(朗読なし)
・テキストファイルのみ掲載中。
「始めにお聞きしたいんですけれども。何を目的としてこのようなことをするのでしょうか」
「また、あっちゃんたら真面目なんだから」
「目的なんてないんだわ。ただいろいろなところで溺れてみせるんだわ」
「そうそう、ひっしに溺れているうちに何か見えてくるって」
「けれども、見つからなくっても、全然オッケーってわけね」
「ようするにあれよ。出たとこまかせ」
「行き当たりばったりですね、行き当たりばったりですね」
「そうはいっても、どのような物語にも、なにか目ざすものはあるように思われるのですけれども」
「そんなの考え過ぎよ、考えすぎ」
「ぶっちゃけ、どうだっていいのよ」
「ほら、先生の猫だって、溺れて死んじゃうじゃない」
「そうそう、後からの出任せだって」
「でもあれって、猫の一生としては、物語をまっとうしてるんじゃないの」
「生まれて、拾われて、徘徊して?」
「それから、恋もして」
「うらやましい」
「ただ、ほら、猫の一生だけに」
「人間にはなんの価値も見いだせないって」
「そんなアイロニーだったっけ?」
「そうかなあ。そんなの初耳だなあ」
「第一、『草枕』だって『坑夫』だって」
「私たちに言わせりゃあ、圧倒的ストーリーよね」
「違うのよ、あれは漱石マジックに引っかかってんのよ」
「先生がストーリー無しなんて宣言したもんだから」
「お馬鹿な学者が信じちゃったってわけ?」
「そんなこと言って、あとで大変よ」
「いいのよ、私たちどうせ野菊なんだから」
「私たち、ただの野菊ですよ、ゆら揺れの野菊なんですよ」
「ちょっと、それって何かの物まねなの?」
「さあ?」
「もうすぐ病院送りだわね」
「そんなあ」
「ああ、皆さん。お願いだから、少しだけ静かにして欲しいんだわ。あっちゃんに話しがあるんだわ」
「ありがとうキイちゃん」
「なんなのよ、聞いてあげようじゃないの」
「ほら、早く言いなさいよ」
「実はその。私たちの語り口調も、ひとりひとり明確な区別を持たなければ、作品としては一人前になれないのかなあと、少し心配しているのですけれども」
「私たちが、ひとりひとり?」
「そりゃあ、一輪一輪の間違いね」
「あっちゃん、そんなの今どき流行(はや)らないって」
「そうそう、全然流行らなーい」
「それならなぜ流行らないのでしょうか」
「なによ、クラムボンはかぷかぷわらつたよみたいな問いかけしないでよ」
「すみません。つい」
「あのね、考えてもみなさいよ。あたしらどうせ菊なのよ、菊。分かる?」
「そうそう、人じゃないんだから、入れ替わり立ち替わり全然オッケーなの。あんまりお優しく擬人化すると、魅力だって半減しちゃうじゃない」
「そんなことばっか懸命に追求してるから」
「まるで生真面目なだけの」
「拵(こしら)えものになっちゃうのよ」
「あんたら、それって、ただの一般論よね」
「もちろんよ」
「ええ、八つを超えた愛とかじゃないの?」
「ちょっとあんた、それ以上は止めときなさい」
「あーい」
「とにかく語り口調なんて全然気にしなーい」
「それでいて違いは表れてくるのだわ」
「そういうものでしょうか」
「心配いらないって」
「考えすぎですよ、考えすぎですよ」
「うるさいわねえ、二度繰り返さないでよ」
「しょんぼり」
「お願い。みんな静かにするんだわ。今カーテンが開いたところなんだわ」
「キイちゃん目ざとい」
「あらあら、また焼酎のグラスなんか握りしめちゃって」
「毎日飲んでばかりなのよね」
「ただのへべれけよ」
「あんた、今どきへべれけって」
「いいのよ、レトロブームなんだから」
「また執筆、始める気かしら」
「当たり前じゃない、天性の駄文家なんだから」
「あんた、相変わらず口が悪いわねえ」
「いいのよ、あたしは自動作成担当なんだから」
「あのう、おっしゃる意味がよく分からないのですけれども」
「大丈夫よ、あっちゃん。すぐに分かってくるって」
「じゃあ、あたしは次点で妻の役でもやろっかな」
「ちょっと、次点てなんの次点よ」
「いや、悪口じゃあんたに敵わないから」
「なんですって」
「待って欲しいんだわ。妻の役は私がやることになっているんだわ」
「そうなんだ、キイちゃんの担当なんだ」
「なかなか美味しいところ持ってくわね」
「しょうがないじゃん、一応リーダーなんだから」
「ああ、そう言えば自称リーダーだっけ」
「あら、これでも他薦なんだわ」
「へえ、そんなの初耳」
「それよりちょっと見てよ、溜息ついてるわよ、彼」
「あら、ほんと」
「哀愁気取りなんて今どきはやらないのに」
「ショパンの楽曲が台無しなんだわ」
「あーあ、カーテン越しにうな垂れちゃったよ」
「再起不能なんじゃないの」
「そろそろ、手を差し伸べてあげた方がよいのではないでしょうか」
「なに言ってんのよ、そうやって甘やかすからつけあがるのよ。男なんて勝手なんだから」
「厳しくいかなくちゃ駄目ね」
「もう、コテンパンにしちゃうんだから」
「だから、あんた言葉が古すぎるって」
「死語連発だわね」
「いいのよ、これはね、リバイバルっていうの」
「はいはい」
「とにかく、どうなることやらまるで分からないってことで」
「始まりますよ、始まりますよ」
「それでまずはどんな夢を見せちゃうわけ」
「少し作戦会議が必要だわね」
「まずは全員集合?」
「いいわね、そういうの大好き」
「あのう、私も参加しても構わないのでしょうか」
「当たり前じゃない、あんたは優等生過ぎるのよ」
「すいません」
「じゃあ、私ちょっと、お菓子買ってくるね」
「それより酒は、酒」
「まーだーはーやーいー」
「あんたも、あいつみたいになりたいわけ」
「ええ、あんな酔いどれは嫌だなあ」
「ちょっと、大変、こっち見てるわよ、あいつ」
「しっ、静かに、ただの菊みたいにちょっと揺れてよ、みんな」
「はいはい、揺れて、揺れて」
「ゆらゆら揺れて」
「ゆらゆれて」
あきらめ色した焼酎も
水ガラスにはなれません
澄み渡るほどの喜びも
夢見る頃を満たします
私には夜半がよく似合う。そうしてグラスを転がしているのである。鼻歌はしどろもどろが相応しい。今日もまたひとりきり、淋しさがぷかぷか湧いてくる。あんまりひとりぼっちが長いから、もう誰とも遊ばない。遊びたくても情熱が、ポキンと折れて戻らないのだ。そんな中にあっても、このアルコールって奴だけは、けっして私を捨てたりはしないのであった。
聞き耳たてる音楽と
焼酎選びのひとさかり
アンプのともしの仄かには
宿るこころもありましょう
深々と背もたれにもたれたら、グラスはそっと床の上。口づけしたり分かれたり、人はいろいろ経験するけど、ほんのり親しい暖かさ、それがお湯割りの極意です。今日はちょっとピアノの響きで、酒と戯れていたいから、音量は邪魔にならないくらい、ボリュームを探ったりするうちに、最適の音量、最適の温度、そして最適の調律、それこそかの偉大な、セバスチャン・バッハのなせる技ではなかったか。こうして私は知らないうちに、夢と酔いとの狭間を息づく、酔っぱらいの執筆家となるのである。酔っぱらい、それは言い逃れの常習犯。酔っぱらい、それは世界一小っちゃなアーティスト。抑制された思想さえ、翼と羽ばたく奇跡には、私のわずかな望みさえ、叶えてくれると思われた。
しかし曲は二十四の平均律ではなかった。フレデリックじみたショパンである。まだノクターンの一曲目だから、分散和音さえも率直だ。それでいて早くも完成されきっている。未完成街道を突き進む、誰かさんの執筆とは詩情が違っている。自分だって、本当はこんな叙情性に満ちた文章が書きたいけれども、どうしたって真似できそうになかった。それでも言葉がなかったら、音楽の詩情性すら解き明かせないのだから、いまは文章の意義を信じて歩んでゆくしかないんだ。音楽に対する才能は、私にはまるでなかったのだから……それにしても私はまた飲んでいる。酒がなければ文章ひとつ記せない自分に、いったい何が描けるというのだろう。
半開きにしておいたカーテンから、寒がるような夜更けが部屋へと忍び込む。ベランダには鉢植えの野菊があって、夜風にそよいで首を振っている。隣にはコスモスも植えてあるが、ほっそりしていて頼りないくらいである。まるで部屋にいる私を眺めながら、うわさ話でも囁くみたいに、ゆらゆら揺れているのだった。
だんだん、まぶたが重くなってくる。まるで五円玉の魔法に掛けられて、夢に誘い込まれるような眠たさである。ショパンのノクターンが二曲目に移りかわりながら、こころから遠ざかっていく。そういえば、これを練習したこともあったっけ。こんな詩的な文章を記すことが出来たら、どれほど名文が生まれるかとは思うけど、実際に落書きされるのは、ピエロみたいなおちゃらけばかり。結局私には、音楽も文章も掴みきれなかったのだ。敗北とまどろみの境界線上に、私の執筆活動は静かに生息するのであった……
「さあ、酔っぱらいに乾杯だ」
愛しい妻に向かってグラスを傾ける。付き合ってくれないから、酔っぱらいは私ひとりである。
「あなた、もういい加減にしたら」
やっぱり冷たい。
「やっぱり今日もつれない子ちゃん」
結婚したての頃は、そんな冗談にも答えてくれた。口づけだってしてくれた。けれども今は、
「もう、すっかり馴らされてしまったのである」
「なんです、何が馴らされてしまったの」
妻は驚いたみたいに覗き込んできた。いや、何でもないんだ、私はちょっと酔っているのだろう。言葉のところと記述のところがこんがらがって、しどろもどろと戯れるのである。ほら、ついこんな落書きだって、
「うっかり描ききってしまうのであった」
「ちょっと、お願いだからしっかりしてちょうだい」
妻は私の肩を揺すっている。なんともはや。私はしっかりしていなのだろうか。いや待て、そんなことはないはずだ。いわばこれは、酔っぱらいじみた演技である。立派なお仕事である。文筆活動である。職務まっとうである。なぜなら私はもはや、アルコールの情熱を分けて貰わなければ、
「これくらいの落書きだって出来ない体になっていたのであった」
しまった、また口にしてしまった。妻の頬がちょっと膨らんでいる。からかわれていると思い始めたらしい。その頬を、優しく突っついてみたいとは思うけど、よけい怒り出すには違いなかった。
「いや待ってくれ、そうじゃないんだ」
ようやく正しい言葉が出た。
「あなた、いい加減になさい」
もはや冷え切った彼女のこころが、私を咎めている。
「けれども、私は仕事をしなければならないのだ」
「もう無駄よ。早くお休みなさい」
と私を寝かしつけに掛かったのである。
「そんな」
「酔っぱらいなんかに、文章を並べられてたまるものですか」
彼女は憤慨しているらしかった。
「それは誤解だ。酔っぱらいったって、ただの酔っぱらいじゃないんだ」
「何が違うっていうのよ」
「酔っぱらってから原稿百枚は駆け抜けるオスミンなみの酔っぱらいだ」
「それじゃあ余計に駄目じゃないの。そんなのみみず文書(もんじょ)だわ」
なんという残酷な言葉。これが苦楽を共にした妻の台詞だろうか。みみず文書とは恐れ入った。夫の肝臓をかけた勝負を、今宵を限りと突き進む悲痛な叫びを、珍文扱いとはあんまり酷い。ヨーゼフ・ハイドンの妻だって、ここまで残忍だったかどうか分からない。私はほとんど涙目になった。それでも書かなければならない。私はこの酔いどれの中にのみ生息するのである。
「執筆だけが、執筆だけが私のこころを慰めてくれるのだ」
「はいはい、こっちにいらっしゃい」
妻は私の肩を引っ張っていく。どっちが男だか分かりゃしない。ベットまで連行されて、括り付けにされてしまうのだろうか。
「けれどもそれは間違いだ。こうして酔っぱらってからが、霊感の舞い降りる時間なんだ」
「そんなのは妄想よ」
こんどは背中を押されてしまう。ああ、もうベットが目の前だ。
「ほらあなた、ここに横になって」
「ふふんとしては、まだ寝ませんっと」
「ほら、もう遊びは終わりにして」
「おや、おかしいね。会話の配置が入れ替わっちゃった」
「入れ替わったって何が替わったのよ」
「さっきまで俺の方が語り初めだったのに」
いつの間にか、妻が先に会話をリードしているのである。まったく悪い子さんである。
「ちょっと、怒った、あなたが、リーダー」
「あなた重いわよ。そんなに寄りかからないで」
「あら、また戻っちゃった」
「いいからここに横になりなさい。もう」
私は淋しかったのである。昔はリーダーと呼んだら、ダーリンと返してくれたほどの愛情が、重たいのひと言に過ぎ去っちまう。時に飲まれたダーリンは、歳月の合間に朽ち果てて、遠き憧れとなって谺(こだま)する。私はもはや、粗大ゴミくらいに格下げなのだろうか。だとしたら、それはどこのシンクタンクの仕業だろう。
「けれどもしかし。俺は酔っぱらっているのに違いない」
「分かってるわよ」
「そして、酔いどれは尊いものである」
「あなたのは悪酔いよ、悪酔い」
妻は呆れ果てる。
「けれども、グラスにだって愛がある」
「ちょっとなに言ってるのよ」
「それなのに妻は、分からないことがあんまりおかしくって」
「あんまりおかしくって?」
「とうとう笑い出してしまったのであるが、それでいて夫の芸術性のことなど、からっきし分かろうともしなかったのである」
しまった、私は酔っぱらっているのである。心にとどめ置くべき文章が、つい夫の言葉となって表現されたからといって、どうして責めることなど出来るだろう。
「いやはや、誰にも出来ないことよ」
私はまた妻の肩にもたれ掛かった。
「ほぉら、おもおもしているだろう」
「だから重いって言ってるでしょ、もうだらしないんだから」
「面目もございません」
「分かったら、もう寝るんですよ」
あう。私はもう寝るべきなのだろうか。けれども、それはあんまり勿体(もったい)ない。今こそ書き入れ時ではなかったか。アルコール濃度と交代に、昼間の憤慨やら、疲れ果てるような思考やらが宥められて、波が満ち寄せるみたいに、たわむれの妄想が沸き起こる。言葉はろれつを失い、無言に就寝する直前の、ソムナンビュリストが駆け巡るような執筆活動。それこそが魅惑の作品を生み出す、私の唯一の方策ではなかったか。
「そうして、それらけが、私の文芸活動なのれある」
現実の私は、すでにろれつが回っていないらしかった。
「はいはい、お休みなさい」
妻はよほど呆れたのだろう。上から毛布を被せると、部屋の電気を消してしまったのであった。
「電気を大切にね」
妻の去った淋しい部屋で、私は一人で呟いてみる。瞳を開き直してみれば、電力会社に就職したみたいな情熱が、つかの間わたしを慰めてくれるのだった。
「けれども、私は密かに立ち上がった。最後に残された仕事を、全うしなければならなかったからである」
しまった、また間違えた。これは会話文では無いはずなのに……まあいいや。落とされた電灯を復帰させて、小声で隣の妻を呼んでみる。まだ寝るわけにはいかない。けれども返事は返ってこなかった。
まだ怒っているのだろうか。それとも私があまりにも不甲斐ないので、借金の催促状でも書いているのだろうか。私の文章がまるで売れないので、質屋の勘定でもしているのだろうか。もうすぐ年末も近い。大いに悩ましいところである。
いっそ飛翔に乏しい、大地を這うような仕事を探したほうがいいのだろうか。あるいは死と乙女みたいな、デフォルメされた愛を捏造して、読者の好奇心を煽ったほうがいいのだろうか。けれどもそこまでして、自分はなにか報われるのだろうか……
えい、ぱっと開き加減にノートに描ききってみせようか。まずは人物相関図からだ。主人公は春東桔平(はるひがしきっぺい)だ。ヒロインは秋西恭子(あきにしきょうこ)だ。二人は恋人同士で、世界は滅亡の危機にある。ほとんどヤケのこころで、人物設定を記してみた。けれども、何も浮かんでこない。病気だろうと、滅亡に巻き込まれようと、どうせマンネリズムの堆積じゃないか。とうとう行き場を失って、過去にタイムスリップするのがオチだ。学者が数万年後に化石を発掘した際に、どれほどうんざりするか分かりゃしない。なんでそこまで分かっているのに、粘土をこね回さなければならないのだろう。
妻のために?
金銭のために?
パンのために?
読者のために?
それとも企業のために?
あるいは自分のために?
頭がくさってきた。酔いどれの霊感のほうがまだマシだ。いったい酔っぱらいの霊感が、全力で脱線するような不始末を、どれほど満たしたら世の中は、面白おかしくなるのだろう。やっぱり妻に優しくして貰わなくっちゃ、元気が出ないや。
つい痺れを切らしてドアを開ききると、けれども妻の姿なんかどこにもいなくなっていたのである。
「なぜなら、彼女は実家に帰ってしまったからである」
口にして説明してみたら、涙が出るくらいおかしかった。やっぱり私はどうかしているのだろうか。あんまり淋しくて、誰かに構って貰いたい一心なのだろうか。妻が心配するのももっともだ。彼女は文章のお医者さんに見て貰えと、しきりに勧めるのであった。
「アルコールがなくっちゃ何も出来ないなんて病気だわ」
「違う至高のアルコール機関だ」
「一度病院に行った方がいいわ」
「天性の酔拳文学だ」
「あなた、はっきり言って欲しいわけ」
「ちょっと待て、そんなに怒らなくたって」
「怒りたくもなるじゃない。毎日毎日、こんな落書きばかりして」
「落書きじゃない。芸術作品だ」
「いい加減にして。いったい誰のお金で生活してると思ってるのよ」
「いや待て。あぶない。今は調理中じゃないか。包丁を振り回すんじゃない」
彼女はとうとう喉のあたりに包丁を突きつけた。もちろんこれは、熟練者にのみ許されたワザであるから、よい子の皆さんは真似をしないように注意しよう。
「どうよ、無理心中でもしてみるつもり」
「い、いいえ、結構でございます」
私は冷や汗ものである。
「とにかく、一度お医者さんに見て貰ってください。でないともう、誰も相手にしなくなってしまうわよ」
それから妻は、夕飯の回鍋肉(ホイコーロー)を完成させたのである。だからといって、彼女が中国人というわけではないのだが、私としてもお医者さんの二文字だけは、前から気になってはいたのであった。
けれども妻だって、感動してくれたことだってあったのだ。結婚する前には、耳もとに詠んで聞かせたこともある。夜更けに家(うち)を抜け出して、待ち合わせをした公園の歌などは、もっとも気に入ってくれた筈なのに。たしか題名は『約束の公園』、今でも駄作だったとは思わない。あの頃のあなたへの想いを、ありったけ歌にした作品で、あなただってほほ笑みながら、口ずさんでくれたはずなのに……
『約束の公園』
夜更けは僕のすべり台
こっそり隠れた月の奴
どきどきするよな爪先と
零時と君とを待っている。
ぽつんと明かりは公園に
だあれもこないや雲ひとつ
隠れんぼするは月の奴
あなたは後ろに迫ってた。
僕は素知らぬふりをする
それから驚くふりもする
驚くふりしてやわらかな
くちびる奪ってやりました。
僕らの影はひとっつで
砂場のむこうの花の奴
真っ赤になってうな垂れる
月の奴めも顔をだし
おやまあといって照らしてた。
私はなけなしの勇気をはたいて、詩集にまとめて流通センターに持ち込んだ。子供だましの独善や、リズムの破綻を回避していると信じたからである。しかし彼らの態度は、極寒の摩周湖(ましゅうこ)よりも冷たかった。
「ずいぶん自信があるようですが、はっきり申し上げましょう」
制服を着た年配のサラリーマンが、私の詩集をめくりながら話しかける。詩編で、合わせて三十くらいの詩集である。
「この程度のがらくたなら、当社にはもう毎日のように送られて来るのです。まあ体裁だけは整っているようですから、もしそちらで費用を負担する気があるならば、請け負っても構いませんがね」
私には意味が分からなかった。流通センターのシステムなんて、まるで知らなかったのである。
「それはどういう意味です」
と尋ねると、年配のスーツは、三十代くらいのOLを呼び出した。年配の横に座った彼女は、
「つまりですね」
と絵柄で説明してある提案書を見せながら、
「製本に規定の冊数をまとめるまではそちらで費用を負担していただくのですが、売り込みの際には私たちもサポート体制を取らせていただくという、画期的なシステムです」
なんだかさっぱり分からない。
「何が画期的なんですか」
と正直に尋ねると、
「詩と無理心中しないで済むからです」
と年配のほうが言い出した。
「近頃、活字なんてめっきり金になりません。不況の煽りもあって、リーマンショックも呆れるくらいの世界的大暴落です。中でも詩なんて、いまや極悪非道のがらくたです。廃品回収でいくらかでもお金が返ってきたら、祈りを捧げて涙するくらいの世界です。つまり、そのリスクを回避できるわけですね」
隣のOLも、
「最低限度の利益を、あらかじめ詩人からいただいておけば、彼らの能力次第にお任せして、売れなくっても大丈夫というわけなんだわ」
とつけ加えた。
「だって、そんなの出版会社の責任逃れじゃあないですか」
私は思わず口にしてしまったが、
「そんなのは恋人の一方的な嘆きに過ぎませんよ。むしろ製本の価値すらない言葉たちに、愛の手を差し伸べると考えていただければ、私たちの博愛精神の、幅の広さに感心なさるに違いありません」
と茶化されてしまった。すると、奥でパソコンを打っていた青年が突然、
「だいたい今は忙しいんだ。いや、いつだって忙しいんだ。いちいち売れるかどうか分かるまで、のんびり吟味していられるかってんだ」
と言い出したので、今度はさすがにムッとなった。だって、自分たちで原稿の持ち込みをうたっているのではないか。それで読む時間がないとはどういうことだ。
「吟味しなかったら、作品の価値なんか分からないじゃありませんか」
私は思わず口にした。けれども彼らは気にした様子も見られなかった。
「なんの。これでも私どもはプロですよ。こうやって、ひらりとひとめくりした途端にあら不思議、作品の価値なんか分かってしまうものです。長年の功績という奴ですね」
年配が詩の一枚をひらひらさせるので、私はよけい腹が立ってきた。
「どんな芸術だって、ひと目で把握することなんか出来るものですか。どんな鑑定家だって、すべてを確かめるには時間が掛かるんだ」
思わず体を乗りだしたが、すぐにOLが、
「今はインスピレーションの時代だわ。ひと掴みに価値が分からなかったら、ただのがらくたよ。がらくた」
するとさっきの青年も、一枚を試しにひらひらさせながら、
「ああ、駄目ですね。こんな控えめじゃ物になりっこありません。インパクトがないから誰も買ってはくれませんよ」
と言い出した。一番酷かったのは、それまで向こうでコピー機をいじっていた茶髪の中年である。いきなりこちらに歩いて来たかと思ったら、
「詩っていうのはなあ、夕べも抱かれたとか、あと半年の命とか、皆さんが蟻のように群がるところを狙わなくっちゃ駄目なんだよ。分かるか」
と言いながら、テーブルの上にあった私の詩集を突き返してしまったのである。私はあっけに取られた。どうしてこんな奴らに、文章を判断する能力があるっていうんだ。
「とにかくお帰りください」
「また、出直してこい」
「ママのおっぱいでも飲んでいらっしゃい」
まるで追い立てられるように事務所を逃れたのである。
私は悲しかった。詩人たちは、よくこれほどの悲しみをこらえて、おとなしく引き下がれるものだと思った。「ママのおっぱい」なんて、今どき博物館にも置いていない台詞である。ようするに愚弄のツボを心得ていやがるんだ。そもそも詩人とは、一般人よりも感情のひだが大きいはずでは無かったのか。それがこれほどの嘲笑を受けて、負け犬みたいに引き下がる一方なのだろうか。よく、相手を刺し殺して、ニュースに取り上げられたりしないものである。けれども、考えてみれば……私もまたとぼとぼと、背中を丸めて路地を帰るのであった。つまりは、こんな情緒しか持っていないから、私の詩も売れないのだろうか。
それでも妻は慰めてくれた。才能は私が保証してあげるから、弛まず続けなさいと励ましてくれたのである。あの頃は、酒を飲みながら描いてみせたって、注意なんかしなかった。僕の肩越しに落書きを眺めては、含み笑いをすることすらあったのに。
今はもう悟りを開いて、売れない文章を無能のせいだと確信しているのだろうか。私は彼女の背中におもおもと負ぶさって、迷惑を掛けているだけなのであろうか。
「違う、そんなのは間違っている」
私にだってプライドはあるんだ。私は信念を持っている。それがもう痛めつけられて、しらふでは全うしきれないから、ちょっとアルコールを入れて、心を宥めてから走り出すだけのことなんだ。それに酔っぱらって文章が定まらないんじゃない。酔ってからこそ文章が纏(まと)まるんだ。つまりは今こそ、一番優れた作品が描けるチャンスなんだ。
私は立ち上がった。ちょっと部屋から逃れて、しばらく夜更けの町並で悲しみを紛らわせてこよう。妻のことなんかもう知るもんか。勝手に実家にでも中国にでも帰っちまえ。回鍋肉くらい私にだって作れるんだ。お荷物みたいに邪魔にしやがって。
鍵を取りに戻ると、開きかけのカーテンから野菊たちが覗き込んでいた。私の醜態を笑っているような気がする。ああ、花にまであざ笑われる存在に落ちぶれるとは。けれども不意に月明かりがベランダに差し込んだから、私は思わず窓辺に近寄った。いつしか月が出ているらしい。散策には素敵な夜空になってきた。少しだけ元気が回復してくる。ほろ酔いの散歩は秋のひとりごと。それは誰の呟きだったろうか。
玄関の靴置きには、なぜだかひょうたんが掛かっている。これはどうしたことだろう。広大な大陸より、仙人でも訪れた名残だろうか。実家から妻を訪ねてきたのだろうか。いや、だって、妻は日本人の筈ではなかったか。なんだかよく分からない。けれどもこれは酔いどれのための必需品である。紐まで付いているのだから、これをベルトに通して、お腰にぶら下げて家を逃れることにした。思えばとんでもない醜態である。私はそんな格好のまま、近くの小学校に向かおうと考えたのであった。不法侵入した校庭から、月見でも楽しもうという魂胆である。
「いざよいの千鳥の影や砂の城」
そんな一句を呟やきながら、私は十六夜(いざよい)の到来を確信した。こんな些細な記述から、月齢までもが規定されてしまう。それがここでの掟であり、私にはその特権が与えられているのだ。この特権をデフォルメしたら、ひとつの面白い小説が出来るに違いない。けれども今は気がのらないから、靴を履きながらよろよろと鍵を閉めた。静まりの外気が夜風をシンと受けて、襟元の寒がりが私を……
しまった。やはり酔っているのだ。文脈が狂ってしまった。ひょうたん以上の醜態だ。知らないふりをして、もう一度出直すことにしよう。
よろめくままに靴を履き、玄関の鍵を閉めると、シンと静まり返った町並がそっと夜風を通わせ、私の襟元を寒がらせた。アルコールの陽気さが、靴音と一緒にリズムを奏でるとき、私はようやく陽気さを回復して、歌を口ずさみながら歩き出した。
月夜の晩に研かれた
勾玉みたいなお姿を
七つの色した首飾り
あなたにあげたいものですね
即興にしては悪くない出来だ。けれどもどこかに書き記しておかなければ、ほろ酔いの歌なんて忘却のかなたに沈んでしまうに違いない。どうしよう、手帳なんか持ってきてないし。ひょうたんでは筆記用具にはならなし……
ああ、私は馬鹿であった。こうして執筆さえ続けていれば、おのずから何度だって読み返すことが出来ではないか。何も心配することなんかないのだ。けれども……
けれども私はいま、小学校を目ざして、小道を散歩しているはずである。よろめきながらの靴音が、後ろから追いかけてくるばっかりだ。それがすべてであるのに、執筆さえ続けていればとはどういう意味だろう。私は夢でも見ているのだろうか。本当は部屋で、落書きを続けているだけなのだろうか。なんだか酔いが回って釈然としなかった。
まあ、いいや。鼻歌満ちればこころも踊る。踵(かかと)のリズムに誘われながら、爪先しびれて夜風が嬉しい。酔いどれ意識のもつれる際(きわ)を、霊感ばかりが冴え渡る。答えて枯れ葉ははらはらと、アスファルトにさえ月明かり。影に追われて、影を追い、私はどこまで行くのでしょう。そうして両手を振ったりしながら、ますます歌を続けてゆくのだった。
初めてあなたの肩にふれ
恋する甘さと切なさと
夢さえいつも遠のいて
見はてぬ思いは募ります
月影うれしと靴音の
恋しきあの子のおもかげを
遠くに眺める雁(かり)の歌
いつか一緒に聞きたいな
学校には野菊の花壇があるに違いない。けれども私はそのことを知らなかった。今ごろ花壇のなかでは、私に悟られぬように、菊たちがささやきあっていることだろう。
「ねえ、こっちの方に来たわよ」
「静かに、聞かれちゃうわ」
「あんなに酔いどれて大丈夫なの」
「なんか、人生に疲れてるっていうか」
「ほら、なんだっけ、月に疲れたピエロだっけ?」
「あんた、それを言うなら、月に憑かれたでしょう」
「そうだっけ」
「もつれ足ですよ、もつれ足ですよ」
「少しずつこっちに向かってくるようです」
「私たちの花壇に踏み込まないでくんないかなあ」
「あらあら、フェンスに手なんか掛けちゃって」
「やっぱりこっちに来るつもりなんだわ」
「ほら、みんな静かにするのよ」
「やれやれ、先が思いやられるわね」
愚かな私は、菊たちに覗かれているなどとは夢にも思わなかった。つい調子に乗って、
「けれども嬉しい子(ね)の刻に、猫の子供はおりません」
などと愚かなことを呟きながら、小学校のフェンスを乗り越え始めたのであった。入口は進入禁止の張り紙で閉ざされている。しかしフェンスなんか、どうせ腰のあたりまでしかないのである。お月見は広いところが一番だ。だいたい、どこもかしこも領土化しやがって。そんな反発が、私のやんちゃを煽っているらしかった。
フェンスを乗り越えるついでに、その上に立ち上がってみる。いきなり背が伸びたような愉快があったが、バランスを取った両腕にも関わらず、私はたちまち平衡感覚を失って、自分から校庭へと飛び降りたのであった。酒で三半規管が狂っているのだろうか。それとも知らぬ間に、バランス感覚が衰えてしまったのだろうか。
それにしてもここを通るたびに、フェンスに登って遊ぶ生徒がいないのを見るにつけ、不思議な気分にさせられるのだった。私の子供の頃は、フェンスを伝って学校を一周したことだってあった。地面に足を付けずに、いかに切り抜けるか、そこに知恵の見せ所があった。時には度が過ぎて、校門を閉ざして向こう側に渡ったことさえあった。そのときは、さすがに先生から怒られた。けれども厳罰には処されなかった。多少の怪我はあっても、遊びごころが子供たちを育てていることを知っていたからである。そんな遊びすぎの逸脱が、今ではほとんど見られなくなってしまった。みんな、お遊戯みたいにして遊んでいる。木枠の蚕さんみたいに遊んでいる。まるで首輪をはめられた犬っころのようにも思えてくる。僕らの活気はどこへ消えてしまったろう。不思議なことである。
思えばあの頃は、大人三人分の背はありそうなフェンスのいただきを、二本足で歩いてみたことすらあった。それでいて落ちるとは思わなかった。たとえ踏み外しても、掴まりがてらにひっかき傷くらいですむ自信があったのだ。それに私たちは、屋根からもしょっちゅう飛び降りていたから、かなりの高さだって、怪我をせずに飛び降りられることを知っていた。それを子供ゆえの浅はかとは思わない。現にこうして平気でいるのだ。
もともと子供には、それだけの潜在能力が備わっているものである。それは、体育の授業で身に付けるようなスポーツ的な運動神経じゃない。もっと自然に獲得していくような身体能力だ。だから森の中でアスレチックをした時だって、男女十人のうちで一人くらいも、落ちて怪我をした奴なんかいなかった。出来ない奴は恐ろしくなってその場で泣きだしてしまうんであって、みんな自分の限界をおのずからに分かっていたのである。そうしてかなりの無茶をしても、注意なんかされなかったのである。注意をしないこと、多少のリスクはあっても安易にやめさせないということが、人を人らしく育て上げるための、一番の宝物であった。
人の精神は、言葉の羅列から出来上がっているものじゃない。思考でさえも、肉体的な記憶と綿密に結びついているのではなかったか。体を使わず、指先と視覚だけで成り立つような遊びばかり、まるで餌のようにして与えたら、身体と結びついた言語はますます乏しくなり、彼らは面白おかしい作文ひとつ、満足に記せなくなってしまうに違いない。それさえも、素直な情をずたずたに引き裂くような添削を、行っているような異形(いぎょう)の生物が、教師の名称を乗っ取って、学校をのさばっているという不始末だ。こうして成長させられた子供たちは、単純に掴み取れる最安値の文章にしか、感心を示せなくなってしまうに違いない。そう思うと、酔いも覚めるほどドキリとさせられた。
大切なのは、読書をすることなんかじゃないんだ。何かを読んだときに判断するだけの、情緒と理性を身に付けることなんだ。そうしてそれは、文章なんかで獲得されるものじゃないんだ。精一杯の喜怒哀楽の中から、全身全霊を掛けた遊びの中から、考え悩むことによって始めて得ることが出来るものなんだ。私だってあの頃は、少年探偵の流行りものくらいしか、小説なんか読んだこともなかったっけ。なにも私の駄文に限ったことじゃない、小説なんて自己が身についてから、ちょっと何かを得るくらいの、副次的な影響力しか持ち合わせていないんだ。それをまるで読書率さえ上げれば、豊かな人間が生まれるみたいに、浅はかに追求するから、余計に乏しいような人間が、成人式を迎えちまうんじゃないのか。
ああ、それにしても、あの頃の勇気は懐かしい。いつの間にかずいぶん臆病になってしまった。いや、実際はあの頃も臆病には違いなかったけれども、ここまでぐだぐだじゃあなかった気がする。今ではおっかなびっくりに文章を記すのにさえ、酒の力を借りている始末である。歳月を隔てて立ち上がったフェンスには、バランスを取ることすら出来なくなってしまった。何となく体がおもおもしている。快活がすっかり損なわれている。それがちょっと悲しい。
あるいは失われているのは、執筆の能力そのものなんじゃあないだろうか。誰ちゃんの、彼ちゃんの作品を読みなさいと脅されるうちに、みんな自分の言葉を失ってしまっているのではないだろうか。あるいは身体能力の衰えとともに、瑞々しい表現力も少しずつ損なわれてしまうのだろうか。酔いどれのもつれた頭で考えていると、急に背筋が寒くなってきた。自分をさえも信じられなくなったら、もう何も書けなくなってしまうではないか。私は慌てて歩き出した。
校庭はほのかな蒼に照らされている。いざなうような十六夜月(いざよいづき)だ。すぐ近くには花壇があって、そこには野菊やら、コスモスやらが風に揺られている。危うくこの中に飛び降りて、子供たちの夢を台無しにするところだった。気をつけなければ。隣の菜園には、大根も植えられている。すでにぽっかりと穴が空いているところは、大根を引っこ抜いた後だろう。きっと家庭科の授業で、味噌汁にでもしたに違いない。私はまた愉快を回復してきた。
校庭をざくざくと歩んでいく。グランドは、大人の目から見るとそれほど広くもない。都会向きのコンパクトなサイズである。校舎を眺めながら近づいていくと、国旗掲揚の支柱のあたりまで来た。遙かかなたには、月が煌々と輝いている。十五夜が終わってもモチをつくという兎の姿もある。掻き消されそうな星たちさえも、十や二十は煌めくのだった。この辺りでは珍しいくらいの夜空である。
生徒たちは今ごろ夢のなかだろう。大人たちの規制から自由になって、空へと羽ばたいている頃かもしれない。私は調子に乗って、お立ち台のうえに登ってみた。わずか階段三つである。こんな地味な台なのに、あの頃は地位のあるように思われた。ちょっと胸に手を当てて、弁論の真似ごとでもしてみようか。
「諸君。諸君は知っているか」
ちょっと照れくさくって始めたけれど、誰も咎めるものなんかいやしない。だんだん調子に乗ってきた。
「昔はもっと自由が広がっていた。私有の草原に遊び、林や竹林には、子供たちの笑いがあった。真夜中の校庭にだって、人影くらいあったのだ。ちょっと深みのある川べりも、公園のメートルくらいの段差だって、馬鹿みたいに柵で覆ったりはしなかったのだ。なぜなら、我々は動物園の動物じゃない。責任を持って行動をするひとりの人間である。落ちた怪我はある程度は落ちた者の責任にすることで、私たちは始めて行動の自由を勝ち得ていたのに」
私はちょっと息をつく。
「自由な遊びごころが満たされるからこそ、私たちは愛するあの子の心にだって、すんなりと近づくことが出来たのに」
思わず自分でも恥ずかしいようなことを言っちゃった。かなり照れくさい。けれども真夜中の校庭には、胴上げしてくれる観衆もいなかった。運動会が近いためだろう、引かれた白線ばかりがまっすぐに整列している。私は突き上げた右手を、きまり悪そうに降ろしながら、そっと呟くのであった。
「ずいぶん住みにくい世の中になっちまった」
今はどこもかしこも注意書きだ。人間だってしょせんは動物である。失敗もすれば怪我もする。怪我もすれば事故だって起こるんだ。それは、どんなに大切に育てたって避けられないもので、ましてや全力疾走の子供だからこそ、時には死ぬことだってあるということを、わきまえずにあらゆる身近な危険から遠ざけたら、人間はただ生きていればいいだけの、お優しい縫いぐるみになっちまう。さぞかしご立派なジェントルマンでも出来るだろうって。冗談じゃない。はらはらどきどきの幅が狭められたら、狭められた分だけ、感情の乏しい生き物になっちまうんだ。生まれたときから過剰な鎧で武装して、翼を育てるための喜怒哀楽を奪い取ったら、物欲と見てくれだけが肥大して、空っぽの自我ばかりが、空へと舞い上がるに決まっている。その時こそ、異性と娯楽と悪口しか持たない、恐るべき子供たちの誕生だって、それはジャン・コクトーの台詞だったか、それともレイモン・ラディゲの台詞だったか、私の意見でないことだけは確かである。
「だからこそ、私はフェンスの上にも立ち上がったのだ」
月に向かって呟いてみる。私はフェンスの扇動家として、間もなく主婦たちから退治されてしまうかも知れない。
「時には踏み外して、大いにぶつけたこともある」
それが股だったときには、眼も当てられない有様だった。
「あの痛みだけはごめん被りたい」
私はつい素に戻って訴えてしまった。月は知らん顔をしている。けれども、もう少しだけ伝えておきたい。
「けれども、はしゃぎすぎの大事故だって、子供の頃には何度も経験したのである。それはすなわち、九十九パーセントは無事だろうが、残り一パーセントくらいは、時にはひどい怪我を負うかもしれない。まかり間違えば死ぬことだってあるかもしれない、そんな事故である。しかし、リスクと引き替えにした経験こそが、人間の豊かには必要だったのだ」
そんな経験のひとつひとつが、臆病をこらえて語りかける酔っぱらいの、最後の勇気ともなっているのだ。そうであるならば、小さな心の糧さえも奪い取って、ただ命だけをひたすらに追求する、この恐ろしい曇天の世の中を、誰かが糾弾しなければならないのである。つまりあなた方は、大切なものをみんな屑籠に捨てちまった。そうしてあなた方は、今ではもう安っぽい縫いぐるみさんである。
「そうだ、今では誰もが縫いぐるみさんなんだ」
けれども校長がこんなことを宣言したら、生徒たちはみんなポカンとなってしまうに違いない。幸い真夜中の生徒は、月に消されかけの星たちばかりであるから、私をあざ笑うものはどこにもいなかった。それにしても星あかりが少なすぎる。あるいは彼らの間にも、インフルエンザが流行っているのであろうか。これじゃあ、しかたないや。
「それでは、今日は解散」
私は生徒が少なすぎるので、休校を決意した。銀河の学級閉鎖なんて洒落ているじゃないか。星たちは大いに瞬いている。もっとも私自身は、学級閉鎖なんか経験すらしたことがない。あの頃の学校は、今とは比べものにならないくらい健全だった。思えば急激に虚弱体質を極めたものである。正しいと思って用心を重ねるうちに、世にも恐ろしい軟弱の王国になっちまったのではないだろうか。私はちょっと心配になる。もしそうであるならば……
「その現象は、やがて文芸界にまで辿り着くことだろう。繊細と惰弱とを履き違え、才気のなさを誤魔化すために、ニュース的な文章に誰もが縋(すが)りついたとき、階層に乏しい積木ならびに構成を宥めすかすとき、言葉はファッション以上の価値を持ち得ない、文様の連なりに貶められるだろう。荒廃した文学世界は、二度と再生されることなどないであろう。そうであるならば……」
そうであるならば、私のこの酔いどれの落書きもまた、その貧弱の末期症状を呈しているに過ぎないのであろうか。私はフェンスを歩き回った男である。それなのに?
私は新しいものを生み出すつもりで、ひとりよがりの世紀末を演出しているだけなのだろうか。最先端の堕落街道を突き進んでいるだけなのだろうか。急に侘びしさが勝ってくる。
ああ、しかし、空を見たまえ。月と星とは、あんなにも私を見守っていてくれているではないか。月のひかりはまるで、私を讃えるスポットライトのようである。そうだ、ここで引き下がる訳にはいかないんだ。遠くから拍手が響いてくるような気がする。今こそ勇気よ沸き上がれ。黎明は来たりし。私を賛美する幾万のひかりはここに集結するのだ!
あるいはこのような不始末を、心理学者どもは「観衆によるカラオケ効果」とでも命名するのだろうか。私はもはや我慢が出来なくなって、
「ええ、ではここで一曲」
と胸に手を当ててカラオケを始めてしまったのであった。なんという醜態。今思いだしても恥ずかしい。けれどもお立ち台に昇った以上は何かを訴えなければならないのだ。お約束からは、誰だって逃げられないんだ。それに私は酔っぱらっている。酔いどれの歌心を、誰に留めることが出来るだろうか……
『円舞曲(ワルツ)』
木陰の パンの 哀しみは
校舎 時計の ハイカラさ
あんな 卵の 雌鳥が
逃げ出したって 言うのだから
走る お池と 湯気立ちて
屹然(きつぜん) として おりましょう
まるで むかしの 俤(おもかげ)と
逃げ出したって 言うのだから
中庭 すべって 苔の岩
ひなびた 児童は そこかしこ
廊下の 春も 教頭の
髪毛(かみげ)にあっては 報われぬ
呼び鈴 待ってた 椅子のみの
黒板 授業と なりまして
校庭にあって まあるく 走っているあの
ねえ あれは 雌鳥だってやいたしませんか?
学校の歌は愉快に限る。乾杯。何だか楽しくなってきた。私はつい、お腰にぶら下げたひょうたんを取り出して、当たり前のようにひとくち付けてみたのであった。
「やっぱり入っている」
空っぽではなかった。ちゃんと酒で満たされているではないか。しかもこれは白ワインだ。シャルドネの味ではないだろうか。芋の焼酎はどこへ消えたのか、変わり身の早さこそおかしけれ。私はなんだか足までもつれ始めた。
ふと見るとさっきの花壇から、ひとしきり野菊の揺られているのが目についた。隣りにはコスモスも、一緒になって風に吹かれている。大気はちょっと冷ややかだけれど、月の冷たさに独特な色彩をかえし、花たちは笑うみたいに揺れているのだった。あるいは私の歌を讃えて、拍手をしてくれているのかもしれない。そう思うとますます嬉しくなった。
「ちょっと、とうとう身振り交えて歌い出しちゃったわよ」
「どうすんのよ、あんな失態。もう取り返しがつかないわよ」
「大丈夫かなあ、早くも物語の座礁じゃないかしら」
「何言ってんのよ、はなっからただの駄文よ。読みにくいったらありゃしない」
「確かに。何となくゴツゴツしてるわね」
「そうよ。これ以上、堕落(だらく)しっこないから大丈夫よ」
「最低ラインですう」
「それで次はどのようにことを運んだらよろしいのでしょうか」
「いいのよあっちゃん。そんなに真面目に考えないで」
「とにかく、引っかき回してやるんだわ」
「それはいくら何でも、ちょっと酷くない?」
「全然酷くないって」
「次々に試練を与えることで成長すんのよ」
「そういうことなら、コスモスにも手伝って貰いましょうよ」
菊の隣にはコスモスが、煙たそうにして知らぬふりを決め込んでいたのである。急に火の粉が降りそそいできたんで、コスモスどもはびっくりしちまった。皆さんはよく誤解しているようだが、コスモスはみんな男である。最近の男は、どうもヒョロヒョロしていて頼りない。二十一世紀はいわば菊の時代であった。
「ちょと待てよ、俺たちまで狩り出すつもりかよ」
「当たり前じゃない、同じ花壇の住人でしょ。ちゃんと付き合いなさいよ」
「だって、あんな不健全でノイローゼみたいな文筆活動に関わったって、いいこと無いぜ」
「そうそう、もっと男と女の濃厚な」
「濃厚な何よ」
「いや、だからさ」
「馬鹿ねえ、あんなぽつねんとした奴に、ラブストーリーなんか書けるわけないじゃない」
「濃厚にずり落ちる一方だわ」
「でも、片思いなら書けるかも?」
「ダメダメ、いつも一人芝居なんだから」
「それにしても、お前らも物好きだなあ」
「あら、女なんて物好きなんだわ。次から次へと首を突っ込みまくりよ」
「そうして、ひっかきまわしてやるの」
「あんなけったいな奴ほっといて、俺たちと遊びに行こうぜ」
「あら、こんな面白い遊びないじゃない。一仕事終わってからなら考えてもいいわよ」
「本当か」
「もちよ、もち」
「じゃあ俺、ちょっと頑張っちゃおっかな」
「お前は単純でいいな。羨ましいよ」
「いいじゃねえか、酒と女と仕事と鴨と、そんな映画なかったっけ」
「なんなら一緒に見に行ってあげよっかあ」
「ほんとか」
「うっそでーす」
「うわ、最悪」
「しかし、手を貸すことはまだ良いとしても、その前に聞かせて貰いたいものだな。この作戦の目的がどの辺にあるのかを」
「何だお前、あい変わらず堅物だなあ」
「当たり前だ、人生は目的をクリアしつつ登りゆくヒマラヤのようなものである」
「甘いわあんた。人生は寄り道の連続よ、正道なんてひとつもないのよ」
「いわば、脱線に次ぐ脱線、崩壊する橋げた」
「そしてみなぎる駄文」
「おいおい、ちょっと待てよ。それじゃあ今のままで全然オッケーじゃねえか」
「何よ、私たちこれでも、お悩みの彼氏のために仕事してんのよ。人道主義なのよ。人道主義」
「いいから、ちゃんと協力しなさいよ」
「彼氏って、あの酔っぱらいのことか」
「そうそう、愛すべき酔っぱらい」
「あんなの、愛せねえって」
「あら、駄目な作者ほど可愛いって言うじゃない」
「博愛主義ですよ、博愛主義ですよ」
「ちょっと、みなさん静かにするんだわ。とにかく何か一つでも閃いて貰えたら、それで十分なんだわ」
「つまり頑なに結論を求めての行為ではないというわけか」
「あんた堅いわよ。一つの物語から結論を読み取ろうなんてのが甘ったれてんのよ」
「だってよお、みんな綺麗にまとめてんじゃんよ、一冊で意味が分かるように」
「そんな結論、にせ物の結論だわ」
「そうそう、ツァラトゥストラみたいな煙巻君の方が、逆に多くを物語るものだわ」
「世界を内包するってわけね」
「そんなものかなあ」
「ちょっと待ちなさいよ。あの名作と酔いどれの駄文を一緒にしないでよ。ニーチェが浮かばれないじゃない」
「別にいいじゃない、どのみち沈んじゃったんだし」
「あんた、相変わらず口が悪いわねえ」
「それで、俺たちは何をすればいいのさ」
「そうねえ」
「とにかく、何でもいいから、引っかき回しちゃえ」
「出たとこ勝負だわね」
「これで得心がいった。必死の形相で右往左往させつつも、真実のひと欠けらくらい探させようという魂胆なのだろう」
「かなりお堅い解釈だけど、まあそんなところだわね」
「そういう訳ですから、みなさまお願いします。少しだけ力を貸してはいただけないでしょうか」
「おっ、かわいい、力貸したら付き合ってくれるか」
「え、あのう、それは」
「ちょっと、あっちゃんに手を出さないでよ。まだ生娘なんだから」
「なんだそりゃ、他に生娘なんていないみたいな言い方だな」
「何よ、勝負するつもりなの」
「いえ、いいです、おしゃべりじゃ勝てないや」
「じゃあ、行ってらっしゃいよ」
「ちぇっ、しょーがねえなあ」
「じゃあ、とりあえず二人で行ってくっか」
「私も一緒に向かった方がよいのであろうか」
「堅物、お前はもっと後に控えとけ」
「そうか、ではそうさせて貰おう」
なんだか花壇を見ていると、菊もコスモスも不思議な揺れ方をしている。あれはどういう現象だ。だって、風の方向と一致して無いじゃないか。なんだかそれぞれ勝手に動いている気がするのだけれども…… 酔っぱらっているせいなのだろうと思って、ちょっと頭を振ってみた。とたんに月と星とが揺らめくので、お立ち台が陽気になってくる。もう一曲歌ってしまおうかしらん。
ところが不意にサーチライトに照らされた。そんなに大きなものじゃない。ハンディーサイズの懐中電灯だ。しかしゆらゆら近づいてくる。しかもあの真っ白な光は、紛れもなくLEDの輝きである。ライト・エミッティング・ダイオード。格好(かこ)いい響きに誘われて、近頃脚光を浴びつつある若手電灯である。やがて奴のために、白熱電球は絶滅危惧に追いやられるに違いない。それを持参して校庭に訪れるとはハイカラさんめ。私はてっきり路上ライブに誘われて、観客が訪れたのかと錯覚した。両手を精一杯に振りながら、
さかずき色してゆらゆれて
足の向くままおもむけば
迷子迷子となりまして
もつれながれて浜千鳥
と歌ってしまったのであった。てっきりスカウトされると思い込んだからであった。人は死ぬまで、スポットライトを浴びる夢だけは捨てきれないものらしい。それを押さえつけるのは、あまりにも酷というものだ。私にしたって本当は、こんな駄文にも価値が認められて、花形に躍り出ることを夢見ながら、酔いどれの執筆を続けているには違いなかったのである。ああ、皆さんのうちの誰か一人くらい、この作品の価値をすくい上げて、こころより賛美してくださったなら、わたしも大空を羽ばたく鷹のように、傑作をさえ描ききってみせるのに。
けれどもそれが致命傷となって、酔いどれの執筆家のたましいを、台無しにすることだってあるのだから、世の中なにが幸せか分からない。
「本当にどんな辛いことでも、それが正しい道を進むなかでの出来事なら、峠の上りも下りもみんな本当の幸福に近づくひと足ずつですから」
そんな燈台守の言葉を胸に、正道を歩んでいくしかないのである。あるいは、作品のために毎日を犠牲にして、食べ物にさえ事欠くような毎日が、もっとも幸福だったということだって、無いとは言えないくらいである。
「おい、貴様、こんなところで何をしている」
しかし、私の考えはすべて徒労であった。奴は制服を着た警察官だったのだ。何ということだ。よりによって国家権力だったとは。調子に乗って両手なんか振るんじゃなかった。せっかくの酔いどれの芸術を、こんな若造に邪魔されてたまるものか。
「お前らに何が分かる。無名の才能を発掘するでもなく、稀少芸術を本気で擁護するでもなく、迎合主義に輪をかけて、人の拍手に乗っかって、賞などを渡してはしゃいでいるような、お前たちに何が分かるというのだ」
私は勇気を出して宣言する。相手だってひとりだ。一対一だ。議論だったら負けるものか。いくら資本があるからって、いい気になるな。
「また、酔っぱらいの文芸家気取りか。秋から冬にかけては、一番やっかいな奴らだ」
警官がサーチライトで照らしだす。なにを生意気な。さらにひと声加えようと思ったら、後ろからもう一人近づいてきた。どうやら初めからグルだったようだ。形勢は不利である。私は要注意人物として、次第に取り囲まれつつあるらしい。
「そうやって徒党を組んで、孤高の職人を食い潰すのか」
私は懸命に叫び返す。指先がぶるぶる震えている。
「ここは校庭だ。規律を犯すんじゃない。入口の張り紙が見えなかったのか」
「そうやって規律でがんじがらめにすることが、新しい創造性の幅を、皆殺しにしていることに気づかないのか。入口を広く保っておくことが、文芸を擁護することだってあるんだ」
私は勇気を奮い立たせた。
「堕落しきった酔っぱらい文書(もんじょ)の、どこに創造性があるというのだ」
うしろの警官が、いきなり怒鳴り掛かってきた。恐ろしいほどの剣幕だ。
「ここは学校の領地だ。お前の妄想のフィールドじゃない。投稿時刻や枚数は守るべきだ」
前の警官が言い立てる。するとまたうしろから、
「いいか貴様、家を出たら『僕』と『私』を混在させるな。同じ言葉を隣り合わせにするな。『の』ばかり連続で並べたてるな。主観と客観をしっかり区分けしろ。しどろもどろになるな。読みにくいほどの長文をしゃべるな」
といきなり迫ってきたのには驚いた。てっきり校庭に入ったことだけを咎められているのかと思ったら、そうでもないらしい。彼らは私の酔いどれ文章そのものを、軽犯罪として糾弾するつもりらしかった。けれども、そうと分かれば、私はけっして負けるわけにはいかないのだ。
「黙れ、故人の名称をダシに使いやがって。商業主義の権化が『何とか賞』めさるなだ。お前たちの一体誰が、かつての故人の意に沿って、『何とか賞』を冠しているっていうんだ。名義を商売のために利用しているだけじゃないか。そうして迎合主義の作品ばっかり漁りやがって。安全パイで確実に利益をゲットか。そのくせおもちゃの高尚性なんか振りかざしやがって、純文学とか珍奇(ちんき)なカテゴリーを設けるなってんだ。恥ずかしいったらありゃしない。それでいて真の芸術を蔑ろにしてるんだ」
警官はうしろの方がより俗的である。それだけに暴力的であるらしかった。
「こんながらくたを並べておいて芸術だと。ブロク階級が調子づきやがって。携帯で下手な小説でも書いていやがれ。いちいち応募するな。いい迷惑だ。珍文を読む身にもなってみろ。ええい、いっそ一発殴ってやった方がいいんじゃないか」
「よせよせ。今じゃあ、世間もうるさいんだ、携帯の駄文くらいで殴ったら、新聞に書き立てられる」
「昔は、蹴っ飛ばして、矯正させてやったもんだがな」
ごろつきみたいなことを平気で言いだした。実際彼らは、制服をきたごろつきである。人が懸命に記した文章を、屈辱する権利があると本気で思い込んでいるらしい。たとえ稚拙な小説だって、書いている本人は全身全霊だ。試行錯誤の結晶なんだ。その結晶のなかから、水晶のひと欠けらくらい探し出しているのであって、しかもそれは、儲けになるからこそ探しているんじゃないか。企業の利益だろうと、当人の賃金だろうと、ボランティアでないことだけは間違いない。だから不十分な結晶や、河原の小石は、黙って文章の大河に押し戻しておけばいいのであって、石ころの形状について、とやかく主観的発言をする権利なんか無いのである。それをメール文書(もんじょ)の稚拙さを、どうにか当人に知らしめてやりたいと、社員用のブロクに落書きを加えたり、批判がましい落書きを添えて送り返したりするのであった。それを当然の権利だと思い込んでいるらしい。それが感情動物じみた下等な行為だとは、彼らには理解できないのだろうか。
つまりは糾弾を加えることが、社会にとっても有益であり、それは自分の使命であると、とんでもない錯覚を抱いているのであった。けれどもこれは恐ろしいことだ。彼らの良心はどっちを向いているのだろう。文章の質なんて、流通した作品のなかで語り合っていれば、批判精神に傷なんて付かないはずじゃないか。
私はここに断言する。それらの行為は、硬直化した権威主義であって、彼らは必ず一般市民よりも権力的である。けれども文筆家というものは、一般市民よりも常に酔いどれていなければならないんだ。文筆家が警察官を兼任したとき、その作品は死滅するに違いないんだ。
「お前たちに文章を見分ける能力なんかないんだ。あるのはシステムに寄生して、規格から外れたものを糾弾するだけの、狭っちい心だけなんだ」
しかし、私は酔っぱらいにしても、言葉が過ぎた。彼らをあなどってはならなかったのである。彼らはさっそく警棒を振り上げた。二三発ぶん殴っても構わないという思想が、文芸各社のなかに大勢を占めだしたからである。けれどもこれは危険なことだ。恐らく大日本帝國の頃であったら、
「退廃の文学者め」
「文法すら守れない駄文家め」
「市井家気取りの俗物めが」
などと脅されて、散々殴られまくった挙げ句、ついには監獄に投げ込まれ、寝ている間に旗まで持たされて、
「貴様、その旗はなんだ」
といきなり社会主義のレッテルを貼られて、みなし処刑でもされなかったとも限らない。けれども今それを食い止めているのは、快楽を求めて文章がさ迷い歩くという、あの戦後民主主義の功績には違いなかったのである。ああ、私は守られている。そうして守っているものは……
「無法な暴力は糾弾されなければならない」
私が悲痛な叫びを上げたとき、奴らの暴力の気配は止んだ。ニュースに取り上げられちゃかなわない。そんな思いが兆したからに違いない。けれども今やその分、奴らは陰(いん)に籠もる一方であった。
「どうも、この文章は変じゃありませんか」
正面からサーチライトで照らしていた方が話し出す。
「妻がリーダーだとか、ダーリンだとか、まるで馬鹿げていますな」
うしろの方が答えている。私が何か言おうとすると、
「ああ、お構いなく、ほんのお茶話ですから」
「耳でも塞いでいて下さい」
さっきまでの悪態は忘れちまったみたいに、丁寧な口調でわざとらしい抑揚まで付けて、私の執筆を間接的に罵り始めた。しかも批評じゃない、ただ馬鹿にすることだけを目的に、傷口だけを徹底的に糾弾するのであった。
私は知っている。すでに何度も経験があったのだ。たとえば彼らの乏しい見識に、なにか癪に障るところがあったとする。すると彼らはもう、意義を再考してみることもなく、自分が誤っていると仮定してみることもなく、わざとすっとぼけたみたいな口調で、執筆者の息の根を止めようとするのだった。相手の一番傷つきそうな言葉を探し回って、却下の原稿に、丁寧に書き添えて返すのが、彼らの慣わしにさえなっていたのである。それが一度権力に与した人間の、動物的なサガであるらしかった。
けれども私は悲しいのである。世の中で科学者と並んでもっとも理性的であるべき文化的知識人の、おぞましいほどの動物性が悲しいのである。それは傷つき涙した私の血潮とは関係なく、もっぱら国のために悲しいのである。世界のために悲しいのである。文学界はもっとも偉大な世界であるべきだ。物理学界よりも遺伝子工学界よりも、もっと偉大な世界であるべきである。それを平気で、
「いやあ、私どもは大衆の餌でございますから」
なんて手を擦(す)りながら、うまいもの食ってまるで芸能人ぶって、学問世界とは乖離(かいり)した自分たちのフィールドを現代的だと主張するような、そんな文筆家気取りはとても堪えられない。彼らを擁護する権力者どもにも堪えられない。文学は娯楽を提供するだけのものではない。もちろん、良い働きかけをするとは言わない。けれども人の精神に何らかの働きかけをするためにこそ、まずは存在すべきものではないのか。時代錯誤? 大いにけっこうだ。そう仮定しないのであれば、言葉なんか誰のオツムにだって簡単に沸き起こるじゃないか。新聞を読んだ方が、どれほど有益か分からないではないか。酔いどれの駄文家に過ぎないとはいえ、これは紛れもなく私の願いであったのだ。
「あなたがたは、まるで自分の立場を、体育会系の根性ものと履き違えている」
私は精一杯に説明を試みた。
「理性で判断すべき事柄を、フィーリングに任せすぎなんだ。それでちょっと気にくわないと、喜怒哀楽的な価値判断は排さなければならないという、最低限度のマナーをすら忘れてしまい、憎らしい任せにすべてを否定しようとする。そんなものが、文芸であっていいはずが無いじゃないか」
けれども、もはや何を言っても無駄であった。
「何か、聞こえましたか」
「いいえ、何にも。大方そら耳でしょう。それとも月のささやきか」
「いやあ、それにしても名月ですなあ」
「まったく、酒でも飲みたいくらいです」
なにが卑怯といって、聞こえない振りほど卑怯なものはない。それは相手の人間性を否定するときに使用するものであって、けっして文学を判断するときに使うべき技法ではないのだけれども、彼らにはそれくらいの判断すら出来なくなっているらしかった。果てには大企業が商売任せに、希少性を奪い尽くして画一化を図ろうとする、『誰が許したので賞』なんてものまで生まれてくる結果となった。
「もはや芸術は企業に取り込まれた」
私の声はもはや断末魔であった。誰かに助けを求める悲鳴にさえ似ていた。けれども彼らは権力者である。そろそろ、仕上げに取り掛かろうと考えた。すなわち私の処分に取り掛かったのである。からかうのにも飽きた。残されたものは目障りばかりだ。とっとと排除しちまおう。彼らはそう考えたに違いない。
「さあ、すぐにそこから降りなさい」
「公務執行妨害で逮捕するぞ」
警棒を振り回して遊び始めたのである。私は驚愕した。誰がいつあんたらの公務を暴力で妨害したっていうんだ。また捏造しやがった。
「ほら、ほら、降りるんだよ」
二つもライトが照らし出すので、私は内心恐ろしかった。殴られないことは分かっていた。けれども陰険な奴らだ。駄文のレッテルをニュースに垂れ流して、一人の執筆家の生涯を亡ぼすことに、喜びを見いだすことくらい日常茶飯事(さはんじ)である。しかし幸いにして、私は亡ぼすほど価値のある人間とは思われなかったらしい。ようするに酔っぱらいに玉(ぎょく)は無しというわけだ。
「舞台から降りれば許してやるぞ」
彼らは何だか、私を獲物みたいにしてからかい始めた。サーチライトを上下に揺すって侮辱する。すっかり怖じ気づいた私は、
「何だそんなもの。月明かりの方がよっぽど神聖だ」
と辛うじて言い返した。ありったけの勇気である。すると、
「貴様、懐中電灯を愚弄する気か」
といきなり警棒を振り上げた。そんな怒りは前代未聞である。懐中電灯を愚弄するなんてどう考えても言いがかりだ。つまりは私を弄んでいるのだ。酔っぱらいだと思っていたぶっていやがる。その上で引っ捕らえて、身元不明の犯罪を、すべて私に被せるつもりかもしれない。濡れ衣の恐ろしさは、少し前にニュースで報じられたばかりじゃないか。
私は震えおののいた。しょせんは弱虫である。フェンスに昇ったって、それは一人芝居である。目の前に相手がいたのでは、通用しないような勇気である。第一、私はもう体が衰え始めている。走ったって捕まってしまうだろう。柔術の経験もない。いきなり背負い投げでもされたら、受け身も取れずにへこたれるに決まっている。ごめんなさいって、謝っちまおうか。けれども……
それでも生きる矜恃だけは無くしてはならない。どんなに惰弱な虫けらにも、五分(ごぶ)の魂がある。権力に与(くみ)してはならないんだ。反論すべきことは反論しなければ。けれども恐ろしい。
私は結局、妥協点を探し回っていたのである。出来るだけ無難なところで、逃げを打っておくのが最上の得策である。あるいは、あなた方はそれを罵るかもしれない、
「天下御免の卑怯者よ、茨と十字架に恐れおののきやがって」
けれども私は宣言しておく。茨は痛いものである。十字架は滅亡の頸木(くびき)である。それを受け入れたのは神の子だからである。人の子にはどうしたって限界がある。私はしょせん惰弱の執筆家である。
ああ、みなさん、どうか自分にだって出来ないことを、人にばかり求めないで欲しい。それこそが卑怯であることを知るべきである。そうすればきっと、卑怯などという言葉は、安易には出てこないに違いないのだ。
私はやはり意地汚いようだ。すなわちこれは逃げである。用意周到に予防線を張っておいただけのことである。そうして逃げを打ってから、私は警官にこう告げたのである。
「校庭に入ったくらいで警官とは恐れ入る」
執筆とは関係のないところで睨み返してやったのである。文学とは関係ありません。これは不法侵入の話しに過ぎません、というわけだ。自分ながらに情けない。それでも内心はびくびくものであった。
「校庭は公園ではない」
冷たく言い返されてしまった。私はお腰に付けたひょうたんを握りしめる。酒よ、今こそ我に力を、もう少しだけ勇気を与えたまえ。
「何が公園だ。公園だって時間で締め切りやがって。安全性の枠組みばかりが肥大していやがるんだ。それが我々の人間性をすらそぎ落としていらっしゃることに、なぜお前たちは気づかないのだ」
私は懸命に訴えたが、しどろもどろの敬語が変なところに紛れ込んでしまった。しょせんはこれが限界である。酔いどれの最高傑作などとは、漱石先生が聞いて呆れる。警官どもが嘲笑したのはもっともだ。全然いけてない。勢いあまってへこたれちゃった様子である。もう何もかもが台無しであった。
「国家権力に自由が分かってたまるか」
弱々しく毒づいてみる。もう語調に、さっきまでの気概が失われていた。まるで反旗をひるがえすうちに、風船がしぼんでしまったような消沈ぶりである。
けれども世の中は不思議なものだ。私がよろよろし始めると、警官は急に優しくなり始めた。これは懐柔の常套手段である。私はもはや動物なみに扱われているらしかった。
「まあまあ、とりあえずそこから降りなさい」
「別に、何もしないから」
と二人がかりで説得を始めるから、私もついには縺(もつ)れる足で、よろよろと台を降りていった。そこを両側から腕を掴まれて、
「さあさあ、歩道まで見送ってさし上げましょう」
と口調だけは丁重に、人を追い払うときの見事な遣り口で、二人は私のことを執筆界から追放してしまったのであった。すなわち彼らは、自分たちのフィールドに、異分子が入り込むことを好まなかったのである。こうしてすべての者に開かれるべき文芸界は、今やところ狭しと箱庭に、同種の植物だけを並べる、世界遺産的な様相を呈してくるのであった。すなわち私はポイッと歩道へと投げ出され、
「ほら、早く帰りなさい」
と二人から足蹴(あしげ)にされたのであった。よろめくままに見返ると、わざとらしく手を振ってさようならを演出している。なんという嫌味な奴らだろう。私はほとんど泣きそうになってしまった。
「けれども、泣かなかった。そうして私はよろよろと歩き出したのである」
しまった、こんなところで会話部分を間違えるとは、なんという失態。もう取り返しがつかない。ここまでどうにか頑張って来たのに。私の指先は、いつの間にやら震え始めた。
「何だって」
警官は訝しがる。私はまた怒鳴られることを覚悟した。しかし同僚が、
「構うな構うな、もう行くぞ」
と相手にしない態度を取ったので、
「涙を待つほどに、酔いどれの執筆家は悲しかったのである」
と呟きながら、よろよろと歩き出した。ああ、月だけはけなげな光を放って、私を照らしてくれるのであった。
月さ出たばよぉ
裏さの山にも月さ出たばよぉ
晩にさ眠れや兎の子らはよぉ
声さえあらずて子守唄だよぉ
とうとうこんな歌を口ずさみながら歩き出した。ああ、すっかり冗談小説に陥ってしまった。そんなつもりじゃなかったのに。もっと霊感と、夢やら希望やら、蒼の情熱さえもひそかに暖めていたはずなのに……寂寞がしんしんと天から降りそそぐ。それが月のひかりである。私はいったいひとりで生き過ぎたのであろうか。もう散歩の気力も失せた。静かにあのマンションへと帰ろう。あのひとりぼっちのマンションに。
「ちょっと、本当に遊びすぎじゃないの」
「なに、私たちのこと?」
「違うわよ、あの酔いどれよ」
「ずいぶん酷い歌ねえ」
「大丈夫でしょうか、あのようにとぼとぼ歩いていますけれども」
「あっちゃん、心配しすぎだわ」
「そうそう、あのくらいしょげてて丁度いいのよ」
「ベストですよ、ベストですよ」
「それにしても、あいつずいぶん暴言吐いたわねえ」
「大丈夫かなあ、あとで刺されちゃうかなあ」
「馬鹿ねえ、あんな酔っぱらい、誰が相手にすんのよ」
「それもそうね」
「おーい、終わったぞお」
「あら、あいつら帰ってきたわね」
「どうだったよ、俺さまの迫真の演技力」
「どうだ、一緒に付き合う気になったろう」
「ぜんっぜん、ならなーい」
「まあ六十四点ってとこかしら」
「これはまた微妙な点数を付けたものである」
「あんたも、次ぎに狩り出されるんだから、ちゃんと演技指導受けておきなさいよ」
「やはり私もやらなければならないというのであるか」
「当たり前じゃない、国家総動員法よ」
「あんた、そんなこと言うと、後が大変よ」
「お優しの各種団体から訴えられるわよ」
「いいのよ、どうせ野菊なんだから」
「それじゃあ、ハサミで首チョンよ」
「うーん、それはまずいわね」
「あのう、ところで次はどのように行動すればよろしいのでしょうか」
「あっちゃん、いいところに気がついたじゃない。次は私の番なのよ」
「なんか楽しそうねあんた」
「当たり前じゃない、一番の役得だわ」
「昨日っから、美味しすぎるうって一人で騒いでるんだもん」
「たち悪う」
「この性悪女め」
「いいじゃない、誰かを苛めるのって、こうなんていうか、人生の喜びなのよねえ」
「お前、せっかく顔がいいんだから、その癖止めとけよ」
「いいのよ。これが趣味なんだから」
「そんなんだから恋人が出来ねえんだぜ」
「何ですって」
「いえ、ちょっと、冗談です、はい」
「危険信号ですよ、危険信号ですよ」
「ちょっとみなさん。静かにするんだわ。ずるずる足を引きずりながらマンションに戻っていくんだわ」
「淋しい背中が僅かばかりに可哀想な気もしてきます」
「ふん、軟弱なだけだろうが」
「ありゃアル中の姿だぜ」
「違うわよ、ただの駄文家なのよ、彼は」
「駄文千里を駆け巡る?」
「ねえ、それって、格言なの」
「さあ」
「あら、もういっちゃいましたね」
「また妄想がイリュージョンとなって頭のなかを駆け巡ってるんだわ」
「ちょっと、覗いてみましょうよ」
「お前ら、本当に物好きだなあ」
「いいの」
私は重い足を引きずるようにして学校を逃れたのである。もはや、人と話したい欲求すら損なわれ、社会が恐ろしくてならなかった。あんな警官みたいな態度で来られたら、もうひと言だって返せない。淋しくなってひょうたんから、シャルドネを流し込んだ。夜寒の悲しみの慰めには、酒さえあればいい。警官なんて不必要だ。
しかし、飲んでみたら違っていた。シャルドネなんかじゃない。これはあの旅立ちに飲み始めた、焼酎のふくよかな味わいではないか。おかしいな。いつの間に入れ替わったのだろう。
「孤独さを委(ゆだ)ねかげんや夜長酒」
私はそう言って、ゴクンと飲んだ拍子にむせ返った。
がくんと首が折れそうになって、咳が出ると同時にグラスを握りしめた。ちょっとなみだ目。けほけほする。こぼれそうに波打つ焼酎が、数滴だけしたたり落ちる。床には丸いしずくかな。
それにしても危ないところだった。もう少しでグラスを取り落とすところだった。しかし……ここはどこだろう……私は、外にいたはずなのに。
しばらくきょろきょろ見渡していると、ようやく分かってきた。なんだ詰まらないや。さっきのピアノ曲はまだ流れっぱなしだったのである。私は音楽を聴きながら、夢の境をふらついていたのであった。第一、私に妻なんかいる訳がないではないか。私は今でも独り身である。人と話が噛み合わないから、恋人だって出来ないんだ。高まりつつあった酒の霊感から呼び戻されて、こくんと首の折れた刹那に、この狭い部屋に戻されたらしかった。翼を折られた私のイマジネーションが、膝小僧を抱え込んでふて腐れている。
月さ出たばよぉ
裏さの山にも月さ出たばよぉ
試しにちょっと歌ってみると、フレーズはまだ頭に残っていた。けれども懐かしいようなメロディーである。いったいどこで聞いただろう。祭の囃子か何かだろうか。まさかこんなポピュラーソングがあるわけないし。学校で習ったのだろうか。まるで思い出せない。そもそも、これは方言なのだろうか、作り物の言葉に過ぎないのだろうか。
カーテンのそばに立ち尽くすと、街灯がぽつりと照らしている。風が吹くたびに、野菊が笑うみたいに首をふる。部屋の照明を落としてあるから、色彩だってぼんやりしている。校庭を照らしていたはずの十六夜は、もうどこにもなくなっていた。だって、今日はくもりなのである。月なんか出ている筈がないではないか。ただスピーカーから流れてくるショパンのノクターンだけが、侘びしさを慰めてくれるのだった。曲はちょうど、作品三十七のト長調が始まったところだ。
ああ、こんな詩的な音楽があるだろうか。私だってこんな酔いどれ文書(もんじょ)ではなく、抒情きわまる名文を、比類ない構成でお届けしたいのであるが、今の私にいったい何ができるだろう。おまけにアルコールさえも不十分で、理屈がストーリーを蔑ろにして割り込んでくる有様だ。もう精神が参っちまっているのだろうか。いや、精神だけじゃない。肉体だって、もう干からびかけているに決まっているんだ。
これから大成するなんて夢物語だ。気づくのが遅すぎた。文章に生きるような奴らは、もっと十代の頃から、ノートに書きまくっているようなならず者なんだ。今から右往左往したって、もう時間切れもいいところだ。人生なにごとにも限界はあるんだ。それを、死ぬまで夢を見ましょうとか、祈り続ければ願いは叶うとか、無責任な言葉で飾り立てなさるなだ。しかもあれは本心じゃない、娯楽に暮らす奴らの情を煽り立てて、繋ぎ止めるための策略なんだ。それに気づかない限り、隷属的な生き方からは抜け出せっこないや。本当に希望を持った奴らが、そんな言葉なんか必要とするわけがないじゃないか。
ああ、私はなにを言っているのだろう。まるで負け犬の遠吠えじゃないか。おっかなびっくりで、街灯の下をさ迷い歩いて、何かあるたびに、吠えながらにちょっとずつ後退して、最後には逃げ出してしまう。そんな負け犬の遠吠えじゃないか。
「ようするにお前は卑怯者なんだ」
誰かがそう糾弾するに違いない。私だってそれを否定しきれない。けれども私はあえて問いかけたい。あなた方の人生だって結局は、誤魔化しを友として歩いては来なかったろうかと。どうやら私には、まだまだ酒の量が足りないらしい。中途半端に飲んだから、道徳が抜けきっていないのだ。
よろよろとキッチンに向かう。焼酎の仕切り直しだ。ポットのお湯が、冷たい芋のこころをそっと宥めてくれる。熱燗には芋がよく似合う。そうして芋にはト長調がよく似合うのであった。けれども、こうして飲んでいるうちには曲も移りかわり、私はまたうつらの境地に溶け込むのだろう。小さな夢が舞い降りてくる……
「遊びすぎじゃないの」
あなたは優しく怒るのだ。
「もう会話の冗談は止めにして」
それはカッコを使って、文脈を弄んだ私に対する、小さな咎めらしかった。
「だって、あんまりこころが淋しいから」
「淋しいから、あんないたずらをしたの」
「いたずらじゃない、あれは精一杯の叫びなんだ」
私はもう遊べなくなってしまった。いつまで遊んでいたって詰まらないや。真面目になって歩きたい。そんな夢だってあるものさ。
「まだそんな時代錯誤なことを言って」
彼女は相変わらず冷たい。
「何が時代錯誤なものか、こんな作品が今まであったか」
「旧世紀もいいとこだわ」
彼女はパソコンを開いた。OSがスリープモードから即座に立ち上がってくる。
「今はもう自動文章作成の時代よ」
そんな時代は初耳であるから、私は思わず画面を覗き込んだ。デスクトップのアイコンから、見慣れないソフトをクリックする。
「ほら、見てちょうだい」
何だか複数の窓のある、いびつな仕切のメールソフトみたいな感じである。サイドにはフォルダが表示されている。上に小さなテキスト記述の場所がある。メールソフトなら、メール一覧があるあたりだ。彼女は淀みなくキーボードを打ち込んでいった。そのなめらかな指先が、触れられない憧れとなって私を寂しがらせる。つまり私は、密かに彼女に恋心を抱いているらしかった。けれども……
「ここに、意味を打ち込めばいいの」
変換の果てに記された言葉は、実に箇条書きである。
「二〇〇九年十一月十三日、朝、晴れ、朝食、目玉焼き、ちょっと不機嫌、登場人物は新婚の夫婦、夫の名前は健一」
それだけ打ち込んで、自由表現というボタンをクリックする。たちまち下の広いテキスト記述の場所に、沢山の文字が表示された。こんな文章である。
「何が気にくわないのよ」
綺麗な形をした目玉焼きの皿に、胡椒が少し振られている。カップには砂糖を入れない。それが彼のお気に入りのスタイルだった。妻の言葉には、わざと答えないでテレビを見つめている。音量は小さめだ。局所予報図を拡大した天気予報士が、
「今日、十一月十三日の天気は、都内は軒並み晴れるでしょう」
と解説を続けている。夫はようやく、
「何も気にくわないことなんてないよ」
と答えた。さりげなく箸で突っつきながら、目玉焼きを切り分ける。黄身だけを残して、まずは周りを片づけてしまった。妻はこの食べ方が嫌いなのである。
「また黄身だけ残して」
「いいじゃないか、最後に食べるんだから」
「そんなの邪道だわ」
気にくわないのはどっちだ。健一は内心腹を立てた。しかし口には出さなかった。隣の家が邪魔になって、朝日は窓辺には差し込まない。けれども穏やかな暖かさは、キッチンにまで伝わってくるらしかった。小春日和である。どこかで猫が鳴いている。こんな静かな秋の日に、僕らはどうしてこんなにギクシャクするのだろう。彼は知らない振りをして新聞を開く。二〇〇九年を惜しむみたいに、早くも来年の抱負が社説を飾っていた。
「ほら、デトックスよ。毒抜きされない言葉なんて、みんな癖があるものだわ。だったら最初から、翻訳みたいにして自動作成しちゃおうってわけ。便利でしょう。みんなが求める理想の文章よ。あなたみたいな、自我をさらけ出すなんて言葉遣い、今どき流行らないわ。泥臭いったらありゃしない」
彼女は私の方へ向き直る。もうパソコンは消してしまった。休止状態だから、すぐに復帰できるのは知れきっている。けれどもこんなことって、許されるのだろうか。
「こんなものは文学じゃない」
思わず真っ赤になって叫んでしまった。けれども真っ赤になっているのは、怒りのためなのだろうか、それともただ、酔いが進んだに過ぎないのだろうか。私にはもう分からなかった。けれども許せない。こんな自動文章作成ソフトなんて許せない。こんなんじゃあ、何も語らない方がマシじゃないか。
「そうやって、あらすじの引き延ばされたみたいなストーリーを、だらだらと文章で埋め尽くして、新聞みたいな中立記述でもって、時事だけを無難に羅列していくつもりか」
「あら、いいじゃない。それに無難って言いますけど。これは人々がもっとも平均的に快楽を感じるように選び出された言葉なんだから、あなたが挙動不審に雄叫びを張り上げるような、ムラなんて起こらないのよ。ちょっと設定をいじれば、類似表現を消すことだって出来るわ。あなたみたいに『けれども』がそこらじゅうに顔を覗かせるなんて失態は、演じなくって済むってわけね」
いくら若くて美人だからって、人を馬鹿にしやがって。
「こんなんじゃあ、創造性なんて欠けらも無いじゃないか。粗筋だって、どこにでも転がっているようなガラクタを、自動粗筋発生ソフトで、過去の遺産から無難に紡ぎ出したようなものばかりじゃないか。これじゃあ、もうお化粧と一緒だ、つまりファッションだ」
「あら、よく気がついたじゃない。あなたにしては上出来だわ」
彼女は髪をかき上げた。
「それこそみんなが望んでいるものだわ。ファッションなのよ、ファッション。なんて素敵な響き。まるでおしゃれを楽しむみたいに、暇な時間を穏やかな言葉に過ごせれば、これ以上の楽しみなんてないじゃない。それに内容だってもう決まってるの。たいていは恋の話しや、家族の愛の話しね。それをね、ほほ笑ませたいときはハッピーエンドで、泣かせたいときはちょっとブルーに、あとは病気とか死とかで感情を煽り立てておけば、誰もが納得するってわけ」
「俺は納得しない。文学はそんなものじゃない」
「あら、そんなものなのよ。少なくともこの国ではね。そうでなかったら、近未来ものとか、アクションとか、あとは設定の滅茶苦茶な子供だましのファンタジーとかね。どんなにみすぼらしい継ぎ接ぎしても、気づかないのよ。鈍感なの。着ぐるみのヒーローものと一緒だわ。それともお約束が出来ているのかしら。いずれにせよ自動作成でも十分なのね。そうして結局のところ、それが国民の総意なのよ。誰もがそうだと信じ切ってるんですもの、もうそれが文学なんだわ」
「それじゃあ、俺が懸命になって追い求めていたものは何だったんだ」
「あなたのは、最初からがらくたよ、がらくた」
「本当の思想を織り込めれば、きっと存在価値があるはずだって」
「何言ってんのよ、思想なんてスパイスよ、スパイス。よく読んでみなさいよ、みんなどっかから借用してきた、偽物の思想なんだから。それでこそ安心して楽しめるってわけ。だいたい、今どきものを考える人間が、小説なんて子供だましに興味を示すわけないじゃないのよ」
「だって文学論だって……」
「あんなの論理的誤謬よ。ううん、もっとざっくばらんに、ようするにロジックの捏造なのよ、てんで滅茶苦茶。それが分かってるから、みんな見向きもしないんだわ。私たちのこと舐めて貰っちゃ困るわよ」
「切磋琢磨すれば、いつかきっと日の目を見るはずだって」
「ご愁傷様だわね」
「例えひとりでも必要としてくれる人があればと信じていたのに」
「駄文灰燼(かいじん)に帰すってわけね」
なんて酷い女だ。
「駄文って、何もそこまで言わなくたって……」
「あら、はっきり言ってあげなくっちゃ。近頃の男は分からず屋ばっかりなんだから。特にあんたの場合、はなっから駄文なの、駄文。作品でもなんでもないの」
彼女は自信たっぷりの表情で笑って見せた。私にはとても太刀打ちできない。言い負かされても、反論するすべがないのである。だって書店に向かたびに、嘔吐を催すことがあるくらいに、自分には沢山の文体がまるで理解できなかったからである。けれども彼女のお蔭でそれが今、明らかになった。私が間違っていたのだ。つまり私のは創作活動ではなかったというのか。みんなこんなソフトを使って、作られた作品だけを小説と定義していたのか。けれどもちょっと腑に落ちない。それじゃあ、それじゃあ、今こうして記されつつある、この文章はいったい何だというのだ。同じ日本語で記されているという事実は、消し去りようがないではないか。
「だから、駄文だって言ってるじゃない。しつこい男は嫌われるわよ」
尋ねもしないのに、彼女はもう一度とどめを刺しにきた。いくら何でもあんまり酷い。こんな残酷な女は生まれて初めてだ。ぐさぐさと突き刺すことばかりを楽しんでいやがる。女に亡ぼされるというのは、私はてっきり色香に惑わされて、道を踏み外す意味かと思っていた。けれども違っていた。見るも無惨に、己の信念をへし折られて廃人になってしまう悲劇を、故人らは、
「女に亡ぼされる」
と形容したのに違いなかったのだ。私は、もうへとへとなってしまった。いや、こんな言葉遣いをしたら、また標準から乖離したとか、独りよがりとか言われるに違いない。どうしよう……
「まあ、一度病院に行ってくることね」
しまった、またこころを読まれた。おまけに病院送りとはあんまりだ。けれども、もし、病院から戻ってきたら、彼女は私と付き合ってくれるのだろうか。ああ、私はどうかしている。こんな酷い女にまだ未練があるのか。情けない。けれどもどうせ、もう翼をへし折られちゃったのだ。せめて綺麗な女を連れて、一日中遊んでいたいではないか。
「そうよ。それよそれ。いいじゃないの。そういう精神が大切なのよ。思想なんておまけでいいのよ。プロットも既存の焼き直し。構成なんてどれもこれもルーズなんだから。あとは遊んでるうちに、自動文章作成ソフトに任せておけば、無難な言葉の羅列が、新聞みたいな中立的な文章を、勝手に仕立ててくれるのよ。そうしたらあなただって、報われると思うけどなあ。だってさあ、安っぽい素材を集めて、投げ込んでおくだけでいいんだもん」
彼女は私の肩に手を掛けた。男を陥落させたときの喜びが、彼女を自由にさせたに決まってるんだ。どうせいらなくなったら捨てるつもりの癖に。
まあいいや、思えば私だって、どうせ酔っぱらいに過ぎなかったのだ。捨てるのはお互いさまさ。とりあえず目の前に転がっているものを、奪い取ってから考えればいいことだ。
私はとうとう文章への思いを捨て去った、みんなポイした妥協の心である。芸術なんて、もうとっくに死滅してるんだ。思想に訴えかけるべきものが、いつの間にやらニュースの羅列とデフォルメされた感情に訴えていやがる。文章だってもはや、視覚的娯楽に飲み込まれちまったんだ。もういい。ドラマと一緒だ。情緒に訴える以前に、意味に訴えることが、文章の本来の使命ではなかったのか。それが感情の快楽を追求するための、道具に飼い慣らされちまった。いや、そんな私の考えが、最初から過ちに過ぎなかったというのか……
道徳とか意義だとか、下らないことを詰め込まれて、生真面目に陥っていたのに違いない。今日からはもう自由だ。文章なんてもう考えないのだ。けれどもちょっと躊躇する。はたしてこれは発展なのだろうか。考えるからこそ道徳が生まれる。考えるからこそマナーだって生まれる。よりよいものを求めるこころが萌芽(ほうが)してくる。そうやって今まで培ってきたこの社会は、けっして感情だけに陥らないように、価値を見いだそうとする精神のうえにこそ、成り立っているのではなかったのか。そうやって少しづつ蓄えてきた社会的素養を、その先端部分に無頓着に寄っかかりながら、動物ぶってぶち壊しているだけではないのか。つまりは現代的なんてほざいている連中は、積み重ねられた土台のうえに寄生する、アメーバーかなんかに過ぎないのではないか。
ああ、もういいのだ。どうせ自動作成装置で十分なのだから。なにが芸術だ。なにが文芸だ。思えばとんだ時間の無駄だった。ポテチと同じくらいの価値しか持たなかったのだ。マルシェに並んだ生鮮食品だ。バナナの叩き売りされて、すぐに腐っちまうんだ。そう社会が定義していやがるんだ。それに、女の柔らかさにすら敵わないくらい、私の信念だって中途半端だったのだ。もうこうなったら、ベットの方がはるかに幸せだ。一生お魚さんごっこでも戯れていなされだ。誰だってあんな作成装置を見せつけられたら、それが文章となって流通を極めていることを知ったら、こころの翼なんかすぐにポキンと折れてしまうに決まってるんだ。もうなんも知らん。誰が考えてやるものか。
月さ出たばよぉ
裏さの山にも月さ出たばよぉ
晩にさ眠れや兎の子らはよぉ
声さえあらずて子守唄だよぉ
私は手拍子がてらにこの変な歌を口ずさんだ。彼女は大受けである。私はとうとうピエロになっちまったらしい。
「病院なんて必要ないさ。それより、今夜あたり夕飯でも食べに行かないか」
「あら、下心の王道ね」
「そう、下心の王道」
ああ、こんなストーリーは、私のもっとも憎むところだ。けれども、もう構わない。しょせん男は肉欲優先である。美味しそうな物を発見したら、聖書だって役になんか立たないものさ。
ちょっと手を握りしめると、なめらかな冷たさが伝わってくる。
「やっぱり冷たかった」
「うん、こころと一緒なのよ」
「いいよ、冷たくても」
「じゃあ、態度で示してよ」
優しく口づけを交わすとき、彼女は背伸びを止めて瞳を閉じた。年下の精一杯の反抗を、今夜はどこまでへし折ってやろうか……馬鹿にされたものを滅茶苦茶にしてやりたいという欲求が、かえって彼女に反射して、互いの情熱を掻き立てているらしかった……。
がくりと首が折れて、私はまたあの一人部屋に戻される。せめてもの夢の恋人と、戯れつつあった小さな幸せが、味気なく挫けてしまった。やっぱり現実世界で人と触れ合わないと駄目なのかなと思う。文学なんてどうなったって構わない。自分の人生を台無しにして、残された文章なんて何の意味があるのだろう。そう思うと図書館に勢揃いした、過去の言葉の遺産さえ、意味もないように思えてくるのだった。
音楽はとっくに終わっていた。焼酎の残りグラスをひとくち付けてから、また新しい曲でも探しがてらに立ち上がる。ショパンを聴いた後だから、やっぱりリャードフよりはスクリャービン。時代ももはや世紀末である。けれども何だか羨ましいような世紀末だ。芸術が輝いていた世紀末である。帝国主義と労働問題と人種差別が入り乱れて、悲惨な近代戦争へと突き進む、どす黒い怒濤が渦巻いていたというのに、今より芸術家が生き生きとして見えるのは、時代に触れられないがゆえのシルエットを眺めて、有り難がっているだけなのだろうか。けれども芸術にヒエラルキーを掲げる貴族的芸術主義と、それを更地にしようとする大衆的芸術主義とが拮抗して、進歩史観による表現革新を無頓着に掲げながら、互いに凌ぎを削るような活気。それが膨張的経済と重ね合わさって、西欧的局地芸術をつかの間コスモポリタンなものに錯覚させた情熱が、大きな潮流となっていたような時代を、私たちはもう二度と味わうことなど出来ないのではないだろうか。それが淋しくて、二十一世紀のすきま風の中を、みんなとぼとぼ歩いて行くばかりなのだろうか。二十世紀のうちにやり尽くした事柄を、まるで最新式だと錯覚して安っぽくデジタルに再現する、稚拙なるアーティストには分かりっこない問題を、ベットの中で歎いているのはどこの芸術家だろう。
まあいいや、どだい国際性を掲げるのが間違っているんだ。本当は地域的なものが、あるいはコロニー的なものが、限定的な範囲内でこころから支持されていることが、もっとも豊かな芸術性なんだって分からないうちは、誰も幸せになんかなれっこないのである。文化は経済とは別のものである。民族性や辺境性をそぎ落としたら、最高存在の祝典みたいな幼稚なものになっちまう。つまりは国際性なんて掲げた拍子に、中性的、抽象的に薄く引き延ばされていくだけなんだ。それをスポーツみたいに競い合ったって、結局のところ誰にだって出来るような詰まらないものばかり、ファッションなみの流行を極めて横に広がりはするものの、時間軸を下ることすら叶わない、ひ弱のお魚みたいになっちまうんだ。
つまり奴らは、いわば遡れない鮭と一緒である。誰もがはしゃいで手を叩いてくれる。眺めているだけだからである。けれども誰も釣り上げない。だって味がまるでしないのである。口に入れてもただしょっぱいだけなのである。そりゃあ、あなた、お醤油の味でございましょうよ。どら猫だって食べなくなっちまったら、もう粗大ゴミと一緒じゃないか。
私はまた脱線を極めているらしい。酒がよくない方に作用しているのだろう。文学なんてもう、すっかりレディーメイドに飼い慣らされちまっているんだ。考えるだけ馬鹿である。クラシック音楽だって結局、十九世紀のものばかり聞かれるとしたら、今はもう二十一世紀である。したがって、ここにはっきり断言しておく。二十世紀音楽を現代音楽なんて呼んでいるのは時代錯誤の口臭老人だけである。ベートーヴェンの時代、数十年前の音楽は過去の音楽だったことをもっと考えろ。頭が錆びついちまっているのか。このくず鉄野郎め。とっとと引っ込め。芸術にとって有害である。市民にとっても有害である。
私はまたつまずいた。駄目だ、これじゃあまるで悪酔いじゃないか。欲求不満でもあるのだろうか。それにしても技巧の発展と、込められた情緒の乏しさと、異文化のごちゃ混ぜがミキサーに掛けられたら、二十一世紀にはすべてのアーティストが、いつの間にやらベルトコンベアーの雌鳥小屋で、懸命に卵を産むだけの規格品が、即時的な娯楽を提供し続けるだけになっちまうのではないか。いや、すでにそうなっちまっているのだろうか。果てなく膨張を続けるにしたがって、きらめく星々すら生まれない、荒野の宇宙になっちまうのだろうか。それとも、やがて収縮が起こって、ひとしきり灼熱の時代が訪れるのだろうか。だとしても、我々の作品に、熱気への参加が認められるとは思えない……
ようやくプレーヤーにCDを落とし込む。再生ボタンに手を掛ければ、スクリャービンのピアノソナタ第五番嬰ヘ長調が流れてくる。演奏者はもちろんグレン・グールドだ。二十二世紀でも聞かれるであろう、数少ないピアニスト。作曲家をすら乗り越えようとする態度はしかし後退し、今ではピアニストたちも、隷属的気真面目さの度合いをますます強めていくばかりらしい。彼の夢は結局、コンサートの動物たちには受け入れられなかったのだ。
作曲は一九〇七年。もう百年を遡るのに、どんな文章よりも音楽は古びない。高貴なる不可解の高まってくるような期待と、凍てつく中にオーロラの煌めくみたいな神秘が、不協の均質性に消え入りそうな和声を、調性の残骸で支えているらしかった。
深き淵より沸き上がれ
内気なほのおの燻りよ
たましいよりの黎明を
羽ばたく勇気とせんがため
そんな詩がひとつ、解説に書き込まれている。私は酔いどれの羅列に恥じ入って、またピアノの響きへと引き込まれていく。言葉が無様なものに思われるときは、何も書かないに限る。けれども私はまた眠くなってくる。もうすぐ、あのまどろみが訪れるのだろう。夢のなかで私は、いったいどんな歌を奏でるだろう……
君のそのパイプの、
汚れ方だの焦げ方だの、
僕はいやほどよく知つてるが、
気味の悪い程鮮明に、僕はそいつを知つてるのだが……
今宵ランプはポトホト燻(かゞ)り
君と僕との影は床(ゆか)に
或ひは壁にぼんやりと落ち、
遠い電車の音は聞こえる
私は音楽に匹敵する日本語を探すうちに、結局また中原中也の「曇った秋」に辿り着いた。口ずさんでみると、その口頭リズムの驚異性と、イメージの表出と情緒性の調和には、がらくたいっぱいの落書きの、自分の執筆に絶望を感じるくらい、完璧なる結晶を見いだすのであった。けれどもこれだって一九三五年に作られたものなんだ。しかも、私には生涯辿り着けっこないほどの傑作だ。今はうらやむでもなく、自分を卑下するでもなく、ただただ酔いどれのありったけの敬意を込めて、もう少し先まで歌ってみようか。
君のそのパイプの、
汚れ方だの焦げ方だの、
僕は実によく知つてるが、
それが永劫[えいごう]の時間の中では、
どういふことになるのかねえ?――
今宵私の命はかゞり
君と僕との命はかゞり、
僕等の命も煙草のやうに
どんどん燃えてゆくとしきや思へない
「今宵私の命はかゞり」
もう一度だけ呟いてみる。こんな言葉は私の小っちゃ脳味噌からは生まれっこないや。母音配列が「ooiaaioioiaaai」と、みんな古典的和歌のあの母音リズムを無頓着に蹈襲していやがるんだ。いや、このカ所においては、むしろ優雅に超越していやがる。恐ろしいくらいの音楽性だ。今どきの見てくれ短歌じゃ逆立ちしたって敵いっこない。そうして命が煙草のようにどんどん燃えてゆくなんて、なんて品位を真実に保った表現なんだろう。「私は死にませり」なんて歌っている幼稚園児どもには、把握することすら叶わない、気高き叙情性を奏でるんだ。そうして彼の遺産はそれっきりになっちまって、沢山のがらくたが戦後を這いずり回って、私たちを苦しめているのではなかったか。それともそんな苦しみは私ひとりの錯覚であり、もう誰もなんとも思わないくらい、最先端とやらは稚拙と露骨を極めちまったのだろうか。干からびた胎児。エリック・サティ。けれども彼は、大したエスプリだったはずなのに……
ああ、駄目だ、せっかくの陽気はどこへいったのだ。厭世が顔を覗かせて、愉快を覆い隠しちまった。どうにか回復して、全体を底上げしないと、この駄文は駄文なりに、水没しちまう一方じゃないか。
私はまた考える。酔っぱらいの考えだから、どうせ締まりがないのは知れきっている。けれども酔いどれまかせの霊感だから、何をしでかすか分からない。どこへだって行けるんだ。こうやって頭を空っぽにする。するとうつろの狭間(はざま)から、勝手なイメージが湧き出してくる。深き淵より沸き上がれ、今こそ黎明は訪れた。
私はいつの間にか、昭和公園のとある都市を歩いていた。なに、実際の昭和公園じゃなくたっていいんだ。昭和時代の公園のある、どこかの大都市くらいのものである。町並みの喧騒は、公園の存在なんて思いもよらないくらい、人々がごった返している。けれども新宿みたいな、やりきれない人波じゃなかった。ちょっと周囲に逃れれば、人ごみから抜け出しそうな予感を、誰もがこころに暖めながら、駅前を混雑させているような気配である。そこにゆとりがある。住みやすさが内包されている。
私は嬉しくなって闊歩する。頭上をモノレールが通りすぎていく。日射しがさっと遮れられながら、歩道沿いの影が一緒になって走り出す。それがだんだん早くなっていくのを見ると、今停車駅を離れたばかりらしかった。
よかった。だんだん陽気になってきた。酔いどれの夢には昼こそふさわしい。闇夜じゃあとてもやりきれないや。公園の隅に入口が見えてくる。公園の本当の正門は、遙かなかなたにある。そうして有料である。けれどもここは無料で入れるから、ちょっと散策するには適っていた。それにしても、自分の住む町でもないのに、なぜそんなことまで知っているのだろう。ちょっと不思議な気がした。
今宵私の命はかゞり
君と僕との命はかゞり、
僕等の命も煙草のやうに
どんどん燃えてゆくとしきや思へない
嬉しくなって歌いながら、公園に潜り込んだ。もちろん歩き煙草なんか吸うわけがない。管理人から水でもぶっかけられたら大変だ。それに私は酒飲みである。酒と煙草は天敵同士と、昔から決まっている。それを無頓着に一緒にするのは、真の酒好きではないからである。酒のふくよかな香りとデリケートな味わいが、一つのイメージとなって花開くとき、ほほ笑みや悲しみと結びついたような、特徴的な情緒がこころのなかに広がってゆく。お化けの化粧が大気の香りを奪い去るように、煙草の煙は、酒の豊かな香りを台無しにしてしまう。そんな嗜好品の楽しみ方は、しょせんは二流である。節度を保って想いを深めてこそ、酒も楽しめるというものだ。ところが私がこんなことを説明すると、みんな大笑いするのである。お前のはただの酒浸りじゃないかというのである。そんなことは……ないんだのに。
色づいた葉っぱの奥からハクセキレイが飛び出して、羽ばたく向こうには車道越えの陸橋が架かっている。途方もない大きさの公園らしい。もはや、命もかゞっているばやいじゃないんで、私はスキップみたいに両側の芝生を歩いて行った。もちろん本当にスキップをしたりはしない。あれは冷静に眺めると、ちょっと奇妙な姿であるのだから……
雲がぷかぷか浮かんでいる。けれども圧倒的な青空だ。魚が空に昇りかねないくらいの深みがある。こんなに眩しい夢なんて、私は今まで見たことがなかった。公園の周囲は樹木に覆われていて、その向こうには高層建築が顔を覗かせている。内側は広く芝生になっていて、鋪装された歩道と、歩道脇の植物と、奥には案内用の施設が建てられている。施設のうえは土盛(つちも)りになっていて、そこにも庭園が続いているらしい。しばらく行くと野菊が揺られている花壇があった。ちょっとこのあたりで休憩を取ることにしよう。
「ああ、穏やかだ」
私は芝生に腰を下ろした。
「お疲れだわね」
声に驚いたら、黄色の野菊が揺られている。
「お前が話したのか」
「そうだわ」
沢山の野菊のうち、黄色の中でももっとも鮮やかな野菊が、口もないのに話し掛けてきたのであった。
「どうも驚くね」
「驚くのはこっちだわ。さっきからあんまりやりたい放題なんだわ」
「そうかな」
自分としては、最低限度の節度は保たれているような気がするのだけれども……
「妻などは、病院に行った方がいいって勧めるんだ」
「病院へ行ってどうすつもりなの」
「なんだったっけかな。酒を飲まない執筆法を尋ねるんだったか、それとも自動作文装置で文脈を作るコツを覚えてくるんだったか、もう忘れちまったよ」
「あら、そんなもの、病院で教えてくれる訳がないんだわ」
菊はやっぱり冷淡である。どうもみんな自分には冷淡に振る舞うのが礼儀とでも思っているらしい。私は淋しくなった。
「ああ、誰か優しくしてくれる人はないかなあ」
と思わず溜息が出てしまった。
「だらしないんだわ。甘ったれてるんだわ。それで文筆家気取りだっていうんでしょう」
「うるさいなあ、これでも私は、偉大な文豪なんだ」
野菊は笑うみたいにゆら揺れる。風のせいだか、自分で拍子を取るんだか分からない。話し声はひとつだが、吹かれているのは何十本、いや何百本もあるのだろうか。それらが総体に揺れているのであった。
「だいたい、酒を飲まないと書けないなんて、それは重症だと思うわ」
「そうかなあ」
と答えたら、
「そうよ、重症、重症」
「もう手遅れかも」
といきなり他の菊までしゃべり出したのには驚いた。私は皆さんに言っておく、野菊はおしゃべりな花であるから、無闇に話し掛けてはならない。話し掛けられても答えてはならない。「Prends garde a toi! (プラン・ギャルド・ア・トワ)」なんて、いきなりカルメン気取りに注意しかねない花である。今度はオレンジっぽい花がしゃべり出した。
「それに、こんな体たらくの文章で、何の脈絡もない落書きじゃ、とうてい食べていかれないじゃない」
「聞いている方が恥ずかしいくらいよ。妻に寝かしつけられたとか、自動文脈ソフトがどうしたとか、お立ち台で警官に負かされたとか、まるで子供の遊びじゃない」
今度はピンク色である。それから一斉に噴き出した。
「発想が小学生なみ」
「っていうか、園児なみ?」
「私の方がうまく書けるかも」
「ストーリーのセンスまるで無し」
「しかも、何を訴えたいのか分からなーい」
「そうそう、分からなーい」
いきなりみんなで「分からなーい」を連呼し始めるので、私は熊苛めにあった森の熊さんみたいに、思わず泣き寝入り状態に陥ってしまった。法規制された狼よりは、赤ずきんちゃんの方が何倍も恐ろしいものである。
「私は私なりに、冗談的文脈に分け入って、かえって真相を掴み取ろうと試みたんだ。けっして堕落じゃない。酒のせいじゃない。思想だって懸命に込めたつもりなんだ」
けれども私の弁解は、ほろ酔いのほてった顔つきでは、なんの効力も発揮しなかったらしい。
「ぜんぜん込められてないわね」
「それにそんなんじゃないでしょ」
「本当は途方に暮れて」
「そうそう」
「酒の力を借りて、どうにか体裁を取り繕うと思って」
「うっかり走り出しちゃったってわけ」
「ひょっとして、迷子の迷子の何とかちゃん?」
「そうよ、それそれ」
「書いているうちに自分でも分かんなくなっちゃって」
「最後には、酔っぱらいのたわごとなんだわ」
「自暴自棄のひとりよがり」
「ようするに、部屋にひとりぼっちで、すっかりやきが回ってんのよ」
「それに考えたなんて嘘。私知ってるもの。部屋の中でだーっと書き殴ってたのよ」
「そうそう、みんな見てたよねえ」
「見てた、見てた」
そんな馬鹿な。私のマンションはこんな公園の近くにはないはずである。それに部屋に野菊なんてあったろうか。ベランダの小さな鉢植えに、何本かは植えられていたけれども……はたしてカーテンを開けていたところを、目撃されでもしたのだろうか。それにしてもあんまり酷い。部屋にひとりぼっちでやきが回っているとは、いくらなんでも残酷だ。もうひと言も話したくなくなってきた。
「もう、みんな駄目よ、すっかりしょげてしまったんだわ」
「駄文暴露とうなだれちゃった?」
「傷ついちゃった、傷ついちゃった」
「ちょっとあんた、責任取ってマシなところ探してあげなさいよ」
「なんで私が、探さなくっちゃならないの」
「だって、あんたじゃない。やきが回ったとか言って、とどめ刺しちゃったの」
「ええ、あれってとどめだったの。私ったら、息の根止めちゃった?」
「止めちゃったに決まってるでしょ」
「すっかり押し黙ってしまったんだわ。あなたいつでも言葉が過ぎるんだわ」
「ようするにあれだ、いじめっ子だーあ」
「そうそう、いじめっ子、いじめっ子」
「何よ。私のせいなの。全部私が悪いっての。へなへなと弱っちいことばかり書いてんのが悪いんじゃないのよ」
「鬼のひと声だわね」
「悪魔、悪魔」
「ああ、もう」
一番口の悪いオレンジ色の奴が、みんなに追求されているらしかった。けれども私はもう知らない。遠くのほうを眺めていた。うっかり菊に答えたのがそもそもの間違いだったんだ。花の癖に人の言葉なんかしゃべりやがって、誰が答えてやるものか。しかし、さすがに悪いと思ったのか、
「あのう、ちょっと」
と、オレンジ色がおっかなびっくりに声を掛けてきた。私は答えない。
「やっぱり、拗ねてる」
「拗男(すねお)だわ、拗男」
「ちょっとヘビー級?」
「しーっ、聞こえちゃうじゃない」
わざと聞こえるように言うな。コテンパンにからかいやがって。
「そうねえ。なんて言えばいいのかしら。つまり正直すぎるんだと思うわ」
また黄色の花である。ちょっとだけ優しいのは彼女だけなのだろうか。
「そうそう、それよ、私も正直って言いたかったのよ」
「だってほら、麻薬とか不治の病とか、精神障害とか、肥大化されたデフォルメで、三流の利権屋が感動を掻き集めるみたいな、はしたない真似しないじゃない」
オレンジと、ピンクはおしゃべりの中心だ。あるいはいじめっ子の中心なのかもしれない。
「うん、しなかったっけ?」
「たぶん」
「それにわたし、文章の利点は、必ずしも情動を喚起するためにあるんじゃないと思うわ」
「うん、それはあるかも」
「そうそう、涙ばっかり求めるほうが異常」
「娯楽を求めてさ迷い歩く」
「それって、あのオランダ人の?」
「何それ」
「とにかく、どっちが病んでいるか、もう一度考えてみる価値はあるわね」
「そうかなあ、考えたって、こんな体たらくじゃあ」
今度はピンクだ。体たらくで悪かったな。どうせ酔っぱらいの駄文さ。ああ、こんなことなら、もっとちゃんと考えてから書き始めるんだった。どだい焼酎がいけないんだ、あんなに丸ごと芋が残っているから。
「だけどね、ねえ君」
ええい、今度は紫色か。私のことを、君と呼ぶな。
「ねえ、君、よく考えてもみなさいよ」
何だ。自分で勝手に話しやがれ。
「拗男、拗男」
オレンジがあっちで囃し立てる。よっぽどへし折ってやろうかと思った。けれども、ちょっと先が気に掛かる。
「だからさ、こんな駄文でも、書かなかったら、私たち出会えなかったんだよ」
花たちが風に吹かれて揺れ動く。合唱隊が歌いながらリズムを取るみたいだ。たしかに、それは紫の言うとおりではある。ちょっとだけいい言葉。しかし耳を傾けたら、たちまち調子に乗りだした。
「なによ、もともと自分からしでかしたことなんじゃない」
「それで書いているうちに何だか不安になっちゃって」
「自分を探しまくり状態に陥っちゃって」
「その挙げ句が、これってわけ?」
「冗談に妻を作ってみたり」
「本当はいない癖に」
「もてない男のひがみ」
「ちょっと、みんな、駄目なんだわ。せっかく慰めようとしているところなんだわ」
「あれ、そうだったっけ」
ふん。知るか。花なんかに慰められたら、小説家もお仕舞いだ。
「そういえば、警官と戯れてなかったっけ」
「しっかり目撃されてるし」
「あそこが一番酷くなかった?」
「世界で一番、噴飯もの」
「酷すぎですよ。酷すぎですよ」
くそ。なにもそこまで言うことはないではないか。花たちはますます攻め上ってくる。
「消去した方がまだましかも」
「デリートしちゃえ」
「消せないのよこの人。だらしないから」
「ああもう。みんな。これじゃあ慰めにならないんだわ」
「いいの、いいの」
「はっきり言ってあげないと、分からないって」
「ようするに、あれなのよ、駄目な落書きほどかわいく思えて」
「駄目な作家ほど、消すことが出来なーい」
それからまた全員で、「消すことが出来なーい」と歌い出した。ああ、もう、うるさいったらありゃしない。けれどもいきなり議論が始まったのには驚いた。
「でも、銀河鉄道は消したんだわ」
黄色がまた余計な油を注いだからである。
「そりゃあ、心象スケッチ見れば分かるって」
「それって、あの春と修羅の」
「わたくしといふ現象は、っていうやつね」
「違いの分かる作家といふことなんだわ」
「じゃあさあ、あの雪まみれのやつは」
「あれは、全然消されてなーい」
「それって、まさか、あのヘルメットのない後半じゃ」
「馬鹿、何言ってるの、国家反逆罪になっちゃうわよ」
「まさか、そんな」
ヘルメットのない後半ってなんだ。「ちぢみ」の話しのことだろうか。ちょっと追求したかったけれども、声だけは掛けたくない。私はやっぱり知らぬふりを決め込んでいた。すると今まで控えていた、少し離れの真っ白な野菊が、
「けれども不治の病にしても、夢の中をさ迷うのであっても、デフォルメの変位は同じことではありませんか」
という苦言を呈した。それはまあ、ごもっともな意見ではある。けれども珍しくピンクの花が擁護に回ってきた。もっともほんとに擁護するつもりかどうかは、はなはだ疑わしいものである。
「あら、この堕落小説に限っていえば、違ってる気がするけど」
「それはどのように違っているのでしょうか」
「だって、これは感動のためにやってるんじゃないもの。むしろ、そう、感動を蔑ろにするためにやっているっていうか」
「感情が干からびちゃって、老いぼれの落書きをしてるだけじゃないの」
またオレンジが入ってきた。あんまり酷い言葉である。ほとんど泣きそうになってしまった。いいか、覚えていやがれ。こいつだけは、きっとへし折ってくれる。それからまた大騒ぎが始まった。
「むしろ、何の目的もない?」
「ほら、あれよ、無目的の目的とか言うやつ」
「なにそれ、そんなコソ泥みたいなこころで、落書きしてたの」
「信じられない」
「嫌らすぃ」
「でも、ほら、何かを探し求めていたんだわ」
「だって、結局なにひとつ見いだせてないじゃないのよ」
「っていうか、落書き任せに、見つける意志すら持たないっていうか」
「それで、画竜(がりょう)も点睛(てんせい)もなくなっちゃって」
「壁紙だけが残ります?」
「干からびちまったこいつの心は」
「夕陽に向かってうずくまる?」
「そうそう、それよそれ」
「アハハ、おもしろーい」
「ああもう。駄目なんだわ。みんなあんまり貶す一方なんだわ」
「みなさん、そろそろ優しくしてあげてください。泣きだしてしまうかも知れないではありませんか」
「えっ、泣いちゃうの?」
「信じられなーい」
「恥ずかすぃ」
「なみだ目ですよ、なみだ目ですよ」
誰が泣くものか。野菊の言葉くらいで。馬鹿にするな。けれどもなんだか立ち上がれないくらいに落ち込んできた。からっきし駄目じゃないか。まるでいいところが無いじゃないか。縄跳びを一回も跳べない小学生なみの悲しみである。馬鹿にされる前に、自分で立ち直れなくなっちゃうのである。涙こらえて空さ見あげれば、蒼は突き抜け雲が白いや。
「そんなことありません。おもしろいところがあると思いますよ」 離れた白菊がまた口を挟む。
「ちょっと朗読してみますから、どうかみなさん試しに聞いてみて下さい」
彼女は、私の駄文を読み始めた。その優しい歌声が、澄みきった大気にこだまする。向こうには施設の案内所が控えている。催しでも遣っているのであろうか、なかなか立派な建物である。帰る途中の家族連れが、公園の出口に歩いてゆく。駅に向かうところかも知れなかった。小さな女の子が嬉しくなって、こっちに走って来てはまた駆け戻った。木々の合間には鳥たちが、小さなバックコーラスを奏でてくれる。するといつしか菊たちの、くすくすとした笑い声が聞こえてきた。
「たしかに、冗談なのか真面目なのか、行方不明の面白さはあるわね」
ピンクがまたリードする。
「含み笑いみたいな」
「それが目的だってこと?」
「いや、目的なんて持たないんだと思うわ」
「というか、目的を探し回っているって感じかな」
「違うわよ、自分の執筆に自信が持てないのよ」
「それで、文章の価値を求めてさまよい歩くってわけ?」
「それじゃあまるで、ずるずるべったりのスライムみたいなんだわ」
「キイちゃん。あんた、またゲームに熱中してんじゃないでしょうねえ」
「あら、いやだわ。そんなことないんだわ」
「キイちゃんってドラクエ派なのよねえ」
「ちょっと、話しを反らさないでよ」
「なんだっけ、お立ち台の話しだっけ?」
「それそれ。警官のところも、ここまで酷い文章はちょっと探せないって」
また、オレンジの奴だ。こいつは天敵である。
「ああ、そう考えれば、あの例の、なんだっけ」
「希少性よ、希少性」
「そうそう、その類い希なる駄文ってやつ」
オレンジめ、首を折られるまでせいぜいほざいていろ。
「それにさあ」
「なに?」
「私たちってさあ」
「うん」
「この駄文の中にしか、存在していないっていうか」
「それはそう。私たちって、ようするに拵(こしら)えものなんだわ」
「だから、あんたのいのちも」
「なに、この落書きをかぎりに咲き誇っていただけなの。そんなの、あんまりよ。わたし、まだ恋もしてないのに」
「ええっ、駄文と一緒に抹殺されちゃうってわけ?」
「あんたは、真っ先に殺されるわよ」
「最優先ですよ、最優先ですよ」
「私も散々、悪口言っちゃった、今からおべっか使っても遅いかなあ」
「諦めた方がいいと思うわ。物語のシーズンにもいつしか結末は訪れて、私たちは袖口からすっと退場させられるんだわ」
「そんなあ」
今ごろ気づいたって遅いや。私はもう何にもしてやらないんだ。菊なんか大嫌いだ。けれどもまた黄色が、
「いいことを思い付いたんだわ」
と言い出した。
「どうしたのキイちゃん」
と他の菊たちが質問する。
「ほら、あの文章の先生だわ」
文章の先生?
「ああ、あの文章の先生ね」
また菊たちが賑やかになってきた。
「あたしたちを描いてくれたお礼に、先生のこと紹介しちゃおっか」
お調子者のオレンジが言い出した。こいつめ、急に媚びを売りやがって。
「しちゃおっかって、勝手なことを言うな。どうせ俺が書かなきゃ、先に進まないんだ」
私はついそう答えてしまった。それから、はっとなった。黙って無視しているつもりだったのに、結局野菊のペースに飲み込まれてしまった。まあいいや、よくよく考えてみれば、これほど正直に話してくれて、かえって有り難いくらいである。毒で満たされた言葉だけが、真実を写し取る鏡なのだろうか。けれども今さら病院だなんて、私は気が進まなかった。本当に私さえ描かなければ、このさき医者なんか控えている筈がないのである。
「そんなことないよ、そんなことないよ」
いつも繰り返すのは、薄いブルーであった。
「ちょっと、あんたって何でいつも二回繰り返すのよ」
「ああこれ。これは康成マジックよ、康成マジック」
「康成マジック?」
「例の、同じ言葉を二度繰り返すってやつね」
「繰り返しますよ、繰り返しますよ」
「だから止めときなさいって、国家反逆罪だわ」
「そんなあ。せっかく自分をアピールする強調法なのにい」
「ああ、もう。みんな静かするんだわ。話しがまるでまとまらないんだわ」
やはりあの黄色の花が、まとめ役を買って出たらしい。
「それはたしかに、あなたが描かなければ先生なんか登場しないんだわ」
するとピンクが後を継ぐ。
「でもね、私たちの紹介って記された以上は、物語のなかではあんたが生みだしたんじゃなくって」
「私たちの紹介なんだあ」
「そうは思わない?」
「それは、たしかにそんな気もするけど」
私はなんだか腑に落ちない。まんまと騙されているような気分である。
「小学校のテストを思い出してみなさいよ。先生のところに行った理由を聞かれたら、花の紹介だって答えるでしょ。誰が作者のなせる技だって答えるのよ」
「そうよそうよ」
「私たちの主体的行動のなせる技なの」
「それに物語には物語自身の自発的な進行があるのよ」
「作者もそれには逆らえなーい」
「それってもしかして、あの側転死去?」
「そくてんしきょ?」
「あら、全然違っているんだわ。則天去私(そくてんきょし)なんだわ」
「あんた、漱石先生にステッキ振り回されても知らないわよ」
「ええ、そんな人だったっけ」
「さあ?」
「とにかくねえ」
オレンジの花がまとめだした。
「二三歩踏み出したとたんに、作家にもその道しかあり得なくなっちゃうってわけ」
するとピンクが、
「第一考えてもみなさいよ。ここまでお医者さんを期待させといて、作家のわがままで医者に行かなかったら、物語が煮え切らないまま終わっちゃうじゃないのよ」
「そうやってねじ曲げてお化けの登場ばっかり誘うから」
「爆竹気取って衝撃ばっかり与えようとするから」
「めたぼ体質の肥大した小説に陥ってしまうんだわ」
「つまり馬鹿な作家ほど、自らが創作したつもりになっちゃうってわけね」
「それって、例えばあの……ン、ン、ン」
「ちょっと、誰か口抑えといて、大変なことになるから」
「あーい」
「とにかく。作られたのは確かなんだわ。けれども、私たちもまた、自発的に作品を仕立てているんだわ」
「現にあんた、私たちから影響受けまくりじゃない」
ピンクの花が急に私のほうに向き直ったので、
「そ、そうかな」
と思わずうろたえてしまった。菊たちが勝手に走り出すのを、後からどうにか宥めすかして、統制を付けているような感覚を、私もずっと感じていたからである。たしかに私は、彼女らに振り回されているのであって、とても彼女らを創作しているとは言えない有様だった。あるいは酔っぱらっている間に、創作の座をすら、登場人物に乗っ取られてしまったのだろうか。それともそうではなく、小説家の役割なんて、しょせん調停者に過ぎないのであろうか。なんだか頭が混乱してきた。
「作者なんか、空気と一緒なのよ」
「神さまみたいなものじゃないの」
「あってもなくても、私たちの範疇じゃなーい」
「アウト・オブ・ハンチュウってわけね」
「なにそれ?」
菊たちはますます盛りだした。
「とにかく先生を紹介をしたのは、私たちなのね」
「そうなんですよ、そうなんですよ」
「だから繰り返しは止めなさいって」
「だって、おもしろいじゃない」
「うん、たしかにおもしろいけど」
「おもしろいけど?」
「国家反逆罪だわ」
「そんなあ」
あんまり話が脱線するので、私はとうとう
「ようするに何が言いたいんだ」
と叫んでしまった。自分の役割が何だろうと、これ以上作品を崩されてたまるものか。しかし墓穴を掘った。いきなり、
「とにかく、あんたは今すぐ病院送りだーあ」
と返ってきたからである。しかも全員で「病院送りだーあ」と合唱するので、私はたじたじになってしまった。そうしてついに観念したのである。
「それで何を見て貰えばいいんだ」
確かに私は、彼女たちの影響下に置かれているらしかった。
「それは分からないわ。それはあなたが決めることなんだわ」
「あら、駄文の矯正よ。決まってるじゃない」
また、オレンジ。憎らしいやつ。もはやこれまでと思って、手を伸ばしてへし折ろうとしたら、さっと奥のほうに隠れて見えなくなった。
「恐いわ、ファントムの気配だわ」
黄色がからかって笑っている。まあいいや、花を折ったからって気が晴れるものでもなし。大人げないことをするものではない。
「それで、どこへ向かえばいいんだ」
「公園の正門を出て、後は出たとこ勝負だわね」
「出たとこ勝負ってそんな滅茶苦茶な」
私はつい噴き出してしまった。しまった、また菊のペースに乗せられた。なんとなく敗北感。
「ごめんなさいね、この子、最近失恋して、やけのやんパチなの」
「そうそう、やんぱち、やんぱち」
「うるさいわねえ、こっちから振ってやったのよ」
「はいはい」
なんだか収拾が付かなくなりそうな気配だったが、
「まず門を左に曲がってから、道沿いに進んでいくんだわ。やがて『文章のお医者さん』って書かれた看板があるから、そこに入ればいいんだわ」
最後に黄色い菊がまとめてくれた。
「ありがとう、さっそく行ってくるよ」
私はすこしだけ元気が出てきた。文章のお医者さん。思えば変な話になったものだ。しかしそこへ入ったら、酒の助けを借りなくても、霊感の沸き起こるような名文を、したためることが出来るようになるかもしれない。ちょっとだけ、勇者の冒険みたいな喜びが湧いてきた。けれども本当に、それが当初の目的だったのだろうか。あるいはもっと別のことを、探し求めていたような気がするのだけれども……まあいいや、私は野菊たちに別れを告げた。
「ねえ、最後にまた私たちのこと登場させてよ」
「わすれちゃ、駄目よ」
野菊たちがめいめい勝手なことを言う。請け負うことは出来ないが、忘れなかったらそうしてみよう。どうせ自分たちの方から、我慢できなくなって勝手に登場してくるに違いないのだ。つまりはうっかり書いたひと言のために、もう私は結末までも規定されてしまったのである。小説とはそんなしがらみの連続に、紡ぎ出されているものに過ぎないのかもしれない。それならせめて、お前たちのことを忘れないようにしよう。私はもう一度手を振った。
公園を離れるとたんにボンネットの群れが、公道を活気づけていた。都会と自然のハーモニーが、見事に生かされた都市らしい。羨ましいものだ。しばらくは教わったとおりに歩いていったが、横に広がりを見せる公園の柵をようやく越えて、信号を二つ渡りきると、その医院は静かに控えていた。
「受験生から俳人まで、あなたの悩みを解消します」
ちょっと怪しいキャッチコピーが、けれども控えめに張られている。私はちょっと躊躇した。本当にこんな所に入る必要があるのだろうか。今の私はちょっと千鳥足である。けれどもぐだぐだに酔っている訳ではない。理性は残っている。その残ったあたりと酔いどれの狭間で、まるで油に陥った魚みたいに、あるいは菊に苛められた熊さんみたいに、駄文を描きまくっているに過ぎないのである。しかし野菊とはもう約束をしてしまった。第一、診療を受けたからといって、それがアダとなることもなかろう。
けれども何となく落ち着かない。私はここに宣言しておく。執筆者としての私は、扉の向こうになど行きたくないのである。今までのストーリーから類推したって、ろくな事にはならないんだ。しかし菊たちとの約束もある。それにここまで記した以上は、やはり彼女たちの予言どおり、執筆者である私にとっても、医者を避けてまとめることなど、もはや出来なくなっていたのである。私は医院に足を踏み入れた。
今日は初診だから保険証を差し出した。鞄すら持っていないのに、どうやって持ってきたのだろう。ちょっと不思議な気分。受付の看護婦さんは、白衣だけでなく、肌の色まで真っ白だ。それでいてほっそりしてる。まるで清楚な粉雪を振り払う、北国育ちの娘さんを思わせた。
「どうなされたのでしょうか」
と聞いてくるから、急に恥ずかしくなってしまった。
「ちょっと執筆に問題がありまして」
と小さな声で応対した。酔っぱらわないと何も書けないなんて、恥ずかしくてとても言い出せなかった。
「ここにお名前と、症状を記していただいてもよろしいでしょうか」
彼女がバインダーに挟まったアンケートを手渡すので、私はおとなしく頷いた。
「番号二十二番の札をお持ちの患者さま」
向こうの入口から、別の看護婦さんが呼びかけると、腰を下ろしていた初老の男が立ち上がった。受付で書き終えたアンケートを返すと、看護婦さんは二十四番の札を手渡してくれる。これで私も患者の仲間入りというわけだ。明るくて小綺麗な待合所に、数人の患者が控えている。受付に呼ばれた一人が、処方箋を渡されているのには驚いた。文章の治療にも、薬が必要なのだろうか。
それにしても、どんな患者がここを訪れるのだろう。私と同じ症状もいるのだろうか。みんな体は健康だから、弱々しい素振りは見せなかった。あるいは変な拵えものしか作れなくなった俳人どもや、優しい猫なでの文章しか書けなくなった受験生が、涙ながらに診療に訪れるのだろうか。それとも自動文章作成装置を、いっそ内蔵させてくださいと、頼み込む人もいるのだろうか。診察室の扉は患者と共に閉ざされてしまった。けれども、
「先生何とかしてください。けり、しかしゃべれんのであります」
と訴えるような声が小さく漏れてくる。私はなんだか落ち着かなかった。しばらくは静かだったが、そのうちに「はえそむる」とか「のらとも」とか、訳の分からない単語が聞こえてくるので、私は書棚にあった新聞を開いて、わざと時間を宥めすかしていた。
「番号二十三番の札をお持ちの患者さま」
初老の男が真っ青になって扉から帰ってくると、入れ替わりに青年が立ち上がった。次は自分の番である。なんだか落ち着かなかった。新聞をめくっても、活字の意味がよく分からないのである。それに奥のほうからは、
「頭の悪そうなカタカナの名前ばかり」
という声が響いてくる。私は出来るだけクラシックのBGMに耳を傾けようとした。新聞の意味は、ますます分からなくなってきた。
「番号二十四番の札をお持ちの患者さま」
とうとう自分の番号が呼ばれた。心拍数が急に高まってきた。だらしがない。平生を装って、新聞を折りたたんで、そっと立ち上がる。前の患者が出てくるところから、開いたままの診療室へと入ると、先生の眼鏡がきらりと輝いた。ドアがバタンと閉まる。自由に回せる丸椅子を勧められたから、私は動揺を隠しつつ腰を下ろした。
「いかがなされました」
先生の冷静な声が響いてきた。私はもう脈が早くなっている。医者というものには、幾つになっても慣れないものだ。直して貰いたい一心から、ついぐだぐだになってしまうものらしかった。
「近頃めっきり変なんです」
ゆとりをなくした私の顔色は、病人のように青ざめていたに違いない。
「変とは」
銀色のペンがカルテと戯れている。何やら数字を記入しているらしかった。机の上には沢山の資料が積まれているが、それらはけっして未整頓ではなかった。綺麗にファイリングされて、一列に並べられている。奥のところにはカルテを入れておくプラスチックの容器が、まだ新しい清潔を保っていた。私はなんだか落ち着かない。
ちょっとあたりを見回したけれども、野菊の花瓶は見当たらなかった。すこしだけほっとする。医者に掛かっている姿など、彼女たちに見られるのは嫌だったのだ。私は改めて症状を説明した。
「よく、酒を呑むのです」
ペンはカルテを走り出す。名前や住所はすでに記してあるが、先生は念のためにもう一度、症状をしたためるらしかった。私が黙って見ていると、不意に向かいの扉から、受付の看護婦さんが診察室に入ってきた。当番を交替して、若い医者をサポートするつもりなのだろう。向こうで器具を並べているから、私はちょっと落ち着かない。先生は私の名前に目をとめた。
「ずいぶん変わった名前ですね」
「ええ、時間に追われているのです」
「時間に、ですか」
先生は念のためにカルテに記入したらしかった。
「けれども、それが問題ではないと」
「ええ、酒のせいです」
「つまりアルコール摂取の過剰というわけですね」
そんなことは言われるまでもない。
「それで、おかしなことになるのです」
私は感情をとどめられなくなって、いきなり確信に迫った。しかし、医者には見慣れた患者の仕草であったらしい。
「はあ、おかしなこと、ですか」
不審げな顔をして、まじまじと私の瞳を眺めだした。患者に不穏な気配があるのを、経験から感じ取ったのである。私はもう留まることが出来なかった。
「酒を飲むと暴走が始まるのです」
「はあ?」
意味が分からなかったのだろうか。それとも同じような患者が多すぎて、すでに結論が見えてしまったのだろうか。私には分からない。
「酒を飲むと、ペース配分も滅茶苦茶なのです。プロットもアウトラインもなんのその、へこたれまいとして突き進んでしまうのです」
「いったい何の話しです。どうか落ち着いて説明してください」
文章科医の好奇心にちょっとだけランプが灯ったようだった。きっと話し方が面白かったためだろう。つまりはそれが人間観察であることは、疑いのない事実である。
「つまりですね」
私はすべてを語らねばなるまい。この医者のために、そして患者のために。
「妄想が落書きみたいにして走り出してしまうのです」
医者の瞳の活気が、スーッと遠ざかるのを感じた。明らかに失望している。きっといつもの患者かと思われたのだ。
「いいですか、落ち着いて私の話を聞いて下さい」
医者は椅子を引いて冷静になった。非常にゆっくりした、諭すような口調である。
「アルコールを飲むと何が起こるのか。大脳新皮質の麻痺から感情の抑制が外れることなど、いちいち説明してもしかたがありません。けれども我々がしばしば話し上戸になるみたいに、酒を飲むと日記やら落書きやら、メールやらが止まらなくなってしまうような人たちは、実際は沢山いるのですよ」
「つまり、私は患者にも当たらないというのですか」
思わず焦ったように答えると、
「そうではありません。特異な病気ではないのですから、ひとりで抱え込む必要などないということです」
それにしても……まだ若い医者は考える。こういう乱筆家ほど、読み直しもせず、誤字や脱字で読者を困らせるものだ。いくら給料のためだからって、そんな乱文を読まされる身にもなってみろ。時にはそんなひと言を、患者に対して吐いてみたくもなるのである。けれども、自分は医者である。患者を見殺しにする訳にはいかなかった。
「気にすることではないのですよ」
彼は優しくほほ笑んでみせた。私は悲しくなった。
「心拍数も高まるのです。脈がどきどきし始めるのです。ただの創作じゃあありません。狂騒が文体を借りて龍蛇(りゅうじゃ)のごとく暴れまわるのです。まるで蘭奢待(らんじゃたい)です」
真っ青になって答えたが、文章科医には通じなかったらしい。
「それこそ大脳新皮質から解放された情動のもたらす錯覚ですよ。酒で陽気になって歌い出すのと同じことです。しかもそのような状況では、誰もが自分のことを、優れた歌い手だと思い込みがちなものです」
「つまり私の文章が下手歌に過ぎないとおっしゃるのですか」
また始まった。いつものことだ。こういう患者はもうこりごりだ。医者はわざとカルテをめくり始めた。
「あなたの文章はまだ拝見していませんが」
医者は幾つかの項目にペンで軽やかな丸を記した。
「このように、あなたの場合、心電図に異常は見られません。肝臓の値だって、まあ少しは高いのですが、十分健康な方です。血液の問題もありません。あなたは一体に、心配しすぎなのです」
医者は早くも心気症の決断を下そうとするらしかった。いったい、いつ血液を採取されただろう。さっぱり分からない。しかし今はそれどころではなかった。
「ちょっと、待って下さい」
だって、まだ言い足りないことが山ほどあるのである。ようやく説明を始めた所じゃないか。勝手に投了なさるなだ。王が動き出してからが、本当の将棋の山なんだ。
「私は日頃、大人しい人間なのです」
「なるほど」
「いたずらひとつしないのです」
「ふむ」
「ましてこんな脱線まみれの文章を、情動に任せて書き殴ったりするはずがないのです」
「けれどもまた、アルコールの力を借りずには執筆も出来ないと」
「はい」
先生は分かってくれただろうか。彼はただ「おとなしい」という文字を、カルテに小さく記している。しかし、急に隣りにクサビのようなものを書き付けたので、私はびっくりしてしまった。
「先生、それは」
「これですか。くさび形文字ですよ。どうです、読めますか」
「いいえ、まさか」
私は慌てて首を横に振った。
「これで温和しい、と表現されるんですよ。こうやって、いにしえの人たちもみんな、当時のありきたりの表現を、文字を作って記していったんですね」
私には、だんだん隣の日本語のほうが、文字だか文様だか分からなくなってきた。そもそも、こんな符号みたいなものが、我が物顔で芸術を気取るくらいに、どうして発展を遂げたのだろう。
「そのとおりです」
先生は私のこころを見抜いたらしかった。白い看護婦さんが、うしろでそっと見守っている。
「このように符号を使って、それまで語られてきた物語を、記し始めたのが小説の第一歩なのですね」
先生はファイリングケースからひとつの資料を取り出した。
「ご覧なさい、これでひとつの物語になっています」
そこには一面のくさび形文字が、壁紙の文様みたいに連なっているのだった。
「だってこれは、文様じゃありませんか」
「そうでしょう。文字は絵画とは違います。その符号が使われなくなったとたんに、もうそれは人々にとっては偽りの文字になってしまうのです。過去の遺産、それも実用品ではないたぐいの遺産となってしまうのです」
「それじゃあ、私たちは安易に過去の文体を弄んで、にせ物の古び標本を作り上げて、ぐちゃぐちゃの文体で記さない方がいいということなのでしょうか」
私もすこし興味をそそられた。
「それはまた難しい問題です。しかし、一般の人々が日常的に使用しているということが、結局はその文体のスタイルを保証することにもなるのです。そうでなければ、不可解な文芸集団みたいに、いつの時代にも見られないような言語を捏造して、祖国愛だと錯覚するような頓珍漢なことにもなりかねません」
「それはそうかもしれませんが……」
私は先生の言わんとすることを掴みかねていた。私が無批判に俳句や短歌を作ってみることがあるのを、知って咎めているのだろうか。それとも……
「そうではありません」
先生は先を読んだ。
「言葉もそうですが、もっと大きい枠組みも同様だと考えるわけですね」
と言うので、私はようやく気がついた。
「つまりあなたは、それと同じことが文脈や、構成にさえも真実味を与えたり、偽りの捏造に陥ったりすると言いたいのですか」
「まあそうです」
「時代的に共通問題としてそのような実験がなされているときでないと、個人のひたむきな目論見は、嘘くささから逃れることが出来ないと」
「そこまで気づけば大したものです」
「それでは、つまり、私の生みだしたこのような作品は、しょせん一般的構成術をわきまえてもいないし、酔っぱらいのたわごとが、新皮質とやらをうっかり忘れ去った落書きに過ぎないのだから、なんの価値も持たないと言うのですか。偽物の三流小説だと」
私は立ち上がった。酒で感情が緩んでいたに違いない。そうでなければ、このくらいの事にいきり立つなんて、ちょっと考えられない話しである。しかし先生は冷静だった。
「まあ、お座りなさい。あなたはまだ、作品など見せてはいないではありませんか。そう怒るものではありません。私はあくまでも、一般論としてお話ししているのですから」
私はまた席について、先生に縋(すが)りつくみたいに吐きだした。
「それじゃあ、ともかく調べてみてください。個別のこととして調べてみてくださいよ。酒がないと口も利けないのに、酒と共に常軌を逸して駆けずり回るというのは、これはやはり普通じゃありません。どうしたって病気です」
私は必死の抗議を試みた。白衣の青年はやはり淡々とした表情である。ただ小さなペンライトを使って、両方の瞳孔を確認したり、舌を出させたりしながら、
「そういう患者は毎日訪れます。誰もが口々に、己の芸術を賛美しますよ。酔いどれの偉大な芸術家という訳です。けれども拝見させていただくと、どれもこれもが同質的です。じつに下らない文章の羅列です。陳腐なストーリーを奏でるのです。つまりは商用価値なんてまるでないことになります。だから今では、そういう患者さんには、自動文章作成ソフトをお薦めしているのですよ。ウィンドウズもマックも両方あります。価格もリーズナブルです。酔っぱらいの落書きなんかよりは、ずっと良いものが出来るのです」
「自動文章作成ソフトですって! つまり、こうして記されつつある私の文章などに、意味などまるでないとおっしゃりたいのですか」
私はまたカッとなった。自動文章作成ソフトのひと言が、私の苛立ちを煽っているらしかった。思わず椅子から立ち上がって、先生のふところに飛び掛からんばかりだったのである。
こんな若造に分かってたまるか。アルコールのたわごとだって。冗談じゃない。たわごとくらいで原稿用紙百枚を越えられるかってんだ。これは創作だ。ああそうさ。これは立派な創作である。そうでなくっちゃ、どうしてこんなに情熱を注ぎ込むことが出来るかってんだ。酔っているかって? そりゃあ酔ってるさ。酔ってて何が悪い。けれども誤解なさるなだ。酔いはいわば走り出すための、情熱をアルコールから貰っているんで、けっしてろれつが回らなくなるための、最後の儀式を行っている訳じゃあない。つまりは陽気に歌い出そうとして、そのくらいのことじゃないか。
「まあ、落ち着いてください。何ごとも冷静が一番なのですから」
けれども先生は患者の扱いをよく心得ていた。受け身になって、慌てて立ち上がったりはしないのである。
「よろしい。そこまで言うのでしたら、すこしその内容を見せて貰いましょうか」
急に優しくされたので、私のこころはポキンと折れてしまった。だらしがない。警官のときと一緒だ。きっと私は淋しくてたまらないのだろう。それですぐ人に懐柔されてしまうのだろう。どうせうしろの看護婦さんだって、内心笑っているに違いないんだ。
私は席に倒れ込んだ。まだ酒が抜けていないのだ。そうして結局シャルドネの力を借りなければ、これくらいの文章だって、先に進められない体になっちまっているんだ。先生を殴り飛ばしたって、事実ばかりは隠し通せないじゃないか。
しかし、これはいったい、どういう意味だろう。私はちょっと冷静になった。先生の眼鏡に釣り込まれたような心持ちである。私はここにいる。ここにいて、医者と対峙している。悩みを打ち明けて、動揺している私がすべてであって、けっして執筆をしている訳ではないのである。それが、さっきから、いや、ほとんど初めから、この文章がどうしたとか、これくらいの文章だとか、平気で考えているのはどうしたことだろう。駄文だとか、アクが強すぎるとか、菊どもに馬鹿にされるのはどうしたことだろう。いったい私は先生と対峙しているのだろうか。それともどこかで執筆をしているだけなのだろうか。そうして、ここにいる私は、いったい何者なのだろう?
ああ、やっぱり酔っぱらっているのだ。まったくどうかしている。こんなぐだぐだじゃあ、思考に限界が生じるのは避けられないや。先生に軽蔑されるのはもっともだ。急にまた感情が高まってきて、恐ろしくなって先生の肩を揺すぶってしまった。
「けれども酔わないと。校正すらも覚束ないのです」
先生は、ちょっと驚いた様子である。
「酔って突っ走るときの思索の低下が補えず、飲まないとなおさらに何も記すことが出来ないのです。それでいて、アルコールが増せば増すほど、自由闊達に羅列が飛翔して、自分を離れてポルカでも踊るみたいに、あれよこれよと戯れあそぶのです。ほら、見て下さい、こんな風にノートのうえを駆けずり回るのです」
「どうか冷静に、冷静に」
医者は私の手を振りほどいて、膝の上に押し戻した。
「まあ、落ち着いて下さい。誰にでもあることなんですよ。そんな特殊なことじゃあ、ないんですから」
先生は突き出されたノートを眺めだす。私はかまわずに説明を続けた。
「でも、このくらいのことが、酔わずには記すことすら出来ないのです。そんなことってあるでしょうか。私だって酔わなければ、どれほど思索に満ちた傑作を生み出せそうな気がするのですが、いざしらふとなると、何も記せないのです。そんなことって、あっていいのでしょうか」
私はわなわなと震えていた、そうして思わず叫んでしまったのである。
「それじゃあ、私はなにも、まともな作品を生み出せないと保証されたようなものではないですか!」
自己が肥大していやがる。医者はそう思ったに違いない。その時、私はまるで気づかなかった。彼の瞳が急に穏やかでなくなったことに。頭の中で、閃くみたいに別の考えが、突然沸き起こったその瞬間に。そのため大変な目にあったのであるが、今では分かる、恐らく医者は、私から手渡されたノートを眺めながら、こう考えたに違いなかった。
どだいこの羅列を読み返してみたまえ。有意義なところがまるでない。怠惰な落書き、自動文章発生装置、生真面目なだけの列島の旅、ストーリーさえどれもこれもがマンネリズムで、感情を導く方針さえパターン化しちまっている。しかも誰もがそれを真似して同質化させるから、今では不毛の消費物に陥って、ファッションなみの流行以外の、何ものをも見いだせなくなってしまった。この国の音楽も、劇も、みんな一緒さ。みんなスーパーマーケットのバーゲンセールの価格帯じゃないか。それだけが現代的だって思い込んでいやがるんだ。どこに文芸復古なんて起こるものか。コンピューターに全部やって貰ったっていいくらいだ。そうやって作り上げられた文章の方が……
「こんな酔っぱらいの落書きよりは、はるかにマシなものさ」
先生がそんな独り言を呟いたので、私は思わずポカンとなってしまった。しばらく意味が分からなかったのである。まだ若すぎる文章科医だ。患者への絶対的な寄り添いが後退して、自らの理想が飛翔し始めて、患者を押しのけるような間違いだって、犯さないとは限らなかった。そうしてまさしくその瞬間に、私は今、立ち会わされてしまったのであった。
「いったいあなたに何が出来るっていうんです」
先生の目がいきなり睨み付けてきた。瞳の奥には、いつしか敵対者としての本性が現れていた。私は驚いた。しまった、ついすべてをさらけ出してしまった。このままでは、文章ごと抹殺されるかも知れない。そうでなくても、二度と立ち上がれないようにとどめを刺しておくことくらい、今の彼には容易いことのように思われたからである。
「それは、わたしには、大したことなんか出来ませんけれども……」
急に弱気になったところを、医師は勇み足で攻めのぼってくる。カルテで弱いところを知り抜くしているうえに、うっかりノートを渡してしまった後だから、私は無防備であった。うしろで看護婦さんが、心配そうに私のことを眺めていたが、もはや彼女にすら、先生を留めることは出来なかったらしい。
「まるで駄目ですね」
私は驚いた表情で先生を見返した。明らかに心拍数が高まっている。圧倒的な危機の状況にあって、自分の瞳孔が開ききるのを感じた。彼はひらひらとノートをめくりながら、ついにこう宣言したのである。
「だいたい、こんなものに、価値があると信じているところが度し難いんだ。お正月じゃあるまいし。おめでたいにも程があります。二級品のワインにしたって酷いものだ。おやまあ、これはなんです。驚くじゃあありませんか。何が名文だ。疲労困憊(こんぱい)もいいところだ」
文章科医は助手の看護婦さんにノートを手渡した。
「ちょっと、この詩を読んでみて下さい」
看護婦さんは、しばらく躊躇(ちゅうちょ)していた。私の方を心配して見つめている。私は観念した。黙って看護婦さんに頷いてみせる。私はどんなに嘲弄(ちょうろう)されても、自分自身を信じなければならないんだ。そうでなかったら、この場で抹殺されてしまうに違いない。まだ埋葬されるのは嫌だ。書き残したいことが山ほど残っているんだ。どうにか切り抜けなければならない。
突然そんな勇気が、酔いどれの頭に浮かんできたのである。けれどもなぜ? それは分からない。今になっても分からない。人はしばしば、不可解なところで、不可解なままに悟りを開いたり、いきなり勇気が湧き起こったり、急にぐだぐだになったりするものである。私にはそれ以上のことは、説明することはかなわない。
看護婦さんの温和しそうな声が、手渡されたところを下読みしてから、静かに朗誦(ろうしょう)し始めた。医者の目はすでに敵対勢力である。初めから嘲笑するつもりになっている。私は知っている。一度この目を持ったものは、二度と中立的な判断を下せない。そのことだけは、長年の経験から辛うじて知っていたのであった。私は医者と対峙しなければならなくなった。
『好きです』
あなた遠くてセピア色
思い出ばっかり太ってた
夜ごと夜ごとのため息と
落書きばかりは募ります
グラスとちょっぴりキスしたら
まん丸お月が笑ってた
ひとつのお酒は淋しくて
歌さえ失恋してたっけ
シャワーとシャボンに包まれて
あなたは洗って落とせない
こころばかりが重々(おもおも)と
お化けみたいな不思議です
何をかすべき夜更けにぽつり
トゥルトゥルなってた向こうから
すすり泣くよなあなただったら
僕も奪ってみせるのに
おやすみあなたおやすみと
羊に合わせて数えてた
少しく眠気に救われて
満ちることなき思いです
好きです好きです好きなのに
触れられないのはあなたです
好きです好きです好きなのに
語り合えない僕らです
看護婦さんの瞳が潤んでいるようだった。私は彼女が見方であることを知って嬉しかった。けれども医者は仇のように唇をひん曲げている。まるで文学界を代表する、裁き手を気取って暴言を吐きつけたのであった。
「これがアルコールの果ての芸術ですか。冗談もおよしなさい。このくらい魚屋の一人娘のよっちゃんにだって書けますよ。思い付いたままの落書きじゃないか。おまけに精神が軟弱だ。なるほど、酒がなくちゃ、しらふでこんな文章が書けるものか。恥ずかしいったらありゃしない」
けれども私はもう負けなかった。いつまでも温和しく引き下がっていると思ったら大間違いだ。
「そうでしょうか。現に、そちらの看護婦さんは感動してくださったようです。詩は必ずしもあらゆる人に訴えかけるものではありません。ある境遇の同調者が、こころから感動してくれさえすれば、それに勝る価値なんかないはずです。またそうでなければ、詩の存在意義なんてまるでないのです。いや、詩だけじゃない、結局小説だって同じことなんだ」
こう言い返してやったのである。さっきまでうろたえていた心に、急に火が灯ったような感じだった。僕たち、たった一人の仲間がいるだけで、打ち負かされそうだった魂にさえも、勇気が湧いてくるのが不思議だった。私はいつの間にか、看護婦さんと共同戦線をでも張っているつもりになっていたらしい。しかし、医者は主張を止めなかった。
「私だって、あるいは患者の中に、きらめく原石でも紛れ込んでいやしないかと、こころから願って文章科医になったのだ。芸術を見いだそうとする思いは、あなたなんかに負けないつもりです」
「それでいて、自分の鑑識眼に疑いはないのですか」
と尋ねてみた。
「何ですって」
私はようやく、先生自身が迷子に過ぎなかったことを知ったのである。すると不思議なくらい、心にゆとりが生まれてきた。そもそも表現の違いに病気なんてある訳がないではないか。何が正しいかなんて、誰に決めることが出来るのだろう。作成ソフトの存在なんて、まったく気にすることなんかなかったのだ。第一、酒の問題なら来る場所が間違っているのだし、私はようするに、菊たちに責任をなすり付けて、医者に縋(すが)りつこうとしていただけなんだ。つまりは自信を喪失していたのである。それが分かると急に、看護婦さんが喜んでくれたことだけが、大切なことのように思えてくるのだった。もちろん、目の前の医者が、敵対者として対峙することに変わりはない。彼はさっそく迫ってきた。
「私には医者としての鑑定能力があります。専門の勉強だって積んできたのです。執筆家がフィーリング任せにしていることだって、綿密なデータベースに並べて、類推することが出来るのです。つまりはどんな執筆家よりはるかに中立的に、客観的に判断できるんだ。私は断言します。こんなものに価値があるはずがないんだ」
今度は先生が立ち上がった。私は黙って看護婦さんからノートを受け取りながら、
「まさに主観的になれない事にこそ、あなたの才能の重大な欠落があるのではありませんか」
「それじゃあ、あなたは自身はこのような羅列に、商用価値があるとでも思っているのですか」
「商用価値が必要なのですか」
「それがなければ、誰も認めてくれないじゃありませんか。私はただ尺度の規準単位として言っているのだ」
「規準といったら何ですか。利益で一億円を叩き出すヨーグルトは、一千万円しか利益のない書籍よりも尊いとでもいうのですか」
「そうはいいません。しかし」
「それでは、娯楽性に劣るという理由で、最先端の数学者は、年収数億のスポーツ選手より劣った存在なのですか」
「だからといって、誰も見向きもしないのでは、路傍の石と同じじゃないか」
「路傍の石だっていいのです」
ああ、そうだったのだ。私はようやく気がついた。
「路傍の石にだって、さっき看護婦さんは偶然感動してくれたではありませんか。ただそれだけのことが、今の私にとっては必要なことだったのです。たった一人の同調者の存在が。ああ、私は愚かだった、それ以上何を求めようとして、こんなにも躍起になってさ迷っていたのだろう。お医者さん、あなたは間違っている。あなたが観察者であり、治療者を任じている限り、あなたは作品を評価するべき能力を、永遠に会得することなど出来ないのだ。なぜならばある作品に内在する価値は、中立的な立場に見いだされるものではなく、主観的情緒に掴み取られた後に、始めて中立的に再構築され得るものだからだ。ああ、私はなんて馬鹿だったのだろう。当初から中立的な価値を考えるあまりに、一番大切なものを見落としていたのだ。いいえ、ありがとう、もう結構です、お金は払いますよ。私はもう退去させて貰いましょう。あなたはそうやって、いつまでも見当違いの診断を、ここに留まってしていたらいい。では失礼」
これで私の気分は晴れた。医者に勝ったという意味ではない。目下の問題が、不意に解決したようなさっぱりとした気持ちになって、さっきまでの悩みが嘘みたいに、診察室を後にしたのであった。残された医者は、こんな患者は初めてだというように、ポカンとした口であっけに取られていたようだった。そのとき白い看護婦さんが、ちょっとだけほほ笑んでくれたような気がして、私は嬉しかった。そうしてさっそうと医院を逃れたのである。
けれども午後の日射しに驚いたとたん、自動車のクラクションが大きく鳴り響いた。あっと思って立ち止まった瞬間、私はまたあの首をがくんと折ったような不思議に囚われたのである。
びっくりして瞳を開くと、慌てた拍子に右手を握りしめる。空になったグラスがすんでの所で留まっている。まぶしい世界から急に暗くなったので、しばらくは、ここがどこかも分からない有様だった。けれども落ち着いて眺めまわせば、そこはいつもの自分の部屋以外にはあり得なかった。いつしか飲みかけのワインは無くなっている。私は、半分眠りながら、これを飲み続けていたのであろうか。いつまで経っても酔いが覚めないはずである。
ちょっと頭を振って、私はあの病院を思い返してみた。果たしてあれは勝利だったのだろうか、敗北だったのだろうか、まるで分からない。ただ、あの時すべてを悟りきったような感覚が、不思議なくらい損なわれてはっきりしなかった。私はどうやら、まだ悩みを捨てきってはいないらしい。ぼんやり見つめると、アンプのランプが赤く灯されている。スクリャービンはとっくに終わってしまった。あの先生の顔がまだちらついている。そうして看護婦さんの潤んだ瞳が、懐かしく思い出された。私はあまり煮詰めずに、てくてく歩んでゆけばいいのだろうか。
そっと立ち上がった。キッチンにグラスを洗って、軽く歯を磨き直して、アンプを消してベットに横たわる。白ワインには糖分があるから、虫歯になるかと思ったからである。なんだか急に現実主義に戻ってしまったようで、それがちょっとおかしかった。毛布にくるまりながら窓辺を眺めると、半開きのままになっているカーテンから、野菊が風に揺られている。けれども、カーテンを閉ざす気にはなれなかった。彼女たちのおしゃべりを思い出したからである。このままにしておいたら、最後にもう一度会えるかも知れない。そんな予感が、少しだけするのであった。
しばらく瞳を開いたまま、天井のあたりを見つめている。けれどもアルコールはいまが盛りである。だんだんまぶたが重くなってきた。想いがとろんと丸くなる。このまま眠れば、あの夢の続きが待っているような気がする。どう転ぶかは分からない。けれども私は、それを描ききってしまわなければ、今日が終わらないような気がしてならなかった。そっと瞳を閉じる。心に靄(もや)が広がってくる。夢の女王の名前は、確かマブだったか、オネイロスだったか、今となってはよく思い出せない。そうだ、あれはたしか、「ロミオとジュリエット」に出てくる詩の一節だったっけ……
『女王マブ』
夢の精霊束ねる夜に
女王マブが舞い降りる
ノミより小さい数百万の
眠りの粉(こな)が降り注ぐ
灯りも静か星降る頃に
ベットにそっとしのぶなら
ラララあなたに届ける夢を
夜(よ)が明けるまで歌いましょう
「ちょっと、本気で寝ちゃったわよ」
「どうすんのよ」
「まさか、これで終わりって訳じゃないでしょうね」
「ええっ、そんなの嫌だよう」
「大丈夫だわ。朝までには時間があるんだわ」
「だけど、私たちこれから飲み会に行かなくっちゃ」
「いいじゃない、二時間半くらいで切り上げてくれば」
「ほろ酔いコースってわけね」
「あのう。ここで私が待っていても、構いませんけれども」
「なに言ってんのよ、今日はあっちゃんの誕生日なんじゃないの」
「無理にお祝いをしていただかなくても、私、大丈夫ですから」
「なによ、私たちの祝賀なんか受けられないってわけ?」
「まさか、そんなことはありませんけれども」
「いいの、あっちゃんの飲み会が優先なの」
「そうそう、あんな駄文家、二の次よ二の次」
「またあんた、そんなこと言って」
想いのあの子に焦(こ)がれて眠る
若者たちには恋の夢
政治の参加を憧れ願う
貴族たちには世辞の夢
人を出し抜き阿漕(あこぎ)に渡る
商人たちには金の夢
唇さみしと恋しく笑う
乙女たちにはキスの夢
「わあい。飲み会だあ、飲み会だあ」
「かこつけてどんちゃん騒ぎがしたいだけなんでしょ」
「それで、彼の面倒はどうすんのよ」
「あとは、そうねえ」
「やあねえ、そんなの決まってんじゃないの」
何となく嫌な予感がしたんで、うしろに控えたコスモスは、知らないふりを決め込んでいた。しかし、むろん効果などなかったのである。
「ちょっと、あんたら、最後まで責任持ちなさいよ」
「やっぱり、俺たちのところに回ってくんのかよ」
「あたり前じゃない」
「もう警察官だけで勘弁してくれよ」
「あら、まだやってない方もいませんでしたっけ」
「そうそう、後まわしがいたでしょ」
「オイ、お前、ご指名だぞ」
「いや、私の出番であるか。これほどの大任を仰せ付かることは少なからず名誉なことであるが。誠に申し訳ない。今日は問題があるのだ。これをひとつ見てくれたまえ。こんな所に病葉(わくらば)があるではないか。これでは痛くてかなわない。申し訳ないが辞退させていただこう」
「そんな見え透いた仮病、普通使うかお前」
「それにである。もう一つ考察を加えてみれば、宥め役を務めるのならば私よりはヨッ君の方がはるかに相応しい。私としては、彼を押したいのである」
「そりゃあ、たしかにそうかもしれねえなあ」
「お前じゃ、堅すぎて物語が消沈しかねないしな」
「そうなのである。私自身もこの重々しい語り口が、エンディングへ向かってひた走るコーダの勢いを、第一主題へと押し戻しかねないことを危惧していたのである。決して仮病などではないのだ」
「さあ。どうだかな」
「信じられたものじゃないわね」
「さぼる人は、みんなそうやっていい訳をするものだわ」
「まあ、いいじゃねえか。とにかく、ヨッ君で決まりってことで」
「ちょっと待ってよ。そのヨッ君ってどこにいるのよ」
「ほら、外れの方に揺れてんじゃんかよ」
「ああ、彼ね」
「ちょっとだけイケメンだけど」
「あんな控えめな奴で大丈夫なの」
「大丈夫だって、大丈夫だって」
「ちょっとあなた、私の康成マジック奪わないでくれます」
「康成マジック?」
「こうして繰り返すんですよ、こうして繰り返すんですよ」
「気にしないで、この子まもなく国家反逆罪だから」
「そんなあ」
私の招きを断る者は
目覚めたままの幻覚を
私の言葉を罵(ののし)る者は
呪いの悪夢を届けよう
ラララあなたに届ける夢を
星降る拍子(ひょうし)に合わせるように
ラララあなたに届ける夢を
夜が明けるまで歌いましょう
「どうであるか。ヨッ君、話しは聞いていたであろう」
「それはまあ、聞いてはいましたよ」
「わっ、なんか男版のあっちゃんみたい」
「ほら、あんたのお仲間よ、お仲間」
「そ、そうですか」
「なんなら恋しちゃってもいいのよ」
「えっ、あの、その」
「ちょっと、今はそういう話しじゃないでしょ」
「そうだったっけ、まあとにかく後はよろしくね」
「お願いしまーす」
「じゃあ、さっそく出発しよっかあ」
「おいおい、お前らちょっと待てよ」
「せっかくだから俺たちも参加させろよ」
「合コンしようぜ、合コン」
「そうねえ、男がいないのも淋しいものだわ」
「よっしゃあ、決まりだぜ」
「じゃあ、早く行こうぜ。悪いなヨッ君。あとで土産持ってくるからよ」
「しかたありませんねえ。私を狩り出すと、あとで高いですよ」
「そ、そうだっけ」
「じゃあよろしくねえ」
「ヨッ君、後でキスしてあげるね」
「ばいばーい」
「やれやれ、こまったお騒がせですね。それではまあ、一仕事してみましょうか」
ラララあなたに届ける夢を
星降る拍子(ひょうし)に合わせるように
ラララあなたに届ける夢を
夜が明けるまで歌いましょう
女王マブの歌声に誘われながらうとうとしていた私は、どうやらあの広大な公園の芝生に、いつしか眠ってしまっていたらしい。誰かに呼ばれたみたいな気がして起き上がると、もうあたりは暗くなっていた。おかしいな。この公園は、夜には閉鎖されているはずなのに。あるいは私を置き去りにして、入口だけ閉ざしてしまったのだろうか。高さのあるような門ではないから、閉じ込められたという訳でもないけれど……こんな芝生に転がっていて気づかれないなんて、ちょっとあり得ない話しである。
見上げると星たちが、ハイテンションの町明かりに消されまいとして、天頂付近に寄り添っている。
「都会には知られたかない星月夜(ほしづきよ)」
私はようやく立ち上がった。ちょっと体をはたいて、芝の汚れを払ってみる。向こうの樹木の合間から、ヘッドライトがちらほら過ぎてゆく。帰宅途中の足並みが、きっと歩道を賑わせていることだろう。なんだかあちら側の世界が、おとぎ話みたいに思われてくる。ただ私のところだけ、人影もなく静かなのであった。
「起きましたか」
驚いて振り向くと、そこは例の花壇だった。ところが野菊が一本もなくなっている。暗くて分からないんじゃない。土だけしか残されていないのである。うしろにあったはずのコスモス畑まで、一緒に蒸発してしまったらしい。これはどうしたことだ。まさか私が寝ている間に、管理人が刈り取ってしまったのだろうか。こんな近くにあるのに、私はそれに気づかなかったのであろうか。
ふと見ると、奥には一本のコスモスが、風に揺られて白い花を頷いているのだった。そっと近寄ってみた。さっきの声の主に違いない。
「みんなはどこへ行ってしまったんだ」
私は声を掛けてみた。
「ひと目も気にならない時間ですから、公園の奥まで遠征に出ています」
それはどうやら男の声であるらしかった。
「あんな大勢でか」
私はちょっと驚いた。
「実は、宴会を兼ねているのです」
「なんだ飲み会だったのか。それこそあいつらには相応しいや」
花の飲み会なんか、なんだかちょっとおかしい気がする。
「それで、お前はなぜ一緒にいかなかったんだ」
「私は大勢で行動するのはちょっと苦手ですから」
「なるほど、そんな風にも見えるね」
私はかえって話しやすくなって嬉しいくらいだ。
「けれども、宵の頃を話しに酔いどれるっていうのは、菊にしては少ししゃれているようだね」
「そうでしょうか」
「うん、何だか歌になりそうじゃないか」
「おっしゃる意味がよく分かりませんが」
「ちょっと待っていてくれ。いますぐ考えるから」
私は、やっぱり酔っぱらっているのだろう。何となく和歌が詠めそうな気がして、言葉を弄んでみたのである。
「ほら、話し手の野菊がさ」
「野菊が?」
「飽かず暮らすあいだにも秋は暮れにけりみたいな、酔いの宴を掛け合わせた歌なんだけど」
「ずいぶん唐突ですね。それは和歌か何かのお話しですか」
「そうなんだ」
しばらく考え込んでいたが、白いコスモスは、時間を焦らせるでもなく、くだらない真似はよせと注意を与えるでもなく、ただのんびりと待っているらしかった。
「よし出来た。こんな歌なんだけれど、どうだろう」
私はすらすらと歌いだしたのが、かえって不思議なくらいだった。普通なら初対面の相手にこんな真似はしないものである。花だけに、菊たちと同じくらいに考えていたに違いなかった。
色ごとにはなして野菊を吹く風の
秋づくらしき宵の宴よ
するとコスモスが平気な顔をして、
「なるほど、『離して野菊』と『話し手の聞く』を、『秋づくらしき』と『飽きず暮らしき』を掛け合わせて、『宵』の『酔い』の宴よとしたわけですか。そして『色ごとに』栄える菊たちが『色事』の話しに盛り上がる。まあ悪くはないようですね」
と答えたのにはちょっと驚いた。
「そうか、ありがとう」
「けれども、技巧が勝ると堅くなりがちなものです」
「そうかな」
「素直に情が乗ってくれば、それに越したことはないのです」
「それじゃあ、どんなのならいいんだろう」
と私は思わず聞いてみた。別にコスモスを試したわけではない。実はまだ、大和歌がいまいち掴みきれていないのであった。それに私は、句も歌も詩も小説も、大きな枠のなかで捉えたいと願っているところだったから、ふと気になって尋ねたのである。
「そうですね。念のために言っておきますが、私は和歌の心得なんか持っていませんよ。第一、人間じゃないんですから」
と説明してから、しばらく考えていた様子だったが、やがてすらすらと、
宵ほどの秋づくらしき色鳥(いろどり)も
はなして野菊と風のたわむれ
と答えたのである。これが贈答歌(ぞうとうか)の、問いに対する答えというわけらしかった。なるほどそう言われてみると、私のものはすこし凝り固まっているようにも思える。しかし、すべての意味を掴みきれなかった。『はなして』の解釈が、なかなかに込み入っているらしい。しばらくは思い悩んでいたが、
「そうか、分かった」
ようやく気がついた。
「どうしました」
「ようするにこんな意味になるんだろう」
と私はその歌を読み解いたのであった。
「酔っては秋色に染まりゆくような宵。秋づいてゆく色とりどりの小鳥たちも、またそれぞれの彩りを離して野菊たちも、飽きず暮らしながら、話しがてらに風とたわむれるみたいです。まるで酔っているかのように」
こんな解釈をするので、コスモスは思わず笑い出してしまったらしい。
「おかしいですね。そんなに深読みなさらなくても結構です。ほんの座興なのですから」
「そうかな、けれども悪くない歌だね」
「それは、どうもありがとう」
コスモスは照れくさそうに揺れだした。
「それに鳥たちと野菊と風との関係がおもしろい。鳥たちが離れにあって野菊と風が戯れているようにも、三つ巴に戯れているようにも思えて、答えの出せないようなアンニュイがあるね。それを、遠景から夕暮れが見守っているのだから、フォーカスの設定が見事だ。なるほど、たしかに私のは、ちょっと堅すぎるのかも知れないね」
「そんな大したものではありません。気に入ってくれたなら幸いです。けれども」
と白いコスモスが、ちょっと口ごもったので、私は
「どうしたのだ」
と尋ねてみた。
「あなたはそのような言葉の戯れをしている場合ではないかもしれません」
「なぜ?」
と尋ねると、
「私がここに残ったのは、あなたにお知らせしたいこともあったからなのです」
と言い出したので、ちょっと驚かされた。
「お昼のときに言えばよかったのに」
「あんなお祭り騒ぎでは、とても口を挟めませんから」
「うん、それはそうだね、彼女たちは騒がしすぎるから」
ちょっと笑い出してしまう。けれどもコスモスが静かに見つめているような気がしたので、私は少し不安になってきた。
「それでいったい何を伝えたかったのさ」
と尋ねてみた。すると、
「あなたの芸術の残り火が、もうすぐ消えようとしているのを、お知らせしようと思ったのです」
と言うのでびっくりしてしまった。なんだか恐い気がする。あるいは死に神から教わって、私の死期をでも知らせるつもりなのだろうか。
「そうではありません」
コスモスは淡々としている。
「あなたは生きたままに、わずかな文芸復興の残り火を、永遠(とわ)の埋火(うづみび)として埋葬される日を、もう間近に控えているかもしれないのです」
何を言っているのかよく分からない。
「けれども死ぬ訳じゃないんだろう」
心配になって念のために聞いてみる。
「人がいつ死ぬかなど、コスモスに分かるものですか」
「だって、時がまだ残されているなら、技巧を極める時間が残されているなら、私にはもっと優れた作品を生み出すチャンスはいくらでも在るはずだ。こんなしどろもどろの小説じゃなくって、もっと完全な……」
「それを極めるための若さが、もう残りわずかなのです」
「だって、文芸はスポーツじゃないんだ。何も二十代がピークという訳じゃない」
「それは、あなた方の愚かな思い違いです」
「そんな馬鹿な」
「あなたは酒ばかり飲んでいます」
「違う。今は酔っぱらっているけれど、なにも朝から晩まで酒に溺れている訳じゃない。アルコール中毒と一緒にしないでくれ。考える力は十分残されているんだ。いや、それだけじゃない、今でも人なみ以上のことを、考えることだって出来るんだ」
コスモスは悲しそうに見つめている。そうして黙って首を横に振った。あるいは風がちょっと吹いたので、そう錯覚しただけかもしれなかった。乾いた枯葉が吹かれながら、カサカサ音を立てて通り過ぎる。
「どんな時代であっても、人のこころをもっとも素直に、いびつでなく表現するのは、その時代のなかで使われている言葉を使用したときです。そうであればこそ、過去の文章もまた、過去の文章の一つの結晶として、継ぎはぎのないひとつの作品になるのです。私たちの方から近づけば、今の言葉と同じように、その時代の本当の情と交わることが出来るのです」
「なにを言っているのだ」
「まあ、お聞きなさい」
コスモスは私を諭すつもりなのだろうか。
「社会から乖離(かいり)した言葉のカタログを仕立て、当時の社会の生きた言葉としてではなく、ただ文法としてのみ学び取ったつもりになっても、当時からもかけ離れたような言語を、伝統だと独りよがりに錯覚しても、すばらしい文章は書けません。そんな文章は嘘の文章です。そんな詩は、嘘の詩です。生きた情緒感が蔑ろにされるからです」
「それはだって、まるで、和歌の世界の話しではないのか」
ついさっき、調子に乗って和歌なんか詠んだことを咎めているのだろうか。それとも、私が口語調も文語調もごっちゃに悪戯をするのを、糾弾するつもりなのだろうか。それとも……
「早まってはいけません。私はコスモスです。医者とは違います。人間の情に任せて、相手を追求したりはしませんから、そのへんを誤解なさらないでください」
彼の言葉があまりにも穏やかなので、私もそれを信じることが出来た。また風がちょっと強くなると、コスモスは揺れが収まるのを待っている。仲間がいなくなって、揺れが強く来るらしかった。
「どのような詩にも自らの命があります。それは普通の人のこころに、嫌らしくなく感情を伝えられるということ、つまりは社会的に死滅した言語ではないということが大切なのです。また捏造した言語でないということが大切なのです。そうしてその上で、始めて技巧が生かされてくるのです」
「だってそれ以前に、言葉のリズムがなくっては詩にはなれないじゃないか」
「それは言うまでもありません。すべての詩(うた)は、そのリズムによって始めていのちを吹き込まれるでしょう」
「それなら古語調だろうと現代語調だろうと、リズムの楽しみのために自在に使ったっていいじゃないか」
「そこには面白さとともに、非常な危険がひそんでいるのです。なにもすべての人に受け入れられるべきという意味ではありません。教養レヴェルの浅いところで掴み取れれば十分という意味でもありません。けれどもやはり、広範の人々によるミキシングがなされていない言葉でいくら文学を捏造しても、それは偽りの文学になる危険性が極めて高いのです。表現ばかりが肥大して、見てくれだけはご立派そうでも人間が出来ていない、つまりは直情が空っぽになる危険性があるのです」
コスモスはやはり、安易に古語調を真似るなと言っているのだろうか。
「それは全然違います」
しまった、やはりこころを読まれているらしい。
「あなたにはただ、社会が新しい書き方や話し方に動き出したら、その方法こそがもっとも自然になっていくという傾向を、忘れないでいて下さったらそれでよいのです。咀嚼されて息づく古語だってあるのです。古き雰囲気を表すのに古き表現が生かされることだってあるでしょう。言葉のリズムの楽しみもあります。だから現在の率直な言葉遣いのなかでかみ砕いて、消化するまでは決して使用しないことにさえ気をつけていれば、現代の言葉に対するリズム感と詩情さえわきまえているのであれば、あなたはそこから優れた源泉を得ることだって可能なのです。けれども時代錯誤の精神を掲げて、古きものをのみ良きものと錯覚して、実に多くの人々が、極めて短期間のうちに、己を過去の遺物へと追いやってしまいがちなものです」
「私が知らない間に、その過ちを犯しているとでも言いたいのか」
「それは分かりません。けれども、特定の詩型を表すための風変わりな言語が、現在の表現とかけ離れているとすれば、それだけより多くの人々にとっては、偽りの作品に見えてくることだけは確かです。それは恐らく、敬意を払った無視というような行為のうちに、もっとも端的に示されることになるでしょう。それでいてその言葉は、過去に戻っても真実ではない、ただいびつなものに過ぎないのです」
「それじゃあ、常にもっとも大衆的な言葉で、ありきたりの内容を、時流に乗っかって書けとでも言うつもりか」
「それはとんだ早合点です。私は先の傾向をこころに留め置くことをのみ望んでいるのです。こころに留め置くことと、それをポリシーに掲げることは、まったく別のことです。つまり私は、そのような作風は危機的な側面があるということを言っているのです。すべてが罪悪であるとは言っていないのです。それさえ分かっていさえすれば、何も恐れることなどありません。なんなら過去と現代の混淆のプラス的側面を、始めから語り直したっていいくらいです」
私はだんだん頭が回らなくなってくるようだった。
「いや、それはいい。とにかく今の話しと、私がもうすぐ亡びようとしていることと、何の関係があるのだか教えてくれないか」
お願いだからそんな謎かけみたいな話しはやめて、率直に説明してくれ。寿命があるなら、その日付を教えてくれ。私は思わず懇願しそうになってしまった。
「いかなる詩でも、文章でも、それが文学的であるためには、技巧は表現のサポートをしているに過ぎません。溢れんばかりの霊感があって、情が沸き上がるその統制をどうにか構成に纏めようとしたところで、始めて技巧が生きてくるのです。その時こそ、その作品は、文学的傑作として比類ない名声を手にすることが出来るでしょう。時代を越える翼を羽ばたかせることが出来るでしょう」
「つまりその溢れる情とやらが、私にはもう乏しいというのか」
私はだんだんいらいらしてきた。コスモスごときにそこまで言われて、消沈していなければならないのだろうか。あの医者にだって言い返したんだ。けれどもあの時とは違っていた。最後までコスモスの話しを聞かなければならないような気が、心のどこかにしたのである。第一、コスモスには表情がないから、医者のように敵対勢力なんだか、口で言うように好意的なんだか、まるで分からないのである。口調ばかりは、中性的に淡々としているのだけれども……
「人は年を経るにしたがって、情緒は懸命に衰えていきます。生涯変わらないなんて思い込むのは、愚鈍のたましいの持ち主です。こころのピークは思いのほか若いものです。感情の豊かさは、思いのほか減衰が早いものです。そうして、乏しくなった情感を取り繕うみたいに、奇妙な表現を情緒と見誤るのは、どうやら我が国の特質と言ってもいいような伝統なのですが、けっして美しいものではありません。それはむしろ醜いものです」
「ようするに何が言いたいんだ。私の言葉が、今や感情的側面から見て偽物になりつつあるとでも言いたいのか。こんな酔いどれの遊びさえも、情の統制が利かずに溢れかえる現象ではなくって、その実まるで反対の、情の足らなくなってきているのを、どうにか補おうとする必死の策略だと」
そんなことってあるだろうか。そんな論法は、今まで考えたこともない。生まれて初めて聞いた。私は知らぬ間に偽りの作品を、生み出すほどに落ちぶれちまったのだろうか。頭がごちゃごちゃして、言い返すだけの勇気がなくなってしまった。
結局、私の信じる言葉の芸術は、朽ちゆく酔っぱらいの垣間見た、はかない幻想に過ぎなかったのだろうか。そもそも書店に並べられたあの奇妙な言葉の列、わざとお馬鹿ぶったみたいな語りかけ、リズムの途切れたニュース言語。お人形さん同士の乏しい会話。ああ、そもそも自分のこんな小説と奴らとの間に、違いなど見いだせるのだろうか。本当は自分の文章こそが、彼らの代弁者ではないのか。私は自分の文体にこそ、まずは嘔吐しなければなかったのだろうか。それを自分可愛さで例外扱いにして、ひとりよがりに憤慨しているに過ぎなかったのだろうか。だとしたら、もう駄目だ。今やひとこと語ればその分だけ、駄文が広がりゆくばっかりだ。やはり野菊らの嘲笑は正しかったんだ。彼女たちこそ真実を映しだす鏡だったに違いない。社会を代表する冷徹の眼差しだったのだ。フライパンでうしろから殴られたみたいに、私は無気力の衝撃に打ちのめされてしまった。アルコールの余韻なんて、すっかり無くなってしまったのである。
「しっかりしてください」
なんだ、はぐれ者のコスモスの癖に、私を慰めようというのか。
「霊感と巧みの結びつくような、芳醇のシーズンには限りがあります。そうしてそれは、人々が考えているよりも、ずっと早くにピークを迎えてしまうものなのです。老いてなお若かりし日の歌を奏でたとしても、彼らの歌声はもう、率直な情緒性においてすら、若い頃にはまるで敵わないでしょう。いやらしい年輪が、滲み出るばかりでしょう。それを補おうとして、奇妙な抑揚を付けて、それを表現の幅だなんて思い始めるでしょう。腐臭(ふしゅう)音楽の誕生です。これが芸術の腐敗なのです」
「それはもうよく分かったよ。どうせ腐敗しちゃったんだ」
「しっかりしてください。だらしがない。誰もあなたが腐敗しちゃったなんて言っていないではありませんか」
「だって、もう寿命が尽きるみたいな話しだったじゃないか」
「感受性のままに突っ走れる時代はそろそろ終焉が近づいたという話しです」
「その減衰をうっかり補わないようと言ったって、それじゃあ作品だってひたすらに衰えていく一方じゃないか」
「そんなことはないのです。熟した後の魅力というものも、世の中にはたしかに存在するのです。けれどもそれは若い頃の魅力と同じものではありません。若い頃と同じことをやっていたのでは、あるいは情を蔑ろにいびつな巧みに邁進するならば、厚塗りの化粧動物のなれの果てみたいに、朽ちた分だけお化けに近づいていくばかりです。けれども偉大な芸術家のなかには、完熟の魅力にまで辿り着いた先人だってあるのです。リヒャルト・シュトラウスがあの驚異的なメタモルフォーゼンを作曲したとき、彼は八十歳を過ぎていました。なにも芸術家でなくたって不可能ではないのです。失われゆくものを見つめながら、けっしてそれに縋(すが)ろうとしないことです。そうしてより客観性を身に付けることです。私はただそのための、一つの比喩を提供したに過ぎません。まあ、弛まず続けてゆきましょう。そうしてその際に、失われつつあるものを、偽りで埋め尽くさずに、本当はなにかを探し求めながら、ありのままに進んでいったらいいのです」
「じゃあ、結局のところ」
私はようやくはっとなる。白いコスモスは、ほほ笑んでいるようにも思われるのだった。
「だってあなたは、自分の直情がそろそろ衰え始めたのをそっと予感したのでしょう。そうしてこのまま進むことが不安でならなかったのでしょう。それで酒を飲んでこその執筆がどうしたと、いい訳を付けるみたいに右往左往をして、どうにか打開策を見いだそうと躍起になっていたのでしょう。あなたは無理に打開しようとする必要なんかないのです。つまり私は、ありのままに歩んで行けばよいのだと、ただそのことだけを伝えたかったのです」
「それじゃあ、さっきまでの話しは」
「一つの比喩だと言ったではありませんか。さっきの話しも一つの要素(エレメント)に過ぎません。この作品全体の中に散りばめられたものを、安易に取りまとめるでもなく、安易に結論づけるでもなく、それぞれの考えの糧として、総体に暖めていさえすればそれでよいのです。だって、あなたはそのためにのみ、ここまで頑張って記して来たのではありませんか」
「それは、たしかにそうだけど」
「自信がないのですか」
「いや、あんまり厳しい口調だったから、もう文筆なんか止めちまえとでも言うのかと思って」
私は急におろおろし始めた。
「もちろん、止めたって構わないのです。けれども止めなくたっていいのです。すべてがありのままです。行動四分(よんぶ)、思考は三分(さんぶ)、けれども技巧ぶるのは一分か二分にとどめて、残りはお茶でも飲んでいればよいのです。休憩だって大切な要素ですから。ただ時々は、真実の感情ということについて考えていさえすれば、あなたはそれで十分なのです。偽りを見抜く客観性を身に付けることです。理屈で結論を急ぎ過ぎないことです。嫌いなものは、嫌いなうちは嫌いでいいのです。ただ時々は、触れてみることさえあるならば、誰かの文体が嫌いだからといって、気にすることなんかないのです。すべてを吸収する必要など、ましてないのですから」
「そうか、分かったよ」
「そして、好きなものは、好きなうちは好きのままでいいのです」
私はようやく、気持ちが楽になるような気がした。医者のところで言い返して、コスモスからは言いくるめられて、けれども決して悪い気持ちはしなかった。この物語を始めた頃よりは、ほんの少しだけ、何かが見えたような気がしたからである。だとしたら、今はそれで十分ではないか。それこそがコスモスの願いだったようにさえ、私には思われるのであった。特定の把握されべき意見なんて、論文のなかだけで十分なんだ。
すると懐かしい声が、私の近くにあふれ帰ってきた。驚いて振り向いたら、いつしかあのお騒がせの野菊たちが、勢揃いして私のことを眺めているではないか。そのうしろには、一本のコスモスだけじゃない。今や赤やピンクのコスモスたちが、花壇一杯に揺れているのだった。
「本当に世話が焼けるんだわ。私たちが居ないとなんにも出来なんだわ」
「まったく、最後まで泣き寝入り状態なんだから」
「ひやひやものですね、ひやひやものですね」
「ああ楽しかった。ねえ、もうちょっとお酒ちょうだい、お、さ、け」
「お前、飲み過ぎだから、もう止めとけって」
「ひっく?」
「ちょっと、大丈夫あなた、真っ赤じゃない」
「なによ、もともと真っ赤なんだから放っておいてよ」
「おいらは、夜霧の八つ橋ぞお、そよそよ、吹かれて、渡るのだあ」
とうとう一輪のコスモスが歌い始めてしまった。大変な騒ぎようである。この場で二次会でも始めるつもりか。
「それであんた、ようやく問題は解決したってわけなの」
ピンクの菊がいきなり聞いてきたので、私は、急に赤くなった。
「まあ、とりあえず現状維持ってことで」
しどろもどろに答えると、
「ちょっと、しっかりしてよね、わざわざ向こう切り上げて帰ってきたんだから」
「まあ、校庭でからかったしな。ノイローゼにでもなられちゃ、後味悪りいし」
「そうなんですよ、そうなんですよ」
「だから、繰り返しは国家反逆罪だって」
「そんなあ」
「ねえ、きっ、君い、書かなかったらあ、会えなかったんらよぉ」
「ちょっと、なんで私に絡んでくるのよ」
紫の花は、隣にもたれてとうとう眠ってしまったようだ。
「やだ、おもおもしてるってばあ。なんなのよ、もう」
ピンクがどうにか起こそうとしている。ところが別の花が、
「酒は、酒はろこぉ」
とよろめき遊ぶので、だんだん収拾が付かなくなってきた。私はほとんどあっけに取られて眺めていたのである。すると、
「あのう。少しよろしいでしょうか」
離れの白菊がひとりで揺れだした。
「あっちゃん、どうしたの」
あっちゃんは、酒を飲んだせいだろう、ちょっとだけ紅色が兆している。色っぽいその姿がまた、あの看護婦さんを思い出させるのであった。
「いえ。お医者さんのところで読んだ詩、感動しましたよって伝えたかったのです」
「駄目なんだわ。あっちゃん、みんなばれちゃうんだわ」
なんだ、やっぱりこの白菊があの看護婦さんだったんじゃないか。私は初めっから、そんな気がしてならなかったのである。私の勘だって、まんざら捨てたものではない。
「馬鹿ねえ。なに言ってんのよ。あんたが心配だから、みんなで手分けして見守ってたんじゃないのよ」
「手分けしてって。どういう意味だ?」
私は驚いて、思わず叫んでしまった。
「なによ、最初からいたじゃないの私たち。知らなかったの」
「知らなかった」
「そのくらいのこと、気づかないなんて鈍感すぎるんだわ。それで執筆家なんて、ちょっと甘えているんだわ」
と黄色まできついことを言い始めた。
「そうだ、そうだ」
「俺たちだって、警官の役で大変だったんだぜ」
「まあ、脅されてやったようなもんだけどな」
「かりにも創作活動に従事するつもりの人間であるならば、その程度の読み込みはして貰いたいものだ」
「なにほざいてんのよ。仮病のくせに」
「なんという口の聞きようであるか」
「当たり前じゃない、肝心なときに役に立たないんだから」
「そうよ、このふにゃ……ん、ん、ん」
「ああもう、誰かこの子抑えていてちょうだい。なに言い出すか分かったもんじゃないんだから」
「あーい」
「とにかくあんた。私たちの存在に気づかないようじゃあ」
「文人失格だーあ」
「生まれてきてごめんなさいってやつね」
「太宰先生もびっくりじゃない」
「しょせん天性の駄文家なのよ、この人」
くそ、最後までオレンジの奴が駄文で責めてくるのか。
「それでも、前よりずいぶん元気になったんだわ。始めの頃と比較できるんだわ」
黄色いキイちゃんが天使に思えてくる。
「見守った甲斐があったってわけね」
ようやく紫を起こしたピンクがそれに答えた。すると後ろのコスモスたちが、
「お前らのは、見守るんじゃなくって、茶化しているだけだろ」
「あるいは、なぶり者にしているっていうか」
「あら、いいじゃない」
「茶化しながらも、見守っているんだわ」
「愛があるのよ、愛があれば、なぶり者にしてもいいのよ」
「そんな意見、初耳だぜ」
「あら、あんたにも教えてあげましょうか」
「い、いえ、結構です」
コスモスたちは一斉に震えだした。ちょっとおかしい。
「ああもう。みんな静かにするんだわ。そろそろエンディングが近いんだわ」
キイちゃんがまた、まとめ役を買って出たようだ。彼女は生まれついての仕切屋さんである。
「ええ、もう終わりなの」
「とにかく、これで」
「まるく収まるんですね、まるく収まるんですね」
「あんた、まだそれ続けるわけ」
「そうだわ。みんなで最後に歌ってから終わりにするのがいいんだわ」
「終わりにするって、なにを歌うのよ」
「あっちゃん、酔っぱらいの詩で、いいのなかった」
ピンクが、人を酔っぱらい扱いにする。けれどもまあ、たしかに酔っぱらいには違いなかった。
「これなんか、どうでしょうか」
これなんかって、私には何も見えないんだが、きっと花同士にはちゃんと見えているんだろう。
「恋の歌、って書いてありますよ」
それは確か、あのノートの最後に記された詩であった。
「じゃあ、これでお別れしよっかあ」
「俺たちも一緒に歌っちゃおうぜ」
「歌だけならば、病葉(わくらば)があっても参加は十二分に可能である」
「すると、私ももう一仕事しなければなりませんね」
「あたいだってもうひとこと登場だあ、あたいだってもうひとこと登場だあ」
「あんた、一番長いのやったわね」
「禁固三年けってーい」
「そんなあ」
「じゃあよお、歌い終わったらとーぜん二次会だろ」
「あんたお酒、ちゃんと持ってきたの?」
「なんだよ、全部俺たちに運ばせた癖に」
「そうだっけ」
「えへ、都合の悪いことはなんも覚えてないの」
「ちょっとあんた、もう最後なんだから、黙ってないでなんか言いなさいよ」
急にオレンジが絡んできた。私はすっかり観客のつもりになっていたのである。
「思わず読者のつもりになっていたよ。うまく締め括ってくれるなら、何も言うことなんかないさ。それより、一緒に二次会に参加しても構わないかな」
と聞いてみると、
「当たり前なんだわ。二次会はあなたが主役なんだわ」
とキイちゃんが言い出した。ところがほっとしていると、
「その代わり」
「今日はあんたのおごりだーあ」
そしてまた全員が、「おごりだーあ」と揺れ始めたのである。何だか楽しそうだ。こんな酷い文章を最後まで描ききってしまったけれども、花たちの楽しそうな姿を眺めていると、そのためだけにも、ここまできた甲斐があるような気がし始めた。あるいは登場人物のためだけの小説だって、この世のどこかにあってもいいのかもしれない。もちろんこの文章は、そんなものではないのだけれども……
私はとにかく無理をしないで歩いて行こう。もしかしたら、全然違う小説の中で、ばったりこの花たちと出会うことだってあるかもしれない。その時はまた、楽しいおしゃべりが始まるのだろう。花たちは、歌とも朗唱とも分からないような不思議な響きで、私の詩(うた)を歌ってくれるのだった。そうして、そろそろこの怠惰の小説も、お開きにしようと思うのである。ああ、夜風が気持ちいいや。私はこのままここに眠るのだろう。そうして再び目を覚ましたとき、味気ない朝のなかにまた放り出されてしまうことだろう。こんなに準備した舞台装置も、公園の面影も、自動文章作成ソフトも、警官たちの校庭も、そうしてベランダの外にあった鉢植えの花たちさえも、きれいさっぱりなくなって、床板だけが残されるのだろう。けれども今日のことは忘れない。そうして忘れないで、何が変わるという訳でもなく、また明日から歩いて行こうではないか。
「それでは、皆さん声がずれないようにお願いします」
指揮をするのは、あっちゃんだ。
『恋の歌』
あのさ、僕のねえ、薬指にね、きっと
指さすたんびに星はきらめき
糸はひとすじ紅き色して
流れゆくような気配ですから
あのさ、僕のねえ、薬指とね、君の
たぐり寄せたら銀河のかなた
君はひとすじ舟に揺られて
澪を尽くして来るのでしょうか
だからって、僕のね、まことは、君の
すべてが欲しいと星にささやく
それから、僕らは、肩さえ、寄せ合い
いのちのすべてを確かめ合おうか
男とか女とかそういう愛らしくもあり
またそうとは言わせぬくらいのものでもあり
僕らの今宵はせせらぎで満たされ
にこにこしてたね銀河の祈りと
尽くすことなきまばたきばかり
それ一粒のいのちの軽さと
支え合うよな指のぬくもり
あなたの指先ふんにゃりしていた
つめたく滑って腕までなめらか
のぼっていっても怒られないなら
頬を引き寄せ口づけ交わそう
震えるみたいなあなたの仕草と
小さな僕のよろこびなのです
僕らはつつがなく眠りましょう
こんなお空のすべてを包み込んで
袋詰めにしたとて何になるやら
とらえきれないあなたのこころを
もどかしくって求めていたっけ
まどろっこしくて
でも嫌ではなくって
瞳はやさしくって
奥は果てしなくって
奥は果てしなくって
銀河もいまやひっそり
あなたの瞳にばかり
横たわっている気配です
僕らは安らかに眠りましょう
下界にはいろいろ嫌なことばかり
あれこれと繰り返されたものですから
僕はもうあなた以外はなにも求めない
胸の鼓動を確かめ合ったり
もつれてふわっと戯れてみたり
それから眠っていたいよな毎日なのです
ああ星がみえるねえ
あいつらいかなる名前で
僕らの世界にわずかばかりのひかりを
照れくさくってほほえんで見せているのか
それは僕にも分からないけれども
ねえ、おやすみ、君はいつも
澄んだ瞳のかびろき胸の
安らかな寝息と寄り添って
眠りましょうか僕らこれから
ヨフケヲ、ヨコタウ、オホシノ、ナガレヨ
ボクラニ、トドケル、サザナミ、ミタセヨ
サレドモ、カナシク、ヒトキハ、アカルク
キエユク、オホシハ、ボクラノ、イノチカ
ソオツト、アシタヲ、ムカエテハ、マタ
トドマル、コトナキ、ケハイ、デスカラ
アワテモ、セズニ、オドロキモ、セズ
ボクラ、アシタモ、オカオ、アラツテ
タガイノ、ヒトミヲバ、ドコマデ、シンジ
アルイテ、ユキタイ、モノデアリマス
僕のね、君への、小さな、オクリモノ
それはね、好きです、アナタ、ばかりが
小さな、お星の、かけら、ナガシテ
ひかりを、放ちて、スウツト、消えます
お祈り、しましょう、永遠(とわ)に、ふたりの
僕は、あなたを、あなたは僕を
愛するみたいにして、そっと朝日を待っている
登り来る、朝日の荷車を、夜空に聞くみたいにして
銀河のお祭りみたいな夜更けにさえ、僕らは
夢といっしょに浴衣着て出掛けましょうよ
それでね、僕はね、君のね、手を取って
好きだと、ばかりを、どこまで行こうか
も一度、くちびるかさねてみたいような
おやすみ、僕らの、静かな、祈りよ
P.S.
「冗談じゃないわ、最後はやっぱり私たちなんだわ」
「そうそう、詩なんかでハッピーエンドにさせてたまるもんですか」
「あのう。それで、私たちなんのためにここに登場してしまったのでしょうか」
「あっちゃん、もしかしたらこの駄文を読んで、人ごとみたいに笑っちゃうような馬鹿どもだって、世の中にはいるかも知れないでしょ」
「それは確かに、そういうこともあるかもしれません」
「だから、予防線を張っておくのよん」
「ちょっと、あんた足がもつれてんじゃないのよ」
「大丈夫だって」
「とにかく、そう奴らにはね」
「ダーターファブラって言ってやるんだわ」
「そうなんですよ、そうなんですよ」
「ダーターファブラ!」
(おわり)
作成2009/11/11-12/7
2010/2/22