七つの章の物語

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たったひとつの落書その二

七つの章の物語

第一章

 おやっと振り向くくらいの、情熱色したカクテールでもってしても、彼のまどろみを解消するほどの、勇気はでなかったのであろうか。



 諸君はさっそく不思議に思う。何を伝えようとして、彼は落書きを試みたのか。さながらそれは、さくら吹雪の舞い散る下を、乳母車の転がりゆくがごとく、穏やかなる危機感に満ちあふれ、かつ不明瞭のうちに絶え果てた手紙のようにも思えるのであった。

 おそらく、彼はこう答えるに違いない。

 おおよそ斯様(かよう)なる落書きに、意味を見出そうとするのが、豆腐屋女房の早起きの悲しみなのであって、犬っころを慕うがあまりに現状を嘆いてみたところで、しょせんはニワトリの鳴く前にお目覚めする、元気はつらつの蛙(かわず)の合唱には過ぎないのであると。



 諸君は心配になる。こんなたわけた状態で遊ばされたのでは、読む方だってかなわない。いやんばかんと大切なところを隠してしまった、かの芸人のつかの間の技芸にも等しいのではないか。我々はあるいは、さんざもてあそばれて、青春時代を虚しゅうしたあげく、手錠ガチャリと職場に連行されて、日々の職務に四苦八苦しながら、どなどなを歌うのが関の山なのではないかと。

 おお、誠、汝(なれ)かくのごとくは思わざりき。

 そろそろ正直になるべきお年頃である。

 私はかつて学生の頃、常軌を逸したかかる落書きを、さっぱり分からない英語の翻訳の代わりに、記して提出したことがあったのである。それは、見事に赤点を食らった冬の後期試験の、悲しい悲しい想い出であった……

 あの夕暮れの職員室のことを忘れない。

 ねちねちメガネの教師ぶったお説教が、私の高尚なる落書きを糾弾した。私は怒りに燃えた。この不条理をこそ、次の追試でもう一度糾弾し、その溜飲を下げるべきではないのかと思い詰めたのだ。

 だが、しかし……

 いかな詩人とて、留年だけはごめんであった。私は年少者の特権を持って、率直に謝ってしまおうと覚悟を定めたのだった。私にポリシーはない。ポリシーは出世の妨げに過ぎないからだ。



「お許しください。ようするに私、皆目分からないの意思を伝えんがために、さりとて白紙撤回するの悲しみに堪えきれず、かかる落書きをも致したという次第にして」

 これほど丁寧に述べ立てる学生が、かつてこの世に存在しただろうか。それなのに教師の顔は、松明のごとく燃え盛るのであった。

「俺をおちょくる気か」

なんて怒鳴り声を上げるのでびっくりした。

 どうしたことだろう。私の誠心誠意は、この穢れなき魂は、鼠のごとき、猿のごとき、この小っちゃ脳みそのメガネには、伝わらなかったのであろうか。何の思想すら持ち合わせず、教科書をオウム返しにするしかない、幼い精神状態のこの教師には……

「こうなったからには、精神性のおもむくに任せて良心の語らうがごとく、ありったけの純真を持って、曲解の弁明に励む所存にて」

なんていい訳をしたら、ますます真っ赤になって燃え盛っている。ようするに私の言葉遣いが、丁寧すぎるのがいけなかったのだろうか。不可解はまるでケサランパサランみたいな飛翔する。

「とにかく、今度やったら親を呼ぶぞ」

なんという卑劣の極み。

「それはいわゆる、ご自身の処理能力の欠落を、補うべく生み出された必殺技でしょうか」

よほど言い返したくなったが、また騒ぎ出すに決まっているから止めにした。私はいつも、誤解の狭間に息づいている。

「もういい」

 ああ、そのひと言をのみ、自分は待望したのではなかったか。

さようならティーチャー。

あばよ職人室。

私は颯爽と消え失せる。

それは放課後のエピソード。

 私のまわりには、五万の蛸壺が控えている。

一歩ごとに壺にはまって、

「だ、誰か、助けてくれええ」

と、アラツディーンランプに向かって叫んでしまうのがオチなのだ。だからなにも語るまい。ヨハネ黙示録。七つの目をした不思議な鳥が、カアカア鳴きながら、夕焼け小焼けに日は暮れる。

 さあ、そろそろ家路につこうか。私には友人だって、四十雀(しじゅうから)ひとりぼっちだ。

第二章

 なんて番号を付けるのは、今をときめく落語の座興である。こうやっておくと、勝手に小説と勘違いしてくれる人があるのは有り難い。

 それこそ入れ食い、嬉しや誤解、熟(う)れば夕月、描けば未来。そんな言葉でリズムを取って、歩行する学生なんて、私くらいのものではないだろうか。

 なぜなら私は、とほほの徒歩の二〇分あまりを、靴音と戯れなければならなかったからである。ケチな自転車置き場のせいで、チャリ通は禁止区域の密漁状態を満喫する。

 もちろん歩くことは、帰宅部をこよなく愛する私にとっては、今生(こんじょう)唯一の運動である。本当はもう少し、男らしくありたい。そうして、クラスの注目を浴びて羽ばたいてみたい。しかしそう願うあまりに、うっかり屋上からダイビングして、それっきりになってしまったあの……名前は忘れたが、中学時代のあいつの二の舞になることだけはごめんであった。

 だから自分は、ただ怒鳴られただけで、ああごめんなさい、私が悪うございました、そんな尻尾を振って怯んじまう。それじゃあ、まるで駄目な飼い犬じゃないか。それでも男か、しっかりしろ。ジャブはどうした。おやおや、あごに触れただけで脳震とうでございますか。それじゃあ、彼女だって、出来やしませんよ。

 ええい。私は思わず走りだした。

 もう理屈は沢山だ。自分は断然格好良くならねばならない。どうにかしてみんなに認められたい。今日から俺は。ああ、そんな題名は、どこかで聞いたことがある。もっと運動せねばなるまいて。

 だがしかし、目の前に自動車が走り抜けた。

 危ない、危ない。私はもっと理知的に生きなければ。

 死んだら何にもならないのだ。おおよそ道というものは、ジョギングのために用意されたものじゃない。いつだって歩行者最優先だ。これからはジョギングだって許可制にして、安全第一に突き進め。老人とすれ違いざまに、ポックリお倒れなさったら、無理矢理責任を取らされて、極悪の殺人犯として、暇を持てあましたマスメディアにやり玉にあげられるに違いない。



 ああ、小学生が帰ってゆく。

「かえろ、かえろ」

なんて本当に歌っているのはあどけない。

 ランドセルなんて、未だに背負っているんだ。

 けれども、ランドセルは無益なものである。いくら日本文化にしたってお優しすぎる。なんて無気力なリュックサック。それでいて、いざというときには変身することすら出来ない。私はちゃんと知っている。実は小学二年生のときに、その事に初めて気づいちゃった。なんて早熟。神童の予感。

 そうして私は、以来ランドセルを憎んでいる。ついでに変身物語も憎んでいる。そもそも人は、変身できるようになんか出来ていないのだ。オウィディウスは罪作りな男だった。体には蝶番なんか付いていない。関節の曲がる向きだって決まっているじゃないか。子供の心に、安易な虚構を植え付けやがって。誰か責任を取れ。

 そうだ、きっとあいつも、飛べない駄目鳥だなんて罵られて、学校から羽ばたいちまったに違いない。どうやって責任を取るつもりだ。口先ばっかりでギヤチェンジなんて叫びやがって。



「こぼり、こぼり」

訳の分からないことを言いながら、小学生が走りだした。前を走るのがコボリだか、追い掛けるのがコボリだかは分からない。「コボリちゃん」なんて漫画もあったけど、私にはもうなにも思い出せないのであった。

 不意に淋しくなってきたから、勇気をふるって目の前の石を蹴ってみた。石はいつしか飛翔となって、近隣の塀をさえ越えていく。ああ愉快だ。そう思って眺めていたら、ほどなくガシャンという鈍い音がして、またシンとなった。驚いた。こんな漫画みたいな冗談が、この世に実在するとは思わなかった。サルトルだって初耳だ。お墓に行って教えてやりたいくらいである。

 そんなことを思っていたら、いきなり、

「ぬすっとうめ」

という爺さんの声が響いたのでびっくりした。こんな冗談小説みたいな爺さんが、この世にいるとは思わなかった。

 自分は全力で走りだす。掴まったのではたまらない。罰金くらいならともかく、計画的犯罪者として、学校を退学にさせられないとも限らない。近頃は何が起こっても不思議じゃない世の中だ。そのうち豆腐の角にぶつかって死んだからといって、誰かが裁判を起こすに決まっている。うかつに公園でだって遊べないんだ。だから私は走りだす。謝って分かるような相手じゃない、なにしろ干からびかけの爺さんだ。とにかく逃げろ。

第三章

 秋は夕暮れ。やうやう赤くなりゆく。そうして時代は早くも第三章。もちろんこれは私のせいじゃない。情報化社会の到来である。私は鍵を使って、玄関の扉を開ききる。

 もちろん入る前には、ちゃんと追っ手だって確認した。しかし相手は老人である。いかに運動不足とはいえ、私の敵ではなかった。こぼりの小学生だってもう見あたらない。あな、有り難(ありがた)。危うく自分は、器物破損の汚名によって一生を台なしにするところであった。

「ただいま帰りました」

 一人で玄関に上がり込む。高等遊民の出身だから、ちゃんと正座してから靴をあらためる。ほんのり武士道。それから、入り口にある熊の彫り物に、

「月の輪さま、ご迷惑お掛けしました」

とガラスを割った詫びを入れておく。

「おう、気にするな」

自分で答えて、それからほっとする。

「ありがとう。じゃあ気にはしません」

 ようやく気を取り直して、水道で手を洗うことにした。これは、恐ろしい細菌やらウイルスの魔の手を逃れようと、人類が編み出した今世紀最大の英知に他ならない。自分は今、それを実践しようとしている。それだけではない、心配のあまりうがいまでしてみせたのであった。



「ぐうの音も出ない」

 ひと言つぶやいてみる。

 しかしお腹は鳴らなかった。仕方がないので、自分で「ぐう」と言ってみる。マグウナカルタな心持ち。さっそくキッチンへと向かう。両親は共働きの上に帰りが遅いから、自分は一人遊びのコツをいろいろ知っている。いやんエッチ。こらこら、そんないかがわしいものじゃない。

 言葉遣いがあまりにも理知的に過ぎるから、ついてこられるだけの友人は、ついぞ生まれなかった。それが土石流の災いとなって、私は長らくの独りぼっちを謳歌していたのである。星の数よりどんみり独りぼっち。銀河の向こうは誰もおらずヶ浜。なんだか映画のキャッチコピーみたいで嬉しくなってくる。

一人であるほどに私は自由。

そうして、ちょっぴりブルー。

ああ、それにしても、お腹が減った。



 おにぎりが置いてある。しかし、これはおやつではない。却下だ、却下。

 棚にはチョコレートも置いてある。これは婦女子の食物だ。甘いものばかり欲しがりやがって。何が欲しがりません四(よ)つまではだ。三つまでは食うつもりか。いくら何でも欲張りすぎだ、甘ったれた生き方をばかり目ざしやがって。却下だ、却下。

 隣には薄焼きせんべいもある。「ピリ辛EX」と書かれている。せんべいは悪くはない。けれどもEXの意味が分からない。「えぐ味」の略かも知れないから、これも却下。

 ようやくポテキチップス、コンソメ味。これならいけるかもしれない。かつてはヨカナーンの首を寄こせと、夜な夜な叫んでいたサロメでさえも、ぱりっと食べればさくっとおいしい、

「やっぱり、予言者の首よりコンソメだわ」

そんなコマーシャルだって近頃お馴染みなくらい、みんなが喜ぶいつものおやつ。誰もが尊ぶ午後のスナック。私は決断してこれを手に取ると、恐る恐るテーブルの方へ持ち出してみた。

「大丈夫か、見つかったら命が危ないぞ」

「心配するな、セキュリティーは解除してある」

なんて一人で遊んでみる。やっぱりこれは、病気なのだろうか。それにしたって、侘びしい遊びである。

 テーブルに腰を下ろして、鞄からノートを取り出してみる。ここに落書きを企てるのが、近頃ちょっとしたマイブーム。



 自分くらい高尚になってくると、もう常識がついてこれない。

 テレビなんて何を語っているのやら、つまらなくって見る気にすらならない。毎度の餌で感情を釣り上げようとする、ドラマチックな脚本家どもの陳腐な釣竿が、画面の向こう側にちらちらする。到底我慢がならない。ましてやゲームなんて、レベルが上がる前に目眩がしてくる。ここでわざと時間を稼いで、ここで誤魔化して、繋ぎに会話を盛り込んで、それでいてお蕎麦の味はパッサパサ。まるで極悪非道の立ち食い飯店ではないか。まだしもドラマの方が救いであることに気がついてから、自分はランドセルと共に、幼い頃からゲームというものを憎んでいるのだった。

 だからこそ、私にはノートがよく似合う。ここに詩作をしてみせるのだ。なんて高等弁務官……って、これはなんの役職だったろう。うちの親父の役職じゃあないはずだ。

 なぜなら父さん、しがないサラリーマン。年期は長いが賃金少々。それでうちの家庭は共働き。そのうえ一人っ子に生まれたものだから、こうして自分は誰もいないのをいいことに、いやんエッチ、詩作などといういかがわしい遊びにはまってしまった。見つかったらどうしよう。そんなスリルがまた愉快である。

 ちょっと立ちあがって、忘れ物のウーロン茶を持ってくる。ポテチにはドリンクが必要だ。そうしてだらだら食べるのが、本日唯一の幸せである。さて、そろそろ、第四章へと移ってもいいかしら。

第四章

日だまりこさえたマリモには
水泡くらいのたゆたいを
もたらしたいな透明の
ガラスの底の蜃気楼

 あまりすばらしい詩が生まれるんで、我ながらほのぼのしてしまう。ああ、皆さまにお披露目してみたい。クラスの影にひそんでる、本当のあいつはすごい奴。

 そんな事を思っていたら、誰ともしゃべらなかった今日一日が浮かんできて、沢庵石みたいに沈み込んでしまった。これじゃあ、重たくって遣り切れない。しっかりしろ、トラジディに囚われるな。空想に羽ばたいて見せろ。私は迫りくるブルーから逃れようとして、闇雲に頭を振り回す。

侘びしいときも、淋しいときも
こころにきっと、ほたる火の
ぺかぺかひかる、それな仕草で
歩いていこうよ、いつまでも

 よみがえれ小さなこころ。氷河期なんか吹き飛ばせ。そう思ってノートをめくってみると、夕べまでの落書きが控えている。こんなに記していたとは、我ながらちょっと驚きだ。

 情けない。自分はいつから、こんな錬金術師まがいの生活を続けていたのだろうか。それでいて、ノートを拝見するうちに、次第に愉快が込み上げて、自分で吹き出してしまった。さすがはわたし。ほとばしる詩篇。こんな面白い詩篇がこの世にあっていいだろうか。自分の才覚が惜しまれてくる。これを世間に知らしめて、ほほ笑みと引き替えに拍手喝采を、それから労力に見あった賃金をさえ得てみたい。

 けれどもどこにも応募なんかしないのだ。

 だって貶されたときの淋しさは、一塩二塩三塩(みしお)を越えて、塩分過剰の高血圧を駆け巡る。

 そうなのだ、今日の英語のテストだって、あんな詩的な表現をしてやったのに、訳が違うとの不当の扱いには恐れ入った。

「校長、脱帽したまえ。天才が現れた」

そう叫んで、英語の点数なんか、免除しても良さそうなところだ。

 だから近代精神は嫌なんだ。なんでも理屈で責めてくる。おおらかな気風がどこにもありゃしない。たとえば、そこで奴を認めて遣りさえすれば、国の将来のために、どれほど有益か分かったものではないのだ。それすら悟ることなく、ただただジャンルが違うといって、救出作業もなく切り捨てちまう。

 ああ、今や詩人は殺された。誰に読ませてやるものか。一人だけの大笑いさ。あははは。けれどもなんだか、笑ったあとに、ぽっかり淋しさが浮かんでくるんで、すっかり消沈しちゃった。だって誰にも知られないまま、個室病院の窓辺の悲しみを、こらえてこらえてこらえ抜いて、消えゆく人の侘びしさを、誰が分かってやれるというのだろう。

 本当は自分だって、

「最高だぜ、お前の作詞は」

なんて褒め称えられてみたい。

「グレートな奴だぜ」

と絶叫されてみたい。でも……

らくりもーさを
聞きたくなったら
すぐに連絡
しておくれ

 どうだ。こんな素敵な詩が、誰に書けるものか。いやいや、書けはしまいよ、かっこ反語。

 自由律なんてほざいている奴らは、みんなこんな愚劣な愚弄をもてあそんでいるのではなかったか。それでいて、真心一途を突き進むわたしの詩作をのみ糾弾するとは情けない。

 ああ、誰かのために詩を書いて、せめてその人のシンパシーを得てみたい。ほんの僅かのほほ笑みと、感謝の気持ちも得てみたい。それが誰かは分からない、けれども、黙殺のひとりぼっちは淋しいものである。

 そんなことを考えていたら、社会から阻害されつつ消え失せるような憐れが浮かんできて、心を覆い尽くそうとするんでびっくりいたす。自分はそんなやりきれなさは嫌いなのである。頼むから、ぷかぷか浮かび上がって来ないでくれ。そんなこころの臆病が、宵に息づく部屋の中……

 しまった。つい本性を明かしちゃった。才覚どころの騒ぎじゃない。ザルツブルクのナメクジ状態を発見されちゃった気分。どうしようか……

 いや待て。まだ大丈夫。底の底までは踏み込まない。間一髪でかわしきる。そんなところは、見ちゃいやん。こころの中は、誰もがナイーブ。



 自分はどうにかして、大詩人になりたい。ようやくポテチの袋を開けてみる。これをさくさくやっているうちに、サロメの怒りも収まってくる。ヨカナーンの首も繋がってくる。けれども後ろを眺めていると、またグラム数が減っているではないか。お値段一緒で、グラム数だけダイエット。なんて汚いやり口。そんなダイエットがあってたまるか。社会が許しても、吟遊詩人の私が糾弾してやる。

一丁の豆腐にも五分の魂
そう言いながらほんのちょっぴり
グラムを減らしてみせた豆腐屋の
女房あらざるがごときなり

 なんだかよく分からない。ちょっとしくじった。こんなのは詩じゃない。悲しい悲しい一人遊び。淋しい文字のお散歩よ。それは呟きのイリュージョン……だんだん日が陰ってくる。いつの間にやら、ポテチは空っぽになってしまった。やっぱり、ダイエットのしすぎなんだ。

むなしさの砂のお城をさらわせて
波さえも寄せるの宵に脈打てば
ほたるいかルシフェリンほどのなみださえ
はや、ひとつの幻想曲に過ぎんのであります

 宮沢賢治を超越した凄腕表現力。多彩。絶妙。巧妙。ただ惜しいかなアフォリズム。もっと長い息を吐いてみせろ。だらしない。ああ、十代のうちにこそ、詩集の一冊も出さなかったら、もう天才の名称を、欲しいままには出来なくなってしまう。

それが悔しくてならんのであります
もうノートが三冊はたまりましたが
さてはてこれを詩集としたからとて
題名をほとぼりとでもするしかない

悲しみの寄せ波ほどの優しさくらい
知らずが浜ぷかぷか浮かぶ雲だけど
夕月のほほ笑みみたいな恋人ひとり
いてくださったらなあと思うのです

 ああ、それさえいてくださったらなあ。すべてを認めてくれる人の、さりとて二次元の乙女にはあらず。ただ宵どれの淋しさを、一緒にお茶飲むくらいの穏やかな恋人が、自分にも訪れる日は来るのでしょうか。それとも、言葉遣いが豊かすぎるので、奇人のレッテルをそこら中に貼られたまま、うっかり廃品回収に出されてしまい、

「ああ、駄目駄目、これは粗大ゴミにはならないんですよ」

なんてお引き取り願われて、あえなく森のなかに破棄されてしまう。そんな可哀想な赤ずきんちゃんのなれの果てを、自分は送らなければならないのだろうか。そんなのは、堪えられない。

誠の英知はかくて滅ぼされ
吟遊詩人ここに尽き果てて
万骨枯れてカサカサしつつ
黄昏見つめてなんじゃらほい
消えゆく者さえ憐れなり

 なんて詠んだら、急に吹き出してしまった。絶妙なる表現の狭間に息づく、自分はやっぱり天才かもしれない。まるで二人目の中也。俊敏なるアルキロコス。今の台詞はさっそくノートに書き留めておこう。きっといつの日か役に立つ。英語の追試にはもう使えないけれど、国語のテストだったらきっと分かってくれる。教師だってあいつじゃない。もっと老獪な老人だ。私の高尚なるボキャブラリーにだって、あるいは対応できるかもしれないではないか。

 ああ、庭先に鳥が鳴いている。そんな鳥の名称ですら、自分は知らずに済ましている。なんという愚かさ。我を忘れて立ち尽くすとき、それは案山子のまどろみか。

第五章

 煙に巻かれた落書きを、小説と信じて読み切ったときの、ポカンとした無気力の荒野を、あなた方は歩いていくのだろう。

 しがない策略に打ちのめされて、意味のオアシスを期待して、蜃気楼を目ざして歩ききったときの絶望が、むなしさに花を添えるだろう。

 私はそれを見逃さなかった。あなた方はきっと、今、夢の中にいて、自分自身をコントロール出来ないでいるのだ。そんなうたた寝がてらに落書を黙読したからといって、なんの教養が身につこうものか。私の台詞は、口に出してこそ報われる。



 ぶっちゃけません、勝つまでは。

 小説なんて読んだって無益なものである。

 それで主人公の情感が伝わって、人間を豊かにするだなんて、とほほほ、あなた、それはかの、メガネ教師クラスの無知蒙昧には違いありませんよ。

 人間の情感はそんな甘ったれたものじゃあないんだ。あるいはドラマでもって心を動かされたからといって、情緒が深まるどころでは全然ないんだ。むしろブラッシングされて、整頓されつつも、所々をデフォルメされた、強刺激でないと心を動かされなくなって、日常が乏しくなっていくばかりじゃないか。

 ああ、諸君はだらしない。現実世界でもって感動することを忘れてしまったのか。日常生活の嘘っぱち。ドラマの中だけで、安堵の涙を流すだなんて。

 そら、どうした、現実世界で泣いたことがあるのか。現実世界では、ヌボーッと突っ立っているだけじゃないか。アール・ヌーヴォーどころの騒ぎじゃないぞ。お前のそれは嘘の涙だ。残んの雪だ。名勝すたれて、今や並べよ雑居ビルだ。ささくれだったら、食器洗いだって素肌に染みるや。

 それで画面を見たり、小説を読んで泣いたり笑ったりして見せたって、それはもはや人の涙ではない、娯楽動物の体液に過ぎないのではないか。そんな読みあさりの精神を懲らしめるべく、今ここに懲罰部隊が立ちあがったのだ。

 見よ東(ひむがし)の方角に、砂塵の立つ見えて、顧みすれば月傾(かたぶ)きぬ。そうして私はその、砂塵の先発隊に過ぎなかったのだ。今に見ろ、諸君の前に次々と、新手の刺客が現れて、諸君を煙に巻き続けることになるだろう。



 諸君はついに堪(こら)えきれなくなって、禁煙コーナーへと駆け込むだろう。

 煙に祟られて、精神が麻痺しちまった。もうドラマなんか大概(テーゲー)に、小説だって大概(テーゲー)に、現実世界をより良くしよう。きっとそう誓うだろう。

「なんてこった、あんなに煙ってたんじゃ、安心して読書も出来やしない」

「体に悪いから、煙だけは止めて欲しい」

「せっかくの感動が、台なしじゃないか」

「けれども、本当の感動ってなんだろう?」

 それぞれの愚痴の狭間には、マイナスイオンの真実が籠められる。そうして誰もが振り向くのだ、懲罰部隊の足音に怖じ気づきながら、

「ああ、もう文章なんか読むのは止すよ」

「だって、どうせ懲罰部隊なんですもの」

「私知ってます、あれって、世直しのための国家的事業だったんですよ」

「なんですって、そんな馬鹿な。国家たる代表者たちは、私たちの望むべき人々ではなかったのですか」

「いわゆる、選民の乗っ取り作業という奴ですな」

「でも、煙のないところにも、害はあるって言いますぜ。あれはもしや、それをわざと見えるように悟らせたという……」

「No,Smoke!」

 誰もがそれに怯えながら、一方ではそれに迎合を極めるとき、せっかく築き上げた、つかの間の砂のお城は崩れ去り、その代わりもっとおおらかな、落ち着いた砂浜さえもが広がっているというのに……しまった、甘かった、とんだ誤算だ。奴らはなおも快楽のみを望み続けたのである。我々の願いは打ち砕かれた。

「懲罰部隊を懲らしめろ」

 わあ、ちょっと待ちたまえ。懲らしめるのは我々、懲罰部隊の役割ではないのか。本末転倒もはなはだしい。こら、持ち上げるな。どこへ行く気だ。だって、そこは川じゃないか。橋桁をのぼったりなさるな。止めてくれ、今はまだ寒い季節じゃないか。心臓麻痺を起こしちまう。みんなで投げ入れるとは、そんなあんまりな……

第六章

 驚いた拍子に顔を上げると、ノートは空っぽの白紙のままだった。自分はポテチを食べながら、うたた寝をしてしまったらしい。いったいどこから夢なのか。ポテチを食べつつ見た夢なのか。あるいは初めから全部が夢なのか、なんも分からんの心持ちだった。

 それにしてもひどい夢だった。私は冷たい川へと投げ込まれたのである。冬眠の熊さんすら驚いてジャンプなさるくらいの冷たさに、川がヒヤヒヤ笑っていた。そして橋桁からは、みなさんも笑っていた。世の中はなんて恐ろしいものなのだろう。自分にはやっぱり、外には出られないような気がしてくるのだった。

 あたりを見渡すと、外はもう暗くなりかけている。カーテンを閉めて、せめてもの償いに、ノートに落書きでもしてみようか。

遙かなる恋人へ
あなたがあまりにも遥かなので
みんな近くのもので間に合わせて
誰もあなたになんか憧れませんでした
理想は我々には高すぎたのです
ごめんなさい、よその国へ行ってください
さようなら、遙かなる恋人よ

 思わず一人で吹き出したら、チャイムが鳴って母さんが帰ってきた。母なる地球もガイアなるかな。私の狂言もここまでだ。これ以上変わり者と罵られて、諸君が両親にまで抗議のハガキを殺到させるようなことにでもなったら、私はもはや、僅かなる行間の狭間にさえも、生息できなくなってしまうには違いない。



 慌てて玄関へ向かって、その扉を開けてやる。袋が両手一杯にぶら下がって、自分で開けられないに決まっているのだ。

「お帰りなさい」

と言うと、ただいまと答える。極めてまっとうな会話だ。どうだ、捨てたもんじゃないだろう。自分にだってあたりきの会話くらい出来るんだ。それに、まぶたをしっかり開いて見ていろ、

「ただいま、月の輪さま」

ほら、母さんだって、彫り物の月輪熊にちゃんと挨拶をしているではなか。つまりこれは、わが家の家訓的マナーに過ぎなかったのだ。ただ諸君の家に、熊の彫り物が置いてないばかりに、私の行動を愚か者の極みとして糾弾したのはいけてなかった。それは自国の奇妙を忘れて、外国の風俗をあざ笑うようなものだ。恥ずかしいことだぞ。諸君は反省して、熊の彫り物をこそ、まずは購入すべきなのではないのか。ああ、私のこころはようやくアンダンテ。

「袋を貸すがいい」

そういって、重そうな奴を奪い取ると、母はありがとうと言って、手洗い場へと逃れゆく。それはやがて、世界を絶滅の危機へと追いやる、あの細菌やらウイルスの魔の手から、少しでも遠ざかりたいという、人間の悲しい欲求が高じたからに他ならない。

 彼女はついに、うがいまでしてしまった。

 まるで先ほどのわたくしのように!



 だからといって、これで第七章に移ると思ったら大間違いである。不毛の落書きの果てになんのオチさえなく、消えゆくはかなさをこそ、誰もが愛すべきなのだ。

 もしそうでなかったら、あの個室プレートの、不意に消え去る名称の向こうに、ぽつねんとベットと花びんとが置かれている、あのむなしさに堪えることなんか、いったい誰に出来るというのだろう。

 そうなんだ、誰もが翼だけは持っている。そうして誰もが羽ばたく仕草をする。それでいて、ニワトリの羽は重々(おもおも)している。地面から離れるものはあまりにも少ない。そうして大空へと羽ばたけるものは、もっともっと少ないのではなかったか。

 母さんが夕飯の支度を始める。水道の音が、にぎにぎ賑わっている。活気があるこそ幸いなれ。ケサランパサランみたいな軽やかさ。自分はつかの間の幸福を噛みしめて、英語の答案用紙の落書きを反省している。やはりあれは、あの教師には高尚すぎたんだ、彼のおつむに相応しい答案を与えてやらなければ、自分は落第させられるに違いない。自分はそれだっていいのだけれど……

 さすがに母の悲しむ姿は見ちゃおれないような気がして、自分はせめても夕飯の完成するまでの間、自分の部屋へ戻って、英語の勉強にいそしむのであった。

第七章

 諸君は、出鱈目が出鱈目を上塗りするうちに、終止符を打つ最後の一刹那だけは、格好を付けようとする失態を咎めるだろうか。けれどもこれは、もっぱら諸君のためにしていることである。

 誰がいったい、支離滅裂なまま閉ざされゆくこの世のさまざまの不条理に、懐疑の念を抱かなかったと言えるだろうか。誰もがそれに怯え、それにおののき、せめて小さな閉ざされた作品の中でくらい、安逸にもたれかかれるほどの慰めを、ざっくばらんな取りまとめを、求めるがあまりに、うずうずしてはいなかったろうか。

 そうであるならば、せめて、私こと偉大なる詩人は、この圧倒的な妄想家は、あなたがたのためにオチという夢を与えても見せようではないか。

ヒグラシの鳴き真似をして鳶(とんび)が飛んでいったよ
ああそれはちゃぶ台をひっくり返すほどの情熱に
満ちていた頃の高度成長期の夢ですよ、夢ですよ
もう騙されませんよそんな甘い欠けらくらいじゃあ
今さらおかずにだって、なりゃあしませんや

 だから今さら、誰もが羽ばたかなくたって、ほんの僅かの背伸びがてらに、いつもより多く歩いてみるくらいの、穏やかな成長の有様をこそ、夢として讃えようではありませんか。

 私の希望は、もはや閉ざされようとする最後の一刹那においてさえ、明日の夕飯のおかずを願うのであった。

 けれどもそれが悪いことだろうか。私は最後に、そう問いかけておこうと思うのです。

 それでは皆さん、またいつか、どこかでお会いしましょう。

私は夢から覚めて、また下らない職場へと向かいます。

じゃあね。ばいばーい。

覚書

[作成+朗読]
2010/03/21-03/30

2010/3/31

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