誤魔化しちまう。すると菜魅子が、

「やっぱり、アコースティックギターの響きって、いいわね」

と言いだした。恭斗は話しを反らしがてらに、

「なにそれ。エレキじゃ駄目って意味かよ」

と新しく来たジョッキをぐび飲みした。

「だってエレキって騒がしいんだもん」

「出た、菜魅子のエレキ騒音説」

「そんなんじゃないってばあ」

恭斗は黙っている訳にはいかなくなった。

「アコースティックは確かにいいさ、だけどな」

さっそく箸を振り回し始めた。恐らく、龍也の歌から逃れたかったに違いない。わざと威勢をよくして、

「大自然のアコースティックの響きを讃えつつも、それを人工的に超越しようとする刹那に、エレキギターは飛翔するんだ。ペンキ塗りする化粧みたいに、ちゃっちいおもちゃを重ね合わせて、張りぼての音楽を並べている、安物の電子音とはハートが違う。騒音に逃れようとする人工の響きをとっ掴まえて、人間のしもべとするところに、魂を揺さぶるヴィブラートが沸き上がる。それこそ悪魔との契約そのものなのさ」

 なんのこっちゃか、さっぱり分からない。彼のギターへの思いは、相当に呪術的な側面を持つらしく、技術のことではなく、価値観などを尋ねられると、聞いた相手を煙に巻くことがよくあった。それが面白くて、陽一と龍也は、酔うたびにギターを貶してみることがあったのだが、その度にいきりたって、恭斗は自説を述べ立てるのである。

「出た、恭斗のエレキ神授説」《下注六》

と陽一が笑っている。そこへマスターが、

「佐々木の送別記念に、これは無料サービス」

といって、刺身の盛り合わせを持ってきてくれたので、拍手喝采が沸き起こった。こうして送別会は、なんの諍いもなく賑やかのうちに更けていったのであった。



 その夜、酔っぱらったまま、咲菜恵と部屋に戻った龍也は、小さな夢を見た。それは祖父の話に基づいて脚色された夢らしかった。むんむんするような夜風の中で、四、五十人が固まっている。いや、もっといるのかも知れない。しかし、森林のあいだに挟まっていて、全体の人数なんか分からなかった。樹木は南国のものだ。不気味なシダ植物もある。覆いを被せた薄明かりのランプだけが、薄暗く人影を照らしている。月も出ていない。そこに陽一と、恭斗と、龍也は、兵隊の服を着て控えているのである。そこら中がすり切れて、泥まみれである。三人とも銃を持っている。長い銃身の先にはナイフがつけられている。ひと言も発せずに、互いの汚れた顔を眺めている。

「やっぱり俺、言ってくる」

龍也は、ぶ厚い木の幹から立ち上がる。

「無駄さ、辞めておけ」

恭斗が宥めようとする。

「このままじゃ、無駄死にだ」

龍也の瞳が憎しみの炎で光るらしい。しかし、ランプが暗すぎてよく分からなかった。

「無駄死にでも犬死にでも、俺たちはこの銃身に込められた弾と一緒さ。使い捨てにされて、また次の兵が運ばれてくるだけなのさ」

「そんな馬鹿な話しがあるか。俺たちは人間だ。消耗品じゃないんだ。第一、生まれてから兵士になるまで、何年かかると思っていやがる」

すると気の小さい陽一が、あたりを憚(はばか)るような小さな声で、こんな話しをし始めたのであった。

「ふたつの国がありました。まったく同等の武器を持ち、全く同数の兵がいました。ある時、このふたつの国にいくさが起こりました。甲(こう)の国は、兵を消耗品として、命と引き換えに敵を切り崩そうとばかりしました。乙(おつ)の国では、命に勝るものは無いとして、いかなる作戦も、兵の犠牲のみを前提には、立案しませんでした。始め、甲の国の作戦はうまく行きました。乙の国は防戦一方となりました。けれども乙の国は、守備の際にも人命を最優先に尽力しました。甲の国は、人命を湯水のように浪費しました。やがて長期戦になりました。次第に甲の国は、消費するべき兵が足らなくなりました。増産しようにも追っ付きません。とうとう武器を作る人々や、未成年までも狩りだし始めました。一方、乙の国では、兵の数には余裕がありました。武器を作る人にも余裕がありました。見習いの兵たちは、十分な訓練を行いました。そうしてある時、守るべき兵のいなくなった甲の国を、乙の国は占領してしまいました」

そう言いながら、陽一はつい涙ぐんでしまった。それから、

「菜魅子に逢いたい」

と言って泣き出したのである。恭斗が、

「馬鹿。そんな話し、聞かれたら大変なことになる」

と真っ青な顔をして睨み付けた。もはや我慢できなくなった龍也は、

「やっぱり言ってくる」

と言い残して、上官のところへと駆け出していた。

 それが何隊長なんだか、夢のなかの龍也にはもとより分からなかった。ただ勝手に、

「中隊長どの」

と小さな天幕のあるところへ走り込んだ。もう作戦立案も済んだらしく、進軍の準備に追われていた上官が、一兵卒(いっぺいそつ)の乱入を、訝しげに眺めまわした。その上官の姿は、ぬぼっとしていて、それでいて落ち着きがなく、年齢よりもしわくちゃで、まるで引き延ばした猿のような顔をしていた。龍也はその姿を、よく知っているはずなのに、夢の中では、どうしてもウマザルだと突きとめることが出来なかった。

「なんだ。お前は軍の規律というものを知らんのか」

中隊長はさっそく怒鳴りだした。

「しかし、このまま突撃したら、規律を守るべき軍自体が消えてしまうかと思われます」

龍也は勇気を出して言い放った。

「貴様、この作戦が間違っていると抜かすつもりか」

しわくちゃの鈍い瞳に、憎しみの炎が沸き起こった。龍也ははっとなる。前にも見たような気がしたからである。けれども怯まなかった。何も言わずに、死地に赴かされるなんて堪えられない。

「このまま突撃しても。一昨日の二の舞です。照明弾を打たれて、機銃掃射の餌食です。防壁にさえ近づけません。名嘉谷(なかたに)中隊長殿の無念を思い出してください」

「馬鹿者。貴様、名嘉谷中隊長の名誉の戦死を無駄死にと愚弄する気か」

「そうではありません」

「現に言っておるではないか。いいか、一昨日の殲滅により敵は我が軍の壊滅を確信しておる。すでに油断が生じておる。今回の作戦は、その油断を突いて、敵陣に切り込むものである。前回の敗北を覆す積極的突撃である。それが分からんか」

凄まじい剣幕である、「分からん」と答えたら、張り倒されるに決まっているから、黙って控えていると、

「軍を思っての進言であるから、特別に許してやる。ただちに持ち場に戻れ」

と言って、追い返されてしまった。これ以上、口を出すことは、味方に捕縛されることを意味する。そうでなくても、殴られなかったのが奇跡であった。龍也は、重い足取りで持ち場へと戻っていった。

「おい、大丈夫か」

二人が駆け寄ってくる。

「ああ、だが」

「だから無駄だって言ったじゃねえか」

「俺たち、今夜死ぬのかな」

陽一がまた、めそめそし始めた。三人とも胸のうちがヒンヤリする。お国のためなんて冗談にも叫べなかった。龍也は、悲しい気持ちで密林を眺めまわした。俺のロックもここまでなのだろうか。あちらこちらに人影がして、人生最後のひとときを、楽しむでもなくただむっつりと、銃の整備などに明け暮れているのだった。もう食料だって尽きかけている。腹が減ったまま死ぬなんて憐れである。けれども、みんな死ぬのが分かっている。頭のめでたい中隊長だけが、作戦の成功をまるで疑っていない有様だ。それでいて俺たちは、刃向かうことすら許されない。もし作戦に従わなければ、犯罪者として処断されるだけのことだ。何もかも間違っている。俺たち、こんなことのために、生まれてきた筈ではなかったのに……

 ジャングルを歩ききった三人は、がさごそと森の外れに待機した。陽一がまた菜魅子の名前を呟いた。龍也も咲菜恵と呼んでみたかったけれども、最後の矜恃がそれを許さなかった。それから静まり返った、深夜の敵陣に向かって、中隊長の合図に合わせて、一斉にジャングルから走り出したのである。しかし、たちまち捕捉された。戦国時代の夜襲じゃあるまいし、索敵システムが張り巡らされていない訳が無いではないか。走り出したばかりの荒れ地を照らして、突然まばゆい光が、上空から降りそそいだ。基地から照明弾が打ち上げられたに違いない。

 防壁のうえから、一斉に機関銃が放たれた。凄まじい連射速度である。横一列に並んでいる。走り出した兵たちは、走りながらにバタバタと倒れていく。そして、倒されながらに、ひたむきに防壁をめざしていく。奇跡的に到着したって、こうなってはもう、何の意味もないことは明らかだ。それなのに、今や防壁に触れることが目的であるかのように、走りながらにバタバタと倒されていく。倒されながらにまた走り出す。まるで不気味な影絵でも見ているようだった。命の実感が湧いてこない。動いているものは人でなくって、人形か何かのように思われる。龍也もまた走り出した。こんなのは滅茶苦茶だ。人間は部品じゃない。俺たちは弾丸じゃない。命はこんな無意味なものじゃない。もう陽一も、恭斗もいなくなってしまった。まだどこかを走っているのだろうか。それとも土塊(つちくれ)みたいになって、どこかに静かに横たわっているのだろうか。また照明弾が照らし出す。機銃掃射が激しくなる。恐ろしい響き渡って、この世の風景とは思えない。咲菜恵、もう一度会いたかった。龍也は駆け出したとたん、体をぶち抜かれたような不思議な感覚に打ちのめされた。何くそと思って下を向くと、腹のあたりから血が噴き出している。くそったれ、俺はまだ歌わなくっちゃならないんだ。こんなところで死んでたまるか。けれども……

 またひとつ、胸のあたりを打ち抜いたとき、音楽への情熱と一緒に、全身の力が奪われていくのを感じた。ふわりと大地が近くなった気がしたら、もう顔面から地面にぶち当たっていた。泥が口のなかに入ってくる。まずい土の味がする。これはまるで、あの日のメルローの味だ。

 痛え。体に力が入らねえ。手を伸ばそうと思ったのに、もう動かなくなっている。誰かが、俺の背中を踏みつけにして、それでも防壁をめざして駈けていく。馬鹿、止せ、お前ら、もう逃げろ。命を無駄にするな。あんな作戦しか立てられない、中隊長の犠牲に処されるな。ああ、咲菜恵……

 がばっと目覚めると、部屋のなかは真っ暗だった。咲菜恵はすやすやと眠っている。何も変わらない自分のマンションだ。寝汗でパジャマがぐっしょり濡れている。よほど全身をリキみ続けたせいだろう、体じゅうが脱力したような感じだった。それでいて肌が冷たかった。頭がくらくらする。ようやく立ち上がって、キッチンでうがいをして、それから水をがぶ飲みにした。恐ろしい夢を見たものである。あの中隊長の顔が、ウマザルの姿であったことを悟ったとき、龍也は思わず吐きそうになった。慌てて水をもう一杯飲み干した。少し飲みすぎたのであろうか。こんな酒に弱いはずはないのに。彼はよろよろと寝床に戻っていったのであった。

朗読8 [バンドの解散]

 数日後、陽一と菜魅子は列車に揺られて立ち去った。恭斗と挨拶をした陽一は、最後に龍也に向かって、

「歌詞が出来たらまた送ってくれよ。感想だけなら、いつだって書けるから」

といった。龍也はもちろんだと答えた。

「それじゃあ、元気でな」

そういって三人は分かれたのである。列車のベルが鳴り響けば、ドアはさっと閉ざしてしまう。汽車の頃だったら、窓を開いたり、別れを惜しんだりも出来たのだろうが、文明の世だからすべてが味気ない。それでも咲菜恵と菜魅子は、互いが見えなくなるまで手を振り合っていた。

 陽一はしばらく別れの余韻に耽っていた。菜魅子の隣でぼんやりと列車に揺られながら、送別会の時のことを思い出したりしていた。けれどもやがて過去の回想は、未来への希望へ取って変わられた。二人はまだ見ぬ未来について語り始めた。やがて家並みがまばらになって、森林や田畑のまさる頃には、二人はこの物語を離れて、どこかの小説へと渡っていくのだろう。しかし私はそれを追わなかった。二人がフェードアウトするのに合わせて、フォーカスはふたたび龍也と恭斗のプラットフォームへと戻ってくる。そこにはもちろん、咲菜恵の姿もあった。

 三人は駅を後にした。龍也はどこかの喫茶店にでも入ろうかと思っていたのだが、恭斗がちょっと公園を回ろうと言い出した。龍也ははっとなる。話しがあるに決まっているのだ。ちょっと無口になって、大通りを折れ曲がると、すぐに人影がまばらになるのは、都内にあっては不思議なくらいである。枝ぶりの淋しくなった落葉樹と、清掃残りの枯葉が、常緑の低木に慕われて、まだしも公園の体裁を保っていた。恭斗が前を行くから、龍也は咲菜恵と歩いている。おおよそ察しは付いていた。陽一のときだってそうだ。バンドから離れる話しに決まっているんだ。俺はなんて馬鹿だったんだろう。てっきり三人で駈けている積もりになっていた。走りたいのは俺一人で、他の奴らは迷惑がてらに付き合っていたなんて、今まで気づきもしなかった。なんだか騙されたような気分である。だから不機嫌であった。陽一を送り出したときの、さわやかな気分なんか、すっかり吹っ飛んでしまった。

 咲菜恵は、なんだか心配になってきた。良くないことが起きそうな気がする。女の勘は確かである。不安を隠そうとして、下らない話しをしけてみたが、龍也の答えは味気なかった。遠くで何鳥だかが囀っている。少し寒そうな響きである。三人はベンチに腰を下ろした。中年夫婦が散歩がてらに、犬に引っ張られながらに歩いていく。

 しばらく向こうの方を眺めていた龍也が、不意に立ち上がった。

「悪いな咲菜恵、近くにコンビニがあっただろ。缶ビールを買ってきてくれないか。話しを終わらせちまうから」

咲菜恵ははっとなった。喧嘩をするつもりかもしれない。

「昼間っからビールなんて」

と答えようと思ったけど、声を掛けられる雰囲気ではなかったのである。

「分かったわ」

といって公園を後にした。後にしながら悲しくなった。こんなとき、私は決して仲間には入れて貰えない。男同士の付き合いっていうけれど、それだけだろうか。龍也は、本当に私を愛しているのだろうか。私なんかいなくたって、気にも止めないのではないだろうか。急にそんな淋しさに打ちのめされて、涙が出そうになってきた。公園の入口で振り向くと、けれども二人は、穏やかに話し合っているように見える。大丈夫なのかな。私の思い過ごしなのかな。咲菜恵はコンビニへと足を早めた。

「何の話しだ」

龍也はすでに言葉つきが荒くなっている。もちろん恭斗だって、話すと決まったからには躊躇なんかしなかった。

「悪いな龍也。俺もバンドから抜けさせてもらうぜ」

「やはりその話か」

「ドラムまで脱落じゃ、もう回りようがない。それに」

「いいぜ。どうせ安定が欲しくなったんだろ」

と龍也が言い返すので、恭斗も急にムッとなった。

「こんな不安定じゃ、音楽そのものが出来なくなっちまう」

「たとえ倒れても、自分たちの音楽を掲げるのが、俺たちのポリシーだったはずだ」

「倒れちまったら、ポリシーなんか意味ないじゃねえか」

恭斗は答えるごとに熱くなってくる。

「いいや。倒れる瞬間まで独立の旗を掲げなければ、ロックの意味そのものが無くなっちまうんだ」

龍也は屹然として言い返す。二人の沸点の差が、なおさら恭斗を苛立たせた。

「勝手なこと言うな」

恭斗が怒鳴り声になった。

「だいたい、お前があんな真似をしなければ、今ごろちゃんと音楽で食っていけたんだ」

ついに口にしちまった。もう後へは退けない。そのまま龍也を睨み付けた。

「ちょっと歌詞を替えれば済んだのに、なんでバンド全員のデビューを、お前ひとりが勝手にぶち壊せるのさ」

 それは、无型がある有名なプロデューサーに認められて、デビューの話しが舞い込んだ時のことであった。歌詞の一部を、アク抜きして差し替えるように迫ったプロデューサーに対して、龍也が、

「あんたは、商業主義と安全のために、ロックの一番大切な魂を骨抜きにしようとしている」

と食って掛かかったのである。もちろん、話しはすぐに流れた。しかし、それだけでは済まなかった。そのプロデューサーが、自分に刃向かった龍也たちを、許すわけが無かったからである。業界に張り巡らされたコネクションを駆使して、『无型』が表の舞台に這い上がれないように、彼はすぐに指令を発したのである。

 あるいは皆さんは、反抗的でも魂を揺さぶる音楽をとか、希少性のある芸術を見いだしたいとか、人材発掘めいた著名人のインタビューに感動して、勇気を貰ったことがあるかもしれない。けれどもそれは、とんでもない誤解である。口だけはご立派な連中の大半が、その実、ろくな倫理観など持ち合わせておらず、感情まかせに新人を抹殺するような、呪術的な社会が蔓延している。つまりはここでも、企業のコネくらいの感覚が、圧倒的スケールで息づいていて、いわゆるよい子ちゃんだけが、階段を登れる仕組みになっているらしかった。

「なんだと」

龍也はちょっと驚いた。そんな話しは、綺麗に忘れていたからである。もう五年以上前のことだ。たしかにあの後、バンド内で争いが起きて、メンバーが離脱した。けれども陽一だって、恭斗だって、俺のことを支持してくれたのではなかったか。それに、もし歌詞まで改変させられたら、俺たちがその歌を奏でる意味が、まるで無くなっちまうじゃないか。

 けれども龍也は、自分が導いた結末を、完全には理解していなかった。それは考えが至らないというよりは、善良すぎるといった方が相応しいかもしれない。あのプロデューサーの根回しが、未だ息づいていることなど、思いもよらない様子なのである。ひとしきり吹き荒れた強風が収まったんで、嵐は過ぎ去ったものと信じているらしい。しかし、世の中はそんなに甘いものじゃあない。あのプロデューサーが君臨する限り、龍也のデビューの足枷となるのは明らかだった。もちろん、ライブで歌うくらいのことは、才能があるからさせてくれるだろう。けれども、メジャーの話しが沸き起こるたびに、彼が邪魔を試みることは目に見えていた。ただ、他の理由を盾に断られるから、龍也が気づかないようなものである。社会を総体に批判する彼は、とかく個人の悪意に対しては、極めて鈍感な側面を持っていた。あるいは、お人好しといってもいいくらいであった。だからこそ、役職でもないのに、職場でまとめ役などをやっているに違いない。

「お前だって、俺に賛成したじゃねえか」

龍也は、まだ面食らったような調子を残していた。

「そりゃ、賛成したさ。賛成はしたが、お前があんなことをしなければ、メジャーになれたことも間違いじゃない。そうしたら陽一だって、まだドラムが叩けただろうさ」

ようするに、今ごろ、昔の獲物が惜しくなって来やがったのか。龍也はようやく気がついた。

「それを恨んで、日和見に走ろうってのか」

と本気で怒鳴り返すと、

「そうじゃない。けれども俺たちだって、いつまでも粋がっていける年齢じゃない。ポリシーだけ掲げたって続かねえよ」

急に陽一と同じようなことを言い出すので、龍也はカッとなった。

「ポリシーを無くして偽りの音楽に逃げるくらいなら、ギターなんか止めちまえ」

「なんだと。俺の音楽は偽物じゃねえ」

しかし、恭斗のこころには、もう本物を冠するのは、龍也ひとりなんだという思いが抜けきれなかった。卑怯な言い逃れをしている自覚があって、なおさら腹立たしかった。もう理屈じゃなくって、殴り合った方がマシな気がしたのである。それに龍也に殴られでもしなければ、こいつを裏切る自分が許せねえ。恭斗はいきなり龍也に殴りかかった。

 だから、咲菜恵が買い物から戻ったとき、二人は散々殴り合った後だった。つかみ合う二人を見て、慌てて駈け出そうとしたとき、あっと思って立ち止まると、龍也が恭斗の腹を思いきり蹴飛ばした。恭斗はうしろの方へ吹っ飛ばされて、そのまま大地に転げ出された。砂と砂利の混じり合ったような煙が、ちょっと立ちのぼった。龍也はすぐに体を構え直した。恭斗が飛び掛かってくると思ったからである。ところが恭斗は来なかった。ゆっくり立ち上がると、まるで糸の切れたマリオネットの幽霊みたいに、その場に立ち尽くしたのであった。龍也ははっと思った。不意に自分が、たったいま見捨てられたような思いが、胸に兆したからである。恭斗は体の埃を払いながら、

「これで、気がすんだろ」

とだけ言い返すと、

「じゃあ、俺帰るわ。悪いな、付き合いきれなくて」

龍也に片手をあげて、入口へ向かって背を向けたのであった。体が痛むのか、動きが重々しい。どことなく淋しげな背中である。

 龍也は、肩を怒らせたままで立ち尽くしていた。恭斗が入口を逃れようとすると、咲菜恵が買い物袋を震わせながら、真っ青な顔をして立っている。恭斗は、

「ごめんな。俺も今日限り抜けさせて貰うわ」

と言い残して、咲菜恵の横をすり抜けた。歩道には人ごみが返してくる。恭斗はその中に紛れ込んだ。今日はギターを持っていないから、彼の姿はもう見分けが付かなくなった。悲しい別れである。その背中をぼんやりと見送っていた咲菜恵は、慌てて龍也のほうへ走り出した。

「龍也」

龍也は黙って突っ立っている。なんて頑固なんだろう。咲菜恵には、龍也がみんなを切り捨てているようにしか思えなかった。

「なんでそうやって、みんなのこと捨ててまで、自分を貫こうとするのよ」

そう言っているうちに、急に泣きだしてしまったのである。けれども龍也は黙って立ち尽くしていた。咲菜恵の言葉がよく飲み込めなかった。捨てた?

誰が?

俺が、みんなを捨てたのか。そんなのおかしいじゃねえか。みんなが、俺を捨てて離れて行っちまうんじゃないのか。頬が熱い。体じゅうがずきずきする。けれども痛いのは肌じゃない。胸の深い奥底で、ナイフに刺されたような痛みがする。痛いのをこらえながら、黙って立っている。咲菜恵に言葉を返す気にはなれなかった。

「俺は、一人だって歌い続けてやる」

そうぽつりと呟いた。

 咲菜恵がとつぜん怒り出した。震えるのと、嗚咽するのと、叫ぶのと、なんだか分からない、いきなり龍也に食ってかかると、

「そうやって、みんなみんな捨てちゃって。けっきょく全部、自分ひとりなんじゃない。私のことだって、最初っからどうだってよかったのよ」

そういって、ますます泣きじゃくるのである。けれども龍也は、彼女の肩に、どうしても触れることが出来なかった。

「違う。俺はお前を愛している」

ただそれだけのことが、どうしても口をついて出なかった。俺が諸悪の根源なのだろうか。自分の音楽を追い求めるあまりに、ひとりひとりと愛想を尽かして、俺から離れていってしまうのだろうか。だが、そうだとしても、俺からこの音楽を取っちまったら、いったい何が残るっていうんだ。書き残された楽譜を灰にしちまったら、何が残るっていうんだ。空っぽだ。すべて燃え尽きた灰化の鳥。俺にはどうしても、ロックが必要なんだ。そうでなかったら……

 咲菜恵が泣いている。俺に抱きしめて貰いたいのを堪えて泣いている。目の前にいるのに、俺は彼女を抱き寄せる勇気すらないのか。それとも俺は、もう音楽ではなく、この女のことだけを思い続けるべきなのだろうか。俺にそんな真似が出来るだろうか。音楽を捨てて、咲菜恵をひと筋に愛するということが。そう考えると、白々しいくらい、声を掛けることが出来なかった。

「なんで何にも答えないのよ」

 咲菜恵は急に睨み付けた。激しい声が公園に響き渡ったって、驚いた鳥たちが、鳴き声を止めたように思われた。そして握りしめたビニール袋を、いきなり龍也のほうに投げ付けると、涙ながらに公園を走り去ってしまったのである。龍也の脇をすり抜けた買い物袋が、背後で音を立てながら転がりだした。ビールが三本と、彼女が二人を和ませようとして買ってきた、バター味のポテチとが、無残にあたりに散らばった。

 龍也は、咲菜恵を追い掛けなかった。散らばったビールも拾わなかった。咲菜恵と音楽を天秤に掛けろというなら、俺は音楽を選んでやるんだ。突然、そんな子供みたいな情熱が羽ばたいて、大空を駆け巡るような気がした。もう女のあとを追い掛けようなどとは、夢にも思えなくなっていたのである。ようするに俺は、ロックの鬼だ。そうでなければ、ただの馬鹿なんだ。どっちだっていい。俺には、それを貫き通すしか、道は残されていないんだ。俺は負けない。一人になっても歌ってみせる。たとえ聴衆が誰もいなくなっても、残飯をあさる犬っころにだって、路傍の草木(そうもく)にだって歌ってみせるんだ。

 公園の中を強風が吹き抜けたとき、ビニール袋だけが白く舞い上げられた。向こうの禿かけの高木から、枯葉が数枚吹きつけられて来た。龍也のかなたまで走り去っていく。彼は、その枯葉を追い掛けるみたいに、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。体中がずきずき痛む。そうして胸のうちが悲鳴を上げている。泣きたいような淋しさを、必死になってこらえている。龍也は、木枯らしにへし折られそうな情熱を、かえって反発して高らかに掲げるみたいに、自分の歌を口ずさみながら、公園のなかを去っていくのだった。

「一歩がおもいよ」
一歩がおもいよ 宵の町あかり
  忙しなく行き交う 靴音に捨てられて
一匹のノラが 餌をあさってる
  あざとく見つけられ 横腹を蹴られてた

一歩がおもいよ 信号は色を変え
  足並みも揃えずに 人波があふれ出す
一匹のノラは その場にうずくまり
  もう一度蹴られては 負け犬の顔をした

泣き出しそうなほほ笑みと すがりつきそうな顔つきで
必死になってアピールする 従順なわたくしっぷりを

駆けていたあの頃の 面影も色褪せて
 宵は闇へと橋渡し 町のあかりは華やいだ
編年体みたいな スーツ姿の一群が
 忘年会にはまだ早い 儚いはしゃぎを見せていた

人の縮図を 眺めるでもなく
 屈託もなく 奴らは笑うのだ
人生とはそんなもの 一生とはそんなもの
 勝手にそう決め込んで 幸せそうに笑うのだ

無意識のへつらいと 取り入り慣れたしゃべりくち
必死になってアピールする 従順なわたくしっぷりを

一歩がおもいよ 友だちは消え失せた
  忙しなく追い立てる 人間どもに蹴飛ばされ
一匹のノラは 夢さえ忘れちまった
  どうしてこんな つまらない世の中に

一歩がおもいよ 蹴られた腹が痛いよ
  靴音を逃れながら 路地裏をとぼとぼと
一匹のノラは けれども本当は
  翼の折られた こころが痛むのだ

翌朝、首を折った ノラは車道に横たわる
人通りさえまだない頃に 奴はゴミ箱へ捨てられた

朗読9 [退職]

 彼はとうとう退職した。社長を含めて皆に挨拶をしたけれども、ウマザルにだけはひとことも口を聞かなかった。その必要性を、彼は見いださなかったからである。奴には何一つ世話にならなかった。そのくせ奴の仕事を、どれほど背負わされたか分からない。ボランティアの飼育係の不快感が、心から拭い去れなかった。けれどこれでもう、あの猿顔を見ないで済むんだ。

 龍也は、自分の部署に、菓子の包みものを、

「今までお世話になりました、皆さまで食べてください」

そんなメモと一緒に残しておいた。それから、同僚に向かって

「長い間お世話になりました」

と挨拶をした。

「実際はお世話をしっぱなしだったんでしょう」

渋川はそういって笑った。されっぱなしの代表だけによく分かっている。その彼が、みんなを代表して万年筆をプレゼントしてくれた。実用品ではないが、近頃贈答(ぞうとう)用として、ちょっと流行っているのだそうだ。龍也はちょっとだけロックな気がした。なぜだか分からない。宛もないフィーリングには違いなかった。

 それにしても、ロックを歌っている自分と照らし合わせると、こんな社会人じみた挨拶は、いくぶん滑稽ではある。もちろん、悪い気分ではなかった。こうやって、次第にロックから遠ざかって、自分もいつしか組織に組み込まれた歯車となって、ぐるぐるぐるぐる回り続けるのだろうか。だが組織といったって、自分が能動的に行動している実感さえあるならば、人は歯車としてではなく、人間として生きられるはずなのだ……

 売り場をあとにした彼は、兼持課長と社長とに挨拶を済ませると、ロッカーを片づけて、人事で退職の手続きを済ませた。これで最後かと思うと、五、六年は働いた職場には、さすがに名残惜しさも残るのだった。社員証を返して受付を逃れると、十一月末日の肌寒の大気が、顔を刺すように思われた。冬至へ向けて入り日を早くする太陽が、もう姿を隠そうとする時刻である。龍也は歩き出した。

 自分はまだこうして燻っている。いつか灰となって燃え尽きるまで。しかし、もう三十も半ばである。ここから巻き返すなんて、夢物語もいいところだ。

「お前はもっと現実を見て生きろ」

実家で何度も聞かされた、親父の憎たらしい言葉を思い出して、龍也は頭を振った。

俺は夢を捨てなくっちゃいけないのだろうか。

小さい頃はよく言われたっけ、

人は未来を希望して生きるものだって。

夢を描いてはじめて羽ばたける動物だって。

けれども、冗談じゃない、

夢がなくっちゃ生きられない?

夢なんか持っているから、

生きていかれないんじゃないのか。

 振り返ると、もう永遠(とわ)に関わりを失った建物が、無機質な姿で龍也を見送っていた。灰色の外壁が、味気ないくらいに殺風景である。今日は十一月三十日。師走(しはす)の足音がもう迫っている。今年は年末ライブを組むことすら、もう出来なくなってしまった。二〇〇九年は淋しく更けていくらしい。去年はクリスマスに、結構大きな会場で、それでも満員に近いファンの前で歌ったっけ。あいつら、俺が一人になっても、歌を聴きに来てくれるだろうか。それとも、誰もが俺を捨て去るみたいに、ファンも離れていってしまうのだろうか。このあいだの一件以来、咲菜恵すら俺を見かぎったらしい。メールへの返信が途絶えて、電話を掛けても出てくれなくなった。素直に謝りに出かけようか。けれども……



 くそったれ。みんな勝手に離れていきやがれ。俺はひとりだって足掻いてみせる。退社の翌日、龍也はギターケースを片手にマンションから逃れ出た。今日から十二月である。仕事はまだ見つけていない。預金を切り崩すにしたって、あと数ヶ月の命である。けれども龍也は、仕事を見つける気にはなれなかった。前の職場のイメージが、労働意欲を大きく削いでいることもある。しかしそれ以前に、今はどうしても歌いたかったのである。

 もうロックを奏でるメンバーは一人もいなくなった。このギター一本だけが俺の味方だ。それに歌い続けたって、音楽で生きていく見込みすらつかない。それでも歌いたい。今はすべてを歌にして、わだかまりをすべて吐き出してみたい。俺の心に矛盾が溢れるほど、音楽が飛翔するのであれば、今こそ俺は空のかなたまで、羽ばたくことが出来るような気がする。たとえその高みを、誰一人として信認しなくても、俺にはきっと分かる。自分が羽ばたく空の高みを。

 彼は今までだって、ずいぶんそんな風に粋がって、折れそうな足を踏み出して、ひたむきに歌い続けてきた。けれども誰だって、歳月にだけは、勝つことなんか出来やしない。時の番人の鳴らす無常の鐘の音(ね)を、逃れることなど叶わないのである。龍也の胸のうちには、若い頃には見られなかった、小さな哀しみが潜んでいる。それを敗北の予言に怯える、あきらめの気配だとあざ笑うことはたやすい。けれども誰だって、宝くじなみの夢を叶えられる、ほんの僅かな例外を除いては、全力で走り続けた足がもはや繰り出せず、ゴールすら目指せなくなった挫折の瞬間を、いつかは迎えなければならないのである。あなた方はきっと、世界のトップに立つような、例外ばかりを重ね合わせた物語や、スポーツニュースに夢中になっているうちに、その挫折こそが真の我々の姿であって、永遠(とわ)の夢などまぼろしに過ぎないことを、すっかり忘れちまっているに違いない。もしそうでなければ初めから、夢に向かって駆け出したことすらない、娯楽街道の歩行者にすぎないに違いない。

 歩道の向こうに龍也の姿が見える。寒そうな肩を怒らせて歩いていく。夕暮れを慕って傾きかけた日射しが、冬至に向かってひた走るような十二月を。メリークリスマスの予感に、イルミネーションが煌めきを増す十二月を。そうして寒さにおののく人波が、忙しなく足を早める十二月を、たった一人で歩いていく。溢れそうな思いのすべてを、宵の歌声に託すために、駅へと向かって歩いていくのだった。誰のためでもなく自分のために、すべてを歌にしたい気分だった。もし、それを止めてしまったら、こころが崩れちまうような気がしてならなかった。

 冬入りの御空は、橙(だいだい)の残照にももう飽きて、味気ない群青を返して、地表の照明に主役を奪われつつあるらしい。ステーションから溢れかえった人波が、行き交う信号のあたりには、巨大なツリーを彩る青やらグリーンの、イルミネーションが灯されていた。サンタをかたどった常緑樹が、真ん中に植えられているらしかった。歩行者の波際にギターを握りしめた龍也は、かじかんだ指先を懸命に動かしながら、スローテンポのイントロを奏で始めた。

 『无型(むけい)』はもう俺一人になっちまった。バンドでも何でもない。しどろもどろの一匹狼が、夕暮れに震えているばかりである。それでも俺は、歌を諦めたりはしない。脈が続く限り、いのちの限りに歌ってみせるんだ。

 けれども龍也は、そんな自分の言葉が、やせ我慢のように聞こえることを知っていた。彼がギターを奏でだすと、忙しい人波に靴音ばかりがこだまする。仕事帰りのスーツ姿が、居酒屋へ向かうOLが、まだ遊び足りない学生が、足早に彼のもとを過ぎ去っていった。留まるものは誰もいない。彼は、流れゆく沢山のシルエットを影絵のように眺めながら、誰に聞かせるでもなく、今はただ自分のために、思いのすべてを歌に託したのであった。

涙のような風が吹く
誰かの姿を眺めては
ひとり歩きの靴紐を
結びなおした宵の空

涙のような風なのに
あなたの姿は忘れられ
ひとり歌いの哀しみも
宵闇のなかに消されゆく

最後まで残された 歓声も遠ざかり
こだまするギターさえ 今はもう響かない
人なみは疲れ足 家路へと帰りゆく
立ち止まる者もなく 遠ざかる風の音

日だまりみたいな夢を見た
僕らの心のときめきは
仲間と駆けだすあの頃の
突き抜けるような空の色

日だまりみたいな夢なのに
あなたの心は臆病で
仲間と歌えばよろこびの
翼をもらって羽ばたいた

あの頃は若葉さえ 果てしなく広がって
こだまする歌声は どこまでも響いてた
町なみのステップも 幸せに見えたけど
今はもう戻せない あの頃の夢ひとつ

涙のような風が吹く
誰かの心を白く染め
ぽつりぽつりと足音の
遠くに浮かぶ友の影

涙のような風だけど
あなたは路上に立ち尽くす
ぽつりぽつりの歌ばかり
宵闇を慕って消えてゆく

その夢が破れたら 包んでもあげるけど
今はまだ夕暮れの 木枯らしが痛くって
靴音は止まらない 宵空に星ひとつ
まだ残る燻りを 凍えきるまで歌うのさ

 立ち止まるものは誰もいなかった。けれども龍也は止めなかった。たましいの叫びを止めちまったら、俺はもう歯車になっちまう。人でなしになっちまうんだ。誰もが同じ喜びを求めて、俺の周りから去っていった。まるで、夕焼けが赤らんで、夕飯の暖かさに憬れるみたいに、みんな遊びを止めて、親もとへと帰っちまう。あの頃の風景とそっくりだ。俺はいつでもぽつりと残されて、木枯らしの吹く野原の真ん中で、一人で途方に暮れていたっけ。

 そんなことを思い出しながら、ふっと空を見上げると、地表のネオンライトに負けないくらい、煌々と輝く真っ白な星が、遠くから龍也を見守っているのだった。あれはジュピター、神々の王だろうか。龍也はまたギターを奏でだす。そうしてありったけの思いを歌に込めるのだった。そうしてその日以来、私はかの『无型(むけい)』のボーカルの姿を見失ったのである。

(おわり)

最後に

 龍也にとって、ウマザルは架空の人物ではなかった。それは、この小説を読んで下さった皆さんなら、すぐにお気づきのことと思う。虚構に生きがいを見いだす小説家は、これほど露骨で下等なる人物設定を、自分の良心に照らし合わせて、あるいは自らの力量を疑われるのが嫌で、決して設定し得ないからである。このような下等種族は、今どき学生ドラマのなかにだって、見つけ出すことは難しいくらいである。

 ところが、世の中には、往々にしてこのような人物が存在する。それも天然記念物みたいに存在するのではない。この世は、驚くほどのステレオタイプで満たされた、類型可能な人間のたまり場である。だからあなた方は、写実主義なんて言葉で捏造された、虚構文学をあまり信じない方がいいだろう。現実に無いほどのデフォルメを加えて、様々な悩みを抱える、様々なことを考えるお人形同士の虚構を邁進するから、現実世界とは乖離したような詰まらな文学が、純文学なんて讃えられて、諸外国の皆さまから、失笑を受ける結果ともなるのである。そんなものは写実でも何でもない。お人形さんの心理学ごっこに過ぎないのだから。

 いずれにしても、この下等な人物の被害にあって、実際に龍也はある企業を辞めることになったのである。そうして今日でも、かの部署の部下たちは、怒鳴られることはようやく治まったとはいえ、ちょろちょろと這いずり回る猿の飼育を、見続けているに違いない。

 私は、龍也に代わってあなた方に伝えたい。あなた方だけは、河東龍也の名前を知っているからである。彼がどこに務めていたかを知っているからである。彼のかつての勤務先は東京都内にある。日本の大企業の、その支社のひとつである。私はあなた方に言っておく。あなた方は、このような下等な人事をいつまで続けるつもりか。それは社会のためにもならないし、企業の利益にも貢献しない。働いている従業員はそれぞれが誇りを持った一人の人間だ。決して犬や猫ではない。ましてや怒鳴られるのが当然の、捨てられるのが当然の、歯車のひとつだと思って貰っては困るのである。そうして、これを伝えることこそが、龍也の妥協を許さない生き方に答えた、私なりの長編のロックだったのである。

言葉の意味

《下注一》
「无型」

・一九二五年にパリで開催された「現代産業装飾芸術国際博覧会」は、略称としてのアール・デコ博から「アール・デコ」という芸術の潮流を知らしめた。この博覧会に審査の日本代表として活躍した津田信夫(つだしのぶ)(1875-1946)などから、新しい芸術潮流の洗礼を受けた若手の工芸家たちが、一九二六年(大正一五年)に結成した工芸団体が「无型(むけい)」である。高村光太郎の弟であり津田信夫の弟子でもあった高村豊周(たかむらとよちか)(1890-1972)、北原千鹿(きたはらせんろく)(1887-1951)など二十一人により立ち上げられたのがその年六月。十二月には大正天皇が崩御し、二十五日から昭和の幕開けを迎えている。

 旧態の弊害を打破し工芸新世紀を目論んだ芸術運動は、同時に円や直線といったアール・デコ様式を取り込んで活動を開始。翌年一月に創刊されたパンフレット「无型」には、「无型の誕生」と題して次のような宣誓文が掲げられた。

 无型は無型、型ナシだ。型を持たぬ。すべて自由に、各人各様の姿態を持つ。それならば何でもよいかといふに、必ずしもさうではない。各人各様の姿態を通じて眼に見えぬ線の連鎖があるのでなければならぬ。
 燃え上がる熱情と生一本のムキな意気込みと牛のやうな根気と、そして美しい未来へのあこがれ と、――これだけは是非ともなくてはかなはぬ。
   懐古趣味、退嬰、萎縮、安息、死滅、
   空虚、沈黙、現状維持、事勿れ、
――これらは无型の最も排 斥するところだ。
   新鮮、ヴヰヴヰッド、溌溂、前進、
   躍動、充実、現状破壊、未来、歓声、
――すべて光りある彼方へ向って无型は旗を振りかざす。
 今は即ち今だ。飛び去る瞬間だ。この瞬間を愛せよ。この瞬間に息づく工芸美術を作れ。守れ。
 大宮人が桜をかざして歩いた時代を憧憬する者よ、まず死ね。



《下注二》
「Helloween」

・1984年にドイツ、ハンブルクで結成されたハードロック・ヘヴィメタルバンド。名称はホラー映画「Halloween」から由来するが、あたまが地獄「hell」に置き換えられている。このアルバムはマイケル・キスクをヴォーカルに迎え、ツインリードギターが疾走する、バンドの名称を世界的に知らしめた時期の作品。



《下注三》
「クロノスの秒針」

・クロノスには時の神クロノスと、ゼウスの父であるクロノスが居るが、龍也の場合、ふたつの神は混同されていると思われる。時の神クロノスは有名なギリシア神話の系譜にはあまり登場しないマイナーな神であるらしいが、逆に偉大な方のクロノスと同名であったため、時の神クロノスの名称が生き続けていたのを、龍也が拾ってきたのだろう。偉大な方のクロノスは、天空神ウーラノスと大地の女神ガイアの末っ子で、ティーターンと呼ばれる神々、つまりゼウス世代のオリンポスの神々の先輩格の一人である。ゼウスとクロノスの親子間の争いの後に、彼らは主役の座を奪われた。また、ローマ時代の農耕の神サートゥルヌスと同一視される場合もある。

《下注四》
「ビールサーバー」

・賞味期限内ですら日々劣化を続ける鮮度一筋のビールであるが、ビールサーバーに装着するビールの鮮度と共に、サーバーのメンテナンスで驚くほど味が変わってしまう。例えばホースに一日一回水通しの洗浄をするなど、様々なメンテナンスがメーカーから奨励されているが、これを完全に守っていないような店では、不味いビールがお客様のもとへ運ばれることも多いのが現状である。もちろんビール樽の回転速度はもっとも重要な要素である。あるいは、酒のあまり頼まれないような店では、瓶ビールを頼んだ方が幸福になれるかも知れない。

《下注五》

・古いノートの歌詞をひとつだけ入手したので記しておく。これは運良く学生時代の友人が、コピーを保管しておいたものである。

「再生」
誰か俺を刺してくれ
俺の糾弾は止まらない
偽物の言葉が溢れてた
ゴミのようなこの町を

誰か俺を刺してくれ
俺の怒りは治まらない
置物の感情が溢れてた
おもちゃ置場のこの町を

不良は猿の意味じゃない
反抗は思想の欠けらだった
動物みたいな情欲まかせの
雄叫びなんかじゃなかったんだ

ナイフひとつで戦えるくらいが
自由の旗の精一杯だったのさ
ピストルが当たり前になって
不良はみんな消えちまった

快楽のために刺し殺せ
金のために騙すのさ
反抗は黙らせる道具だ
命は物欲になっちまった

人でなしの国が生まれた
敗戦からわずか半世紀で
人でなしの国が新しい
半世紀を築こうとしてやがる

明日のために嘲笑を
業火のなかに投げ入れて
立った一人の反抗を
死ぬまで続けるつもりなら

お前は誰にも信任されない
孤独な神の姿をして
愚かにも信念を曲げず
むち打たれてくたばっちまえ

十字架が重い
茨が痛い
嘲笑が突き刺す
ゴルゴダが近い

神の姿が見えるだろう
宗教はここへ再生されて
神への歌声が高らかに
祈りへと昇華されるだろう

嘲笑の民衆が見えるか
彼らの安っぽい感情に
俺の本心が掴み取れるか
俺は死ぬまで歌い続ける



《下注六》
「エレキ神授説」

・関係者への聞き込みによると、
「元来アコースティックな響きであるはずの弦振動が、電子音に乗っ取られる刹那に、煉獄(れんごく)をさ迷う下級魔物どもが、騒音となって生まれるのがエレキギターの響きである。ところがその響きは、トランス状態に至った演奏者の精神によって逆に統制され、魔物どもは人間のしもべとなって楽曲へと至るのである。この技術こそ、悪魔にたましいを乗っ取られることなく、人間側から奴らを制御する手段として、神々から与えられた英知である」
というのが神授説のおおよその概説である。又聞きではあるが、恭斗の呪術的側面をよく示していると言えよう。



《余談》

・咲菜恵のうえの名字は結城(ゆうき)である。
・菜魅子は高岡である。
・龍也のノートには実はもう数曲分コミックの歌詞がある。そのうち一曲は「ミトコンドリアの数え歌」というものである。
・咲菜恵はさだまさしの「関白宣言」が嫌いである。
・陽一は小学校の頃「剣玉大会」で準優勝だった。
・恭斗は実は甘党である。。。

作成

2009/11/22-12/16
朗読と修正-12/20

2009/12/21

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